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iPadで写真を見せたら「まるで写真館で撮った写真みたい!」を驚かれた。確かに写真だけ見せられた白のバックペーパーを背景にしてストロボをぶつけて撮った写真のように見える。しかし、室内で窓をバックにして撮影した写真である。

レンズを向けている真正面が南向きの窓。その窓からの光はママの顔に回っている。この窓からの光は赤ちゃんには逆光。しかし、赤ちゃんの向いている方に西向きの窓がありそこからの光が赤ちゃんに当たっている。しかし、昼過ぎの撮影なので西側の窓からの光は弱い。で、父親にレフ板を持って貰い赤ちゃんのほぼ正面から光を返して撮影した。光をコントロールした上での撮影なのでスタジオ撮影であるかのような雰囲気の写真になっているが自然光だけでの撮影である。きちんと撮る時はこんな感じである。写真館クオリティー(笑)。

追記。参考までに書いておく。赤ちゃんの瞳に入っている"キャッチアイ”はレフ板では無く西向きの窓である。


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by dialogue2017 | 2019-09-01 15:00 | 家族写真 | Comments(2)

(1)に掲載した写真の5秒後に撮った写真である。モデルの位置は同じ。カメラマンの位置も同じ。つまり全く同じカメラアングル。変わったのはこの子がピンク色の器を胸の前まで下げたこと。私は5秒間ファインダー越しにこの子を見ていた。器が下がった瞬間、ピンク色のバウンス光が無くなった。その瞬間にシャッターを切った。その時、自分でも良く覚えていないのだがとっさに絞りをF2.0からF2.2に1/3段絞って撮っている。たぶん、「目」までピントを届かせようと思って絞ったのだと思う。私はこういう「操作」を条件反射的にやっていることが多い。半ば「無自覚的」にやっていると言うことである。

絞りを1/3段絞ったのでシャッター速度の方は1/3段遅くなった。つまり露出は全く同じ。しかし、写真の雰囲気は大きく変わっている。「わずかな違い」が2つあるからである。一つ目は、ピンク色の器からのバウンス光が無くなったことによって、顔の中央部の「赤っぽい」色合いがなくなりスッキリした透明感のある奇麗な肌の色になったこと。しかしである。それでけであれば肌の色がこんなに変わるわけが無い。わずか5秒差で撮った写真であるし、その5秒の間に光の具合が変わったわけでは無い。どちらもAWBである。もちろん仕掛けがある。

(1)に掲載した写真はRaw現像する際にクリエイティブスタイルの「人物」を使った。実は、私はこのα7Ⅲの「人物」というクリエイティブスタイルにちょっと困惑している。肌が過度にオレンジ色っぽく出てしまうことが多いのである。それでなくてもEOSやFUJIFILMの色が好きな私である。SONYやNIKONの黄色っぽい肌の色はあまり好きでは無いのだ。クリエイティブスタイルの「人物」を使うと「黄色」ではなく「オレンジ色」の肌になる(ことが多い)。(1)の写真がそうである(ああ、分かりやすくするため下に掲載しておく)。

クリエイティブスタイルの「ニュートラル」を使うと黄色っぽい肌には成らず透明感のある色になる。実際の色に比較的近いのだがあまりに「地味」な発色なのである。そこから彩度を上げていくとか、赤味を少し入れていくとかいうレタッチのやり方もあるが面倒である。面倒もさることながら色に「バラツキ」が出てしまう可能性がある。そういう事情でちょっと困っていたのである。

ところが思わぬところに「解決策」があった。私はいまはCamara Rawを使って1枚1枚Raw現像をしているのだが、Photoshop CCでRawファイルを開いたときには「アドビカラー」が適用された画像が開く。この「アドビカラー」がちょっと透明感のある肌の色でなかなか良いのである。幾分「冷調」な感じなのでそのままで使えるケースは多くないかもしれないが、「クール」な表現をしたいときは色を変えずに使える。少なくともクリエイティブスタイルの「ニュートラル」から弄るよりは自分の好みの色合いに調整しやすい気がする。

この写真は「アドビカラー」からケルビン値を僅かに上げている。つまり、少し「暖調」に振っていると言うことである。ほんの僅かだけの変更である。この写真は「記録としての写真」ではない。「ポートレートフォト」であると言うのは些か気恥ずかしいが、ポートレートフォトである。横顔を撮っている上髪の毛で顔が隠れているがそれは問題にはならない。この写真はどこかに発表する為のモノでは無く、この子の親御さんに差し上げるための写真である。寧ろ、こういうアングルの写真はご家庭では撮ることがほとんど無いので新鮮に感じてもらえるはずである。私自身の好みとしてもこういうアングルのポートレートフォトは好きである。

とっさにF2.2に絞ったのが功を奏して「目」までピントが届いている。もちろん、こういう条件では「瞳認識AF」はまったく作動しない。髪の毛に遮られているため認識出来ないのである。F2.0で撮った(1)に掲載した写真は目までピントが行っていない。あの写真の場合僅かにアウトフォーカスであることは構わない。しかし、この写真の場合目までピントが届いていないと完全に失敗である。撮っている時、(1)は目までピントが行かなかったことを知っているわけでは無い。私は撮影後に背面モニタをあまり見ないし、見たとしても小さな背面モニタで目のピントの確認は出来ない(私は拡大表示してピントの確認をしたことが一度も無い)。しかし、過去に沢山の子供をF2.0、F2.2、F2.5、F2.8で撮り分けているので「感覚的」に「F2.2」だと思ったのだと思う。それは「無自覚的」に判断している。

5秒違いで同じ場所から同じ「露出」で撮った写真であるが、ちょっと「条件」が変わると写真はこれほどまでに雰囲気が変わってしまうものである。念のために書いておくが100%アベイラブルライトでの撮影である。私は、「仕事」でロケ撮りをする際には真っ白なシャツを着ていく。一人で撮影するケースではレフを使えない事が多いので、自分自身をレフ代わりにしようということである。寄って撮った場合、真っ白なシャツを着ていれば僅かではあるが光を返すことが出来る。この日も現場に着いたときには白いシャツを着ていたのだが、暑かったので撮影を始める前に脱いでTシャツ1枚で撮影した。Tシャツまで白にしておくほどの熱心さは私には無い(笑)。だから、この写真は手前から返している光は一切無い。

