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カテゴリ:スナップ( 993 )

「平凡な写真」が好きだ。"美しい風景"や"あざやかな花”を撮ったわけではなく、"奇麗な光"を撮ったわけでもない写真。大口径レンズのうっとりするような"ボケ表現"も使わない絞った写真。"色の鮮やかさ”がある訳でもない写真。撮る時の意識においても「タダなんとなく撮った」写真。ほとんどなにも考えず「習慣」で撮った写真。人目を引きつけるような要素のほとんどない写真。ブログに掲載しても「いいね!」が付かないような写真私はそういう写真が好きである。

下に掲載した写真は3日前に一度掲載した写真である。22日に茅野から東京に帰ってくる途中ランチを食べに寄った店の入り口を撮った写真である。妻が会計をしている間に私は先に入り口を出てこの写真を撮った。「ただなんとなく撮った」写真である。最初、右の通路を歩いている男性が通り過ぎるのをも待ってから撮ろうかと思ったが面倒なのですぐにシャッターボタンを押した。なにも考えずに撮っているのだけれど、頭の奥の方では「ここにこの男性がいる方が写真としては"安定”する」と判断したのだろう。絞りはF5.6。これもシャッターボタンを押す直前に選んでいる。つまり、実際には「なにも考えずに」撮ったとは言えない。しかし、全ては一瞬のことで自分の意識としては「なにも考えずに」撮った写真である。ようするに「ほとんどなにも考えず『習慣』で撮った」と言うことである。

なんの変哲もない写真である。私は日常的に立ち寄った先の写真を撮っているので撮ったと言うだけに過ぎない。冒頭の"青字”の部分に書いたとおりの写真である。私はこういうなんの変哲もない平凡な写真が好きである。

話しのついでに触れておくと、私が50mmレンズを常用する理由は35mmだとあまりになにも考えずに撮ってしまうのでそれを避けるためという理由があるが、もうひとつ大きな理由として35mmレンズは「パース」が付くのでそれが嫌なのである。この写真もほんとんど「直線」で構成されているので「パース」が目立つ。こういう写真を撮るとき、私は50mmで引いて撮る方が好きである。しかし、最近50mmを使わなくなった。引くのが面倒になってきたからだ。それくらい写真を撮ることが「面倒」になってきているのである。その結果、iPhoneがメインカメラになった。

3日前にこの写真を掲載したときにはハイライトを少し落とし(-3)、「黒レベル」を少し下げた(-2)。どちらもほんの僅かなので撮りっぱなしと比べて大きな変化はないが、全体として幾分アンダー気味に仕上げた。今回は、ハイライトを少し持ちあげ、「黒レベル」を若干上げた。ようするに「撮りっぱなし」に近い状態に戻したのである。ただし、撮りっぱなしファイルとおなじになったわけではない。前回より若干明るくしてみたと言うことである。

ほんの僅かな違いなのだけれど、前回は「シャドー」を見せるレタッチで、今回は「ハイライト」を意識したレタッチである。たんに「遊んでいる」だけなのだけれど、こういう微調整を楽しむことはトーンの出し方の「勉強」になる。だから、初級・中級レベルの人はこういう「遊び」を沢山やった方が良いと思う。私はあくまで「遊び」でやっている。眺めていて思ったのだけれど、こういう写真の場合通路の奥の「空」は飛ばしてしまった方が良いような気がする。プリントにするとしたらまた話は別であるが、ネット上で見せるのであれば飛んでいる方が奇麗に見えるかもしれない。ブログに写真を掲載することの一つの意味は、自分が撮った写真を「点検」することだと思う。

絞っても”カリカリ"した描写にならないレンズだ。どことなく"ウェット”な雰囲気のある絵にしてくれる。来年は「スタンダード」回帰かな。

SONY α7Ⅲ + Carl Zeiss T* Distagon FE 35mm F1.4 ZA ISO400 F5.6 1/125 ±0EV WB-マニュアル(5500KB)JPEG-スタンダード

