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どうもバッテリーがへたってしまっているようできちんと充電できない。玄関の外に出て写真を撮ったら2枚撮っただけで「バッテリーを交換して下さい」となってしまった。インジケーターはフル充電の緑色になっていたというのに。これは2枚撮った1枚目。A12 50mm F2.5 MACROの最短撮影距離は7cm(最大撮影倍率1/2)。このレンズの素晴らしいところだ。ただし、7cmまでよって絞り開放だとピントが合う部分はほんの僅か。それを生して写真にするのはかなり難しい。最短まで寄ったときには少し絞り込んだ方が良いだろう。蕾の先端の方に「大中小」と3つ並んだ水滴の真ん中の水滴にピントを合わせた(つもり)。少しトリミングしている。背景の地面(砂利)まで15cmほど。蕾のサイズは1.5〜2cmほど。このアングルで撮るならF5.6ぐらいでも良いと思う。それで蕾に先端から元ぐらいまでピントが合うと思う。

RICHO GXR A12 F2.5 MAKRO ISO800 F2.5 1/100 -1.67EV AWB 雨の夕刻でかなり暗い

RICOH GXR A12 50mm F2.5 MACROで撮った花の写真(3)_e0367501_17241700.jpg


by dialogue2017 | 2019-02-28 18:00 | | Comments(3)

RICOH GXR

左上から時計回りにA12 50mm F2.5 MACR カメラユニット + ボディ、A12 28mm F2.5カメラユニット、P10カメラユニット、S10カメラユニット、ボディ。GXRについて詳しくは"こちら”を参照下さい。

RICOH GXR_e0367501_15501570.jpg

”このエントリー”にshi-photo君からコメントが届いた。その中に、「もし気が向いた時には、GXRで撮った花の写真をまた見せて頂けたら幸いです」と記されていたのでコメントが届いた翌日GXRで写真を撮ってみようと思い、防湿庫の中を探した。すると、4つのカメラユニットは直ぐに見つかったがボディが見つからない。防湿庫の中には古いカメラやレンズが沢山入っているのでどこかに埋もれているかと思って念入りに探してみたが見つからなかった。他の場所も探して見たが見つからない。翌日になって、ボディのみ友人に貸したことを思い出した。

で、先ほど会社に行ったついでにボディを返却して貰い持って帰ってきたのだが、2台のボディに入っているバッテリーはどちらも放電していてカメラは起動しなかった。我が家にあった予備のバッテリーも放電していてカメラを動かすことはできなかった。考えてみれば、"この写真”を撮った時がGXRを使った最後の機会だったのですでに丸1年以上になる。あの時も数年ぶりの使用であった。

GXRと言うカメラはちょっと変わったカメラである。レンズと撮像センサーを一体化させたカメラユニットとボディを分離しているユニット式カメラである。普通のレンズ交換式カメラの場合、ボディに撮像センサーがあってレンズが着脱できるようになっているが、GXRの場合撮像センサーはレンズと一体化していて、ボディは「操作」に関する機能のみを搭載している。撮像センサーとレンズを「ピンポイント」でマッチングさせることによって高画質を実現するという思想で開発されたカメラである。

GXRの開発思想はA12 50mm F2.5 MACROユニットにおいては見事に実現したと思うが、このカメラは発売直後一部の人々に人気を博したものの広く受け入れられることはなかった。発売直後から指摘されていたことであるが、「センサーの陳腐化」にともないレンズ資産を失うという問題がネックとなったのである。いまのデジカメのセンサーは2〜3年で進化している。つまり2〜3年するとセンサーは旧式なものとなる。しかし、センサーとレンズが一体化しているのでセンサーだけを最新型のものに交換することができない。X-T1をX-T2に、α7Ⅱをα7Ⅲに買い換えればセンサーは最新型のものになる。その場合レンズは従来所有していたものを使用することができる。しかし、GXRの場合ボディには撮像センサーは搭載されていないのでボディを新型に買い換えることによってセンサーを最新型のモノに変更することができない。

