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これは今年4月22日に撮った写真。撮影時刻は12:58。撮影地は長野県原村にある『原村カフェ』店内。このお店は妻と娘が気に入っているためときどきランチを食べに行く。テーブルのあるゾーンは南側と西側が一面高い掃き出し窓になっていて非常に採光が良い。娘の後ろの窓が西向きの窓。この時間帯は写真左側の南向きの窓から光が差し込んできている。娘の左手の"二の腕”を見ると光の方向性がよく分かる。

写真左側から光が入って来ているのに娘の顔の左半分がシャドーに落ちていない理由は壁からのバウンス光があるため。写真奥の窓から入ってくる光が娘の正面の白い壁にぶつかって跳ね返り娘の顔に当たっているのである。南側の窓から入った光も北側の白い壁にぶつかって娘の顔に跳ね返ってきている。娘の席には店内の全ての壁からのバウンス光が来ていてる。店内中に柔らかい光が回っているのである。

これは何もせずに撮っているが、ストロボを使ったとわからない程度の弱い発光量で天井バウンスを掛けて撮れば髪の毛のシャドーが少し明るくなるし、天井でバウンスした光がテーブルの上の白い紙で再度バウンスして娘の顔に当たる。さらに、テーブルの上の料理にも光が当たるためもう少し綺麗な写真が撮れる。いや、そんなことをやったことは一度も無いけれど(笑)。お店の中でストロボを使うなんて御法度だが、自宅のリビングで奥様やお子さんがランチを食べているときなどに試しに撮ってみると良い。もっとも、採光の良いリビングで無ければ成り立たない話ではあるが(クリップオンストロボを持っていないとできないことだけれど)。

柔らかく奇麗な光で人物を撮ることを経験した方が良い。自宅リビングの採光が今ひとつであれば、採光の良いお気に入りのお店を見つけて、休みの日にランチを食べに行って、子どもが食事に集中しているときに写真を撮ると良い。落ち着かない年齢の子どもを撮るのは難しいが、ちょっと工夫をすれば簡単に撮れるものである。X-T20 + XF35mm F1.4 Rはとても"小ぶり”なので飲食店などで写真を撮るときあまり目立たなくて良い。α7Ⅲ + Planar1,4/50だと周りから注目される(笑)。

若くてスリムでとびっきりチャーミング(で肌の奇麗な)な女性をこういうシチュエーションで撮ると素敵な写真になるよ(爆)。


窓越しの光で人物を撮ってみよう_e0367501_11210322.jpg

by dialogue2017 | 2018-12-10 13:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

白と黒のハーモニー

これも広告看板である。「みなとみらい駅」であったか、エスカレーターに乗っているときにスナップした。黒い部分は実際には紺色に近い青色である。-0.67EVの補正を掛けて撮影しているが、補正を掛けた記憶が無い。エレベータに乗っていてこの看板を見かけて「撮ろう」と思った直後に半ば無意識で補正を掛けたのだと思う。全体が濃い青色なので補正を掛けなければハイライトは白飛びする。ハイライトはかなり明るいので-0.67EVの補正が必要だと判断したのだろう。

昨年の3月にFUJIFILM X-T2を使い始める前は長い間EOS 5D MarkⅢを使っていた。5D3はミラーレスカメラではないので撮影前に「撮影結果画像」を確認することが出来ない。だから「勘」で露出補正を掛けるしかない。長年そうやって撮影してきたので、±0.67EVの補正に関しては外すことはまず無い。この写真はRawファイルを「ACROS」で現像し若干トリミングをしているが「レベル補正」は一切していないトリミング以外は「撮りっぱなし」のママである。しかし、ハイエストライトは見事に「254」に収まっている。-0.67EVという補正が見事に当たったと言うことである。それくらいのことが出来ないようではモノクロを撮る「光」を見ることは出来ない。この写真を見ると「モノクロの肝はシャドー」と言われることに納得する。そして、その美しいシャドーのおかげでハイライトも美しく見える。白と黒が仲良しにならないと良いモノクロにはならない。

白と黒のハーモニー_e0367501_00534106.jpg

by dialogue2017 | 2018-11-19 10:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

昨日『LUZ e SOMBRA』に掲載したカラー写真をモノクロにしてみた。綺麗にライティングされている写真は「複写」しても美しいトーンになる。モノクロ写真というのは「白」と「黒」だけしかない。だから、モノクロ写真のひとつの理想は白と黒が互いに引き立て合う関係となる事である。この写真のハイエストライトは「254」であるがとても明るく見える。「黒」が「白」を引き立てているからである。上品な写真である。

モノクロ写真における「白」と「黒」は相補的関係である_e0367501_00164185.jpg

by dialogue2017 | 2018-11-19 06:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

メインカメラをSONY α7Ⅲに換えようと思っているが、小型軽量で良く写る X-T20 + XF35mm F1.4 R の組み合わせだけは手放せない。XF56mm F1.2 Rも手放しがたいが、どちらか1本だけ残すとしたらやはりXF35mm F1.4 Rの方だ。だよね? 内田さん(爆)。

キツイ影の出る「ピーカンの太陽が真上にある」情況での撮影であるが「ある条件」の為こんなに綺麗に撮ることが出来た。その条件とはなにか?

