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明日は娘が初めてボルダリングのコンペに参加する。埼玉県の会場まで送っていくため朝早起きしなければならない。そのため、今日は0時過ぎには就寝するつもりである(ここ最近は午前4〜6時に就寝することが多かった)。今からサウナに行ってくる。帰ってきて軽く一杯飲んで就寝する。つまり、もうあれこれ書く時間は無い。明日からは書くつもりが無いので、これが当面最後のエントリーとなるだろう。

今回は、日中郵便局を往復した際に撮った36枚の写真から2枚の写真を掲載する。上にリサイズしただけの「撮りっぱなし」ファイルを掲載し、その下に極簡単にレタッチしたものを掲載する。その両者を見比べて、各自好きなように考えて欲しい。

自宅近所の民家の玄関先を撮らせていただいた。「ああ、ブログネタになるな」と思って撮った(笑)。ご覧のように、写真右斜め半分が「シャドー」で、左斜め半分が「ハイライト」という輝度差の大きな構図である。比率としては「明るい部分」の方が幾分多い。下の写真はリサイズしただけの「撮りっぱなし」ファイルである。撮影した際には露出補正は掛けていない。±0EVである。頭にたたき込んで置いて欲しいことは、「画角内」に「明るい」部分の方が多い場合、露出はそれに引っ張られるので補正を掛けずに撮ると幾分アンダーになるということである。写真の知識ではイロハの範疇の事である。

ということは、この構図で撮影した場合、若干露出アンダーになると言うことである。右下がかなりのシャドーなのでプラスマイナスで「相殺」される割合が高い。私は補正を掛けずに撮ったら1/3段ほどアンダーに出ると予想した。結果、ハイライトの明るさが不足した写真となった。多分1/3段ぐらいだろう。シャドーの部分が結構あるため、ハイライトは相対的に明るく見える条件である。そのためこのままでもあまり違和感を覚えないだろうが、ヒストグラムを見れば明るさ不足は一目瞭然である(面倒なので掲載しない)。

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下の写真は上の写真に「自動コントラスト補正」を掛けた上で「50%」にフェードしたもの。補正効果を半分にしたと言うことである。半分にした理由は、補正が効きすぎてハイエストライトが飛んでしまったからである。元ファイルの段階でまずまずのコントラストだったので落としどころを「50%」とした。60%とか40%と比べることはしていない。数字で直接「50%」と打ち込んで終わりである。つまり「勘」である。やったことはそれだけである。上の写真と比べると左側の明るさが明るくなった。コントラストも付いた。上の写真よりは見栄えが良くなった。上の写真を単独で見た場合には左半分の明るさ不足はあまり目立たなかったかもしれないが、下の写真と見比べると明るさ不足がわかると思う。念のために書いておくが、下の写真がベストのレタッチというわけでは無い。上の写真の欠点を浮き立たせるための「比較材料」として作ったに過ぎない。

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下の写真は「林」の中の陽だまりを撮ったもの。-0.33EVの補正を掛けて撮った。画角内にはシャドーの占める面積が広いのでそれに引っ張られてハイライトが飛ぶだろうと予測しそれを抑えるために-0.3EV補正とした。結果は「ほぼ白飛び無し」と言っても良いが、厳密にはどこか1点が僅かに飛んでいる。写真下にヒストグラムを掲載しておく。±0EVで撮影していたらハイライトはもう少し飛んでいると言うことである。それを抑えるための露出補正である。ちなみに、この光景を撮ろうと思ったときかなり無意識に近い形で-0.33EVの補正を掛けて撮っている。長年の経験で眼が判断してくれるのである。

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下の写真は、上の写真をトーンカーブを使ってハイライトを若干持ちあげ、シャドーを若干落としたものである。他には何もしていない。私はこの「トーンカーブ一発」でレタッチを終わらせることもかなり多い。結局、そういう「微調整」で済む露出で撮っておくことが重要なのである。

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下は上の写真のヒストグラムである。撮りっぱなしの写真のヒストグラムとほぼ同じ形である。当たり前だ。僅かにハイライトを持ちあげて僅かにシャドーを落としただけなのだから。ハイライトの方がほとんど変わっていないが、シャドーはぱっと見でわかる程度に落ちている。「陽だまり」を見せる写真なのだから周囲のシャドーは若干落とした方が良い。その方が「陽だまり」が輝いて見えるから。ヒストグラムの形はそっくりだが、よく見ると左側の山の「幅」が少し狭くなっている。つまり、ハイライト側が減りシャドー側に寄ったと言うことである。そのことによって写真全体のコントラストが若干上がり、シャドーが落ちたこととの「相対関係」からハイライトが明るく見える。実際にはハイライトの明るさはほとんど変わっていない。

昨日から書いていることは基本的に「露出補正」の事ばかりである。私が読者に伝えたいことはひとつである。短い文章で解答できることである。その答えは、「誌上レッスン」のどこかにそのものズバリの文章で書いていたと思う。各自勉強して欲しい。もう一度書いておくが、これは写真の基礎知識である。私が「3B」(爆)をやるとしたら、一番最初の座学で教え、最初の実地撮影で体験させる内容となるだろう。

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追記。トーンカーブをどの程度動かしたかわかるようにしておく。ご覧のようにハイライトを僅かに持ちあげシャドーを僅かに落としただけである。私のレタッチは基本的にこの程度で済ましている。他には何もしてない。だから、私のレタッチは「10秒レタッチ」なのである。それで済む理由は、撮影時に適正露出に近い露出になるよう補正を掛けて撮っているからである。

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by dialogue2017 | 2018-11-30 21:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

この間問題にしているのは「露出」と「露出補正」である。本稿を読んだ上で、もう一度整理して考えて欲しい。始まりは「初心者A」君が撮った写真が「白飛び」している事であった。そして「露出補正」をテーマに取り上げた。その後に書いたエントリーは基本的にはこのテーマについてニュアンスを換えながら繰り返し論じてきた。もう一度、整理して考えて欲しい。「解答」の発表は半月後かもしれないし一月後かもしれない。

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上の写真のヒストグラム。ハイライトが非常に少ない。しかし、写真の見た目はどうであろう?

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上の写真は、昨日の午前中Sonnar T* FE55mm F1.8 ZAの最短撮影距離を「体感」するために撮った写真である。目的は、被写体にどれだけ寄れるかということを「体感」することであった(その限界が50cmであることは承知している)。自分の「感覚」を確認するためにやったことで、撮影した写真には何の意味も無い。合わせて「絞り開放」の被写界深度の「浅さ」も確認しておきたかったのでこの写真はF1.8で撮影した。

そういう目的で撮影した写真なので写真そのものには何の意味も無い。自分の体感としてどれくらい寄れるのか、最短撮影距離で絞り開放で撮ったときに「被写界深度」がどれほど「浅い」のかを見ておきたかったと言うことである。

この写真を見たときに私は小さくない違和感を覚えた。そのわけは、一番手前側の葉にピントが合っていないからである。こういう写真を撮るときには一般的には一番手前側にピントを合わせるのがセオリーだ。いや、理想的な撮り方はこの葉の部分のほぼ全体にピントが来るように絞り込んで撮影するのが望ましい。全体にピントが合っている方が目に「落ち着く」からである。「後ろボケ」はそれほど違和感が無いが、こういう構図で「前ボケ」が入ると全体として「ピンぼけ」っぽいイメージなる。もし、奇麗に見せようと思って撮影していたら最低でもF2.8まで絞って撮った。背景は落とすつもりで撮っているのでF4でもF5.6でも良いところだ(どのみち背景は写らないから)。この写真は自分が知りたいことを確認するために撮っただけで「見せる」ことを前提に撮った写真では無い。

しかし、「教材」となると思って敢えて見せることにした。この写真を撮影したのは昨日の12:31である。ピーカンという感じではなかったが太陽の光はあった。ちょうど太陽が一番高い位置にある時間帯であるのでこの"葉”にもほぼ「真上」から太陽光がさしている。実はこの写真は-1.67EVの補正を掛けて撮っている。撮りっぱなしの元ファイル(カラー)を見せた方がわかりやすいが、-1.67EVものマイナス補正と掛けて撮影してるが、葉の表面はそれほど暗くない。いや、そこに光が当たっているのがはっきり分かる。

人間の眼にはこの"葉”と奥の"背景”の輝度差はあまり感じられないのだが、カメラのセンサーにとっては"葉”と”奥”の輝度差はかなりある。だから、-1.67EVもの補正を掛けたことによって「光量」の少ない"奥”が落ちた。元ファイルではここまで「黒く」ないが(そもそもカラーである)、"背景”はそこそこ暗く落ちている。

