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2018年10月28日 16:48。日没3分前。太陽が水平線の下に完全に沈む直前の撮影。かなり頑張っていると思うが、センサーとレンズの限界を感じた(やむを得ないが暗部ノイズが酷い)。この写真を見てSONY α7ⅢとZeissの大口径レンズを購入しようと思った。

ギリギリの光の魅力について_e0367501_16594053.jpg

いまさら写真の話しを書くことになんらかの「価値」があるとも思わないのだけれどちょっと書いてみたくなった。いましがた渡部さとるさんの「2Bチャンネル」の「加納満さんとの写真の話し」(上・下)を見たのだけれどとても面白かった。その直前には「田中長徳さんに聞いてみた」(1〜3)を見たのだけれどもちろん面白かった。長徳さんの話しは彼にしか語ることの出来ない内容なのでとても面白かったけれど、加納満さんと渡部さとるさんの「同じ年対談」はそれに優るほど面白かった。特に上田義彦さんについて語っている話が非常に面白かった。フィルムで写真を撮ると言うことがデジタルカメラで撮影することとはまったく別なことであったことがよく分かる。もちろん、そんなことはよくよく承知しているが、渡部さんや加納さんの若かりし頃のエピソードは聞いていて「ぞくぞく」するほど楽しかった。そこで語られていることはいろいろあったが、煎じ詰めれば「光の拾い方」についてと言って良いだろう。二人はそういう表現はしていないが私の"感覚”を言葉にすると「光の拾い方」である。

ちょうど1年前に生まれて初めて「本気で写真を撮って見たい」と思っていた。一人のチャーミングな女性がモデルさんになってくれたことがきっかけであった。そのころ、「本気で撮ってみたい」という思いの”内実”についていくつもの文章をここに書いたが、その中で「夕暮れ時の淡い光」で撮りたいという希望について書いた。SONY α7Ⅲを購入した理由はまさに「夕暮れ時の淡い光」を「掬うように」して写真を撮りたいと思ったからである。つまり、"カメラ(センサー)”と"レンズ”にとって「ギリギリ」の「光」で「彼女」を撮りたいと思ったのである。

渡部さんと加納さんが上田義彦さんについて語っている中で、上田さんは「ギリギリの光」を見極める能力が抜きん出ている写真家だと思うと言うことが語られていた。なんども書いたことだけれど、良い条件で撮影すればAPS-Cセンサーとフルサイズセンサーの違いはそれほど顕著には出てこない(ボケ量のことは別として)。しかし、厳しい条件で撮影した際にはその「差」が出てくる。フルサイズセンサーはAPS-Cセンサーより「幅」が広い分、「ギリギリ」の範囲が若干ではあるが広がる。そして、Distagon T* FE 35mm F1.4 ZAやPlanar T* FE 50mm F1.4 ZAというレンズもまた、厳しい条件での撮影の際に「拾ってくれる」光の量が多い。高性能な"晶材”と特殊な”コーティング”、そしてなによりも"大口径”がそれを実現しているのである。この「違いの部分」を使って撮らないのであればこのクラスのレンズを持つ意味がない(いや、この2本のレンズは好条件で撮っても違いは出る。しかし、「違いの部分」を活かしたとき初めてこのレンズを所有している真価が現れる)。

それはそんなに大きな差ではない。渡部さんが対談の中で「被写体があと数センチこっちにあったらもう写らない」そのギリギリで上田さんは撮影しているという話しをしていたが、そういう「僅かな差」である。APS-CセンサーにAPS-Cセンサー用のマウントサークルのレンズと、フルサイズセンサーにフルサイズセンサー用のマウントサークルのレンズで撮影した場合、「拾える光」は変わってくる。それは本当に「僅かな差」なのでアマチュア写真愛好家にはなかなか理解出来ない微妙な部分であるが、プロフォトグラファーであれば誰もがその僅かな違いを知っている。敢えて短絡した物言いをしてしまえば「その差」がわかるかどうかが「写真を知っている」かどうかの差なのである。

実は、一昨年の年末、ロベルト安達さんと差しで1時間ほど話しをした際にやはり「上田義彦」さんの話になった。渡部さんや加納さん同様、安達さんも上田さんの真似をしても同じような写真が撮れなかったと言う経験をしている。その「秘密」は長い間わからなかったのだそうだが、あるとき「その秘密」を理解したという話しを聞いた。奇しくも、上田義彦という一人の写真家の写真をめぐって渡部さとる、加納満、ロベルト安達という非常に評価の高いモノクロ作家3人がまったく同様の経験をしている話しは興味深いという以上に、とても"腑に落ちる”ことであった。ようするに、「そこ」なのである。モノクロ写真は「そこ」がわからないと「撮れない」。ことのついでだから言っておくと「そこ」がわからない撮り手がLEIC M MONOCHROMなどを使うと惨憺たる結果になる。あのカメラはいい絵が出てくる"レンジ”がもの凄く狭いのでカメラがいい絵を出すレンジに合わせて光を拾わないとカメラの実力が出てこないのである。「そこ」がわからないと使えないカメラなのである。

加納満さんは『デジタルカメラマガジン』の巻頭写真を長年担当していたので彼の写真を見たことのある写真愛好家は少なくないと思うが、加納さんも「ギリギリの光」で(モノクロ)写真を撮る作家である。一番強く影響を受けた写真家は上田義彦さんだと語るロベルト安達さんも「ギリギリの光」で撮るモノクロ作家である。私に言わせれば「なにもそこまでギリギリでばかり撮らなくても良いのに」と思うが、極めた写真家の心を引きつけるのは「ギリギリの光」なのだろう。もちろん私にはそんな「フェティシズム」はない(笑)。


「加納満さんとの写真の話し」(上)#カメラ毎日 #篠山紀信 #ホンマタカシ



by dialogue2017 | 2019-12-10 17:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