プロが嫌うトップライトで綺麗に撮る「ある条件」 それは何か「回答」を寄せて下さい_e0367501_01240166.jpg

上の写真を撮った7秒後に撮ったカット。コンビニ袋に光が透過して綺麗なので撮り足した。上の写真はF3.2、下の写真はF2.8。

プロが嫌うトップライトで綺麗に撮る「ある条件」 それは何か「回答」を寄せて下さい_e0367501_01240196.jpg

15日に浅草寺の境内で撮った写真である。遠足に来ていた小学生だろうと思う。ご覧のように、トップライトが子どもたちを照らしている光景は美しかった。しかし、子どもたちに同行していた女性カメラマンはこの写真と180度反対側から「順光」でだけ写真を撮っていた。彼女は2台のEOS DIGITALを持っていたが、こちら側から撮ることなど露ほども考えないようであった。私に言わせれば、こちら側からの方が断然「美味しい」光であるにもかかわらず。もしかしたら、彼女の師匠は古い時代の写真屋さんで「逆光で撮ってはいけない」と彼女に教えたのかもしれない。

私は昨日"このエントリー”の中で「日中の『強い光』で『美しい写真』を撮ることは簡単では無い」と書いた。一般論として、太陽が真上にある正午前後はキツイ影が出るため撮影に不向きと考えられており、撮影を避けるプロも少なくない。

昨日(17日)、田中長徳さんの写真展を見に行った。クロージングであったためチョートクさんが在廊されていて、あれこれと楽しい話を伺うことが出来た。チョートクさんは話の途中で席を立ち、作品の前に足を運んで1点1点について「撮影秘話」を教えてくれた。それはとても面白い話であった。3点目の写真について説明されたとき「これはトップライトで撮った写真です。我々はあまりトップライトでは撮りません。なかなか綺麗に撮れないですからね」と口にされた。私は、その話を聞く前の日に「日中の『強い光』で『美しい写真』を撮るのは簡単では無い」と書いたばかりであったので、話のシンクロぶりにちょっと驚いた。

被写体の「真上」から落ちてくる光で写真を綺麗に撮ることは難しい。私は数日前、『ポートレート撮影テクニック100』という本を読んだ。写真家の魚住誠一さんが書いた本である。その本の中で魚住誠一さんもトップライトでの撮影は難しいという話を書いていた。魚住さんは「トップライトは、まぶしく、影も美しくありません」と書いている。

魚住さんの本を読んだ日、私は『自然光ポートレートの超絶レシピ』という本も読んだ。私は「超絶レシピ」などになんの関心も無い。そんなものが知りたいとは全く思っていない。ただ、プロカメラマンがどういう「技」を使って写真を撮っているのかについて、一通り知っておこうと思って目を通した。その本は10人の著名カメラマンが各自の「超絶レシピ」を披瀝しているのだが、編集サイドが10人のカメラマンに対していくつかの同じ質問をして回答を得ていた。その質問のひとつが「ピーカンの太陽が真上にあるときどのように撮影しますか?」というモノであった。

念のため確認しておくが、この本が扱っているのは「自然光ポートレート」である。つまり、ピーカンの太陽が真上にあるとき女性ポートレートをどのように撮るかという質問である。10人のカメラマンがそれぞれ返答しているのだが、「撮らないという選択肢もあります」と答えたカメラマンと「撮らないというのも手です」と答えたカメラマンがいた。ありとあらゆるテクニックを持っているプロカメラマンでも「真上に太陽がある」ときには「撮らない」という選択をする場合があると言うことである。

そもそも、編集サイドがこういう質問を出すわけは「ピーカンの太陽が真上にある」という条件が撮影者にとって「難題」だからなのである。だから、田中長徳さんも「我々はあまりトップライトでは撮りません。なかなか綺麗に撮れないですからね」と口にされたのだ。チョートクさんの場合スナップであるが、スナップでも事情は同じだと言うことである。

ここまで読んで、私が仕事で子どものポートレートを撮っていた際に、午前10時〜午後1時の間にしか撮影していなかったという話を思い出した読者は熱心な読者である。そうなのである。私は、プロカメラマンが「撮らない」と言い、田中長徳さんが「我々はトップライトでは余り撮りません」というその"トップライト”でばかり子どもの撮影をしていたのである。魚住誠一さんは、真上からの光は睫が瞳に影を落としレフ板でも起こしきれいなから難しいのだと書いていた。私は、ほぼすべてのプロカメラマンが「忌避」している"トップライト”で好んでポートレートを撮っていたのである。なぜそうしていたのかと言うことについては、近日中に別にエントリーを立てて説明することにする。

上の2枚の写真を撮った15日は「ピーカンの太陽」であった。撮影したのは14時を少し回った頃であったので太陽は「真上」よりは幾分西側にあったがまだトップライトにかなり近い高さであった。つまり強い影を作る光だったと言うことである。私はこの日の天気について昨日のエントリーの中に「くっきりと影を作る」天気だと書いた。魚住さんが指摘した「影も美しありません」という光だったと言うことである。

