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タグ:EOS 5D MarkⅢ ( 83 ) タグの人気記事

思い出の籠もったカメラ

いままで一番沢山写真を撮ったカメラはこのカメラだろう。素晴らしいカメラである。最後に使ったのがいつだったか覚えていないほど長い間使っていない。X-T2・X-T20を使い出してからは全く使っていないのでもう丸2年以上使っていないのではないかと思う。約8年前に発売されたカメラだというのに、MapCameraではまだ75,000円で買い取ってくれる。全然使っていないのだから値が付いている売ってしまう方が賢いとはわかっているが、どうしても手放せない。このカメラには沢山の「思い出」が籠もっているから。そんなカメラはこのカメラと初代5Dぐらいだ。

このとき娘は高熱を出して眠っていた。カラー写真だと熱で顔が赤く火照っているのがよく分かる。レンズの秀逸さが現れている。

Canon EOS 5D MarkⅢ + SIGMA 85mm F1.4 EX DG HSM ISO1600 F2.0 1/50 -1.0EV JPEG 2017年8月26日 15:58

思い出の籠もったカメラ_e0367501_18172490.jpg

by dialogue2017 | 2019-12-06 05:00 | ポートレート | Comments(0)

娘の写真

今日は娘の10歳の誕生日である。成人するまでの折り返し地点。いや、そんなことはあまり考えていないけれど、それでも成人するまであと10年あると言うことである。順調に成長してくれてとてもありがたい。この写真は2013年の今日、娘の4歳の誕生日の晩に撮った。今日は夕刻娘と二人でバースデーケーキを買いに行ったが、もうロウソクを立てたりという「儀式」は行わない。なによりも本人がそんな子供じみたことをしたがらない。誕生日の写真は、この翌年は撮った記憶があるが、6歳の時に撮ったかどうか記憶が定かでは無い。いずれにしろ小学生になって以後は一度も撮ったことが無い。もう、誕生日の記念写真を撮ることは無いだろう。

古いブログに掲載されていた写真であるためファイルサイズが小さいのでここに掲載するとぼやけて見えると思うが記念に。こいう写真を撮っていた時代が父親としては「黄金期」だったのだと思う(笑)。まあ、いまでも娘は可愛いけれど。

Canon EOS 5D MarkⅢ + SIGMA 85mm F1.4  ISO3200 F2.5 1/80 AWB やはりF2.5で撮っている(笑)

娘の写真_e0367501_21490465.jpg




by dialogue2017 | 2019-07-29 22:00 | ポートレート | Comments(0)

外付けHDDの中で見つけた写真をもう1枚。EXIFが削除されているので撮影データを確認できないが、2012年9月の撮影だったと思う。実は、この子は"この写真"の女の子の2歳年下の妹である。この姉妹の写真は、この子の保育園時代3年間に何度も撮影し、フォトブックを何冊も作った。やはりEOS 5D MarkⅢで撮った写真は美しい。ちょっとレベル補正しているが撮りっぱなしでこれに近い写りである。

α7Ⅲの絵よりEOS 5D3の絵の方が好きだ。もっとも、α7Ⅲではまだ一度もきちんと写真を撮っていないので撮ってみないことには正確な比較はできないが。仮に、α7ⅢをやめてEOSにするとしてもEOS Rを買おうという気持はない。EOSを使うとしたら5D MarkⅢを使う。「瞳AF」どころか「顔認識AF」もないけれど特段困ることは無いだろう。ずっとそれで撮っていたのだから。レンズは、とりあえず手持ちのSIGMA85mm F1.4と同50mm F1.4の2本で十分だが、それぞれのArtモデルをレンタルで使ってみて、明らかな違いがあれば買い換えても良いと思う。35mm F1.4 Artを加えれば完璧。135mm F1.8 Artは不要。ちょっと別格な写真を撮ることが出来るだろうが1,130gのレンズを使いたいとは思わない。今月末に発売されるSONY FE 135mm F1.8 GMは950gとのこと。この180gの差は小さくないと思う。α7Ⅲで行くとしたら買うかもしれない。

追記。FUJIFILM X-T30にXF35mm F1.4 Rでこれにかなり近いレベルの写真を撮ることが出来ると思う。FUJIFILM Xシリーズのカメラとレンズの凄さはそこにある。人物を撮った時の発色の素晴らしさは5D3に勝るとも劣らないだろう。

やはりEOSの発色は奇麗だな〜_e0367501_14051534.jpg

by dialogue2017 | 2019-04-18 12:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

