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KONICA MINOLTA DiMAGE A2 2005年2月28日撮影  旅の写真はカラーに限る モノクロで撮る奴は変態である(笑)

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by dialogue2017 | 2017-12-23 15:00 | 旅行写真 | Comments(0)

5日間で144枚しか撮っていないというのは、いまでは信じられない。もしいまソウルに行ったら、どんなに少なくても1日200枚以上は撮るだろう。場合によっては3〜400枚撮ると思う。しかし、この時の方が「普通」だったんだと思う。既に書いたように、初めてソウルを訪問した1989年3月から2003年ぐらいまではカメラを持たずにソウルに行っていた。

と書いて思い出した。昨日、東京中野にある「ギャラリー冬青」に亀山仁さんの個展を見に行ってきた。そこで、作家の亀山さんや冬青社の高橋社長と2時間半も話をしてきた。別れ際に高橋社長が、1月の中旬以後ヨーロッパ旅行に行っていて不在となりますと伝えてくれた。冬青には高橋社長にお目に掛かるのが楽しみで訪れる人も多い。私もその一人である。律儀な高橋社長は顔見知りには自分の不在を伝えているのだろうと思う。

高橋社長に、「旅先では沢山写真を撮る方ですか?」と尋ねたら、「私は旅にはカメラを持っていきません」という返答が帰ってきて驚いた。でも、なんとなく納得できる。そういう方だから、あれだけの写真集を出版してこられたのだろうと思う。冬青社の写真集の印刷クォリティは「世界一」と評する人もいるほどである。写真家の渡部さとるさんが初めてアルルのフォトフェスティバルに参加した際、彼の写真集を見た欧米のフォトグラファーたちは異口同音にその印刷クォリティの高さを賞賛したという。

私も長年旅先にカメラを持たずに通っていた。1998年から数年間京都に通っていた。年に10回行った年もあった。しかし、その数年間私は一度としてカメラを持っていかなかった。いや、その頃私はカメラを1台も所有していなかったのだ。まだ初代のiPhoneを使い始める前のことだから、iPhoneで写真を撮ると言うこともできなかった。その数年間の旅の写真は1枚も無い。今考えると勿体ないことをしたと思う。1度の訪問で、たとえ10枚であっても写真を撮っておけば良かったと思う。「写ルンです」でも良かったと思う。しかし、その頃、私は写真を撮ると言うことを考えもしなかった。

ソウルにしても、京都にしても、写真を撮らなかった理由のひとつは若かったからだ。まだ、思い出を遺しておきたいという気持ちが稀薄だったのだ。いや、もっと大きな理由があった。どこに行っても、年の離れたガールフレンドがいたからカメラなんていらなかったんだ(笑)。ソウルに行ったって、韓国人の美女と大変親しくなったりしていたし(爆)。もうそういうことは無いから、カメラでも持っていかないと旅先では手持ちぶさたになってきた(笑)。

とにかく、2004〜2008年頃の私は、旅先でも1日3〜40枚しか写真を撮っていなかったのである。今考えると勿体ないことをしたと思う。いま、10歳若かったら、ソウルに行って写真を撮り直してきたいと思う。しかし、2004〜2008年には撮ることが出来た光景の少なくないものが今はなくなってしまい撮ることが出来ない。一つ前の(14)に写真を載せた「ピマッコル」なども既に無くなった。

今朝方、写真家の中藤毅彦さんとFacebookを通じて写真というものの核心ともいえる部分についての対話をした。私は写真の最大の価値は「記録」ということに尽きると思っているし、ことある毎にそれを口にしてきた。中藤さんから最後に貰ったメッセージの全文を紹介したいところだが、その一部だけを紹介しよう。

究極的に写真は『記録』以外のなにものでもないと思います。それは、事物の記録であり、光の記録であり、時間の記録であり、あらゆる写真は何らかの記録…(後略)

まさか、中藤さんがここまで言い切るとは思わなかった。中藤さんとはまだ一度も会ったことが無い。3年程前、Facebookで大げんかして私は彼から「削除」されたという因縁がある。今回、別の友人のスレッドの中で私の書いた文章を読んだ中藤さんが、私の見解に強く同意するという意見を下さり、そのあと少し会話をした。

先日安達ロベルトさんとお話しした際、中藤さんの話を持ち出し「彼とは喧嘩をしたんだ」と言うと、「会ってみたら間違いなくお二人は意気投合しますよ」と言われた(安達さんは中藤さんととても親しい間柄である)。安達さんの言うとおりだと思う。私も中藤さんと会ってして話をしてみたいと思っていたが、中藤さんからもお目に掛かりたいと言っていただき、年明け早々にも彼に会うことになりそうである。なんと言っても彼は日本を代表する写真家の一人であるし、今後の日本写真界を牽引していくもっとも有力な写真家だと私は思っている。彼と話をすることは非常に大きな楽しみである。