人間の眼のは高性能HDR機能を持っている。強い光源を直接見る場合を除くと、人間の認識には「白飛び」も「黒潰れ」もない。比喩的に言うなら何を見ても「フラット」で均一的な明るさに見えるように調整される。しかし、カメラの撮像センサーはそういう訳にはいかない。近頃のデジタルカメラには14EVという広い幅のダイナミックレンジを持つものがある。しかし、我々がデジタルフォトを見るために使用する「液晶ディスプレイ」のダイナミックレンジはその半分程度しか無いのである。それは、カメラの背面モニタでも事情は同じである。つまり、我々は事実上撮像センサーが記録可能なダイナミックレンジの幅の半分ぐらいの幅で画像を見ているのである。

カメラの撮像センサーが記録できる光の範囲は「狭い」。ダイナミックレンジの幅を超えてしまえば「白飛び」するし「黒潰れ」する。天気が良い日の我々の身の回りの光景の多くはデジタルカメラのダイナミックレンジの幅に収まらない輝度差があるのである。このことを理解していないから、「白飛び」する写真を直ぐに撮ってしまうのである。「自分の目」で見たままに判断しているわけである。それでは上手な露出で撮ることは出来ない。目の前の光景を自分の目で見たイメージで理解するのでは無く、撮像センサーの「眼」で理解して露出を決める必要があるのである。「初心者A」君がこの間僅かずつ「白飛び」した写真を撮り続けた理由は、「撮像センサー」の「眼」で目の前の光景を見ていないからである。

彼にそんなことができるわけが無い。10年間写真を撮り続けてきた人々100人の中に、目の前の光景を「撮像センサーのダイナミックレンジで見る」などということをやっている人が何人いるだろうか? 「そんなことただの一度だって考えたことが無かった。いまこのブログを読んで初めてそんな発想に触れた」と言う人が90人以上だろう(こういう発想はどんなカメラ教科書にも書いていない)。いや、下手すれば100人の中に1人以下の割合かもしれない。凡人というのはそういうものなのである。そして、少なく見積もっても世の中の90%は凡人なのである。

しかし、ある特定のジャンルに関してであれば凡人を脱することはさほど難しくない。高い能力を持つ「師」について学べば良いだけである。「2B」出身の写真作家の多くは、特別高い才能の持ち主であった訳では無い。長年研鑽を積み重ね「高見」に達した「師」から「手ずから」の「指導」を受けたことによってハイレベルなスキルを身につけたと言うだけの話である。写真は80%までは「理論」と「技術」で解決するので、一定の高見にまでであれば誰もが到達可能である。だから、「作家」には誰でもなることができる。問題は、「本物の作家」になれるかどうかだ。「普通の作家」には誰でもなれる。しかし、その先は誰もが達せる場所では無い。

参考の為にカラー写真を載せておく。撮りっぱなしファイルをまずリサイズしてしまい、「自動コントラスト補正」を掛けた上で50%にフェードし、最後にトーンカーブで少しコントラストを持ちあげた(ハイライトを若干持ち上がげシャドーを落とした)。レタッチ所要時間15秒(笑)。そんなに掛かっていないかな。この写真を撮影したときは「曇り空」と言うほどでは無いものの強い光では無かった。多少日陰になる場所なので葉に当たっている光は弱い光であった。考えて欲しいことは、この写真は上に書いたように-1.67EVもの補正を掛けて撮影していると言うことである。

写真の下にカラー写真の方の「ヒストグラム」を掲載しておく。上に掲載した「モノクロ」のヒストグラムも

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by dialogue2017 | 2018-11-30 20:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

「最短撮影距離」で「絞り開放」で撮ってみようと言うだけの動機で撮った写真。地面から15cmほどのところにある葉なのでEVFを覗いて撮ることは出来なかった。背面モニタをチルトさせピントリングを最短撮影距離にセットして少しずつ寄って行って狙ったところで合焦したと思ったときにレリースした。一発でほぼ狙ったところにピントが来た。

輝度差を利用して背景を落として撮っている。後の「黒い」部分は民家でシャドーを起こせば乗用車が浮き出てくる(笑)。寄って開放で後をぼかしてしまい、輝度差を利用して背景は黒く潰した。まあ、この写真は適当に撮った写真でしか無いが、35mmF1,4というレンズは寄って開放で撮るといろいろな「絵作り」ができる。Distagon1,4/35の魅力である。

レタッチは、Photoshop CCで「自動コントラスト補正」を掛けて「80%」にフェードしただけ。一番良くやる方法(笑)。

SONY α7 + Carl Zeiss Distagon1,4/35(Y/C) ISO50 F1.4 1/4000 -0.67EV AWB ピクチャースタイル「ビビッド」(Raw)

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レンズの最短撮影距離はそのレンズの「焦点距離cm」前後であることが多い。50mmレンズなら「50cm」。35mmレンズなら「30cm」とかである。私は最近FUJIFILM X-T20にFUJINON XF35mm F1.4 R(135判換算約50mm)を付けて持ち歩くことが多い。「汎用性」はXF23mm F1.4 R(135判換算約35mm)の方が高い。有り体に言えば、XF23mm F1.4 Rの方が断然使いやすい。描写性能も互角と言って良い。私が XF35mm F1.4 Rの方を使う一番大きな理由はレンズが小さくて軽いからである。そしてもう一つ大きな理由がある。XF35mm F1.4 Rは最短撮影距離が「28cm」なのである。これはもうMACROレンズと言っても良い短さである。ちなみに、正真正銘MACROレンズであるXF60mm F2.4 R Macroの最短撮影距離は「26.7cm」なのである。ほとんど同じである。「寄れる」というのはレンズにとってもの凄く大きな武器なのである。

少し話が逸れるが、一月半ほど前であったか、鎌倉に一泊した翌日XF23mm F1.4 Rでスナップをしてみた。しかし、6〜7枚撮ったところで私はレンズを換えた。理由は、35mmは簡単に撮れすぎるので面白くないのである。35mmだって寄ったり引いたりしていろいろな「絵作り」を楽しむことが可能だ。しかし、ぱっとレンズを向けるとだいたい「収まって」しまうのでついシャッターボタンを押して終わりにしてしまう。しかも、それできちんと「纏まっている」のである。当然だ。「収まって」いれば写真は「纏まる」。好き嫌いはあるだろうが、私の場合35mmは簡単に収まる。

私は以前から50mmレンズが一番好きだったのだが、最近50mmはちょっと苦手である。近すぎるのである。ついつい、引いて撮ることが多い。昔はそうでは無かった。50mmですっと「収まる」ことが多かった。どうして変わったのかというと、私の「ものの捉え方」が以前とは変わったからである。どうして変わったのだろう? 単に年を取ったから変わったのかもしれない。しかし、私はスナップに85mmを使うようになったことが影響しているのだろうと推測している。85mmの「間合い」「画角」に馴染んだ結果、自分の中で50mmの「間合い」が薄れたのだと思う。35mmの「間合い」が薄れない理由は、そういう画角だからである(笑)。35mmとか28mmというのは何もしなくても「収まる」画角なのだ。

私はこの2年程35mmレンズをほとんど使っていなかった。XF23mm F1.4 RはX-T2を買った時に最初に買った4本のレンズの1本である。その時にはズームを2本とマクロレンズを1本買ったので、普通の(?)単焦点レンズはXF23mm F1.4 R1本であった。私はXF 35mm F1.4 Rの写りがもの凄く好きで、2012年にX-Pro1が発売された時XF 35mm F1.4 Rの描写性能に魅了されてX-Pro1を欲しいと思ったほどである。その私がXF 35mm F1.4 Rを選ばずにXF 23mm F1.4 Rを選んだ理由は「使い勝手が良い」からである。(135判換算)50mmより35mmの方が断然潰しがきく。

そんなわけで、一月半程前にXF 23mm F1.4 Rを使ったときは数ヶ月ぶりの使用であった。「たまには使って上げよう」と思って使ったのに6〜7枚撮って辞めてしまったのはあまりに撮りやすいからである。「撮りやすい」と「絵作り」しないで撮ってしまうのである。結果としてただ平凡なだけの写真に成ることが多い。私は「平凡な写真」が大好きなのでそれはそれで一向に構わないのだが、この時期、私はあれこれ「試し」ながら撮っていたので「撮りやすい」ことはデメリットだったのである。

昨日、ちょこっと(10枚ほど)庭に咲いている花を撮った(その写真は昨日アップした)。久しぶりにDistagon1,4/35(Y/C)を使って「いいな〜」と思った。現代のレンズであるSonnar T* FE 55mm F1.4 ZAより明らかに美しい描写なのだ。「世界一の35mm」とまで言われたレンズは矢張り違う。そのDistagon1,4/35を持って往復1kmの「散歩」をしてきた。昨日「最短撮影距離」の話を書いたばかりであったので何枚か最短撮影距離で撮ってみようと思って家を出た。往復で36枚の写真を撮った。奇しくもフィルム1本分である(笑)。

