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「毒皿第二弾」(笑)。これは古いマニュアルフォーカスレンズレンズで撮った写真である。家族写真にマニュアルフォーカスレンズを使うことはまず無い。近年ではこの時だけである。かなり色がおかしい写真であるが、独特の雰囲気があるのであまり手を入れなかった。家族を単焦点レンズの135mmで撮ったことは無い。いや、息子が小さい頃に何度かあるが10年以上前のことである。いまならXF90mmF2 R LM WR(135判換算約135mm相当)で撮ることが可能だが、撮ったことが無い。家族の写真は広角から標準が基本だと思う。

2017年9月2日撮影。熱海。SONY α7 + Carl Zeiss Sonnar2,8/135 T*(Y/C) マニュアルフォーカスレンズにつき絞りのデータ無しだが多分開放

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by dialogue2017 | 2019-03-29 12:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

"このエントリー”に掲載した写真に対してshi-photo君から次のようなコメントを頂いた。ちなみに、この写真は現在shi-photo君が愛用しているRICHO GXR A12 50mm F2.5 MACROで撮影した写真である。

こういう素敵な写真を見ると、いくら同じカメラを使っていても、より高い最新式カメラを使っても、自分には撮れないなと思います。撮影者の物の見方、技量があってこそ、カメラも活きるというものですね。

自分で言うのもなんであるが、確かにこの写真はとても綺麗に撮れている。しかし、ただ単に花の前にしゃがみ込んでレンズを花に近づけてシャッターボタンを押しただけなのである。露出補正さえしていないので本当にただ撮っただけである。しいて私が選択したことを上げればF5.6という絞り値を選択した事くらいである。綺麗な写真になった理由は二つあって、「奇麗な光が当たっていた」ことと「カメラとレンズの性能が良い」ことである。この写真に関して言えば「技量あってこそ」ではないと言って良い。

ただ花の前にしゃがみ込んでレンズを向けてシャッターボタンを押しただけなのだから「技量」などと言うものはまったく無関係である。何かにレンズを向けてシャッターボタンを押すだけなら誰にでもできる。そういう作業は「技量」ではない。shi-photo君が「自分には撮れない」と思う写真を私はいとも簡単に撮った。そもそも、私がこのブログに掲載している写真の少なくとも90%はただシャッターボタンを押しただけの写真である。私がスナップしているシーンの動画を撮影して公開したら、あまりに無造作に、しかも瞬時に撮っていることに驚くと思う。私はあまり丁寧に撮らない。立ち止まって1〜2秒で撮り終えることがほとんどである。撮ったあとは背面モニタで画像を確認しないで歩き出す。もちろん、時々は3〜4秒掛けて撮るときもあるが、ほとんどの写真は立ち止まって1〜2秒で撮っている。

shi-photo君と私の何処が違うのかというと、shi-photo君が書いているように「物の見方」である。しかし、実際には私はただたんに自分が「いいな」と思ったモノにレンズを向けて撮っているだけである。まあなにを「いいな」と思うかが「物の見方」と言うことになるわけであるが、それも簡単なことで「奇麗な光が当たっているモノ」である。この写真はたまたま玄関を出たときに目に入り、「ああ、奇麗に咲いているな〜」と思って撮ったというだけのことである。"こんな風に"自宅の猫の額ほどの庭の隅っこの日陰に咲いていたのだが、この花の部分には木漏れ日が当たっていた。そう、私は「木漏れ日」の当たっている花をよく撮るのである。時には、「木漏れ日」そのものを被写体として撮ることもある。(注)上の"こんな風に”をクリックして表示される写真は日陰になってしまったあとに撮った写真であるため「木漏れ日」は当たっていない。

写真は「陰影」があるものが美しい。谷崎潤一郎に『陰影礼賛』という随筆がある。それについて説明を書こうと思ったのだが内容を良く覚えていない(笑)。でネットで検索したらwikipediaに次のようにあった。

『陰翳礼讃』(いんえいらいさん)は、谷崎潤一郎の随筆。まだ電灯がなかった時代の今日と違った日本の美の感覚、生活と自然とが一体化し、真に風雅の骨髄を知っていた日本人の芸術的な感性について論じたもの。谷崎の代表的評論作品で、関西に移住した谷崎が日本の古典回帰に目覚めた時期の随筆である。