もうひとつ念のために書いておくが、露出補正なしで撮影しているので、元のRawファイルは当然アンダー目である。JPEGだけで撮っていたとしたら+1.0EVの補正を掛けて撮っただろう。現在、α7Ⅲで撮った写真は基本的にはRaw現像しているため、±1.0EV程度の補正が必要なケースでは補正無しで撮ってしまうことが多くなった。α7Ⅲのセンサーのダイナミックレンジはおよそ15EVである。ほとんどの場合±1.0EV程度の露出のずれはRaw現像時に奇麗に調整することが出来る。もちろん、撮影時から適正露出で撮るべきなのだが、20人もの子供を追いかけ、あちらこちらと動き回って撮っていると露出補正などしている暇が無い。そんなことをやっていて素敵な表情を撮り逃すよりまず撮っておくことの方が遙かに重要である。

カメラを向ける方向によって露出が大きく変わる森の中での撮影を考えると、α7Ⅲの「15ストップ」のセンサーはもの凄くありがたいと思う。スナップ写真を撮るのにα7Ⅲの必要性なんて私には欠片も無いが、このイベントで子どもたちを撮影するに当たってはα7Ⅲはもの凄く大きな武器である。カメラもレンズも「撮影目的」や「撮影事情」にあったモノを使うことが大切である。そんなことはプロにとっては当たり前のことであるが、アマチュアは憧れでカメラやレンズを選ぶ。プロにとって当たり前のことを「当たり前のこと」と捉えるアマチュアは少ないが、それができるひとは上手くなる。

追記。この日はほぼDistagon T* FE35mm F1.4 ZA 1本で撮り通した。この時だけちょこっとFE85mm F1.4 GMを使って撮った理由は、この子の写真を撮ってあげたかったからである。前々回撮って差し上げた写真をこの子のママが喜んでくれたのでその時の写真より「特別感」のある写真を撮ってあげたかったのである。

SONY α7Ⅲ + FE85mm F1.4 GM ISO400 F2.2 1/500 ±0EV 2018年8月25日 12:24:45撮影 明るさと色の補正のみ

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上の写真の5秒前に同じ条件で撮った写真である。下の写真と比べると上の写真はポートレートフォトと言えると思う。こちらはクリエイティブスタイルの「人物」を使っているが、Raw現像の際「オレンジ色」をかなり落としている。子供の写真なのでこの肌のいろは健康的で悪くは無いと思うが困るケースも少なくない。

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by dialogue2017 | 2019-08-30 23:00 | 写真とカメラの話し | Comments(6)

8月25日の「トムソーヤの森プロジェクト」で撮影した写真の中の1枚である。「流し素麺」を食べているシーンである。私はこの写真を「記録としての写真」として撮った。もちろん可愛らしく撮って上げたいと思って撮っているし、綺麗に撮れたら親御さんに差し上げる積もりで撮っているので普通のご家庭では撮れないような雰囲気の写真にすることを念頭に置いた上で撮影している。

この写真は「記録としての写真」としてはパーフェクトである。パーフェクトという表現は大げさであるが、なんの問題もなく奇麗に撮れていると言うことである。女の子の顔の中央部分が「赤く」なっているのは手に持っているピンク色の器からのリフレクションのためである。ピンク色の光が黄色い肌に被って赤っぽい色になったのである。これはこの写真の欠点では無い。むしろカラフルな感じを引き立てるのに一役買っていると言っても良い。そういう意味ではこの写真は「記録としての写真」という域をある程度越えていると言っても良い。つまり「ポートレートフォト」的であると言うことである。しかし、私自身はあくまで「記録」を残す為に撮った写真である。

ところがである。わずか5秒後に私は「ここだ!」と思ってもう1枚撮った。そちらは単なる「記録としての写真」ではなく、小さい女の子のポートレートフォトになった。わずか5秒で撮影条件が変わったのである。

比較するために、この写真の直ぐ下に5秒後に撮った"ポートレートフォト”を掲載した方が話しは分かりやすいのだが、それでは面白くないのでその写真は稿を改めて紹介することにする。気が向けば1時間後にアップするし、このあと何かを始めたら明日のアップとなるかもしれない。この際”引っ張った”方が楽しいかな(爆)。


SONY α7Ⅲ + FE85mm F1.4 GM ISO400 F2.0 1/640 ±0EV 2018年8月25日 12:24:40撮影

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by dialogue2017 | 2019-08-30 21:30 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

この写真は3通りのレタッチをしてみた。クリエイティブスタイル「人物」で作った写真が一番ナチュラルで自然な感じに仕上がった。この写真より少し肌の色が黄色っぽく僅かにコントラストとシャープネスが弱い。とても自然だ。もう一枚はCSを「クリア」にして作った。肌の色に透明感があり鮮やかな印象であるが心持ち派手な感じになった。そして掲載したこの写真はα7Ⅲオリジナルのクリエイティブスタイルを使わず、Photoshop CCに装備されている「アドビ標準」でRaw現像したものである。Photoshop CCでRawファイルを開くととりあえず「アドビ標準」で表示される。その色がいい感じだと思ったのでとりあえずそのままで明るさを整えた。しかし、CS「人物」を使ったモノで「本番」を作るつもりであったのでちょっと遊んでみた。少し強めに「スマートシャープ」を掛けて見たのである。そのせいで「瞳」と「睫」のシャープネスが強調され、反対に顔の肌が柔らかく描写された。3枚を並べてじっくりと比べてみて、やはり「人物」で作った写真が一番自然で良いと思い一端それを掲載したのだが、いつも「平凡」ではつまらないと思い、こちらに差し替えた。ちょっと"イラストレーション"ぽい感じであるがこの子のママに一番喜ばれるのはこのバージョンだろうと思う。でも、プリントを差し上げる時にはそれが一番重要なのだ。ご家庭では絶対に撮れない写真だから。

ハイキーに仕上げているので「顔」に光が当たっている写真だと勘違いされるかもしれないが、実は帽子の「ツバ」で光が遮られ+1.0EVで撮っているにもかかわらず顔はかなりアンダーに暗く落ちている(レフを使わず撮影)。レタッチ段階で全体としての露出をかなり持ちあげ、シャドーも起こしている。元ファイルを見た感じではかなり「暗部ノイズ」が出た写真になるかと思ったが、思いの外奇麗な肌に仕上がった。撮り比べているわけでは無いので確かなことは言えないが、APS-Cセンサーだともう少し暗部にノイズが乗っただろうと思う。魚住誠一さんにレタッチして貰ったらもっと綺麗な写真になるだろう(爆)。冗談では無く、レタッチを勉強すれば私の写真は確実にワンランクアップする。