最短撮影距離で撮った枚数は10枚前後だと思う。すべて絞り開放で撮ったので完全にジャスピンと言えるカットは2〜3枚しか無かった。自分でファインダーを覗いていてわかるのだが、レンズが前後左右上下に揺れている。5mm外したらピンぼけになるのだ。もちろん、もの凄く集中して撮影すれば3〜4カット撮ればどれかにジャスピンが出る確率はそこそこある。しかし、そこまでやる気は無いし、やる動機が無い。もし、Distagon1,4/35で撮った写真の美しさを見せようと思ったら、三脚にレリース持参で撮りに行くだろう。いや、「本気」になったら「脚立」だって持って行くだろう。絞り開放で最短撮影距離から撮るにはそれくらいの「覚悟」が必要である。

長い話になったので一番肝心な「結論」については説明を省いて結論のみを記して終わりにする。35mmレンズの醍醐味は間違い無く「寄って撮る」ことにあるだろうと思う。もちろん、そういう写真ばかりを撮ったら「陳腐」きわまりない写真が並ぶだけだが、例えば同じ35mmレンズで撮った写真を30枚展示するとしたら、その中のベストショットは「寄って撮った」写真から出る可能性はかなり高いだろうと思う。もちろん、撮り手の「作風」によってはそうならないが、私は35mmレンズの大きな魅力は「寄りのカット」にあると思う。

私自身はほとんどそういう写真を撮らない。なぜなら、そういう写真は「作品」だからだ。これまで私には「作品」志向は全くなかった。「写真の最大の価値は記録」と言って憚らなかった。そこには「ふん、作品なんて撮って何になるんだよ?  誰かに褒められたいだけだろ」という「悪意」が含意されていた。もちろん、トコトン真剣に「作品」を撮っている人間に対しては素晴らしいと認めている。私が「見下して」いるのは「ごっこ」をやっている諸君である。まあ、上に掲載した写真なども紛れもない「ごっこ」ではあるが(笑)。

寄って撮れば「パース」の付いた写真になる。そこは"諸刃の剣”だ。仮に絵になっとしても「いかにもありがち」な作品に止まることが多いと思う。そういう作品を飽きるほど見ている。私が言う「寄る醍醐味」で撮る写真というのはそういう写真では無い。私の考えは一般的では無いだろうと断った上で語るが、私が醍醐味だと思う寄って撮った写真というのは、「寄って撮った」ということを強く感じさせない「平凡な絵柄」に仕上げた写真の事である。見る眼のある人が見て初めて「上手く撮っているな〜」とわかるような写真である。

語弊を恐れずに書くが、誰もが「素晴らしい」と思うような写真は割と簡単に撮れるのである。プロの写真家の作品でもそうであるが、本当に素晴らしい作品というものは意外と「見る目」が無い人にはわからないような写真なのである。ひとつの例を挙げるなら、「淡い光を掬い上げるように撮った」写真がそういう写真だと思うが、それは「光を見る」「磨かれた目」が無いと気がつかないものなのだ。


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by dialogue2017 | 2018-11-30 16:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

もう山茶花の時期なんだな〜。カメラを持って散歩をするのが楽しくなるな。Distagon1,4/35は光を沢山取り込んでくれる。

SONY α7 + Carl Zeiss Distagon1,4/35 T* (Y/C) ISO100 F1.4 1/1600 -0.67EV AWB ピクチャースタイル「風景」(Raw)

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妻から郵便局に行って「定額小為替」を購入して郵便物を出して欲しいと頼まれ、自宅最寄りの郵便局に行ってきた。それで自宅から500mほどの距離を往復した。もうここ数ヶ月、自宅近隣では全く歩いていない。春先には毎日3kmの散歩をしていたのに、最近は家から300mほどの場所にある「コープ」に買い物に行くとき以外は自宅周辺を歩くことは皆無である。今日はとても天気が良いし、車で行く距離では無いので歩いて行った。

玄関の脇に置いてある「ドライボックス」の上に昨日使ったDidtagon1,4/35の付いたSONY α7があったので持って出た。Planar1,4/50に付け替えようかと思ったが考え直してそのまま持って出た。考え直したわけは、「最短撮影距離」まで寄って撮ってみようと思ったからである。焦点距離50mmのPlanar1,4/50の最短撮影距離はたしか0.45mだったと思う。それほど寄れないし、50mmで45cmまで寄っても割と普通の絵にしかならない。しかし、35mmで30cmまで寄ると「絵作り」ができる。そうなのだ。寄れることのメリットは「絵作り」が出来ることなのである。

上の写真は最短撮影距離で撮ったものでは無い。多分、50cm程度から撮っていると思う。最短まで寄らずに撮った理由は、背景を少し多めに入れようと思ったからである。最短まで寄ると後に写っている「玉ボケ」がもっと大きくなり、もっとボケてふんわりと写る。それはそれで奇麗なのだが、手持ちで開放F1.4で最短まで寄って撮ったらピント合わせが大変だ。いくらピント拡大表示やピーキング表示があってもカメラを持つ人間の手は絶対に静止しない。上下左右前後に微妙に揺れている。寄れば数ミリ外したらはっきりピンぼけとわかる写りになる。30cmの間合いで撮るか50cmの間合いで撮るか違いはピント合わせ上からも大きい。被写界深度が変わるからだ。寄れば浅くなる。で、少し「引いて」撮った。

中腰にならないと撮れない高さに咲いていたので1枚撮って終わりにした。このあと「最短」で2枚撮ったのだが、2枚とも僅かにピントを外した。レンズが5mm前後してしまったらピントを外す。F1.4で30cmの距離から撮影すると言うことはそういうことなのである。きちんとピントを合わせようと思ったら三脚が不可欠だ。手持ちでピントを合わせたいのなら少なくとも10枚ぐらいは撮っておく必要がある。しかし、そこまでやる気は毛頭無い。そもそもマニュアルフォーカスレンズのF1.4を手持ちで、しかも寄って撮ろうなどと言うことは「難題」なのである。1枚撮っては拡大表示してピントを確認し、また撮って確認しと言う作業を10回ぐらいくり返すつもりが無ければ最初から撮らない方がいい。まあ、一発でジャスピンと言うこともあるが、そういうことは滅多にない。だから私はそういう撮り方をしない。

しかし、明日からはオートフォーカスのDistagon1,4/35を使うことができるのだ。当分の間毎日幸せな気分だろう(笑)。おまけにPlannar1,4/50もやってくるのだ。盆と正月が一緒に来るような話だ(笑)。

さて、この写真も「教材」性に飛んだ写真である。この写真1枚で沢山のことを教えることができる。とくに「露出」について色々解説することができる。くどいほど重ねて書いているが、写真撮影においてもっとも重要なことは「露出の決定」なのである。極論すれば、やることはそれ以外に何も無い。今はピントだってホワイトバランスだってオートでやってくれるのだ。絞り値と露出以外撮影者が決めることなど残っていないと言っても過言では無い。そうなると、写真の「良い」「悪い」は(構図を度外視すれば)「露出」の「上手い」「下手」に左右されると言うことになる。もちろん、それがすべてであるわけではないが、それが「決定的」なまでに重要であることは事実である。

実は、上の写真は、昨日アップした"この写真”"この写真”と「共通する」条件で撮影している。いうまでもなくそれは「露出」に関する事である。昨日アップした2枚の写真はどちらも「日陰」で撮ったものである。太陽の「光」は目に見える形では写っていない。それに比べ上の写真には「太陽の光」が写っている。しかし、昨日掲載した2枚の写真と上の写真は「本質的」には「同条件」なのである。

この「本質的に同条件」が何であるのかを即答できるようになったところが、写真のスタートラインである。


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by dialogue2017 | 2018-11-30 15:00 | 写真とカメラの話し | Comments(2)

昨日、写真家の水谷充さんと「チャット」をしていた。2時間以上にわたって会話をしていたのだが、文章でやりとりしているのでその全部が記録として残っている。互いが書いた文章を全部ここに「紙上再現」したら内容が豊かで価値があると思うが、ちょっと"深い”話が多いので、読者には伝わらないだろうから辞めておく。

最初、水谷さんにはα7Ⅲの「瞳認識AF」の精度と、24-70mm F2.8と24-105mm F4のどちらが良いと思うかという質問をした。その直前に同じ質問を写真家の塙真一さんにして解答を得ていた。水谷さんとのチャットが始まったときにはまだ塙さんとのチャットも終わっていなかったので、しばし私は二人の写真家と同時進行でチャットをした。小学生時代に聖徳太子と言われた男だから二人相手ぐらいは楽勝である(笑)。

塙さんも水谷さんも24-105mm F4の方がお勧めというアドバイスであったことは昨日すでに書いた。私自身、24-105mm F4にするつもりであったのだが、もしお二人のどちらかから24-70mm F2.8の方がお勧めですというアドバイスが届いたらその理由を聞いた上で再検討しようと思っていた。私はカメラやレンズを買うときには毎回塙真一さんに相談するのだが、例外なく自分が決めていたカメラやレンズを勧めて貰うことになった。そうなることを想定して相談しているのであるが、「見落とし」があるかもしれないのでプロの意見を聞いている。