西洋の文化では可能な限り部屋の隅々まで明るくし、陰翳を消す事に執着したが、いにしえの日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ映える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の美意識・美学の特徴だと主張する。こうした主張のもと、建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装の色彩など、多岐にわたって陰影の考察がなされている。この随筆は、日本的なデザインを考える上で注目され、国内だけでなく、戦後翻訳されて以降、海外の知識人や映画人にも影響を与えている。

これを読んでも『陰影礼賛』を読んだ記憶が蘇らなかった。たぶん、ペラペラとやっただけだったのだろう(笑)。いや、熱心に読んだ本でも内容をすっかり忘れてしまっていることは珍しくない。いずれにしろ、私は谷崎からなんの影響も受けなかった。若い頃にはこういう話には関心が無かった。多くの場合、人が「風雅」を理解するのはある程度年をとってからである。まあ、人によりけりであるが、私の場合そういう感覚が顕著になったのは40を過ぎてからのことであった。

と書いて気がついたが、私が写真を撮り始めたのは2003年の秋からであったのだが、当時私は46歳であった。おそらく、26歳の時に写真を撮っていたしたら46歳の私とは随分と違った写真を撮っていただろうと思う。おそらく、花の写真なんてまったく撮らなかったのではないかと思う。

話を戻すが、写真は「陰影」のあるものが美しいと思う。しかし、いかにも「光と影」を撮りましたという写真は、見る者に対して「わざとらしい」という思いを抱かせる。上手に撮れていればそういう写真も悪くはないが、そういう写真ばかりを並べられたら「げっそり」するだろうと思う。日本人の感性として「さりげなさ」を愛するということがある。今の時代にあっては「古い日本人」に属する世代となった私にはそういう感覚がある。いや、私は若い頃から「さりげなさ」に美を見出していたと思う。私は「顕示的」なモノがきらいであった。「ブランド品」などは大嫌いであった。中身が「空っぽ」な人間が己の「空疎さ」を隠蔽するために欲しがるモノが「ブランド品」であると思っている。

私は「さりげない陰影」を撮るのが好きだ。と言ってそういう「陰影」ばかりを探して撮っているというわけではない。私は何でも撮る。いろいろな物を撮るし、光に拘らずに撮ることも少なくない。ただ、花の写真を撮るときには「さりげない陰影」で撮ることが好きだしそういう写真をとることが多い。もちろん、陽が当たっている花を撮ることもあるし、逆光の透過光で撮る花もとても美しいと思う。しかし、一番好きなのは「さりげない陰影」の中に咲く花である。

以上の話を読んでいただいた上で"この写真”を観て貰うとこの花を撮った時の私の「狙い」を理解して貰えるだろうと思う。十分に「光」を感じる写真であるが、実際には光が当たっている部分はとても少ない。花ビラの白っぽい部分にだけしか光は当たっていなくて、写真のほとんどの部分は「日陰」である。しかも、当たっているのは「柔らかい」木漏れ日なので「光と影」のコントラストは強くない。つまり、「さりげない陰影」なのである。私は、そういう光の中に咲いている花を見つけて撮ることが多い。目を皿にして探して歩くわけでは無い。散歩をしているとそういう花が目につくのである。人は自分が好むモノを見つけるようにできているから。

下の写真はこの「古いレンズで撮った写真」(2)(3)(4)と同じく2017年11月7日に撮影した写真である。自宅近所を短い時間散歩して、S-Planar2,8/60で次々と撮っていった写真の中の一枚である。私はこういう「なんでもない」写真をよく撮る。こういう「平凡」で「優れたところがない」写真が好きなのである。写真にしてしまうと「面白くもなんともない」が、散歩中に肉眼で見たときには奇麗だと感じる。秋の暖かい陽射しに照らされた花は美しい。美しいと思うから撮る。写真になってしまうと実際に見た時の美しさは失われているが、この写真を見たとき、私の頭の中では実際に見た光景が再現される。だから、写真というモノは「撮影者のモノ」なのだと私は思う

それにしても、花の写真の撮り方で谷崎潤一郎の話が出てくるブログなんてこのブログぐらいだろう(笑)。

下の文章は下の写真の初出時に書いた文章である。

今日は立冬だというのに20℃を超えるぽかぽか陽気だった。ちょうど開花期で散歩中あちらこちらで野菊を見かけた。しかし、日当たりの良いところに咲いているケースがほとんどで写真にならなかった。直射光を受けている花の写真はあまり撮らない。こういう平凡な写真が好きだ。ちなみに、ここでアップを撮るとしたら、右下の5輪か、その直ぐ上。半分以上日陰になっている部分を撮る。