家族の写真

私は"カメラ”は「家族写真」を撮るための「道具」だと思っている。もちろん、それ以外のものを撮ることも沢山ある。なにを撮っても写真を撮ることは楽しいと思う。しかし、基本的には「記録」を残す為に写真を撮っている。それが、「写真」の「本道」だと思っている。なんども書いたことだけれど、私にとって大切なのは「家族の写真」だけである。それ以外の写真は全て失っても構わない。

最近は「家族写真」を撮ることが少なくなってきた。いや、東京を離れた際には必ず撮ってはいるが、最低限の「記録的」写真だけになってきた。息子が「家族旅行」に同行しなくなってから撮影枚数が減った。娘が4年生になって以後、娘の写真を撮る枚数も激減した。しかし、それで良いのだと思う。子どもたちが自我を確立し始めた後は「家族写真」など最低限の範囲で撮れば十分だと思う。

娘が中学生になったら親と一緒に行動することが少なくなるだろう。そうなれば「家族写真」を撮る機会はいまより更に少なくなるだろう。それが自然なことである。そうなったら、年に1度家族揃ってきちんとした「記念写真」を撮ろうと思う。

家族の写真_e0367501_17561105.jpg

by dialogue2017 | 2019-12-10 05:00 | 家族写真 | Comments(1)

7日金曜日の晩から茅野の「山小屋」に行っていた。今回は引っ越し後初めて息子が同行した。息子が「家族旅行」に同行するのは今年1月中旬の「白馬八方スキー旅行」以来。家族4人揃って出掛けたのは11ヶ月ぶり。8日は「茅野市立運動公園」の体育館でバスケットボールと卓球をした。9日は「NAO ice OVAL」(茅野市国際スケートセンター)でアイススケートをした。写真はその3シーンのみを撮影した。それ以外で撮ったのは、昨日朝家を出てスケートに向かう際、山小屋から300mほどのところで車を停めて冠雪した八ヶ岳連峰を数枚撮っただけ。この写真ではよく分からないが、この日の早朝には湖は半分ぐらいは凍結していた。遠からず全面凍結するだろう。

今回は「家族写真」しか撮らなかった_e0367501_13244188.jpg


by dialogue2017 | 2019-12-09 13:30 | 風景 | Comments(0)

写真日和だけれど…

良い天気だ。雲一つない快晴である。東西南北、360度空を見渡してみたが何処にも雲がない青空だ。気温は12℃で暖かい。「写真日和」と言って良いだろう。東京は紅葉が見頃の場所が沢山ある。我が家の近隣にも何ヶ所も見頃を迎えているところがある。車で20〜25分で「昭和記念公園」にも「小金井公園」にも行けるし、30分ほどで紅葉の名所「平林寺」にも行くことが出来る。しかし、写真を撮りたいという気持ちがまったくない。まして"紅葉”なんて全然撮りたいと思わない。紅葉を撮るなら京都だ。と書いて思い出した。ちょうど1年前の今日京都に行っていた。紅葉のピークを狙って出向いたのだが紅葉は撮らなかった。買ったばかりのα7Ⅲを持って行ったのにほとんど写真を撮らなかった。写真を撮ることなんか忘れてしまうほど楽しい時間を過ごしたからだ。結局、写真を撮ることそのものが目的なのではなく、「旅先」で過ごすと言うことが楽しいのである。

こんな天気の良い日に書斎に籠もって1日を過ごすのは馬鹿げたことだと思う。目の調子が悪いため本を読むことが出来ない。こんな日にはカメラを持ってブラブラと歩くのが一番である。美味しいランチを食べがてら井の頭公園にでも行くのがベストだろう。そういうスタイルであれば紅葉を撮るために出掛けるのとは違う。写真を撮ることより、町を歩くことの方が楽しいだろう。

そうなんだ、写真なんてなにかの「ついで」に撮るものでしかないんだ。私にほとんどそういうスタイルでしか写真を撮らない。今年は書斎に籠もって家から出ない日々を過ごした。何処にも行かないから写真を撮らなかった。わざわざ写真を撮るためにどこかに行こうという気持ちには滅多にならない。まず「どこかに行きたい」という気持が先にあって、そこに出向いたときに「ついで」に写真を撮っているのである。だから、ここ最近は茅野の山小屋周りでの「散歩写真」意外には写真をまったく撮っていない。

写真は2年前に撮影したもの。画角の中に太陽を入れて撮っても太陽周辺のコントラストがなくなるだけでそれ以外の部分はキッチリ写る。FUJINOレンズは本当に信頼できる。紅葉にはVelviaが似合う。±0EV、要するにシャッターボタンを押しただけ。美しい光景にレンズを向けてシャッターボタンを押せば美しい写真になる。簡単なことだ。だから「美しい写真」を撮ることに強い執着など抱けない。

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF10-24mmF4 R OIS ISO400 F6.4 1/350 ±0EV AWB JPEG-Velvia 2017年11月13日 13:36 南禅寺

写真日和だけれど…_e0367501_17580720.jpg


by dialogue2017 | 2019-12-04 10:30 | 旅行写真 | Comments(0)

新しい「茅野の家」

新しい「茅野の家」はこの湖を見下ろす場所にある。この写真の"右端”の方の木立の間から僅かにわが「山小屋」が見えている。こうやって写真で見るとなんとも素晴らしいところにあると感心する(笑)。奥に写っている山並みは八ヶ岳連峰である。写真中央やや右側の高い山が主峰の赤岳(2,899m)である。私は赤岳には2度登っている。写真左端に写っている山は天狗岳だと思うが、赤岳から天狗岳の間はみな歩いたことがある。このあと湖の周りの木々はほとんどが枯れ木となる。このような見事な写真を撮ることが出来るのは来春山が新緑に包まれてからに成る。しかし、枯れ木になってしまっても、毎朝この湖の周りを散歩することは続けるだろう。朝起きてこういうところを歩くことができるのは幸せである。