今回、水谷さんは24-105mmを勧めてくれたとき次のように書いてくれた。

そうですね~ 24-105かなぁ~僕も。最短撮影距離をチェックしてくださいね。タムロンの28-75は、そこが凄い。ワイド側で、19cm、テレ側で39cm 寄れるレンズなんですよ。使いやすいです

水谷さんは、TAMRONからサポートを受けているので彼がTAMRONのレンズを愛用しているのは当然のことだと思っていたが、TAMRONの28-75mm F2.8(このレンズは魚住誠一氏も愛用している)の最短撮影距離がこれほど短いことについては知らなかった。CanonのEF24-70mm F2.8L Ⅱの最短撮影距離は「0.38m」であるから、TAMRONの19cmというのが如何に凄いかわかろう。Canonのちょうど半分、19cmも余分に寄ることができる。これは相当大きい。レンズは寄れるに越したことは無いのである。

SONY FE24-105mm F4の最短撮影距離は0.38mである。私が天秤に掛けたFE24-70mm F2.8 GMの最短撮影距離も同じく0.38mであるのだが、両者はテレ端の焦点距離が異なるため「最大撮影倍率」が異なる。前者の最大撮影倍率は「0.31倍」で後者は「0.24倍」である。この差は大きい。事実上FE24-105mm F4の方が「寄れる」のと同じことであるから。このメリットは大きい。FE24-105mm F4の方を選んだ理由の一つである。

ポートレートを撮影する際、私なら38cmまで寄れれば十分である。しかし、作画能力の高い人なら19cmまで寄って絵を作ることもあるのだろうと思う。残念ながら私にはそういうセンスが無い。このあとポートレートを撮り込んだらそういう寄った撮り方もできるようになるかもしれないが、今のところ38cmで十分である。

ただし、水谷さんはポートレートに限った話をしているわけではない。ズームレンズの場合、ちょっとしたときにそれ1本だけで出歩くと言うこともあるだろう(あくまでもプライベートでの話し。プロフォトグラファーが撮影にレンズ1本で出向くなどと言うことはありえない)。その場合、19cmまで寄れるというのは相当大きなメリットである。もうほとんどMacroレンズだと言っても良いのだから。

プロフォトグラファーであれば誰でも「寄れるに越したことは無い」と思っている。例外はいないだろう。ポートレートを撮っていてもあと30cm寄りたいということがある。タレントのポートレートを撮る仕事も多い写真家の小澤太一君はEF85mm F1.2Lを持っていながらSIGMA 85mm F1.4も持っていた。2011年のことだった思うが、「なんで2本持っているの?」と聞いたことがある。「SIGMAの方が最短が10cm短いからです」という答えだった。「画素数の多いデジカメで撮っていても10cm寄りたいと思うもの? トリミングじゃダメなの?」と聞いたところ「ダメです。撮る時に寄って撮りたいです」と返ってきた。

その気持ちはわからぬでも無かったが、その時の私には切実さは無かった。この話の1年半ほど後に私は写真館を始めたのだが、写真館でポートレートのロケ撮りをやるようになって小澤君が言っていたことを実感のレベルで理解した。仕事で写真を撮ると言うことは、アマチュアのお父さんが娘を撮るのとはやはり訳が違うのである。余談だが、私は小澤太一君からSIGMA 85mm F1.4とSIGMA 50mm F1.4を貸して貰いこの2本を使うようになったのだが、結局丸2年も借りっぱなしだった。写真館を始めた後同じレンズを購入した後も借りていて同じレンズが2本ずつあった(笑)。いろいろな面で彼にも世話になった。ここ数年ご無沙汰しているが彼には感謝している。

さて、「寄れるに越したことはない」と言われて、「それはそうですよね」と思った人はある程度写真を撮り込んでいる人だ。そういう実感が無い人はまだ写真を理解出来るほどに写真を撮っていないと言うことである。いや、キャリアが長く沢山撮っていても「物事を対象化」しない人であれば実感が無いだろう。

1mなり2m離れた同じ距離から人物を撮るとしよう。当然、35mmレンズで撮影するより50mmレンズで撮影した方が人物を「大きく」写すことが出来る。最短撮影距離以上の間合いで撮った場合、焦点距離が長いレンズの方が被写体を大きく写すことが出来る。しかし、最短撮影距離どうしでの「勝負」となると、焦点距離の短いレンズの方が被写体を大きく写すことが可能になる場合がある。

例えば、散歩スナップをしていて見かけた花の写真を撮ろうと思ったとしよう。50mmレンズの最短撮影距離が50cmで、35mmレンズの最短撮影距離が30cmだった場合、後者の方が花を大きく写すことが出来る。もちろん、パースペクティブという問題があるから、大きく写すことができる(詰まり寄れる)と言うだけの理由でレンズを選べば良いと言うことにはならないが、レンズが1本しか無ければそのレンズで撮るしか無い。その場合、やはり「寄れるレンズ」というのは使い勝手が良いのである。

私は、SONY α7Ⅲとレンズを4本購入しようと考えている。1本はFE24-105mm F4 G OSSである。取りあえずズームレンズはこの1本で済ます(16-35mmは欲しいが取りあえず我慢する)。単焦点レンズの3本は、Distgon T* FE35mm F1.4 ZA、Planar T* FE50mm F1.4 ZA、そしてFE 85mm F1.4 GMである。しかし、ボディとレンズ4本を購入すると100万円に手が届きそうな金額となる。で、とりあえずレンズを3本にして1本外すことを考えた。手元にSonnar T* 55mm F1.8 ZAがあるのでPlanar T* FE50mm F1.4 ZAをはずそうと考えたのである。

で、今朝、Sonnar T* 55mm F1.8 ZAで一昨日花開いたばかりの玄関前の薔薇の花を撮ってみた。いやー、花を撮るのに最短撮影距離が50cmというのは辛い。全く寄れない。ポートレート撮影で使う分には50cmまで寄れれば十分である。そんなに寄ったらモデルさんに嫌がられる(笑)。しかし、散歩スナップにも使うことがあるだろう。ところが、Planar T* FE50mm F1.4 ZAの方も最短撮影距離は同じ0.5m(だいたい焦点距離の数字と同じ数字ぐらいが最短撮影距離になるのである)。だからどちらを使っても寄れる距離は同じ。Planar T* FE50mm F1.4 ZAは使ったことが無いので断定的には語れないが、Sonnar T* 55mm F1.8 ZAより描写性能が高いことは確かだ。私はYashica-ContaxマウントのPlanar1,4/50を愛用していた。一時このレンズが一番好きだった。だから、できればPlanar T* FE50mm F1.4 ZAの方を使いたい。

さて、ここでこの話の結論なのだが、Distgon T* FE35mm F1.4 ZAがメインレンズになるかもしれない理由は、その描写性能の高さと言うこともあるが、寄れるというアドバンテージがあるからなのである。で、今朝Sonnar T* 55mm F1.8 ZAで薔薇の花を撮った後、Yashica-ContaxマウントのDistagon1,4/35でも同じ花を撮ってみた。その比較写真を以下に掲載する。これは「ブログネタ」として撮った(笑)。初心者の諸君にこういうことも知っておいて貰おうと思ってである。

最短撮影距離というのはカメラの「撮像面」から被写体までの距離である(カメラの軍艦部には必ず「撮像面マーク」が記されている)。α7にDistagon1,4/35を装着すると撮像面からレンズの先端まで13cmほどある。最短撮影距離は30cmであるがレンズ先端から被写体までの距離は約17cmとなる。この距離を「ワーキングディスタンス」という。

「寄れる」ことの意味を観て貰うために撮った写真なので奇麗に撮ると言うことは考慮外で撮っている。Sonnar T* 55mm F1.8 ZAの最短撮影距離は50cmで、Distagon1,4/35(Y/C)の最短撮影距離は30cmである。20cm寄って撮ることが出来ると下の写真ほどの違いが出るのである。この差はとても大きい。なお、AWBでJPEG撮りっぱなしファイルに「自動コントラスト補正」を掛けたものを掲載している。

Sonnar T* 55mm F1.8 ZAは2013年か2014年に発売されたレンズである。Distagon1,4/35は1970年代に製造販売されていたレンズである。すでに40年以上前のレンズである。言うまでも無くどちらもCarl Zeissレンズである。この3枚の比較だけで判断するわけでは無いが、明らかにDistagon1,4/35の描写の方が美しいと思う。そして、Distgon T* FE35mm F1.4 ZAはその上を行くだろうと思う。早く使ってみたい。