私は初めから「レンズ固定式カメラ」を買うつもりで購入した(だからボディも2台購入して"こういう使い方"をした)。この当時、デジタルカメラやパソコンは3〜4年で買い換えるモノだと考えていた。GXRが発売された2009年当時は、センサーの性能もまだまだ良くなっていく時代であったので3年も使えれば十分だと思っていた。しかし、GXR A12(28mm/50mm)の画質はいまでも十分鑑賞に堪えるレベルであると思う。

"4つのカメラユニット”"1つのレンズマウントユニット”を発売された。私は、A12 50mm F2.5 MACRO、A12 28mm F2.5、S10 24-72mm F2.5-44 VC、P10 28-300 F3.5-5.6 VCの4つのカメラユニットを購入したが、ほとんどA12 50mmとA12 28mmしか使わなかった。A16 24-85mm F3.5-5.5はかなり描写性能が高いと言われていたけれど大きいので買わなかった。友人である飯塚達央君がパンフレットの作例写真を担当したので付き合いで買おうかとも思ったがあのサイズはGXRの小型軽量というスポイルすると思い購入しなかった。

唯一の"レンズマウントユニット"というのは、センサーにM型レンズマウントだけがついていてレンズはついていない。LEICA M型マウントレンズを装着するためのユニットである。これはLEICA M型マウントレンズの愛好者に受けて売れた。当時LEICA M8が世に出ていたが高額で手を出せないカメラ愛好家が沢山いた。RICOH GXRのレンズマウントユニットはそういうMマウントレンズ愛好家に好評を博した。私もMマウントレンズをある程度所有しているのでこのユニットは購入しようかとも思ったが、当時はEPSON R-D1sを非常に気に入っていたのでこのレンズマウントユニットには手を出さなかった。

カメラユニットはA12 28mm F2.5が一番人気があった。スナッパーには50mmより28mmの方が使い易いからだろう。それにGR DIGITALの愛用者にとってはGRDがAPS-Cセンサーにグレードアップしたような感じもあっただろうから喜ばれた。しかし、私に言わせればA12 50mm F2.5 MACROが抜きん出て素晴らしいと思う。プロカメラマンには28mmの方が好きだという人が多かったが、私は彼らに向かって「君たちは分かってないね!」と嘯いた(その話は”このエントリー”の中に書いた)。A12 50mm F2.5 MACROユニットのレンズはとにかく秀逸である。私は当時のCANONやNIKONの50mmレンズより優秀だと思う。「まれに見る傑作」と言っても過言では無いと思う。AFが遅いし迷うことが多いので使いにくいが、ノンビリじっくり写真を撮る人であればいまでも使えるカメラである。

さて、そろそろバッテリーが充電されたかな? せっかくボディを持ってきたので何か撮ってみたいけれど外は雨。私は雨の日に写真を撮るのはわりと好きだけれど、今日のようにそこそこ強く降っている日に外に出て写真を撮る気にはならない。それじゃなくてもいまは写欲があまりない。

(2,146文字)

by dialogue2017 | 2019-02-28 16:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

誌上レッスン(17)

いまさらこんなことをやるとは思ってもみなかった(笑)。前回は昨年12月だよ。ここのところ一番ちょくちょくコメントをくれるfrom_vixen君が(さんはやめて全員君づけにする)が昨日アップしていた写真にコメントを入れた。それだけでは私が伝えたかったことが十分伝わらないかもしれないと思うのでこういう形で伝えることにした。本人からの承諾を得ず勝手にやらせて貰う(笑)。なお、元の写真のファイルサイズが792×526と小さいため、私がトリミングした写真は423×282とかなり小さなサイズになった。このブログに横位置の写真を掲載し、Retina Displayでぼやけて見えないようにするためには、長辺1600pixのファイルをアップしなければならない。と言うわけで、ぼやけた写真となるが、問題はモノクロ写真として見た場合、この写真のどこが一番「奇麗」なのかということなのでその点を見て欲しい。

from_vixen君の写真(ブログから拝借してそのまま掲載)。この写真は悪くない。構図として自然であるし安定している。ハイコントラストモノクロームなので「ノイズ」を載せたらもっと良いと思う。