「ノスタルジアとしてのソウル(14)」の中に記したよう、私は未だに作品としての写真を撮ろうという気持ちを持っていない。しかし、中藤毅彦さんと親しくなってしまったら、私のスタンスは変わらざるを得ない気がする。一度会って終わりにすれば問題ないが、彼と友人になってしまうようなことがあった場合、私は「作品」を撮ってみようと思うようになるかもしれない。だって、最近私は「ハイコントラストモノクローム」の魔力にすっかり取り憑かれているから(爆)。

来年は、他にも数人の写真家と会うことになりそうである。それはとても楽しみなことであるが、悩ましいことでもある。私は、来年は「写真」と距離を置いて「文字」の世界に没頭したいと思っているからである。でも、私は彼らと会い、話し、意気投合し、彼らの影響を強く受け、今までとは違ったスタンスで写真を撮ることになるだろう。なぜなら、私は写真を撮ることが好きだから。

トコトン煎じ詰めた高いレベルで写真を撮っている人々と出会えることは私にとって大きな楽しみだ。そのことによって、私の中で「写真との距離感」が変わろうと変わるまいと、私は恵まれた出会いを受け取ろうと思う。でも、これだけは言える。私は今更フィルムで撮ろうとは思わない。もし、真剣に写真を撮ることを始めるとしても、私は絶対にデジタルカメラで撮る。私は銀塩プリントが大好きであるが、デジタルカメラにより大きな可能性を感じている。その件については、また数日後に。

さて、今日は早起きしたのでカメラを持って江の島・鎌倉界隈に出掛けようと思っていたが、この一文を書いたらすっきりしてしまった。ちょっと寝不足なので寝直そうかな(笑)。


KONICA MINOLTA DiMAGE A2 2005年2月27日撮影

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by dialogue2017 | 2017-12-23 12:00 | 旅行写真 | Comments(0)

安重根については書いてみたいと思う。しかし、長い文章になるので辞めておく。中途半端に書くぐらいなら書かない方がいいと思うから。私自身が初めてここを訪れたのは1990年の8月のことである。今から30年近くも昔の話である。そのときのエピソードはちょっと面白い。それについても書いてみたいが、やはりそこそこ長い話になるのでこちらも断念することにする。 ※写真の下に本文あり。

KONICA MINOLTA DiMAGE A2 2005年2月26日撮影 この写真は26日に二人の先輩を案内した際に撮影したもの

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私は今でも「作品」としての写真を撮ろうという気持ちが無い。「作品」を辞書で引いてみたら「人間によって作られたもの。特に、芸術としての意図を持って作られたもの」とあった。そうか。じゃあ、私には「作品」としての写真は撮りようが無い。なぜなら、私は写真は「芸術」の範疇には入らないと思っているから。

「芸術」とは何かと言う定義にはある程度の幅があると思う。辞書で「芸術」を引くとどんな辞書にも芸術の例としてさまざまなものが上げられているが、「写真」を上げているものはひとつもみつけられなかった。文化庁のHPの「芸術文化」という項目には「音楽,演劇,舞踊,映画,アニメーション,マンガ等の芸術文化は,人々に感動や生きる喜びをもたらして人生を豊かにするものであると同時に,社会全体を活性化する上で大きな力となるものであり,その果たす役割は極めて重要です」と記されており、アニメーションやマンガは芸術として取り上げられているが、ここにも「写真」の二文字は無い。写真は芸術の範疇に入らないという認識は私の独りよがりでは無さそうである(もちろん、ここに例として上げられていないことを持って「写真は芸術の範疇外」と言うことにはならないが、どの辞書でも例に取り上げてもらえていないのも事実である)。

しかし、写真が芸術であるかどうかなどということはどうでも良いことだと思う。この件については一昨晩Facebookの写真友達と話題になったのだが、私はそこに書いた。「写真は写真だ。それで十分だ。芸術であるかないかなどと言うことを問う必要さえ無いと思う」と。私は異論を認める。私は私がそう思っていると言うことを言っただけであり、私の考えが「正論」だなどとは言っていない。私と違う考えに関して私は強く否定するつもりは無い。世の中には「正論」がないことだって沢山あると思う。