私は、上の2枚の写真に写っている小学生を見た瞬間「ああ、最高の光が当たっているな」と思った。で、子どもたちに近づいていったら、同行していた女性カメラマンが順光サイドから何枚も写真を撮っていた。私は、「こっち側からの方が断然綺麗な写真が撮れるのに勿体ない」と思ってそれを見ていた。そして、そのカメラマンが他の子どもたちの方へ移動した後、まず上に掲載した1枚目を撮った。もっと近づいて撮りたかったが相手は小学生である。嫌な思いをさせたりはしたくないので私は離れた場所から撮った。

私は何もせず、子どもたちにレンズを向けて即座にシャッターを切った。子どもというのは突然動き出したりすることを嫌と言うほど知っているので、撮ろうと思ったら直ぐに撮る習慣が出来ているのである。急いで撮ったのでなにもせず、ただ子どもたちにレンズを向けてシャッターボタンを押した。露出補正も掛けていない。唯一やったことと言えば、絞りをF3.2に設定したことだけである。

1枚目を撮った7秒後、私は下に掲載した2枚目の写真を撮った。撮った動機は「コンビニ袋」が光を透過して輝いているのが綺麗に見えたからである。2枚目は絞りをF2.8に変えて撮った。絞りを変えた理由は「前ボケ」がどの程度変わるものか知りたかったからである。XF35mm F1.4 Rは一番好きなレンズであるにもかかわらずあまり写真を撮っていない。だからレンズの特徴を良く掴んでいない。で、F3.2とF2.8でどの程度雰囲気が変わるものか知りたくて絞りを変えて撮ったのである。写真左下にスマホを眺めている女性が写っているが、この女性は「前ボケ」の具合を知る為の"指標”として画角に入れたのである。

さて、長い話となってしまったが、この時太陽は「ほぼ真上に近い」位置にあった。田中長徳さんが「余り撮らない」と言い、魚住誠一さんがレフ板を使っても影が起こしきれないと言い、「撮らないという選択肢もある」「撮らないという手もある」とカメラマンが言う「トップライト」とあまり変わらない位置に太陽がある条件でこの2枚の写真を撮ったのである。

露出補正を掛けていないのでハイエストライトは僅かであるが飛んでいる。画角全体にこれだけたくさん「黒」がある構図の場合、補正を掛けなければハイライトは僅かながらでも飛ぶ。露出の計測が「黒」に引っ張られるからである。もし、ハイライトを白飛びさせないように撮ろうと思えば-0.3EVの補正を掛けて撮るシチュエーションである。入念に撮るなら-0.7EVでも撮っておいて良いだろう。しかし、私は補正を掛けずに撮った。理由はとにかく急いで撮ったという事であるが、1/3段程度なら飛んでも構わないという腹づもりでもあった。シャッターボタンを押したのは「咄嗟」であったが、この光景を見てからシャッターボタンを押すまでには時間があった。だから、この場の光が-0.3EVの補正を必要とする光であることは認識していた。しかし、少しぐらいは飛んでもいい「絵柄」だと判断したのである。

この2枚の写真は何もせずカメラ任せで撮った写真である。「絞り値」は絞り優先AEで撮影する際には「露出」を変えない。だから、完全にカメラ任せでの撮影であった。私はそれで問題なく綺麗に撮れると判断したわけである。当たり前である。ミラーレスカメラを使っているのだからファインダー(EVF)内には「撮影結果」と同じ画像が表示されているのである。チラッと見ただけで「これでOK」とわかるわけである。仮にミラーレスカメラではなく一眼レフカメラを手にしていたとしても、この時の光で補正無しで撮影してもほぼOKだとはわかる。

さて、この2枚の写真は「ほぼトップライト」と言って良い位置に太陽があるときに撮影した写真である。子どもたちの髪の毛を見ると「真上」から光が落ちてきていることを確認することが出来る。子どもたちの髪の毛には完全に「トップライト」が入っている。多くのプロカメラマンが「余り撮らない」と忌避するトップライトで、完全にカメラ任せで撮ってなぜこれだけ綺麗な写真になったのだろうか(2枚の写真はほぼ撮りっぱなしと言って良い)。

もう一度言うが、私は仕事で子どものポートレートを撮っていた時、「トップライト」でばかり撮影していた。10〜13時の間の3時間でしか撮らなかった。その代わり、私はある「工夫」をして「光を作って」撮っていた。実は、この2枚の写真を撮影した時には私が作っていた光と同じ条件の光だったのである。さて、それはどういう「条件」であろうか?

写真に関する問題の答えは必ずその写真の中に明示されている。だから、写真をしっかりと見れば「その条件」が何であるのかは誰にでもわかる。これは難しい問題では無い。しかし、即答できない人も少なくないだろうと思う。この問題に即答できない人は、写真撮影に関してはまだ完全に初心者のレベルにあると言って良い。ある程度モノクロ写真を撮り続けてきた人であれば、写真を見れば直ぐに答えがわかるはずである。昨日今日モノクロを撮り始めたわけでは無いのに直ぐにはわからなかったという人は、光という物に対して全く無自覚にモノクロ写真を撮っていたと言うことである。つまり、「ただモノクロで撮っただけ」だったと言うことである。それでは良いのモノクロ写真など撮れるわけがない。

さて、「このブログを辞めないで続けて欲しい」という要望を数人の方から頂いている。大変嬉しくありがたい話であるが、指折り数えられる人からしか要望を頂けなかったというのは哀しくもある。自信を持て「自画自賛」するが「写真とカメラの話し」でこれほど面白い話を書いている人間は日本中探しても他にいないだろう。しかし、それがわかる人は少ないのである(というか、それ以前に文章を読む習慣が無い)。

長い文章のエントリーになってしまったから全文を読んだ人さえ少ないだろう。それは一向に構わない。読んで下さった数人の方に改めて「出題」させていただく。上の2枚の写真は多くのプロカメラマンが忌避する「ピーカンの太陽が真上にある」条件とほぼ同様の条件で撮った写真である。しかも、なにもせずにカメラ任せで撮った。それにもかかわらずとても綺麗な写真が撮れた。それは「ある条件」があったためである。さて、その「ある条件」とは何か?

