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タグ:FA645 75mm 1:2.8 ( 102 ) タグの人気記事

中判デジタルカメラの表現力の豊かさが出ていると思う。レンズは古いレンズでスペック的には平凡なレンズである。どちらかというと緩い描写のレンズであるが、この写真の場合その「ゆるさ」が功を奏していると思う。この背景の重層的なボケ具合は大型センサーならではのものである。135判サイズのフルサイズセンサーでもなかなか表現できない味わいである。9年前に発売されたCCDセンサーのカメラに、FA645レンズの中では一番安い 75mm 1:2.8で撮影してもこれだけの写真が撮れる。FUJIFILM GFX50sに最新のFUJINONレンズを使って撮ったら更に素晴らしい写真が撮れるのでは無いかと思う。その上で初代645DのCCDセンサーの味は陳腐化しないと思う。

センサーサイズのアドバンテージ 画質に拘るなら中判カメラという時代である_e0367501_18421383.jpg

この写真は私の好みより明るくレタッチした。詳しい話は"初出時の記事"を読んで頂きたい。

センサーサイズのアドバンテージ 画質に拘るなら中判カメラという時代である_e0367501_18422279.jpg

この写真は好きでは無い。品がない写真だと思うからである。ただ、カメラのセンサーの表現力の高さは出ていると思う。

センサーサイズのアドバンテージ 画質に拘るなら中判カメラという時代である_e0367501_18423545.jpg

撮像センサーは大きいほど優秀である。これは言い切ってしまって良い。解像度の問題ではなく画質の問題である。単純にダイナミックレンジの広さの問題でもない。ひとつ前のエントリーの中で「花の写真」は「ポートレートフォト」に通じると書いた。で、このブログの「花」というカテゴリーを開いて見たところ「花の写真」を掲載したエントリーが261もあった。真剣に撮っている訳では無いのでたいしたことの無い写真が多いが、中には良く撮れている写真もある。ハイスピードでスクロールして見ていった。かなり速いスピードでスクロールして流していても、人間の眼は優秀で「いいな!」と思う写真はきちんと目に止まる。そんな風にして3枚目の「いいな!」と思った写真が出てくるところまでスクロールしていったのだが、その3枚はすべてPENTAX 645Dで撮影した写真であった。

PENTAX 645Dはある具体的な撮影目的のために2011年末に購入したのであるが、その撮影を実行することができなくなったため「無用の長物」と化してしまった。丸7年間所有しているがそれほど沢山撮っていない。この数年間は、雨が降った日にお隣の家の庭の薔薇の花の写真を撮るくらいであった(昨年春までは我が家の庭には薔薇の花はなかった)。雨の中の撮影なので玄関を出て行って何枚か撮って直ぐに家に帰ってくる。撮影時間は1分程度であることが少なくない。4〜5枚撮って終わりにすることが多い。中判カメラを光量の少ない雨の日に使う訳であるが三脚なんて使わない。いつでも手持ちである。撮影した後背面モニタにプレビュー画像が表示されるまで20秒近く掛かるのでプレビューは見ない。AEを壊してしまったのでマニュアル露出でしか撮影できない。事実上フィルムカメラで撮っているのと同じようなものである。

私はスナップフォトに関してはAPS-Cセンサーに不満を感じたことはない。この2年間、「ああ、フルサイズセンサーのカメラを持ってきていたらな」と思ったことはただの一度も無い。ポートレートフォトに関してはフルサイズセンサーの方が有利であることは論を待たない。しかし、X-T2やX-T20で撮ったポートレートフォトに大きな不満はない。「大望」を抱かない限り満足できる。

しかし、花の写真だけはAPS-Cセンサーでは物足りないと感じることが少なくない。X-T2やX-T20でも奇麗に撮ることは出来る。センサーもレンズも秀逸だと思う。それでもAPS-Cセンサーで撮った花の写真には物足りなさを感じることが少なくない。何故かというと、時々645Dで花の写真を撮っているからである。645Dは今となっては相当旧式のカメラである。センサーは古いCCDである。しかし、CCDセンサー故の味わい深い絵を出すのである。645Dで撮った花の写真と、同じ時にX-T2やX-T20で撮った写真を並べて見ると、後者の写真は「薄い」感じに見えるのである。色が薄いのではない。むしろ色は艶やかである。645Dの方が色は地味である。「薄い」というのは写真自体が「薄っぺらく」見えるのである。モニタ上に表示されている画像なのだが、紙が薄い厚いと言うのと同じ意味合いでの「薄さ」を感じるのである。それに比べ645Dで撮った「画像」には「重厚」さが感じられる。画質と言うことに拘るなら、もうフルサイズセンサーを飛び越して中判デジタルカメラを選択する時代である。今後は、スポーツ写真でもないかぎり1Dxタイプのカメラを使うカメラマンはいなくなるのでは無いかと思う。



by dialogue2017 | 2019-03-07 19:00 | 写真とカメラの話し | Comments(1)