ただ、写真は芸術か?」とか「写真は美術か?」と問うている時点で「負け」だと思う。「絵画は芸術か?」とか、「音楽は芸術か?」とか「文学は芸術か?」とかを問うことはほとんど無いだろうから。なぜなら、それらが芸術であることは誰にも自明な事柄だからである。画家も、音楽家も、文学者も、そんなこは気にもせず創作活動に取り組んでいるだろう。私は、写真が芸術かどうかを論じることはコンプレックスだと思う。写真は写真で良いじゃ無いか。仮に芸術の仲間に入れてもらえなかったからと言って構わないじゃ無いか。なにも芸術にこびへつらう必要など無い。

この件についてはここではこれ以上は論じない。リクエストがあればとりあえず1万字ほどは書いても良いが、リクエストが無ければこの問題はここで一旦棚上げして、そもそも書こうと思った話に戻る。

私はいまでも「作品」として写真を撮るつもりが無い。まあ、ちょくちょく「作品」っぽい写真を撮ることはあるけれど、本気で「作品」としての写真を撮ったことは一度も無い。そもそも、私は自分自身が見るために写真を撮っているのだから、いかなる意味においてもそれが「作品」であることはあり得ない。「作品」というものは他者に鑑賞して貰うために作るものなのだから。

私も他者に写真を鑑賞して貰うためにここに写真を掲載している。他者に鑑賞して貰おうという気持ちが無いなどと言うつもりは無い。ただ、まず第一に、このブログは私自身が見るためにやっている。何度も書いたようにこのブログは「私のアルバム帳」なのである。私は、まず自分自身が見るために撮った写真を他者にもちょこっと観て貰おうという程度の腹づもりでここに掲載しているのである。包み隠さずに言うが、時々他者に見せようと言う意図で写真を撮ることはある。しかし、それは「お遊び」であって、およそ「作品」制作と呼べるようなレベルのことではない。

いまでは多くの人々が日常的に写真を撮っているが、99%までの人は「作品」として写真を撮っているわけでは無いだろう。私が写真を撮っているのは、本質的な部分ではそういう人たちのやっていることに近いと思う。旅行に行けば写真を撮りたくなるのが人情である。子どもを持てば子どもの写真を撮りたくなるのは親としてごく普通の感情である。旅行で写真を撮る人や、子どもの写真を撮っている人は「作品」としてそれらの写真を撮っているわけでは無いだろう。私も基本的にはそれと同じなのだ。

「080301ソウル」を50枚、そして「ノスタルジアとしてのソウル」を(14)まで掲載した。一つのエントリーに2枚の写真を掲載した時もあるが、最低でも64枚以上のソウルで撮った写真をここに掲載した。しかし、それらの写真を撮るとき、誰かに見せるということは1%も考えていなかった。実際、私は2010年1月に初めてのブログを始める以前、自分が撮った写真を家族以外に見せるということはほぼ全くなかった。家族と言っても妻一人である。私は誰かに見せると言うことを前提に写真を撮ったことは、少なくとも2010年以前にはまったく無かった。

では、ここに掲載したソウルの写真はどういう思いで撮っていたのか? なんとなくである。特段の理由は無い。旅に行けば写真を撮りたくなるのは普通の感情だ。私は「記録」を遺すことにそこそこの執着を持っているタイプの人間なので、自分の人生の「記録」を遺しているという要素は強い。だから、これらの写真を撮ったときには、「自分自身で見る」という気持ちさえ大きなものではなかった。とにかく、「記録」をしておきたかったのである。それが写真を撮った最大の動機である。

だから、通りすがりに見かけた光景を、ちょこっと立ち止まってパチパチと撮っただけのことで、構図とかアングルとかに対する拘りもほとんど無かった。ちょっと斜めに写っている写真はそうやって撮ったら格好いいと思って撮ったのでは無く、いい加減に撮って曲がってしまっているだけなのである。この頃(2010年以前)は、露出補正にもあまり気を配っていなかった。極端なケースでは補正を掛けているが、±0.7EV程度であれば補正を掛けずに撮っていた。私は本当に「記録」が残っていれば良いと思っていたのである。今から振り返れば、もう少しきちんと撮っておけば良かったと思う。しかし、当時はそんなことは全く思っていなかった。

「ノスタルジアとしてのソウル」では、写っている光景についてあれこれと説明した。ちょっと歴史的な話なども書いたが、そういう話をしたくて撮った写真は1枚も無い。ただ、連れて行った先輩二人が興味を抱いているところに案内し、それぞれの場所で2〜3枚写真を撮ったと言うだけの話である。この「ノスタルジアとしてのソウル」に掲載した写真は、その程度の思いで撮った写真である(「080301ソウル」は少しだけ違う気持ちが入っている)。