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF 23mm F1.4 R ISO400 F10 1/350 ±0EV AWB JPEG-Velvia 2019年11月4日 10:29撮影

新しい「茅野の家」_e0367501_20295730.jpg

by dialogue2017 | 2019-11-25 05:00 | 散歩写真 | Comments(0)

顔の一部に強い光が当たっているのでハイライトが飛ばないよう露出は抑えめ。これだけ顔に光が回っていればシャドーは奇麗に起こせる。

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF 23mm F1.4 R ISO400 F2.0 1/850 +0.33EV AWB JPEG-Velvia 

リサイズのみの撮りっぱなし Raw現像なんて必要ない JPEG15秒レタッチ_e0367501_15153827.jpg

"ひとつ前のエントリー”に掲載した写真の31秒後に撮った写真である。モデルの顔のアングルがほどよいため、シャドーの側にもある程度光が回っている。この写真は正真正銘の"リサイズのみの撮りっぱなし"であるので少し荒いが、明るさとコントラストを微調整したらもっと奇麗な写真になる。くどいほど何度も書いているが、いまのカメラはどのメーカーのカメラでもJPEGで十分奇麗な写真が出来上がる。そんな中でもFUJIFILM XシリーズのカメラのJPEG画像はピカイチである。渡部さとるさんや、内田ユキオさんや、塙真一さんや、飯塚達央君などが口をそろえて「Raw現像でJPEGの美しさに並ぶのは難しい」と語っているほどだ。それなのに、大して技量もないアマチュア写真愛好家がせっせとRaw現像しているのは「プロ目線」から見ると滑稽である。

アマチュア写真愛好家を罵倒したい訳では無い。反対である。まずJPEG撮りっぱなしで十分美しい写真を撮れるようになることが最初の課題だと言うことを伝えたいのである。撮りっぱなしでこれだけ奇麗なJPEG画像を出してくれるのであるから、Raw現像の必要なんてあるはずがない。撮影後にPROVIAとかASTIAで現像してみたいということであれば理解出来るが、ある特定の対象を撮影する場合には、撮影前に"フィルムシミュレーション”を決めて撮るのが理想である。撮影前に「表現意図」をはっきりさせておくというのは、プロであれば当たり前のことなのだ(私はアマチュアだけれど)。

このアングルで、ちょと遠目からあまり目立たない程度にレフでバウンス光をぶつけて撮ったら「フォトテクニックデジタル」に掲載できるレベルの写真になる(笑)。もちろん、そういう場合にはレタッチで丁寧に仕上げる必要がある。はっきり言うけれど、雑誌の1ページに掲載するような写真だってJPEGで十分な時代なんだよ。実際にJPEG入稿しているプロがいまは沢山いる。

このレンズ、確かに素晴らしいレンズだ。

追記。撮りっぱなしだけを上げたのではモデルさんに失礼なのでレタッチしたファイルを追加しておく。トーンカーブで明るさを持ちあげたあと微調整。15秒レタッチ。レタッチというか、明るくしただけかな(笑)。でも、それで済んじゃうんだよね。FUJIFILMのJPEGは。

リサイズのみの撮りっぱなし Raw現像なんて必要ない JPEG15秒レタッチ_e0367501_17035191.jpg


by dialogue2017 | 2019-11-24 05:00 | トムソーヤ | Comments(0)

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF 23mm F1.4 R ISO400 F2.0 1/640 +0.33EV AWB JPEG-Velvia

ドキュメントフォトとしての子供の写真 35mmで撮りたい理由_e0367501_14394837.jpg

"3つ前のエントリー"から続けて「FUJINON XF 23mm F1.4 R」で撮った写真を4枚掲載した。いずれもただ「人物」にレンズを向けてシャッターボタンを押しただけの写真である。アベイラブルライトでの撮影であっても、モデルの立ち位置を指定したり、身体や顔の向きに注文を付けて撮影することができる。それは「あるがまま」を撮った写真ではない。「作られた写真」である。もちろん「作られた写真」が悪いという話しではない。「美しい写真」を撮るためにはそういう写真になるように”セッティング”して撮影する必要がある。プロフォトグラファーの場合、そういう写真を撮ることが「仕事」だと言っても良い。

私が撮っている写真の大半はそういう写真では無い。"セッティング”した写真を撮ることはほとんどない。自分の家族を撮る時も「トムソーヤの森プロジェクト」で子供の写真を撮るときも、「目の前のあるがまま」を撮っている。やっている工夫は「アングル」を見極めることだけである。それはとても「些細」なことであるが、些細であるが故に出来上がる写真に大きな影響を与える。カメラを構えるアングルがちょっと変わるだけで写真が大きく変わることは珍しくない。ただし、これは"セッティング”ではない。「目の前のあるがまま」を撮っているのである。

はっきり言って、「美しいポートレートフォト」を撮ろうと思ったら"セッティング”をしないことにはお話にならない。「偶然」に頼っていたのでは「美しいポートレートフォト」なんてまず撮れない。「目の前のあるがまま」というのは「偶然」なのである。しかし、「トムソーヤの森プロジェクト」での撮影はその目の前に「与えられた」状況を撮る以外にない。もちろん、子供に声を掛けて立ち位置を決め、身体や顔の向きを指示して撮影すると言うことが出来ないわけではない。しかし、私はそういうことはあまりやらない。だって、子供は夢中になって楽しく遊んでいるのだから。子供が遊びに熱中しているときには邪魔しない。子供が心から伸び伸びと楽しく遊ぶためのプロジェクトなのだから。

私は自分の「欲望」のために子供の写真を撮っているわけではない。撮影している一番の目的は、毎回のプロジェクトの「記録」を残すことである。ただし、「単なる記録写真」だけしか撮らないのでは勿体ない。せっかく可愛らしい盛りの子供が素敵な表情を浮かべて遊んでいるのだから、その「素敵な表情」「素敵な光景」をできる限り「美しい写真」になるように撮り残してあげようと思って撮っている。

