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<   2019年 11月 ( 74 )   > この月の画像一覧

丸9ヶ月ぶりでSIGMA dp0 Quattroを使った。どうしてそれほど長い間使わなかったのかというと、今年はほとんどスナップそのものをしなかったことが一番の原因である。写真はそこそこの枚数を撮っている。8〜11月の「トムソーヤの森(川)プロジェクト」での撮影を別にすると、週末に家族で東京を離れた際に写真を撮っている。しかし、それらの写真は「記録としての写真」であって趣味で撮るスナップ写真とは意味合いが異なる。「またその話しかよ」と思われるほど何度も書いたことであるが、私にとって写真の価値は「記録を残す」ことにある。私にとって大切な写真は「家族の写真」であり、それ以外の写真は「どうでもいい」と言っても良い程度のものである。家族の写真意外の全ての写真は1枚残らず失ってしまったとしてもさほど悲しくない。もちろん、それらの写真の中には気に入っている写真が少なからずある。「旅先」で撮った写真は「家族写真」の次に大切な写真である。それは私の「人生の記録」だからである。これも「記録としての写真」である。それ以外のスナップ写真の様なものは「どうでもいい」写真である。それらの写真の中にも好きな写真はあるが、失ってしまったとしても悲しくはない。

結局、私は「写真を撮る」という「行為」が好きなのであって結果としての写真にはそれほど執着がない。そもそも、執着が持てるほど一生懸命撮っていない。私はカメラを持って歩くことが好きなのである。カメラと「一緒に過ごす」時間が楽しいのである。特に撮りたいものはない。その代わりなにを撮っても楽しいと思える。私は何でも撮っている。実際、このブログほど様々な写真が掲載されているブログを見たことがない。このことも再三書いたが、私は「写真」より「カメラ」の方が好きなである。

今年はほとんどスナップをしなかった。何度かしたスナップのほとんどはカメラやレンズの「テスト」のための撮影だった。純然と「写真を撮る」目的で撮影をしたことは過去最低だったと思う。いや、間違い無く過去最低である。1〜8月はひたすら本を読んでいた。新書版に換算すると1日1冊以上のペースで読んでいた。9月からは「茅野の家」の引っ越しに関連してたくさんの時間を使った。そんな1年だったのでどこかに写真を撮りに行こうという気持ちにならなかった。

9ヶ月ぶりにSIGMA dp Quattroで写真を撮った。とても楽しかった。平素は撮影した後あまり背面モニタで画像の確認をしない。X-T2やX-T20で撮る時も、α7Ⅲで撮る時もなにか特段の理由がないとあまり背面モニタで画像の確認をしない。どんな風に写ったかなんて確認しなくても分かるから。しかし、dp Quattroで撮った時にはほとんど毎回背面モニタを見た。全部素晴らしい写真に思えた。dp Quattroの背面モニタに騙されたのである(笑)。小さなモニタに映る画像は「濃密」でdp Quattroの個性を引き立たせて見せてくれるのである。だからすっかり騙された(笑)。

実際にはたいした写真は無かった。まあそれはそうだ。「枯れ山」での撮影であったし、なにも考えずただ闇雲にシャッターボタンを押しただけだったのだから「傑作」なんてあるわけがない。まあいつものことだ(笑)。しかし、それでもdp Quattroで撮った「画像」には魅力を感じた。やはり"唯一無二”のカメラだと思う。真面目に使わないとカメラに申し訳ない。1年8ヶ月も借りっぱなしなのだから、ちょっとは素敵な写真を撮らないと貸してくれている友人に申し訳ない。と言うわけで、「山小屋」での朝の散歩の際はこのカメラで写真を撮り続けて見ようと思う。もうすぐ、「2」と「3」も手元にやってくるので楽しみである。

1年程前に同じことを書いたと思うが、このカメラの楽しさは「カラーモード」にあると思う。全部で10のカラーモードがあるのだが、「ブルー」「レッド」「グリーン」「イエロー」を強調したモードが面白い。中でも「FOVクラシックブルー」は強烈である。まさに"魔性”のカラーモードである。「フォレストグリーン」も魅力的だ。新緑の季節に使ったら素敵な写真が「出来上がる」と思う。と言うわけで、久しぶりに使ってみたSIGMA dp Quattroで撮った写真をそれぞれの「カラーモード」で現像したものを掲載しておく。このカメラは「絵筆」だと思う。「写真を撮る」ということを越えて「絵を描く」ように使うカメラである。


