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私は2007年にEOS 5D(初代)を購入して以後ずっとフルサイズセンサーのカメラを使い続けて来た。ちょっと前までは、フルサイズセンサーとAPS-Cセンサーの描写性能には明らかな差があったからである。しかし、ここ数年APS-Cセンサーの描写性能が大きく向上した。FUJIFILM X-T2の画質を見て、APS-Cセンサーで十分だと思ったのでメインカメラをEOS 5D MarkⅢからFUJIFILM X-T2・X-T20に変えた。FUJINON XFレンズは非常に秀逸なレンズが揃っているためEOS 5D3から乗り換えても大きな不満は感じなかった。XF23mm F1.4 R、XF35mm F1.4 R、XF56mm F1.2 R、XF90mmF2 R LM WRの4本のレンズは非常に優秀であり、APS-Cセンサーでも十分なボケ表現を可能にしてくれる。

スナップは軽快である方が楽しいし、その方が良い写真を撮れる可能性も高くなる。最近の私は、X-T2にXF35mm F1.4 RとXF56mm F1.2 Rの2本を持って出かけることが多い。ちょっと前まではボディも2台体制でレンズ交換をしないで済むようにしていたが、最近はボディを1台にして軽量化を図っている。レンズ交換は頻繁にしない。レンズ交換を頻繁にすると写真が散漫になりがちだ。例えば2時間35mmで撮り続け、食事を挟んだあとは56mmで撮るというような使い方が多い。多くのモノクロ作家はレンズ固定式のカメラで作品を撮っている。身近な例で言えば、渡部さとるさんはROLLEIFLEX(80mm)でほとんどの作品を撮ってきたし、千葉桜洋さんはプラウベルマキナ(80mm)だけで撮っている。友人の泉大悟君はNIKON F3にNikkor50mm F1.4だけで撮っている。そういう潔さが良い作品を生み出すことに繋がっているのだと思う。

なんにしろ、スナップにフルサイズセンサーは必要ない。小型軽量のAPS-Cセンサのカメラの方がアドバンテージがあると思う。

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 R F1.2

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FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 R F1.2

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FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 R F1.2

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FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 R F1.4

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FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 R F2.0

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FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 R F1.2

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FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 R F1.2

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FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 R F1.2

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FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 R F1.2

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FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 R F1.2

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by dialogue2017 | 2018-12-14 12:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

私の場合、フルサイズセンサーを使いたいケースはポートレートだけである。ポートレートの場合開放絞りF1.4の大口径レンズを使うが、絞り開放で撮ることはまず無い。ほとんどのケースは開けてもF2.0、F2.2、F2.5のいずれかである。このF値はAPS-Cセンサーでは概ねF1.4、F1.6、F1.8に相当する。FUJINON XF 56mm F1.2 Rは絞り開放から安心して使えるので割とF1.2を多用している。上の3枚の写真はEOS 5D MarkⅢ + SIGMA 85mm F1.4で撮影した写真。下の3枚はFUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 Rで撮影したもの。各写真の絞り値は写真の上に記載した。

「ボケの量」という点では、私はAPS-CセンサーのX-T2にXF56mm F1.2 Rを付けて撮った写真で十分である。このレンズでもF2.0まで絞って撮ることが少なくないが、とにかく開放でも安心して使える。反対に、5D3 + SIGMA 85mm F1.4の場合、F2.0より開けてしまうとピントが合っていない写真の様に見えてしまうのでよほどのケースを除いて開けることはない。

ポートレートでさえ「ボケの量」という点ではAPS-Cで十分である。フルサイズセンサーを使いたい理由は「ボケの量」ではなく「絵柄のゆとり」である。抽象的な表現だが、言い直せば階調の繋がりのスムースさということになる。もう一つは、「ノイズ」である。逆光で撮ることが多いポートレートの場合暗部にノイズが出やすい。特にISOを上げた場合顕著に出る。そういうケースではAPS-Cセンサーとフルサイズセンサーの差が出る。言うまでもな後者の方がノイズが出にくい。

以上のように、フルサイズセンサーに拘るには明確な理由がある。スナップではさほど重要なことではないので私はスナップでフルサイズセンサーのカメラに拘ることはない。F1.4で撮って一部だけにピントが合っている写真を撮って悦に浸るほど未熟ではない。私の場合、スナップではほとんどの場合F5.6〜F8.0まで絞って撮る。APS-Cセンサーの場合はF4〜F5.6を多用する。スナップなんて遊びであるから開けて撮ることもあるが、それでもF2まで開ければ十分である。スナップ系のモノクロ作品を撮っている人間で絞り開放の作品というのは滅多に見ない。寧ろそいう写真は鼻で笑われることの方が多い。

【F2.2】

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【F2.2】

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【F2.0】

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【F1.2】

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【F1.2】

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【F1.2】

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by dialogue2017 | 2018-12-14 06:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

(2)の末尾で「我が家のフェルメールライン」は「南向きの窓際」にあるという話を書いた。渡部さんは「僕の撮るモノクロ写真は北側の窓から入る光を使うことが多い」と語っている。その理由は「直射光では無く、間接光で柔らかく窓辺を照らす」からだと説明している。そして、そのような光で撮った「ネガ」(ファイル)からは「グラデーションがたっぷりあるプリントを作ることができる」と明言している。

話を進める前に、誤解を避けるため(2)の中で書いたことについて補足しておく。私は(2)の冒頭で「その場の光で撮っただけで美しいモノクロ写真としてほぼ「完成」しているのである」と書いた。これは誤解を招く表現である。"マジックナンバー”で撮った写真は、そのものズバリ撮りっぱなしでほぼ完成していると言える写真になることが少なくない。それが「ISO400 f5.6 1/60」がマジックナンバーである所以だ。しかし、同じ「ISO400 f5.6 1/60」の光であっても光の強さが違えばコントラストの出方は変わる。渡部さんが語っているように「晴れていればコントラストが強く、曇っていればコントラストが弱く」なる。

窓にカーテンが掛かっていて曇り空の日にはかなりコントラストの浅い「ネガ」(データ)になる。そういうケースでは「撮っただけで美しいモノクロ写真としてほぼ『完成』している」と言うことにはならない。極端にコントラストが浅い眠い写真になる場合もある。しかし、その「ネガ」(ファイル)には白飛びも黒潰れも無いので、ネガの現像やプリントでの調整次第でグラデーションのあるプリントを作ることが可能である。って、一度もゼラチンシルバープリントを焼いたことが無い私が言うのも無責任な話であるが、フィルムもデジタルも基本的な理屈は同じなので間違い無い。とりあえず、この点について補足しておく。

さて、渡部さんがお気に入りのなのは「北側の窓」である。それに対して我が家のフェルメールラインは「南向きの窓」の脇にある。しかし、渡部さんお気に入りの「北側の窓」からの光と同じように柔らかい光が入ってくる。その理由は"このエントリー”に掲載している写真を見ていただければ一目瞭然である。この部屋の窓には「障子」が入っているのである。障子越しの光というのはかなり柔らかくなる。昔プロカメラマンがポートレートを撮る時に良く使ったライティング手法に「傘トレ」というのがある。アンブレラにトレーシングペーパーを貼って光を拡散させる手法である。アシスタントは何分で完成させられるかを争ったそうだ(森谷修さんから聞いた話)。

どんなものか興味がある人はgoogleに「傘トレ」と入れて「画像」で検索して欲しい。傘トレに限らず、昔のカメラマンはトレーシングペーパーを多用した。柔らかい光を作るのに一番役に立ったからである。最近は当時と違ってさまざまな「ソフトボックス」などがあるので今どき傘トレをやるカメラマンは余りいないだろう。アンブレラの前にディフューザーを1枚挟んだ方が簡単で効果はほぼ同じだ(実は、先週そういうライトでモデル撮影をちょこっとやった)。ああ、話がすっかり脱線してしまったが、デジカメで写真を始めた世代の人々はこういう話を知らないだろうから一度耳にしておいても損は無いだろう(目にするのだけれど)。

「和紙」は「トレペ」と同様のディフューズ効果を生む。だから、南向きの窓であっても北向きの窓のように「柔らかい光」を作ってくれるのである。しかも、我が家の和室の南向きの窓の場合、拡散の度合いを調節することができる。障子を2枚重ねることもできるし1枚にすることもできる。障子の外の窓を開けるか閉めておくかでも違う。その更に奥にある「網戸」を入れるか外すかでも室内に入ってくる光の量が変わる。ストロボの出力を調整するかのように微妙に光量を変えることが出来る。更に、モデルの立位置を変えれば光量が変わる。だから、ちょっとした記念写真ならここで撮ることが出来る。