追記。やはりやり過ぎだな〜(笑)。CS「人物」で作ったナチュラルな仕上がりのファイルに替えたくなる。ついでながら書いておく。私のMacBook PROでこの写真を見るとコントラストが浅すぎてハイキー過ぎて見える。しかし、iPadmini 4で見ると適度のコントラストが着いている分写真がしまりかなりハイキーではあるがMacBook PROで見た時ほどの違和感は無い。この写真は閲覧に使用するモニタの「輝度」によって見え方がかなり変わると思う。まあ、いずれにしろかなりハイキーではある(笑)。しかし、付記するまでも無くハイエストライトは255に収まっている。

追記2。念のため書いておく。このレタッチは「お遊び」だからね(笑)。


SONY α7Ⅲ + FE85mm F1.4 DM ISO100 F1.4 +1.0EV AWB CS:アドビ標準

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by dialogue2017 | 2019-08-14 00:00 | ポートレート | Comments(1)

我が娘と同名の「ゆいちゃん」は2年生。笑顔が素敵だ。可愛らしい写真を沢山撮ってあげるね。

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13時も回ったというのに今日はなにもしていない。8時過ぎの起床だった。いった5時間なにをしていたのだろう? 決してボーッとしていたわけではないのだが。そうだ、昼前に今回の「旅行」で撮った写真の整理をした。21日のイベントで撮影した子供の写真ではなく、我が家の旅行の記録写真を整理した。娘のお友だちが一緒だったのでその子の親御さんにDVDで写真を差し上げるという事情もあって、写真の整理をした。

写真の整理をしていてこの先「家族写真」を撮る量も減っていくだろうと思った。いや、すでにいままでの半分以下になっている。息子は中学生になった昨春から基本的に家族旅行には同行しなくなった。昨年は夏の沖縄旅行と、冬に二度ほどスキーには同行したが、それ以外は一人で家に残った。今年はまだ一度も家族旅行に参加していない。そんなわけで妻と娘と3人で旅行に行くようになったのだが、娘がボルダリングに熱中していて、土日はコンペに参加したりレッスンがあったりして今年は旅行に行く機会自体が減った。そんなわけで「家族写真」を撮る枚数はすでに大幅に減っている。

娘は今週末も二週続きでコンペに参加する。今後週末にコンペに参加することは増えていくだろう。娘は、できるだけ沢山ボルダリングをやりたいのでお父さんとお母さんの二人で「茅野の家」に行っても良いと言う。おにいちゃんと二人で留守番出来るからと。流石に、小学4年生の娘を置いて旅行に行くというわけには行かないので旅行に行くことが減っている。いまは日常生活で家族の写真を撮ることはほぼ全く無い。娘が1年生ぐらいまでは日常生活においても沢山写真を撮っていたが、2年生ぐらいから激減し、3年生以後はほとんど撮らなくなった。それでいいと思っている。

私にとって撮る価値がある唯一の写真は「家族写真」であった。今後も、多少は撮る機会があるだろうし、「我が家の記録」を残しておくという範囲では今後も撮り続けると思うが、娘が中学生になったら、家族揃って旅行に行くということ自体が非常に少なくなるだろう。だから、私が「家族写真」を撮るのも概ねあと2年ぐらいだろう。家族の写真を撮れなくなることは悲しいことではない。家族の絆が壊れたわけではないのだから。中学生になったら子供は「一人の人間」としての自立への道を歩み始める。親は子供との関係を,一歩引いたところからバックアップをするスタイルに変えるべきである。私が最近書斎に籠もりきりになっている理由の一つは、子供との距離感をあけるためである。

7月21日に子どもの写真を沢山撮った。20人の子供の写真を撮ったのだが、10時〜16時の6時間撮り続けたのでかなりの枚数となった。もちろん6時間ずっと撮り続けていたわけではないが、1,000枚以上撮った(そんなにたくさん撮った理由は「ブランコ」や「縄跳び」をしているシーンは"連写”で撮ったからである)。イベントの記録を残すという目的で撮ったのでまずは子どもたちがその日の企画に取り組んでいる写真を撮った。この日は「ハイゼックス炊飯」と「木工」「秘密基地作り」がテーマだった。子どもたちが夢中になって企画に取り組んで作業をしているシーンの写真を沢山撮った。だから、「真剣な表情」の写真を沢山撮った。
「記録写真」を撮るというのは楽しいことである。それは「娯楽的」な「楽しさ」ではない。行われているイベント自体が有意義であることが、その記録写真を撮影することの価値を生み出している。沢山の参加者(子供・親・ボランティアを合わせると50人ほどが集まった)に、当日の写真を残して上げると言うことは有意義なことである。そして、有意義なことをすることは楽しいことである。

だれかの「役に立つ」ということは素敵なことである。
誰かに喜んでもらえるというのは幸せなことである。

だから、私は自分自身が楽しむために写真を撮るより、
誰かのために写真を撮ってあげる方が好きである。

写真館を始めた動機はそういうことであった。

誰かに喜んでもらうということは人間にとって最も大きな喜びだと思う。

誰もが恋人や自分の子供のために沢山のことをしてあげるよね。自分にとって大切な人間が喜んでくれるというのはとても嬉しいことだよね。それは、なにも自分にとって極めて大切な人に対してだけ感じる感情ではないと思う。誰かに何かをしてあげること、そのことによって誰かがとても喜んでくれること、生きていてこれ以上に嬉しいことは無いと思う。

21日は本当に久しぶりに写真を撮ったと感じた。なぜなら「人間」を撮ったからだ。私はスナップをして「充実感」を覚えると言うことは無い。撮っている時には楽しいし、撮った写真の中に気に入る写真があることもある。しかし、そのことによって「充実感」と言えるほどのものを感じることはない。そもそも、それを求めていない。何度も書いたことだけれど、私は「スナップをして歩く時間」が好きだからそれをしているのであって、結果としての「写真」に大きなこだわりは無い。だから、この10年間、自分が撮ったスナップフォトを1枚もプリントしたことが無い。私がプリントするのは"よそのお子さん”を撮ってあげた写真だけである。我が子の写真はプリントしない。