自分が撮った写真を点検する_e0367501_12013775.jpg

by dialogue2017 | 2019-12-26 15:00 | スナップ | Comments(0)

標本(5)

やっと良い雰囲気の写真が出てきた(笑)。犬も歩けば棒に当たる。Quattroも撮り続ければ絵になる(笑)。説明しなくてもわかった人がいると思うが、この写真は上を半分近く切っている。真ん中の上の方に太陽を入れて撮影していて、その周辺は完全に破綻した写りになっている。撮影したとき、この下の部分がどんなコントラストで出てくるのか、どんな雰囲気に写っているのかに興味があった。新しいブログの"ヘッダー画像”として使おうかな(笑)。実は「山小屋」周りをdp Quattroで撮影した写真だけを掲載するブログをやってみようかなどと思っている。

標本(5)_e0367501_22181633.jpg

by dialogue2017 | 2019-12-19 23:40 | スナップ | Comments(0)

標本(4)

ちょっとアングルを変えて太陽を外して撮ってあげればほら、キッチリ写る。「森」の雰囲気がとても良く出ている良い写真だと思う。撮影をしていたときはただ闇雲に撮っていた。バシャバシャと撮っていくのであまり考えて撮ると言うことはしない。そもそも「目的」があって撮っている訳では無いのだから考える必要がない。目的な「撮ること」自体なのである。なんの目的もなしに撮ってきた写真をあとからレタッチしてなんらかの「雰囲気」を出してみると言うことが面白いのである。そういうことを積み重ねているといろいろなコトがわかってくる。

標本(4)_e0367501_22073902.jpg


by dialogue2017 | 2019-12-19 23:20 | スナップ | Comments(0)

標本(3)

自分の背中より後に太陽を置いて撮らないとまともに写らないカメラである。まして画角の中に太陽を入れようものなら、ゴーストとフリンジが盛大に出て完全に破綻した写真になってしまう。この写真は太陽を入れて撮っている割にはかなり奇跡的に綺麗に撮れている。16:9に切ったのは雰囲気を見たかったから。ただし、左を落とさないと安定感は出ない。この写真が「標本」である理由は、私は"ある一部分”の描写だけを見ているからである。1枚の写真としてはどうでも良いのである。おおきな興味のひとつは「ハイライト」の出方。

標本(3)_e0367501_21544311.jpg

by dialogue2017 | 2019-12-19 23:00 | スナップ | Comments(0)

標本(2)

もはやなにが写っているかなんてどうでも良い。そもそも撮りたいものなんてないんだ。カメラを持ってブラブラ歩くのが好きなのである。なにを撮るかなんてどうでも良くて、ただシャッターボタンを押していれば楽しいのである。こんな写真を撮ったことなんて100%忘れていた。「なんのために撮ったのか?」という問いは成立しない。「撮るために撮っている」だから。カメラやレンズのテストをしているわけでもない。なんとなく面白いから撮っていると言うだけである。格好良い写真を撮りたいなんて全く思っていないし、綺麗な写真を撮ろうと思って撮っているわけでも無い。ましてや「芸術的」な写真を撮ろうなんて思いは欠片も無い。写真が芸術的であることになんの意味も感じないし。で、なんで撮っているのか良く考えてみて思い浮かんだ答えは、このカメラが出す「絵」に興味があると言うことだ。とても面白いカメラだと思う。

標本(2)_e0367501_21430845.jpg

by dialogue2017 | 2019-12-19 22:30 | スナップ | Comments(0)

標本(1)

なにがどうというわけではない。つまらない写真である。「絵」としてはどうでもいい。ただ、このカメラのニュアンスが出ていると思ったので「標本」にしておきたいと言うことである。このブログは自分自身が見るためのブログなのである。

標本(1)_e0367501_21250505.jpg

by dialogue2017 | 2019-12-19 22:00 | スナップ | Comments(0)