【風景】

SIGMA dp Quattoroという”絵筆”_e0367501_23224419.jpg

【FOVクラシックブルー】

SIGMA dp Quattoroという”絵筆”_e0367501_23124646.jpg

【フォレストグリーン】

SIGMA dp Quattoroという”絵筆”_e0367501_23130377.jpg

【サンセットレッド】

SIGMA dp Quattoroという”絵筆”_e0367501_23132217.jpg

【FOVクラシックイエロー】

SIGMA dp Quattoroという”絵筆”_e0367501_23144139.jpg

【シネマ】

SIGMA dp Quattoroという”絵筆”_e0367501_23151810.jpg


by dialogue2017 | 2019-11-30 05:00 | 写真とカメラの話し | Comments(1)

お遊び(2)

(1)に掲載した写真を撮った32分後に、Distagon FE 35mm F1.4 ZAで撮ってみようと思い立ち撮ってきた。もしかしたらと期待した通り花ビラに少しであるが陽が射していた。日陰に咲いている花を撮るのは好きだけれど、丸っきりの日陰より花ビラの一部に陽が射している花を撮る方がいい。写真は「光」が感じられる方が素敵だと思うからだ。こういう写真は「花心」までピントを合わせておかないとなんとなく見苦しい感じがする。しかし、(1)に掲載した写真もこの写真もレンズの描写力を見て見たくて撮っているので絞りを開いて撮影している。「花の写真」として撮る場合は違う撮り方をする。実は、この写真で一番「見たい」部分は右端奥にボケて写っている花である。その部分のボケ具合を見たくてこういうアングルで撮った。向かって花心より右側の花ビラのボケ方にこのレンズの良さが出ていると思う。

SONY α7Ⅲ + Carl Zeiss Distagon T* FE 35mm F1.4 ZA ISO200 F2.0 1/4000 ±0EV AWB CS:クリア

お遊び(2)_e0367501_15345946.jpg


by dialogue2017 | 2019-11-29 18:00 | | Comments(0)

お遊び(1)

from_vixen君から"この写真”にコメントを貰った。1年近く前に撮った写真にコメントをくれたのだと思った。この時”に撮った写真だと思ったのだ。よく見たら今月6日のエントリーだった。1年近く前にこの花を撮った記憶はあったのだが、今月6日に撮ったことなんて奇麗さっぱり忘れてしまっていた。それはそうだ。庭に出て1枚撮っただけだったのだから。コメントを読んだ後、もしかしたらまだ咲いているかと思って庭に出るとまださいているどころか生い茂っていた(笑)。実は、赤い花びらは少なく、白い花びらが多いのだが、ちょうど東南からの陽射しを直に受けているので白い花は被写体にならない。で、またもや日陰に咲いている赤い花の方を撮った。

机の上にあるカメラは初代のα7だけである。α7Ⅲと4本のレンズを入れたカメラザックは茅野の「山小屋」に置いてくるつもりだったが最後になって気が変わって一応車に積んで持って帰ってきた。年に数回しかないことだけれど「写真を撮って欲しい」という依頼があることがあるので念のために持ち帰った。しかし、ザックから撮り出すのが面倒なので机の上にある初代α7を手にした。しかし、装着されているSonnar T* FE 55mm F1.8 ZAで撮ったのでは6日と同じ。で、レンズだけPlanar T* 50mm F1.4 ZAに取り替えてサンダルを履いて庭に出た。

「寄れない」。そんなことは今更分かったことではない。書斎でレンズを付け替えるときから分かっていたことである。最短撮影距離は0.45m。一輪の花を撮るには遠すぎる。しかし、書斎α7にこのレンズを付けて写真を撮ったのは"この1枚”だけなのでこのレンズで撮ってみたかった。というわけで、トリミング前提で3枚ほど撮ってみた。かなり大幅にトリミングしている。面積比で元の半分以下の部分を切り抜いている。まあどうってことない写りだ(笑)。