追記。iPhineで見るとなかなか素敵な写真だ。小さいディスプレイだと解像度不足がわからないから。もう一つ理由があった。iPhoneのディスプレイ輝度を少し落としてあった。そのため真ん中奥のハイライトが弱く見えたのである。あそこが明るいと写真が落ち着かないのである。ハイライトが抑えられているとこの絵柄でも手前のシャドーに目が行く。写真って、ほんの僅かな差で違って見えるのである。

誌上レッスン(17)_e0367501_13021838.jpg

私は上の写真に対して次のようなコメントを差し上げた。

モノクロらしい写真だと思います。
僕も、駅のホームとかを撮るのは好きです。
悪くない写真ですが、まんなか奥のハイライトが目立ちすぎますね。
ホームの端のハイライトは影もあって奇麗ですが、
一番綺麗なのは手前のシャドーのグラデーションです。
この場合はちょっと難しいかと思いますが、
奥のハイライトを外して撮ったらもっと素敵な写真になると思います。
例えば、後ろ姿の女性をクローズアップして撮るとか。

コメントをするときやコメントに返信する際には「脊髄反射」的にサッと書いて送信してしまうので文章的に荒く意図が十分伝わらないような文章になってしまうことが多い。まあ、言いたいことは伝わっていると思うが、本人がトリミングをしてみなかった場合、具体的なイメージとして理解出来ないと思うので、トリミングしたモノを下に掲載する。私が実際に撮るとしたらこのアングルでは撮らないが、元ファイルからトリミングする以外に方法がないのでやむを得ない。だから「構図」ということは棚上げにして、「どういう風に光を捉えるか」という点でのみ見て欲しい。かなり輝度差の大きいところを撮っているためシャドーが潰れているので、少しだけ起こした。

誤解を避けるため書いておくが、元の写真はあれで構わない。下の写真のような構図には無理がある。駅のホームの写真を撮ったのだから、上の写真のような撮り方が「まとも」である。だから、この話は「構図」ということについては完全に棚上げして考えて欲しい。つまり「光の捉え方」についての話だと理解して欲しい。こんな風に人物をを上の端に入れて撮るというのは写真のバランスを悪くするし、右側の売店と人物を入れると写真が五月蠅くなるので外して撮った方が良い。売店まで入れてトリミングした理由は、そこまで入れないと手前のシャドーのグラデーションの幅が狭くなるからである。この後ろ姿の女性を中心に撮るとした場合、五月蠅いモノを外してシンプルに撮った方が良い。

誌上レッスン(17)_e0367501_13083531.jpg

構図としては右側は切った方が良い。もちろん、こんな撮り方をしたのでは上が窮屈で絵になっていないが、私がfrom_vixen君に伝えたいのは、この写真は手前のシャドーのグラデーションが一番綺麗な部分だと言うことである。

誌上レッスン(17)_e0367501_13170995.jpg

実際にこの場所で撮るとしたら手前のシャドーメインの写真は構図的には難しいかもしれない。ただ、モノクロ写真としては手前のシャドーのグラデーションが「美味しい」ことを理解しておいて欲しい。こういう風に見せたらそれが良く伝わるだろうと思う。

誌上レッスン(17)_e0367501_13261598.jpg


by dialogue2017 | 2019-02-28 14:00 | 誌上レッスン | Comments(2)

"このエントリー”に掲載した写真に対してshi-photo君から次のようなコメントを頂いた。ちなみに、この写真は現在shi-photo君が愛用しているRICHO GXR A12 50mm F2.5 MACROで撮影した写真である。

こういう素敵な写真を見ると、いくら同じカメラを使っていても、より高い最新式カメラを使っても、自分には撮れないなと思います。撮影者の物の見方、技量があってこそ、カメラも活きるというものですね。

自分で言うのもなんであるが、確かにこの写真はとても綺麗に撮れている。しかし、ただ単に花の前にしゃがみ込んでレンズを花に近づけてシャッターボタンを押しただけなのである。露出補正さえしていないので本当にただ撮っただけである。しいて私が選択したことを上げればF5.6という絞り値を選択した事くらいである。綺麗な写真になった理由は二つあって、「奇麗な光が当たっていた」ことと「カメラとレンズの性能が良い」ことである。この写真に関して言えば「技量あってこそ」ではないと言って良い。