捜し物があってポータブル外付けHDDの中を見ていたらこの写真が目に止まった。この子はこのとき保育園の年長組で数日後に卒園式であった。この日は、この子とクラスメート5人、そしてその親11人の撮影を行った。親同士も仲良かった6人の子どもたちの「卒園記念フォトブック」を作るための撮影であった。女の子が3人、男の子が3人。6冊のフォトブックを作ったのだけれど中身は全部別々。親の集合写真2枚を除いて全部違う写真で作った。泉大悟君と二人での撮影であったが、1度の撮影で6冊のフォトブックを作るための写真を撮るというのはなかなか大変であった。なにせ、きちんと撮られてくれない年頃なのだ。女の子はそれほど困らないがこの年頃の男の子には手を焼く。率直な感想を述べるなら彼らはまだ「人間」になっていない(笑)。怪獣というか程度の良い猿というか、その程度だ。とにかく大変。

この写真は手を下ろしてノーファインダーで撮った。5D3の背面モニタはチルトしないのでこういうアングルで撮影する際にはモニタで撮影範囲を確認することができない。もし確認して撮ろうと思ったら腹ばいになって撮るしか無い。そんなことをやったら子どもが驚く。遊びに熱中しているところに近づいていって中腰に成って手を下ろし、カメラを子どもの顔の高さぐらいにしてノーファインダーでパチリと撮る。この時は1枚しか撮っていない。撮られたことに気がついた後はもうこういう表情ではなくなってしまったから。1発勝負である。いつも自分の娘をそういう風にして撮っていたので慣れている。上が詰まっているとか、左足のつま先が切れてしまっていることは全く問題ない。むしろ、あと一歩引いて収まりが良い写真であるよりこの方が良いくらいである。小綺麗に纏まっているとかえってつまらないということは少なくないのである。

そんなことはどうでも良い。この写真を見て思ったのは「EOS 5D3の絵はいいな〜」ということである。それで、ファイルサイズが小さいにもかかわらずここに掲載することにしたのである。SONY α7Ⅲより良いと思う。5D3は2012年3月発売のカメラ。α7Ⅲより丸6年前に発売されたカメラである。いくつもの点でα7Ⅲの方が優れていると思うが、この写真を見たときの印象は「ああ、ポートレートを撮るならα7Ⅲより5D3の方がいいな〜」だった。うーん、私にはα7ⅢよりEOS Rの方が良いのだろうな〜。やはりEOSは色が奇麗だ。

ぼやけて見えるのはファイルサイズが小さいため

2014年3月23日撮影。EOS 5D MarkⅢ + SIGMA 50mm F1.4 ISO100 F3.2 1/200 +0.33EV AWB JPEG 

α7ⅢよりEOS 5D MarkⅢの方が好きだな〜_e0367501_15062085.jpg

by dialogue2017 | 2019-04-17 15:00 | 写真とカメラの話し | Comments(2)

この日の撮影のことは鮮明に覚えている。写真館の近くにあった良く行っていた韓国料理屋さんで働いていた女性から子どもたちのユニフォーム姿の写真を撮って欲しいと頼まれていたのである。「いいですよ。お客さんとしてではなく、知り合いとして無料で撮って差し上げます」と言うと、「それじゃ困ります。きちんとお金を払いますので撮って下さい」と言われた。「じゃあ、大幅割引と言うことで(笑)」と言うことで引き受けた。そのアラフォーのママさんが二人の息子を連れて写真館に来た日、生憎泉大悟君が不在であった。私は泉君がいれば彼に撮影を任せていた。理由は彼の方が腕が良いからである(笑)。いや、同じライティングで撮る訳だから上がりに大きな差など出るわけがないのだけれど、それでも撮り手によって写真は多少なりとも変わる。

1枚シャッターを切る度に、ワーキングスペースにある21インチのモニタにいま撮った写真がタイムラグ無しに表示される。私はそれを見て、必要とあれば露出を変える。泉君に「ライトを1/3段落として」とか声を掛けるのである。「次は、脚立に乗って俯瞰で撮って」とか次々と「指令」を出していく。自分で撮るより司令塔になる方が好きだった(笑)。私が司令塔になるといったいどっちが撮っているんだか分からない状態になる。プロカメラマンたちもやりにくかっただろうと思う(笑)。しかし、この日は一人で撮った。