正解不正解を問わず、この「問題」に回答を寄せて下さった方だけを対象にした、新しい「モノクロ写真レッスンブログ」を始めることを考えている。まだ、「始める」と約束は出来ないが始める方向で考えている。最終的は決断は、何件の「回答」が寄せられるかで判断しようと思っている。

もう、「対話」のできない「読者」とは「決別」しようと思っていると言うことである。月末からは、自分が撮ることと、自分の技術を向上させることに力を注ぐつもりである。今日も新しい「被写体」探しで動いてきた。「本気で撮る」と決めて半月が過ぎたが、自分の気持ちがそれ以前と変わっていない部分の方が多いことに気がつきちょっと困っている(笑)。しかし、もう決めたことだ。私は一旦決断したら取りあえずやれるだけやってみる人間である。もしかしたら、3ヶ月で本気で撮ることを辞めるかもしれないし、来年作家デビューまで行くかもしれない(笑)。いずれにしろ、撮り始めたらトッププロ以上のレベルを目指して撮る。だから、もう「対話」の出来ない人に向かっておしゃべりをすることは止めたいと思う。可能な限り自分自身のために時間を使いたい。もう余命は多くないのだから。



by dialogue2017 | 2018-11-18 06:00 | 写真とカメラの話し | Comments(10)

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF35mm F1.4 R ISO400 F2.0 -1.0EV JPEG ACROS + Y ハイライトトーン・シャドートーンともに-1設定

光を読む力の確認 レタッチの素材 美しい柔らかい光 品のあるハイライト_e0367501_00152731.jpg

※文中に「昨日」とあるのは15日のこと。このエントリーを書いたのは16日夜であるため。

※文中に「コントラストの浅い写真」と書いたが、いま電車の中でiPhoneで見たら結構しっかりとコントラストがあって安心した。実は撮影時のイメージでは過度にコントラストが浅くなるとは思っていなかったのだ。MacBook PROのディスプレイの状態がいかに酷い方言うことである。直しに出すことに決めた。それほどiPhoneとの差が大きかった。でも、一安心(笑)。

馬鹿馬鹿しい写真である。この写真に限らず私が撮っている写真の多くはさしたる写真では無い。しかし、それで全く構わないのである。この写真は10月5日以来およそ40日ぶりに撮ったモノクロ写真である。しかも、前回モノクロで撮ったときは”雨天”であった。前回晴天の日にモノクロ写真を撮ったのがいつなのかいくら思い出しても思い出せない。たぶん、かなり前のことになると思う。モノクロを撮ること自体久しぶりのことであったが、昨日は「くっきりと影」の出る昼過ぎに撮った。そういうシチュエーションで撮るのは半年以上ぶりでは無いかと思う。

だいたい、私は朝夕に撮るのが好きなのである。しかし、実際には朝は撮らない。起きるのが9時頃だからである(笑)。と言うわけで、私が写真を撮っているのはほとんど夕刻ばかりである。だから、「くっきりと影が出る」陽射しで写真を撮ることが少ない。そういう光が嫌いなわけでは無い。晴天の日中の光にも素晴らしさはあると思っている。いや、モノクロを撮るのであれば晴天の日中が一番だとさえ思う。日中の「強い光」で「美しい写真」を撮ることは簡単では無いが、撮れたときにはインパクトのある写真を撮ることが出来る。だから、決して日中の強い陽射しが嫌いだというわけでは無い。ただ、夕暮れ時の「淡い光」の方が好きだと言うだけのことである。昼から夕刻まで半日写真を撮っているのは疲れるので、昼はブラブラして、夕刻から撮り出すのである。通っている鎌倉では、昼過ぎから夕刻までは海を眺めながらワインを飲んで過ごす(笑)。

この写真は昨日撮った1枚目の写真である。月に一度インプラントのメンテナンスを受けに三ノ輪まで行く。その帰り、年に3〜4回、浅草方面までブラブラと歩く。「年に3〜4回」と書いたが、前回それをやったのは1年ぐらい前のことかもしれない(追記。一月ほど前一度やっていた。余り撮らなかったので失念していた)。昨日も、三ノ輪から裏路地を歩いて浅草に向かった。これはその途中で撮ったファースカットである。この時、なぜこの光景を撮ったのかというと、自分の頭の中に描いたトーンと、実際に写ったトーンがどれだけ近いか離れているかを確認するためである。しかし、撮影後に背面モニタで確認することはしていない。結局「くっきりと影が出ない」柔らかい光が好きだから撮ったと言うことである(笑)。