ただ花の前にしゃがみ込んでレンズを向けてシャッターボタンを押しただけなのだから「技量」などと言うものはまったく無関係である。何かにレンズを向けてシャッターボタンを押すだけなら誰にでもできる。そういう作業は「技量」ではない。shi-photo君が「自分には撮れない」と思う写真を私はいとも簡単に撮った。そもそも、私がこのブログに掲載している写真の少なくとも90%はただシャッターボタンを押しただけの写真である。私がスナップしているシーンの動画を撮影して公開したら、あまりに無造作に、しかも瞬時に撮っていることに驚くと思う。私はあまり丁寧に撮らない。立ち止まって1〜2秒で撮り終えることがほとんどである。撮ったあとは背面モニタで画像を確認しないで歩き出す。もちろん、時々は3〜4秒掛けて撮るときもあるが、ほとんどの写真は立ち止まって1〜2秒で撮っている。

shi-photo君と私の何処が違うのかというと、shi-photo君が書いているように「物の見方」である。しかし、実際には私はただたんに自分が「いいな」と思ったモノにレンズを向けて撮っているだけである。まあなにを「いいな」と思うかが「物の見方」と言うことになるわけであるが、それも簡単なことで「奇麗な光が当たっているモノ」である。この写真はたまたま玄関を出たときに目に入り、「ああ、奇麗に咲いているな〜」と思って撮ったというだけのことである。"こんな風に"自宅の猫の額ほどの庭の隅っこの日陰に咲いていたのだが、この花の部分には木漏れ日が当たっていた。そう、私は「木漏れ日」の当たっている花をよく撮るのである。時には、「木漏れ日」そのものを被写体として撮ることもある。(注)上の"こんな風に”をクリックして表示される写真は日陰になってしまったあとに撮った写真であるため「木漏れ日」は当たっていない。

写真は「陰影」があるものが美しい。谷崎潤一郎に『陰影礼賛』という随筆がある。それについて説明を書こうと思ったのだが内容を良く覚えていない(笑)。でネットで検索したらwikipediaに次のようにあった。

『陰翳礼讃』(いんえいらいさん)は、谷崎潤一郎の随筆。まだ電灯がなかった時代の今日と違った日本の美の感覚、生活と自然とが一体化し、真に風雅の骨髄を知っていた日本人の芸術的な感性について論じたもの。谷崎の代表的評論作品で、関西に移住した谷崎が日本の古典回帰に目覚めた時期の随筆である。

西洋の文化では可能な限り部屋の隅々まで明るくし、陰翳を消す事に執着したが、いにしえの日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ映える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の美意識・美学の特徴だと主張する。こうした主張のもと、建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装の色彩など、多岐にわたって陰影の考察がなされている。この随筆は、日本的なデザインを考える上で注目され、国内だけでなく、戦後翻訳されて以降、海外の知識人や映画人にも影響を与えている。

これを読んでも『陰影礼賛』を読んだ記憶が蘇らなかった。たぶん、ペラペラとやっただけだったのだろう(笑)。いや、熱心に読んだ本でも内容をすっかり忘れてしまっていることは珍しくない。いずれにしろ、私は谷崎からなんの影響も受けなかった。若い頃にはこういう話には関心が無かった。多くの場合、人が「風雅」を理解するのはある程度年をとってからである。まあ、人によりけりであるが、私の場合そういう感覚が顕著になったのは40を過ぎてからのことであった。

と書いて気がついたが、私が写真を撮り始めたのは2003年の秋からであったのだが、当時私は46歳であった。おそらく、26歳の時に写真を撮っていたしたら46歳の私とは随分と違った写真を撮っていただろうと思う。おそらく、花の写真なんてまったく撮らなかったのではないかと思う。