ハッセルを構えているのは写真家の渡部さとるさん。この写真は今年2月16日に「ワークショップ2B」の名前の由来である渡部さんのアトリエのあるスタービル「2B」室内で私が撮影した写真である。撮影時刻は15:17。北向きの窓からの光だけで撮っている。「ISO400 F5.6 1/30」(マニュアル)での撮影であるので「ISO400 F5.6 1/60」より一段暗い場所で撮っていると言うことである。渡部さんが座っている場所が「2Bのフェルメールライン」より若干「奥」であるため一段分光が弱いのである。自画自賛になるが奇麗なトーンのモノクロ写真である。なぜなら、この場の光が「モノクロに合う光」だからである。「モノクロに合う光」で撮れば美しいトーンのモノクロ写真が撮れると言うことである。

なぜ奇麗なモノクロ写真が撮れないのか?  美しいモノクロ写真の条件はこれだ!_e0367501_15271389.jpg

下の写真は上の写真を撮ったときに私が座っていた場所である(これはハッセルで撮った写真では無い)。私の後左上の赤丸で囲ったあたりが「2Bのフェルメールライン」である。渡部さんは私の正面に座っていたのでフェルメールラインより少し窓から離れているためSSが1/60から1/30と一段分遅くなっているというわけである。上の写真は若干のレベル補正をしているが、ぱっと見では撮りっぱなしとの見分けが付かない程度の微調整である。つまり、この時の光は「ピンポイント」の「モノクロ向きの光」なのである。詳しくは写真下の本文を読んでいただきたいが、「モノクロ写真」というのは「もの凄く狭い条件」の光でしか美しさを再現出来ないのである。

ちなみに、この日我々は差し向かいで8時間半写真談義をした(笑)。もちろんずっとこの場で話をしていたわけでは無く、途中から韓国料理屋に移動して一杯やりながらではあるが。渡部さとると差し向かいでワークショップ8時間なら受講料は5万だろう(爆)。

なぜ奇麗なモノクロ写真が撮れないのか?  美しいモノクロ写真の条件はこれだ!_e0367501_23433613.jpg

このブログに触発されて「美しいモノクロ写真」にチャレンジし始めた3人が悪戦苦闘している。彼らが苦戦している大きな原因のひとつは「輝度差」の大きなところを撮っているからである。詳しい説明をすると8,000字ぐらいは書かなければならないので、ごく大雑把な説明をする。我々が目にする「日常の光景」のダイナミンクレンジは極めて幅広い。「照度計」という機械を使って計測した場合、真夏の太陽直下の明るさは25,000lxあり、月の無い星空の下は0.01lxしかない。その差は、250万倍である。もし、太陽の直射光を計りそれを上限とした場合その差は1千万倍となるそうである。これを「EV値」で表すとおよそ23.5EVとなる。「晴天の日の朝」と「月の出ていない星空の下」でちょうど20EV程度である。

それに対してデジタルカメラのダイナミックレンジは12〜13EVしかない。中判デジタルカメラを除くともっともダイナミックレンジが広いカメラはNIKON D850の「14.8EV」でついでSONY α7Ⅲの「14.7EV」である。つまり、最もダイナミックレンジの広いデジタルカメラを使ったとしても、晴天の日中の光景のダイナミックレンジをすべて写し撮ることは不可能だと言うことである(日中でもシャドー部分はかなり暗いため)。

しかし、事情はもっと複雑である。仮に、NIKON D850を使って14.8EVの幅の「光」を写し撮ったとしても、JPEGファイルに変換してしまうと7EV前後までしか再現されないのである。Rawファイルには14.8EV分の光が記録されるが、Rawファイルのままではブログなどに掲載することができない。そもそもJPEGファイルというのはモニタ上で写真を閲覧するために開発されたと言っても良いファイル形式であるのだが、そのダイナミックレンジが7EV程度である理由は、一般的なパソコン用ディスプレイのダイナミックレンジが6.6EV程度しか無いからである。仮に、14.8EVのRawファイルをモニタ上に表示できたとしてもモニタでは6.6EVの範囲の明暗差しか表現することができないのである。