「南向きの窓」の利点は「北向きの窓」より光が強いことだ。障子を噛まさなければコントラストの強い光になる。障子を噛ませても北向きの窓よりは強い光になる。北向きの窓より適度なコントラストの写真を撮ることが出来る。だから、晴れた日の日中にこの和室で写真を撮ると「その場の光で撮っただけで美しいモノクロ写真としてほぼ「完成」している」になることが多い。

と書いて思いだした。この春息子が中学校の入学式から帰ってきた時にこの和室で制服姿の写真を撮った。それを「ネタ」にしてエントリーを立てた。そのエントリーを丸々以下に再掲載する。ヒストグラムが掲載されているので、「その場の光で撮っただけで美しいモノクロ写真としてほぼ「完成」している」ということが本当のことだと言うことを伝えることができるから。


以下は、4月9日のエントリー「今日から中学生」の全文再掲載である。


今日から中学生となった息子。入学式から帰ってきたとき1階の和室で記念写真を撮った。地明かりのみ。男児にレフは不要(笑)。

追記。写真下にヒストグラムを載せておく。くどいようであるが「飛ばさず、潰さず」がモノクロ写真の基本である。私は原理主義者では無いが、原理原則というのは大きな意味があるのである。それを深く理解せずして輝かしいオリジナリティなど生み出せない。ベーシックな部分での高見があってこそ、心を打つ写真が撮れるのである。「理屈抜き」に素晴らしいではなく、「理屈の上」に「素晴らしさ」が生み出されるのである。「原理原則」を追求しているわけでは無い。「良い写真」に共通するベースが「原理原則」なのである。


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レタッチで白飛び黒つぶれを押さえているわけでは無い。撮りっぱなしのファイル自体がほぼこういうヒストグラムなのである。要するに、この場所のこの時間の光がこれだけのレンジだということである。だから、私は子どもたちの記念写真をここで撮るのである。

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by dialogue2017 | 2018-12-13 10:30 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

今年4月8日に「茅野の家」で寝ぼけ眼の娘を撮った写真。朝の柔らかい光だ。XF56mm F1.2 Rを買った直後に撮った写真である。

いつでも奇麗な光で撮ることが出来るのであれば、X-T2 + XF56mm F1.2 Rで十分だと思う。α7Ⅲが必要になるのは条件がギリギリの時だ。

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年内いっぱいはSONY α7Ⅲで撮った写真は掲載しないつもりであったいや、このブログは年内で辞める予定なので来年になったら載せると言うつもりであったわけでもないのだが、とにかく年内はα7Ⅲで撮った写真を掲載しないつもりであった。いまところ100枚前後しか撮っていないし、撮った100枚前後のうちの半分ほどは単にAFのテストをしてみたというような写真でしかない。京都で50枚ほど撮ったが、世の中の普通の人が旅行先で撮るレベルの写真しか撮っていない。いや、正直に言ってそれ以下の水準の写真ばかりであった(訳ありだったのだ)。

そんな事情のため、α7Ⅲで撮った写真をここに掲載するつもりはなかった。そして、年内残り半月の間にα7Ⅲを使って写真を撮るつもりは今のところない。このカメラと4本のレンズは本気でポートレートを撮るために購入したものであるから、平素の「遊び」での撮影には使わないでいるつもりなのである。故障うんうんに対する配慮ではない。遊びで使うにはレンズが大きくて重すぎるのである。はっきり言って持ち歩きたいとは思わない。遊びにはX-T2でさえ大きいと思う。それに、遊びで写真を撮るのにこのレベルのカメラを使いたいとも思わない。これだけのカメラを使う時は、少なくともちょっとは真剣に撮る時だけだ。

予定を変更した理由は薔薇の花を撮ったからである。今朝「モノクロ写真ジャンル」に登録しているあるブログに薔薇の花の写真が掲載されているのを見た。その写真はモノクロで撮影されていた。それを見て、庭に咲いている薔薇の花を撮ろうと思ったのである。実は、「色味の比較」をするために「テスト撮影」をしたわけではない。それは「ついで」のことでしかなかった。私はカラーで薔薇の花を撮ってみたくなったのである。

花の写真をモノクロで撮ることに対して全面的に否定的な訳では無いが、花の写真はカラーの方が断然美しいと思っている。よほど上手に撮らない限りモノクロの花の写真は「カラーの方が美しいのに!」と思わされるだけだ。モノクロで「魅せる」花の写真を撮るのはそれほど簡単ではない。私は、撮影時からモノクロモードにして花を撮ることはまず無い。もしかしたら一度もやったことが無いかもしれない。モノクロにしてみることを前提に撮る場合でも、ひとまずJPEGの設定はカラーで撮っている。私にとって「花」という被写体は「色の美しさ」を見せる被写体なのである。

私の感覚では花の写真をモノクロで撮る人は「変態」である。そういう人とは友だちになりたくない(笑)。気をつけないと誰からも声を掛けられなくなるよ(爆)。まあ、冗談はさておき(半ば以上本心だけれど)、薔薇の花なんて絶対にカラーで撮るべき被写体だと思っている。で、レンズのテストを兼ねてちょこっと撮ってみたという次第である。

ブログに掲載するとき、もしかしたらモノクロで撮った方からコメントが届くかもしれないと思った。いままでにも何度かコメントを頂いている方であるし、ご本人が私がその方の写真を見たのに触発されて撮ったことを知ればコメントを下さると思ったのだ。果たして私の予感は的中し、その方からコメントが届いた。そのコメントの末尾に「なお近々私も、α7Ⅲにアップグレードする予定です」と書かれていたのを読んで、引き留めようと思った(笑)。で、長い返信を差し上げた。その「長い返信」を以下に引用しておこう。

コメントありがとうございます。
薔薇の花のアップ、今日でしたか。年のせいで記憶が混乱しています(笑)。

α7Ⅲの導入、よくよく考えられた方が良いと思います。
私はまだ100枚撮っていないのでなんとも言えないのですが、
アマチュアにこれほどまでのカメラが必要なものか疑問です。
私自身、本気でポートレートを撮る気にならなければ手を出さなかったでしょう。
煎じ詰めたところで勝負するカメラマンにだけ必要なカメラのような気がします。

もっとも、そういうカメラほどアマチュアの方の「憧れ」の対象になるわけですが、
nobs_soliloquyさんのように自分の「作風」が固まっていて、
そしてフィルムでも撮られている方に必要なカメラじゃ無いような気がします。
今は最高峰クラスのカメラとその下のクラスのカメラの画質の差はあってないようなものです。
ぱっと見全く別物というような凄い写りな訳じゃ無いです。
差が出るのは、かなり厳しい条件で撮ったときだけだと言っても良いでしょう。

α7系のカメラの最大の魅力は、結局のところレンズ群です。
そして、それらのレンズはみな1本20万前後はします。
安いレンズを使うならα7Ⅲクラスのカメラを使う価値はあまりないように思います。
ですから、私はプライベートユース用にα7Ⅲを買うつもりはありませんでした。
良いレンズはみな重いです。持ち歩くのが嫌になるほどです。
本当に、コマーシャルフォトレベルの写真を撮る必要がなければここまでのカメラはいらないと思います。

このエントリーに掲載した程度の花の写真を撮るのであれば、
X-T2 + XF56mm F1.2 Rとさほど違うというわけではありません。
もちろん、もっと追い込んで撮れば差は出るでしょうが、
楽しみとして写真を撮るのにそこまでやる必要があるものかどうか。
私自身は平素は遊びで撮っていますので追い込んで撮ることはありません。

「瞳AF」とかの必要性があるのでもない限り、
安い初代のα7を買って、古いヤシコンツアイスを使った方が楽しいかもしれません。
その瞳認識AFも恐らくX-T3のそれとあまり変わらないだろうと思います。
スナップのためのカメラであれば、マニュアルフォーカスでも十分ですからね。
購入前にレンタルで借りて使ってみたりし

コメントの文字数制限のため文の途中で切れた形で投稿されてしまった。以前は「制限文字数オーバーです」というような警告が出ていたと記憶しているが、それが出ないで投稿された。いつから仕様が変わったのだろう。警告を出した方が良いと思う。