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by dialogue2017 | 2019-02-28 12:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

こういう写真は、葉に対して正対し、葉の中央付近にピントを合わせ、もう少し絞って葉全体にピントが合うように撮った方が見栄えの良い写真になる。そんなことは承知であるが、意図的に葉の先端(下の方)にピントを合わせて開放で撮っている。撮影の動機は「綺麗な写真」を撮ることではなく、レンズの描写の特徴を楽しむコトだからである。大口径レンズは絞り開放で撮ったときが一番楽しい。絞り込んでしまうと特徴がはっきりしなくなる。開放で撮るとやや甘さが出るレンズがある。昔のレンズにはそういうレンズが多かった。わたしはその「甘さ」が好きなので「レンズ遊び」するときには開放で撮る。この葉は、くっきりした葉脈によって10に区切られているが、私は下の3つの部分だけにピントが来るように撮っている。葉の先端部分と右側の虫食いの「穴」あたりの写り具合が素敵だと思う。写真を撮ることはたんなる遊びなのである。※写真下に本文。

追記。この写真を「奇麗に」撮ろうと思ったら、左下に写っている枯れた細い茎と、葉の下に写っている茎を除外してから撮る。こういう写真を本当に奇麗に撮ろうと思ったら小さな剪定ばさみを持って歩くだろう(そういうことをやったことはただの一度も無い)。これは雑木林で撮っているので茎の1本2本切り取ったとしても問題はない。奇麗な写真を撮ろうと思ったら「余分」なものを外すことが重要なのである。


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(5)(6)は2017年8月12日に自宅近くの公園で撮った写真。(6)を先に撮り(5)はその15秒後に撮った。調べてみたら、自宅周辺で9分間に24枚の写真を撮っている。(1)も同じ日に撮っていて(6)より1分ほど前に撮っていた。(2)(3)(4)(6)、そしてこの(7)は2018年11月7日に撮った写真である。こういう写真を撮っている時の動機というのは、久しく使っていなかったレンズを使って遊んでいるのである。きちんと写真を撮ろうと言うつもりはなく、ただそのレンズの「描写」を見て見たくて何でも良いのでテキトウに撮っている。そういう場合に撮るのはだいたい花である。自宅近所にそれほど沢山の花が咲いているというわけではないが、花の咲く庭木を植えている家というのはそこそこある。撮っている花の多くは民家の庭先に咲いている花か、公園に咲いている花である。

そういう花を奇麗に撮るのは意外に難しい。というのは自由なアングルから撮影することが出来ないからである。よそのお宅の庭に咲いている花であるから、道路から撮るしか無い。花の写真はちょっとアングルを変えるとかなり雰囲気が変わる。ポートレートでも同じであるが、マクロレンズで花を撮る場合はアップで撮るので僅かなカメラアングルの違いでかなり雰囲気が変わる。花も本当に奇麗に撮ろうと思ったら沢山咲いているところに行くのが良い。自宅から車で20〜25分ほどの場所に「昭和記念公園」がある。非常に大きな公園で季節季節にいろいろな花が沢山咲いている。子どもが小さい頃にはよく遊びに連れて行き、合間に花の写真を撮ったりしたが、もう4年ほど行ったことが無い。

公園に咲いている花の場合カメラアングルが限定されることは少ない。度の方向からでも撮れることが多い。しかも、花の数が多いので咲きっぷりの綺麗な花を選ぶことができるし、奇麗に光が当たっている花を選んで撮ると言うこともできる。住宅街である自宅周辺を10分20分散歩をして花を撮る時にはあまり自由には撮れない。しかし、初めから奇麗に撮ろうなどと言うことに対する執着はないのである。使っていないレンズを久しぶりに使う時というのはとても新鮮な気持ちになる。撮っているだけで楽しい。1枚の写真として奇麗に纏まらなくて、その写真のどこか一部にそのレンズの特徴がはっきり写ればそれで楽しいのである。