昨日は145枚の写真を撮ったのだが、途中で気がついたら私はただの一度も撮影後に背面モニタで画像を確認していなかったなぜなら、写真に撮ったその光景を「見つけた」その時に、頭の中に撮影結果のイメージがすでに出来ているからである。ましてミラーレスカメラの場合、ファインダーの中か背面モニタのどちらかで「撮影結果画像」を確認してからシャッターボタンを押すことになる。だから、撮影後に撮った写真を確認する理由が無いのである。

撮影結果をあまりみないもう一つの理由は、私はあまり「撮り直し」をしないからである。1枚撮ったらそれで終わり。すぐに歩き出す。綺麗に写っていなければ困るような写真を撮っているわけじゃ無いから。それに、その場で撮り直しをして上手に撮れることより、家に帰ってパソコンのモニタで「失敗」をした写真を見て「反省」する方が価値があるからだ。

大方の写真はイメージ通りの撮影結果である。しかし、中には少しイメージとは違う写真になるものもある。「ここまでコントラストが強く出るか」と思うような場合もあるし、「あれっ? こんなにアンダーになっちゃったの」ということもある。フレアーが自分が思っていたより強く出ているというようなこともある。無理の無い光景を撮っている時にはそういうカットは1/10以下に収まるが、わざとフレアーを出してみようとか、輝度差の大きいところを撮るとかを沢山した場合、10枚に2〜3枚想定と少し異なる画像になるカットが出る。

「想定と少し異なる写真」が出来るのは楽しい。想定外になったことで面白い写真になったり、良い雰囲気の写真になるという場合があるからである。そして、そういうことをするのにはもう一つ理由がある。自分がイメージしたトーンと、実際に写真に写ったトーンがどれだけ違うかを見ることが出来るからだ。これは「光を読む力」の訓練とも言えるし、その確認でもある。

このカットは、-1.0EVの補正を掛けて撮った。絞りはF2.0にした。この光で後のボケ具合がどの程度に感じられるか見たかったからである。普通に撮ればF5.6で撮るカットである。F8でも良いがAPS-CセンサーならF5.6で十分である。いずれにしろF2.0で撮る写真では無い。しかし、私はF2.0でどんな絵になるかを見て見たくて撮った。実は、一番好きなレンズであるにもかかわらずXF35mm F1.4 Rではあまり写真を撮ったことが無いのである。だから、確認したかったのである。レンズの「個性」を把握しなければ「作品」を撮ることは出来ないから。

以前好きだったブログに『光と遊ぶ』というブログがあった(どういう事情か昨年3月から突然更新がされなくなった)。写真が上手な人のブログであった。かなり高級なカメラやレンズを使って撮っていることもあり、たんなるアマチュア写真愛好家では無い方なのではないかと思う。「光と遊ぶ」というブログタイトルは悪くないと思ったが、自分ではとてもじゃないけれど恥ずかしくて使えないとも思った(笑)。しかし、最近私は間違い無く「光で遊んでいる」。この写真も光と遊んだ結果だ。

モノクロ写真は「光と影」で表されるものである。よくモノクロ写真の"肝”はシャドーにあると言われるが、先般一度書いたが私は「ハイライト」にこそモノクロ写真の美しさがあると信じて疑わない。シャドーが肝である理由は、美しいシャドーの写真を撮ることによってハイライトの美しさが引き立つからである。モノクロ写真は「シャドーの美しさ」だけでは成り立たない。私はそう思っている。って語るほど私はモノクロ写真を撮っていないし、執着さえも抱いていないが、それでも、「ハイライトの美しさ」がモノクロを撮る際の鍵だと思っている。

この写真は、ほんの僅かだけコントラストの調整をしている。ぱっと見では元ファイルの違いがわからない程度であるが、ハイライトを持ちあげシャドーを落としている。これだけコントラストの浅い写真であるが元ファイルより若干詰めている。

下の写真が「撮りっぱなしの元ファイル」(リサイズはしている)である。ヒストグラムを見るとハイライトは247までしか無い。シャドーも潰れずギリギリ全部残っている。コントラストの浅い緩い写真である。しかし、今の私のひとつの「研究テーマ」はそういう写真を撮って仕上げることである。白飛びも黒潰れもしていない写真なので、トーンカーブだけで雰囲気をがらっと変えることが可能である。どんな感じに作ってもアラが出ない元ファイルだと言うことである。そういう写真を撮ってみようと思っている理由はいくつかあるのだが、大きな動機のひとつは「レタッチの素材」になるからである。先日書いたが、本気で撮ることにした以上はレタッチも勉強しようと思っているのである。

私は「経験」という点においてはモノクロ写真初心者である。自分の手でゼラチンシルバープリントを焼いたことは一度も無い。そういう意味では、私は「Mon's Cafe」さんや「SunseLine」さんよりもモノクロ初心者である。私は平素カラーでしか撮ることが無い。本気でモノクロを撮ったことなど一度も無い。しかし、私は彼らより遙かによく「モノクロ写真」を理解している。その理由のひとつは「理論」と「知識」を豊富に持っているからである。