ついでながら、「プリント」の場合、モニタよりも更に表現できる明暗の幅は狭くなる。プリントのダイナミックレンジはおよそ4.2EV前後しかない。アンセル・アダムスの「ゾーンシステム」によれば、印画紙に表現できる範囲は±2.5EVとされている。詰まり「5段以内」ということである。となると、最終的な見せ方を「プリント」とした場合、モノクロ写真は4〜5EVの範囲の明るさの「範囲」を撮らなければならないと言うことになる。それ以上の明暗差を撮ったとしてもそれをプリントに再現することは出来ないのである。デジカメでしか写真を撮ったことの無い人間は知らないかもしれないが、フィルムで写真を撮り自分でプリントを作っている人であれば印画紙に再現できるのトーンが5段以内であることは誰でも知っているはずだ。

ついでながら、カラーネガフィルムの持つダイナミックレンジはおよそ10EV程度で、リバーサルフィルムは8EV程度しか無い。デジタルカメラはフィルムよりかなりダイナミックレンジが広いと言うことである。私が「モノクロ」をやるならデジタルカメラの方が絶対に有利だという根拠はここにある。

ひとまずプリントのことは置いておこう。私がSONY α7Ⅲで「14.7EV」の範囲の光を撮影したとしよう。しかし、それをブログで見せるときには7EV前後の範囲しか表現することができないと言うことである。モニタにはそれ以上の明暗差を再現するダイナミックレンジが無いからである。であれば、モニタ上で美しく見せることのできるモノクロ写真はハイライトからシャドーを7EV以内に収めた写真だと言うことである。プリントなら5EV前後になる。そういうことなのである。

この問題については非常に面白い話がある。一番悪戦苦闘しているMon's Cafeさんは10月末から写真家の渡部さとるさんが主宰しているワークショップ「H」に通い出した。毎週末渡部さんからいろいろなことを教わっているわけである。私は、Mon's Cafeさんに「渡部さとるという人間と触れあえるというだけでHに通う価値がある」と伝えたのだが、渡部さとるという写真家は、他の写真家がまったく使わないような「言い回し」で写真に付いて核心的な指摘をする人なのである。彼の「モノクロ写真」に対する理解は非常に深いし、それを豊かな言葉で表現する人である。

Mon's Cafeさんの『写真の練習用のブログ』の12月4日のエントリーの中に、渡部さとるさんが語った話が再現されているのであるが、ここにそれを紹介しよう。

モノクロを撮る人ってのは、ものすごい狭い条件(モノクロにあった光と言う事)を探しているわけ。突き詰めていくと、そんなピンポインばっかり探している変な人なわけ。言ってしまえば、写っているものなんてなんだっていいんだよ。結果としてなにかが写っていたと言うことだけだから。モノクロに合う光が撮れてればあとはなんだっていいと思っている人達だから。周りから見たらそんな変な人達だからね。気をつけた方がいいよ。最近友達から声をかけられなくなったって事ない?

※この話はMon's Cafeさんの「前置き」を読んでおくべきだと思う。是非全文を読んで欲しい → ”ここ”

渡部さんらしいウィットに富んだものいいである。私もそんな光ばかり探して写真を撮っている人間は変な人だと思う。あまり友達になりたくないと思う(笑)。しかし、モノクロ写真を撮ると言うことは"基本的"にはそういうことなのである。最終的な表現形態が「プリント」であるならば、そこに「再現」できる「光」を探して撮る必要があると言うことである。だから、モノクロで作品を撮っている人間はみな「モノクロに合う光」「ばっかり」を「ピンポイント」で探して撮っている。気持ち悪いよね(笑)。いや、私は半ば以上本気で気持ち悪いと思う。だから、私はこれまでモノクロで作品的写真を撮ることを避けてきたのである。私は極めてノーマルな人間だから(爆)。

さて、長い話しになったが、この「ものくすごく狭い」「モノクロに合う光」が「ピンポイント」で現れている場所のひとつの「象徴」が「ISO400 F5.6 1/60」の露出の場所なのである。だから、渡部さんの代表作とも言える『da.gasita』に収録されている写真の過半はこの露出で撮られた写真なのである。

※後日追記。ごめんなさい。勘違いで書いてしまいました。「ISO400 F5.6 1/60」で撮影した写真が多いのは『da.gashita』の次回作である『prana』でした。『da.gasita』は雪景色を撮っている写真が多いので、「ISO400 F11 1/250」で撮影している写真が多いです。お詫びして訂正します。