私は本気で「引き留め」ているのである。まだ100枚ほどしか撮っていないので実感はまるでないのだが、α7Ⅲはとても良いカメラだと思う。購入前に一通りのことを良く調べ、気になる部分については友人に問い合わせをしてから購入した(写真家の塙真一さんと水谷充さんがユーザーなので彼らにあれこれ質問して疑問を払拭した)。素晴らしい点は多々あるが、一言で言って現時点のミラーレスカメラの最高峰の中の一台と評価して間違い無いだろう。ダイナミックレンジの広さと、高感度特性の高さはトップクラスである。厳しい撮影条件の際にはこれらのメリットが生きるだろう。私は日没前の「淡い光」で撮ることを考えているのでセンサーの優秀なカメラを使いたいと思ったのである。AF性能の高さであるとか、手ぶれ補正機能の優秀さなどにも魅力を覚えたが、光が少ない情況での撮影に対応する能力の高さがα7Ⅲを選んだ大きな理由である(夜に撮るわけではないのでα7sⅡまでの必要はない。他の諸性能に鑑みればα7Ⅲの方が断然良い)。

いずれにしろ、上に引用した「返信」に書いたように、アマチュアが楽しみで使うにはあまりにも贅沢なカメラだと思う。私なら遊びで写真を撮るのにこのレベルのカメラを使うことは無いだろう。X-T20で十分である。いや、X-T20の方が良いと思う。楽しみで写真を撮るのに大きくて重いカメラを持ち歩きたいとは思わない。遊びで写真を撮るのに「最高の画質」なんて求めない。だいたいが、私はいい加減にしか写真を撮らないのだからハイスペックなカメラの必要性などないのだ。X-T2やX-T20の画質になんの不満もないし、FUJINON XFはどれもみな気に入っている。非常に優秀なレンズだと思っている。

私が今回SONY α7Ⅲと重くて高額なレンズを4本も購入した理由は、カメラとレンズの性能をギリギリまで引き出して写真と撮る積もりだからである。わかりやすい言い方をすれば、魚住誠一さん以上の写真を撮るつもりだと言うことである。カメラ雑誌などに掲載されている女性ポートレートよりワンランク上の素晴らしいポートレートを撮ろうと思っているのである。そのためには、カメラ(のセンサー)とレンズはできる限り優秀なものを使いたいと考えた末の結論である。

理想を言えばFUJIFILM GFX50sを使いたいが、取り回しを考えると無理である。GFX50sとα7Ⅲの画質の差ははっきり分かる程度にある。比べる方がおかしい。中判カメラのもつアドバンテージは大きい。センサーが大きいと言うことは断然有利なのである。実は、京都でGFX50sとα7Ⅲの撮り比べをしてきた。予想してはいたが、こんなにはっきりと差が出るものかと思った。いや、予想以上にα7Ⅲは健闘していた。悪くなかった。とりわけFE85mm F1.4 GMで撮ったカットにはGFX50sにはない独特の魅力を感じた。しかし、センサーサイズの持つアドバンテージばかりはどうにもしようがない。仮に、スタジオでポートレートを撮るのであれば迷うことなくGFX50sを選択するだろう。しかし、ロケ撮りでモデルを動かして撮るという前提であれば、α7Ⅲに断然のアドバンテージがある。

京都にα7Ⅲとレンズ4本を持って行った。はっきり言ってしんどい。他の装備や荷物を持たなければ苦になるほどの重さではないが(ボディとレンズ4本で3kg程度か?)、もっと身軽な方が良い写真を撮ることが出来るだろうと思った。まあ、撮り始めたら最大限レンズは3本しか持ち歩かないとは思うが、X-T20 + XF35mm F1.4 Rに慣れている私にはPlanar 50mm F1.4ZAやFE85mm F1.4 GMを装着したα7Ⅲはあまりにも重い。もちろん、その「対価」は間違い無くあるだろうと思う。本気で写真を撮る以上、僅かな違いに拘るのは当然のことだ。だから、高くても重くてもカメラとレンズを変えたのである。

しかし、楽しみで写真を撮るアマチュアにここまでのカメラやレンズが必要だとは思えない。仮にα7Ⅲを買ったとして、「チープ」なレンズを使った場合、α7Ⅲを買った意味がどれほどあるのか私には疑問である。もちろん、そこそこのレンズでも素晴らしい写真が撮れるとは思う。しかし、近頃のデジタルカメラはミドルクラスのカメラの画質が非常に優れているので、良い条件で撮った場合、ハイエンドクラスのカメラの画質との違いはほとんど無いと言っても過言では無いと思う。結局の所、α7Ⅲクラスのカメラの性能を活かすのは「それなり」のレンズを使ってこそなのだと思う。そして、そのような機材が必要なのは「ギリギリ」のレベルの写真を撮ろうと思う者だけだと思う。

追記。Eマウントの「チープ」なレンズを使った経験がないので想像でしか語れないが、α7ⅢにFE50mm F1.4やFE85mm F1.8を付けて撮った写真より、X-T3にXF56mm F1.2 RやXF90mmF2 R LM WRを付けて撮った写真の方が「上」なのではないかという気がする。あくまで想像の話であるが、少なくとも、そういう気がするほどにXF56mm F1.2 RやXF90mm F2 R LM WRは優秀なレンズである。

プロはそのあたり割り切って考える。「費用対効果」抜きに機材選びをすることはない。必要以上の性能のカメラやレンズを買うプロは少ない。価格に見合っただけの効果があるかどうかを良く考えてカメラやレンズを選ぶ。プロは自分が撮影する写真を撮るのに必要な範囲のカメラやレンズを購入する。しかし、アマチュアには「費用対効果」などという概念はない。カメラでお金を稼ぐわけではないのだから当然のことだ。だから、アマチュア写真愛好家はあこがれだけでカメラやレンズを買う。私はプロではないが、あこがれでカメラやレンズを買ったりはしない。だから、特段高額なカメラやレンズは所有していない。特にレンズは高額なものをほとんど持っていない。実用上、キヤノンのLレンズクラスで十分だと思っている。私はトッププロレベルの写真を撮りたいわけでは無かったから。しかし、今回はトッププロを超えるレベルのポートレートを撮ろうと思っている。だから大きくて重くて高いレンズの購入に踏み切ったのである。

私は頂いたコメントへの返信の中に「このエントリーに掲載した程度の花の写真を撮るのであればX-T2 + XF56mm F1.2 Rとさほど違うというわけではありません」と書いた。カメラにとって厳しい光で無ければ、X-T2で十分奇麗な写真を撮ることが出来る。「肌色」に関してはSONYの発色よりFUJIFILMのカメラの発色の方が奇麗だとさえ思う。確かにボケの大きさは違うが、XF56mm F1.2 Rは十分に素晴らしい描写力を持ったレンズだと思う。しかも小さくて軽い! 画質の僅かな差は、取り回しの良さでおつりが来るかもしれない!

プライベートで持ち歩くなら、いや、ある程度真剣にポートレートを撮るというレベルのことであれば、X-T3(2じゃなく3!)とXF56mm F1.2 Rで十分である。その方が取り回しが良くて良い写真が撮れるのではないかとまで思う。いまのAPS-Cセンサーはかなり優秀だ。フルサイズセンサーの実力が必要となるケースは煎じ詰めた場合だけと言っても良いと思う。私が今回フルサイズセンサーのカメラに戻る最大の理由は、少ない光で撮る時のノイズの問題からである。例えば、夕暮れの淡い光を使ってISO1600で撮った場合、APS-Cセンサーとフルサイズセンサーの差は間違い無く出るだろう。シャドーに出るノイズが違うはずだ。そういう話である。こういう"ギリギリ”を考えての選択だと言うことである。

もう、フルサイズセンサーに憧れを抱くような時代じゃ無いと思う。マイクロフォーサーズセンサーのカメラで仕事をしたり作品撮影を行っているプロカメラマンが沢山いる時代なのだ。「大きなボケ」に憧れて写真を撮るより、もっと根本的にレベルの高い写真を目指した方がいいだろう。「ボケ馬鹿」でいる内はたいした写真など撮れないと知るべきである。

実は、ひとつ前のエントリー「庭の薔薇 簡単なテスト撮影」を書いた本当の理由は、α7Ⅲに大きくて重たくて高い「超弩級」の高性能レンズを付けて写真を撮ったからと言って必ず驚くような写真が簡単に撮れるわけでは無いと言うことの「見本」を見せたかったのである。SONYやZEISSには誠に失礼な話であるが、「普通に」に撮ったのでは驚くほどの写真な訳では無いのである。FUJIFILM X-T20レベルのカメラで十分素晴らしい写真が撮れるのである。それとの「差」はいつでも必ず出るというものでは無いのである。もちろん違いはある。見る人間がよく見れば違いはある。しかし、仕事で写真を撮るわけでは無いとしたらそのような「僅かな違い」が必要だろうか? 私自身は全く不要だ。X-T20にXF56mm F1.2 Rでかなり満足できるポートレートが撮れると思う。