それらの写真を、まさか10年以上のちにこういう形で「発表」することなどは夢にも考えることができなかった。だいたい、今回私はこれらの写真を撮影直後以来で見たのである。しかし、まさに、私は撮影後ずっと時間が経った後、そう、人生の晩年に「ノスタルジア」に浸ってそれらの写真を自分一人で眺めてみるために撮っていたのである。それが、これらの写真を撮った理由だ。

(つづく)

参考までに。あるネット辞書より。

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by dialogue2017 | 2017-12-23 06:00 | モノクロ | Comments(0)

2月26日の写真がまだ少し残っているが、その写真を載せると長々と解説を書かなければならないのでパスした。訪問して下さっている方々の大半は文章など読んでいないだろうから文章を書かずにそれらの写真を掲載しても同じことだと思うが、私自身が居心地が悪いのである。歴史的ないわれのある所の写真については、簡単にでも解説を付しておきたいと想うのである。その場所に対する礼儀のようなものである。

と言うわけでこれは2月27日の写真。2005年の2月27日ですよ(笑)。「080301ソウル(44)」の中に書いた「ピマッコル」の写真である。こういう写真はハイコントラストモノクロにした方が格好良いと思う。猥雑な感じが出た方が似合うだろうから。しかし、そもそもこの「ノスタルジアとしてのソウル」は、「080301ソウル」のハイコントラストモノクロに食傷したので「ノーマル」なモノクロ写真を載せようと思ったのが始めた動機。と言うわけで、ノーマルなものを上げておく。奥に写っているのが「鐘路タワー」。33階だそうだが私は一度も上がったことが無い。

KONICA MINOLTA DiMAGE A2 2005年2月27日撮影 まあ当たり前だが路地の写真は縦の方が合う

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by dialogue2017 | 2017-12-23 01:00 | モノクロ | Comments(0)

明洞大聖堂(명동 대성당・ミョンドンテソンダン)。韓国で最初に作られたカトリック教会堂で、韓国のカトリック信徒にとって精神的シンボルである。完成したのは1898年5月。朴正煕軍事独裁政権時代から、韓国のキリスト教会は反独裁民主化運動の重要な拠点であり、明洞大聖堂はその象徴であった。全斗煥軍事独裁政権を倒した1987年の「6月民主抗争」の際には、警察に追われたデモ隊が明洞大聖堂に籠城し、大学生やサラリーマンによる支援デモが聖堂の前で繰り広げられた。韓国の民主化の為に明洞大聖堂が果たした役割は大きい。

全共闘運動や70年安保闘争の余韻が残っていた1970年代の学生運動家や労働運動家たちは、韓国の民主化運動に強い関心を抱いていたが、私がこの時ソウルに連れて行った二人の先輩もその世代の活動家であった。韓国の民主化運動に関心を抱いていた者にとって、明洞大聖堂は一目見てみたい存在であり、私は二人の先輩を案内した。縦位置の写真は座りが悪いのでブログには掲載しないようにしているが、この旅行の際にソウルで立ち寄った先としては外せない場所なので掲載することにした。

ちなみに、ソウルの路地裏を撮った写真は圧倒的に縦位置の写真の方が良い。「080301ソウル」では50枚全部横位置の写真を掲載したが、自分自身が気に入っている写真は縦位置で撮った写真に多い。2008年3月訪問時にソウルで撮った写真はまだ400枚残っている。全部は無理でももう少し掲載したいと思っている。その際、縦位置で撮影した写真も少しお見せしたいと思う。

KONICA MINOLTA DiMAGE A2 2005年2月26日撮影 明洞大聖堂


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by dialogue2017 | 2017-12-22 12:00 | 旅行写真 | Comments(0)

順序としては「朝鮮銀行本館」より先に撮影している。「ソウル駅」→「南大門市場」→「旧朝鮮銀行本館」という順路で先輩二人を案内したのだと思う。この順路で歩いて1kmちょっとくらいである。

「080301ソウル(33)」の中でも書いたが、私は韓国の市場に被写体としての魅力を感じている。しかし、この時、あの広い南大門市場を横切りながら、下の2枚の写真しか撮っていないのだ。自分でビックリ(笑)。今なら南大門市場を通過したら、10分で通過したとしても40枚ぐらいは撮るだろう。それが僅か2枚。2005年3月当時、私は写真を撮ることにこれほどまでに淡泊であったのだ。もっとも、2003年以前はカメラを持たず15回ほどソウルに行っていたのだから、この時にはよく撮っていると言うことになるかもしれない。

