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<   2019年 04月 ( 25 )   > この月の画像一覧

今年はほとんどスナップをしていない。正月始めに、自宅のすぐ周りで古いZeissレンズと初代のα7のテスト撮影をしたことを除くと旅先以外ではほとんど写真を撮っていなかった。昨秋あれほど頻繁に通っていた江の島・鎌倉界隈にも4ヶ月半足を運ばなかった。どうしてかというと「スナップ写真」を撮ることに「うんざり」していたからだ。写真を撮ることはとても好きなのだけれど、何を撮っても「陳腐な写真」にしかならないことに辟易していたのである。今年は1月からいろいろなことについてがらっとスタイルを変えるつもりであったのだが、諸処の事情が重なり「春まで待つ」ことにした。すべてのことについて先送りし「4月スタート」ということにしたのである。

で、その4月が目前になった3月末、リハビリとして少しスナップをすることにした。あまり気が進まなかったのだけれど(だって、つまらない写真を撮ることになるのだから)、3月24日に4ヶ月半ぶりに鎌倉に行った。江ノ島界隈は素通りして由比ヶ浜に直行した。写真を撮りたいという気持ちがあまりなかったからである。久しぶりの海は心地よかった。それほど海好きというわけでもないのだが、海を見ているというのは気持が良い。

以前は、江の島・鎌倉界隈でスナップするときには海辺以外でスナップしていた。近年寺社に足を運ぶことはほとんど無い。では、どこでスナップするかというと裏路地である。住宅街の狭い路地を歩いて写真を撮っていた。海辺でばかり写真を撮るようになったのは昨年10月以降のことである。しかし、それも飽きてきた。同じ場所で撮っていれば同じような写真ばかりになる。私の場合、ファインダーを覗いてシャッターボタンを押すのが好きなのである。だから、撮っている"その時"が楽しければスナップはそれで十分。結果としての写真はどうでもいい。いま常用しているMacBook Proに入っているこの2年程に撮ったスナップ写真は全部捨ててしまおうと思っているほどである。今までは外付けHDDに移していたのだけれど、残しておく必要も無いと思うようになってきた。

下の写真は3月24日に撮ったもの。由比ヶ浜から江ノ電で江ノ島に出て、片瀬江ノ島から小田急線で新宿に出るのだが、江ノ島に着いたときちょうどう夕暮れ間近だったのでちょこっと片瀬海岸西浜に寄った。片瀬海岸西浜は正面に富士山が見え、空が焼けるとなかなか美しい。"こんな感じ”になる。同じような写真を何度も撮っているので今更こういう写真が撮りたくて立ち寄るわけではないのだが、特段急いで帰らなければならない理由もないので夕焼けを見てから帰ってくる。

この写真は-1.33EVで撮影した。元ファイルはもっと暗い。実際この写真より薄暗かった。この写真はレタッチしたものを4枚作った。明るさとトーンを変えて4枚作った。最近、カラー写真のトーンにちょっと興味が出てきた。今まではレタッチの際にはコントラストを落とすことが多かったのだけれど、「硬いトーン」の写真を「試作」してみようと思って4枚作った。私としては暗い感じの写真にしたいと思って撮ったのだけれど、こういう絵柄の場合暗くしてしまうと「抜け」の悪い写真になってしまう。「抜け感」を出すためにはハイライトを持ちあげればよいのだけれど「抜け」を強調しようと思うと明るい写真になってしまう。あちらを立てればこちらが立たずということである。

どうやって落としどころを見つけるかと言うことなのだが、一つのやり方としてはレイヤーを作って空の明るさと水面の明るさを別々に調整することなのだと思う。しかし、私はレイヤーを作ってまで写真をきっちり作り込んでいきたいとは思わない。で、明るさの足りない中で最低限の「抜け感」を出すためにはどうしたらよいか考えてみた結果、"Tonarity"の調整なのだろうという結論に至ったわけである。15年も写真を撮ってきたが、こんなことを考えたのは初めてである。15年間、レタッチはちょこちょこっとレベル補正をするだけで済ましてきた。今後もレイヤーを使うつもりは無いが、今までとは違うパターンのレベル補正のやり方を考えてみようと思う。この写真はその最初のチャレンジであった。結局、このエントリーを書き始めた後また3つのバージョンを作り、都合7つのレタッチバージョンが出来上がった。納得できるものは出来上がらなかった。

このブログを読み続けている人であれば、どうして私がそんなことを始めたかについては書かなくても分かるだろう。私はスナップ写真のためにこんなことを始めたわけではない。ようするにポートレートフォトの見せ方について考えているのである。このカップルの写真は絵柄的にも素敵だと思うが(1秒後には二人の向きは全く変わってしまい絵にならなかった)、私にとって「重要」なのは左側に写っている女性である。この女性を「モデル」に置き換え、モデルが沈んでいく太陽を見つめている写真を撮った際に、どういう明るさ、トーンで仕上げていくのが良いかと言うことが私の興味の対象なのである。右側の男性がいないと女性にはもっと西日が当たる。もう少し顔が明るく出る。そういう写真を頭の中に思い描きながら、どういう見せ方があるかと言うことを考えながらあれこれレタッチしてみたのである。何度も書いたがレタッチは第二の撮影である。

基本的には撮影する時が全てだと思う。デジタルフォトの場合、撮影後に「如何様にも」できる。明るさもトーンも色合いもかなり「自由」に変えることが出来る。「撮影5割レタッチ5割」と言われているが、最終的に写真の出来不出来を決めているのはレタッチだと言っても過言では無いご時世である。いろいろと事情を知っているから言うのであるが、雑誌などに掲載されているプロの写真がもの凄く美しいのはレタッチのおかげであるケースが少なくない。私は、何人もの著名写真家の「撮りっぱなし」のファイルを見ている。つまりレタッチしない素の写真をである。だから、彼らが「レタッチ」でどれだけ写真を美しく仕上げているかをよく知っている。デジタルカメラの性能が飛躍的に向上し、Rawファイルからの「レタッチ耐性」が向上した結果、「撮影3割レタッチ7割」というような情況になりつつあると思う。

デジタルフォトの場合、最終的な「写真」の善し悪しを決めるのは「レタッチ」だと言ってしまって大過ないだろう。しかしである。それは自分が意図する「写真」を作るための「元ファイル」をキッチリ撮っていると言うことが前提での話である。とはいうものの、カメラの性能がもの凄く高くなったためいまは完全にカメラ任せ(たとえばPモード)で撮っても綺麗な写真に成る確率は相当高い。オマケに高性能カメラはダイナミックレンジが広いので少しぐらい露出を外してもRaw現像で調性可能である。あと5年もしたらAIテクノロジーの進歩のおかげで本当に誰が撮っても「プロレベル」の写真を撮ることが出来るような時代になるだろう(もうほぼそうなってしまっているが)。「綺麗に撮れる」ということは99%までは「当たり前」のことになるということだ。そうなったら写真を撮る楽しみというのは残るのだろうか?