そして、もう一つのより大きな理由は、私には「物事をとらえる」大きな力があるからである。いつからか記憶に無いが、私は「光が読める」ようになった。多分、スタジオライティングを経験したことが大きな契機となったのだと思う。自分で「光を作る」ことを知って以後、光が見えるようになった。だから、撮影結果はシャッターボタンを押すときにすでに頭の中に出来上がっている。少々外れることはあるが、概ねイメージ通りの画像ができる。

シャッターボタンを押す前に「プリント」のイメージが頭の中に出来上がっていること。そして、実際そのイメージ通りの写真を撮れるようになること。これが最初の「目標地点」だ。本気でやれば、3ヶ月あればここにたどり着けるはずである。

足りないのは「経験」である。プロカメラマンがある程度自分の思うように写真を撮れる最大の根拠は、"豊富な経験"があるからである。つまり、彼らは膨大な撮影経験の「記憶庫」の中の写真と照らし合わせた上で写真を撮っているのである。彼らは、「参照」するサンプルを頭の中に大量に持っているのである。つまり「場数」が彼らを支えていると言うことである。

「理論」と「技術」だけでは「打率」が稼げない。「打率」を上げるためには、膨大に撮ったと言う「経験」が不可欠なのである(プロ野球選手だって"膨大”な量バットを振っているのだ。それによって蓄積された"イメージ”があるから打率を稼ぐことが出来るのである)。今の私には全くそれがない。しかし、本気でもモノクロ写真を3ヶ月も撮り続ければ、打率は大幅に上がるだろう。いや、今すぐに挑戦してもそれなりの打率は出るだろう。なぜなら、いままで「遊び」で撮ってきた「駄写真」も「経験」の内だからである。今まではたいしたことの無い写真しか撮ってこなかった。遊びだから。しかし、膨大に撮っているのでその経験は生きる。私には物事を"対象化"する高い力があるから。その力は、写真とは全く関係の無い「場所」で養われた。「読書」からである。

※生まれてくるときに「高い能力」を与えられていたことが一番の源泉である。偉いのは私では無く、両親と先祖である(笑)。

今日は出かける。昨晩、妻が一人で鎌倉に泊まった。この間余りに仕事が立て込んでいて心身共に疲れ果て気晴らしに出かけたのである。てっきり今日は一人で過ごすつもりだろうと思っていたら、昨晩遅く「明日合流する?」とメールが届いた。と言うわけで、今日は鎌倉まで行って妻と合流するつもりである。たまにはカメラを持たずに行ってみようかと思っている。今日は、写真を撮るのを辞めて、贅沢なランチでも食べてこようと思う。もちろん妻の奢りで(笑)。いまは彼女の方が断然稼ぎが良いのだ(笑)。

でも、こっそりとXF35mm F1.4 Rを付けたX-T20を鞄に忍ばせていくだろう。モノクロは撮らないけれど(爆)。

光を読む力の確認 レタッチの素材 美しい柔らかい光 品のあるハイライト_e0367501_00493714.jpg

上に掲載した「元ファイル」のヒストグラム。ハイライトは247。シャドーはギリギリ残っている。

光を読む力の確認 レタッチの素材 美しい柔らかい光 品のあるハイライト_e0367501_01120734.png


by dialogue2017 | 2018-11-17 10:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF 35mm F1.4 R ISO1000 F4.0 1/18 AWB JPEG-Velvia 意図的に止めずに被写体ぶれさせている

青春のジャンプ 写真は\"その人”が撮るものである_e0367501_11273568.jpg

高校1年生の女子である。日没後で実際はかなり暗かった。このあと「真っ暗」な中でこの10人の女の子のポートレートを撮った。昨晩、その話についてのエントリーを3つ書いた。タイトルは「一番大事なことは素敵な表情を撮ってあげることだ」である。しかし、アップする気になれず「一時保存」した。アップする気になれない理由は、(3)で完結していないからだ。いや、取りあえずの話としては完結しているのだが、「一番大事なことは素敵な表情を撮ってあげることだ」という問題は、当然の如く「写真を撮る上で一番大事なこととはなにか?」というより本質的な問題に繋がっていくからである。しかも、昨晩見たテレビ番組の中で銀座の寿司職人が語っていた言葉が、その話を書くのにとてもよい題材になったという事情がある。彼は、たったひとことで核心を射貫いていた。それゆえ、この話はそのレベルまで敷衍しなければ面白くないと思うのである。

世界一を目指しているその若い寿司職人が口にした言葉は、「もっとも大切なこと」を理解している人間にしか語れない言葉であった。彼は言ったーー「寿司って、技術や経験だと思っていないから」と。そして、番組の後の方で彼はこう言ったーー「寿司って、"その人"が握るものだから」。完璧に核心を射貫いている。写真も同じなのだ。

私は、写真は技術や経験だと思っていない。そして、写真は"その人”が撮るものだと思っている。私は彼と100%同じことを考えていたと言うことである。彼は言ったーー「技術なんて、ある程度やっていれば必ず身につくのだから」と。彼の言うとおりである。技術なんて言うものは、真面目に修練すれば必ず身につくものなのである。しかし、技術では格別と呼べる寿司を握ることは出来ない。同じように技術では格別と呼べる写真を撮ることが出来ない。ポートレートを例にとっても、「格別」というレベルの写真を撮っているフォトグラファーは指折り数えるほどしかいない。なぜなら、ほとんどのフォトグラファーには「技術以上のモノ」が無いからである。

