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建築

ここ最近、「建築」関係の書籍ばかりを読んでいる。なにか新しいことに興味を持つと取りあえずそのジャンルの書籍を10冊ほど読む。これはそう心がけていると言うことではなく、面白いので10冊ぐらい立て続けに読んでしまうということである。しばらくの間この「ブーム」は収まりそうもない。「火付け役」となったのは建築家の中村好文さんの著書『小屋から家へ』。

『小屋暮らし』は中村さん自身の「小屋」(別荘)についての話し。「水道」「電気」「ガス」を引かず、すべて”自給自足”で賄っている。「水」は「雨水」を集めて浄化して利用。「電気」は「ソーラーパネル」と「風車」で発電。「ガス」の代わりに「七輪」で「炭火」を起こして料理をしている。『小屋から家へ』『小屋暮らし』『パン屋の手紙』の3冊は抜群に面白かった。

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この小さな「小屋」についての話しが1冊の本になっている→ 『パン屋の手紙』← もの凄く面白かった。


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『集合住宅物語』に掲載されている写真を撮影したのは『Persona』『ぺるそな』で著名な写真家・鬼海弘雄さん。

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こういう図面を見ているだけでとても楽しい。アップしだしたら10枚20枚とアップしてしまうだろうから1枚で辞めておく。

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これは「茅野の家」の本物の図面である。こんなに小さい。ここをフルリフォームして増築までする予定であった。10月から工事に取りかかる予定であったが、直前に"大どんでん返し”があった。

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by dialogue2017 | 2019-10-11 17:00 | 読書についての話 | Comments(4)

私より下の世代の人々にはマルクスの著作を読んだことのある人は極めて少ないと思う。読んだことがあると言う人も、大学の授業の関係でい読んだとかいう動機であって、個人的にマルクスの思想に関心があって読んだという人は少ないだろうと思う。しかし、マルクスに関してはあらゆるところで「悪口」が語られているので、マルクスと聞いてイメージが全く無いと言う人も少ないかもしれない。マルクスと言えば「共産主義革命」の提唱者で、ソビエトや中国や北朝鮮のような独裁国家を生み出した「元凶」だというイメージである。

確かに、「共産主義」思想の元祖がマルクスであることは間違い無いし、マルクスは「プロレタリアディクタトゥーラ(プロレタリア独裁)」という言葉を使ったが、それは共和制ローマの「ディクタトル(独裁官)」を揶揄するような文脈においてのことであって、マルクスが目指したのは「労働者階級による権力の掌握」であり「プロレタリアートによる政治支配」であって「独裁」ということが「目的」として強く語られたわけでは無かった。そんなことはどうでもいい。マルクスの「弟子」であるレーニンがロシア革命を行って「プロレタリア独裁政権」を打ち立て、それがレーニンの「後継者」であるスターリンによる暗黒の独裁政治になったことは歴史的事実である。中国では毛沢東の独裁政権が続いたし、いまは習近平の独裁政権である。個人による独裁の度合いがどの程度であれ「共産党独裁」は揺るぎないものである。それらの「共産党独裁」政権はみな「マルクス主義」を標榜してるのであるから、マルクスが「独裁」の元凶だと認識されることはやむを得ないと言っても良いだろう。

しかし、"このエントリー”で紹介した池田信夫が語るように、真実のマルクスは世間で認識されている作り上げられた「虚像」とは大きく異なる思想を持っていた。マルクスは否定的意味合い以外では「社会主義」を語ったことは無いし、ソビエトや中国などの社会主義国がその前提とした「生産手段の国有化」を語ったことも無い。マルクスは『資本論』の著者として有名であるが「資本主義」という言葉も使っていない。思想が熟成した晩年には「共産主義」という言葉もほとんど使わなくなり、「自由人のアソシエーション」という言葉を使った。

私はあまりにも「誤解」されているマルクスを弁護しようというのでは無い。別に、多くの人々にマルクスが「悪の元祖」であると思われていても構わない。だいたい、私がこんなところで弁護したところで読んだ人間の認識が変わるわけでも無い。そもそも、マルクスになんてまったく関心が無いだろう。ほとんどのことはそうなのだが、私は他人がどうであろうとまったく構わない。

私にとって重要なことは私自身がどう考えるかであり、どう生きるかである。

私は、息子や娘に自分と同じような思想を持って欲しいとさえ思っていない。況んや、赤の他人がなにをどう考え、どう生きようと私には関係の無いことである。私には何人もの深く共感し合い信じ合える友人がいる。希有なまで深い紐帯で結ばれた「同志」がいる。社会の多数派である「大衆」がなにを考え、どう感じているかということは差し当たっては私の関心の外側のことである。