ユニフォーム姿の写真はこれが初めての経験だった。閉店時間だったので入り口のシャッターを下ろしてしまい、集中して撮影に臨んだ。たしかこの少年はこの時6年生だったと思う。4年生の弟と二人で白いユニフォーム姿でやってきた。バットを持って構えたポーズや、投球ポーズなども撮った。兄弟のツーショットも撮った。このカットは一番最後にママさんから「ちょっとアップの写真を撮ってもらえますか?」と頼まれて撮ったカットである。平素は3灯ライティングで撮影していた(多人数の集合写真では4灯5灯使うこともあった)。モデルの右斜め45度前の少し上からモデルにぶつけるメインライト。その直ぐ並びに立てて、モデルの背中越しにバックペーパーに打つ背景用のサブライト。そして、モデルの左斜め前からシャドーを起こすために打つフィルインライト。フィルインライトは可能な限り柔らかくしたかったので大きなオクタゴンボックスを使っていた。メインライトとサブライトにはソフトボックスを使い、その前に更に「紗幕」を入れてソフトなライトにしていた。

この写真はバックペーパーに打つサブライトとシャドーを起こすフィルインライトを使わずにメインライトだけで撮影している。いわゆる「1灯ライティング」である。陰影のある写真になるので男性ポートレートではよく使われるライティングである。女性の場合コントラストが強く出過ぎるのであまり使わない。子どもの写真をこういうライティングで撮ったのはこの時が初めてだった。母親はこの写真を一番気に入ってくれた。「まるで『ナンバー』の表紙の写真みたいで凄く素敵ですと」と喜んでくれた。A4のプリントを依頼されたが、私はA3ノビでプリントして額装して差し上げた。もちろん、A4のプリント料金しか頂かなかった。彼女がもの凄く喜んでくれたことは私にとっても大きな喜びであった。だからそのお礼である。きっと、いまもこの子の部屋にこの写真が飾られているだろう(と思う)。実は、私としては、この子の投球シーンの写真が一番好きだった。ゆっくりと投げるポーズをさせて撮影し、ほんの僅かだけ右手首のあたりが被写体ブレするように撮った写真である。写真館で使っていたmacminiの中を探せばこの日に撮った200枚ほどの写真が全て残っているはずだ。

どういう理由でこんな小さなファイルにしてあるのか分からないが、これだけ小さく表示してもRetina Displayで見るとぼやけて見える。この写真を見るときにはiPhoneで見て下さい!(笑)。凜々しく撮れているな〜。


野球少年 男の子の1灯ライティング_e0367501_15332761.jpg

by dialogue2017 | 2019-03-29 17:00 | ポートレート | Comments(2)

親子のツーショット

このご家族は3度ほど撮影している。ママと長女が美人である(笑)。MacBook PROのHDDが一杯に近くなるとリビングに置いてあるポータブル外付けHDDにRawファイルなどを移すのだが、先ほどファイルを移している合間にポータブル外付けHDDの中を覗いていて見つけた写真。"この写真”を撮った日の5ヶ月もあとに撮影した写真であるが、露出は全く同じである。ISO200 F8 1/160がスタジオの基準露出だったのである。この時茶色のバックペーパを使った理由は子どものシャツの色に合わせたからである。バックペーパーがよれてしまっていてお恥ずかしい写真であるが、これは本番カットを撮影し終わった後の「サービスカット」なのである。本番はグラデーションの入った「背景布」を使って撮った。お客さんの衣装の色に合わせてバックペーパーを変えて撮るというのはなかなか面白いことである。1枚ぐらいはこんな風な父と息子の写真を残しておくのも悪くないと思う。私は息子と撮っていないけれど(爆)。

それで思い出したけれど、私は「七五三」の写真を撮りに来たお客さんの場合でも、4人家族ならそれぞれ一人ずつの写真とか、組み合わせを換えたツーショットとかを撮ってあげていた。最後にご夫婦のツーショットを提案するとたいがい「いやいいですよ」と照れるのだが、撮って差し上げると満更でもない表情を浮かべて見入るものである(笑)。依頼された七五三の写真は15分で撮り終えてしまい、そのあとのサービスカットの撮影に30分40分と掛けると言うことを平気でやった。プリントは依頼されたものしか作らないけれど、サービスで撮った写真はDVDに収録して差し上げていた。みなさん大喜びだった。人に喜んで貰うのは本当にたのしいことである。

※仕事で撮影した写真に関しては承諾を頂いているものだけをブログに掲載している。

2013年2月9日撮影。EOS 5D MarkⅢ + SIGMA 50mm F1.4 ISO200 F8 1/160(マニュアル) AWB

親子のツーショット_e0367501_15044990.jpg

by dialogue2017 | 2019-03-29 16:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