続きを書くと止まらなくなるから辞めておく。勤勉とはおよそ対極的な私から見てさえ、自分で調べ、自分で実践してみて、最低限必要な理論と技術を習得するということをしない人々に何かを語るのは時間の無駄だ。いままで、時間の無駄でしかないことを私は延々とやってきた。暇だったからである。暇がつぶせることに価値があった。しかし、いまは気持ちが自分の中に向いている。他者に向かって、写真の撮り方を語るより、自分が「格別」なレベルの写真を撮るために必要なことを考えるために時間を使いたい。

私の場合、いまさらこれ以上の理論や知識を学ぶ必要はない。もう十分なだけの理論と知識はある。経験はほとんどない。全くないとは言わないが、プロフェッショナルなレベルでの撮影体験は少ない。しかし、そんなものは3ヶ月あればどうにでもなる。カメラの使い方については十分知っているのだから。あとは、今までやったことの無い撮影を体験したり、そして何より肝心なコトは今までより真剣に撮ると言うことをすれば良いだけだ。私がいま考えているのは、もっと大きな枠組みの事である。つまり、「技術や経験」によっては生み出せないモノをどのように生み出すかと言うことである。もちろん、今更考えなくてもその答えはもうとっくの昔にわかっている。

写真は、"その人”が撮るものである。それが答えだ。


by dialogue2017 | 2018-11-12 15:30 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

まだ続いています(笑)

ブログ、まだ続いています(笑)。昨日"この写真”を撮ったああと、反対側の窓際に置いて撮った写真。自分の好みよりハイキーにしてみた。
台風で倒された枝に咲いていた花で、真ん中の花なんか相当傷んでいるんだけれど、こんな風に撮ると美しい。ハイキーは七難隠す(笑)。
後ろの窓ガラスに網が入っていなければ、ここにトレペか白模造紙を貼って撮ると綺麗な写真になる。例によって"まな板レフ”撮っている。

追記。花の写真はここに載せるより"Instagram"に載せた方が楽しい。素が一番だけれどフィルターも楽しい(笑)。雰囲気変わるから。

追記2。コメントを頂きました。それへの返信の中に「まだ続いている事情」を簡単に記しました。

まだ続いています(笑)_e0367501_01050070.jpg

by dialogue2017 | 2018-10-02 11:00 | | Comments(4)

X-T2では逆立ちしても645Dのような柔らかい絵は出せない。どんなカメラだってオールマイティーとは行かないのは当然だけれど。
まあ、X-T2は基本的に「記録」としての写真を撮るために購入したので満足している。この写真、"こんな場所"に置いて撮っているんだよ(笑)。
NDフィルターを外せば1/100くらいになるのだけれど、そんなめんどくさいことはまずしない(笑)。ISOも上げない(それさえ面倒)。

追記。Instagramのフィルターを使うと写真がアーティスティックに変わる。写真なんてレタッチ次第。"こんな感じ”

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF35mm F1.4 R ISO800 F7.1 1/12 ±0EV AWV ND8 1/12秒、手ぶれ補正無しでも止まるね

日陰に咲く花と画像容量(笑)_e0367501_12282842.jpg

昨晩の強風には驚いた。60年の人生で一番の凄さだった。我が家は木造3階立て。家が壊れるのでは無いかと思った。一夜明けてお決まりの台風一過の好天。10月の気温31℃にこれまたビックリ。家の周りでトラブルが生じていないか見て回った。幸いにも、玄関脇の薔薇の花が倒されていただけで他に被害は無かった。倒れた枝を切り取った後、伸びすぎてい枝を剪定した(2分ほどの作業だけれど仕事をした気分)。

花ビラの付いた枝を一本持ってきてキッチンで葉を落として一輪挿しに挿した。後ろの壁を振り返って見たら、ちょうどよい塩梅で光のグラデーションが出来ていたので壁の前に一輪挿しを置いて1カット撮った。花瓶より向かって左側がシャドーとなっていく位置に花瓶を置いて撮った。向かって左側から光を返すと左の花ビラが明るく出るが、この花ビラに直射光を当てないで撮りたくてこの位置に置いたのである。何度も書いているように「日陰の花」が好きなのである(笑)。

試みにこのカットを撮ったあと、直ぐ脇にあった白いアクリル製のまな板を左手に持ち、向かって左側から少し光を起こしたカットを撮ってみた。左手でまな板を持っているので右手一本でカメラを構えて撮った。当然露出は上の写真と同一でSSは1/12。気合を入れて撮ると片手でも止まる。手ぶれ補正機能はあるに超したこと無いけれど、仕事として写真を撮るので無い限り無ければないでそれほど困ることは無い。左の花ビラのシャドーを起こした写真は、ぱっと見上に掲載した写真より明るく艶やかで美しい。でも、私は日陰に咲く花が好き(爆)。

この写真をアップした後の使用画像容量は1023.54MB。200KB程度に圧縮したファイルであればあと1枚ぐらいは掲載できるかもしれないが、いずれにしろそれでまた画像容量はマックス。そもそも昨年末にほぼマックスだったのだが、このブログを続けるために過去のエントリーを100以上削除し、そこに掲載していた画像(写真)も削除した。そうやって「画像容量」をちょこっとずつ回復させて9ヶ月も続けてしまった(笑)。面倒なことなのでもう画像容量の回復は止めようと思う。