当面X-T2とX-T20、それにFUJINON FXレンズは手元に残すことにした。X-T2とXF56mm F1.2 Rに関してはα7Ⅲと併用してポートレート撮影に使ってみようと考えている。シチュエーション次第ではX-T2+XF56mm F1.2 Rの方が良い写真が撮れるかもしれないと思っているのだ(ボディはX-T3がベストだが)。

まだ一度も「本気」で写真を撮ったことが無い。物事に丁寧に取り組むことが苦手なので、どれだけ撮れるか自分でもわからない。ただ、習熟すれば良いことの範囲ははっきりとわかっているから技術的な不安は小さい。そして、なによりも素晴らしいモデルを撮るというアドバンテージがある。更に、いままでほとんど試みられていない「コンセプト」で撮るつもりなので新鮮なポートレートを撮れると思っている。しかし、やってみなければ分からないコトが沢山ある。自分の思惑が崩れるような事情が出てくるかもしれない。やってみないと分からないコトだらけだ。

そして、「なんのためにそこまでして写真を撮るのか?」という疑問も拭えていない。

まあ、取りあえず自分を追い込むためにα7Ⅲとレンズを買ったと言うことである。早まったような気がしないでもない(笑)。しかし、早まっておかなければ前に進めなかったような気がしたのだ。もしかしたら、半年後に処分するのはSONYのカメラとレンズで、手元に残すのはFUJIFILMのカメラとレンズだということがあるかもしれない。年を取って体力が落ちた私にとって「重い」というのは考えている以上のデメリットであるかもしれない。私は男性にしてはかなり華奢な手をしているので、X-T3+XF56mm F1.2 R + 縦位置バッテリーグリップ程度のサイズの方が扱いやすい。Planar1,4/50やFE85mm F1.4をもてあますかもしれない。

あれこれ書いたが楽しみではある。Planar1,4/50とDistagon1,4/35はもっとも好きなレンズなのだから。この2本を使うチャンスを得たと言うことは幸せなことである。「この写真を見て、このレンズが素晴らしいことが理解出来ました」と言ってもらえるような写真を撮ってみたいと思う。いや、間違い無く撮れるだろう。そういう確信がなければ購入しなかっただろう。私はカメラやレンズに「憧れ」を抱くような「低俗」な男ではないから。私はもうそういう愚かさを通り越した年齢なのだ。「亀の甲より年の功」ということである。そいうい「達観」がなければ、年寄りなんてみすぼらしいだけだ。いい年をしてカメラやレンズにとらわれているようじゃたいした写真は撮れないだろう。

余談ながら、田中長徳さんは半世紀以上前の古い「暗箱」にソ連製の安物レンズで素晴らしい作品を撮っている。あれは、LEICA M MONOCHROMに「あほ頭ミクロン」やズミルックスを使ってしょぼい写真を撮っているアマチュアに対する「当て付け」でもあるのだ。40過ぎたら大人になろうよ。きっと陰で笑われているよ。


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by dialogue2017 | 2018-12-13 01:30 | カメラ | Comments(1)

※このエントリーは11月21日の夜書いたものである。このエントリーを書いたときには、このエントリーを22日15時に予約更新してそれをもって当面このブログの更新を停止するつもりであった。その後、0123okkunさんなどから情熱あるコメントをいただき方針転換した。しかし、このエントリーを斜め読みしてみたら、これをアップしたらこのブログを終わりにしたい気分になってきた。私にはこんな素敵な生徒がいるのに何が哀しくて「柔な男」たちと付き合わなくてはならないのだ。しかし、もう「宣言」してしまったのだから致し方ない。因果な性分である。【11月22日記】


私はこの写真が気に入っている。技術的に評価をしたら完全な失敗作だ。X-T2の「瞳認識AF」の性能が低く、手前の目に合わせたはずのピントが奥の目に行ってしまった。その一事で完全な没カットである。人前に出せるような写真では無い。絞って撮らない私も悪いのだが、私は開放の「甘さ」が好きなのだ。手前の瞳で合焦してさえいればF1.2で撮ったことに問題はないのだ。構わない。二度と同じ"ヘマ”はしないから。

しかし、私はこの写真が気に入っている。彼女の顔立ちが好きだと言うことも大きいが、この「淡い西日」の雰囲気が好きなのである。彼女の首筋を照らしている柔らかい光をとても美しいと思う。ストロボもレフも使っていないが、顔の角度が最高の向きであったため、首に当たった光が顔一面に回っている。直射光が当たっているのは左の頬骨までであるが、そこから「回折」した光が頬に回っている。

凜々しい表情を淡い光が包み込んでいる。すっきりした美しい首筋を柔らかい光が照らしている。白いTシャツに入ったハイライトが美しい。背景の海の淡い青色も素敵だ。そして、私は女性の顔に直射光を当てず「シャドー」に落として撮ることが好きなのだ。もちろん、そこには光が回っていなければダメだ。この写真は「まぐれ当たり」である(そう簡単にはまぐれ当たりは出ない)。私が狙って撮ったのでは無く、偶然彼女が最高の角度を向いてくれたのだ。この目線は私が声を掛けた。「遠くを見つめて!」と。手前の瞳にピントが合ってさえいれば、とても素敵な写真になっていた。いや、私はピントが外れていてもこの写真を素敵だと思う。表情も素敵だし、光が美しい!

撮影が終わった後、彼女から「写真を教えて下さい」と頼まれた。願ったり叶ったりである。私の初めての生徒さんだ(笑)。私は彼女に写真を教えることにした。スタートからしばらくは「理論」や「知識」については何も教えない。ただ彼女に写真を撮らせ、私はiPad mini4に飛ばした画像を見ながら一緒に歩く。そして、撮影が終わった後に、二人でお酒を飲みながら、この写真がこんな風に写ったのはこういう理由だとか、この写真はもう少しこんな風にして撮ったらこう言う雰囲気になったとか言うことを説明する。そのための「理屈」は可能な限り最小限にとどめるつもりだ。とにかく「理屈」抜きに写真を教えるつもりだ。「理屈」なんてつまらないじゃないか(笑)。

明日以後、私は彼女一人に写真を教えるつもりだ。

彼女がどこまでやるかわからない。「遊び」で終わっても構わない。彼女が楽しいと思ってくれたらそれで十分だ。

写真なんて楽しければそれでいい。そんなに上手くならなくても良いじゃないか。

しかし、もし彼女が「本気」なったら、私は1年で彼女をプロレベルにまで育てるだろう

良い写真を撮るためには「知識」や「理論」が必要だ。しかし、それがないと絶対に良い写真が撮れないと言うことではない。小さな子どもに撮らせた写真にはとても素晴らしい写真があったりする。「感性」がくすんでいない人間が思うがママに撮った写真の中には素敵な写真が少なくない。彼女に、そういう写真を沢山撮らせれば良いだけのことだ。本当は少なくない人々の中に"豊かな感性"があったはずだ。しかし、社会に「媚びて」生きることによってその「感性」を汚してしまうのだ。仕方ない。生活の糧を得て生きていくために多くの人々はそうするしか無いのだから。気の毒である。彼女は間違い無く"ピュア”な心の持ち主だ。彼女なら”瑞々しい”写真が撮れると思う。

私は彼女に写真を教える代わりに、彼女に私のモデルになって貰うことになった。しかし、当分は構えて撮ることはしないつもりだ。彼女が楽しそうに写真を撮っている姿をちょっと離れた所からズームレンズで撮ってみようと思う。光も構図もどうでも良い。「楽しそうな表情」だけを撮ってみようと思う。私には女性ポートレートを撮った経験が無い。多分、私はまだ上手じゃないだろう。だから、しばらくは"彼女を捉える感覚"だけを身につけようと思う。何度かそういう形で撮らせて貰えば、彼女も私からレンズを向けられることになれるだろう。それがスタートラインだ。急ぐ必要は無い。急いては事をし損じる。すべてを彼女のペースに合わせようと思う。主役は彼女なのだから。

間違い無く良い写真が撮れるだろう。「理論」も「知識」も「技術」も持っている。渡部さとる譲りの「哲学」だって持っている(笑)。しかし、私はもっと大事なものを持っている。私には「大きな情熱」がある。だから、必ず撮ることが出来る。いつだって自信があるんだ(笑)。


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by dialogue2017 | 2018-12-01 06:00 | 写真とカメラの話し | Comments(1)

この写真は撮影した翌日にカラー写真で掲載している。"これ”である。モノクロにした方が「光」の当たり方がハッキリと読み取れるので、今回はモノクロにして見せることにした。実は、この写真も"この写真”"この写真”と同じ「理屈」(条件)に従って撮影している。要するに女性ポートレートを撮影する際の「お決まりのパターン」のひとつなのである。この写真を撮ったときの光はサイド光であり、トップライトでは無い。しかし、ひとつ前のエントリーや二つ前のエントリーに掲載した七五三の写真と全く同じ「理屈」(条件)を使って撮影している。もう、ここまで書いて写真を何枚も見せれば、光に対する意識が希薄な人でも、「そういうことだったのか」と合点がいったのでは無いだろうか?