突然スタジオ撮影の写真である(笑)。「家族写真」という流れである。「三人組」にとって良い刺激になるだろうと思う。機会があれば一度スタジオ撮影の実習をやって上げたいと思う。プロになったみたいで楽しいぞ(爆)。そうそう、四条河原町の駅の直ぐ近くにも私が使わせてもらえる「スタジオ」がある。だから、from_vixen君のための「講座」もやろうと思えばやることができる。"この写真”を撮った「スタジオ」である(本当は事務所の片隅で撮ったんだけれど、「体験講座」ならそこで十分だろう)。

写真館開業3日目に撮影した写真である。「お百日」の記念撮影。このご夫婦にとって第一子。祖父母も同行していて集合写真も撮影した。まだこの当時、泉大悟君の勤務は始まっていない。2Bの「暗室番長」であるSさんが参加するのも半月後であるし、開店直後はチーフカメラマンの憲ちゃんも自分の仕事が入っていて勤務できなかった。私は開店から1週間ほどたった一人で撮影していた。これは本番のカット。開店祝いに頂いた「花束」の花の一部を奥様の腕に挟んで写真に彩りを添えた。このあと「遊び」で撮ったのが例の「白バック」である。ああ、下に掲載しておこう。

「家族写真」って本当に素晴らしいと思う。何にも優ると思う。こういう写真を見ているともう一度写真館をやっても良いような気がしてくる。あれっ? 大きなサイズで表示されちゃった。でも、スタジオ撮影の写真だから大きくても良いか(笑)。ちなみに、ISO200 F8.0 1/160と言うのがスタジオの基準露出だった。ISO400に上げてF16まで絞り込むと言うこともある。スタジオの記念写真は絞って撮るのが基本なのである。この写真は通常より更に柔らかいライトで撮っている。新生児の「初々しさ」を表現するためである。


2012年9月9日撮影。公園写真館。Canon EOS 5D MarkⅢ + SIGMA 85mm F1.4 ISO200 F8.0 1/160(マニュアル露出) AWB JPEG

私は「家族写真家」である(笑)_e0367501_02475434.jpg


私は「家族写真家」である(笑)_e0367501_02525545.jpg


by dialogue2017 | 2019-03-29 13:00 | 写真とカメラの話し | Comments(3)

このブログの写真の表示サイズは長辺800pixである。しかし、Retina Displayは高精細であるため、実際の表示サイズの二倍の大きさのファイルをアップしないと写真がぼやけて見える。自分自身がRetina Displayであると言うことはともかく、いまどきMacやiPadなどでネットサーフィンしている人は数百万人いるだろう。であれば、ネット上で写真を見せる際Retina Display対策を行うことは礼儀でさえあると思う。だって、人にぼやけた写真を見せるなんて失礼じゃないか。本当に写真が好きな人だったら、自分の写真がぼやけて見られるのは嫌だろうと思う。しかし、個人レベルのブログを見るとほとんどのブログがRetina DIsplayに対応したファイルを掲載していない。「良い写真なのにぼけて見えて残念だな〜」と思うブログが沢山ある。もしかしたらぼやけている方が好都合だという人もいるのかな?(爆)。

下に掲載した写真は古いブログから拾ってきた写真であるため、ファイルサイズは長辺800pixしかない。Retina Displayでぼやけて見えないようにするためには1600pix必要である。しかし、元ファイルが何処にあるか分からないので800pixのファイルをそのまま掲載した。ぼやけて見えないようにするためには長辺400pixで表示するようしないといけないわけであるが、この「カラー写真は『引き出し』の数がものを言う」シリーズは写真を見せることが目的ではないのでぼやけていることを承知で掲載する。あしからず。

2013年7月25日撮影。江ノ島。EOS 5D MarkⅢ + EF17-40mm F4L ISO200 F11 1/200 -0.33EV マニュアルWB JPEG

カラー写真は「引き出し」の数がものを言う(3)_e0367501_15145977.jpg

「カラー写真は『引き出し』の数がものを言う(3)」は夕刻前に一度書いた。1時間半も掛けて書いたのだが、「公開」ボタンを押すと「不正なパラメーターが実行されました」という表示が出て文章は消えて無くなった。ひとつ前のエントリーに書いたように、力作だった。このブログ史上最高傑作だったような気がする(笑)。「自分ではない『何か』が後押しして書かせてくれた文章」であることは事実であるが、書いたのは私自身であるし、どういう話を書いたかは概ね記憶に残っている。