こういう写真を撮ったとき、「ピクチャースタイル」をなににするか悩ましい。これは「クリア」を使った。クリアとは対極的な「ディープ」も魅力的である。多くの場合、この対極的な二つのどちらにするかで悩む。「ビビッド」や「ライト」も悪くないのだが、「クリア」や「ディープ」の方が個性が強いのでそのどちらかを選ぶことが多い。というのは、完全な日陰で直射光が当たっていない花を撮っているからである。撮影条件がとても「地味」なので、ピクチャースタイルで多少味付けして上げた方が良いと思うからである。

デジタルカメラで撮影した写真は「レタッチ次第」でどのようにでも変わる。だから私はデジタルカメラで写真を撮ることにあまり真剣になれないのである。撮影後に如何様にでも仕上げることが出来るというのが面白くないのである。しかし、実際に写真を撮ってしまった後は最低限のレベルでレタッチをする。考え方は二つある。できるだけ「撮りっぱなし」に近い範囲で収めるレタッチと「絵作り」してしまう場合である。私の場合90%までは前者であった。明るさとコントラスの微調整しかやらな"主義”だからである。しかし、α7Ⅲを使い出してからは「絵作り」することが増えた。このカメラはそういうカメラだという気がしている。極論すれば、「クリア」と「ディープ」がこのカメラの「真骨頂」だと思っている。

殺風景で、ちょっと寒々とした色合いで面白くもなんともない写真である。しかし、初めから初代α7にPlanar T* 50mm F1.4 ZAを装着して写真を撮ることが目的であったので結果なんて最初から気にしていない。一番知りたかったことはα7Ⅲとの差である。撮り比べていないので確かなことは言えないがほとんど違いはないだろうと思う。Yashica-ContaxマウントのPlanar 1,4/50にそっくり(笑)。こちらの方が少し「硬い」かな。

SONY α7 + Carl Zeiss Planar T* FE 50mm F1.4 ZA ISO200 F2.5 1/400 -0.33EV AWB CS:クリア

お遊び(1)_e0367501_11445724.jpg



by dialogue2017 | 2019-11-29 12:00 | | Comments(0)

トワイライトカラー

明け方や夕暮れ時に撮ったわけではない。正午の撮影である(笑)。

トワイライトカラー_e0367501_19161961.jpg

by dialogue2017 | 2019-11-29 05:00 | 散歩写真 | Comments(0)

最近は写真を撮る際の90%ぐらいをiPhoneで撮影している。なぜなら、写真そのものが「目的」ではなく、写真は「情報」を効率よく伝えるための”手段”でしかないからである。その様な目的で撮影する場合iPhoneが一番便利である。最近写真を撮る動機で一番多いのはFacebookに掲載するためである。その場合も「目的」は"なにかを伝えること"であって、写真はそれを効果的に行うための「手段」でしかない。最近は写真自体が「目的」であるような写真をほとんど撮っていない。このような「散歩写真」も散歩をすることが「目的」であって写真を撮ることが「目的」である訳では無い。いや、「散歩写真」の場合は半分ぐらいは写真を撮ることが目的と言えるが、気持の上では「ついで」に撮っているという感じである。最近は、写真を撮る「目的」が「記録」と「情報伝達手段」の2つに集中している。

すっかり「枯れ山」になってしまったが、青空の見える日に自然の中を歩くのは気持が良い。しばらくは枯れ山の散歩となるが、来春になって木の葉が芽吹き、新緑になったときには散歩の楽しさが倍増する。いまから楽しみである。

写真は情報の\"伝達手段”_e0367501_17260862.jpg

by dialogue2017 | 2019-11-28 18:00 | 散歩写真 | Comments(0)

Picture

PhotoではなくPicture。右側の木立の中に我が山小屋の屋根が見える。撮影目的はそこ(笑)。

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by dialogue2017 | 2019-11-28 10:30 | 散歩写真 | Comments(0)