別の機会に南大門市場に行った際の写真がどこかにあると思うが、それでもたいした枚数は無いと思う。余りに人が多すぎて撮る気にならないと言うこともあるかもしれない。それにしても、5日間で144枚しか撮らないわけである。撮るべき所で全然撮っていないのだから(一番下の「ベタ」を見ると分かる)。

※追記。ソウル駅の写真の撮影時刻は12:23、南大門市場の写真は12:43と13:00、旧朝鮮銀行本館の写真は13:11分の撮影であった。ソウル駅から1kmちょっとを50分ほど掛けてノンビリ歩いたにもかかわらず、私はその間に6枚しか写真を撮っていない。私自身にとっては、今更写真に撮るまでも無いほどよく知っている光景ばかりだったからだと言うことかもしれない。

KONICA MINOLTA DiMAGE A2 2005年2月26日撮影 南大門市場

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吊されているのは「꿀비(クルビ)」。イシモチを塩漬けにして干し物にしたものである。旧正月や秋夕のお歳暮として人気がある。

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古い外付けHDDの中の「2005年」というフォルダの中の「2005.2.25ソウル(A2)」と言うフォルダを開いた一部のスキャン画像。ファイルナンバーがつながっているから実際に撮った写真だけが残っていると言うことである。

上の列左の写真「ソウル駅」は(9)に掲載。左から2番目の写真「南大門」は(4)に掲載。下の列の左から2番目「朝鮮銀行」は(10)に掲載。そして、上の列右側の写真と下の列左側の写真をこのエントリーに掲載した。ちなみに、下の列右側の写真は「東亜日報ビル」(これも日帝時代に建てられた建築物)。その左隣の縦位置の写真は「明洞大聖堂」である。なんでここまで淡泊だったのだろう。もっと撮っておけば良かったと思う。

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by dialogue2017 | 2017-12-22 10:00 | 旅行写真 | Comments(0)

KONICA MINOLTA DiMAGE A2 2005年2月26日撮影 (旧)朝鮮銀行本館 (現)韓国銀行貨幣金融博物館 バイクの荷台の荷物の量が凄い!

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(9)に日本植民地統治時代に建築されたソウル駅の写真を載せ、設計に纏わる話を書いた。それを投稿してから4時間ほど経つ。22日分の更新を一つだけ予約投稿しておこうと思い、昨晩用意した写真を眺めていたらこの写真が目に止まった。これは、旧「朝鮮銀行本館」である。朝鮮銀行は、日本が韓国を併合した翌年の1911年に、日本の法律である「朝鮮銀行法」に基づく特殊銀行として、日韓併合以前の「韓国銀行」(中央銀行)を改称して設立された。その詳細について興味のある方は、Wikipediaの「朝鮮銀行」を参照いただきたい。

ちょっとお断りをしておくが、私は何の"意図”も持たず、ただ2005年2月にソウルを訪問した際に撮った写真をランダムに掲載している。(1)と(2)をレタッチした際には「普通のソウルの写真」というタイトルで何枚か写真を掲載するだけの腹づもりであった。だから、(1)と(2)に掲載した写真はパッと目に付いた2枚であったのだが、当初の予定を変更して「ノスタルジアとしてのソウル」としての「連載」を始めてからはほぼ撮影順に写真を選んで掲載してきた。

(9)は、順番からソウル駅の写真に成ったと言うだけの話であって、ソウル駅建設に纏わる話がしたかったわけではない。あの話は、ソウルの写真を見ていたら思い浮かんだことを書いたに過ぎない。ソウル駅の話になれば、当然(?)東京駅との類似と言うことがもっとも"ネタ”にふさわしいのでそれについて書いた。そして、その話になれば設計家の辰野金吾氏について触れないわけには行かなくなる。すべては、最初に「写真」を掲載し、そこから話が出てきているだけのことである。初めに写真ありき、である。

実は、ここに掲載した(旧)「朝鮮銀行本館」は、その辰野金吾氏が設計した建物なのである。私は、(9)の話を書いているとき、この写真があること自体を失念していた。昨晩のレタッチの際にはかなり機械的に作業をしていたので、個々の写真に対する記憶は曖昧であったのである。(9)に掲載した文章を書いたときには、辰野金吾氏が設計した建築物の写真があることなどまったく忘れていた。いや、正確に言うと、「朝鮮銀行本館」の写真があったことについては薄ら記憶があったと思うが、それが辰野金吾氏の設計であると言うことを失念していた。(9)で辰野金吾氏の話を書いたことで初めて思い出したのである(思い出したのは4時間後であるが)。まさか、こんな風に話がつながるとは思ってもみなかった。