しかし、今更同じ話を書き直そうとは思わない。「消えた」というのは"神の思し召し"だから従った方が良い(笑)。書き直したらまた1時間半掛かるし、絶対にクオリティーが落ちる。最初に書いた70%のクオリティーで書くのが精一杯だろう。なぜなら、記憶を頼りに書くからである。記憶を頼りに書く文章に力は無い。「頭」で書く文章だから。最初に書いた文章は頭で書いた文章ではなかった。なにかに「憑かれて」書いた文章であった。私が書いたのだがそれは「憑き物」が私に書かせたと言うことである。いまはなにも「憑いて」いない。だから、無味乾燥な中身の薄い話を書くことにする。毎回「憑かれる」と「疲れる」から(笑)。

最初の(3)はshi-photo君ひとりのために書いた。話の初めの方の1/3は彼の写真についてあれこれ書いた。しかし、この書き直しの(3)では最初に書いた話には一切触れずに書く。ただ、この書き直しの(3)もshi-photo君のために書いていくことにするということだけを明記しておく。いや、そもそもこの「カラー写真は『引き出し』の数がものを言う」はsihi-photo君にアドバイスするために書こうと思ったのである(もちろんfrom_vixen君と0123okkun君はむろんsunnyday君さえ念頭に置いてはいるが)。(1)を書いたときは1回で書き切るつもりで書き始めた。しかし、話が長くなりそうだったので分割することにした。だから、(1)の末尾は「長い話しになりそうなので何回かに分けて書き進めることにしよう」と結ばれている。つまり、(1)はこの話の「導入部」であるのだが、取りあえずその部分を分割して出したと言うことである。伝えようと思ったことはこの話の「全体」を通して初めて伝えられることであって(1)はその断片に過ぎない。そのあと(2)を書いた。(2)も断片に過ぎない。私が書こうと思ったことはカラー写真を撮るための「テクニック」についてでは無かった。表向きはそういう体裁であるが、私自身が書こうと思っていた話はもっと抽象的なことであった。

実は、このブログは「入れ子」に成っている。

どういうことかというと、shi-photo君やfrom_vixen君や0123okkun君がこの先読み直す度に「理解」するポイントが変わってくるような構造の文章を書いているのである。いま読んだときと、半年後に読んだときと、1年後に読んだときの「理解」が変わってくる文章を書いているのである。もし、単純に「テクニック」についてだけ書いたらそういうことは絶対に起こらない。例えば、「逆光でレフ板もストロボも使わず人物を撮る時には+1.0EVほどで撮りましょう」という話は、いま読んでも半年後に読んでも1年後に読んでも同じように解釈する以外にない。書いたとおりの意味しか含まれていないからである。そこには他の含意は一切ない。

「行間を読む」という表現があるが、「行間」まで読ませるというのはハードルが高い。読む力がないと一生読めるようにならないのが「行間」である。だから、私はもう少しストレートなやり方で書いている。つまり、「地の文」の中に主題とは別の「含意」を書き込んでいるのである。「読者」というのは、自分が「知りたい」ことと「理解出来ること」だけを読んで、その時のレベルでは良く理解出来ない部分は通り抜けて行ってしまうのである。日本語は「婉曲」表現に長けた言語である。我が民族は奥ゆかしい「忖度」文化の民族であるから(笑)。文章というのはほんのちょっとした「言い回し」の中に「言外」の意味を含めることができる。これが「行間」と言うことであるが、「地の文章」に文字にして書いた文章であっても「読者」は読み逃す部分がある。文章というのは読み手の「知性」のレベルで読まれるものであるからである。「知性」が足りないと読み落としが多くなる。だから、何度書いてもまったく伝わらない人というのがいる(ほとんどの人がそうだけれど。読書もしない、文章も書かないで生きていれば「読解力」が育まれるはずがないから)。

「読者」が物事の「表層」しか見ない人であれば「行間」に書いたことは絶対に伝わらない。しかし、文章というモノは書いてあること以上に「書かなかったこと」に大きな意味がある場合があるのである。それこそがまさに「行間」である。「行間を読む」ということは「言外」に「語られた」ことを読むと言うことである。「言外に書かれたこと」というのは実際には「書かれていない」。だから「行間を読む」というのは「書かれていないこと」を読むと言うことである。ほんのちょっとの言い回しにメッセージが込められている。前に書いたが、「も」一つ入れると意味が全く変わる。「そう思う」と書くか「そうも思う」と書くかで意味は大きく変わる。