さあ、美しいモノクロ写真を撮りたい人は『da.gasita』を買ってじっくりと見てみよう! と言いたいところであるが、すでに絶版。amazonなどではかなりの高値が付いている。6年前、私の手元には数十冊あったのだけれど…

追記。本日現在、amazonでは6冊の『da.gashita』が販売されている。「新品」の価格は62,574円である。9千円台で3冊ある。少々高いが、買っておいて損は無いだろう。私なら迷わず買う。


by dialogue2017 | 2018-12-11 15:30 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

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by dialogue2017 | 2018-12-11 06:00 | 写真とカメラの話し

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by dialogue2017 | 2018-12-10 11:00 | モノクロ

誌上レッスン(15)

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by dialogue2017 | 2018-12-09 19:00 | 誌上レッスン

※予約投稿した後に、やはり下げてしまおうかと思った。こんな短い文章で「美しいモノクロ写真の条件」を語ってしまったことに違和感を覚えずにはいられないのだ。私は、一番大事なことを「直截」的に語ることを徹底的に避け来たのだから。最後の「答え」に辿り着くときには、自分で考えて辿り着くべきなのだ。そうじゃないと身にならないから。だから、私はこういう教え方を一度もしなかった。ここに書いてあるのは「方法(プロセス)」ではなく「答え」だから。容易く手に入れたものは身にならないのだ。そう思って読んで欲しい。貧しい読解力でも100回読み直したら少しは頭に染みこむだろう。その上で「モノクロ」という光を撮って欲しい。切に願う!


2018年1月29日の15:13に撮影した写真である。娘の部屋の机だ。写真に写っている窓は東向き。朝はこの窓から陽射しが入ってくる。この写真を撮影した時間には、太陽は反対側の西側の低い位置にある。娘の部屋は入り口のドアを開けておかない限り西側からは光が入らない。この時、この窓からは太陽の直射光は入って来ていない。かなり明るい光が写っているが、その光は様々な場所から反射した"バウンス光”である。具体的には、窓を開けて真向かいの家の壁から反射してきている光が一番多く入って来ている。あとは路面からの反射もある。

実は、渡部さとるさんが「北向きの窓」から入る光は美しい写真が撮れる光だという話を書いている。その話は機会があればきちんと取り上げて解説したいと思うが今日は棚上げする。彼が言っていることは、まさにこの写真に現れている。柔らかくて品の良い写真である。綺麗なモノクロ写真だと思う。綺麗である理由は「柔らかい光」が写っていることと、フラットな写真にならず「陰影」がある写真であること。そして、光の方向性が写っていることである。テーブルに差している光にグラデーションがある。

もう、上に書いた話だけでかなり有意義な話となっている。美しいモノクロ写真が備えているべき「性格」の多くがこの写真に現れていると言うことである。先に記した写真下の本文は削除してしまっても良いほどである(笑)。

Mon's Cafeさんの為に教えておく。こういう写真が「トーンが豊か」な写真である。0〜255の256階調の繋がりが細かいのである。満遍なくどの明るさの光もあるところを撮っているからである。そういう写真が撮れているわけは二つあって、そういう条件の場所を撮っていると言うことがまず最初(そういう場所は見れば直ぐにわかる)。それから、中判デジタルカメラで撮影していると言うことが二番目の理由である。中判カメラの最大の利点は数日前に書いたとおり「情報量の多さ」である。それは豊かな階調を実現してくれる。※追記。FA645 75mm 1:2.8というレンズはとても柔らかい描写をするレンズである。同じ場所を、FA645 55mm F2.8 ALで撮影したらもっとシャープな写真になる。

実は、この写真を撮ったときにはそういうことをMon's CafeさんやSunsetLineさんに教えようと思って撮ったのであるが、その後、どういう事情であったか忘れたがその話は書かなかった。これはフラットな光では無い。とても柔らかい光であるが、しっかりした方向性のある光である。だから、机の上には「影」が出来ている。この影のおかげで写真が「平板」になっていないのである。

人間の眼は「平板」なものをあまり美しいと認識しない。陰影がある方が美しく見える。だから、モノクロ写真にフラットな光は余り合わない。「光」が写っている写真、「光の方向性」が見える写真、写っているモノが適度に「立体的」に見える写真、そして「光のグラデーション」が作られた写真、そういう写真が美しいモノクロ写真なのである。「光と影」がくっきり写っているモノクロ写真も悪くは無いが、柔らかな光で撮ったモノクロ写真の上品さには劣る。