【Sonnar1.8/55】

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【Distagon1,4/35】

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【Sonnar1.8/55】

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【Distagon1,4/35】

※これはピンぼけ。わかっていたけれど撮り直しをしなかった。「大きさ」がわかれば良いから。

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【Sonnar1.8/55】

余談であるが「紫色」の花を撮る時にはひとまず-1.0EV補正。これは「最短」じゃないな(笑)。

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【Distagon1,4/35】

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by dialogue2017 | 2018-11-29 21:40 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

本文とは無関係な写真である。広い画角の真ん中に小さく花が写っている理由は、これが"最短撮影距離”(0.5m)での撮影であるためである。これ以上寄ることができないのである。レンズの最短撮影距離はレンズを見れば確認できる。わざわざ撮影してみるまで無い。しかし、「体感」したかったのでちょこっと撮ってみた。これも我が家の猫の額ほどの庭の隅に咲いている「野菊」である。実はこの写真もひとつ前のエントリーに掲載した写真と「同じ条件」で撮影している。その「同じ条件」とは何かわかる人がいるであろうか? いないだろうな〜。

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10月末、あるきっかけから私は「本気」で写真を撮ってみようと思うに至った。数日前に本音を書いた。私は、「写真」を「本気」で撮ってみたくなったのでは無くその「モデル」を本気で撮ってみたいのだと。もし彼女と出会ってなければ、私は本気で写真を撮ってみたいという心境にはなっていなかっただろう。しかし、いまは「写真」そのものを本気で撮ってみたいという方向に大きく傾いている。

「本気」で撮ってみようと思って改めて理解したことは、自分がいままで一度も本気で写真を撮ったことが無かったと言うことである。私は写真なんて「本気に」なって撮るほどのものだと思っていない。いまでもそう思っている。もちろん、本気で写真を撮っている人を否定する積もりは無い。それは素晴らしことだと思う。しかし、自分が本気で写真に取り組むことなど考えたことも無かった。いや、考えたことは何度となくあったかもしれない。しかし、実際には本気で撮ったことは一度も無い。本気になったことは無いけれど、それなりに熱心に撮っていた時期はある。しかし、それは「本気」とはあまりにも遠い程度の真剣さであった。

本気」になるって"もの凄い"ことなんだよ。大きな情熱とエネルギーが不可欠だから。

昨日予定していた「箱根ロケ」は順延した。だから、本日現在まだ1枚も撮っていない。本気になったのが先月の28日のことだったので一月が過ぎた。早く撮ってみたいという気持ちはあるが「逸る」気持ちでは無い。初回の撮影を行う前に、あれこれ考える時間があるのは良いことだと思う。私はものごとについて「病的」なまでに深く考える性癖があるが、その反面何も考えず「適当」に物事に取り組む人間でもある。プライベートで写真を撮るときには本当にいい加減である。写真なんかいい加減に撮ってもいいと思っているから。

第三者の目で自分の撮影スタイルを「対象化」したら「いくらなんでも乱暴すぎる」と思うだろう。とにかく雑だ。ISO400で撮っていて夕暮れになり1/8秒でしか切れないシチュエーションになってもISOを上げず1/8のままで撮ってしまう。ブレてしまっても構わないからだ。私はぶれて困るような大事な写真なんか撮っていないから。とりあえず写っていれば十分。そもそも、撮っている時が楽しければそれでいいのだ。

写真なんか楽しければそれでいい。本当にそう思っている。

そんな私が今回はかなり本気になっている。どんなポートレートを撮ろうかあれこれ考えてみた。まず最初に決めたことは「その時にそこにある光」で撮ると言うこと。基本的にアベイラブルライトで撮影するつもりである。レフ板もストロボも使わない。

二つ目に考えたことは、「引きのカット」をメインに撮ることである。バストアップを撮らないと言うことではないが、全身を入れたカットと「ニーショット」を中心にして撮ろうと思っている。そのために、ある程度のレンジのあるズームレンズをを使って撮ろうというわけである。ちなみに、いままでズームレンズでポートレートを撮ったことは無い。今回が初めての試みとなる。

ズームレンズを使って半分の写真を撮ろうと考えている。その半分の写真は、モデルを動かして撮ろうと思っている。それも、撮影の為に動いて貰うのでは無く、モデル本人が何かをやっているときにそれを「動き」の中で撮ろうと思っている。つまり"セッティング”としての「動き」ではなく、素の動きを撮ると言うことである。もちろん、単焦点レンズでも撮ることが出来るが、全身ショットやニーショットを撮るのに85mmは遠い。モデルからちょっと離れた所から撮るというのも面白いとは思うが、それならいっそのこと135mmや70-200mmを使った方が面白いだろうと思う。

一番面白いのは「サンニッパ」だ。300mm F2.8レンズのことである。一度だけEOS 1D MarkⅢにEF300mm F2.8Lを付けて撮ったことがある。あれは「別世界」である。サンニッパで撮るポートレートは素晴らしいと思うが、いまは撮りたいと思わない。結局、「ボケ」だよりの写真となる以外に無いからだ。「ボケ」表現主体の写真を中心に撮るつもりは無い。

取りあえず半分の写真を24-105mmで撮ってみようと思っている。撮り進むに従ってその比率は変わるだろう。30%に落ちるかもしれないし、65%に上がるかもしれない。私は24-105mmでポートレートを撮った経験が無いからやってみないことにはわからない。いや、ズームレンズで撮ったこと自体が無い。だからやってみないとわからない。しかし、おそらく単焦点レンズ中心にシフトしていくだろう

単焦点レンズで撮りたい理由は二つある。ひとつはズームレンズより描写性能が高いからである。いまどきのズームレンズには描写性能が優れた製品が多く、中には単焦点レンズ並と評価されるレンズもある。各社とも、F2.8通しの24-70mmなどは「単焦点レンズ不要」と思わせるような優秀な絵を出すレンズを揃えている。しかし、F2.8通しのレンズではF2.5より小さなF値の写真を撮ることが出来ない。私は開放F値1.4のレンズを開放で使うことは多くないが、F2.0〜F2.5を使うことは非常に多い。大口径レンズの魅力は開放F値に近いところで撮った時に発揮されると思っているからだ。F2.8通しのレンズではF2.0、F2.2、F2.5で撮影することができない 。女性のアップを撮る際、F2.0〜F2.5の柔らかいボケはとても魅力的である。だから、私は単焦点レンズを好む。

単焦点レンズを使いたいもう一つの理由は、自分自身が動いてモデルさんとの「間合い」を作る必要があるからである。写真を撮る上で「被写体との間合い」というのは決定的に重要である。30cmの間合いの違いが写真を変える。ズームレンズではその「間合い」が曖昧になる。自分でモデルとの間合いを詰めたり離したりする、その「身体感覚」が大切なのである。だから、私は単焦点レンズの方が好きなのである。

というわけで、取りあえずF4通しの24-105mmで撮り初め、初期にはズームレンズを主体にして撮ろうと思っているが、結局は単焦点レンズ重視にシフトしてしまうだろう。当然だ。なんだかんだ言っても、単焦点レンズの描写性能はズームレンズより優れているのだから。

当初の課題としては、50mmを徹底的に使い込むことである。50mmで徹底して撮り重ねれば、良い写真の撮り方が身につくと思う。50mmは使いやすいようで意外と難しい。35mmや85mmはレンズが間合いを決めてくれるという面が強い気がするのだが、50mmはそこが「あいまい」だ。引いたり寄ったりして「絵を作って」撮るレンズだという気がしている。だから撮り手の個性が問われる。どう考えても35mmや85mmの方が「楽」だと思う。35mmだっていくらでも撮りようがあるが、すっと収めやすい間合いがあると思う。

単焦点レンズは3本だけを使うつもりである。35mm、50mm、85mm。いままで35mmで人物写真を撮ったことはほとんど無い。3:7の比率で50mm:85mmだった。しかし、恐らくいまからチャレンジするポートレートでは35mmの使用頻度が一番多くなるだろうと思う。実際の撮影枚数ではなく「作品」として残せるカットは35mmで撮った写真の中から多く生み出されるような気がする。

恐らく、最終的には35mmがメインレンズになるのでは無いかと予想している。実は、近年一番使っていない焦点距離のレンズは35mmである。ここ最近は50mmと85mmばかり使っていて、たまに135mmでちょこっと撮っている。35mmはほとんど使っていない。「簡単」に撮れてしまうのでつまらないのである。少なくとも、簡単に撮ってしまうことは間違い無い。それゆえ良い写真を生み出すのが難しいとも言えると思う。

35mmがメインレンズになりそうな気がする理由は、Distagon1.4/35を使うつもりだからである。Yashica-Contaxマウント時代の「Carl Zeiss Distagon1,4/35 T*」は名玉と謳われたレンズである。世界でもっとも美しい描写性能の35mmとまで言われた。α7用のDistagon1,4/35はヤシコンのそれを上回る性能だろうと思う。それが35mmがメインレンズになりそうな一番の理由である。SONY α7ⅢにDistagon T* FE35mm F1.4 ZAを装着して撮ったらどんな絵が出てくるのか、想像しただけでワクワクしてくる。Distagon1,4/35にはそれだけの魅力がある。塙真一さんが「一押し」と言ったのはこのレンズである。彼は「ポートレートに最高です」と教えてくれた。