「今更フィルムで撮るなんて」と思い続けてきたが、そろそろフィルムに変えようかと思い始めている。理由はただ一つ。技量が無ければ奇麗に撮れ無いからだ。

下の3枚の写真はどれも未完成。うまく行かないので投げ出した。解説したら「三人組」には参考になることが沢山あるだろうがやらない。もう、写真の撮り方とかレタッチの方法について教えるような話を書くつもりは無い。理由は、「生徒」のレベルがあまりにも低すぎると言うことと、彼らがあまりに自発性に乏しいからである。自分自身であれこれ勉強しない人間に何かを教えても効果は凄く小さいと言うことは知っていたが、今回あらためてそのことを彼らから強烈に教えられた。

追記。電車の中で上の3枚の写真をiPhone8で見たら、iPadmini 4やMacBook Proで見たときほどには”違い”を感じなかった。iPhoneのディスプレイほどのサイズになるの、見えてこなくなる部分があるということだ。コントラやトーンの僅かな差が見えにくい。Instagramの写真が美しく見えるのは欠点が見えにくくなっているからだという面もあるだろう。


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by dialogue2017 | 2019-04-20 15:00 | テスト撮影 | Comments(0)

肖像写真

写真を撮って差し上げるとき、1枚はこんな風に真正面から肖像写真のような写真を撮ることが多い。こういうストレートな写真は結構喜ばれるのである。プロフィール写真として使えるという実用性もある。まだこの時間だと光が強すぎる。30分後だともっと綺麗な写真になる。1時間あとだともっと雰囲気のある写真になる。レフを使ってこんな風に写真を撮って貰う機会が無いため本人には喜ばれるが、撮る側からすると「つまらない」写真である。4秒前に撮った2カット前の写真には髪の毛の右側に薄らとしたゴーストが出ていて良い雰囲気の写真なのだけれど表情が硬い。出逢ったばかりの「素人」モデルを短い時間で撮った場合、光のアングルと良い表情が上手い具合に合わないことが少なくない。

やはりこの時間帯は、"こういうアングル”でレフ無しで撮る写真の方が奇麗だ(本当はキャッチライトを入れるためだけに遠くからレフを当てているのだがシャドーを起こすほどの光では無い)。実はこの写真の時も、前後にもっと良い表情の写真があるのだけれど、光のアングルが少し外れていた。プロのモデルさんの場合ある程度表情を揃えてくる(撮った経験は無いけれど)。時間を取ってきちんとしたモデルさん(プロでなくても構わない)を使って撮影すれば、あれこれ注文を付けて撮ることが出来る。光を奇麗に受けるアングルで表情を変えて貰っていろいろなパターンの写真を撮ることも出来る。しかし、出逢ったばかりの女性を短い時間で撮る時にはそういうことはできない。いや、やろうと思えばやれなくもないが、私はそうい「無遠慮」なことはしない。あくまで本人のために撮ってあげることが第一だと思って撮っているからだ。

今更こういう平凡な写真を掲載する理由は、ポートレートを撮り始めた0123okkun君やfrom_vixen君にとって参考に成ればということである。


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by dialogue2017 | 2019-04-20 10:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

芽吹き

玄関前の紫陽花の葉が活き活きとしてきた。芽吹きの季節の鮮やかなライトグリーンの葉は美しいと思う。曇天ならではの1枚である。


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by dialogue2017 | 2019-04-19 16:30 | | Comments(0)

※もう写真の撮り方について教えるのは辞めたい。正直に言って「生徒」のあまりの無知と不勉強さにウンザリしてきた。このエントリーは写真の撮り方を教えるために書いたわけでは無いが、0123okkun君がポートレートフォトへのチャレンジを始めたので彼への「餞」という気持ではある。こういう話はこれで最後にしようと思う。あとは自力でがんばって。健闘を祈る。

目のコンディションが悪いため長い時間本を読むことができない。15分読んだらもう読む気にならなくなることが増えている。本を読まないと時間をもてあます。なにしろ365連休で夕食作り以外家事もやっていない身の上である。天気が良いのだから、以前のように散歩しながらスナップでもすれば良いのだが全くそんな気にならない。アンプが壊れているので音楽も聴けない。そんなとき、恰好のひま潰しになるのがレタッチだ。撮ってきてそれっきりになっている写真を何枚か選んでちょこちょこっとレタッチする。時間つぶしに成ると言うより息抜きになるのである(一日中息の抜けた生活をしているのだけれど)。というわけで、3月24日に4ヶ月半ぶりに鎌倉に行ったときに撮った写真を4枚かレタッチしてみた。

[15:59:22]に①を撮った2秒後の[15:59:24]に1枚撮って更に2秒後の[15:59:26]に②を撮った。②を撮ったあと[15:59:28]、[15:59:30]、[15:59:32]、[15:59:33]と、2秒、2秒、2秒、1秒という間隔で4枚撮った更に2秒後の[15:59:35]に③を撮った。③を撮った1秒後の[15:59:36]に1枚撮り、そのまた1秒後の[15:59:37]に④を撮った。つまり、全部で15秒間に10枚撮ったと言うことである。連写モードは使わず全てワンショットでの撮影である。

①から④まで15秒である。この4枚の間に下に掲載しなかったカットが6枚あるということである。1〜2秒間隔で撮影しているのだが全て顔の向きが変わっている。当然のことながら顔に対しての光の当たり方(アングル)も変わっている。4枚すべて別々の日に個別にレタッチしているため明るさや色味を揃えることを考えていない(所詮暇つぶしでやっていることなので)。ここに掲載する直前に明るさだけ少し整えた(大雑把にだけれど)。女性の写真なので明るめに整えた(しかし、ハイエストライトは255に収まっている)。

閲覧に使用するモニタの輝度によって見え方が変わるが、女の子の写真としてはやはり④が一番喜ばれる明るさだろうと思う。このカットは顔に満遍なく光が回っている(しかし、サイド光なので直射光ではない)。③は直射光はほぼ全く当たっていないが顔に光が回っている(光は回折する)。①は顔の左半分ぐらいに直射光が当たっている。右半分は直射光ではないがそれに近いほど光が回っている。4枚とも+0.33EVでの撮影であるので②はかなりアンダーであった。続けて撮っているので無ければ+1.0〜1.33EVで撮るだろう。この写真はもっと起こしてハイキーにするとインパクトがあって面白いと思う。4枚とももっと丁寧にレタッチしたらもう少し良くなるだろう。

彼女はお友だちと二人で海をバックに写真を撮っていたので「二人一緒の写真を撮ってあげようか?」と声を掛けて撮ってあげた。撮影した写真はすべて撮影直後にAirDropで差し上げた。写真はとても好きだとのことでとても喜んでくれた(スマホではなくデジタルカメラで写真を撮っていたので写真が好きなのだろうと予想して声を掛けた)。撮っている時にはできるだけ奇麗に撮って上げようと思って撮っている(と言ってもシャッターボタンを押しているだけだが)。僅か15秒に10カット撮っているのだから雑な撮り方なのだけれど、僅かな時間で「良い表情」を撮ろうと思ったらそういう撮り方の方が成功する可能性が高い。1枚1枚キッチリと撮ると撮られる方は緊張する。しかし、動いて貰っているところを続けて撮るとどこかで素の笑顔を撮ることが出来る可能性がある。この時は、「視線を少しずつ変えながらゆっくりと歩いて」と指示して撮った。静止している時には良い表情が出にくい。良い表情は動いている時の方が出やすいのである。

プロのモデルさんを使っての撮影であれば、いろいろと指示を出して撮ることが出来る。モデルさんも心得たものである。モデルは表情を作るプロなのである。奇麗な写真になる「向き」(光との位置関係)も知っている。しかし、「素人」を撮る場合なかなか思うようには撮ることが出来ない。こういう風に撮られたことがない女性がほとんどなので必ず戸惑う。なかなか自然な表情が出てこない。緊張して自然な表情が全く出てこない女性も珍しくない(2人連れの場合どちらか1人はそうであることが多い)。自然な表情を引き出すひとつの方法がモデルを動かすことである。

10枚撮って1枚良い表情が撮れれば良いと思って撮っている。プロだってそんなものだろう。私の場合、いつでも出逢った直後に見知らぬ女性を撮っているのだから良い表情を撮ることはとても難しい。しかし、2〜4枚目の3枚は彼女の可愛らしさが上手に撮れていると思う。2枚目のような雰囲気の写真って撮って貰う機会がほとんど無いだろうから本人には喜んで貰える写真である。1枚でもよいので喜んで貰える写真を撮って上げようと思って撮っているが、私としては(事実上)α7Ⅲで初めて女性を撮る機会だったので当然「テスト撮影」させて貰っている。一つはα7Ⅲのピント精度とか色合いを知りたくて撮っている。もう一つは、少しずつ光のアングルを変えて撮ることによってポートレートを撮る「練習」をしている。なにしろ、私は昨年10月に「三人娘」を撮るまで女性ポートレートを撮った経験が無いので。この日は"この1枚”が撮れたので及第点(笑)。