私の”動機”は、私の撮った写真が、そこに写っている本人やその家族に喜ばれることである。

FUJINON XF 23mm F1.4 R」で撮った写真を4枚続けて掲載したが、特別な写真は1枚もない。ただ、「目の前のあるがまま」を撮った写真である。しかし、どの写真もそれなりに素敵な写真だと思う。私は自信を持ってそう言える。なぜなら、写っている子供が活き活きとしているから("この写真”はちょっと撮影意図が別なので活き活きしているという写真とは異なるが良い写真である)。

上に掲載した写真は「不本意」な写真である。シャッターボタンを押した瞬間左下に子供の頭が入って来てしまった。31秒後に、もう少し子供の肌が奇麗に写るアングルで別カットを撮っている。そちらの方が「写り」は良い。しかし、私はこの写真の「間合い」が好きなのである。こういう「間合い」の写真を考えることなく撮れる点が35mmレンズの素晴らしさである。つまり、寄ってはいるが寄りすぎず「背景」を情報として取り入れた写真である。左奥に写っている男性は「トムソーヤの森プロジェクト」の主催者である。彼がこの写真に「写り込んでいる」と言うことはこの写真の価値の一つである。だから、左下に子供の頭が入って来てしまったのはちょっと残念である。しかし、沢山の子供が遊び回っているところで写真を撮っているのであるから、こういうことは年中起こる。「絵柄」として「完璧」な写真が撮れることは少ない。

ちょっと"フレアー”掛かった写真である。これはレタッチで完全に押さえてしまうことが出来る。しかし、少しフレアーが出ている方が写真として素敵だと思う。むしろ、少し押さえすぎたとさえ思っている。きっちり破綻なく写っているということが美しい写真の条件だというわけではない。私は"フレアー”の掛かった写真が好きなので意図的にこういう写真を撮る。

説明するまでも無いことであるが、この写真の「見栄えの良さ」を作っているのは"ハイライト”の美しさである。フレアーを押さえてもうすこしキッチリした写真にすればハイライトは更に輝いて見える(明暗は相対的なモノだから)。しかし、私はこの写真に関しては「明るく」柔らかい写真で良いと思う。もう少し「締めた」方が写真としての出来映えは上がるが、私は少し「破綻」した写りに魅力を覚えるのである。

まだ、キッチリと撮っていないので確かなことは言えないが、このレンズは被写体が浮き出てくるシャープな描写をする。光の当たり方次第ではあるが、コントラストも強めに出る傾向にあるように感じている。だから、このレンズを使うと半ば無意識でフレアーっぽい写真を狙っている気がする。いや、違うな。いつだってそういう写真が好きで狙っているんだな(笑)。そういう撮り方を教えてくれたのは、古いYashica-ContaxマウントのDistagon 1,4/35mmである。1.4 ZAのそれともまた違う。

ああだこうだという話しはもうどうでも良い。ちょこっと撮った写真を見て見て、FUJINON XF 23mm F1.4 R」が大変素晴らしい描写性能のレンズであることが良くわかった。こんな素晴らしいレンズを2年7ヶ月も死蔵していたなんてなんとも愚かな話しである。しかし、それはやむを得なかった。この2年7ヶ月、このレンズを必要とするような写真を撮っていなかったのだから。

「トムソーヤの森プロジェクト」は12〜3月の4ヶ月間お休み。次回は4月に「トムソーヤの川プロジェクト」。次回は、カヤックで諏訪湖の水門から天竜川に出ることを計画している。翌5月は「トムソーヤの森プロジェクト」。カヤックの写真は何枚撮っても同じような写真になるので撮っていて楽しくない。写真を撮る楽しみは「あぴの森」で行われる「トムソーヤの森プロジェクト」の方が断然上である。

来年も「トムソーヤの森(川)プロジェクト」の撮影を続けるかどうかは未定である。出来ることなら誰か他の人に変わって貰いたい。正直に言って、もう子供を撮るのはしんどい。しかし、変わって撮影してくれる人が現れなければ、少なくとも上半期一杯は撮影を続けるつもりである。5月に、大きなプリントの「写真展」をやろうという話しがほぼ決まっているので、それとの兼ね合いからも来春の段階で撮影から「引退」というわけには行きそうもない。4〜8月の5ヶ月間は撮り続けることになりそうだ。

来年は撮影スタイルを少し変えて撮ろうと思う。今年撮った写真とは違う撮り方をしてみようと思っている。ただ、全体の半分はFUJINON XF 23mm F1.4 Rで撮りたいと思っている。それからFUJINON XF 35mm F1.4 Rでも撮ってみたい。まだ「トムソーヤの森プロジェクト」の撮影ではほとんど使っていないXF56mm F1.2 Rや XF90mmF2 R LM WRでも撮ってみたいと思う。この2本は抜群に素晴らしい描写をするレンズであるし、ポートレートフォトを撮ってこそのレンズである。しかし、基本的には「広角」レンズと「標準」レンズをメインにして撮影するつもりだ。XF56mm F1.2 Rは大好きなレンズであるが、望遠系のレンズを使って子供の写真を撮るとどうしても「ブロマイド写真」的な写真が多くなってしまう。そういう写真も少しは撮って上げたいと思うが(親御さんには一番喜ばれる)、20年先に本人が見たとき胸に染みるのは「ドキュメント」性が高い写真の方であることは間違い無いからだ。

※2,925文字。私の「一口上」はだいたい3,000字なのである(笑)。


by dialogue2017 | 2019-11-23 05:00 | トムソーヤ | Comments(1)