まあそんなことはどうでもいい。そういう「難しい」話はともかく、誰にでも「いま理解出来ること」と「いま理解出来ないこと」がある。その中間に「何となく分かるような気がすること」がある。私は君たちが「いま理解出来ること」についてはストレートに書いている。簡単なことと言うのは簡単だから(笑)。「テクニック」というものはだいたい簡単な事である。それを上手に「扱える」かどうかと言うことについては「習熟」ということが条件となるが、「そういう風にやれば良いんだ」ということを理解することはそれほど難しくない。要するに「スキル」というものは誰にでも理解出来るものであるし、習得可能なものである。写真というモノは80%ぐらいは「スキル」の組み合わせだと思う。しかし、100%が「スキル」ではない。100%スキルであるとしたら、写真には些かの芸術性もないと言うことになる。100%スキルだとしたら、写真を撮ると言うことは「電気工事」を行うことと等しい行為だと言うことになる。

書くのが面倒になってきたから唐突に結論を言うが、問われているのは残りの20%である。その部分を「才能」とか「感性」とか言ってしまうともはや語り得ぬものになる。パーセンテージについては措いておくが、確かに「スキル」以外の部分が「才能」とか「感性」という領域であることは間違いない。しかし、「才能」とか「感性」と言う言葉で語ってしまうともうなにも教えることはできない。「才能」とか「感性」なんて自分で磨くしかないし、そもそも「天賦」のモノだから。しかし、私はこの領域にアプローチする方法があると思っている。「才能」を磨くことや「感性」を高めるためにはどうやったら良いのだろう?  一番知りたいことはここだよね? 「写真の撮り方(スキル)」を知りたいのであれば本屋に行って「教科書」を買ってきて読めばいいわけだ。ネット上にも「スキル」に関して書かれたサイトは沢山ある。そんなものを読んで上手くなれるなら世の中プロ並みの人だらけになるよ(笑)。

しかし、技術だけではそれほど良い写真は撮れない。私は写真を「芸術」だとはあまり思っていないのだけど、そこに「芸術性」が孕まれることは否定しない。さて、「芸術」ってなんだろう? 「芸術」というのは「表現物」が「鑑賞者」の心を揺さぶるもののことである。「表現者」が「表現物」に込めた「思い」に「鑑賞者」が「感応」することによって初めて「表現物」は「芸術」たり得る。これはどう考えても「技術」に還元できる営為ではなく、「精神」の作用の問題である。難しい話じゃないんだ。ようは「いいな〜」って思うかどうかと言う話である。どんなに奇麗に撮れていても「綺麗に撮れているな」としか感じない写真もある。そんなに上手に撮れていない写真なのに「素敵だな」と思ったり「好きだな〜」って思う写真もある。それどころか明らかに「下手くそ」なんだけれど「いいな〜」「好きだな〜」と思える写真がある。その差ってなんなのだろう? なにが違いを生み出しているんだろう? 一番面白い話はここについての話だよね? みんなが一番知りたいことなのに、そんな話しを書いている人ってほとんどいないよね? 何故だと思う? 

実は、そんなことを知りたいと想っている人はあまりいないんだよ。

本気になって「良い写真」を撮りたいと想っている人なんてごく僅かしかいないんだよ。求めているのは「本物」ではなく「イミテーション」。

ここまでの話は取りあえずここで終わり。最初に書いた話しとほとんど被る内容がない全く別の話しになった(笑)。

shi-photo君へ。冒頭に掲載した写真は君が好きそうなタイプの写真だと思って古いブログから持ってきた。多分、君はまだあまりこういうタイプの写真を見たことが無いのではないかと思う。君が「へ〜っ、こんな撮り方があるんだ」と思ってくれたとしたらそれだけでこの写真を持ってきて載せた意味があると思う。それだけの理由で持ってきたのだから。

僕はシンプルな写真が好きで、一時期「モノトーン」のカラー写真を撮ろうとしていた時期があったんだ。それまでは「写実的」(僕に言わせれば写真が「写実的」っておかしな表現だけれど)な写真が一番好きだったんだけれど、2012〜2013年頃、一つの試みとして「絵画的」な写真を撮ってみようと思ったんだよ。それは「遊び」でもあったし、「実験」でもあった。そもそも僕には写真を「探求」しようなんていう気持は全くなかった。だから所詮は遊びだよね。この頃はモノトーンな写真を撮ったり、極端にアンダーな写真を撮ったりしていた。そういうのばかり撮っていたわけじゃ無いけれど。いや、そういう写真は少ししか撮らなかった。「違和感」を覚えつつ撮っていたから。この頃は安達ロベルトさんの写真に惹かれていたんだ。だから極端にアンダーなの(爆)。ほら、例の「千鳥ヶ淵の桜」の写真みたいにさ。ちなみに、安達さんのああいう作風というのは上田義彦さんからの影響だと思う。まあ、この辺の話は安達さんから直接聞いているんだけれど、その話はまたいずれ。