魔性の女

SIGMA dp Quattorを使うのは"この時”以来である。つまり、今年の2月18日以来と言うことであるから丸9ヶ月以上使っていなかったと言うことである。とても魅力的なカメラだと思う。特にdp 0は中毒になりそうなほどの魅力を持ったカメラである。どうでも良いけれど、"この時”以来であるとリンクを貼った「縞枯山荘」を撮った写真もdp 0を使って撮影している上に「FOVクラシックブルー」で現像している。つまり、その組み合わせが一番気に入っていると言うことだ。下の写真もその組み合わせである。別にどうってことない写真である。「美しい写真」ではない。湖の対岸に停まっている車が写っている時点で美しくない(笑)。そもそも美しい写真を撮ろうと思って撮っているわけでは無い。「山小屋」の周りはすっかり枯れ山になってしまっていて美しい写真なんて撮れないと知っているのだから。撮影目的は、ただたんに久しぶりにSIGMA dp Quattroを使ってみたかったと言うだけである。

それにしても凄いな〜。私は長年「ビビッド」系の描写は嫌いだった。しかし、FUJIFILMのデジタルカメラのフィルムシミュレーションの「Velvia」を使い始めて長年の「違和感」が薄らいだ。そして、ここまで徹底して派手に絵作りされると素直に甲を脱ぐ。たとえるなら”魔性の女”だな(笑)。

もうひとつ「それにしても」である。リサイズしてブログに掲載してしまうと"解像感”がなくなるな〜。もっとも、最近目の不調が著しいためピントが合っている写真がピンぼけに見えたりするほどだからそのせいもかなりあるのかもしれない。多分そうだ。そうじゃなければ説明が付かないほど解像感が感じられない。そんなことはどうでも良いが、もうここまで来ると「写真」じゃなく「絵」だと思う。そう、PhotoではなくPictureである。なんであれ楽しいカメラである。もう少し使ってみたいと思う。

追記。身体を少し離してこの写真を眺めてみたら思いついた。75インチのBRAVIAに映し出してみよう(笑)。

魔性の女_e0367501_22463593.jpg

by dialogue2017 | 2019-11-27 23:00 | 散歩写真 | Comments(0)

久しぶりに「Facebookへの投稿から」。最近、毎日大量にFacebookに投稿している。夏から秋にかけては「太平洋戦争」や「読書ネタ」の投稿が多かったが、最近は極プライベートな話題ばかり。多い日には20投稿ぐらいしている。転載するのは今夕の投稿。写真はFacebookへの投稿の際とは別カット。最近は、ほとんど全ての写真をiPhoneで撮影している。1本映画を見てみたが75インチは小さい!

Facebookへの投稿から(92)_e0367501_20591388.jpg

💥なぜ「シアタールーム」を作ったのか? そして、なんのために「山小屋」を手に入れたのか?💥

⭐️ただ一つの有効性ある子供の教育(方法)について⭐️

Facebookの友人には「無関係」「無関心」な投稿ばかりしているが、私にとってFacebookは「雑記帳」であり「日記帳」であり「備忘録」なのである。そして何より書くことを通して「瓢箪から駒」を産み落とす「装置」である。

10月末に引っ越しした新しい「茅野の家」=自称「山小屋」のリビングを「シアタールーム」にした。「シアタールーム」などと表現すると大仰だが、ようするにリビングに大型テレビを置いて、5.1chシアタースピーカーを設置したと言うだけに過ぎない。ただ、それでかなり快適に「映画」を見ることが出来る。

そのようにした一番の目的は、妻と二人で夜映画を見たいと思ったからであるが、実は「深謀遠慮」がないでもない。科学系のドキュメント番組や、歴史関係のドキュメンタリー、あるいは「偉人伝」のようなテレビ番組を片っ端から予約録画して「収録」することを考えている。

おそらく、数年内のどこかで息子や娘がそういう領域に興味をいだくだろう。「平成」という「無教養」時代に生まれ育った彼らは「文字情報」より「ビジュアル情報」への親和性が高い。だから、「映像」を「教養」の育成のために積極的に活用しようという魂胆である。それが契機となって更に詳しく知りたいという気持ちが芽生えれば自ずと「専門書」を手に取るだろう。

子どもたちがある程度「専門的」な領域に興味を抱いたときに、すぐに手に取れるように様々なジャンルの「入門書」や「専門書」が彼らの目につく書棚に少なからずある。

「勉強しろ!」なんて言っても無意味なことは人類史が証明している(笑)。冗談はともかく、親が言うことはほとんど子供の教育に影響を与えていないという事実についての実証的な研究報告がある。自らの経験を顧みれば疑問の余地はない(爆)。