極論すれば、上に書いた文章だけで「美しいモノクロ写真の撮り方講座」は終わりにしても良いほどである。

(注)閲覧に使用するディスプレイによって下の写真の「明るさ」や「階調」は異なって見える。現在私が"基準"として使用しているiPad mini4で見ると幾分明るすぎるように見える。なぜなら、この写真はMacBook Proでレタッチしているからである。プリントに出す場合は、明るさもコントラストも変えて出す。この写真が全く綺麗に見えない場合、使用しているディスプレイの性能を疑った方が良い。あるいは、あなたの審美眼を疑うべきかもしれない(笑)。この写真の絵柄自体はどうといったことが無いんだけれどね。トーンが綺麗だと言うこと。

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「フラットな光」というのは「影を作らない光」と言うことである。当然「平面的」な写真になる。物体が立体的に見える理由は「陰影」があるからである。陰影を作らない「フラットな光」は「平面的」な写真を作る。そもそも「flat」という言葉の意味は、「平ら」「平坦」という意味である(「低い」など他の意味もある)。

ほとんどの場合、「フラットな光」は「柔らかい光」である。曇りの日の光は柔らかい。強い方向性がないから「陰影」を作らない。雲が巨大なソフトボックスの役割を果たしているのである。と書いても、「ソフトボックス」を使ったことが無い人間にはいまひとつ「実感」を持って理解することが難しいだろう。こういうのは実際にやってみるのが一番早い。

さて、「フラットな光」というのは概ね「柔らかい光」である。しかし、「柔らかい光」=「フラットな光」と言うことにはならない。「柔らかい光」であってもはっきりした方向性がある光は珍しくない。スタジオライティングでソフトボックスを使う際でも、丸っきり「方向性」を消してしまっているわけでは無い。ライティングというのは「光を当てる」事であるのだから、必ず方向性が伴う。光には必ず「指向性」がある。ようは人間の眼にわかりやすいかわかりにくいかの違いである。先にも書いたが、曇りの日であっても太陽に顔を向けると顔は明るくなる。曇りの日に道路にしゃがみ込んで下を向くと、顔は明るくなる。地面からの照り返しの光が当たるからである。「フラットな光」にも厳密には「方向性」があると言うことである。

「柔らかい光」と言って一番最初に何を思い浮かべるだろうか? 普通の人は「ソフトボックス」とか「ディフューザー」を思い浮かべはしないだろう。使ったことも無いのに思い出す人がいたら多いに反省して欲しい。身にならない一知半解な形で知識を「習得」する傾向性が強いと自戒しておくべきである。私の場合は、「窓越しの光」や「カーテン越しの光」である。これは日常生活に密着した「柔らかい光」であるから直ぐに思い浮かべることができる。もし、即座に思い浮かべられなかったという人がいたら、自分が極めて「漠然」と生きているタイプの人間であると反省して欲しい。「窓越しの光」より先に「レフ板で返した光」を思い浮かべた人は「頭でっかち」に過ぎない。

写真の話を始めると直ぐに「理論」的に考える人間はダメである。そういうのを「小賢しい」というのである。ひとまず、自分が実際に写真を撮っている時のことや、日常生活の範囲で写真の問題を考えた方がいい。そういうアプローチが絶えず出来るようではないと「理論」や「知識」は身につかない。頭の中にだけある理論は「机上の空論」に近い。「理論」や「知識」について考えたとき、「実生活」に即してそれを理解することがとても重要なのである。我々は「四次元の世界」や「宇宙空間」で写真を撮るわけでは無い。「実生活」をしている範囲で写真を撮ることがほとんどなのである。

さて、今日は沢山書いているので終わりにする。ザブンと風呂に入って、バーボンのお湯割りを飲みながら音楽を聴きたいから。今一番「至福」の時間はその時間である。「若くてスリムでとびっきりチャーミングな女性」と過ごす時間は除外しての話であるが(笑)。

※11月22日の深夜に書いたエントリー。




by dialogue2017 | 2018-11-23 09:00 | 写真とカメラの話し | Comments(1)

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by dialogue2017 | 2018-11-21 14:15 | 写真とカメラの話し

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by dialogue2017 | 2018-05-19 12:30 |

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by dialogue2017 | 2018-05-09 12:00 |

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by dialogue2017 | 2018-03-12 10:00 | モノクロ