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by dialogue2017 | 2018-11-29 18:30 | 写真とカメラの話し | Comments(2)

文章だけだと殺風景なので写真を1枚乗せておく。玄関の前の猫の額ほどの庭に咲く野菊(?)である。レンズの「最短撮影距離」を確認するために撮った「テスト撮影写真」である。ただし、この写真は「初心者A」君をはじめ、0123okkunさん、sunnydayさん、Mon"s Cafeさんらこのブログを熱心に読み撮影技術の向上に撮り始めた人々には「教材」になりうる写真である。どういう「教材」であるかに関しては時間が作れたら後で書く。それまでどういう教材なのか考えておいて欲しい。


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当たり前だが、写真館を経営していたときに撮影していたのは「人物写真」である。「potrait」とは「肖像」「肖像画」「肖像写真」の事である。Canonのサイトの「写真用語」では次のように説明されている。

ポートレートとは肖像画や肖像写真の意味で、人物をおもな被写体とした写真のことをいいます。一般的には、望遠レンズを使って背景をぼかして省略させ、背景から人物を際立たせるような写真がポートレートとしてよく撮影されます。

概ね妥当な説明だろうと思う。ただ、「望遠レンズを使って背景をぼかして省略させ、背景から人物を際立たせるような写真がポートレートとして」「一般的」だというのは、間違ってはいないもの幾分「過言」だと思う。というのは、「標準レンズ」で撮られているポートレートは決して少なくないし、広角レンズで撮られているポートレートも沢山ある。たしかに、「望遠レンズを使って背景をぼかして省略させ、背景から人物を際立たせるような写真」が多いことは事実であるが、それをもって「一般的」と表現するのは些か言い過ぎだろう。

話を戻すが、私は2012年9月〜2014年5月までの1年9ヶ月間小さな写真館を経営していた。写真館であるから撮影するのはほとんどが「人物写真」であった(まれに「商品撮影」「建築撮影」などがあった)。私が経営していた写真館はロケ撮りに力を入れていたのであるが、実際には7〜80%の撮影はスタジオで行っていた。スタジオでの撮影では、SIGMA 85mm F1.4とSIGMA 50 F1.4の2本で90%の撮影を賄った。カメラはEOS 5D MarkⅢ。ロケ撮りの場合もこの2本のレンズで70%ほどの写真を撮った。残りの30%は主に広角系ズームレンズを使った。EF17-40mm F4Lを使うことが多かった。

SIGMA 85mm F1.4とSIGMA 50 F1.4の2本では前者を使う頻度が多かった。というのは、写真館なので「記念写真」の撮影である場合がほとんどで、七五三にしても成人式にしても、着物姿のバストアップカットを必ず撮る。バストアップを撮るのに一番良いのは85mmレンズである。被写体との「間合い」が良いと言うことも大きいが、ディストーションが少ないことが非常に重要なのである。50mmレンズでも目立つようなディストーションを感じることはあまりないが、厳密にはディストーションが出る。一般的に人間が見た目ともっとも近い写りをするのは105mmレンズだと言われる。85mmはそれにかなり近い。

そんなわけで人物撮影ではSIGMA 85mm F1.4を多用した。多用した大きな理由がもう一つある。このレンズは描写性能が非常に秀逸なのである。欠点がほとんど無いと言って良い。50mmの方だって多くのフォトグラファーから「Canon EF50mm F1.4より上だ」と評価されたレンズで優秀な描写性能のレンズである。しかし、SIGMA 85mm F1.4は確実にSIGMA 50mm F1.4よりワンランク上の描写性能のレンズである。その後、このレンズは「ART」シリーズとしてリニューアルされ、更に描写性能が向上し、いまでは不動の高い評価を得ている。だが、私に言わせれば私が使っていた初代モデルでも十分だと思える描写性能のである。

85mmレンズは「ポートレートレンズ」と言われる。実際、85mmを多用するポートレートフォトグラファーは多いだろうと思う。私は70%ぐらいは85mmで撮っていた様な気がする。85mmを愛用する理由は、モデルとの「距離感」がとても良いのである。「近からず遠からず」モデルとコミュニケーションしやすい間合いなのである。しかし、85mmを多用する最大の理由は「背景をぼかして省略させ、背景から人物を際立たせるような写真」を撮るためであった。それがポートレートフォトの「一般」だとは思わないが「定番」であることは間違い無い。「人物写真」なのだから、「背景をぼかし」「人物を際立たせるよう」に撮ることが多くなる。ロケ撮りの場合、「背景」をしっかり写し込んで撮る必要もあるが、「決めカット」は「背景をぼかし」「人物を際立たせるよう」に撮ることが多い。だから、85mmを多用した。

しかし、私はこのあとポートレートを撮り始めたら、50mmと35mmを多用するつもりでいる。85mmの使うはどんなに多くても30%までになると思う。つまり、私は「引きで撮る」ことをメインに考えているのである。そうなると、35mmが一番使い勝手が良い。プロカメラマンには24mmでポートレートを撮る人も結構いる。強いパースを利用してインパクトのある写真を撮ったり、「風景」と「モデル」を「コラボレート」させた写真を撮るのに利用されるケースが多いが私は今のところ単焦点の24mmを使うつもりは無い(購入するつもりが無い)。

すでに書いたことであるが、私はズームレンズを使ってポートレートを撮ろうと思っている。ポートレートに使われるズームレンズと言えばF2.8通しの24-70mmが一般的だ。ポートレートフォトグラファーでF2.8通しの24-70mmを所有していない人などいないと言っても良いほどの定番レンズである。24-70mmというレンジは人物を撮るのに使いやすい距離感である上、F2.8を通しで使えるというのは便利である。しかし、私はF2.8通しの24-70mmを使ったことが一度も無い(持っていないから)。今回も、FE24-70mm F2.8GMを選ぶかFE24-105mm F4Gを選ぶかで最後まで迷ったが、最終的に後者を選んだ。F2.8が使えることのメリットより105mmまでのレンジが使えるメリットの方が大きいと判断したからである。写真家の塙真一さんと水谷充さんに相談したところ、お二人揃って24-105mmの方が良いと思うという事であり、自分の出した答えと同じで結論が出せた。

私は「単焦点レンズ主義者」と言って良いほど単焦点レンズが好きで、自分が楽しみで写真を撮るときにズームレンズを使うことはほとんど無い。実際には、EOS 5D3を使っていた時も、X-T2・X-T20を使うようになって以後も、広角ズームレンズの使用頻度が断然高い。5D3の時にはEF17-40mm F4Lで過半の写真を撮っていたし、メインカメラをX-T2・X-T20に変えた後はXF10-24mmF4 R OIS(135判換算で約15-36mm)でほとんどの写真を撮ってきた。その理由は、私が撮影する写真の70%ほどは家族の写真であり、撮影する場所が「フィールド」であることが多いためである。つまり、海や山のような「広大」な光景の中で写真を撮るので広角ズームレンズが一番良いのである。

おっと、出かける時間になってしまった。いまから会社に行く。写真館を閉鎖した後も、会社の「定款」から「写真事業」を削除していない。いまでも、会社の2階に当時の写真館のスタジオより大きなスタジオをすぐにでも開設できる環境にある。ライトさえ組めば、今日からでも「写真館」を再開できる。

だから、SONY α7Ⅲとレンズを「事業用」として購入し、経費として計上することが可能である。もちろん、その場合私が「私用」に使ったのでは問題がある。世の中の会社の経営者は100%個人使用の乗用車を「社用車」として購入しているし、「私物」の多くを会社の「経費」で買っている。税務署もある程度の範囲まではそれを問題にしない。カメラ1台とズームレンズ1本程度を会社の経費で購入し、実際には社長が個人的に使っているなどという話は掃いて捨てるほどあるだろう。しかし、私は基本的にそういうことはやらない主義である。「順法精神」故のことでは無い。「会社を私物化する」ということに反対なのである。会社は社長のものでは無く、そこで働く人たちのものだ。

だから、私個人が趣味で使う為に買うのであれば、会社の経費で購入することは絶対にしない。今回も、「自費」で購入するつもりではいるのだが、α7Ⅲボディとレンズを4本買うと100万円に迫る金額となる(α7用のレンズは高い!)。私は100万円をはした金と思えるほど金持ちでは無い。で、「写真事業」を再開しようかと考えた。いまから準備をすれば、「卒業」「入学」シーズンの撮影に間に合う。秋には「七五三」記念写真の撮影を少なからず受けることができるだろう。「片手間」程度にやったとしても、「春」と「秋」の2シーズンでカメラとレンズの購入費ぐらいの売り上げは上げられるかもしれない。もし、不足したとしても最悪2年でペイできるだろう。