FJIFILM X-T2 + FUJINON XF 23mmF1.4 R ISO400 F2.2 1/420 +0.33EV AWB JPEG-Velvia

子供の写真の撮り方 一番大切なことは「良い表情」を撮ること_e0367501_11515637.jpg

"二つ前のエントリー"に対してshi-photo君から次のようなコメントが届いたーー「本当に良く写っていますね! 確かにこんな風に見ると、雑多なスナップに使うのも勿体ない様に感じます。トムソーヤの撮影でも、もっと上手に使えたんだろうと思うと、悔しいです」。あの写真は、ほんとうに何となく撮った写真でしかない。最近娘の写真をあまり撮らないので撮っておこうと思ったのである。だから、本当にただ娘にレンズを向けてシャッターボタンを押しただけである。背景が明るく、光り輝く黄葉が写り込んでいるので見栄えは良いが、娘に当たっている光はいま一つである。

僅かに立ち位置を変えて体のアングルもちょっと変えたらもう少し綺麗な写真になっただろう。立ち位置と体の向きを"セッティング”することによって娘の髪の毛に"トップライト”を入れることが出来る。そして、左肩から左手に"エッジライン”が入る。それだけで写真の見栄えは各段に良くなる。"セッティング”して撮影するというのはそういうことである。しかし、「トムソーヤの森プロジェクト」の撮影の場合97%ぐらいの写真は「あるがまま」の状態で撮影している。多いときには20人以上の子供が密集して遊んでいる。その20人を一人で撮っているのだから、セッティングして撮るようなゆとりはほとんどない。上に掲載した写真もただこの子にレンズを向けてシャッターボタンを押しただけである。

「トムソーヤの森プロジェクト」で撮影する写真はすべてJPEG-Veiviaの設定で撮っている。Facebookなどにアップする際にも、プリントを作る際にもJPEGファイルをレベル補正する程度のことしかしていない。細かい部分を詰めていけば写真のクオリティーは上がる。何度もくり返し書いているように「僅かな差」が写真の見栄えを変えるのである。プロフォトグラファーのブログなどを読んでいると「追い込んでみました」という言葉を良く目にする。納得できるまで徹底的にレタッチしたと言う意味である。

プロフォトグラファーが雑誌などに掲載しているポートレートフォトの場合、"レイヤー”を使って「細部」を丁寧にレタッチしているケースが少なくない。瞳の「白目」の部分にほんの僅かに「ブルー」を入れるというようなことまでやっているケースがいくらでもある。多くのプロフォトグラファーが「肌」にしっかり手を入れている。わずかに「ガウスぼかし」などを掛けることによって肌が「なめらか」に描写される。1枚の写真に丁寧に手を入れると写真は見違えるほど見栄えが良くなる。しかし、私はそういうことはやらない。面倒くさい(笑)。基本的には「レベル補正」しか行わない。FUJIFILM XシリーズのカメラのJPEG画像は、それで十分「及第点」レベルの写真に仕上がる。もちろん、細かい部分のひとつひとつに手を入れれば写真の見栄えは更に良くなる。しかし、そこまでやる必要性が私にはない。私が撮っているのは「ドキュメントフォト」だから。

上に掲載した写真であるが、良い点は子供の「表情」である。手前の目(左目)に髪の毛が掛かってしまったのが残念であるが、いい表情を押さえたと思う。撮ろうと思ったのはこの子の「この表情」なのでこの写真は私としては十分に目的を達成した写真である。しかし、それほど素晴らしい写真だというわけではない。「寒色系」の色が多すぎて「色合い」があまり良くないと思う。しかし、そういうことは重要なことでは無い。この写真は基本的には「ドキュメントフォト」として撮っているのであるから。

もう少し、この子の身体まで光が当たっていればもっと奇麗な写真になったが「あるがまま」の状態で撮影しているのでやむを得ない。「顔」に光が当たり前髪が光り輝いているのでこの写真は「それなり」のレベルの写真になっている。上手い具合に顔のシャドーに落ちる側にも光が回り込んでいて暗部ノイズがまったく出ていない。レフを使わず撮っていることを考えると「完璧」な写りである。

「子供の写真の撮り方」というタイトルを付けたが、そのことについて詳しい話しをするつもりは無い。それについて説明を始めれば少なくとも3,000字、詳しく語れば5,000字を超えてしまう。今日はそんなことをやっている時間が無い。結論だけ言っておくと、さっと子供の前まで寄って行って、子供が写真を撮られることに意識を向ける前に瞬間的にこのレベルの写真を撮れるようになることが最低限のレベルの「プロフェッショナル」だと思って貰えば良いだろう。

ようするに、「撮影技量」が問題なのではないと言うことである。「綺麗な写真」になる最低限の条件を満たしている「被写体」を探し出す「眼力」が身につけるべき「能力」だと言うことである。「トムソーヤの森プロジェクト」の撮影の際、私が一番重視していることは「子供の表情」である。奇麗な光が当たっていなければ「美しい写真」にはならないが、そんなこと以上に「素敵な表情」を撮ることを重視している。子供が心底「楽しそう」「嬉しそう」にしている表情を撮ることを一番の課題にして撮影している。「驚いた」表情や、「真剣」になっている表情の写真も素晴らしい。一切セッティングせずに撮影しているのだから、「光」のことばかり考えていたのでは「素晴らしい表情」を撮り逃がしてしまう。

もちろん、できる限り奇麗な光が当たっている子供を探して撮ってはいるが、光がいまひとつでも良い表情の子供を見つけたら駆け寄っていって即座にシャッターを切る。その際、「構図」にはほとんど気を配らない。カメラマンが「構図」を作っていたら、その間レンズを向けられている子供は「意識」してしまう。子供に「撮られている」という意識を持たせる前に撮ってしまうようにしている。そのために、子供の脇まで行ったら即座にシャッターを切る。「構図」なんていうものは考えるものじゃない。すでに「身についている」ものである。なにも考えずにさっと構えて「出来上がって」いて当然なのである。頭で考え、ファインダーを覗いて「作画」しているようじゃ素人なのである。