写真を撮ることは好きだ。とても好きである。しかし、新宿や渋谷や浅草に出向いてスナップをしたいとはあまり思わない。年に何度かそういうことをしているが、そのほとんどは新しいカメラやレンズを買った時で、言わば「テスト撮影」としてのスナップである。もちろん、過去に新宿や渋谷や浅草で「スナップをしたい」と思ってしたことが無いわけではない。「こんな風な写真を撮ってみたい」と思いつくことがあると東京でもスナップをすることはある。しかし、そういうことは稀である。東京でスナップ写真を撮っている時というのは、用事があって出向いた行き帰りに「ついで」で撮っていることがほとんどなのである。誰かの写真展を見に行った行き帰りにちょこちょこと撮りながら歩いた、そういう撮り方である。だから、出掛ける「用事」がないと何ヶ月でも写真を撮らないと言うことになる。事実、この2ヶ月間、イベントの記録写真撮影を担当したことと、それに参加するために「茅野」に行った際の「家族写真」以外に一度も写真を撮っていない。

江の島・鎌倉界隈界隈に行って写真を撮る一番大きな理由は、「そこへ行きたい」からである。カメラを持たずに行っても十分に楽しく過ごすことが出来る。事実、私は20代から40代始めに掛けての20年ちょっとの期間、カメラを持たずに鎌倉界隈界隈に通い続けていたのである。いまでもカメラを持たずに出かけても楽しい時間を過ごすことが出来る。ただ、カメラを手にして歩く方がなお楽しい。だから、私は江の島・鎌倉界隈界隈でばかり写真を撮っているのである。そこで撮る写真にそれほど大きな価値があるとは思っていない。私にとって大切なのは"そこで過ごす時間"なのである。他にあるとすれば、若くてスリムでとびっきりチャーミングな女の子と出会うことかな(笑)。

残念なことにこの春から撮る予定であったポートレートは、モデルさんが遠くに行ってしまったために撮影を断念した。その後すぐに、「彼女」よりもっと美人のモデルさんを見つけたのだけれど、「本気で撮りたい!」というエモーションは生まれなかった。いまはポートレートが撮れないことをあまり残念には思っていない。私は「ポートレート」が撮りたかったのでは無く、「彼女」が撮りたかったのである。「彼女」を撮るチャンスは残っている。もしかしたら、1年後に念願が叶うかもしれない。しかし、いまはそのことに対する「熱望」はない。写真を撮るということに対して覚めてしまったから。

しばらくの間、知人が月に一度開催している子供のためのイベントの写真を撮り続けて見ようと思う。私がやりたかったことは「若くてスリムでとびっきりチャーミングな女性」のポートレートフォトを撮ることだった。きっちりと"セッティング”したライトで撮りたいと思っていた。プロカメラマンとプロのモデルが創るポートレートフォトとは違う、プライベート感に充ち満ちたポートレートフォトを撮りたいと思った。ポイントは"セッティング’した撮影をすることだった。ギリギリまで光を計算してポートレートを撮ってみたいと思っていた。

子供の写真を撮るというのは私がやりたかったこととは全く違う。「あるがままに撮る」しか無いからだ。"セッティング”して撮るのとは対極的である。やってみたかったことでは無い。子供の写真は沢山撮った経験がある。自分の子供ではなく、見知らぬ他人の子供を沢山撮った。もう十分撮ったよ(笑)。自分の娘の写真も大量に撮ったしね。だから、一度も撮ったことが無かった「大人」の女性を撮ってみたかった。でも、当分の間、月に一度子供の写真を撮ってみようと思う。そう思った理由は、子どもたちの親御さんからもの凄く喜ばれるからである。喜んでくれる人のために写真を撮るというのは楽しいことである。しかも、お金を貰わずに撮れるのだから素晴らしい(笑)。お金を貰って撮影しても「お客さん」が喜んでくれればこちらも嬉しい気持になる。しかし、金銭が介在しないところにこそ「純粋な喜び」が生まれるのである。

子どもたちの笑顔の写真を沢山撮って上げようと思う。それはとても大切な「記録としての写真」になるだろう。自分の家族の写真ではなくても、その写真がその子の家族にとって大切な写真になるのであれば撮る価値は高い。

(おわり)



by dialogue2017 | 2019-07-30 14:00 | 写真論 | Comments(0)

パステルカラー

ひとつ前のエントリーに掲載した写真の女の子の"いもうと"。顔も似ていないけれど性格も正反対。写真を撮られるのが嬉しくないお年頃のようで、レンズを向けると舌を出してべーってされた。そのためもあって良い写真が撮れなかった。私は、SIGMA 85mm F1.4を愛用していた。Artモデルになる前の初代のレンズの方を使っていたのだけれどそれでも十分満足できた。Artモデルの85mmは使ったことがないが、一度使ってみたいと思う。85mmのF1.4でここまで寄るとピントが合う範囲はもの凄く薄い。睫にしかピントが来ない。こういう写真を撮るときにはF2.0〜F2.5ぐらいまで絞っておいたほうが無難。開放だとピントが外れているように見える。それから、これは撮った後に気がついたのだけれど、前髪がアウトフォーカスになっている。この写真を見たときに違和感を覚えた。初めはピントが外れているのかと思った。左目でピントを合わせたのだが右眼がアウトフォーカスになっている。そのせいでピントが外れているように見える。それが違和感の理由だと思ったのだが、じっと見ていて「前髪」のせいだと気がついた。

私は新しく使い始めたレンズは絞り開放で沢山撮影する。大口径レンズの魅力は絞り開放で撮ったときの描写にあると思う。もちろん、ちょっと絞った方が画質が良くなるケースは多い。私がポートレートフォトでF1.4よりF2.0を多用するのもF2.0の方が画質が良いケースが多いからだ。感覚的な表現になるが開放で撮った写真よりF2.0で撮った写真の方が"芯”がある写真になると思う。だから、真面目に撮らなければならないケースではF1.4で撮る量は少なく、F2.0〜F2.5を多用する。

しかし、新しく入手したレンズを使い始めたときには開放で沢山撮る。開放にはそのレンズ独特の魅力がかならずあると思うから。ただし、開放は「諸刃の剣」で当たり外れが多い。35mmや50mmのF1.4ならまだしも85mmのF1.4になるとピントがもの凄く薄い。狙ったところにピントが合ってもその「一点」以外はみなぼやけているわけだかピントの甘い写真に見える。だからF2.0〜F2.5を多用するのだけれど、使い始めの時は「テスト」期間なので結果を追わずにとにかく開放で沢山撮ってみることにしている。この子は次回はしっかり撮ってあげたい。