自宅周辺などで花の写真を撮っていて一番困ることは「背景の処理」である。まず、綺麗な花が咲いていても背景が「きたない」ということがよくある。民家の庭先に咲いている花を撮ることが多いためである。花の直ぐ脇に柵があったり、花の後が「家」であったりすることが少なくない。しかし、背景を選んでいたら(ある程度は選ぶが)撮れる花なんてなくなってくる。だから、背景があまり奇麗じゃなくても撮る。自分が狙ったところが「きれい」に出てくれればそれで良いのである。

by dialogue2017 | 2019-02-28 10:00 | | Comments(0)

これも(5)に載せた写真と一緒に12月に掲載した写真。この写真もPlanar2/135(Y/C)で撮影している。自宅の直ぐ近くの公園で撮った。1枚しか撮らなかったが奇跡的にジャスピン。絵柄的には面白くもなんともない写真であるが、レンズの素晴らしさは十分に伝わると思う。一番の特徴はボケがとてもなだらかに柔らかくボケていくこと。そして、ピントが合ったところが浮き上がるような描写をすること。このレンズも40年ほど前のレンズであるが、現行のEマウントPlanar1,4/50やDistagon1,4/35に遜色ない描写力だろうと思う。レンズの描写性能は目を見張るものがあるが、初代のα7がこれだけ奇麗な絵を出すことも伝えたい。


SONY α7 + Carl Zeiss T* Planar2/135(Y/C)

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by dialogue2017 | 2019-02-27 18:00 | | Comments(4)

この写真は昨年末「SONY α7(初代)」で撮った写真がどれほど奇麗かという話を書いた際に何枚か載せた写真の中の一枚なので記憶に残っている人もいるだろうと思う。このレンズはほとんど使ったことが無い。というのは、ピントが浅くて手持ちではほとんどピントが合わせられないからである。こんな風に花を撮ってみ素晴らしいのだけれど、使うなら人物写真を撮るために使いたい。しかし、子どもは絶えず動いていてじっとしていることが少ないので開放でピントを合わせるのはほとんど不可能に近い。もちろんある程度絞り込めば誤魔化しはきくが、絞ってしまったのではこのレンズの最高の持ち味が生かせない。と言うわけで、ほとんど使ったことが無い。もし、大人の女性にモデルになってもらい、カメラを三脚に立てて「ピント拡大」機能を使ってピント合わせして撮影したら、かなり凄い写真が撮れるだろうと思う。

SONY α7 + Carl Zeiss T* Planar2/135(Y/C)  残寝ながら2mmほど後ピン

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by dialogue2017 | 2019-02-27 17:00 | | Comments(0)

「保管庫」の中にあった写真。SONY α7(初代)で撮った写真である。自宅の庭で撮ったことは覚えているがレンズがなんだったか覚えていない。恐らくS-Planar2,8/60 T* で間違いないだろうと思う。というのは撮りっぱなしでトリミングはしていないと言う記憶があるからだ。Planar1,4/50ではここまで寄ることはできない。ところでS-Planar2,8/60 の最短撮影距離はどれくらいだったか(20cm台だとは分かっている)と思ってgoogleに「S-Planar2,8/60 最短撮影距離」と入れて検索してみたところ、引っかかってきた上位3つは私自身のブログエントリーであった(笑)。で、疑問は解消。24cm。しかし、この写真は最短までは寄っていないと思う。スナップ、なかんずくモノクロの場合初代α7とα7Ⅲの差なんてまったく分からない。ちなみに、S-Planar2,8/60 はMacro Planar2,8/60と名前を変えた。後者の方が流通している。ヤフオクだと安いものは3万円弱。

2017年8月12日撮影。SONY α7 + Carl Zeiss S-Planar2,8/60 T* 

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「S-Planar2,8/60 最短撮影距離」と入れてgoogleで検索したトップページ。3つとも私が書いたエントリー。

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by dialogue2017 | 2019-02-27 09:30 | モノクロ | Comments(0)

2017年3月17日撮影 神奈川県相模原市(石老山登山口) SONY α7(初代) + FE 3.5-5.6/28-70 OSS

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流石にこれだけ大きくて見事な梅の木は住宅街ではまず見かけない。「梅園」に行けば見事な梅の木が沢山あり今の時期美しい花を咲かせている。アップの写真を撮る分にはとても良いと思うが、梅の木全体を撮ろうと思うと意外と上手く撮れないものである。やはり梅園の梅の木というのは「人工的」なのである。