追記。この日(3/24)の鎌倉地域の日没時刻は17:56。この写真を撮ったときはほぼ日没2時間前である。すでに陽は西に傾き柔らかくはなっているものの浜辺の光は「強い」。顔にガツンと直射光を当ててしまうと奇麗な写真にならない。女性ポートレートはやはり柔らかい雰囲気の写真にしたい。だから、上の4枚のようにサイド光を顔に回すように当てて撮っているのである。ただし、私が一番撮りたい光には1時間ほど早い。この時間の光も好きだけれど、もう少し日没が近くなった淡い光がもっと好きである。残念ながら、そういう時間帯に撮ったのは1度きりである。4月7日は日没3時間前と、日が落ちてしまった後にしか撮ることが出来なかった。偶然の出会いで良い写真を撮るなどと言うのはよほどの“僥倖”に巡り会わない限り無理だと思う。もちろん、一番撮りたい時間帯に素敵な女性に声を掛けて撮ると言うことをやれば可能性は高くなる。しかし、「撮ってあげようか?」と声を掛けて二つ返事で「お願いします」というシチュエーション以外では女性に声を掛けないことにしている。好みのタイプの女性を見つけて「撮らせて下さい」と声を掛けたことは一度も無い。

どうでもいい話だけれど、これを書いているたったいま見た美人女性出演のテレビCMの「露出」が足りなことに強い違和感を覚えた。あと+1.0EVで良いような気がする。写真や動画を見ると反射的にそういうことを考えてしまう(爆)。

撮影したのは3月24日。由比ヶ浜。ISOは全て200。①と②はF1.6、③と④はF1.4。全て+0.33EVでAWB。クリエイティブスタイルは「ライト」。

①【15:59:22】

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②【15:59:26】

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③【15:59:35】

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④【15:59:37】

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【②のハイキーバージョン】

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by dialogue2017 | 2019-04-19 09:00 | 写真とカメラの話し | Comments(1)

外付けHDDの中で見つけた写真をもう1枚。EXIFが削除されているので撮影データを確認できないが、2012年9月の撮影だったと思う。実は、この子は"この写真"の女の子の2歳年下の妹である。この姉妹の写真は、この子の保育園時代3年間に何度も撮影し、フォトブックを何冊も作った。やはりEOS 5D MarkⅢで撮った写真は美しい。ちょっとレベル補正しているが撮りっぱなしでこれに近い写りである。

α7Ⅲの絵よりEOS 5D3の絵の方が好きだ。もっとも、α7Ⅲではまだ一度もきちんと写真を撮っていないので撮ってみないことには正確な比較はできないが。仮に、α7ⅢをやめてEOSにするとしてもEOS Rを買おうという気持はない。EOSを使うとしたら5D MarkⅢを使う。「瞳AF」どころか「顔認識AF」もないけれど特段困ることは無いだろう。ずっとそれで撮っていたのだから。レンズは、とりあえず手持ちのSIGMA85mm F1.4と同50mm F1.4の2本で十分だが、それぞれのArtモデルをレンタルで使ってみて、明らかな違いがあれば買い換えても良いと思う。35mm F1.4 Artを加えれば完璧。135mm F1.8 Artは不要。ちょっと別格な写真を撮ることが出来るだろうが1,130gのレンズを使いたいとは思わない。今月末に発売されるSONY FE 135mm F1.8 GMは950gとのこと。この180gの差は小さくないと思う。α7Ⅲで行くとしたら買うかもしれない。

追記。FUJIFILM X-T30にXF35mm F1.4 Rでこれにかなり近いレベルの写真を撮ることが出来ると思う。FUJIFILM Xシリーズのカメラとレンズの凄さはそこにある。人物を撮った時の発色の素晴らしさは5D3に勝るとも劣らないだろう。

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by dialogue2017 | 2019-04-18 12:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

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by dialogue2017 | 2019-04-18 06:00 | 写真とカメラの話し

shi-photo君へ。

多分、この間このブログに掲載された写真を見て、君が新しいカメラやレンズを欲しいという思いに駆られているだろうと思っていました。僕はそういうことは分かるんだ(笑)。君が気になっているα7もEOSもFUJIFILM Xシリーズのカメラもとても良いカメラだし、僕がそれらのカメラで撮ってここに掲載している写真は使っているレンズがとても良いレンズだから、君が「使ってみたいな〜」と思うのは当然だよ。FUJINON XFレンズはどれもみな素晴らしいけれど、中でも 35mm F1.4 R、XF56mm F1.2 R、XF90mm F2 R LM WRの3本の単焦点レンズは文句なしに素晴らしい。そして、Carl Zeiss T* Planar FE50mm F1.4 ZAとCarl Zeiss T* Distagon FE35mm F1.4 ZAの2本がそれを上回る描写性能であることは疑いない。

僕がEOS 5D MarkⅢで撮った写真でこのブログに掲載している写真は自分で言うのも何だけれどかなり良い写真だと思う(その理由は、真面目に撮った写真を出しているからだ。ここ4〜5年は真面目に撮っていないけれど、2012〜2013年は真面目に撮った写真が少なからずある)。EOS 5D MarkⅢで撮った写真で使っているレンズはSIGMA 85mm F1.4と50mm F1.4の2本だけれどこの2本はとても優秀なレンズだ。わけても85mmは非の打ち所がないと思う。僕はまだSONY FE 85mm F1.4 GMでそれほど人物写真を撮っていないので確かなことは言えないけれど、SIGMA 85mm F1.4はFE 85mm F1.4 GMに遜色無いと思う(価格は半額!)。僕はモデルチェンジ後の「Art」モデルの85mmや50mmは使ったことが無いけれど、どちらも更に性能が上がっていることは間違い無いだろう。というのは、初代モデルよりレンズが大きく重くなっているから。トコトン良いレンズを作ろうと思ったら大きくて重くなることは不可避なんだよ。メーカーの技術者は「いまよりもっと大きくて重くなっても良いのであれば現行製品以上の描写性能のレンズを作ることはできる」とはっきり言っている。より高い描写性能を追求すればレンズは大きくて重くなる。だから、Planar FE50mm F1.4 ZAもFE 85mm F1.4 GMも大きくて重い。重いのは高性能であることの帰結なのだ。

重さを比べてみようか。僕が持っている旧モデルの「SIGMA 85mm F1.4 EX DG HSM」は725g。「50mm F1.4 EX DG HSM」は505g。しかし、「Art 85mm F1.4 DG HSM」になると1,130g。「Art 50mm F1.4 DG HSM」は815g。昔から50mm F1.4ってどのメーカーでもそれほど大きくなくて重くもないレンズだった。50mm F1.4で815gなんて僕には考えられない。Canonの「EF 50mm F1.4」は290gしかない。控えめに評価しても「Art 50mm F1.4 DG HSM」は50mmレンズとして妥当な重さの2倍以上あると思う。沢山の作例写真を見て見たが、50mmも85mmも敢えて買い換えたいと思うほど決定的な描写性能の差があるとは思えなかった。撮り方次第ではほとんど差が分からないと言っても良いと思う。もちろん、性能が向上していることは間違い無いが、お金の問題を別にして、505g→815g、725g→1,130gという重量増と引き替えにでも買い換えたいほどの違いがあるとは感じなかった。2本で715gも増えている。丸々85mm1本分ほど増えいてるということだ。だったら85mmと50mmは旧モデルのままで「Art 35mm F1.4 DG HMS」(665g)を1本追加して持ち歩きたい。Artを2本持つより新旧で3本持った方が50g軽いのだ。