それに、スタジオライティングでの撮影を行えば、ポートレートフォトグラファーとして実力を磨くこともできる。前回写真館を経営していたときはほぼ「固定」のライティングで撮っていたが、もし「写真館」を再開するとしたら、いろいろなライティングに挑戦してみようと思う。写真館時代のスタジオはスペースが狭かったのでライトを組める場所が限定されていた。しかし、会社の2階は当時のスタジオの2倍半ほどのスペースがある。だから、その気になれば様々なライトを組むことが可能である。ただし、致命的な欠点がひとつある。天井が低いため、トップライトが組めない。取りあえずはトップライト無しで構わない。どうしてもトップライトが欲しいと思ったら天井をぶち抜けば設置できるだろう。

「仕事」をするのは好きじゃ無い。仕事で写真を撮ることも好きでは無い。しかし、少しスタジオライティングで写真を撮ってみたいという気持ちはある。アマチュア写真愛好家の場合、プロのモデルさんで撮影する場合モデル料を支払わなくてはならない。スタジオのレンタル料金も高い。私の場合自前のスタジオだから無料だ。しかも、「モデル」さんを撮影すればお金をいただくことができる。考えようによればこんな「美味し」話はない。大きな問題点は、お客さんが来るのは80%まで土日祝祭日であることだ。

土日祝祭日は家族で出かける。仕事を始めたら家族で出かけられなくなる。そう思っていた。しかし、息子は中学生になったこの春から家族旅行には同行しなくなっているし、娘も「4年生になったらお兄ちゃんと一緒に家に残る。もう、お父さんお母さんと茅野に行くのは少なくなると思う」と言っている。土日は一人でボルダリングの練習に励むそうだ。そうなると土日祝祭日に「撮影仕事」を入れることが可能となる。まあ、来春以後は妻と二人で旅行に行こうと思っているのですべての週末に仕事を入れることは無理だが、幸いなことに、土日に撮影を担当してもらえる若手カメラマンの伝手はいくらでもある。

と言うわけで、会社のことを99%丸投げしている我が社の専務と相談するために今から会社に行く。今月会社に顔を出すのは2回目だ。車で僅か6〜7分の場所にあるのだが(笑)。

※時間が無くなったので誤字脱字誤変換のチェックをせずに投稿する。



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by dialogue2017 | 2018-11-29 14:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

夕食前、娘が自室の机に向かって数学の勉強を始めた。普段はリビングの床で宿題をやっているのに珍しいことだ。3階から「お父さ〜ん、明るさが変わる蛍光灯貸して〜」と叫んでいる。「明るさが変わる蛍光灯」というのは写真に写っている蛍光灯のことであるが、この蛍光灯は「明度」だけではなく「色温度」も変えることができる製品である。私が、夜にプリントを見たりする場合に備えて買ったものであるが、夜にプリントを見ることなど無いので娘用の蛍光灯になっていた。それを先日書斎に持って行ってそのままにしていたので「返却」して欲しいと言っているのである。「返して!」と言わず「貸して〜」というところが偉い。お父さんの所有物だと認識しているわけだ(笑)。

娘が自室の机に向かうなんて極めて珍しいことなので記念に1枚写真を撮った。Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZAが付いていたSONY α7と蛍光灯を持って娘の部屋に行き、蛍光灯をセッティングしたあとこの写真を撮った。撮影するとき、考えるまでも無く半ば「無意識」のうちに-0.7EVの補正を掛けて撮った。それでもハイエストライトは若干飛ぶだろうと思ったが、「記録」としての写真なのでその程度は構わない。もしかしたら、SONY α7を使ったのは今年初めてかもしれない。全く使った記憶が無い。勿体ない話だ。

この写真はレタッチした後のものである。ハイライトの白飛びを抑え、シャドーを起こした。最後トーンカーブで微調整。

追記。シャドーを少し持ちあげたあと、トーンカーブで全体として明るくしたが、部分的な調整は一切行っていない。しかし、Tシャツの明るさだけではなく、娘の頭髪の明るさもかなり変わっている。下に掲載した元ファイルと比べて欲しい。


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下が「撮りっぱなし」のファイル(リサイズはしてある)。-0.7EV補正なので全体として暗い。シャドーは潰れている。しかし、予想通りハイエストライト(スタンドの軸の上部)は若干白飛びしていた。上の写真と比べると、娘が着ているTシャツがかなり暗く写っている。しかし、この程度のアンダーであればレタッチで奇麗に起こすことができる。それにしてもSonnar T* F1.8の出す絵は「マッタリ」しすぎ。で、このレンズを余り使わないんだよね。α7Ⅲを買ったらPlanar T* 50mm F1.4に換えたい。Planar T* 50mm F1.4手に入れたら85mmより使うだろう。


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下の画像は、「撮りっぱなし」ファイルをCamera Rawフィルターで開き、「白飛び警告表示」したものを全画面キャプチャーした画像である。ご覧のように蛍光灯の軸の上部(黄色で囲っている中)が白飛びしている(赤く表示されている部分)。まあ、この程度であればたいした問題では無いが、なんの為にこんなキャプチャー画像を見せているのかというと、-0.7EVの補正を掛けてもまだ「ハイライト」が「白飛び」するのだということを理解して貰うためである。当然のことながら露出補正を掛けずに撮影していればハイライトの白飛びの範囲はもう少し広かっただろうし、ハイエストライトはもっとはっきり飛んだであろう。この場合、マイナス補正は必須なのである。

今になって思えば、露出補正無しで1枚撮っておけば比較できたが、この写真は「誌上レッスン」の素材として撮影したわけでは無く、珍しい光景の「記録」として撮ったので-0.7EV補正で1枚しか撮らなかった。1枚しか撮らなかった理由は、それでハイライトがギリギリ飛ぶか飛ばないかだと判断したからである。結果としてその判断通りであった。私はカメラの「白飛び警告表示」は全く使っていない。過去一度も使ったことが無い。あんな表示が出たら煩わしいからだ。だからEVFを覗いても「白飛び」しているかどうかはわからない。ただ、この光景を見たときにほぼ反射的に-0.7EVと判断して撮った。「習い性」である。沢山写真を撮ったことによって「光」を見る目が養われたのである。

追記。私はEVF内に「情報」を表示させないで撮影することが多い。「画角」全体をクリーンに見えるようにしておきたいからである。ファインダー内でヒストグラムの確認をすることは全くない。基本的に露出補正は「勘」で行っている。


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この程度の白飛びは些細な問題である。記録として残す分にはレタッチの必要さえ無い。どこかに掲載して他者に見せるわけではないから。しかし、「誌上レッスン」の題材にしようと思って簡単にレタッチすることにした。まずは「白飛び」を抑えることから始める。「ハイライト」のスライドバーを-0.3まで動かしただけで「白飛び警告表示(赤い色)」が消えて無くなった。ほんの僅かしか飛んでいなかったと言うことである。私は「ハイライト基準」の露出で撮る。このシーンは-0.7EVでハイライトが飛ぶか飛ばないかギリギリだろうと読んで撮影した。その通りであった。「白飛びさせない」ことが撮影時にもっとも気をつけることだから課題はクリアした。

しかし、ハイライト基準で撮影すれば「シャドー」の方が落ちる。最近のデジタルカメラの撮像センサーのダイナミックレンジはかなり広くなっているが、人間の眼には遠く及ばない。「ハイライト」を基準で撮影すれば「シャドー」側がアンダーになると言うことはかなり頻繁に生じる。と言って、「シャドー基準」の露出で撮影すれば「ハイライト」が飛ぶ。±0EVの露出補正無しというのは「全体」基準と言っても良いが、それでもこの場合ハイライトはかなり飛ぶ。だから、「ハイライト基準」で露出を決めて(-0.7EV)ハイライトの白飛びを抑えたのである。その結果シャドーが落ちたのでレタッチで持ちあげることにした。

何度も書いたように、デジタルカメラは万能じゃ無い。目の前の光景の輝度差は撮像センサーのダイナミックレンジの幅を超えていることが少なくないのだ。ハイライトからシャドーまでキッチリ収まることそんなに多くない。我々の眼前の光景の多くは輝度差がかなりあるものだから。だから、撮影した写真は最低限の範囲でレタッチが必要だと言うことである。その際、ハイライト基準で撮っておくことが肝要である。白飛びしてしまったら「データ0」となるのでレタッチで戻すことは不可能である。反対に、デジタルカメラの場合「シャドー」側のデータは豊富に記録されているのでレタッチでかなり起こすことができる。