今回写真をカラーにしたのに特別な意味はない。モノクロにしておいたファイルもあるのだが、そちらを掲載してプレビューしてみたら空のトーンジャンプがあまりにも目立ったのでカラーに差し替えたというだけの話である。小さなファイルサイズに圧縮してしまっている上でレベル補正をしたためトーンジャンプが出てしまった。もう一度元ファイルからやり直せばトーンジャンプしないファイルを作ることはできるが、わざわざそんなことをする動機がない。差し替えたカラーの写真もトーンジャンプははっきりと出ているが、モノクロより多少は控えめに見える。それはともかく、このファイルをPhoshopで開くとトーンジャンプしていないのである。ブラウザに載せてしまうと事情が変わってしまうのだ。

ところで、本来記録として撮った写真は見せるときにもカラーの方が良いと思う。にもかかわらず私がソウルで撮った写真をモノクロにしている理由は、カラーだとパッとしないのを誤魔化せるからである。そしてもう一つの理由は「お遊び」である(笑)。


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by dialogue2017 | 2017-12-22 06:00 | 旅行写真 | Comments(0)

ソウル駅は東京駅によく似ている。ソウル駅も東京駅を設計した辰野金吾氏の設計だと想っている人がかなりいるらしいが、ソウル駅を設計したのは辰野金吾氏に学んだ塚本靖東京帝国大学教授である。塚本氏は師である辰野金吾氏が設計した東京駅をモデルにしてソウル駅を設計したそうであるから、両駅が似ているのも当然のことである。この赤レンガのソウル駅が建設されたのは、日本の植民地統治時代であ1925年の事である。このソウル駅とよく似た東京駅丸の内口の赤レンガの駅舎が作られたのは1914年である。ソウル駅は、当時東京駅に次ぐ東洋第二の規模の駅であった。

昨年7月、韓国のメディアがソウル駅のモデルは東京駅ではなくスイスのルツェルン駅だとする主張を行ったが、上に記したように、辰野金吾氏の下で学んだ塚本靖氏が東京駅をモデルに設計したことには疑念を差し挟む余地がなく、この論説は大変滑稽である。ソウル駅は東京駅にとそっくりであるが、ルツェルン駅とは余り似ていない。私は、日韓の論争に関しては韓国の肩を持つことも少なくない「非国民」であるが、韓国メディアにはこの類いの幼児的嫌日報道がちょくちょくあることを残念に思う。しかし、韓国の国民の多くが(特に若い世代が)、この報道をせせら笑ったらしいことに韓国国民の健全さを見た。

ちなみに、辰野金吾は超大物設計家で「辰野式建築」と呼ばれるスタイルを確立し、その流れを汲む建造物はアジア各地に作られている。やはり日本が植民地支配した満州の「奉天駅」(現・瀋陽駅)なども辰野式建築であり、辰野金吾氏の学生であった太田毅氏と吉田宗太郎氏による設計である。※詳しくは「こちら」「こちら」を参照下さい。

※追記。ついでながら書いておく。東京駅はオランダの「アムステルダム中央駅」と似ている。その為、辰野金吾氏が東京駅を設計する際、アムステルダム中央駅をモデルにしたという俗説があるが、その点に関しては、藤森照信氏などの西洋建築研究者の研究により、アムステルダム中央駅は「ネオゴシック様式」であるのに対して、東京駅は「ビクトリアン様式」であり、建築様式が違うとしてこの俗説は否定されている。なににつけ、もっともらしい俗説というのは直ぐに生まれるモノである。しかし、両駅は2006年に「姉妹駅」となっている。

まあ、そんなことはどうでも良い。単なる話のネタとして書いただけのことだ。上の写真の「旧ソウル駅」は、2009年に改修工事を行い、2011年からはソウル駅の歴史などを展示した「複合文化空間」に生まれ変わったそうである。詳しい話は"Wikipedia”を参照して頂きたい。日帝統治時代の「京城駅」の写真なども掲載されていてなかなか面白い。話が逸れるが、Wikipediaは便利であるうえ読んで楽しい記事が多い。私は歴史書などを読んでいるとき頻繁にWikiを調べるのだが、モタモタしていると読んでいる本よりWikiで読む字数が多くなると言うこともある(笑)。


KONICA MINOLTA DiMAGE A2 2005年2月26日撮影 ソウル駅 ソウル駅はまさにノスタルジアである(笑)

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2004年にKTX開業に伴い大改修されたソウル駅。(8)に写真を掲載した清涼里駅もこういう雰囲気の駅にリニューアルされた。韓国の主要なターミナル駅は概ねこのスタイルの駅にリニューアルされているようである。