Artモデルの85mmは1,130gもある。「嘘でしょう?」と言いたい。旧モデルの85mmでもEOS 5D3との組み合わせで1,675gになる。Artモデルの85mmとの組み合わせだと2,080g。カメラとボディで2kgを越えてしまうなんて考えられない。スタジオ撮影がメインのカメラマンであれば2kgぐらいどうってこと無い。スタジオなら移動がないし、カメラを置くような場所もある。しかし、ロケ撮りがメインだと大きくて重いレンズはきつい。常時アシスタント同伴の撮影であれば問題ないけれど一人で撮るとしたらこの重さは考えられない。サブカメラは不可欠だ。メインカメラと同じカメラが理想。5D3を2台にArtモデルの50mmと85mmを持ったらそれだけで3,845g。予備バッテリーを含めてDOMKE F2(907g)に入れたら5kgを越える。35mmを加えてレフ板やストロボまで持ったら7kgに成ってしまう。まるで「山登り」だ。僕には堪えられない。

君はCarl Zeiss T* Planar FE50mm F1.4 ZAに魅力を感じるという。そうだよね。たぶん、素晴らしい描写をするレンズだと思う(まだきちんと撮っていないが間違い無い)。しかし、これだけ高性能なレンズを買ったとして何を撮るんだろう? そこだよ。カメラやレンズは写真を撮るための「道具」に過ぎない。だとしたら、「何を撮るのか」「どう撮るのか」によって最適なカメラやレンズは異なってくると思う。僕は、プライベートでCarl Zeiss T* Planar FE50mm F1.4 ZAを使おうとは思わない。僕は2014年10月2日にα7を購入したけれど僕が買った純正レンズはCarl Zeiss T* Sonnar FE50mm F1.8 ZAだけである(正確には「レンズキット」を買ったのでFE 28-70mm F3.5-5.6 OSSを所有しているが、これは「オマケ」みたいなものでほとんど使ったことが無い)。Sonar 55mmは細長いレンズなので「小型」とは言い難いが281gと軽い。Canonの「EF 50mm F1.4」より軽い。Planar 50mm F1.4 ZAには叶わないがプライベートで使うのなら十分だ。かなり良い写りだよ(もう3年ぐらい使ったことが無いけれど)。

くり返すが「何をどう撮るか」だ。はっきり言ってしまって「プロ級の写真」を撮る積もりが無いのであれば最高峰クラスのカメラやレンズなんて必要ないということ。他人のことはともかく、僕はスナップ写真を撮るためにPlanar FE50mm F1.4 ZAやDistagon FE35mm F1.4 ZAを買おうなんて絶対に思わない。事実、僕はこの4年間α7ユーザであったけれどただの一度としてこの2本のレンズを買おうと思ったことが無い。僕はスナップ写真に最高の画質なんて求めていないから。作家活動をするわけでもなく、写真集を作るわけでもなく、生活の糧として(つまりプロとして)写真を撮るのでも無いのにそんな高性能のレンズなんて必要ない。でも、アマチュアであるが故に不要な高額カメラやレンズを買うんだよね。プロと同じものを使ってみたいという単なる憧れから。で、撮っている写真はしょぼい(涙)。

話のついでだから言っておくと、「モノクロスナップ」に高級カメラやレンズなんて必要ないと思う。例えば、有名どころのモノクロ作家にはRolleiflexで作品を撮っている人が多いが、彼らが使っているRolleiflexは1950〜1960年製である。すでに半世紀以上前のカメラ。ご存じの様にRolleiflexのレンズなんてとても小さい。もの凄く小さい。レンズは描写性能を追求すると不可避的に大きくて重くなるそれを考えたら、たとえPlanarの名を持つと言ってもRolleiflexのレンズはとんでもない高性能とはとても言えない。そもそも、ゼラチンシルバープリントの場合5EV以内でのトーンしか表現できないわけだから、レンズの性能はRolleiflexに付いているレンズ程度で十分なのである。「モノクロ作品」で求められているものはなによりも「作品性」なのだ。α7ⅢにPlanar FE50mm F1.4 ZAであるとか、FUJIFILM GFX50sとかでモノクロ作品を作る作家が出てこないことがモノクロ作品のなんたるかを如実に表していると思う(GFX50sでモノクロ作品を撮っている人がいないわけじゃないけれど)。

むしろ、モノクロ作品の場合、未だにゼラチンシルバープリントが圧倒的なアドバンテージを持っている。今年デジタルモノクロプリントの展示を見て「なるほど」と痛感した。デジタルモノクロプリントは、冬青社の高橋社長が指摘したようにあまりにも「トーンが揃いすぎて」しまい人の心を打たないと言うことを感じたのである。渡部さとるさんの言葉を借りると人間は「ゆらぎ」の孕まれたモノの方が心地よく感じると言うことである。だから、ほとんどのモノクロ作家はフィルムで作品を撮り続けているのである。デジタルモノクロプリントでその水準を超えようとしたら、名だたる著名作家を越える実力が必要だと言うことだ(チャレンジするのは楽しそう・笑)私に言わせれば、モノクロ写真で最高級のカメラやレンズが必要だとしたら、既存のモノクロ作家を大きく凌駕する作品を撮って見せるというほどの覚悟がある場合に限られると思う。

君が心惹かれているCarl Zeiss T* Planar FE50mm F1.4 ZAであるが、このレンズでいったい何を撮るのか? 僕はスナップにこのレンズを使おうとは思わない。仮にスナップで使うとしたら、作家活動(定期的な個展開催と写真集出版)をするという前提が無い限りありえない。僕は作家になりたいと思っていないのでスナップのためにPlanar FE50mm F1.4 ZAを買うつもりは毛頭なかった。遊びレベルのスナップに使うとしたら古いYashica-ContaxマウントのPlanar1,4/50で十分だ。小さくて軽いけれど写りはPlanarそのものだ。当たり前である。「本家本元」なのだから。「標準レンズの帝王」と呼ばれたレンズである。このレンズなら初代のα7で十分だと思う。α7は新品で買っても89,730円。中古良品で75,000円ぐらい(いずれもマップカメラ)。Distagon1,4/35(Y/C)も10年前よりかなり安くなった。「ヤフオク」の最安値品で68,000円という価格で出ている。Carl Zeiss T* Distagon FE35mm F1.4 ZAが194,283円(マップカメラ)することを考えたら半額以下である。

ただし、なにも今更初代のα7を買って、半世紀前のマニュアルフォーカスレンズで写真を撮るなどと言う酔狂なことをやらなくても良いと思う。やりたければやっても良いと思うし、それはそれで楽しいとは思う。写真を1枚1枚丁寧に撮るタイプなら悪くないと思う。マニュアルフォーカスレンズを使って自分でピントを合わせながら写真を撮るというのはなかなか楽しいことだから。

しかし、僕だったらFUJIFILM X-T30にFUJINON XF35mm F1.4 Rという組み合わせを選択する。メリットがたくさんあると思う。使い勝手がとても良い。小型軽量でいつでも持ち歩く気になれる画質もα7 + Plana1,4/50(Y/C)に遜色ない。人物を撮った時の色合いの美しさはα7より間違い無く上だ。FUINON XF35mm F1.4 RはXシリーズのカメラが発売されたときに同時に発売された3本のレンズの1本であり、XFレンズとしては一番古い世代のレンズである。このレンズは発売された時からAFが遅いと言われていた。それが唯一の欠点だった(僕は気になったことは無いけれど)。しかし、X-T30に装着するとAF速度はかなり向上するそうだ。X-T20で使ったときと丸っきり違うらしい。