本人に胸の前で水平にレフ板を持たせて撮っているのでいくらか「お化けライティング」(アッパーライティング)気味になってはいるのが、まずまず綺麗に撮れている写真と言って良いだろう。アシスタントもなしに、出会ってその場で"やっつけ”で撮った写真には見えないだろう。場当たり的でもその時の「光」が良ければこの程度の写真は簡単に撮ることが出来る。綺麗に撮れた訳は、この写真を撮ったときがまだ15時前で、十分な明るさの「光」だったからである。何度も何度も書いてきたように、写真というものは「光」で撮るものである。だから、「綺麗な光」を正しく使って撮れば、このレベルの写真は誰にでも簡単に撮ることが出来るのである。必要なことは「光を見極める」ことだけで、特段のテクニックは全く必要ない。由比ヶ浜海岸に行って「実習」をやってみますか? 。私が「新2B」でも始めようかな〜(爆)。フィルムでもいいよ(笑)。


追記。このエントリーは昨晩に書いて予約投稿していたのだが、朝起きて、ちょっと「意地悪」してみよと思ったので書き足すことにする。件の「問題」に対しては思った以上に回答が寄せられた。寄せられた回答の中に記されていた「キーワード」のみ書きだしてみる。「日陰」「トップライトがスポットライト」「足元の玉砂利からの照り返し」「白いレジ袋から反射」「女性の服が白っぽい」「背景が日陰」「スポットライト」「コンクリートがレフ板効果」「太陽が雲で柔らかい」「背景が影で顔と輝度差が無い」などである。

実際の「写真」を見て、現実にそこに写っている「事情」を取り上げているのであるから、これらの推測は概ね「事実」ではある。ほぼ正解と言って良い回答もあるにはあるが、シンプルにズバリ正解を書いている方はいない。上にあげたキーワードの中でひとつだけ完全に間違っているものがある。それはどれでしょう? これが今回の「問い1」(笑)。これは完全に事実に反しているのでどのキーワードのことか是非とも全員正解して欲しい。逆に言うと、そのキーワード以外はすべて事実に即していると言うことである。

追記。どのキーワードが間違っているのかを探すために、あの写真を改めて見ながら考えるようでは正解したとしても「失格」である。すでに皆さんはあの写真を穴が空くまで見ているはずだから(笑)。私なら、撮影したときにあの光景を見たと言うだけで、その後一度も写真を見なくてもあの光景の光がどうであったかは頭にある。なぜなら、写真を撮る際にはいつでも「光の状態」を見て撮っているからである。写真を見ないで「即答」出来る人が一人はいて欲しいものである。だって、全く事実と違うのだからあの写真を見た人なら直ぐにわかることなのだ。「ええ、ちがうよ、そうじゃなかったよ」という話し。「雨が降っていた」「降ってなかったよ」ぐらい(笑)。

さて、意地悪をしよう(笑)。この写真は、ひとつ前のエントリー、二つ前のエントリーに掲載した「七五三」の写真と同じ「条件」で撮影している。まったく同じ「条件」である。しかし、この写真は晴れた日の波打ち際で撮影しているので「日陰」ではない。波打ち際なのだから日陰は出来ない。顔が明るいのはレフ板を使っているからで砂浜から照り返しは無関係である。波打ち際なので「スポットライト」でもない。背景と顔の輝度差は大きいと言わないまでもそれなりにある。もちろん「背景が日陰」でもない。服の色も無関係。コンビニ袋は持っていない(笑)。

つまり、この写真はあの浅草寺の境内で撮った子どもの写真とは撮影現場の事情が全く異なっている。あちらの写真は見ての通り確かに「日陰」で撮影しているが、この写真は午後3時前とは言え好天気の日に、太陽を遮る物体が何一つ無い波打ち際で撮影しているのである。午後3時前の光を「ピーカン」と呼ぶことは適切では無いかもしれないが、浜辺の太陽は強いので実感としてはかなり「ピーカン」に近い陽射しであった。そのことは、この女の子の髪の毛の輝きにハッキリと現れている。斜光ではあるがけっこう強い光であった。

こうやってこの写真を撮ったときの「情況」を書き上げると、浅草寺の境内で撮った写真とは全く違うシチュエーションで撮った写真であることがわかる。しかし、それにもかかわらず「撮り手」(私)の意識としては、いつも使う「同じ手口」で撮影しているのである。光を扱う扱い方、その「理屈(条件)」が同じなのである。さて、その「条件(理屈)」とは何であろう? これが今日の「問い2」(笑)。

 浅草寺の境内で撮った写真もその「理屈」を使って撮っている。しかし、あの問題への解答はその「理屈」ではなく、あの写真がああいう風に写った「事情」の方を答えて貰いたいので、この「理屈」と全く同じ答えでは無い。答えはシンプルに出すべきである。「○○が△▽だから」。その上で推測の説明をするのが良い。あの「問題」の正解は17文字でシンプルに出すことが出来る。17文字に拘る必要は無いが。

直ぐに解答が出てくるより、自分であれこれ考えた方が楽しいでしょうから、今日一日また考えてみて欲しい。

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by dialogue2017 | 2018-11-20 10:15 | 写真とカメラの話し | Comments(3)

下の写真は"ひとつ前のエントリーに掲載した写真”より7分ほど前に撮ったカットである。モデルの位置もカメラマンの位置も同じ。しかし、モデルの顔の向きが変わっているため、顔に「光」が十分回っていない。そのため「瞳認識AF」がキッチリ「右目」をとらえている。また、レンズに強い光が入ってこないアングルで撮影しているため、フレアーも出ずキッチリ写っている。「真面目」に撮ったつまらないタイプの写真である(笑)。

もし、「依頼撮影」でこのお嬢様(爆)を撮るのであれば、これに「天井バウンス」をぶつける(あるいはレフ板を2枚使う)。そうすれば髪の毛に「トップライト」が入り、天井から真下に跳ね返ってきた光がテーブルの上の白い紙から再度跳ね返りお嬢様の顔を照らすから。さらにお嬢様の正面の白い壁からも光がバウンスしてくる。天井バウンスをすることによってシャドーになっているモデルの前側に綺麗に光が回るのである。その上で、後の自然光も生かせる。結局、"それなり”のレベルの写真を撮るためには最低限のセッティングが必要になると言うことである。もちろん、シチュエーション次第ではなにもせずに撮ることも可能だが、そういうシチュエーションは多くはない。 ※写真下にも解説文あり。


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ほんのちょっと手を入れ髪の毛を明るくするとイメージが変わる。グラビアフォトは徹底的に手を入れているケースも少なくない。魚住誠一さんがあれこれと正直にレタッチの手口を語っている(アマチュア写真愛好家のために包み隠さず「トッププロのテクニック」を曝け出すところが彼の素晴らしいところだ)。「撮影5割事後処理5割」がデジタルフォトなのである。私はそんな面倒なことはやらないし、やる必要性もないが。これはPhoshopでシャドーを少し起こしてコントラストを落としただけなので、あまりきれいではないが、実際に天井バウンスを使ったらもっと綺麗な写真になる。光があまり当たっていないシャドー部をレタッチで起こした写真と、実際に光をぶつけて撮った写真の美しさは別物だから。レフ板であれ、ストロボであれ「光を当ててあげる」と言うことの目的は「綺麗な描写」を実現するためなのである。レタッチで「暗部ノイズ」を隠すのはよほどのレタッチテクニックがないと難しいが、そこに「光」をぶつけてやればノイズの発生自体を抑えられる。


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by dialogue2017 | 2018-11-18 18:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

※このエントリーはひとつ前のエントリーの続きである。実際は一気に書き終えた文章を分割して掲載している。しかし、後半部分には別のタイトルと付けて掲載した。内容がSunsetLineさんとMon's Cafeさんへの「手紙」になってしまっているので(笑)。

酷い写真だね〜(笑)。まあ、フレアー掛かった絵になるのは承知の上で撮っているのだけれど「前ピン」じゃね〜(ピントは鼻の頭)。「瞳認識AF」を使って右目にピント合焦マーク点灯でレリースしているんだけれど、これだけ「逆光」になるとピントが外れる。X-T3になってこの点は大幅に改善されたらしい。X-T2に比べて合焦割合が倍になったらしい。全く同じ場所でも、娘の顔の向きが変わり、顔に光が回っていないと「瞳認識AF」できっちりピントが合う。「逆光」だと使えないと言うことである。ちなみに、SONY α7Ⅲはある程度逆光でも問題なく瞳にピントが合うそうだ。その1点だけでもα7Ⅲが欲しいと思う。ポートレートを撮る際には"ピント”はカメラ任せにしたいから。