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by dialogue2017 | 2017-12-21 23:00 | モノクロ | Comments(0)

清涼里駅というのは日本で言えば上野駅のような駅だ。いや、正しく言うと昔の上野駅のような駅だ。昔、上野駅は東北方面に向かう「汽車」の始発駅であった。東北地方から集団就職などで上京した人々が生まれて初めて踏む東京の土は上野であった。清涼里駅から出発する電車は、ソウル駅から出る電車とは違う地方に行く電車なのである。その話を少ししたいのだが、写真下に「長文」を書いてしまったので辞めておく。清涼里駅にはもうひとつ話題がある。それについてもまたの機会に書くことにしよう。私は長年ソウルに通っていながら、清涼里駅に行ったのは後にも先にもこの時一度だけであった。この写真は何の取り柄も無い写真だ。面白くもなんともない。しかし、私はこういう写真が好きなのである。私には、写真が美しかったり格好良かったり見た人から褒められるような写真である必要は全くないのだ。

KONICA MINOLTA DiMAGE A2 2005年2月26日撮影 清涼里(청령리)駅 2010年にリニューアルされ新しいソウル駅のような感じの駅になった

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本当は、「閑話(44)」の続きが書きたい。(45)(46)と別々な話題を二つ書きたい。一つは、冬青社の高橋社長が本日のブログに書かれた「写真は写真ではなくなりつつあるのだろうか?」という話しついて、私が思うところを書いてみたい。実はこれはいまもっとも書いてみたいことの一つである。「写真は写真ではなくなりつつあるのだろうか?」という問いに対しては、「では、写真とは何か?」と問い返すことができる。まずは「写真」を定義しないことには「写真は写真ではなくなりつつあるのだろうか?」という問いを煮詰めることができないから。

「写真」は「写真」だと思う。禅問答ではない。「写真は写真だ」以上の定義が必要のないほど自明なことだと思う。写真機を使ってレンズを向けた対象を「複写」したものが写真である。しかし、そんな説明は不要だろう。「写真」と言ってそれ以外のモノを思い浮かべる人はまずいないだろうから。だとすれば、高橋社長の問いに対する答えも自明である。写真が写真では無くるなどと言うことは無いのである。

しかし、ことはそれほど簡単ではない。デジタルフォトの出現によって、「写真」はそれ以前の「写真」の範疇を大きく超え出ている。そこからはまず「どこまでが写真なのか?」という問いが生まれるだろう。例えばデジタルフォトの場合、いまではレタッチすることは普通のことだ。もちろんそれをしない人もいるし、やれない人も沢山いる。ごく普通のママさんはデジカメで撮った写真を「カメラのキタムラ」のようなところに行ってSDカードを機械に差し込んで機械任せにプリントしている。そういう人々には「レタッチ」は無縁であるし、そういう人は膨大にいる。

しかし、一方にはPhotoshopを使ってレタッチした写真をブログやFacebookその他を通じて多数の人々の前に提示している人々が膨大にいる。もちろん、Photoshopを使ってレタッチしたからと言って写真は写真であり写真じゃなくなる訳では無い。だが、ことはそれほど単純明快ではない。いまやCGと写真の境目ははっきりしなくなっている。少なくともデジタルフォトが出現する以前の「写真」をもって「写真」と定義したとしたら、デジタルフォトは写真では無いと言えなくもない情況が生まれている。ここに高橋社長の問題意識の出発点があるとも言える。

更に、Instagramのように沢山のフィルターが用意されているメディアがある。Instagramではフィルターを掛けて写真を見せることが一般的である。フィルターを掛けた写真は「レタッチされた」写真だと言うことができるだろうが、Photoshopなどで行うレタッチとはちょっと違うレベルの作業だと思う。本来レタッチというモノは制作者のオリジナリティーを作り出すために行う作業であるが、「既製品」のフィルターを掛けるという作業はそれとは反対側の方向の「レタッチ」だと言うことになる。これをレタッチというのかどうか?