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by dialogue2017 | 2019-07-29 09:00 | ポートレート | Comments(0)

まあ、遊んでいるところをさっさと撮っているのでこんなもんなのかな〜。でも、ちがうんだよな〜。物足りない。暗部にノイズが出ているし。まあ、私が撮りたい感じの光ではないのだから仕方がないけれど… ほぼ真正面からなので絞り開放で問題なし。次回は晴天で撮ってみたいな。

私はこういう感じの子供の写真はあまり好きでは無い。もっと自然な感じのどうといったことのない"平凡な写真”が好きである。しかし、こういう写真はママさんたちにはウケる。現場でiPadで見せると大騒ぎになる(笑)。後日プリントなど持って行ってあげた日には蜂の巣を突いたような騒ぎとなる(笑)。まあ、せっかく撮って差し上げるのであれば、普段ご家庭では撮らないような雰囲気の写真を撮って差し上げた方が喜ばれるのでこういう写真も撮ることにしている。バックペーパーを使って撮ったような写真は見栄えがする。

これはこれで良いと思うが、同じ構図で逆光でレフで光を返して撮影したらもっと華やかさのある写真になる(その場合、もっと光を透過しやすい薄手の帽子か帽子なしの方がいい)。次回はそういうのを撮って差し上げようと思う。本人もそういう写真が残っていたら将来自分に娘が出来た際に「ママが子供の時の写真よ」とちょっと自慢げに見せるだろう(笑)。そういうのが正しい写真の使い方である(爆)。写真の"真価”は「記録」と「思いで」を残せること。ちなみに、これが85mmの間合いだと思う。

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by dialogue2017 | 2019-07-29 06:00 | ポートレート | Comments(0)



モノクロでポートレートフォトを撮っている人、あるいはこれから撮ってみたいと言う人にお勧めなのはこのミュージックビデオ。モノクロポートレートのライティングのあらゆるバリエーションが出てくる。撮ってみたいと思っているライティングがいくつも出てくる(笑)。ついでながらの感想であるが、宇多田ヒカルはモノクロポートレートのモデルとしてなかなか魅力的だと思った。タイプではないがやはり顔立ちは整っていると思う。流石に藤圭子の娘だ。ああ、いまの若い人は知らないかな。「日本人形」とまで言われた歌手である。




「ライティング」というと、ストロボやLEDライトなどを使った「照明」のことを思い浮かべるだろうと思うが、"available light”での撮影でも「ライティング」を行って撮影する。つまりその場に注いでいる光をどういう角度で被写体に当てるかという工夫をして撮影するということである。たとえば観光地などでカップルからなど「シャッターボタンを押して下さい」と頼まれることが良くある(私の場合こちらから声を掛けて撮って差し上げることが多い)。その際、私の前に並んだ男性と女性の位置を入れ替えて貰うことが良くある。例外なく不思議そうにする。なぜそんなことをするか分からないからである。理由は簡単なことで、例えばカメラマンから見て右上に太陽がある場合、カメラマンから見て右側に男性が立っていると女性の顔に影が出来ることがあるからである。正確に言うと男女の別ではなく背が高い方が右側(太陽に近い側)では不都合だと言うことである。私は、基本的に女性の顔になるべく奇麗な光が当たるようなアングルで撮影する。これも「ライティング」である。

先ほど小腹を満たすためにリビングに上がったら娘が『ラジエーションハウス』というテレビドラマの録画を見ていた。生ハムを載せたトーストをかじりながら私もテレビを見ていたのだが、ちょっと違和感を覚えた。あまりライティングがキレイではないのである。病院内のシーンはともかく、屋外で二人の主人公(本田翼と窪田正孝)が向き合ってしばしの「お別れ」をするシーンがあるのだが(最終回の見所シーン)、窪田君へのライティングは悪くないのだが本田翼へのライティングが良くなかったのである。ドラマ全体を見ていても本田翼に対するライティングがあまり良くない。ちょっとアンダーだというシーンが多い。アップになったときに瞳を確認すると、ライトが写っていたり、戸外のシーンではレフが写り込んでいるのだが、返しの光がほとんど効いていない。もう少し奇麗に撮ってあげないと女優さんに失礼だという気がした。

私は10代の終わり頃から30年間まったくテレビを見なかった。14年前に息子が生まれてからは子供がテレビを見るのでそれを一緒に見ることはちょくちょくあるようになった。私は今までNHKの朝ドラをただの一度も見たことがないのだが、近年、妻や子供が見ているのを横から眺めると言うことがちょくちょくある。NHKの朝ドラは昭和初期などを舞台にした作品が多いが、ライティングが実に凝っている。あまりに見事なライティングなのでストーリーよりライティングばかりが目に入ってくる程である(笑)。

実際、テレビドラマや映画の撮影ではかなり手を掛けたライティングしている。そういうロケシーンがテレビで紹介されることは良くあるので誰もが見たことがあると思うが、大きな照明を使っていたり、大きなレフ板を何枚も使って俳優さんに光を当てて撮影している。ADが畳みぐらいのサイズの「銀レフ」など持って光を返しているシーンを見たことがある人は多いだろう。人間の目と違ってデジタルカメラやビデオカメラはシャドーが「苦手」で奇麗に写りにくい。だから、きちんと起こして撮影しないと奇麗な画像にならないのである。また、ライティングをすることによって画像にメリハリが生まれ美しく見える。それにしてもNHKの朝ドラのライティングは凄い。ドラマによるだろうが、凝り過ぎのものが少なくない。もっとも、カメラマンのアシスタントと違って、映画やテレビの「照明マン」はそれが本職であるから、最高の照明を行うことに全身全霊を注いでいるというわけである。一度、女優さんの顔ばかり見ていないでライティングを見て欲しい(笑)。

で、『ラジエーションハウス』の話しに戻るが「かわいそうに、本田翼の顔がアンダーだな〜」などと思いながら見ていたらCMに切り替わった。その瞬間テレビ画面がぱっと明るくなり、グラビアフォトのように照明された沢尻エリカ様が登場した(笑)。『ラジエーションハウス』の本田翼とはまるで違う奇麗なライティングであった。次のCMは広瀬アリスだった。広瀬アリスは『ラジエーションハウス』に出演しているのだが、ドラマの中の広瀬よりCMの広瀬の方が遙かに奇麗に写っていた(笑)。ライティングひとつで女優さんの見栄えがまるっきり変わってしまうのである。

