2019年 12月 06日
撮りたいモノが何もない





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by dialogue2017
| 2019-12-06 14:00
| 花
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2019年 11月 29日
お遊び(2)
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by dialogue2017
| 2019-11-29 18:00
| 花
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2019年 11月 20日
自然に覆われた生活 写真は綺麗に撮れて「当たり前」

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by dialogue2017
| 2019-11-20 14:00
| 写真とカメラの話し
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2019年 11月 20日
しばらく写真撮影はお休みかな
近年この手の写真はX-T2・X-T20で撮るときには「Velvia」、α7Ⅲで撮るときには「ビビッド」と鮮やかな発色を定番にしてきたが、本当はこういう"アッサリ目”の色合いが一番好みである。ただ、ネット上に上げるにはインパクトに欠けるので鮮やかな色の写真を撮っている。 SONY α7Ⅲ + Carl Zeiss T* Distagon FE 35mm F1.4 ZA ISO400 F8.0 1/1000 -0.33EV AWB JPEG-スタンダード 11月9日午後に撮影 昨日はかなり酷い写りの写真を沢山掲載した。PENTAX645Dで撮影した写真であったのだが、カメラやレンズが悪いわけではない。私が"いい加減”に撮影したため酷い写真になったと言うだけのことである。確かにレンズに太陽光が入ってくるような撮り方をするとかなり画質が落ちるという欠点はある。多分、645Dが発売された後に645D用として新たに発売されたレンズで撮影すれば結果は大きく異なるだろう。私が使っているのは古いフィルム時代の645用のレンズなのでそれが逆光気味の撮影をした際に画質が落ちる原因では無いかと思う。 まあそんなことはどうでもいい。PENTAX 645D(初代)が発売から10年経った今でも十分通用するレベルの絵を出してくれるカメラであると言うことについては機会を見つけて「証拠写真」をお見せすることにする。そもそも、私は写真を撮るために散歩をしているのではなく、散歩をすることが目的で写真はその"ついで”に撮っているのである。11月15日は友人と一緒の散歩であった。彼とあれこれ話をしながらの散歩であったたため、私はまったく写真を撮ることに集中できず、熱心に「枯れ葉」の写真を撮っていた彼の撮影姿を見ていた。その姿を見ていて、私にももう少し熱心に写真を撮っていた時期があったことを思いだした。この2〜3年はそういう熱心さが絶えて無くなった。 よい光の時に普通に写真を撮ればカメラがなんであっても綺麗に写る。X-T2であろうと、α7Ⅲであろうと、645Dであろうと同じことである。上の写真の様に、ちょっと絞って撮った写真をブログサイズで見せたのでは決定的な差は出ない。とは言え、それぞれのカメラのポテンシャルを十分に引き出すような撮り方をすれば、ブログに掲載するような小さなサイズの写真であってもセンサーのサイズの違いから生み出される描写力の違いは出てくる。また、使ったレンズによっても違いははっきり出てくる。 こんな風にちょっと絞って撮った写真だと、APS-Cセンサーとフルサイズセンサーの違いはそれほど大きなものでは無い。流石に中判センサーになるとちょっと違いが分かるが、それは奇麗な光でしっかり撮った場合であって、光の状況があまり良くなかったり、雑な撮り方をしたのでは違いが見えてこない(645Dは古いカメラなので悪条件で撮影すると最新のAPS-Cに劣るような場合もある)。当たり前のことであるが、良い条件できちんと撮影することがカメラ(センサー)やレンズの性能を写真に表現するための前提条件である。言い訳をするわけでは無いが、私は"いい加減”に撮っていることの方が多いのでカメラやレンズの性能を十分に引き出した写真ばかりを撮っているわけでは無い。 この間、ほぼ毎週茅野に通っているが、ほとんど何処にも出掛けていない。昨年一昨年は県北の方まで紅葉を見に行ったが今年はどこへも行かなかった。紅葉の時期に当たるこの一月間は「引っ越し」に追われていてどこかに出掛けるゆとりがなかった。また、11月10日には「トムソーヤの森プロジェクト」の「写真展」を行ったのでその準備などにも時間を奪われ遊び歩く暇がまったくなかった。今週末にはもう黄葉はすっかり終わっているだろう。