子供を「口」で教育することはほぼ不可能。では、どうすれば良いのか? 子供の「知的好奇心」を刺激する「装置」や「アイテム」を用意し、彼らの好奇心を刺激することと、その「刺激」が次につながる「ステップ」を「設置」しておくこと。親が子供にできる「教育」なんてそのような「間接的」な方法しか無い。

私が「多量」に書籍を購入している理由は、私自身が読むためであるが、半ばは子どもたちに「家庭内図書館」を用意しておくという目的もある。

新しい「茅野の家」は「妻のため」に手に入れた(そもそも彼女がお金を出して購入した。彼女は出来るだけ早い時期に移住したいという)。そして、5年後10年後に子どもたちが「大学生」になったときに利用できるスペースとして手に入れた。そこは70%はレジャーを楽しむ場所であって良いが、30%は子どもたちが「貴重な経験」を積む場所として作用するだろう。今後、そういうスペースとして充実させていこうと思っている。

ただし、「書籍」は最低限しか持ち込まない。新しい「茅野の家」の「テーマ」は「映像」と「音響」である。「娯楽」を「入り口」として利用し、「教養」へと結びつけたい。


by dialogue2017 | 2019-11-27 21:00 | Facebook | Comments(0)

カメラが「正直者」であれば、ひとつ前のエントリーに掲載した写真をこんな風に写す。いや、これでさえ実際の見た目より幾分「美しい」。下の写真は、ひとつ前のエントリーに掲載した写真のRAWファイルを「ニュートラル」で現像したもの。実際はもっと殺風景だけれど…

美しい写真に大きな興味がない理由_e0367501_12482002.jpg

写真愛好家の多くは「美しい写真」を撮りたいと願っているだろう。当然のことだと思う。美しいものに心惹かれるというのは真っ当なことである。写真が好きであれば「美し写真」を撮りたいと思う方が当たり前である。私にも「美しい写真」を撮りたいという思いがない訳ではない。しかし、そのような思いは年々小さくなっている。ここ数年は「美しい写真」を撮りたいという欲求はとても小さなモノになった。そうなってしまった理由はいくつかあるが、まず、「美しい写真」が氾濫しているという事実がある。今の時代、「美しい写真」なんて珍しいものではないのである。

美しい写真なんて誰にでも撮れる時代になったのである。

美しい風景の前に立ち、カメラのモードを「風景」とか「ビビッド」に合わせてシャッターボタンを押せば「美しい写真」が出来上がる。

そうやって撮ったのがひとつ前のエントリーに掲載した"この写真”である。散歩の途中に立ち止まりカメラを構えてシャッターボタンを押しただけだ。立ち止まってシャッターボタンを押して再び歩き出すまで2秒ぐらいしか掛かっていない。私のスナップの70%ぐらいはそういう撮り方である。「美しい写真」を撮ろうなどと言う欲がないから2秒で撮り終えてしまうのである。ついでに言っておけば、スナップ写真なんて「2秒」で撮れるようにならない内は"修行”(撮影枚数)が足りないのである。私に言わせればと言うことだが(ジックリ撮れと教えるプロもいる)。

目の前に「美しい光景」が広がっていれば、そこにレンズを向けてシャッターボタンを押せば「美しい写真」が出来上がる。カメラが全てをやってくれる。それだけのことである。だから、そんなことに強い"欲求”を抱くことができなくなったと言うことである。

Instagramの登場以後、見た目の鮮やかな写真が量産されるようになった。どんなカメラにも「アートフィルター」の類いが搭載されていて「現実」より「鮮やか」で「美しい」写真が簡単に撮れるようになった(いや、スマホでそれが出来る!)。私はカメラの「アートフィルター」の類いはほとんど使ったことが無いが、Instagramの「フィルター」は楽しいと思う。"Instagram"というのはそういう「おしゃれ」を楽しむ「非現実的世界」だと理解したからである。「インスタ映え」という言葉に象徴されるように、カメラは「真実を写す(写真機)」ものから「現実」に「化粧」を施し「見映え」の良い「picture(画像)」を作る「装置」へと変わったのである。