仕事で写真を撮るのであれば描写性能や機能性は高ければ高いほど良いと思う。仕事の場合「のりしろ」が大きいというのは重要なことだ。僅かな失敗ならカメラが救ってくれるから。プライベートで写真を撮るのに「のりしろ」なんて要らない。失敗しても困らないからだ。アマチュア写真愛好家でポートレートを専門に撮っている人でプロレベルの写真を撮っている人はごく稀にしかいない。その程度のレベルならα7ⅢだとかPlanar FE50mm F1.4 ZAなんて必要ないと思う。僕自身、「プロ以上」の写真を撮ろうと言う決断がなければ、X-T2・X-T20にXF35mm F1.4 R、XF56mm F1.2 Rで十分だと思う。いや、ここ最近、α7ⅢよりX-T30の方が良いんじゃ無いかと思っているくらいだ。やはり肌の色はα7Ⅲの色よりX-T30の色の方が美しいと思う。そして、小型軽量のカメラの方がいいと思うのである。ロケ撮りの場合小型軽量のアドバンテージは大きい。

プロカメラマンがタレントやモデルを撮影する「ロケ撮り」のようなシチュエーションであればカメラやレンズが大きくて重くてもそれほど問題ない。写真撮影を行うための空間でそれに専念するのだから。しかし、プライベートな時間・空間でポートレートを撮るとした場合、小型軽量のカメラである方が絶対に良い写真を撮れる確率が高くなると思う。分かりやすい話をすると、ちょっとしゃれたレストランで食事をしている合間にさっとポートレートを撮るというようなとき、X-T30 + XF35mm F1.4 Rのような小さなカメラだと気軽に撮れるが、α7ⅢにPlanar FE50mm F1.4 ZAの組み合わせだと「周りを憚る」ことになるということ。僕はそういうシチュエーションで沢山撮りたいんだ。

僕はいろいろな写真を撮っている。記録としての写真。遊びのスナップ。ポートレート。そういう多様な使い方を前提とした場合、今更マニュアルフォーカスレンズをメインにすることは考えられない。X-T2・X-T20を使い始める前にはα7にPlanar1,4/50(Y/C)やDistagon1,4/35(Y/C)でスナップをすることは良くあった。どちらも大好きなレンズだから。しかし、X-T2・X-T20を購入して以後、Planar1,4/50(Y/C)やDistagon1,4/35(Y/C)を使うことは無くなった。XF35mm F1.4 RやXF23mm F1.4 Rで十分だからである。XF23mm F1.4 Rはとても良く写る。Distagon1,4/35(Y/C)より良く写ると思う。しかし、Distagn1,4/35(Y/C)には「味」がある。XF23mm F1.4 Rでは出せない独特の雰囲気がある。だから、いまでもXF23mm F1.4 Rで撮るよりはDistagon1,4/35(Y/C)で撮る方が楽しいと思うし、自分が好きな写真を撮ることが出来ると思う。しかし、XF35mm F1.4 RはPlanar1,4/50(Y/C)に匹敵すると思う。Planar1,4/50は一番好きなレンズなのだけれど、いまさらマニュアルフォーカスのこのレンズを使うよりXF35mm F1.4 Rの方が良いと思う。そう思うほどXF35mm F1.4 Rは素晴らしいレンズだと思う。

shi-photo君。君はカメラやレンズに対する大きな憧れが出てきたよね。当然だと思う。GR DIGITAL ⅣもGXR A12 50mm F2.5 MACROも良いカメラだけれどどちらも今となっては「旧式」カメラだし、前者は1.7型センサーだからね。「フルサイズセンサーで撮ったらどんな写真が撮れるんだろう?」とか考えてしまうよね。「標準レンズの帝王」の進化型レンズで撮ったら凄い写真が撮れるのだろうと想像してしまうよね(笑)。いろいろなカメラやレンズを使ってみたくなるのは当然のことだと思う。「何を撮るか」よりも、良いカメラやレンズを使ってみたくなるというのは「男の性」だと思う。僕も「写真」そのものより「カメラ」や「レンズ」の方が好きな口だから気持はよく分かる。

多分君に合うのはフィルムカメラだろうと思う。でも、今更フィルムで撮るというのはよほどの決意が無い限り意味が無いと思う。僕は、フィルムで撮るなら「作家活動」をするぐらいの決意は持った方が良いと思う。「作家活動」って、写真友達と年に1度グループ展をやるレベルのことじゃないよ。それは単なる「遊び」の範囲を超えていない。作家になるということは、分かりやすく言えば渡部さとるさんたちと「同じ土俵」で勝負すると言うこと。彼に追いついて追い越すぐらいの気持がないのなら今更フィルムで撮ってもたんなる自己満足でしか無いと思う。まあ、写真を撮るなんて所詮自己満足だけれどね。作家として活動することもそういうことだと思う。写真に限らず「表現行為」って、煎じ詰めればそういうことだと思う。表現することを通じて「賞賛」を得たいということだということ。別に僕はそのことに対して否定的なわけじゃない。それは人間の「本源的」な欲求だと思う。ただ、僕はそういう形での「承認欲求」から自由でありたいと思っている。

僕はいまEOS 5D MarkⅢは全く使っていないし、しばらくの間X-T2・X-T20も使わなくても構わない。α7Ⅲは「彼女」を撮る時以外に使いたいとは思っていないのだけれど、しばらくの間はカメラに慣れるためにα7Ⅲだけを使おうかと思っている。だから、5D3とかX-T2を半年ぐらい君に貸してあげようかとも考えているんだけれど、そうすることが君のためになることなのかどうかについては疑問に思っているんだ。僕が刺激をしたことによって君は写真やカメラやレンズに「熱中」し始めたわけで、僕が君の前から消えてしまったらその「熱」はどうなるのかな? という風にも考えるんだよ。人が抱いている「欲望」って、結構「外的要因」が大きいんだよね。別にそれが悪いことだというわけじゃないんだけれど、そういうのは本物の「欲望」じゃ無いと思うんだよ。「誰がなんと言おうと、どう思われようと、オレはこれがやりたいんだ」というのが本当の欲望だよね。そして、人はそういうレベルの欲望を抱いたときには、自分一人で道を切り開いていこうと思うものだ。能力の如何に関わらずね。

もし、君が「本気」で写真を撮って見たいと思っているのであれば、もう少し自分でいろいろなコトを煮詰めてみるべきだと思う。もっとも、経験が無いと煮詰めろと言われても何をどう煮詰めて良いか分からないとは思うけれどね。君は撮りたいものがないんだよね。僕もそう(だった)。渡部さとるさんもそう(笑)。「撮りたいものがある奴はデジカメが良い。撮りたいものがない奴はフィルムカメラが良い」ーーこれは渡部さんの名言。その通りだと思う。と言うわけで君にカメラを貸してあげるとしたらフィルムカメラの方が良いのではないかと思うのだけれど、お金が掛かるよね。フィルムは高いし現像代も掛かる。それに、本気でフィルムで撮ることに嵌まったらプリントも自分でやりたいと思うようになるかもしれない。君の人生が変わってしまう(爆)。まあ、いまは何もないような人生だから(失礼)、なにか熱中するものができた方が幸せかもしれないけれど、僕が君をそこに追い込むことには躊躇いがある(笑)。というわけでもうしばらく様子を見ようかと。

僕の方は「写真なんてどうでもいい」という気持になっている。周期的にそうなるんだよ(笑)。「写真なんか」というのが僕の本音。男が熱中するほどのものじゃ無いと思っている。男が本気で熱中できるものは「命を掛けられる」ものだけだと思っているから。僕が写真に「熱中」しているのは人生の大きな「目的」を失ったから。そうそう、最後の将軍徳川慶喜は、明治になり「一私人」としての人生を生きるようになってから随分写真に熱中したんだよ。他に「熱中」できることが何もなかったんだろうね。余生をもてあましたんだね。彼の気持ちがよく分かる(笑)。慶喜は何をやっても器用にこなせる才人だから写真も相当上手だったらしいよ。でも、本当は空しかったんじゃないかな。