話を戻すが、写真は「陰影」のあるものが美しいと思う。しかし、いかにも「光と影」を撮りましたという写真は、見る者に対して「わざとらしい」という思いを抱かせる。上手に撮れていればそういう写真も悪くはないが、そういう写真ばかりを並べられたら「げっそり」するだろうと思う。日本人の感性として「さりげなさ」を愛するということがある。今の時代にあっては「古い日本人」に属する世代となった私にはそういう感覚がある。いや、私は若い頃から「さりげなさ」に美を見出していたと思う。私は「顕示的」なモノがきらいであった。「ブランド品」などは大嫌いであった。中身が「空っぽ」な人間が己の「空疎さ」を隠蔽するために欲しがるモノが「ブランド品」であると思っている。

私は「さりげない陰影」を撮るのが好きだ。と言ってそういう「陰影」ばかりを探して撮っているというわけではない。私は何でも撮る。いろいろな物を撮るし、光に拘らずに撮ることも少なくない。ただ、花の写真を撮るときには「さりげない陰影」で撮ることが好きだしそういう写真をとることが多い。もちろん、陽が当たっている花を撮ることもあるし、逆光の透過光で撮る花もとても美しいと思う。しかし、一番好きなのは「さりげない陰影」の中に咲く花である。

以上の話を読んでいただいた上で"この写真”を観て貰うとこの花を撮った時の私の「狙い」を理解して貰えるだろうと思う。十分に「光」を感じる写真であるが、実際には光が当たっている部分はとても少ない。花ビラの白っぽい部分にだけしか光は当たっていなくて、写真のほとんどの部分は「日陰」である。しかも、当たっているのは「柔らかい」木漏れ日なので「光と影」のコントラストは強くない。つまり、「さりげない陰影」なのである。私は、そういう光の中に咲いている花を見つけて撮ることが多い。目を皿にして探して歩くわけでは無い。散歩をしているとそういう花が目につくのである。人は自分が好むモノを見つけるようにできているから。

下の写真はこの「古いレンズで撮った写真」(2)(3)(4)と同じく2017年11月7日に撮影した写真である。自宅近所を短い時間散歩して、S-Planar2,8/60で次々と撮っていった写真の中の一枚である。私はこういう「なんでもない」写真をよく撮る。こういう「平凡」で「優れたところがない」写真が好きなのである。写真にしてしまうと「面白くもなんともない」が、散歩中に肉眼で見たときには奇麗だと感じる。秋の暖かい陽射しに照らされた花は美しい。美しいと思うから撮る。写真になってしまうと実際に見た時の美しさは失われているが、この写真を見たとき、私の頭の中では実際に見た光景が再現される。だから、写真というモノは「撮影者のモノ」なのだと私は思う

それにしても、花の写真の撮り方で谷崎潤一郎の話が出てくるブログなんてこのブログぐらいだろう(笑)。

下の文章は下の写真の初出時に書いた文章である。

今日は立冬だというのに20℃を超えるぽかぽか陽気だった。ちょうど開花期で散歩中あちらこちらで野菊を見かけた。しかし、日当たりの良いところに咲いているケースがほとんどで写真にならなかった。直射光を受けている花の写真はあまり撮らない。こういう平凡な写真が好きだ。ちなみに、ここでアップを撮るとしたら、右下の5輪か、その直ぐ上。半分以上日陰になっている部分を撮る。

(3,084文字)


陰影礼賛 (日本的美意識)_e0367501_11362740.jpg


by dialogue2017 | 2019-02-28 12:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

こういう写真は、葉に対して正対し、葉の中央付近にピントを合わせ、もう少し絞って葉全体にピントが合うように撮った方が見栄えの良い写真になる。そんなことは承知であるが、意図的に葉の先端(下の方)にピントを合わせて開放で撮っている。撮影の動機は「綺麗な写真」を撮ることではなく、レンズの描写の特徴を楽しむコトだからである。大口径レンズは絞り開放で撮ったときが一番楽しい。絞り込んでしまうと特徴がはっきりしなくなる。開放で撮るとやや甘さが出るレンズがある。昔のレンズにはそういうレンズが多かった。わたしはその「甘さ」が好きなので「レンズ遊び」するときには開放で撮る。この葉は、くっきりした葉脈によって10に区切られているが、私は下の3つの部分だけにピントが来るように撮っている。葉の先端部分と右側の虫食いの「穴」あたりの写り具合が素敵だと思う。写真を撮ることはたんなる遊びなのである。※写真下に本文。