要するに、「美しい写真」はそれを「作成」する「装置」が生み出しているのであって、撮り手の「技量」が作り出しているものではないのである。カメラや写真のことなんて何一つ知らない「女子」がiPhoneで写真を撮ってInstagramの「フィルター」を当ててやれば「美しい写真」のハイ出来上がりである。これは紛う事なき真実である。だから、私は「美しい写真」を撮りたいという欲求が萎んだのである。

あの日(24日)、私は2台のSIGMA dp Quattro(0と1)のカラーモードを「風景」に設定して散歩に出た(絞り値はF10)。ひとつ前のエントリーに掲載した写真は「山小屋」から歩いて3分ほどの場所で撮影した。何度も歩いている散歩道なので、どこからどういう光景が見えるか分かっている。つまり、「定番的」写真を撮るポイントを知っていると言うことである。だから、立ち止まり2秒で撮り終えてしまうわけである。まあ私の場合はじめて歩く場所でも2秒で撮っていることが多いけれど(笑)。

たかが写真、そんなに一生懸命撮る理由がないじゃないか(笑)。

「女子供」に出来ることなんかに執着出来るわけがない(女性差別発言です)。

下に掲載した写真は「風景」モードで撮影したJPEGファイルにちょこっと手を入れたものである。-0.67EVで撮影しているのでいくらかアンダーな写りとなり、シャドー部が潰れ気味になる。で、シャドーを少し持ちあげた(+10)上で露出も少し持ちあげている。露出を持ちあげたので「ハイライト」と「白レベル」は落としている。そうやって「明暗」の微調整を行っただけである。撮りっぱなしと比べると明るくなったという程度である。露出補正を掛けずに撮影したらハイエストライトが若干飛ぶだろうと思う。それを押さえるための露出補正である。

しかし、「白飛び」をあまり気にしない人(アマチュア写真愛好家の多数は「白飛び」に無頓着だ!)であれば、露出補正を掛けず±0EVで撮っておけば下に掲載した写真とほぼ似たような写りになっていると思う。-0.67EVという露出補正は「ハイライト」の白飛びを押さえるための補正であり、その「代償」としてシャドーが潰れ気味となる。そこを持ちあげるレタッチをする前提で撮影している。デジタルカメラの場合、ハイライトの白飛びは戻せないがシャドーはいくらでも起こせる。だから、ハイライトを255で押さえる露出でアンダー目に撮るというのは基本的な撮影の仕方である。ちなみに、撮影する際にカメラのモニタでヒストグラムを確認することはない。16年も写真を撮り続けているので±1EV程度の露出補正はヒストグラムなど見なくても「指」が覚えている。だから、露出補正は「無意識」にやっていることが多い。これを「体得」と言う。

下に掲載した写真は「ハイライト」と「白レベル」を落とし、「シャドー」を少し持ちあげ、全体としての「露出」を若干持ちあげただけである。私の「レタッチ」は基本的にはこの範囲、つまり「レベル補正」だけで終わりにしていることがほとんどである。と言うことは、下の写真は90%ぐらいまでは「撮りっぱなし」の画像であると言うことである。つまり、「美しい写真」はシャッターボタンを押すだけで90%がたは完成しているのである。だから、「美しい写真」を撮ることに対する執着なんていうものはなくなるのである。そんなものは、カメラにお任せすれば誰にだって簡単に撮ることが出来るのだから。プロの風景写真家より上手な風景写真を撮っているアマチュアはいくらでもいる。そういう時代なんだよ。私は、カメラが進歩するほどに撮影意欲が減衰している。つまらない時代だ。「女子供」の時代なんだよ(笑)。だから、日本中「女の腐ったような男」ばかりになった。まことに嘆かわしいことである。

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by dialogue2017 | 2019-11-27 14:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

写真は大嘘つき!

出たよ(笑)。from_vixen君からコメントが届くぞ(爆)。言っておくけれど現実はこんなに奇麗じゃないぞ(笑)。

SIGMA dp1 Quattro ISO400 F10 1/400 -0.67EV AWB Raw-FOVクラシックブルー 週末の「自宅」より徒歩3分の場所から撮影

写真は大嘘つき!_e0367501_12361736.jpg


by dialogue2017 | 2019-11-27 05:00 | 散歩写真 | Comments(1)