みなさんさようなら(笑)。



by dialogue2017 | 2018-10-01 14:00 | | Comments(0)

日陰に咲いている花を撮ったのだが、花ビラの一部には陽が当たっていて白飛びしている(ギリギリ階調を残しているが)。まあ、作品としての写真では無いのだからこの程度の白飛びは許容範囲だとは想う(実はハイライトは253に収まっている)。日陰とは言え完全に真後ろから光が差してきているので花ビラは透過光で光り輝いている。白飛びを避けアンダー目の露出で撮っているためそれほど輝いた感じはしないが、明るい感じは出ている。花ビラだけをアップで撮ったのではまさに「日の丸」になってしまうので、ちょっとアングルをずらして左側に蕾を配した空間を作った。鮮やかに綺麗に撮れているとは想うけれど、いかにもデジカメで撮った写真という感じがする。私は「フィルム信奉者」では無いが、デジカメの「つるん」とした画質に違和感を覚えることは少なくない。ほぼ同じ構図で撮っても645Dだとかなり雰囲気が変わるだろう。 → "こちら”

晴れた日に花の写真を撮らない理由_e0367501_11001511.jpg

「晴れた日に花の写真を撮らない理由」と書いたが、撮らないわけでは無い。実際には、雨が降っている日より晴れている日に撮っていることの方が断然多い。私の場合、写真を撮るのはなにかの"ついで”であることが90%。つまり、「お出かけ」した先で撮っていることが多いわけであるが、お出かけは晴れの日であることが80%以上である。だから、花の写真も晴れている日に撮っていることの方が多い。

「晴れている日に花の写真を撮らない理由」は花ビラが「白飛び」しやすいからである。だから、晴れている日にわざわざ花を撮るために散歩に行くことはまず無い。雨が降ると、いそいそと自宅近所を一回りして花の写真を撮る。と言っても、そんなことを良くやっているわけでは無く、せいぜいのところ年に10回以内である(5〜6回かな?)。しかも、1回の撮影時間は長いときで10〜15分、短いと1分以内(笑)。10〜15分というのは小雨の時にレインウエアを着て、自宅近所を一回り回ってくるとき。1分以内というのは、玄関から出て1枚撮ってくるとき。1枚の時はほぼ100%"ブログネタ”として写真である(笑)。本当に1枚だけしか撮らないこともあるし、10枚ぐらい撮るときもある。

今日は久しぶりに晴れた。とても良い天気で気持ちが良い。夏場と違ってとても爽やかな感じがする。久しぶりに庭に布団を干した。そのついでに今朝も薔薇の花を撮った。X-T2で3カット、645Dでも3カット撮った。X-T2で撮った3枚はそれぞれアングルを変えて撮った。645Dで撮った3枚は同じアングルで僅かに撮影距離(数センチ)を変えた。645Dの場合手ぶれの危険性が小さくないので保険として3枚撮ったというのが本当のところである。私は中判カメラで撮るときにもコンデジで撮るときとさして変わらない撮り方である。まあ、手ぶれしないようにと言うことを頭に置いてはいるが、それほど慎重にはならない。撮れていても撮れていなくてもどうでもいいような写真しか撮っていないからだ。

我が家の薔薇の花は南向きのフェンス沿いに植わっている。午前中から昼過ぎは玄関側から撮るとほぼ逆光である。場所的にフェンスの外からは撮りにくいので玄関側から撮ることになる。先ほど写真を撮ったときにはほとんどの花には強い陽射しが当たっていた。どの花を撮っても白飛びしてしまう。こういうときには「日陰」に咲いている花を撮る。私は晴れている日の散歩の最中に花の写真を撮るときには日陰に咲いている花を撮ることが多い。白飛びしないというのが理由であるが、白飛びの問題を棚上げしても私は日陰に咲いている花を撮るのが好きである。「柔らかい描写」になるというのが好きな理由であるが、「上品」な写真になるのが好きなのである。

今朝10時、日陰に咲いていて撮ることが出来そうな花ビラはこの花ビラひとつしか無かった。実は、この花ビラは地面の直ぐ近くに咲いていて撮りにくい(こんな感じ)。しかし、今のカメラの背面モニタはチルトするのでこういう低い位置に咲いている花でも割と容易く撮ることが出来る。一昔前、背面モニタが固定されていた時代にはこういう写真をサクッと撮るのは難しかった。645D(初代)はCCDセンサーなのでライブビュー撮影が出来ない。こういう低い位置に咲いている花を真面目に撮ろうと思ったら、三脚を開脚で立てて、「アングルファインダー」を使って撮ることになる。いまの若い人々で「アングルファインダー」を知っている人は少ないだろう。いや、私だって知っているだけでそんなモノは使ったことが無いけれど(でも持っている・笑)。

by dialogue2017 | 2018-09-28 11:00 | | Comments(0)

普通に撮った薔薇の花

キッチンの棚の上に載せ、つり下げ型の一輪挿しに入れたあとレンズを向けてシャッターボタンを押しただけ。"こんな風"に飾る。

普通に撮った薔薇の花_e0367501_11440256.jpg


by dialogue2017 | 2018-09-27 12:00 | | Comments(0)