追記。この写真を「奇麗に」撮ろうと思ったら、左下に写っている枯れた細い茎と、葉の下に写っている茎を除外してから撮る。こういう写真を本当に奇麗に撮ろうと思ったら小さな剪定ばさみを持って歩くだろう(そういうことをやったことはただの一度も無い)。これは雑木林で撮っているので茎の1本2本切り取ったとしても問題はない。奇麗な写真を撮ろうと思ったら「余分」なものを外すことが重要なのである。


古いレンズで撮った写真(7)_e0367501_10015265.jpg


(5)(6)は2017年8月12日に自宅近くの公園で撮った写真。(6)を先に撮り(5)はその15秒後に撮った。調べてみたら、自宅周辺で9分間に24枚の写真を撮っている。(1)も同じ日に撮っていて(6)より1分ほど前に撮っていた。(2)(3)(4)(6)、そしてこの(7)は2018年11月7日に撮った写真である。こういう写真を撮っている時の動機というのは、久しく使っていなかったレンズを使って遊んでいるのである。きちんと写真を撮ろうと言うつもりはなく、ただそのレンズの「描写」を見て見たくて何でも良いのでテキトウに撮っている。そういう場合に撮るのはだいたい花である。自宅近所にそれほど沢山の花が咲いているというわけではないが、花の咲く庭木を植えている家というのはそこそこある。撮っている花の多くは民家の庭先に咲いている花か、公園に咲いている花である。

そういう花を奇麗に撮るのは意外に難しい。というのは自由なアングルから撮影することが出来ないからである。よそのお宅の庭に咲いている花であるから、道路から撮るしか無い。花の写真はちょっとアングルを変えるとかなり雰囲気が変わる。ポートレートでも同じであるが、マクロレンズで花を撮る場合はアップで撮るので僅かなカメラアングルの違いでかなり雰囲気が変わる。花も本当に奇麗に撮ろうと思ったら沢山咲いているところに行くのが良い。自宅から車で20〜25分ほどの場所に「昭和記念公園」がある。非常に大きな公園で季節季節にいろいろな花が沢山咲いている。子どもが小さい頃にはよく遊びに連れて行き、合間に花の写真を撮ったりしたが、もう4年ほど行ったことが無い。

公園に咲いている花の場合カメラアングルが限定されることは少ない。度の方向からでも撮れることが多い。しかも、花の数が多いので咲きっぷりの綺麗な花を選ぶことができるし、奇麗に光が当たっている花を選んで撮ると言うこともできる。住宅街である自宅周辺を10分20分散歩をして花を撮る時にはあまり自由には撮れない。しかし、初めから奇麗に撮ろうなどと言うことに対する執着はないのである。使っていないレンズを久しぶりに使う時というのはとても新鮮な気持ちになる。撮っているだけで楽しい。1枚の写真として奇麗に纏まらなくて、その写真のどこか一部にそのレンズの特徴がはっきり写ればそれで楽しいのである。

自宅周辺などで花の写真を撮っていて一番困ることは「背景の処理」である。まず、綺麗な花が咲いていても背景が「きたない」ということがよくある。民家の庭先に咲いている花を撮ることが多いためである。花の直ぐ脇に柵があったり、花の後が「家」であったりすることが少なくない。しかし、背景を選んでいたら(ある程度は選ぶが)撮れる花なんてなくなってくる。だから、背景があまり奇麗じゃなくても撮る。自分が狙ったところが「きれい」に出てくれればそれで良いのである。

by dialogue2017 | 2019-02-28 10:00 | | Comments(0)

安達ロベルト写真展

安達ロベルト写真展「Five Seasons」2019年2月20日〜3月9日(土) 15:00〜21:00 日月火旧廊 Kiyoyuki kuwahara AG

ルーニィ企画展 安達ロベルト × 塚越菜月 Quotations 2019年3月5日(火)- 10日 12:00-19:00(最終日16:00まで) Roonee 247 fine arts