若い頃、私は「マルクス主義者」であった。しかし、マルクス主義と決別してもう長い年月が過ぎている。いまではマルクスの構想した「自由人のアソシエーション」というもの、つまり初期の頃にマルクスが「共産主義」と呼んだ人間が完全に平等となり搾取も抑圧も差別も戦争もない理想社会が「幻想」に過ぎないと考えている。そう考えるようになってすでに久しい。だから、今更マルクスの思想に執着する気持は全く無いし、ましてや、「マルクスを読んだ方がいい」と他人に勧める気持は寸毫も無い。だいたい、読んでも理解出来ないだろう。

他人に勧める積もりが無いどころか、私自身今更マルクスを再読しようなどとは思っていなかった。しかし、数日前に、1階と2階の階段の踊り場に設置してある書棚に目をやったとき、なんとなく池田信夫の『資本主義の正体』に手が伸びた。2015年に読んだ本だが4年ぶりに再読したら面白かった。で、「初期マルクス」を少し再読してみたい気になった。私は10代の終わりに読んだ『経済学・哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』から多大な影響を受けた。この2冊のマルクスの著書を読んで世界観が変わった。人間と社会が違う色に見えた。私はこの2書から巨大な影響を受けた。

この2冊の本は私という人間の「世界観」の骨格を作り上げた。人間が一切の非人間的なくびきから解き放され、真の「自由人」として自己実現を勝ち取る世界。それがマルクスが展望した世界であった。私はそのような世界に強い共感を覚え、その実現のために人生を賭けようと思った。私が10代の終わり頃にはすでに学生運動は衰退し、「共産主義」思想も地に落ち始めてはいたが、まだマルクスは輝きを失っていなかったのである。極少人数ではあるが、私の同世代には私と同じような人生を歩んだ人間がいる。

『経済学・哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』の2冊を再読してみようと思った。60代となった今読んだらどういう風に読み取るかに興味を持ったからである。しかし、Facebookにあれこれ投稿している内に、いま『マルクス・エンゲルス全集』はいくらぐらいで手に入るのか興味を抱き、ヤフオクで調べてみたら驚くほど安くなっていた。いくつかの出品の中に事実上ほとんどページが開かれたことの無いような「美本」のものがあった。とても安かったので入札したところ落札した。

いままで、『マルクス・エンゲルス全集』を全巻読んでみようなどという「馬鹿げた」ことを考えたことは一度も無い。そういうのはつまらない「憧れ」に過ぎないと思っていた。そんなものはLEICAのデジカメに憧れるようなレベルの話しだと思っていた。全集なんて読んだって分かりっこないのだ。しかし、理解しようと思って読んでも理解し得ないが、ひとつの「読み物」としてなら読み通せると思う。と言うわけで、来年1月から2週に1冊のペースで丸2年掛けて『マルクス・エンゲルス全集』全54巻を通読してみることにした。極めて「酔狂」なことだと思う。しかし、冥土の土産として読んでみようと思ったのである。

この先どれくらい生きていられるか分からない。何冊本を読めるか分からない。読みたい本は山のようにある。もし、そういうことが可能なら毎日10冊だって本を読みたいと思う。しかし、現実には残りの人生で読める本の数などたかがしれている。もしかしたら、あと2年3年の内に死んで行くかもしれない。だとしたら、もう本を読むことに対して強いこだわりを持っても仕方ないような気がする。だから『マルクス・エンゲルス全集』なのだ。本を読むと言うことへのこだわりを捨てても良いと思ったから読んでみようと思ったのである。全54巻を読破するつもりである。

今日の午後、「ゆうパック」で届いた『マルクス・エンゲルス全集』全54巻。3つの段ボールで届いた。届いたのは良いが、収納する書棚が無い。まあ、ついこの間まで書斎にはこのサイズの段ボール箱が20箱以上積み重なっていたのだから、3箱なんてあってないようなモノだ(笑)。とは言え、段ボール箱の中から1冊ずつ取りだして読んでいくというのもなんなので、年内の内に収納場所を作って上げようと思う。

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本の外ケースは多少色汚れがあったりするが、中の本は一度も開かれてことが無いかのように奇麗である。

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21巻を抜き出して奥付を確認したら「1991年5月31日第25刷発行」とあった。29年前に発行された本がほとんどまったく劣化していないのにも驚いたが、「25刷」まで発行されていたことにも驚いた。「憧れ」で買って書棚に「飾って」いた人が沢山いたんだろう。25刷までの間に全巻読破した人なんて指折り数えるほどしかいないだろう。

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1冊700ページほどで二段組み。文字は小さめでどのページを開いても文字がびっしり詰まっている。2週に1冊のペースというと簡単そうだが、外国語を読んでいるほど難解な内容である(それでもヘーゲルよりマシ)。14日間のうち本を読めない日もあるから、実質10日で1冊のペースになるだろう。1日70ページ。丸2年間、来る日も来る日も毎日マルクスを70ページ読み続けるというのは間違い無く「苦行」であると思う。初期マルクスならいざ知らず、「資本論」であるとか「剰余価値学説史」とかは面白いとは思えない。しかし、「苦行」であるからこそ読んでみようと思うのである。ようするに、私はすこし「変人」なのである(笑)。努力家では無いが、なにか「耐える」ようなことが無いと人生が面白くないのである。