さっと走って行って、ぱっとカメラを構えて即座にシャッターを押す。子供が意識したときには撮影が終わっている。それで、きちんと絵が纏まっているようじゃなければプロにはなれない。大人のモデルをセッティングして撮ると言う経験しかしていないカメラマンの場合、プロでも子供の撮影には戸惑うケースがある。「いや〜、子供撮るの難しいね〜」という感想をプロフォトグラファーの口から聞いたことが何度もある。それはそうだ。こちらのことなどまったく考えずに動き回っている被写体を撮るのだから。構図なんか作っていたら子供はどこかに行ってしまう場合さえある。カメラを構えた1秒後には動き出すなんて言うことは普通のことだ。走り寄ったら0.2秒で撮り終えるぐらいの積もりで掛からないと思うような写真は撮れない。「良い表情」なんて1秒しか続かないことは珍しくない。「一瞬」で撮れるようにならないと子供の写真は上手に撮れない。

なによりも大事なことは、写っている子供が「輝いて」いることである。

そういう写真を撮るには35mmレンズはうってつけだと思う。ポートレートに向いているという意味では35mmより50mmなのだが、ドキュメントフォトとしての子供の写真を撮る場合、35mmの方が撮りやすい。理由は二つある。ひとつは、寄って撮ることが出来ると言うこと。寄って撮った写真の方が活き活きとした表情が撮れる。撮り手とモデルの"距離感”が近いほど写真に「ぬくもり」が出る。もう一つは、適度に「背景」を入れることができること。「ドキュメント」だからこそ写真に”力”が生まれるのである。

ポートレートフォトと言えば85mm。確かに85mmで撮ったポートレートフォトには「特別感」がある。だから、私も仕事で子供を撮っていた時には85mmがメインレンズであった。しかし、「トムソーヤの森プロジェクト」の写真は"ドキュメントフォト”である。「七五三」や「成人式」の写真とはまったく違う種類の写真である。「ブロマイド写真」のような写真を沢山撮っても意味がないのである。もちろん、そういう写真も撮ってはいる。普通のパパやママにはそういう写真は撮れないから撮ってあげるととても喜ばれる。しかし、一番撮るべきなのは「どこでなにをしていたか」が分かるような写真である。「ブロマイド写真」は1日1カット撮れば十分である。

11月10日に行った「写真展」では約600枚の写真を展示したが、多分その2/3は35mmレンズで撮影した写真である。残りの1/3が50mmと85mmとワイドズームレンズでの撮影である。10月の撮影からはXF50-140mm F2.8 R LM OIS WRを多用しているが、それはこれまで撮った写真とはニュアンスの違う写真を撮っておくためであって、子供の写真を撮るメインレンズは35mmだと思っている。

※3,290文字


by dialogue2017 | 2019-11-22 05:00 | トムソーヤ | Comments(0)

平凡な写真

なーんでもない普通の写真。世間の人が良く撮っている「記念写真」。絞りもF2.8と普通。ボケを見せる写真じゃない。ただ単に、この母娘がここに来たという「記念」に撮った写真。「ここに立ってください」「はい、こっちを見て下さい。撮りまーす」パチリ。それでおしまい。シャッターボタンを押しただけ(笑)。でも、こんななんでもない平凡な写真が二人には大切な思い出になる。私はそういう「平凡な写真」が一番好きだ。

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF 23mm F1.4 R ISO400 F2.8 1/210 -0.33EV AWB JPEG-Velvia 2019年11月4日 10:41撮影


平凡な写真_e0367501_17314221.jpg


by dialogue2017 | 2019-11-21 10:00 | ポートレート | Comments(0)

最近はこのブログに娘の写真を掲載することがほとんどなくなった。そもそも、この1年ぐらいは娘の写真を撮ること自体がほとんどなくなった。多少は撮ってはいるが全て「記録」としての写真でしかない。この写真も、たまたま「木間暮カフェ」の玄関を出たら目の前で娘が剣玉をしていたのでさっと1枚撮ったと言うだけの写真である。左下には「浄化槽」が写っていて写真としての美しさはない。しかし、このレンズの描写性能の優秀さはそれなりに出ていると思う。「自動コントラスト補正」を掛けた後にほんの僅かに微調整しただけ。2枚並べても「撮りっぱなし」と大きくは違わない。いまのデジタルカメラはただシャッターボタンを押すだけでこんなに綺麗な写真が撮れるのである。露出補正さえ掛けていない。

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF 23mm F1.4 R ISO400 F2.0 1/1500 ±0EV AWB JPEG-Velvia


FUJINON XF 23mm F1.4 Rについての話し_e0367501_15560901.jpg

FUJINON XFレンズは8本所有している。先日、仕事でFUJIFILM Xシリーズのカメラを使っているプロフォトグラファーから「プロより沢山持っている」とからかわれた(笑)。2017年3月末にX-T2・X-T20を購入した際にレンズを4本購入した。XF 10-24mmF4 R OIS、XF 23mmF1.4 R、XF 60mm F2.4 R Macro、XF 18-55mmF2.8-4 R LM OISの4本である。1年半ほど前まで、我が家は頻繁に「山歩き」をしていた。山は「広大」なのでワイド系ズームレンズが不可欠である。私は長い間EOS 5Dを愛用していた(初代とMarkⅢ)。初代の5Dはレンズキットで購入したがEF 24-105mm F4Lはほとんど使わなかった。とても便利なレンジのズームレンズでこれ1本あればだいたい何でも撮れると言うレンズであるが、山歩きには不向きなのである。私は家族旅行ではほぼEF17-40mm F4Lだけで写真を撮っていた。