安達ロベルト写真展_e0367501_18585412.jpg



by dialogue2017 | 2019-02-27 20:00 | お知らせ | Comments(0)

これも(5)に載せた写真と一緒に12月に掲載した写真。この写真もPlanar2/135(Y/C)で撮影している。自宅の直ぐ近くの公園で撮った。1枚しか撮らなかったが奇跡的にジャスピン。絵柄的には面白くもなんともない写真であるが、レンズの素晴らしさは十分に伝わると思う。一番の特徴はボケがとてもなだらかに柔らかくボケていくこと。そして、ピントが合ったところが浮き上がるような描写をすること。このレンズも40年ほど前のレンズであるが、現行のEマウントPlanar1,4/50やDistagon1,4/35に遜色ない描写力だろうと思う。レンズの描写性能は目を見張るものがあるが、初代のα7がこれだけ奇麗な絵を出すことも伝えたい。


SONY α7 + Carl Zeiss T* Planar2/135(Y/C)

古いレンズで撮った写真(6)_e0367501_16153826.jpg

by dialogue2017 | 2019-02-27 18:00 | | Comments(4)

この写真は昨年末「SONY α7(初代)」で撮った写真がどれほど奇麗かという話を書いた際に何枚か載せた写真の中の一枚なので記憶に残っている人もいるだろうと思う。このレンズはほとんど使ったことが無い。というのは、ピントが浅くて手持ちではほとんどピントが合わせられないからである。こんな風に花を撮ってみ素晴らしいのだけれど、使うなら人物写真を撮るために使いたい。しかし、子どもは絶えず動いていてじっとしていることが少ないので開放でピントを合わせるのはほとんど不可能に近い。もちろんある程度絞り込めば誤魔化しはきくが、絞ってしまったのではこのレンズの最高の持ち味が生かせない。と言うわけで、ほとんど使ったことが無い。もし、大人の女性にモデルになってもらい、カメラを三脚に立てて「ピント拡大」機能を使ってピント合わせして撮影したら、かなり凄い写真が撮れるだろうと思う。

SONY α7 + Carl Zeiss T* Planar2/135(Y/C)  残寝ながら2mmほど後ピン

古いレンズで撮った写真(5)_e0367501_16114573.jpg

by dialogue2017 | 2019-02-27 17:00 | | Comments(0)

これもS-Planar2,8/60で撮った写真。初出時のコメントは以下の通り。丸一年以上使っていないがマクロレンズは楽しい。

散歩しながら乱雑に撮っているだけだからこの程度だけれど、このレンズで真剣にじっくりと撮ったら良い写真が撮れるだろう。マクロレンズはいろいろな撮り方が出来るが、作品を撮るなら背景に入れる色がポイントだと思う。そのうち一度見本を撮ってくる。これも紅葉(笑)。

古いレンズで撮った写真(4)_e0367501_10243025.jpg



by dialogue2017 | 2019-02-27 16:00 | | Comments(0)

(2)の写真のRawファイルをVelviaで現像・レタッチしてみた。(2)は5:7に切ったがこちらは2:3のまま。ハイライトはギリギリ255にした。PROVIAとVelviaの違いは大きい。S-Planar2,8/60というレンズ自体がこってりした感じの絵を出すことが多いのでVelviaにするとかなりインパクトの強い写真になる。花の写真の場合こういう高彩度の写真もありだとは思うが私は断然PROVIAの方が好きである。ただし、桜の場合Velviaの方が美しい。FUJIFILM Xシリーズのカメラの「フィルムシミュレーション」はとても楽しい。

古いレンズで撮った写真(3)_e0367501_10150640.jpg

この写真はマクロレンズで寄って撮っているからこういう写真になるのであるが、撮っている場所は下の写真のような場所である。我が家の猫の額ほどの庭の片隅である。一番手前の日陰に咲いている花をアップで撮った。この花が上の写真のように鮮やかになるのだから写真は面白い。

古いレンズで撮った写真(3)_e0367501_10183781.jpg


by dialogue2017 | 2019-02-27 14:00 | | Comments(5)