そのあとは茅野周辺ではこれと言って写真に撮りたいような光景はあまりないだろう。「山小屋」のキッチンのリフォームを始めやらなければ成らないことが山積しているので、どこかにちょこっと出掛けて写真を撮るゆとりが出来るのは早くても年末に成るだろう。これから一月ほどは写真を撮ることはあまりないのでは無いかと思う。 最近「写真を撮りたい」という気持がすっかり萎んでしまっている。今年はほとんどスナップをせずに終わった。来年はどうなるか分からない。撮りたいものが何もないのでしばらく撮らないでも良いかと思っているが、年が明けて積雪があれば1〜2回は雪山を歩くことがあるだろうからその際に写真を撮るだろうと思う。友人からSIGMA Quattoroの45mmと75mmを借りることになったので多分それで撮影するだろうと思う。Quattoroは21mmと28mmを使ったがとても魅力的なカメラである。ただ、どちらかというと「作品」を撮るためのカメラだという認識であるため、日常使うことはまったくない。最後に使ったのがいつだったのか忘れてしまったほど長い間使っていない。もしかしたら丸一年ぐらい一度も使っていないかもしれない。45mmと75mmを借りたら21mmでも撮ってみたいと思う。
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by dialogue2017
| 2019-11-20 05:00
| 散歩写真
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2019年 11月 06日
セッティングして撮った写真を越える写真
7〜9月の4ヶ月に撮影した写真を510枚プリントしたのだが、その中から比較的よく撮れている写真を選んでみたところ、ほとんどがDistagon 35mm F1.4 ZAで撮った写真であった。まあ当たりまえである。7〜9月に撮影した写真の80%ぐらいはDistagon 35mm F1.4 ZAを使って撮ったのだから。それにしても素晴らしいレンズだと思った。まったくセッティングなしで撮った写真でこれだけの写真が撮れるのなら、きちんとセッティングして撮影したらもっと素晴らしい写真が撮れると思う。アマチュアの方は(私もアマチュアだけれど・笑)"セッティング”して写真を撮ると言うことをあまりやらない人が多いのでセッティングするしないの違いがどれほど大きいかいまひとつピンとこないだろう。
「セッティング」というのは光をコントロールすることである。写真は光の当たり方で決まる。だから、セッティングして撮るのとあるがままに撮るのではまったく違った結果になる。くどいほど何度も書いたことだけれど、「僅かな違い」が「大きな違い」を生むのである。残念ながら、「トムソーヤの森プロジェクト」で撮った写真にはセッティングして撮った写真はほとんどない。しかし、セッティングなんかしていたのでは撮れない写真というものもある。そして、そういう写真の中にはセッティングして撮った写真を越える写真がある。そういう写真をどれだけ撮ることが出来るかという点にこそ、フォトグラファーとしての力量が現れると言って良い。
この写真のなんと力強いことか。こういう写真はセッティングしたのでは絶対に撮れない。一発勝負じゃないと撮れない写真である。
SONY α7Ⅲ + Carl Zeiss T* Distagon FE 35mm F1.4 ZA ISO400 F2.0 1/320 +0.67EV AWB
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by dialogue2017
| 2019-11-06 21:00
| トムソーヤ
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2019年 11月 06日
Planar T* 50mm F1.4 ZAで撮った写真

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by dialogue2017
| 2019-11-06 17:00
| トムソーヤ
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2019年 11月 05日
霧に煙る
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by dialogue2017
| 2019-11-05 16:30
| 風景
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2019年 11月 02日
191029朝の散歩(その4)
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by dialogue2017
| 2019-11-02 23:00
| 散歩写真
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2019年 10月 30日