僕はいまでもまだ本気でポートレートを撮ってみたいと言う気持はある。でも、撮ったからどうなんだという気持も同じくらいある。撮るとしたら最高レベルの写真を撮るつもりだけれど、それって結局自分の能力を証明したいということでしかない訳だよ。つまらないことだよね。写真が上手に撮れると言う程度のことで自分の能力を証明するなんてさ。ただ、能力の証明ということとは全く別のこととして、いままであまり試みられていないようなスタイルでのポートレートを撮ってみたいという気持はある。頭の中にあるイメージを実際の「写真」として表現してみたいという気持。でも、それだって、撮ってその写真を自分が一人で見て自己完結できるかというとそうはならないだろうと思う。写真って誰かに観て貰いたいものだから。そう思うと、撮らなくても良いかなと思うんだよね(笑)。

実は、ここ最近はα7Ⅲとα7Ⅲ用のレンズ4本を処分してしまったらスッキリするような気がしているんだ。X-T2も処分してX-T30に買い換える。レンズはXF35mm F1.4 RとXF56mm F1.2 Rの2本あればそれでいい。レンズ交換は面倒なのでX-T20とX-T30に付けて持ち歩く。他のカメラとレンズは一切合切処分して、カメラ2台レンズ2本になったらもっと真剣に写真を撮り始めるような気もするんだ。まあ、別に写真なんて真剣に撮る必要も無いけれどね(笑)。いい加減に撮っている方が楽しいかもしれないし(爆)。

すっかり脈絡のない「おしゃべり」をしてしまったけれど、君が5D MarkⅢとか、Planar 50mm F1.4などを使って写真を撮ってみたいという気持は痛いほどよく分かる。確かに、これらのカメラやレンズは君が今使っているGRDやGXRとは別格のカメラやレンズだよ。結果としての写真が変わるのは当然。写真なんて「カメラ」と「レンズ」が作ってくれるものだからね。

いずれにしても、君はそろそろ「レンズ交換式カメラ」を使い始めるべき時期だと思う。A12 50mm F2.5 MACROは素晴らしいレンズだけれどAF酷いしこれ1本ではやはりちょっと物足りないよね。でも、「行動力は、歩くついでに写真を撮る程度はあるが、目的を持ってどこかに出かける程はない」という状態じゃ「写真なんて撮らなくてもいいんじゃない」って言いたいよ。それが僕の率直な感想。「撮りたくてどうしようもない」と書いてあったら僕は君にカメラを送ってあげたと思う。

※以下に書いた文章は、現在の僕の「内心」を書いたものなので不特定多数の人に公開することを辞めることにした。もともと、今年は「ファン限定公開」にして「門下生」だけとやりとりするつもりだったので、続きの文章は「ファン限定公開」でアップすることにする。つまり、shi-photo君だけが読むことが出来ると言うこと。まあ、もともとこのエントリー自体君一人だけに向かって書いたんだけれどね。


by dialogue2017 | 2019-04-18 03:30 | 写真とカメラの話し | Comments(1)

捜し物があってポータブル外付けHDDの中を見ていたらこの写真が目に止まった。この子はこのとき保育園の年長組で数日後に卒園式であった。この日は、この子とクラスメート5人、そしてその親11人の撮影を行った。親同士も仲良かった6人の子どもたちの「卒園記念フォトブック」を作るための撮影であった。女の子が3人、男の子が3人。6冊のフォトブックを作ったのだけれど中身は全部別々。親の集合写真2枚を除いて全部違う写真で作った。泉大悟君と二人での撮影であったが、1度の撮影で6冊のフォトブックを作るための写真を撮るというのはなかなか大変であった。なにせ、きちんと撮られてくれない年頃なのだ。女の子はそれほど困らないがこの年頃の男の子には手を焼く。率直な感想を述べるなら彼らはまだ「人間」になっていない(笑)。怪獣というか程度の良い猿というか、その程度だ。とにかく大変。

この写真は手を下ろしてノーファインダーで撮った。5D3の背面モニタはチルトしないのでこういうアングルで撮影する際にはモニタで撮影範囲を確認することができない。もし確認して撮ろうと思ったら腹ばいになって撮るしか無い。そんなことをやったら子どもが驚く。遊びに熱中しているところに近づいていって中腰に成って手を下ろし、カメラを子どもの顔の高さぐらいにしてノーファインダーでパチリと撮る。この時は1枚しか撮っていない。撮られたことに気がついた後はもうこういう表情ではなくなってしまったから。1発勝負である。いつも自分の娘をそういう風にして撮っていたので慣れている。上が詰まっているとか、左足のつま先が切れてしまっていることは全く問題ない。むしろ、あと一歩引いて収まりが良い写真であるよりこの方が良いくらいである。小綺麗に纏まっているとかえってつまらないということは少なくないのである。

そんなことはどうでも良い。この写真を見て思ったのは「EOS 5D3の絵はいいな〜」ということである。それで、ファイルサイズが小さいにもかかわらずここに掲載することにしたのである。SONY α7Ⅲより良いと思う。5D3は2012年3月発売のカメラ。α7Ⅲより丸6年前に発売されたカメラである。いくつもの点でα7Ⅲの方が優れていると思うが、この写真を見たときの印象は「ああ、ポートレートを撮るならα7Ⅲより5D3の方がいいな〜」だった。うーん、私にはα7ⅢよりEOS Rの方が良いのだろうな〜。やはりEOSは色が奇麗だ。

ぼやけて見えるのはファイルサイズが小さいため

2014年3月23日撮影。EOS 5D MarkⅢ + SIGMA 50mm F1.4 ISO100 F3.2 1/200 +0.33EV AWB JPEG 

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by dialogue2017 | 2019-04-17 15:00 | 写真とカメラの話し | Comments(2)

(まえがき)初めからこんな話を書くつもりで書き始めたわけでは無かった。そもそも1枚目の写真は自分自身の「勉強」としてレタッチしたのであってここに掲載するつもりでレタッチしたわけではなかった。しかし、「クリア」を使った理由を説明してあげたら、from_vixen君や0123okkun君にとって参考になるだろうと思って書き始めた。書いているときに何となく書いておこうと思ったことは「写真はその人のために撮るモノだ」という事についてであった。で、最初はそれをこのエントリーのタイトルにして書き進めた。しかし、話は「どうしたら女性を素敵な表情にさせることができるのか?」というもの凄い(笑)テーマに及んでしまった。読んで「へ〜っ」と思う人も少なくないだろう。私は思った(爆)。

当たり前のことなんだけれど、どれほど優れた撮影技術を持っていても技術で人間の「表情」を左右することはできない。

モデルの表情を生み出すのは撮り手がモデルに"贈る"「言葉」と「気持」なのである。

もちろん「技術」も必要になる。最初に1枚撮ってその写真を見せてあげる。その写真を見て「モデル」になった女性が「素敵」と思うかどうかが決定的なのだ。それがつまらない写真だったら「ありがとうございました」と幕を引かれてしまう。もう撮られたくないと思われたらそうなる。見せた写真を見た彼女たちの目が輝いていたら続きを撮ることが出来る。「どう?」「すご〜い」「もっと奇麗に撮れるよ」「そうなですか〜」「もう1枚撮ってみようか。(パチ)ほら」「素敵です」「じゃあもう少しきちんと撮ってあげるね」「はい」ーーこういう流れである(笑)。

結果として、女性ポートレートを撮るために一番大切な事について書いてしまったと思う。ただ、コミュニケーション能力なんて簡単に高めることができるモノじゃない。それはかなりの部分まで「天賦」の才能だと思う。それに、本文の終わりの方で書いたけれど、女性心理を深く理解できるようになるためには沢山の女性とお付き合いするという経験が不可欠であるが、誰もがそういう経験をできるわけではない。私の場合、学問として「心理学」や「精神分析」や「脳科学」をかなり読んでいるのでそういうバックボーンもあるが、決定的なのは「天賦の才」である。私は天才的な「人垂らし」と言われている男である(笑)。女性と仲良くなることが天才的に上手なんだ(爆)。しかも、年が離れている女性からほど受ける。あっ、違う。わたし自身が好んで歳の離れた女性にアプローチしている帰結だ(笑)。でも、受けるというのは事実だ。