モノクロフィルムの場合は少し事情が異なり、ハイライトがかなり粘る。シャドーは潰れてしまうとプリント時に起こすことが難しい。だから、フィルム時代は「シャドー基準」で撮ることも多かった。ついでながら書いておくが、「このレンズはシャドーが粘る」などと知った風なことを語る諸君がいるが、それはフィルムで撮ってゼラチンシルバープリントを作る際に感じたメリットであって、デジタルカメラで撮る際にはそんなことはメリットにならない。どんなレンズで撮ってもデジカメ画像のシャドーは簡単に起こすことができる。もっとも、起こしすぎれば画質が劣化することは言うまでも無いが、「シャドーが粘る」レンズの粘り具合より起こせる範囲の方が広いだろう。私はフィルムを現像したりゼラチンシルバープリントを焼いたことがないのでこの話は間違い無いとは保証しかねるが。

ハイライトの白飛びを抑えるのに,僅か-0.3までしかスライドバーを動かさなかった。


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下のキャプチャー画像は「撮り放しのファイル」を-0.7EVで撮影したという「証拠」。右はプレビューの「インスペクタ」の表示。

さて、「最後まで読んでくれてめっちゃ嬉しいで〜す。どうしてこんな話を書いたか、その目的と理由を短く一言で答えられる人は、下のコメント欄にコメント入れてくれたらめっちゃ嬉しいで〜す」(爆)。


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by dialogue2017 | 2018-11-29 06:00 | 誌上レッスン | Comments(2)

ひとつ前のエントリーにDistagon 1,4/35は逆光で開放付近で撮ると「ハロっぽい感じ」に写るという話を書いた。残念ながら、そういう「作例」は古いHDDの中を漁らない限り出てこない。そもそも、このレンズで撮った写真はあまりブログなどに掲載していないので探し出すことは難しい。いっそのこと撮ってきてしまった方が早いが、もう夕刻であるし今日は曇天なので「ハロっぽい感じ」の写真を撮ることは出来ない。

しかし、文章で「ハロっぽい感じ」と書いても、イメージが持てない「読者」もいるであろうから、そのものズバリ「ハロっぽい感じ」という写真ではないが、いい感じでフレアーが出ている写真を探してみた。このブログの前にやっていた『午後の陽射し』というブログの中から見つけた写真を2枚掲載して「作例」の代わりとする。

下の写真は2016年11月15日の13:31に撮った写真である。ちょうど2年前なので娘が小学1年生の時である。たしか、熱を出して学校を休んだ日に撮った写真だと思う。撮った場所は我が家のリビングルーム。ダイニングテーブルに向かって「杏仁豆腐」を食べているシーンを撮った。私は毎日座っている自分の席からレンズを向けた。距離は1m程である。娘は食べることに集中しているので写真を撮られているという意識が希薄である。もっとも、1年生のころは「撮られる」ことに対する抵抗があまりなかったのでわりと自然な表情を撮ることができた。最近は全くダメである。

私がこの写真を撮った動機は、娘の後から綺麗な光が差していたからである。こういう感じの「光」が好きなのである。残念ながら左半分奥には50インチのテレビとステレオスピーカーがあるため黒っぽく成っている。ここに明るい色の家具が置いてあればこの写真はもっと綺麗な写真になっている。写真は「背景」がもの凄く重要なのである。Distagon 1,4/35、久しぶりに使ってみようかな。でも、スナップじゃな(笑)。私は「人」が撮りたいのだ。

自宅で、「ああ綺麗な光だな」と思ってカメラを持ってきてさっさと撮った程度でもこういう柔らかくて美しい写真が撮れる。SONY α7Ⅲに最新の"Distagon T* FE 35mm F1.4 ZA"を付けて、一面真っ白なハウススタジオで撮ったらどんなに綺麗な写真が撮れるだろう。魚住誠一さんのSONY α7系の作例写真はそういう情況で撮っているわけである。私もやってみたい(爆)。

「瞳認識AF」なんてなくても、マニュアルフォーカスのF1.4でも「睫」にピントを合わせられる。モデルが動かなければ(笑)。

SONY α7 + Carl Zeiss Distagon 1,4/35(Y/C)ISO100 F1.4 1/320 +0.33EV RAW 娘の右前下から少し光を返せば暗部ノイズが薄くなる

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こちらの方が「ハロっぽい」というイメージに近いかもしれない。いや単なる完全な逆光だ(爆)。こちらは2012年の12月27日13:52の撮影。どちらも太陽が低い位置に移動し始め光が弱くなり始めた斜光で撮っている。息子を撮った日の方が陽射しが強く、しかも完全な逆光となっている。この写真を撮った日、息子は熱を出して学校を休んでいた(笑)。6年前のことなので当時息子は2年生である。完全な逆光であるうえ絞り開放で撮っているので綺麗には写らない条件である。しかし、私はきっちり綺麗に写っている写真よりこういう「破綻」した写真が好きなので意図してこういう写真を撮る。子どもの写真を撮る際の7割ほどは純粋に記録を残す目的で撮っているが、残りの3割は「自分の好きな光」で撮って楽しんでいる。この背景のスピーカーがガンだよね(笑)。音は最高なんだけれど。

SONY α7 + Carl Zeiss Distagon 1,4/35(Y/C) ISO400 F1.4 +0.7EV AWB JPEG 

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by dialogue2017 | 2018-11-07 17:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

1年ぶりにα7を使った(と言っても6枚撮っただけだけれど)。マニュアルフォーカスレンズの開放で手持ちは厳しい。見事にピンぼけである。

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郵便物が届いたので受け取るために玄関に行った。昨日Yodobashi.comで購入したNDフィルターが届いた。玄関を出たとき、薔薇の花が数輪開いているのが目に止まった。雨に濡れて光り輝いていて綺麗だったので写真を撮った。机の上にあるX-T20で撮ろうと思ったのだが、ふと思い出してSONY α7を使って撮った。α7を使うのは1年ぶり以上のような気がする。α7は気に入っていて、一時期α7ばかりを持ち歩いたことがあった。しかし、「家族旅行」の写真を撮るにはX-T2・X-T20の方が使い勝手が良い。それに、α7用のAFレンズは1本しか持っていないのだ。で、昨年3月末にX-T2・X-T20を購入して以後、α7は全く使わなくなってしまった。※α7用のAFレンズは2本所有していることを思い出した。キットのズームレンズはあまり好きじゃなくてほとんど使ったことが無いため忘れていた。※最後にα7を使ったのは"この時”の様な気がする。

そもそもα7は古いZeissのレンズの「母艦」として買ったカメラなのである。購入したのは2014年10月3日。前日渡部さとるさんからDistagon2,8/25の着いたα7を借りてすっかり気に入ってしまい翌日買った話は"ここ”に書いた。購入後、Yashica/Contaxマウントの古いZeissのレンズを装着してα7を持ち歩いた。私は「Zaiss信者」ではないのでことさらZeissのレンズを褒めるような話を書いたことは無いが、「中立公正」な立場に立って評価してZeissのレンズは優秀である。40年前に発売されたレンズを使っても、21世紀の最新レンズに劣ることが無いと思う。

しかし、大口径レンズの絞り開放での撮影ともなると手持ちではかなり厳しい。カメラを持つ人間の手は静止することがない。常に前後左右上下に揺れている。だから、一発でピントが合うなどと言うことはまず無い。ましてMacroレンズで寄って撮るケースでは5回に1回だって合うという保証がない。北の方の某写真家に言わせると「打率一割」だそうである。厳密に評価したら確かにそんなモノかもしれない。そもそも大口径Macroレンズを使って花の写真を撮るときには三脚を使うのがセオリーである。5軸手ぶれ補正機能付きのAFレンズなら手持ちでもなんとかなるが、マニュアルフォーカスレンズでは三脚が必須だ。しかし、私は三脚を使ってまで花の写真を撮りたいとは思わない。

この写真を撮ってパソコンに落として「レタッチ」していてつくづく思った。結局、私は有り余る時間を「消費」するために写真を撮っているのだということだ。他にやりたいことがあれば写真なんかたまにしか撮らないだろう。事実、「家庭」を持つ以前は写真なんて撮っていなかった。カメラさえ持っていなかった。私が日常的に写真を撮るようになった契機は息子が生まれたことであった。それ以来13年間、私が「必要」だと思って撮っているのは家族の写真だけである。

まあそれはともかく、たまにはα7と古いZeissのレンズを使ってあげないと。でも、すっかりAFに慣れきっていて、いまさらマニュアルフォーカスで撮りたいという気持ちが小さくなってしまった。X-T2・X-T20導入以前はマニュアルフォーカスレンズで写真を撮ることが好きだったのにいまでは面倒なことに思える。つまり、私はドンドン「写真は記録」という方向にシフトして行っているのだと思う。X-T2・X-T20がその方向を加速させたような気がする。

まあ、なんでも良いんだけれど、このエントリーも時間を消費するために書いた(笑)。



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by dialogue2017 | 2018-10-11 16:30 | | Comments(0)