もしEF 17-40mm F4Lに相当するレンジのズームレンズがなかったとしたら、EOS 5D MarkⅢからFUJIFILM X-T2に乗り換えることはなかっただろう。"XF 10-24mmF4 R OIS"というレンズが有ったからこそ5D3からX-T2に乗り換えることが出来たのである。"XF 10-24mmF4 R OIS"は135判(フルサイズセンサー)換算で15-36mmとなる。CanonにはEF 16-35mm F2.8Lと言うレンズが有る。プロカメラマンには使用している人が多い。しかし、私にはEF 16-35mm F2.8LよりEF 17-40mm F4Lの方が断然良かった。ワイド端の1mmの差は私にはどうでも良い。テレ端が35mmであるか40mmであるかの差は「天と地」である。40mmは「準標準レンズ」。僅か5mmの差であるが「人物写真」を撮る上でこの差はかなり大きい。40mmの方が自然な感じで撮ることが出来る。EF 17-40mm F4Lは非常に素晴らしいレンズである。

私は一年に撮る写真の半分以上を"EF 17-40mm F4L"で撮影していた。とても気に入っていた。"XF 10-24mmF4 R OIS"はAPS-Cセンサー用のレンズである。ボディのX-T2は言うまでも無くAPS-Cセンサー搭載カメラである。しかし、X-T2と"XF 10-24mmF4 R OIS"の組み合わせは、EOS 5D MarkⅢと"EF 17-40mm F4L"を愛用していた私を十分満足させてくれた。2年程前からあまり山登りに行かなくなったためこの2年程はこのレンズを使う頻度は極めて低くなった。しかし、このブログの「タブ」別ランキングでは未だに「XF 10-24mmF4 R OIS」が第3位である。それほど沢山使っていたと言うことである。

※追記。テレ端が40mmから35mm(相当)に短縮したのは残念であったが、ワイド端が2mm広がり15mm(相当)となったことは広大な風景を撮影することの多い山歩きでは大きなにメリットなった。私は10mm(15mm相当)域をかなり多用している。直線の多い街中ではパースが気になる場合があるが「山」ではあまり気にならない。

FUJIFILM Xシリーズの最初のカメラであるX-Pro1が発売されたのは2012年の2月だったと思う。欲しいと思った。レンジファインダーカメラスタイルに魅力を覚えたと言うこともあるが、XF 35mm F1.4 Rの作例写真を見て「このレンズで写真を撮りたい」と思ったのである。しかし、2011年末にPENTAX 645Dを買ったばかりであったし、2012年の3月にはEOS 5D MarkⅢを購入する予定であったのでX-Pro1は見送った。しかし、その後もXF 35mm F1.4 Rというレンズのコトはずっと気になっていた。だから、2017年3月末にX-T2を購入する際このレンズを買うつもりだった。しかし、「実用性」ということを考えてXF 23mm F1.4 Rを選んだ。私は「家族写真」を撮るためにX-T2とX-T20を買ったのである。旅先でテーブルを囲む際、私の正面には妻と娘が座る。テーブルを挟んだこちら側から二人を撮るのには63度という画角が一番合っている。つまり135判換算の「35mmレンズ」である。XF 23mm F1.4 Rの画角は63.4度、135判換算35mm相当のレンズである。と言うわけで、強く後ろ髪を引かれる思いでXF 35mm F1.4 Rを断念してXF 23mm F1.4 Rを買った。

にもかかわらず、この2年7ヶ月間、私はこのレンズをほとんど使わなかった。初期の頃には多少使った。非常に描写性能の優秀なレンズであると思ったが、購入した当時はまだ頻繁に山歩きをしていたのでほとんどの写真をXF 10-24mmF4 R OISで撮った。テレ端24mmなのでXF 23mm F1.4 Rの画角を含んでいる。もちろん"ボケ”は丸っきり違うし、描写力も違う。しかし、あくまで「記録としての写真」を撮っている私にはXF 10-24mmF4 R OISの画質になんの問題もなかった。それに、X-T2を買った3日後にサブカメラとして購入したX-T20と合わせて購入したXF18-55mmF2.8-4 R LM OISがとても良く映るレンズだったので、山歩き以外のシーンではほとんどこのレンズ1本で済ましていた。X-T20はレンズキットで購入したのだがこのレンズはいわゆる「キットレンズ」とは思えない高性能のレンズである。論より証拠、"このエントリー”からあと20エントリー続けてこのレンズで撮影した写真の「作例」が掲載してあるので見て欲しい(別に見たくても良いけれど・笑)。

私は「花」が好きなので旅先では花の写真を撮ることが良くある(最近はまったく撮らなくなったが2年前まではよく撮っていた)。花を撮るためにXF 60mm F2.4 R Macroを買った。そんなわけで、旅先ではXF 10-24mmF4 R OISとXF18-55mmF2.8-4 R LM OISとXF 60mm F2.4 R Macroの3本があれば十分だった。XF18-55mmF2.8-4 R LM OISがとても良く写るのであえてXF 23mm F1.4 Rに付け替えて撮影しようとまでは思わなかった(私は面倒くさがりでレンズ交換が嫌い)。以上のような理由で購入以来2年7ヶ月、XF 23mm F1.4 Rを使うことはほとんどなかった。意外とレンズが大きいこと、そして"フード”が最高に格好悪いこともこのレンズに手が伸びない理由だった。

XF 23mm F1.4 Rが素晴らしい描写性能であることを知らなかったわけではない。初期の頃にこのレンズを使って撮った写真の中には素晴らしい写真があったのでこのレンズの描写性能の高さはよく知っていた。しかし、くどいようだが私は「記録として」写真を撮っているので「家族写真」を撮る際に「描写性能」などということはあまり気にしていないのである。常用していたXF 10-24mmF4 R OISとXF18-55mmF2.8-4 R LM OISの2本は十分高い描写性能である。だからXF 23mm F1.4 Rを使うことがなかった。