ああ、結局「ノスタルジアとしてのソウル(8)」という内容では無くなってしまった。まあ、タイトルと文章が合っていなくても同じことだ。写真しか見ていない人がほとんどだろうし、文書を読んで下さる数人の人にとってはタイトルなんてどうでも良いことであろうから。

しかし、話は一旦ここで打ち切ろう。上の話の続きを書くと短くまとめたとしても上に書いた3倍ほどの文章を書かなければ済まないし、それをするならいっそ「閑話(45)」にタイトルを変えて書いた方がいい。「閑話(45)」にしなかった理由は長文を避けるためだ(もう一般の方には十分長文だろうけれど)。「閑話(45)」を書いたら「閑話(46)」を書きたくなる。このブログを辞める前に書いておきたいことがいくつもあるのだ。

最後に「ノスタルジアとしてのソウル(8)」としての文章を書いておこう。いや、それは写真の上に書いておくことにしよう。





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by dialogue2017 | 2017-12-21 22:00 | モノクロ | Comments(0)

KONICA MINOLTA DiMAGE A2 2005年2月26日撮影

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昨晩、2005年2月にソウルで撮った写真をこのブログに載せられるように用意した。「用意した」という表現をする理由は、「レタッチした」という表現に抵抗感があるからである。「retouch」という言葉は「修正」という程の意味なので、私が行ったことはレタッチに他ならないが、「レタッチ」の目的が一般的には写真を美しく仕上げることであるとしたら、私はあまり十分にはレタッチをしていない。だから「レタッチ」という言葉を使うことにどうも違和感を感ぜずにはいられないのである。

実際、それはいい加減な作業なのである。私がレタッチしているときのパソコンのモニタを動画として記録して見せたら、「なるほど、これはいい加減だ。まさか本当にこんないい加減なレタッチをしているとは思わなかった」と驚かれるだろうと思う。例えば、ハイコントラストモノクロ写真を作る際、Photoshopの「コントラスト」のスライダーを右に動かすわけであるが、私は適当に右に動かして終わり。

モニタを見ながら一気に+70〜+80あたりまでスライダーを動かしてハイ終わり(笑)。モニタを見ながら作業をしているが、少しずつ動かし、コントラストが変化していくのを見ながらほどよい程度になったら動かすのを辞めるわけでは無いのである。ばーっと、感覚的にスライダーを一気に動かして「ハイ終わり」なのである。それで80%はOKである。残りの20%は例えば+70ではコントラストが足りないと思って+80にしたり、反対にコントラストが強すぎると思ったときには+60に下げたりするが、その際も1秒2秒の作業で細かいコントラストなど全く気にしない。

「黒レベル」も同じように感覚的に下げる。だから、昨晩-15にした同じ写真を今日作業したら-25になるかもしれない。しかし、「コントラスト」上げすぎたり「黒レベル」を下げすぎた場合には、「シャドー」を起こして帳尻を合わせている。こういうやり方が正しいやり方ではないとは分かっているが、私にはどうでもいいのである。私の写真のコントラストが少々強すぎていようが、シャドーが潰れすぎていようが、それで困る人はこの地球上に一人としていないのだから。社会的な価値が「ゼロ」である作業に熱心に取り組む必要を私は全く感じない。

コントラストを上げて、黒レベルを下げて、必要ならシャドーを少し起こして、その後に「ハイライト」を下げる。これは白飛び警告が消えるところまでではなく、もっと大幅に落とす。ハイライトを落としておいてから「露出」を上げて全体として明るい部分の明るさを上げる。最後にノイズを8%載せて終わり。これだけの作業をするのには10〜20秒あればおつりが来る。ここで一旦「完成」なのだが、最後に「トーンカーブ」を使って更にコントラストを上げてハイライトを白飛びさせる。

私は、極めて平凡でノーマルな写真が好きなので、ハイコントラストモノクロを作って「完成」させてもまだノーマルさがにじみ出ている。潔さが足りないのだ。ハイコントラストモノクロの魅力は写真の「力強さ」であるから潔さが感じられなければならない。だから、一度自分の感覚として「完成」した写真のコントラストを更に上げ、自分の韓国を超えて「黒つぶれ」と「白飛び」をさせているというわけである。このトーンカーブを弄る作業に掛かる時間は数秒である。2秒ぐらいで終わることが多い。ハイライト側を引っ張って、シャドー側を引き下げてハイ終わり。トーンカーブを使う目的はハイライトを自分の基準以上に飛ばすためである(全部の写真で極端に飛ばしているわけではない)。

こういういい加減な「レタッチ」なので「レタッチ」(=写真を綺麗にすること)と言う言葉を使うことに躊躇いを覚えるのである。

とここまで書いて、この「ノスタルジアとしてのソウル」に掲載している写真は基本的にはノーマルな写真であること、そしてこのエントリーを書き始める前に冒頭に貼り付けた写真がカラー写真であったことに思い至った。それなのにハイコントラストモノクロのレタッチのやり方について書いてしまったので、写真を差し替える。本来は「普通のモノクロ写真」だったのだけれど、5秒でハイコントラストモノクロに作り直した(笑)。


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by dialogue2017 | 2017-12-21 16:30 | モノクロ | Comments(0)