毎回同じというわけではないが、NHKの朝ドラのライティングはかなりレベルが高い。音楽番組などでもかなり丁寧にライティングをしている番組がある。言うまでも無く、ほとんどのCMは奇麗なライティングである。若手の女優さんを使ったCMなどよく見て参考にしたら良いだろう。

カメラ雑誌に掲載されているポートレートフォトより、女性誌に掲載されているモデルやタレントの写真の方が美しい。実は、カメラ雑誌よりギャラが高いカメラマンが撮っていることが多い(笑)。出先で暇な時間が出来たときなどに、書店で女性誌を撮って眺めてみることをお勧めする。

「絶対音感」がある人は、全ての音が「ドレミ」の音符になって聞こえてくると言う(なんだか煩わしそうだな〜)。それに似た話だが、仕事で写真を撮っているような人間はテレビドラマなどを見ているとライティングが気になって仕方ない。気に掛けてみているわけではなくてもライティングが目に付いてしまうものである。テレビや映画を見ていてついライティングが目に付いてしまうという状況で無い人は、まだ十分なレベルで写真に取り組めていないと言うことである。

ということですよ、0123okkun君(爆)。


by dialogue2017 | 2019-07-28 17:30 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

【おことわり】長々と「能書き」を書いたが暇つぶしである。今日も本を読む気にならないのである。その上で断っておくが、不特定多数の「訪問者」に向かって書いたわけでは無い。最近女性ポートレートを撮り始めた0123okkun君を念頭に置いて書いた話しである(shi-photo君とfrom_vixen君の二人も思い浮かべつつ)。彼は最近女性ポートレートに取り組み始めた。撮り始めたばかりにしてはなかなか素晴らしい写真を撮っている。率直に言って、彼のスナップフォトを見て才能を感じていなかった。しかし、ポートレートフォトになったら別人のように良くなった。撮影機会が少ないこと、撮影間隔が開いてしまうことが気の毒である。短期間に集中して撮ることが出来れば上達は早いからだ。と言うわけで、彼の参考になればとポートレートフォトの「微妙」な部分について書いてみたという次第である。新しい話しはなにもない。写真は光次第であると言うことと、ほんの僅かなアングルの違いで写真が変わると言うこと。同じ話の繰り返しだ。でも、「凡人」には同じ話をしつこいくらいくり返してあげることが親切なのである。「凡人」はすぐに忘れてしまうから。このブログに書いている話はすべて「初心者向け」である。

この子の写真を掲載するのはこれで3回目である。20人もの子供を撮っていながら他の子の写真は掲載していない。他の子供の写真にも可愛らしく撮れている写真は沢山ある。この子の写真だけが特段奇麗に撮れていると言うわけではない。むしろ、3枚掲載したこの子の写真はそれほど綺麗に撮れていないと言ってもいい。それなのに3度も掲載した理由は、私自身は気に入っているからである。限定された条件で撮っているので思うように撮ることはできない。セッティングせずに撮っている時は「運」がないとレベルの高い写真を撮ることは出来ない。ただ、私自身は「上手に撮れたかどうか」はどうでもいい。それを決めるのは「条件」なのだから。条件が整わなければ上手に撮れないことは当然なのだ。ただ、私は作品を撮っている訳でも無いし、グラビアフォトを撮っている訳でも無いので、細かい部分の出来不出来には拘っていない。自分が気に入った「雰囲気」で撮れていればとりあえずそれで十分だと思っている。なによりも、この子自身と親御さんのために撮っているのである。

曇りの日の光を俗に「回った光」と表現する。「フラットな光」とも言う。ようするに、影ができない光である。影が出来ない光というのは「弱い光」である。言い換えれば「やわらかい光」である。この写真は回った柔らかい光で撮っているので"ふんわり”した感じに写っている。左目の睫にしかピントが合っておらずそこから少しずつアウトフォーカスになっているため柔らかい感じがより強く表現されている。1/3段か1/2段絞ったらまた少し雰囲気の違う写真になる。私としては、購入して7ヶ月になるのに指折り数えるほどしか使っていないこのレンズの絞り開放の写り具合を見てみたくて開放で撮ったということであって、例えば仕事でこの子の写真を撮るとしたらF2.0〜F2.5を多用すると思う。同じようなカットでも開放とF2.0を両方撮っておくと言うような撮り方をするだろう。

開放からの1/3段刻みは微妙である。F1.4、F1.6、F1.8、F2.0で写真の雰囲気が少しずつ変わって行く。開放でしか撮らないと失敗しやすい。開放で撮ったカットより、F1.8やF2.0で撮ったカットの方が断然素晴らしということは良くあることだ。ピントが浅すぎると写真に"芯”がなくなるのである。茹ですぎたパスタのような感じとでも言えば良いだろうか。「アルデンテ」ほどはっきり"芯”を残さなくても良いが茹ですぎは良くない。

私は子供のアップを撮る際、ほぼ真正面から撮る時以外はあまり開放では撮らない。以前は「瞳AF」なんていう便利な機能がなかった(「顔認識」さえなかった)。しかも、子供はじっくり撮ることが出来ない。秒10コマで連写してみると分かるが、こどもは0.1秒で顔の向きが変わっていることがほとんどである。僅か1秒の間に驚くほど表情が変わっていることも珍しくない。子供の「表情」は動いているのである。

何かを注視している時でもない限り子供は静止しない。「瞳AF」が無い時代に85mm F1.4の絞り開放で撮っていたらピントが僅かに外れると言うことは起こりがちなことだった。だから「保険」を掛けておくという意味もあって私はF2.0やF2.2を多用した。撮影の際にコンビを組むプロカメラマンたちはだいたいF2.8で撮っていた。プロはまず何よりも「失敗しない」ということを重視するからだ。撮影が終わって写真をパソコンに落とした段階で、微妙にピントが甘いカットばかりだったら目も当てられない(プロは撮り直しができない撮影仕事をしている)。だから彼らは少し絞って撮る。プロのモデルさんを撮ると言うことであれば話しは別だ。プロのモデルさんはきちんと静止できるから開放でもピントが合う(笑)。