この話は先週書いたが、半月ほど前友人である写真家のHさん(彼はFUJIFILMのアドバイザー的な仕事をしている。だから、この間発売前のX-Pro3でテスト撮影を重ねていた)に「FUJINON XFレンズのなかでなにが一番好き?」と聞いてみた。彼は迷うことなく即座に「XF 23mm F1.4 R」と答えた。「好きだと言うだけじゃ無く、描写性能も一番だと思います」とのことであった。私はXF 23mm F1.4 RよりXF 35mm F1.4 Rの「絵」の方が断然好きである。だから、Hさんの意見は少々意外であった。しかし、彼からそこまで言われると使ってみたいと言う気持になった。で、その後ちょこっとだけであるがXF 23mm F1.4 Rで写真を撮ってみた。このレンズの描写性能の高さは十分に知っているつもりであったが、改めてジックリと写真を見て認識を改めた。私が思っていた以上に素晴らしい描写性能のレンズであった。

「引っ越し」や「トムソーヤの森プロジェクト」の「写真展」などがあってこの間プライベートで写真を撮るゆとりがほとんどなかった。なにより、Hさんと頻繁に会っていることが写真を撮る機会を減らした。目の前で彼が熱心に撮影しているのを見ていると、つい自分は撮らなくてもいいやと言う気になるのである(笑)。別に気後れしているわけではない。2011年末に彼に「嗾けられ」彼とお揃いでLEICA X1を買った時には、彼に向かって「分かりました。お揃いで買いましょう。その代わり条件があります。X1でスナップした写真で"対決”しましょう。それを受けてくれるのならお揃いで買います」と言ったほどである(笑)。そんな私がプロと一緒であることによって気後れなどするわけが無い。ただ、私はなにをやるときも基本的に「一人」で行動することが好きで、「連んで」行動するのが嫌いなのである。だから、二人で写真を撮ると言うのがどうも性に合わないのである。そんなわけで、この間頻繁に彼と行動を共にしたことは、私をして写真を撮ることから遠ざけたのである。ただし、「写真とカメラについての話し」の方は堪能させていただいた(笑)。

そんなわけでXF 23mm F1.4 Rではほんのちょこっと撮っただけである。しかも、大して意味のない写真をささっと撮っただけである。しかし、そういう写真にもこのレンズの描写性能の優秀さは如実に表れていた。"この写真"もXF 23mm F1.4 Rで撮った写真である。奇麗な光の下にいるのを見つけてこの子のもとに走り寄って”チャチャチャ”と撮った写真の中の1枚である。しかし、このレンズの描写性能の高さをはっきりと見てとることが出来ると思う。きちんと"セッティングして撮影したらまだまだレベルの高い写真を撮ることが出来るだろう。

2017年3月末以後、カメラを3台購入している(X-T2・X-T20・α7Ⅲ)。レンズは12本購入している(FUJINON XFレンズ8本、SONY FEマウントレンズ4本)。しかし、ジックリと本気で撮影した写真なんて1枚もない。いつでも"チャチャチャ”としか写真を撮ってこなかった。元々私はそういう撮り方しかしてこなかった。仕事で写真を撮っていた時も同じだった。これは持って生まれた"性分”なので如何ともしがたい。ようするに「いい加減」なのである。しかし、このレンズには「一度真面目に使ってみたい」と思わされた。奇しくも、同じ「35mmレンズ」であるDistagon T* FE 35mm F1.4 ZAにも強く魅了されている。こちらもまだ一度も「本気」で撮影に使ったことが無い。

とここまで書いて思い至った。私は「本気」で写真を撮ったことがあるだろうか? もしかしたら一度も無いのでは無いかと思う。私なりに真面目に撮ったことは沢山あるが、「本気で撮った」と言えるような撮影は一度もしていないと思う。いや、間違い無くそんなことをしたことは一度も無い。そもそも、「本気で撮ってみたい」と思ったこと自体が無かった。ちょうど一年前、初めてそういう思いを抱いたのだが、残念ながらその希望は実現しなかった。

XF 23mm F1.4 RにしてもDistagon T* FE 35mm F1.4 ZAにしても、「人物」を撮った時にこそ"真価”が現れるレンズだと思う。もちろん、根本的に優秀なレンズなのでなにを撮っても美しい写真に成ると思うが、やはり「人物写真」でこそその真価を見せてくれるレンズだと思う。この2本のレンズで「女性ポートレート」を撮ってみたいと思う。もちろん、きちんと"セッティング"して撮りたい(アベイラブルライトで撮るけれど「光」をきっちりコントロールして撮影する)。問題は「モデル」である。3人ほどモデルになってくれるという女性がいる。そのうちの一人はかなりの美人である。でも、「本気」にはなれそうに思えない。だから、重い腰が上がらない。

そうそう「本気で撮ってみたい」と思えるような女性とは出会わないだろう。美人はいくらでもいる。でも、美人なら本気で撮ってみたくなると言うわけでは無い。もしかしたらもう二度と「本気で撮ってみたい」と思うような女性とは出会わないかもしれない。まあそうなったらそれで構わない。どうしても撮らなければ死ねないと言うわけではないから(爆)。

そんなわけで、この2本の「35mm」レンズを使って本気で写真を撮るような機会は当面訪れそうにない。で、ワンランク落として「真面目に撮ってみる」ということにチャレンジしてみようと思う(笑)。その場合、別に「人物写真」じゃなくても構わない。もちろん、「人物」である方が望ましいが、「本気」レベル以下で女性ポートレートを撮ると言うのも抵抗があるのである。だから、取りあえず「散歩道」で「枯れ木」でも撮ってみようと思う(爆)。撮ったらここに掲載するので乞うご期待(一番上手に撮れたカットは「秘匿」するけれど)。

※4,624文字。ひとつ前のエントリーと合わせて11,796文字。久しぶりに1日に1万文字以上書いた。頭がスッキリした。
※追記は140文字。


by dialogue2017 | 2019-11-20 23:00 | 写真とカメラの話し | Comments(1)