玄関前がこの光景

11月24日11:23に山小屋玄関前から少し俯瞰で撮った写真。覚えていないけれど多分-0.33EVの補正を掛けて撮っていると思う。リサイズした後に「自動コントラスト補正」を掛けただけ。僅かにコントラストが高くなり撮りっぱなしより若干締まった感じはするがほとんど変わっていない。解像感がもの凄く高いカメラなのだけれど、リサイズしてブログにアップしてしまうとその片鱗さえ失われてしまう。何度も書いた話だし、知っている人も多いと思うが、Photoshopで開いた画像とブラウザで閲覧する画像の解像感はかなり違う。こんな写真は解像感がないとどうにもならない。ハイエストライトは254で止まっているので白飛びはしていないが(そのための-0.33EV)、ハイライトがモヤーッとしていて気持ちが悪い写真だ。嵌まるととんでもなく素晴らしい写真を出してくれるカメラだけれど、平均点はあまり高くない。それにしてもこの光景が玄関前(笑)。

玄関前がこの光景_e0367501_23513359.jpg

by dialogue2017 | 2019-11-27 00:00 | スナップ | Comments(0)

春先からなるべくSONY α7Ⅲを使うようにしていたためこの半年ほどFUJIFILMのカメラを使うことが少なかった。先日の友人との1泊旅行ではあまり写真を撮らないだろうことが分かっていたのでカメラは小型軽量なX-T20、レンズは便利な「キット」ズームレンズ1本にした。久しぶりにX-T20を使ってみてとても使いやすいと思った。小さくて軽いから扱いやすいと言う話ではない。撮影後の「手離れ」がもの凄く良いという意味である。つまり、Raw現像などする必要は全く無く、JPEG撮りっぱなしのファイルを簡単にレベル補正をすれば写真が仕上がるということを言っているのである。旅の友であった友人はプロフォトグラファー。しかも、カメラメーカー数社の仕事を沢山している写真家である。だから、彼は各社の最新のカメラやレンズについてとても詳しい。個人としても相当多数の最新モデルのカメラ、しかも高額なカメラを所有している。私と同じように、α7Ⅲを使っているしX-T3も使っている。CanonもNIKONもPENTAXも、そしてLEICAのカメラも使っている。

その彼が言った。「X-T3が一番楽ですね。事後処理に時間を使わなくて済みますから。JPEG撮りっぱなしでほぼ完成していますからね。α7Ⅲは確かにいい絵を出しますがJPEGでは使えないですね。Raw現像前提のカメラだと思います。α7Ⅲは手離れが悪い。依頼仕事での撮影はX-T3の方が断然が楽です」。100%同感である。私はFUJIFILMのカメラで撮った写真は撮影時の設定とは異なる"フィルムシミュレーション”を使いたい場合を除いてRaw現像はしていない。基本的にはJPEGを使っている。FUJIFILMのカメラのJPEG画像は非常に完成度が高い。写真家の渡部さとるさんは「Raw現像でJPEG以上の絵を作るのは難しい」と言っているが、飯塚達央君もX-T2を使い始めた直後に同じことを言っていた。その話しを今回の旅の友である写真家に話すと「僕もそう思います。Raw現像でJPEG以上の画像を作るのは大変です」と返ってきた。

私は「Raw現像」を否定しているわけでは無い。しかし、FUJIFILMのXシリーズのカメラの場合、"フィルムシミュレーション"さえ決まっていればRaw現像の必要はないと言っても過言では無い。Raw現像が必要になるのは撮影に「失敗」しているときか、とても難しいシチュエーションでの撮影で、初めからRawで調整することを前提としている時ぐらいだ。つまり、ほとんどの場合にはRaw現像の必要性はない。