「自慢話」に脱線してしまったが、女性ポートレートについては核心ついて書いてしまったと思う。もうこれ以上何かを書く必要は無いと思う。このエントリーが「保存版」である(笑)。技術的には、ひとつ前のエントリーで書いた「どういうアングルで撮るか?」という基本を押さえておけば十分である。それがしっかり頭に染みついていれば、そこから自分自身でバリエーションを探すことができるだろう。ただ、「女性を素敵な表情にさせる」能力の方はどんなにがんばっても全く進歩しないという人も少なくないだろう。そういう人は、恋人か奥さんを撮るしか無い(爆)。あるいはプロのモデルさん。僕はお金を払ってプロのモデルさんを撮りたいという気持ちは欠片も無い。写真って、「プライベート」だから楽しいんだよ。仕事でもないのに写真に「お金」が介在するなんて僕は絶対に嫌だ。「金で買った表情」なんて撮りたくない。

結局、技術的には「光をどう捉えるか?」という事に尽きる。カメラの機能をどう使いこなすかなどは基礎でしかない。その程度のことさえ自学自習できないやつは何をやっても結果は知れている。そういうこと。どんなことでもそうだよ。好きでやっていることにさえ熱中できない人間にできることなんてたかがしれている。「いまの自分を越えていく」ということが、人生の最も大きな楽しさなのでは無いかと思う(僕の場合そういう努力は少ないけれど)。

「まえがき」がすっかり長くなってしまったけれど、もう「写真の撮り方」についての話は終わりにしても良いだろう。このエントリーを書いてそう思った。上手に撮れるようになりたいのなら、自分で努力しろよ! 本当に上手になりたいならそうすると思う。そういうこと。じゃあ、皆さんがんばって。最後に一言プレゼント。

写真なんて上手くならなくても良いと思うよ。本当に(笑)。

楽しければそれでいいじゃないか。そんなことより、少しは「大人」になれよ。多少は「知性」を身につけろよ。その方が君の人生は豊かになる。写真が上手くても知性が貧しい人間に魅力は無い。それに、知性が無いと陳腐な写真しか撮れない。

写真って、撮った人の「知性」や「品格」が滲み出るものだから。「その人」が出るんだよ。

君たちの健闘を祈る。

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直ぐ下の1枚目の写真はクリエイティブスタイルの「クリア」を使った。「クリア」は使い方が難しい。諸刃の剣である。いや、ほとんどの場合ポートレートに使うと失敗すると思う。まだα7Ⅲできちんとポートレートを撮ったこと自体一度も無いのであまりはっきりとは言えないが、「クリア」は中途半端にポートレートに使うと失敗するだろう。ポートレートに使うなら、思い切って大胆な表現にするという腹づもりで使うべきだと思う。コーマーシャルフォト的な写真ということかな。つまり、人目を引く写真。"こんな感じ”に使うのが「クリア」の使い方だと思う。駅のホームとかに大きな写真で使ったら人目を引くよね(笑)。CMフォトはそれが大事。

ではなぜこの写真に「クリア」を使ったかというと、他のクリエイティブスタイルでは彼女の個性を表現できないと思ったからである。彼女はもの凄く色白である。右手を観て貰えば一目瞭然。もともと色白なのに「白粉」のようなファンデーションを厚めに塗っていた。そのため「あっさり」した雰囲気の写真にしようと思っても上手く行かないのである。アッサリ目に作っても顔の白さばかりが目立つ写真になってしまうのである。光のある時間帯に撮ればまた撮りようもあるんだけれど、日没4分前の撮影である。しかも、西の空は雲が厚く事実上日没後と言っても良い淡い光で撮っている。暖かみのある色合いの太陽光で撮ればもう少し健康的な色合いの肌色に出すことができるが、この時間の光だとそれができない。Photoshopで色を弄っても駄目。撮影時の「光が出した色」と違う色は出せないし無理矢理出すと不自然で奇麗じゃない(色温度を変えても太陽光が肌を照らしてくれたときの色合いにはならない)。

で、いっそのこと「クール」な写真にしようということにしたわけである(って、あれこれ考えたわけではなくこの写真を見た瞬間にそれしか無いと思ったのだけれど)。率直に言うが、この写真はただ撮ったと言うだけの写真である。本人は「こんな写真撮って貰ったことない」と言って喜んでくれたので撮った価値はある。少なくとも本人はとても喜んでくれた。しかし、ポートレートフォトとして特段優れているわけではないだいたいが、私は彼女の写真をわずか13秒で5カットしか撮っていないのである。私が彼女のピン(1人)の写真を撮った時間は僅か13秒なのである。しかし、そういう一瞬とも言える時間で撮ったにもかかわらず、この写真は彼女をかなりスマートな感じで表現している。他のカットを全部見せれば、この写真がとても良く撮れていることが分かるだろう。この1枚の写真を見ただけでは分かって貰えないだろうが、この写真はかなり良く撮れているのである。だから本人がとても喜んでくれたのである。

事情を説明しよう。実は、2枚目の写真の女性もこの女性もわりと"ふっくら"した顔立ちなのである。それがよくないということではないのだが、今どきの若い女性にとっては「小顔」が理想なのである。であれば、実際よりも細面に見えるように撮ってあげるのが礼儀なのである。そういう風に撮ってあげると必ず喜ばれる。私は撮った写真をすぐに本人たちに見せて感想を聞いてコミュケーションするんだけれど、その際毎回同じ反応が起こる。友達の方が「素敵。○○じゃないみたいなくらい可愛い!」と叫ぶのだ(笑)。褒めてるんだかけなしているんだか分からない褒め方だけれど、ほとんど例外なくそういう反応が出る。そうなんだ。実際、それくらい実物とは違う雰囲気の写真になるように撮っているのである。しかも、13秒間の間に「考えて」。これって、簡単にできることじゃないんだ。

私が昨秋以後このブログに載せてた「由比ヶ浜ガール」(この写真は七里ヶ浜だけれど)たちの写真は、声を掛けてから5分10分で二人とか三人の友達連れを撮った写真の中の1枚を出しているのだけれど、その写真は本人自身が見て「実際の私より奇麗」と思えるアングルから撮った写真を出しているのである。たとえば、"この写真”"この写真”も、前後に撮ったカットと並べて掲載したら、「えっ〜? こんなに違うの。信じられない!」という感想を抱くだろうこと間違い無いくらい彼女たちを可愛らしく撮っているのである(実際に可愛いのだけれど)。他のカットと並べて掲載して見せてしまえば一目瞭然なのだけれど、一番綺麗に撮れている写真以外の写真を見せるというのは失礼な事だからやらないことにしている。一見どうといったことのない平凡なポートレートフォトに見えるかもしれないけれど、本人や友人が「○○じゃないみたい! すっごく奇麗!」と嬌声を上げるほどその女性を奇麗に撮っているのである。自慢するわけじゃないけれどそういうこと(笑)。

露出がどうこうというような技術的な話じゃないの。実際、下の写真だってレフもストロボも使わずただ撮っただけ。技術的にはなにもない。問われているのはその女性を一番綺麗に見えるように撮れるかどうか。撮られる方はいま出逢ったばかりの見知らぬ人間に撮られているのだし、まるでモデルになったような経験したことのないシチュエーションなのでかなり緊張するし照れる。実際、みな「どういう顔したらいいんですか?」と凄く戸惑う。だから1カット目2カット目は緊張する。緊張を解く言葉を投げると今度は照れ笑いをしてしまう。もう3カット撮っちゃった(笑)。