こんな風に、山里にぽつんと咲いている梅の木や桜の木というのは「被写体」としてはとても魅力的である。この写真を撮ったときは妻と二人で「石老山」に登って降りてきた後で、車でこの梅の木の前を通過した際に車を停めてちゃちゃちゃと何枚か撮って終わりにしてしまった。こういう梅の木に三脚や脚立を持って行って2時間ぐらい掛けて写真を撮ったら素晴らしい写真を撮ることが出来るだろう。そういうことをやってみたいと思うことには思うのだが、実行したことは一度も無い。そこまでして素晴らしい写真を撮りたいと思わないからである。写真を撮るためだけにどこかに出掛けると言うことをほとんどしたことがない。でも、この春は写真を撮るためにどこかに行ってみたいと思っている。

1本の梅の木を、同じアングルから撮影した3枚の写真を続けてお見せしたが、撮り方一つでこんな風に違った雰囲気の写真になるのである。やっていることはただ梅の木にレンズを向けてシャッターボタンを押しているだけだ。同じカメラと同じレンズで撮っているのにこんな風に写真が変わるのだから写真を撮るって面白いよね。

それにしても、初代α7にキットレンズ、良く写るじゃ無いか。


by dialogue2017 | 2019-02-18 23:30 | | Comments(0)

ISO400で撮影したらα7(初代)とα7Ⅲの画質なんてほとんど変わらない。私はスナップに使うなら、いまでも初代α7に古いZEISSのレンズで十分だと思う。この写真ぐらい写ってくれたら十分じゃないだろうか?

2017年3月17日撮影 神奈川県相模原市(石老山登山口) SONY α7(初代) + FE 3.5-5.6/28-70 OSS(ズームキット用レンズ)

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昨日と今日SONY α7Ⅲを使った。昨日使ったレンズはFE24-105mm F4 G OSS(希望小売価格165,000円+税)。今日使ったレンズはPlanar T* 50mm F1.4 ZA(希望小売価格190,000円+税)。まあ「高級レンズ」と言っても良いだろう。上の写真を撮ったのはFE 3.5-5.6/28-70 OSS(希望小売価格59,000円+税)である。私は2014年にα7を購入する際「レンズキット」を購入した。キット価格から当時のボディ価格を差し引くとこのレンズの価格は2万円台であった。とても軽くてα7の小型軽量をスポイルしないレンズである。特筆するようなレンズではないが、家族旅行などの記録写真を撮るのには十分なレンズだと思う。

この写真を観て、昨日今日使ったα7Ⅲの画質との差をまったく感じない。この写真をα7Ⅲで撮った写真だと言ってみせられたら疑い一つ持たずに信じるだろう。奇麗に写っていると思う。若い人でフルサイズセンサーミラーレスカメラを欲しいと思っているけれど資金的なゆとりがないと言う人にとって初代α7はひとつの選択肢になるだろうと思う。いまでも「レンズキット」が売られているならキットで買うことを勧める。

α7系カメラの「欠点」はレンズが高いことである。若い人にはPlanar T* 50mm F1.4 ZAやDistagon 35mm F1.4 ZA(希望小売価格220,000円+税)は気軽に手を出せないだろう。FE85mm F1.4 GMは「希望小売価格225,000円+税」である。FE24-105mm F4 G OSSは「希望小売価格165,000円+税」である。若い人にはとても手が出せないと思う。α7Ⅲとこの4本のレンズを揃えたら100万円に手が届く価格になる。今日、散歩中に町で見かけたBMW Z3の4.8万キロ乗った中古車が65万円だった(外観はとても奇麗だった)。それと比べたらα7用のレンズは高いと思う。

しかし、「抜け道」がある。古いYashica-ContaxマウントのZEISSレンズを使うと言う手があるということである。マニュアルフォーカスレンズなのでポートレートを撮るには辛い。しかし、スナップをするならなんの問題もないと思う。Distagon1,4/35は高いから手を出さない。まずはPlanar1,4/50。「ヤフオク」なら2万円台で手に入る。Sonnar2.8/135は1万円台から手に入る。Macro-Planar2,8/60も素晴らしいレンズだ。「ヤフオク」での出品は少ないが4万円前後である。Distagonは1,4を諦めて2,8を使う。小さくて軽くて使い易い。F1.4よりかっちり写るのでスナップに向いている。「ヤフオク」なら2万円台前半から出品がある。「α7」のボディの新品価格は89,730円(マップカメラ価格)。