191028夕暮れ前の鏡湖
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by dialogue2017
| 2019-10-30 01:00
| 風景
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2019年 10月 24日
21日の朝の散歩
前の「茅野の家」は「山頂」に近い位置にあったため、家の近くはかなりの急傾斜であった。周回路もなく、散歩をする気にはなれなかったが、新しい「茅野の家」は「湖」のほとりにあるため割と平坦な周回路がある。散歩をするにはちょっと短いがジョギングなら何周かすればちょうどよい塩梅である。「湖」は灌漑のために作られた人工湖なのだが、見た感じでは自然湖と変わりない。小さな「湖」ではあるが周りには様々な樹木があり、季節の移ろいとともに「景観」が変わる。今の時期は、1週ごとに「葉」の色が変わるので毎週違う「景色」を見ることが出来る。そういう意味では、冬場を除けば写真を撮ることにさほど飽きないかもしれない。
ノンビリ歩きながらいい加減に撮った写真なので人様に見せるような代物ではないが、このブログは私自身にとっては「日記」代わりでもあるので新しい茅野の家での「初散歩」の記録として写真を掲載しておく。家を出てから一周して戻ってくる間に撮った順に載せる。1枚目は翌朝撮った「191022朝の散歩(1)」と同じ場所。新しい家から20mほどの場所である。
これらの写真のジャンルは「風景写真」でないことは言うまでもなく、私自身の認識としては「スナップ」でもない。しいてカテゴライズすれば「記録写真」である。2019年10月21日の朝、新しい茅野の家で朝の散歩をしたことの「記録」である。ここに住んでいたのでは日々の季節の移ろいを実感しにくいが、毎週末に東京からやってくると前の週に見た光景と「色」が変わって居ることに直ぐに気がつく。完全に住んでしまうより「週末移住」の方が新鮮である。
ついでながら言っておくと、この手の写真を撮る際にはある程度絞り込んで撮った方が見栄えの良い仕上がりとなる。たとえば1枚目はF8で撮っているが手前側の葉はアウトフォーカスになっている。私はAFは基本的に「中央1点」しか使わないのでこういう絵柄を撮る時には中央奥の樹木でピント合焦となる。手前の葉はかなり近いのでピントが合わない。あと一絞り絞るともう少し良くなる(F13以上は回折ボケが出るので使わない)。しかし、たんなる「散歩の記録」なので私にはそういうことはどうでも良い。ほとんどの場合、プライベートで撮っている写真は「委細構わず」である。写っていればそれで十分なのである。分かりやすく言うと、「奇麗に撮ろう」などという欲求はほとんどない。
ついでのついでにもう一点。FE 24-105mm F4 G OSSはもの凄く使いづらい。というのは鏡胴に「絞り環」が無いからである。Distagon FE 35mm F1.4 ZAにもPlanar FE F1.4 ZAにも鏡胴に「絞り環」がある。私は平素はFUJIFILM X-T20を常用しているが、FUJINON XFレンズは基本的に鏡胴に「絞り環」がついている。それにすっかり慣れているので「前ダイヤル」で"絞り値"を変えるというのは非常にやりにくい。DistagonにもPlanarにもFE85mm F1.4 GMにも鏡胴に「絞り環」があるのに、FE 24-105mm F4 G OSSにはない。この4本をを交換して使っているとFE 24-105mm F4 G OSSを使う時だけ絞り操作が異なるのである。同じメーカーの同じカメラ用のレンズでこういう風に設計が異なるというのは非常に馬鹿げたことだと思う。はっきり言って"うんざり”する。
更に言っておきたい。DistagonとPlanarはどちらも鏡胴の「絞り環」で絞り値を変えるが、前者には1/3段ごとに"クリックストップ”があるが後者にはそれがない。こういう動作は僅かな「操作感」の違いで使い勝手が変わる。ジックリ撮る人にはどうでも良いことかもしれないが、私のようにほとんど「とっさ」に写真を撮る人間には大きな問題である。こういうことは統一仕様にすべきだと思う。SONY、もっとしっかりして欲しい。と言うか、こういうことは「アドバイザー」をやっているプロカメラマンが強く意見を出すべきだと思う。私はFUJIFILMに対して、当初X-T2の「露出補正」が「前ダイヤル」でしかできず「後ダイヤル」に割り当て出来なかったことに対して、「人間工学的に考えても絶対におかしい、すぐにでもファームアップで対応すべきだ」と強く意見を言った。それはすぐに実現した。
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by dialogue2017
| 2019-10-24 09:00
| 散歩写真
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