「完全JPEG派」と言っても良い私であるが、α7Ⅲで撮った写真はほぼ100%近くRaw現像している。理由はとても簡単で「JPEG画像」がしっくりと来ないのである。そんなに弄るわけではないが、撮った後に「画像」を見て"クリエイティブスタイル”を選ばないとしっくりこないのである。つまりJPEGの「標準」の「絵作り」に魅力がないと言うことである。その点、X-T20の「PROVIA(STD)」には不満を覚えることはほとんどない。森などの「緑」の多い風景を撮った写真の場合、α7Ⅲの「風景」や「ビビッド」よりX-T20の「Velvia」の方が断然奇麗だと思う。「肌の色」も絶対にFUJIFILMのカメラの方が素敵だ。

じゃあ、なんのためにα7Ⅲを買ったのかというと、あの時は「最高のポートレート」を撮ろうと思ったからである。α7Ⅲの「画質」は「奥が深い」のである。Raw現像で「追い込んで」完成させるのがこのカメラを活かす使い方なのだと思う。だから、私は"スナップ”ではα7Ⅲの必要性をほとんど感じない。X-T20に「キットズームレンズ」で十分素晴らしい絵を出してくれる。ほら、"カタログ’の裏表紙みたいじゃないか(笑)。

もっと明るくして「靄った」感じを強調しても良いのだが、実際にはもっと暗くてドンヨリしていた。友人の車なのでナンバーは潰しておいた。


FUJIFILM X-T20 FUJINON XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS ISO200 F3.6 1/70 -0.67EV AWB JPEG-Velvia

Raw現像不要のカメラは素晴らしい!_e0367501_10342148.jpg


by dialogue2017 | 2019-10-15 14:00 | スナップ | Comments(2)

何の取り柄も無い写真

せっかくDistagon T* FE35mm F1.4 ZAを持って行ったというのに1枚も良い写真を撮らずに終わってしまった。まあそうなるに決まっている。今回は妻との「デート」だったわけで、写真を撮ることはどうでも良かった。「楽しい時間」を過ごすことが目的であって、写真を撮ることに集中することは全く無かった。一人の時も同じようなものであるが、連れがいると写真なんてどうでもよくなる(笑)。

最近Facebookにかなり沢山の投稿をしている。だから、写真はiPhoneで撮るのが一番便利。そのまますぐにアップできるから。X-T2・X-T20にしろα7ⅢにしろWi-Fiで簡単にiPhoneに写真をコピーすることが出来るけれど私はその作業がとても面倒に思える。そんなことをするよりiPhoneで撮ってしまった方が手っ取り早い。そんなわけで、最近の私の"メインカメラ”はiPhone8である。写真を丁寧に撮ることが「苦手」な私にはiPhoneが一番合っているかもしれない。シャッター「ボタン」を押す以外にやることが何もないから。レタッチだって、「自動補正」のボタンを押してお終い。レタッチアプリさえ要らない。Facebookに載せる写真なんてそれで十分。所詮「話のネタ」でしかないのだから。

さて下の写真であるが、江ノ電の「長谷駅」のすぐ近くで撮ったモノ。私は由比ヶ浜に行く際、「由比ヶ浜」駅から歩くこともあるし「長谷駅」から歩くこともある。このお店の前は数え切れないほど通っている。そのたびに1枚写真を撮っている。別になにがどうだというわけではないのだけれど、その日、その時間帯によって"トーン”が微妙に違うのが面白いから撮るのである。撮った結果の写真の話しではなく、肉眼で見たときに"トーン”の違いを感じるのである。この光景自体は「平凡」である。しかし、私は「平凡」な写真が一番好きなのである。

はっきり言って、何の取り柄も無い写真こそが私にとっては「理想」の写真なのである。取り柄のない写真であれば「どうだ、良い写真だろう」という匂いが漂うことがない。誰からも注目されない。そういう写真はただ自分が「いいな」と思って撮った写真である。それは私にとって「純粋」な写真だと言って良い。ただ通りがかりに一瞬脚を止めてシャッターボタンを押すだけ。そういう写真の撮り方が一番好きなのである。私にとって写真というモノは自分一人のための「絵日記」のようなもの。


何の取り柄も無い写真_e0367501_23440823.jpg


by dialogue2017 | 2019-10-15 02:00 | スナップ | Comments(2)