いや、誰かに買ったら良いと勧めているわけではない。α7Ⅲの新品ボディを買う価格でα7(初代)の新品ボディとツアイスレンズ2〜3本を揃えることが可能だという「事実」を教えただけである。α7と FE 3.5-5.6/28-70 OSSの「ズームキット」はまだ売られているようである。「価格コム」での最低価格は108,800円。これにPlanar1,4/50とDistagon2,8/35とSonnar2.8/135の3本を揃えてもα7Ⅲの新品ボディ価格と同じくらいだろう。もしかしたら少し安いかもしれない。私が若くて経済的ゆとりがなかったとしたら迷わずこういう選択をするだろう。



by dialogue2017 | 2019-02-18 22:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

2018年3月8日撮影 FUJIFILM X-T20 + Carl Zeiss Sonnar2,8/135 T*(Y/C) 

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梅の花を撮るのに望遠レンズでなければならない訳では無い。根気よく撮るつもりさえあればどんなレンズでも綺麗な写真を撮ることができる。ただし、梅の木の周り360度から自由にアングルをとれると言うことが条件である。私は一度も実行したことがないが、梅の花を奇麗に撮るためには「脚立」を用意した方がいい。梅の木は意外と高いので上の方に咲いている花が沢山ある。高い位置にある花は下から仰角で撮るしか無いが、その場合背景を上手に整理することができないケースが少なくない。脚立の上からアングルを取れば、俯瞰で撮ることも出来るし、レベルで撮ることも出来る。どう撮るにしても背景を処理して撮ることが可能になると言うことである。

で、「梅の花は望遠レンズで撮る」という話であるが、要するに狭い画角で「切り取る」ことによって枝のゴチャゴチャを切り捨てられると言うことである。また、大きなボケを使って背景のゴチャゴチャをぼかしてしまうことも可能だと言うことである。確か昨年の今頃そういう写真を1枚撮った記憶があるので検索したら上に掲載した写真が見つかった。

撮影した場所は覚えている。なぜか、レンズを構えていた時の自分の姿が記憶に残っている。実際には自分で自分の姿を見ることは不可能であるが、撮っている時の自分の姿を後ろの上の方から眺めていたような「絵」が頭に残っている。実はこの写真はまだ若い低木の梅の木であった。そのため、中腰になって下の方に咲いていた花を中望遠レンズで撮った。私にしては珍しく「工夫」して真面目に撮った写真なので撮った時の記憶が残っているのだろう。

このレンズ、40年近く前のマニュアルフォーカスレンズである。いま「ヤフオク」で調べてみたら一番安い出品は「即決価格」が10,500円であった。15,000円出すつもりがあればいつでも手に入るレンズである。抜きん出たスペックではないが良いレンズである。マウントアダプターを使ってα7やX-T2などに装着して使うことができる。この写真はX-T20に装着して撮影した。135判換算で200mm相当の「画角」となる。

背景の「黄色」がまるで「金屏風」のような雰囲気で「和のテイスト」が出ていると思う。背景のことまで覚えていないが「人工物」であったと思う。右下の白いボケの輪郭を見るとそれが人工物であることが分かる。ここまでぼかしてしまうと背景が人工物でも分からなく成る。α7やX-T20などを「母艦」にして古いマニュアルフォーカスのツアイスレンズを使うというのはなかなか楽しいことだと思う。


by dialogue2017 | 2019-02-18 20:35 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

ほぼ同じ絵柄で撮った"この写真”と色味が違う理由は撮影時間が1時間半も違い「光」が全く違うからである。あちらの方が奇麗な光であった。2枚を比べるとα7Ⅲで撮った写真の方が綺麗に撮れているがカメラの性能の差より撮影時の条件の違いの方が結果に大きく関係していると思う。こういう写真は光の当たり方が僅かに違うだけで結果が変わる。いや、どんな写真でもそうなのだ。たまにこういう写真を撮ってみると写真は「光」の使い方次第だと言うことが肌身に染みてよく分かる。こういう感覚は漠然とスナップをしているだけだとなかなか身につかない。

SONY α7(初代) + Sooner T* 55mm F1.8 ZA ISO800 F11 1/100(マニュアル) AWB CS:ディープ ISO800でも大きな問題は無い

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by dialogue2017 | 2019-01-30 16:00 | | Comments(1)