家族写真ならX-T2で良い。こういうカットでもF2.8まで絞っておけばなんとかなるんで。むしろ適度に絞った方が綺麗な写真になる。これは「テスト撮影」なのである。ちなみに、フォークを持つ娘の右手をきっちり入れて撮影しているが、後に「窓枠」が写っていて五月蠅いので切った。本気で撮る時にはアングルを変えてその点を撮影時に調整する。「背景の処理」は撮影時の重要事項である。

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 R ND4 ISO400 F2.0 1/80 AWB ASTIA 2018/11/4 原村カフェにて ※写真下に本文あり。

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とにかく沢山写真を撮った方がいい。「膨大」に撮らなければダメだ。

撮った数の分だけ上達すると言えるほど単純な話ではないが、撮らないと上達しないことだけは間違い無い。たぶん、5万枚10万枚ぐらい撮る必要があるのでは無いかと思う。それくらい撮ると「習い性」として身につく。考えないでもさっと判断出来ることが増えると言うことである。

子どもをフィルムでばかり撮っているお父さんがいるが、それではなかなか良い写真が撮れるようにはならないと思う。子どもは動き回るし、小さいうちは親の言うとおりにはしてくれない。最高のシチュエーションで撮れることは意外と少ない。それなのに、左右逆像のマニュアルフォーカスのカメラ(ハッセルやローライなどのこと)でピント合わせをしながら、ポツリポツリと撮っていたのでは写真を撮る腕は磨かれないだろう。

プロの真似をしても意味が無い。かつてプロカメラマンの誰もがハッセルでコマーシャルフォトを撮っていた時代は、いまのアマチュアが遊びで撮っているのとは違って大量にシャッターを切っていたのだ。当時は、「ギャラ(撮影料)」とは別途、「資材代」として使ったフィルムの料金を請求することが出来たので経費を気にせずガンガン撮れたのである。もうひとつ理由がある。ハッセルで女性ポートレートを撮っていたようなプロカメラマンの多くが「EL」を使っていたのだ。モータードライブの着いたハッセルである。それでガシャガシャとハイテンポで沢山撮っていたのである。ようするに、彼らはハッセルであれローライであれマミヤRBであれ、バシャバシャと「湯水」のようにフィルムを消費していたのである。

それにである。そういう撮影の大半は、スタジオでの撮影である。プロのモデルが「定位置」に立ち、キッチリとピントと露出を合わせた上で、ポージングを変えながらガシャガシャ撮っていたわけである。勝手に動き回る子どもをハッセルで撮らせたら、プロだって結構難儀するもんなんでだよ(笑)。いや、これは本当の話。

私は、『Mon's Cafe』さんや『SunseLine』さんは、半年ぐらいフィルムカメラを封印した方がいいと思う。せめて「今年度いっぱい」フィルムカメラを封印し、12〜3月末までの4ヶ月間、デジタルカメラで子どもや家族、そしてスナップを大量に撮り重ねると言うことにチャレンジしてみるべきだ。月に3,000〜5,000枚は撮った方がいい。もちろん、ただ沢山撮っただけでは意味が無い。どういう「光」で撮ったら綺麗な写真が撮れるのかと言うことを常に頭に置いて撮らなければ意味が無い。ただ、条件を選ばず大量に撮った方がいいそれをやれば「ああ、この光の捉え方じゃ綺麗に写らないんだ」ということをまず知ることが出来るから。

沢山撮る上で「遊び心」は大事である。「キッチリした綺麗な写真」を撮ろうとしない方がいい。とにかく、子どもを撮るのであれば、目の前の子どもをガンガン沢山撮った方がよい。子どもを動かさず、自分が動くのだ。あっちからもこっちからも、俯瞰でも仰瞰でも撮るのだ。私の記憶に残って無いだけかもしれないけれど、『SunseLine』の撮る娘さんの写真は「レベル」で撮っているモノばかりのような印象である。品良く撮った写真ばかりなのである。彼の写真に一番掛けているのは「ダイナミックさ」である。写真に「動き」がない。たしかに、下のお子さんはまだ小さいし、長女は品の良いお子さんなのだろう(笑)。

しかし、子どもというのは動き回るし、表情がころころ変わるものである。彼の写真は「記念写真」の延長線上のような「きちんと」撮った写真が多い。そうなる理由は彼の人柄が真面目だからなのだろうと思うが、ハッセルで撮ってると言うことが「致命的」に影響していると思う。なぜなら、ハッセルじゃ「動きのある」写真を撮ることは難しいから。だから、どうしても「静的」な写真を撮ってしまうと言うことである。子どもの写真はダイナミックな写真が素晴らしい。それはそうだ。子どもというのはもの凄く「活き活きとした」存在なのだから。

実際に子どもが「動いて」いる時に撮るかどうかという問題ではない。例えば、お砂場遊びをしている時に、ふと顔を上げて父親の方を見た、その瞬間に撮るという話である。そこには「動き」がある。「ほら、パパ、こんなに上手にお山を作ったよ」と得意満面の表情をしているそれを撮るんだ! 人間は身体を動かしたときに良い表情が出るのだ。

私が、娘が2〜5歳頃に撮った写真にはそういう写真が沢山ある。写真が活き活きとしている。そういう写真をフィルムで撮るのはかなり難しい。いや、AFレンズなら問題ない。マニュアルフォーカスじゃダメだ。「ピント合わせ」という手間の掛かる作業をしないことが決定的に重要なのである。ピント合わせなんかしていたら「名人」だって"最高の瞬間"を撮り逃す。「表情」を撮ることに専念するためには「ピント」はカメラ任せにするべきなのである。

そうやって、「膨大」に撮ることによって「技術」が「身につく」。頭の中に技術が収まるというより、それは「身につく」のである。人間というのは、かなりの程度「身体的」存在である。「頭」でやっていたのでは追いつかない領域がある。「身体」で反応して初めて最高の答えが出せる領域は沢山ある(代表的にはスポーツだ)。だから、「理論」や「知識」を学ぶことも重要であるが、「膨大に撮る」と言うことが何よりも肝心なのである。朝食の時も、夕食の時も、お風呂に入るときにも撮るんだ(笑)。お休みの日には、朝から晩までずっと撮りっぱなしで撮る(爆)。一時、そういう時期がないと「技術」は身につかない。「技術」というものは「身体」で覚えるものなのである。

『Mon's Cafe』さんや『SunseLine』さんには、もっと「遊び心」を持って沢山写真を撮って欲しいと思う。二人の写真を見ていると、彼らが真剣になってファインダーを覗いて姿が目に浮かぶ。それはそれで大切なことだが、もっと大切なことは「乱暴」に撮りまくることなのである。そうすれば、まぐれで良い写真が出てくる(笑)。その「まぐれ当たり」を積み重ねていくと、それを「意図的」に撮れるようになっていくのである。

ハッキリ言おう。「まぐれ当たり」ではなく、狙って最高の写真を撮れるような才能のある人間はプロにだってそんなにはいないんだよ。君たちが「最高の写真」を狙って撮ろうと思ったって、そうそう撮れるわけがない。まずその自覚を持たなければ始まらない。撮って、撮って、撮りまくって「ああ、撮れちゃった」という「まぐれ当たり」を積み重ねることこそが大事なんだ。続けていれば「まぐれ当たり」の数が少しずつ増えていく。その先に初めて「狙って撮れる」世界が待っているのだよ。

私なんかいまだに「まぐれ当たり」期待で撮っている(爆)。でも、君たちとの違いは何枚かに1枚必ず「まぐれ当たり」が出せると言うこと。もちろん、「狙って当てる」こともできるよ。ただ、本当に最高のカットというのはそうそう「狙って撮れる」ものじゃない。だから、20分撮って「3カット」の相当良い写真を出そうという撮り方の方が利口なんだよ。狙って撮った最高のカットは、まぐれで撮れた最高のカットにはまず勝てない。写真家の「代表作」は意外と「まぐれ当たり」だと思う(笑)。

さあ、ぶれても良いしピンぼけでもいい。露出が外れても気にするな。撮って撮って撮りまくれ! 丁寧に撮るな。良い写真を撮ろうなんて思うな。いまの君たちのレベルじゃたいした写真なんか撮れっこないからいい写真を撮ろうと思うな。何も考えずに撮れ。乱暴に撮れ。一月続けたら、必ず自慢したくなるカットが何枚か撮れているだろう。それが撮れたときにはじめて、君たちはスタートラインに立つのである。