しかし、F2.8を多用するなら単焦点レンズよりも"24-70mm F2.8"を使った方が断然良いと思う(実際、ポートレートフォトグラファーにはよく使われるレンズである)。だから、私はコンビを組んで撮影しているプロフォトグラファーたちに「F2.8じゃ単焦点を使っている意味ないぞ」と苦言を呈したものだ。彼らが7歳女児の七五三写真の決めカットを撮っている時の会話ーー「絞りは?」「2.8です」「2.5や2.2で撮って」。「2.8のあと2.0でも撮っておいて!」と指示することもあった。F2.8とF2.5でも違う。ましてF2.2だとかなり違う。違うからこそ彼らはF2.8を多用するのである。ピントが甘い写真になる危険が減るから。当たり前のことだが1/3段の違いは決して小さくないのである。

絞りの話しはどうでも良い。書こうと思った話は「光」についての話しである。子供のポートレートは難しい。僅かに光の当たる角度が変わると写真が変わるからだけれど、子供は顔を動かしてしまう。実際に秒10コマで連写した子供の写真のファイルを並べて見せたら一目瞭然である。人間は1秒間でくるっと後ろを振り返ることが出来る。1秒あれば180度反対側に顔を向けることが可能なのだ。ようするに1秒間というのはとても"長い時間”なのである。シャッタースピードが1/30でも被写体ブレすることがある。1/30で止められないほど元気よく子供は動いている。だから、秒10コマで連写すると子供の顔の向きの変化によって光の当たり方が変わっていくのがはっきりと写し撮れている場合がある。

例えば、6枚目までは顔がいくらか暗めに写っていたのが7枚目でぱっと明るく変わっていることがある。6枚目までは顔に直接光が当たっていなかったのに、7枚目の時の顔の角度になって顔に直接光が当たったというわけである。ほとんどの場合、6枚目までのカットより7枚目の方が綺麗な写真である。もちろん、その時に当たった「光」がどういう「質」の光であったかによって変わるが、多くの場合、光が顔に当たったカットの方が綺麗な写真になっている。プロフォトグラファーが女優さんであるとかモデルさんのポートレートを撮影する場合、"セッティング”して撮る。一番綺麗な光が当たっている状態を「作って」撮影している。レフ無しで撮影することも珍しことではないが、レフを使って撮っているケースの方が多いだろう。2枚3枚と使うことだって珍しくない。

9年前の話しであるが、写真家の土屋勝義さん、渡部さとるさん、飯塚達央君、小澤太一君の4人と一緒に飲んだことがある。いろいろな話で盛り上がったのだが、その時に土屋さんに「レフ板を一番沢山使ったとき、何枚ぐらい使ったことがある?」と聞いてみた。「8枚」という答えだった。「なんでそんなに沢山使うの?」と尋ねると、「部分部分を起こしていくから」との答えだった。どういうことかというと、これは顔に光を当てるレフ、この畳みサイズの大きなレフは少し遠目から体全体に軽く光を当てるレフ、これは首回りのシャドーを起こすために下から当てるレフ、これは左腕に当てるためのレフ、これは右足を起こすためのレフ、これはスカートを明るく出すためのレフ、とこんな感じでレフを使うのだそうだ。パーフェクトなポートレートフォトを撮ろうと思ったらそこまで徹底して"セッティング’するということである。スタジオライティングの際も5灯6灯と沢山のストロボを使うことは珍しくない。10灯以上使うこともある。プロの場合「光を作って」撮影するのが当たり前なのである。

結局写真は「光」なのである。photographの「photo」はギリシャ語由来で「光」という意味、「graph」は「図」のことである。photographと言う英語を最初に和訳した人は「光画」とした。「光で画く」ということである。事実、写真撮影は「光」だけで行われているのである。だから、「結局写真は"光”なのである」というのは当たり前のことなのである。

さて、なんでこんな話しを書いたかというと、下の写真を見て弱い光で撮った写真の「欠点」を感じるからである。これはこれで悪くないと思う。曇りの日に素で撮ればこんなもんだ。ただ、もう少しだけ光をぶつけて撮りたかったと思う。弱い光で撮った写真は色に"濁り”が出る。直にぶつけた光で撮った写真は濁らない。その違いがはっきりと出ている。フラットな光で撮った写真には得がたい雰囲気があると思う。しかし、光がしっかり当たっている写真の方がクリアである。もう少しそれが欲しいのである。

子供をavailable lightで奇麗に撮るのは難しい。モデルが大人であればどうといったことはない。「ここに立って。そう、もう少し右向きに体を回して。もうちょっと。そう、そこで良い。少しだけ顎を挙げて。うん、それでいい。右奥遠い方を見つめて」とこんな感じでいくらでも調整が出来る。プロのモデルさんならフォトグラファーの指示の意味を理解しているからなおさら楽である。オマケに「ヘア」「メイク」がキッチリなされ、スタイリストさんが衣服の乱れを直してくれる。その上レフ板を何枚も使ったりストロボを使って撮るのだから綺麗な写真になるに決まっている。いや、モデルが大人であればavailable lightでも同じことである。フィルインライトを使わない分アングルが限定されるだけで理屈は一緒である。

「モデルが大人であればどうといったことはない」「プロのモデルさんなら…なおさら楽である」と書いたが、実際はなかなかそう簡単ではない。試みに、googleに「自然光 ライティング 作る」というキーワードを入れて検索してみたら上から3つめに「光の魔術師イルコのポートレート撮影スペシャルテクニック 第5回」「使える自然光を選んでライティングを作る」という記事があった。私はイルコはライティングがとても上手だと思う。しかし、この記事に掲載されている4枚の作例はどれもあまり美しい写真だとは思えない。EOS 1DxにEF135mm F2Lで撮っているのだから機材に不足はない(いや、最高峰の機材だ)。

「太陽の光は量より質で探す」という項目がある。その通りだと思う。そこには次のように記されている。

私の好きな自然光は、建物や雲がアクセサリーの役割をして、やわらかく回っている光です。たとえば、建物の吹き抜けや、ビルの合間、トンネルの入り口など。曇りの日であればなお良いです。デフューズ(拡散)された光がさらに壁で拡散されて、やわらかく被写体に回ります。