いま出逢ったばかりの見知らぬ女性を僅か5枚10枚撮って良い表情を撮るというのはもの凄く難しいことなんだよ。プロでも難しいと思う。

実はこの写真は2カット目。僕は、この女性の場合笑顔は無理だと判断したの。で、撮る時に「口を閉じて、江ノ島を見つめて」と指示したの。「見て」ではなく「見つめて」と。彼女は江ノ島を見つめることに神経を集中するから「撮られる」という意識が薄くなる。緊張が和らぐ分自然な表情になる。このカットを撮った時とりあえず「撮れた」と思った。2カット撮るのに掛かったのは3秒。で、残りの3カットは笑顔を撮ったんだけれど全部失敗だった。笑ってしまうと彼女の「欠点」が出てしまうから。最初に、「笑顔で撮らない」と決めたことが「勝因」なんだよ。咄嗟にその判断ができるかどうか。そして、彼女の意識を「撮られている」というところから外すやり方を思いつくかどうか。結局問われているのは「頭の良さ」と「コミュニケーション能力」。特別な撮影技量なんて要らない。だって、良いカメラ使っているんだからさ(爆)。

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下の写真を撮ったときには15秒間に3カット撮った。横から、斜めから、正面からと異なるアングルから1枚ずつ撮った。これは3枚の中のファーストカット。この1枚目を撮る時だけ僕は集中して撮った。一発で決めようと思ったから。上の写真を撮った場所とほぼ同じ立ち位置で同じアングル。上の写真の女性は「クール」に表現するのが一番だと思った。しかし、下の女性の場合は「爽やか」に見せたいと思った。だから使ったクリエイティブスタイルが違うのである。このアングルだと沢口靖子っぽい感じだよね(笑)。とても自然で素敵な微笑だと思う。

このカットを撮る直前に彼女とちょっとおしゃべりした。「運が良いとこのあと空が焼けるんだ。赤くなった空をバックにシーキャンドルのイルミネーションが光るんだけれどそれが奇麗なんだよ」。若い女性ってそういう素敵なシチュエーションをすぐに空想できる存在なのね(笑)。ちょっと「物語」を与えてあげるとすーっとその物語の「主人公」になってしまう(笑)。実際に彼女が夕焼けの中の江ノ島を頭に思い描いたかどうかはともかく、女性は「奇麗な話し」を聞くと聞くだけでも良い気分になるんだよ。女の子は「素敵なこと」とか「奇麗なモノ」が好きなんだ。私は彼女に「江ノ島を眺めていて」と声を掛けた。

撮る前の会話や撮る直前の「ひとこと」が女性の表情を作るんだ。

言葉は"マジカル"なんだよ。

女性を奇麗に撮れるかどうかは、良い表情にさせることができるかどうかに掛かっている。良い表情を引き出すためには、女性が「心地よい」気持になる言葉が必要なんだ。

だから、良い女性ポートレートを撮るために一番必要な能力は「女性心理」を良く理解していると言うこと。僕が一番得意な領域だ(爆)。何度も恋をして沢山の女性と付き合ってきたからね。

シャッターを切る直前に「可愛いピアスだね。似合っている」と褒めたんだ。次の瞬間、彼女はこういう表情になった。人間嬉しいときにはこういう表情になるんだよ。「おもろい」ことを言って笑わせるとほぼ間違い無く失敗する。笑ってしまって顔が「崩れる」から。「ほうれい線」がくっきり出てしまうと奇麗な写真じゃなくなる。「横顔が奇麗だね」はNG。「前からは駄目なのかよ」と捉えられてしまう。そうとられないとしてもあまりに陳腐な褒め言葉だ。

女性は抽象的な褒め言葉を喜ばない。具体的な褒め言葉の方が嬉しいんだ。「横顔が奇麗」よりも「耳、奇麗だね。よく言われるでしょう?」なんだよ(笑)。「え〜、そんなこと言われたことありませんよ〜」とちょっと恥ずかしそうに笑うから。でも、本人の身体の部位を褒めるよりアクセサリーとか服装を褒めた方が無難。ストレートに本人を褒めるより、「ピアス、センス良いね」と褒められた方が言葉に真実味があるんだよ。アクセサリーや服のセンスを褒められて嬉しくない女性はまずいない。念のために言っておくけれど、これは、写真を撮るときの表情を作るための話だからね。こんな褒め言葉の一つ二つでナンパはできないよ(爆)。

こういう風に文字にしてしまうと陳腐にも思えるだろうし、「臭い」とも感じられると思うけれど、僕はさりげなくアッサリと、聞いた方はまるで風が吹かれたとしか感じられないようにそういうことを口にできるんだよ(笑)。何故かというと、本当に相手の素敵なところを探して褒めるから嘘っぽく聞こえないんだよ。言葉を吐く側が本気だと臭くならないの。思ってもみないことを言ったり、ピントが外れたところを褒めると「嘘っぽく」聞こえるんだ。相手に対して、常に「本心」で接するということが僕の基本方針だから。男に対してだけじゃなく、女性に対しても「お追従」「お愛想」は言わないんだ。女性って、その辺を聞き分けるセンサーが優れているからとってつけたような褒め言葉は見破られる。まあ、それでも褒められると悪い気がしないというのが女性だけれどね(笑)。ああ、近頃は男もみなそうだな。情けない。

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二人とも23歳(「彼女」と同じ年)。いちばん可愛らしい年頃だよね。「女の子」から「大人の女性」に変わる端境かな。下の写真が声を掛けて最初に撮ってあげた写真。iPhoneで撮った写真よりは奇麗なはず(笑)。二人とも上に掲載した「横顔」の写真を見て、とても喜んでいた。「○○じゃない見たい」「ほんと、私じゃないみたい(笑)」って、もう僕の存在なんて忘れて盛り上がっていた(笑)。もの凄く喜んでもらえたから、「最後に後ろ姿も撮ってもらえますか?」ってリクエストが来たんだよ。撮ってもらうことが楽しくなっているから。大半の女性は撮られることを嬉しいと感じるの。ただし、実際以上に綺麗に撮ってあげた場合の話だけれど(笑)。

僕が、毎回必ず「撮ってもらって嬉しい」って思ってもらえているのは、最初に撮った写真を見て気に入ってもらえた結果。まず、ファーストカットで「素敵」と思ってもらえる写真を見せるのがコツ(笑)。僕の場合ファーストカットはまず外さない。勝負所だけは強いんだよ(笑)。

写真って、自分の為に撮るんじゃ無くて"その人"のために撮ってあげる方が楽しい!

僕は撮ってあげたケースでは例外なくもの凄く喜んで貰っている。僕はそもそも写真は自分の満足のために撮るモノだって思っていない(そういう部分もあることはあるけれど)。撮ってあげた人に「素敵な思い出」を残して上げたいと思って写真を撮っている。だから、人物を撮るのが一番好きだし、撮ってあげるときにはその人が一番綺麗に見えるように撮って上げようと思って撮る。もし、1人の女性を20分撮り続けることが出来たら、あと2ランクぐらい上の写真を撮る自信がある(笑)。

実際はかなり薄暗かった。レフも効かないしストロボもLEDライトもない。オマケに薄暗いとは言え逆光。背景が明るいので奇麗に撮るのが難しい条件(奇麗に撮ろうと思ったら弱くストロボ光をぶつけて撮りたいシチュエーションである)。リクエストされた"後ろ姿”はちょっと映画っぽいシックな写真に成るように撮ったけれど、こちらは「記念写真」なのでちょっとパステル調という感じにしてみた。楽しそうな表情だからそれだけでOK。この日のファーストカットから18秒後の4カット目でこれだけ自然な表情で撮れている。最初の1枚2枚で緊張を取り除いてしまうから。もちろん自慢のトークでね(笑)。大事なのは撮影技量じゃなくて、女性を安心させるトークなんだよ(爆)。だって、出逢って1分しないうちに撮っているんだから。

下の写真、X-T20で撮っていたらもっと普通に奇麗な色合いの写真になったと思う。FUJIFILMは色が奇麗だ。夕暮れのSONYは「むずい」(爆)。

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by dialogue2017 | 2019-04-13 09:00 | 写真とカメラの話し | Comments(3)