ここまで教えてくれるブログはないぞ(爆)。こんな「徒労」やるのは日本中探しても私一人だ(笑)。


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by dialogue2017 | 2018-11-18 16:00 | 写真とカメラの話し | Comments(1)

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF56mm F1.2 R ND4 ISO200 F1.2 1/1700 +1.67EV AWB PROVA ※写真下に本文あり。

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【追記】上の写真を撮る際にレフ板は使用していない。テーブルに敷いてあった「白い紙」からのバウンス光がある程度回っている。+1.67EV補正でハイライトが完全に白飛びする露出で撮影している。飛んだハイライトはレタッチで「戻した」。

ひとつ前のエントリー「プロが嫌うトップライトで綺麗に撮る『ある条件』 それはなにか『回答』を寄せて下さい」にたいして現在のところ4名の方から回答を頂いている。ありがとうございました。あと一人二人から回答が寄せられるかもしれないので、「正解」の発表は明日とさせていただく。いや、熱心な読者である女性陣お二人からの回答が届いてからにしよう

この写真は「お遊び」である。撮影したのは今年の6月2日。撮影した場所は長野県原村にある『原村カフェ』。この店は妻と娘がとても気に入っていてちょくちょくランチを食べに行っている。今月初めにも行ったばかりである。天井が高く、「ガラス張り」と言って良い作りの店で、そのまま「ハウススタジオ」として使える採光の素晴らしいお店なので、私は毎回向かいの席に座っている娘の写真を撮っている。平素、娘は妻と並んで座るのだが、この店に来たときだけは、娘を「逆光」になる椅子に一人で座らせ私はテーブルを挟んだ向かいの席から娘の写真を撮る。この日は、店内では無く庭の"ガーデン席”でランチを食べた。

私はいわゆる「パステル調」の写真が好きでは無い。若い女性のブログなどでパステル調の写真ばかりが掲載されているのを目にすることがあるが、「馬鹿馬鹿しい」と思ってしまう。まあ、女性は「フワフワ」した感じのものが好きなのだから(その感覚は「赤ちゃん」という「フワフワ」したものを愛する「必要」から生まれたのだろう)、私が目くじらを立てる方が間違っているが、それでも馬鹿馬鹿しいと思ってしまう。

この写真は「パステル調」と言って良いが、レタッチでそういう調子にしたわけではない。ハイキーに撮ればそういう写真になるシチュエーションで撮ったのである(だから+1.67EVで撮っている)。勿論、「パステル調」の写真を撮ろうと意図して撮った。ようするに「お遊び」である。絞り開放で撮っているのも「お遊び」だからである。もう少し真面目に撮ったとしたら絞りはF2.0〜F2.5で撮っただろう。いたずらに絞りを開きすぎた写真は「間抜け」た写真になることが多い。

これは今年の6月2日に撮った写真である。私がXF56mm F1.2 Rというレンズを使い出した頃である。XF56mm F1.2 Rを買ったのは今年の3月末であったが使う機会が無かった。GWに妻と二人で松本市内を散策した際にちょこっと使ってみてスナップにも使えるとわかり、それからちょこちょこと使い出した。しかし、「ポートレート」的な写真をほとんど撮っていなかった。で、この時には目の前の娘を「モデル」にしてあれこれと遊んでみたというわけである。

3分ほどの間に目の前で食事をしている娘の写真を14枚撮った。全部絞り開放F1.2で撮った。私は新しく購入したレンズを使い始めると、絞り開放で沢山撮りまくる。私は大口径レンズの価値は「絞り開放」付近で撮ることにあると思っている。そのための「大口径」なのだと言うことである。しかし、実際には開放で撮ることはほとんど無い。よく、「一絞り絞るとシャープになって画像が良くなる」と言う話を聞くが、私が開放を使わない理由はそういうコトでない。まず、今どきのレンズは絞り開放から十分シャープである。偶然、昨日田中長徳さんがそういうい話をしていた。「昔のレンズはダメだったがいまのレンズは開放から使える」と。その通りである。だから、開放の「甘さ」を避けると言う理由で絞ることはない。むしろ、「開放の甘さ」は好みでさえある(きちんと絵にするのに難しさはあるが)。

私が「開放」を使わないわけは、ピントが合っている位置がごく一部分だけ、例えば「睫(まつげ)」だけというような写真は「見苦しい」からである。ぱっと見どこにもピントが合っていない写真のように見えることもあるし、反対にピントが合った場所だけに目が行き「不自然さ」を感じることも多い。だから、「睫」だけにピントが合うような撮り方は基本的にNGだと思っている。私は、最低限「瞳」全体にきっちりピントが行く撮り方をしている。

しかし、新しい大口径レンズを使い始めたときには開放でばかり撮る。絞り開放」はそのレンズの特徴が一番顕著に出るのでそれを知る為に撮るのである(乱暴なことを言えばレンズなんて絞り込んだらみな「同じ」だ)。そして、どういう風に撮れば開放で撮ることが出来るかを知るという目的もある。せっかくのF1.2なのであるから、使えるシーンでは使ってみたい。使わなければ「宝の持ち腐れ」である。このカットはほぼ真正面から「睫」にピントを合わせて撮っている。それで、どこら辺までピントが合うのか知る為に撮っていると言うことである。結果として、鼻の頭までピントが来ている。ということは、APS-Cの「F1.2」は使い慣れたフルサイズセンサーの「F1.8」相当だとわかる。もちろんそんなことは確かめなくてもわかっている。しかし、「知識」として知っていることと「実感」を持っておくことは別のことである。

実際にそのレンズで撮って「こういう結果」になったと言うことを何度も体験しておかないと「知識」は「知識」に止まる。私の場合、未だにフルサイズセンサーを使っていた時の「F値」で撮ってしまうことが少なくない。まだ、APS-Cセンサーの「被写界深度」が私の「身」についていないのだ。いっそ、「焦点距離」のように「F値」も135判換算で表示して貰いたい(爆)。「習い性」というのは簡単には抜けないのである。

話を先に進めよう。開放で撮った一番の理由は「前ボケ」と「後ろボケ」がどういう感じで出るのかを知るためである。手前に薄いブルーのカップと、ピンク色の"とって"のピッチャー(だったと思う)を配して「前ボケ」の出方を見てみたわけである。1回「テスト」をしてみたからと言ってその印象が鮮明に頭に残るというわけではない。もしいま、FUJIFILM X-T2を使って仕事で子どもの写真を撮るとしたら、iPad mini4を使ってテザー撮影をするだろう。チェックをしながら撮影すると言うことである。

6年前に仕事で撮影をしていたときにはWi-Fiだけでテザー撮影が出来るようなシステムはまだなかった(私が知らないだけであったのかもしれないが多分無かった)。しかし、当時はその必要性を全く感じていなかった。EOS 5D MarkⅢ + SIGMA 85mm F1.4の組み合わせでどういう絵が出るかに関してはわかっていたからである。SIGMA 85mm F1.4は開放でも「芯がある」描写をするレンズである。とても柔らかい絵を出してくれるのだが、しっかり「芯」がある絵が出る。私はF2.0〜F2.5を使うことが多かった。バストアップ以上のカットの70%ぐらいはF2.2かF2.5で撮っていた。F2.8を使うくらいならEF24-70mm F2.8Lを使った方が便利だ。だから、私はF2.8以下の絞りで撮ることが多かった。それがF1.4のレンズを使う「意味」だと思っているからだ。

この2ヶ月ぐらい、一番よく使っているレンズはXF56mm F1.2 Rなのだが、実は、いまだにこのレンズの「絞り開放」のイメージが良く掴めていない。その理由は、まだ一度もきちんとポートレートを撮ったことが無いからである。それに、人物を撮る時には無意識のうちにF2.0に設定して撮っている(笑)。意識してそうしない限り「開放」では撮らない。それが「習い性」になってしまっているのである。しかし、F1.2で人物をとったカットもあるはずなので、このエントリーをアップした後に最近撮った写真の中から探してみる。

※例によって「長文」のエントリーになったので、後半部は「分割」して掲載することにする。


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by dialogue2017 | 2018-11-18 14:00 | 写真とカメラの話し | Comments(1)