まったくその通りである。しかし、この文章の下に掲載されている「作例写真」を私は美しいとは思えない。少なくとも、ストロボライティングで撮ったイルコの写真の美しさとは比べものにならないレベルだと思う。私ごときが彼ほどのプロフォトグラファーを酷評するのは身の程知らずかもしれないが、この写真はフラットな光で失敗している作例だとさえ思う。写真が「べた〜っ」としている。ついでに言えば、右側に無駄な空間を多くとり、そこがボケすぎているのも写真をうるさくしていると思う。更に言わせて貰えば右上の「白い」部分が目障りだ。

とここまで書いて気がついたのだが、その下に「上から差し込む光は斜め上を向くときれいに回る」という項目があってその説明が記されている。実は、下の写真を撮っている時に思ったことは「ちょっと上を向いてくれたらな〜」だったのである。この時は完全な曇天ではなく、薄ら光が感じられる状態だったのである。だから、あとほんの僅かに左側に顔が回ってちょっと上向きになったら顔にもう少し光が当たったのである。そうなっていたら顔がもっと奇麗に写っていた。濁りがなくなりもっとクリアな感じになったのである。美しいポートレートフォトを撮ろうと思ったら奇麗な光で撮る必要がある。モデルさんの顔の向きが決め手なのである。ほんの僅かに顔の向きを変えると写真ががらっと変わる。セッティングできればどうといったことはない。しかし、遊んでいる子供を撮る場合、なかなかベストな光で撮ることは出来ない。まあ、この程度の写真でもプリントしてフレームに入れてプレゼントして差し上げたらママさんは大喜びしてくれるだろうけれど、私としては「ほんの僅かの差」に恵まれずちょっと残念だった。

このカメラとレンズの描写性能はこんなもんじゃない。

次回の企画のときにまた"ゆめちゃん”が来てくれたら今度こそベストショットを撮ってみたい。

「もうちょっと上を見てくれたら」と思った。でもこの写真、手元を見つめているから可愛らしいんだよね(笑)

追記。これで「色が濁っている」などと言ったらカメラメーカーにあまりに酷だと思う。手元に何冊かある著名写真家が女優さんを撮った写真集を開いて見たら、もっと色が濁った写真がたくさんあった。これは相当奇麗に出ている方なのだろう。


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by dialogue2017 | 2019-07-28 13:30 | ポートレート | Comments(0)

あるがままに撮った写真

20人の子供の写真を撮ったのだが、3〜6歳の女の子の写真を特に沢山撮った。この年齢は生涯でもっとも可愛い盛りなので撮り残してあげたいという気持になるのである。この年齢の子供を撮りたくなる理由がもう一つある。撮られることに対して「無頓着」なのである。中には撮られることを意識する子供もいないではないが、そういう子供の場合でも撮り続けているとすぐに気にしなくなる。まだ自意識が稀薄な時期なのである。だから、自分が「撮られる」ということに対して明確な"反省的意識”を抱くことがないのである。それは撮り手にとってたんに「撮りやすい」ということを意味するだけではない。100%の「素の表情」を撮ることが出来るのである。

個人差があるが、女の子は男の子より精神の発達が早い。小学2〜3年生にもなると「撮られる」ことに対して強く意識する女の子は珍しくない。個人差は大きいが、中には意識的に表情を作る女の子がいる(無意識のうちにそれをする子もいる)。そういう子の場合、とても素敵な写真が撮れるケースも少なくないのだけれど、そういう写真にはどことなく「わざとらしい」感じが漂うのである。

それに比べ、未就学児を撮った写真はほぼ完全に「自然」な雰囲気の写真である。ましてこの写真の様に、子供が何かに熱中しているところを撮った場合には100%あるがままの姿が写った写真となる。私はそういう写真を撮ってあげたいのである。この写真はアングルが低いのでほぼノーファインダーで撮っている。こういうカットを撮る時に私が何を考えているかというと、この子のママに喜んで貰うことである(笑)。こういう写真はほぼ例外なく子供の母親に喜ばれる。普通の親御さんはここまで寄った写真を撮ることは少ないし、こんな風にボケた写真を撮ることも無い(そういうレンズを持っていない)。小さい子供の写真を撮るときには、親御さん(ママ)に喜んでいただくことを第一に考えて撮影する。

その一方で、私自身は購入後半年以上過ぎて事実上初めて使うに等しいFE85mm F1.4 GMの解放の描写を見てみたくて撮っている。もし、本気でこの子のポートレートを撮るとしたら、F2.0〜F2.5を多用して撮影する。ピントが合う部分が薄すぎるのは必ずしも素敵なことでは無いからである。

光の当たり方はあまり良くない。顔の向きがあと少し左側に回っていたらもっと綺麗な写真になる。しかし、すべて「あるがまま」に撮るしかないシチュエーションでの撮影なので致し方ない。顔の左斜め前から弱めにレフで光を返したら写真ががらっと変わる。実際にそういう写真を撮らなくても、目の前の「モデル」を見ている時に頭の中で瞬時にそういうことを判断している。「ポートレートフォト」というものは、モデルの「顔」にどういうアングルで光を当てるかが一番重要だからである。

この写真の「美し」ところは「髪の毛」である。なぜなら、奇麗な光が当たっているから。顔には直射光はほとんど当たっていない。回り込んだフラットな光で撮っているので柔らかく上品な描写ではある。しかし、やはり光が弱い。体(顔)の向きがあとほんの少しだけ変わるともっと綺麗な写真になる。大人のモデルさんを撮る場合にはいくらでも調整が効くが、子供の場合は難しい。まして、遊んでいる子供を撮る場合には「あるがままに撮る」しかない。しかし、それはそれで面白い。

左奥に写っているのはこの子の妹。沢山の子供がいるので「背景」の処理が出来ない。左端の妹の髪の毛(黒っぽい部分)を切り落とせばもう少しスッキリした写真になるが、それをやると前が詰まりすぎる。切るならレタッチで消した方がいいだろう。

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【追記】「背景」の重要性を確認するために1分で作ってみた。あくまで"イメージ”であるが、左の濃い色がなくなるだけで雰囲気がこれだけ変わる。もし、ここに妹が全く写っていなければスッキリした写真い成っている。仮に仕事としてこの子の写真を撮っていたとしたら、上手に妹さんを動かせ「背景」をスッキリさせてD撮影しただろう。背景をごちゃつかせないと言うことは極めて重要なのである。「花」を撮る場合も同じ。

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by dialogue2017 | 2019-07-27 13:00 | ポートレート | Comments(1)