この写真はマニュアルホワイトバランスで撮っている。もう5年以上前のことなのでどうやってセッティングしたか記憶にない。ケルビン値で指定したかもしれないし、プリセットの「電球光」とかで撮ったのかもしれない。いずれにしろ、色温度の高い写真を狙って撮ったということ。やったことはただホワイトバランスの設定で色温度を高くしたと言うことと、レタッチでかなりアンダーに落としただけ(もう全く記憶にないけれど)。やっていることはとても単純。「手口」とか言うほどのことではない。しかしね、写真を撮る「スキル」なんてほとんどが単純で簡単なことばかりなんだよ。はっきりってしまうけれど、難しいことってほとんど無いです。まあ、複雑なスタジオライティングとかブツ撮りの技術とかはちょっと別な話だけれど、カメラマンが一人で撮る写真なんて複雑なことはそうそうできない。だから、「引き出し」の中身は「そんなこと」という程度のことばかり。でもね、それでいいわけ。

一つ一つの「手口」は簡単で単純な「そんなこと」で構わない。そういう「手口」を沢山持っていることが肝心だと言うこと。問題はどこでその「カード」を使うかという「判断力」だから。スキルって、知っているから使えるというものじゃないんだよね。使う時と場所を間違えることも多いし。一つ一つのスキルは「その程度のこと」なんだけれど、沢山ある「カード」(手口・引き出し)の中からいまここでどのカードを使うかを咄嗟に判断できるかどうかが問われているわけ。シャッターチャンスって一瞬しか無いこともあるしね。日没間際の浜辺で撮っていたりすると1分で条件が変わってしまうから。そういう情況の中でどれだけ自分のベストを発揮できるかというのが「実力」。「引き出し」は実力の「ストックヤード」。そういうこと(笑)。

ああ、「入れ子」の話だけれど、実際にこのブログの「過去ログ」(いまは君一人しか読むことができないのだけれど)を君が半年後、一年後、三年後にもし読んだとしたら、「えっ? こんな話が書いてあったの? 3度も読んでいるのにどうして気がつかなかったんだろう?」という話が沢山書いてあるはず。きっと君は驚くと思う(たぶん、既に君もfrom_vixen君も0123okkun君もそういう感触を得ていると思うけれど)。

僕は「スキル」について語ることになんて全く興味が無いんだよ。何度も書いたことだけれど、僕は「実務」レベルのことにはなんの関心も無い。僕にとって関心の対象はどんなことの場合でも「理念」的な領域だけ。このブログには君たち「初心者」にもっとも初歩的な「スキル」を教える話を沢山書いているけれど、その同じエントリーの中に僕の「理念」を書き込んでいる。いまの君たちは「スキル」レベルのことにしか関心が無いからそこに集中して読んでいる(それで正しい)。でも、スキルを一通り理解し身につけたときに「じゃあどうやって表現すればいいんだ?」という「難題」にぶつかると思う。その「難題」という密林をかき分けて進んでいく「ヒント」を僕は沢山書き込んでいるということ。スキルの話なんて誰でも書けるじゃないか。そんな話を書いても仕方ない。でも、抽象的な理念だけを書いたら君たちは読むのを辞めちゃう(笑)。だから、スキルの話として書いていると言うだけ。もちろん、取りあえず君たちに一番重要なことは基礎的なスキルを身につけること。基礎的な「理論」を理解すること。がんばって!

追記。そのうち「ファン限定公開記事」で「秘密の暴露」をちょこっとやるよ(笑)。例えばさ、「カラー写真は『引き出し』の数がものを言う(1)」の本当の意味は、スタジオライティングの話なのよ。Velviaを使って「現実より奇麗な色」にするというような話じゃないわけ。春になったらスタジオを組もうと思っている。まあ、僕のことだから実行するかどうか分からないけれど。もしスタジオを組んだら呼んであげる。スタジオライティングを経験すると世界が広がるから。乱暴なことを言ってしまうと、プロとアマチュアの違いはプロは「スタジオライティング」を知っているというところにあると言っても過言では無い。アマチュアがもっとも持ち得ない「引き出し」が「スタジオライティング」。この「引き出し」には入っている物がどっさりなんだよ(笑)。別にストロボ建ててライトを打つだけなんだけれどね(爆)。じゃあまた。