問題は、右を見ているか、左を見ているかではない。その時の彼女の「表情」がどうかなのだ。それが一番大事なのだけれど、その上で言うと、コメントを寄せてくれた59Kisaragiさんが指摘するように、彼女はこの写真とは反対側から撮ったときの方が「顔の表情が若々しく」見えるとは思う。つまり、こちら側の方が「隙のない」顔なのである。だから、この写真もそうだけれど、こちら側から撮る時には可愛らしい表情を撮るよりも、凜々しい表情を撮る方が向いているような気がする。ただ、彼女はとても素直に感情を表す女性なので、右側からでも左側からでも多彩な写真を撮ることが出来ると思う。私が彼女に強い魅力を覚えるのは、その表情の「多面性」にある。多分、人間性も多面的だろう。


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たしかに、59Kisaragiさんが指摘されたように、こちらの方が「若々しい」表情かもしれない。そして、整っているというのもその通りかもしれない。この写真は笑顔では無いが、こちら側からの方が子供っぽさが出ると思う。私が彼女を撮った時間は実質的には20分に満たない時間であった。出会ってなんのセッティングもせずに撮った。「波打ち際を自由に歩いて」「できれば視線をあちらこちらに向けてみて」「こっち見て」ぐらいのことしか指示しなかった。絞り開放で、ちょっと外したら即失敗という危ういセッティング。しかも、X-T2の「瞳認識AF」は夕暮れ時の逆光・反逆光では全く当てにできない。私は物事に丁寧に取り組めないろくでなし。そんな撮影だった。それでも、なかなか素敵な写真が何枚か撮れたのはすべて彼女のおかげ。ただ一番褒めるべきは私自身。私は彼女の人柄の良さと女性としてのかわいらしさを"明け透け"にさせたのだ。


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さて、最後に「具体的」な事情を少しだけ書いておこう。私は真剣に写真を撮らない。「撮らない」ではなく「撮ることが出来ない」のだ。なぜなら、私はほとんどすべてのことに対して真剣にならないから。何度も書いたが、私が今までの61年間の人生で「真剣」になったことは「恋と革命」だけだ。本当の話である。私は、命を掛けられること以外には真剣になれない。今この瞬間に命を投げ出しても悔いはないと思えるモノ以外には真剣になれないのだ。これはそういう「考え方」なのではない。そういう「性分」に生まれついたと言うだけの話である。

私は「ラフ」に撮った。「いい加減」に撮った。「適当」に撮った。いや、綺麗に撮ってあげたいと強く思いながら撮ったのだが、それを実現するために必要な「丁寧さ」が私には欠片も無い。骨の髄までいい加減なのだ。だから、テクニカルな面で抑えておくべきコトは完全にお留守になっている。本気で綺麗に撮ろうと思えば、F2.8で撮っただろうし、「瞳認識AF」はOFFにして「1点AF」でピントを合わせて撮影しただろう(いままで1点AFしか使ってこなかった)。率直に言って、私はほとんど何も考えずに彼女にレンズを向けてシャッターボタンを押しただけだ。ピントのこととか、被写界深度のこととか何も考えていなかった(それでも光の来る方向だけは常に意識していた)。ただ、夢中になって撮っていたと思う。いつでもそうやって写真を撮る。あとは、相手が「良く写ってくれる」かどうかだ。虫のいい話である。結果は、ピントが甘かったり反対側の瞳に行ってしまったりとさんざんではあったが、彼女の素敵な表情は少なからず撮れた。

私が撮ったのでは無い。彼女が私に撮らせてくれたのだ。しかし、それは私が彼女をそうし向けたからなのだ。間違い無い。誰が撮ってもこういう素敵な表情を見せてくれたわけではないだろう。ひとは、出会って直ぐに、見知らぬ人間に明け透けな表情なんて出来ないものだ。しかし、彼女は私の前で飾らない素敵な表情を見せてくれた。それは彼女の凄さであり、私の凄さでもある。我々は"シンクロ”していたんだ。

右側を向いているカットが多い理由は、私がそちら側が「お気に入り」だからではない。太陽の光がそちらから来ているという単純な理由だ。写真は光がないと撮る撮ることが出来ない。この時は日没直前で光量が少ない。太陽の側に背中を向けてしまえば顔は完全にシャドーになる。そうすれば「三人娘」でやった失敗をまたやることになる。つまり、眼の周りや鼻の横に汚らしい「暗部ノイズ」が出た写真になると言うことである。私はそれだけはできるかぎり避けたいと思った。で、基本的には太陽の光がある側に顔を向けた写真を撮ったと言うことである。

下の写真は太陽に背中を向けているにもかかわらず、顔がシャドーに落ちずに綺麗に出ている。光が回るギリギリの角度で撮っているからである(このカットは逆光ではなく"サイド光”に近い)。実は、私はどちらかというとこちら側の顔の方が好きなのである。その理由は、59Kisaragiさんが指摘されようにこちら側の顔の方が「顔の表情が若々しく整っている」からでもあるのだが、そこは微妙なところで、表情次第では反対側の方が整って見えることもある。結局、表情次第なのである。右からでも左からでも、良い表情さえ引き出せれば可愛らしくもなるし、凜々しくもなる。それが「モデル」としての彼女の魅力だ。でも、あえてどちらかに軍配を上げろと言われたら、59Kisaragiさんの指摘に同意したいと思う。

ただ、私に言わせれば「整っている」かどうかは重要では無いどちらの方が「心を奪われる」かなのだ(笑)。整っているかどうかより「可愛らしい」ことが一番なのだ。ここは、同性である女性とは「視点」が異なる。男は「可愛らしい」女性が好きなんですよ(爆)。

でもね、私が一番好きなのは真正面から見た時の顔なの。つまり、差し向かいでいるときの顔(爆)。しかも、ちょっとお酒が入ってほんのり赤くなった顔が最高(笑)。まあ、右だろうが左だろうが、どちらの方が美しく見えるかはどうでもいい。私はどちらも気に入っているから(笑)。でも、肝心なのは「人柄」。いくら美人でも本当に素敵な表情って、なかなか見られるモノじゃないから。彼女の表情の素晴らしさは、真っ直ぐな性格がそこにストレートに反映しているからなのだ。まれに見るほ魅力的な女性だ。

59Kisaragiさんありがとうございました。素晴らしいコメントを頂き本当に嬉しく思っています。このブログは「対話」をするためのブログですから。この間書いた話はすべて貴女のことを念頭に置いて書いています。是非、何度も読み直して下さい。僕の文章は、一二度しか読まなければ価値がありません。「スルメ」と一緒で読めば読むほど味が出てくる文章なんです(笑)。大切なことは「行間」に書き込んでいるから。

私が撮った写真について「対話」をしていただき、本当に感謝しています。彼女は私を「写真家」にしました。写真家は本気で写真を撮らなければなりません。だから、私は最近、毎日写真について勉強しています。本当に素敵な写真を撮りたいからです。技術で撮った写真では無く、「心で撮った」写真を撮って見せます。そこは得意なんですよ(爆)。61年間、ただ心だけで生きてきたのですから。

余談ですが、妻はこのブログに目を通しています(笑)。私は妻に隠し事はしないことにしていますのですべてを"明け透け”に書きます。まあ、彼女とは親子以上に年が離れているので妻も心配はしないでしょう。いや、年が近かったとしても心配なんかしないかな(笑)。私がろくでなしの美人好きであることは彼女(妻)が一番よく知っていることですから。そういう男を伴侶にしたのですからこれくらいのことはなんともないはずです。

ああ、このエントリーをもってこのブログは終わりにしてもいいな〜。もう、「写真論」みたいなものを書く気が薄れてきたのですよ。「対話」の出来ない連中に話しかけても面白くないですからね。とにかく、私は「本気」で写真を撮ることにしました。そのために毎日勉強しています。撮れることはわかっています。そんじょそこらのポートレートフォトグラファーなんかより断然素晴らしい写真を撮る自信は有り余るほどあります。だって、写真は「全人格」で撮るモノだから。

17歳の時から、いつでも命を掛けて生きてきたんですよ。僕は、命を掛けることによってしか"感得”できない"人間的凄み”というものを持っています。賢明な女性はそういう男の魅力を即座に見抜きます。そして、その魅力ある男に対して心を開きます。どんなに美人でも心を開いていない女性の表情は最高の美しさじゃない。だから、僕がその辺の連中に負けるなんてあり得ません(笑)。ハービー山口さんを軽く超えて見せます(爆)。

それにしても、「Mon's Cafe」さんや、「SunsetLine」さんがあまり「対話」をしてきてくれなかったのは寂しいことでした。彼ら二人のためにやっていたブログなのにね。ダメなんだよな〜、近頃の若い男は。そう思うでしょう?59Kisaragiさん。女性は、「賢くて」「優しくて」「強い」男が好きなんです。だから、私のような老人が若い女性に人気を博すんですよ(爆)。

みんな、頑張って写真撮ってね〜。

(おわり)


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by dialogue2017 | 2018-11-14 13:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)