(5,984文字)やはり「一口上」5,000字だな(笑)。


by dialogue2017 | 2019-03-21 22:15 | 考えていること | Comments(2)

ご自宅で撮影した写真は全部モノクロプリントで納品した。このご家庭には、壁にフレームに入れたカラー写真がいくつも飾られていた。その中に飾ったモノクロのフレーム写真はひときわ美しかった。しかし、梅が満開の季節だったので、最初の撮影から10日後に梅の花をバックで写真を撮って差し上げた。こちらは無料。私の方から撮って差し上げると声を掛けたのでお金は頂かない。結構そういうことを良くやった。

凄く小さなファイルしか見つからなかったのはちょっと残念。下は「悪魔の三歳児」。この時もちっともレンズの方を見てくれなかった。しかし、それゆえ「七変化」となった表情を沢山撮ることができてパパもママも大喜び。余りに喜ぶので、大きなプリントを1枚作って差し上げた。

ママと次女の写真を撮っていたら焼き餅を焼いた長女がママを奪い返しに来た(笑)。
2枚ともトップライトを入れている。撮影時刻は12:06。私はプロカメラマンが嫌う真昼のトップライトで撮るのが好きだ。


結局梅バックで撮って差し上げた_e0367501_23343931.jpg


悪魔の三歳児はまったくレンズを観てくれない。意識してそっぽを向いているのが可愛らしい(笑)。
正面を見て笑っていなくてもいい。こういう写真は思い出に残る。でも、反対側見てくれた方がいい光だったんだよね(爆)。


結局梅バックで撮って差し上げた_e0367501_23362263.jpg


by dialogue2017 | 2018-12-27 23:43 | ポートレート | Comments(2)

ひとつ前のエントリーに掲載した写真は"白バック”で撮影したカラー写真をモノクロにしたものである。カラー写真の場合、肌の色は肌色で表される。肌色は「白色」より「暗い」が人間の顔が肌色であることは当たり前のことなので違和感を覚えない。もちろん顔の明るさを基準に露出を決めて撮影している。だから、カラー写真では顔は顔は飛び気味に見えるほど明るい。しかし、モノクロにしてしまうと背景の白色の方が「明るい」ため顔の色がちょっと暗く見える。「肌色」は「白」に僅かな「黒」を載せることによってしか表現できないからである。だから、モノクロ女性ポートレートを撮る場合、背景の明るさには十分気を配らなくてはならない。こういうことを全く理解せずモノクロ写真を撮っている人が余りに多い。

同じようにストロボライティングで撮影した写真であるが、バックペーパーが濃い青色で撮影した写真であればモノクロにしても問題ない。顔が明るく見えて違和感は全くない。Mon's Cafeさんはモノクロフィルムでお子さんや奥さんをちょくちょく撮っているが背景選びに全く無頓着である。これからは背景を良く選んで撮るようにして欲しい。種明かしをしてしまうと面白くないのだが、ひとつ前のエントリーとこのエントリーも彼に大事なことを伝えたいために書いた。でも、そう明示して置かないと彼に十分伝わらない恐れがあるので明記しておくことにした。モデルは現在の彼の師匠である(笑)。

モデルが女性であれば肌の色をもっと明るく出すが、男ならこの程度でちょうど良い。カラーだと十分過ぎるほど明るい。カラーとモノクロでは同じ被写体を同じ場所で撮っても露出を変える。女性の場合は絶対に変える。他のプロがどうしているかまで走らないが私はそうする。


このバックならモノクロで成り立つ モノクロとカラーでの露出の違い_e0367501_11410847.jpg

よく見ていただくとわかるが背景の明るさにグラデーションがある。写真に向かって左中程が明るく右上が暗く落ちている。もしこの背景の明るさが均一であると写真が安っぽく見えるのである。このグラデーションを作るために3灯目のライトを使っているのである。そのライトの配置につては「スタジオライティングの基本について」で詳しく書いた。ライトを組んだのは写っているご本人である(笑)。ただし、この写真を見て渡部さんが言ったことは「ライト、随分練れてきたね。そのスタジオで毎日撮影している人間が微調整を重ねて初めて完成するんだよね。俺が最初に組んだときより良くなっている」であった。ライティングは奥が深いのである。私はその入り口に裏口入学した程度である(笑)。

このバックならモノクロで成り立つ モノクロとカラーでの露出の違い_e0367501_11412010.jpg


by dialogue2017 | 2018-12-25 13:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)