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by dialogue2017 | 2019-09-10 22:00 | 読書についての話 | Comments(1)

娘が図書館に連れて行って欲しいというので一緒に行ってきた。娘が本を読むなどと言うのは非常に珍しいことである。多分夏休みの宿題に関係した調べ事なのだろうと思って同行した。息子は小さい頃から本をよく読む子供だった。生後9ヶ月目にしゃべり始め、1歳のうちにいくつかのひらがなを覚えた。2歳5ヶ月の時には「ひらがな」「カタカナ」「アルファベット(大文字)」はひとつも間違えずに全部読めるようになっていた。3歳の誕生日を迎えた頃、保育園に息子をお迎えに行くと、教室で息子の周りに4〜5人の子供が半円になり座っていた。近づくと、息子がクラスメイトに絵本を読んであげていた。脇の机で事務作業をしていた担任から「最近は悠太君が絵本を読んでくれるのでその間に事務作業ができてとても助かっています」と感謝された。クラスメイトの母親たちは、「うちは二級上のお兄ちゃんでもまだひらがなが読めない。悠太君は天才だ」と騒いだ。たしかに、3歳になる前後に本をスラスラ読めるというのは相当な早熟である。

私は息子が0歳の頃から就寝する前に絵本を読んであげていた。2歳の頃は毎晩5冊ぐらい読んであげていたのだが、その内「もっと沢山読んで」と言われて毎晩10冊読むようになった。そして、息子は少しずつ文字を覚えていった。息子が4歳の時に引っ越した家から50mほどのところに図書館があったので良く本を借りてきて自分で読むようになった。5歳になると一人で図書館に行って10冊本を借りてきて借りてくるなり全部を一気に読んでしまうようになった。そのうちに、「お父さん、10冊じゃ足りないからお父さんのカードも貸して。そうすれば一度に20冊借りられるから」と言って私のカードも使って一度に20冊借りてくるようになった。しかも、ほとんどの場合、その20冊を借りてきた日の内に読み切ってしまうのである。

あるとき、「お父さん、一遍に沢山本を読むと疲れるんだよ。知ってる?」と聞いてきた。眠くなってもすぐには本を手放さず、目を擦りながら読んでいるのを見て我が子ながら「これは凄い」と思っていた。小学3年生の頃には「論理的」であると言う点においては母親以上であった。まあ、女性はあまり論理的じゃ無いのでそういうことはもの凄く珍しいというほどのことではないとは思うが、彼の母親は一応弁護士なのでそれを考えるとやはり普通じゃ無いとは思う。もっとも、私は3歳の頃から周りの大人たちから「将来は日本一の弁護士にでも成るだろう」と言われるほどの口達者の理屈屋だったのでカエルの子はカエルというだけの話しではある。

娘はまったく本を読まない子だった。だいたい兄弟というのは「対極的」な個性を持っていることが普通なのでそのことに驚くことは無かった。娘は「文字」よりも絵を描くことや工作をすることが好きだった。保育園時代には2時間3時間休まずに絵を描いたり工作をすることがあって我が子ながら「これは凄い」と思って見ていた。小学生になると市内の小学生の作品展に毎回学校の代表として作品が選ばれるようになった。担任は「集中力が他の生徒ととはまったく違う。小学生レベルじゃ無い。細かい作業を黙々といつまでも続けられるのには驚く」と言って娘を褒めてくれた。方や「読書」、方や「美術」と向き合うジャンルは異なるが、二人とも尋常では無い集中力を持っている。

もう何年も前のことになるが、妻から「あなたたちには恐れ入る。普通じゃ無い」と言われたことがある。妻が受験した頃の司法試験は旧司法試験の時代で合格率は2.7%前後であった。合格者の平均受験回数は6.7回。同じ合格者でも3回以内に合格した受験者の能力は非常に高い。だから、裁判所は司法試験に3回以内の受験で合格した修習生だけをリクルートしている。妻は2度目に合格した。最初の司法試験が生涯始めて試験に落ちた経験となった。「司法試験はあまくなかったちょっと嘗めていた」とのことで、考えを改めて集中して勉強して二度目に合格した。妻が言うには、「司法試験の当落を分ける能力は”集中力”。落ちた人と受かった人の違いは"頭の良さ"の違いでは無く"集中力"の違いだと思う。短期的な集中力じゃだめで、長期間集中し続ける能力がないとただ頭が良くても受からない。私も人並み以上の集中力だと自負してきたし、私の周りにも並外れた集中力の弁護士がたくさんいる。しかし、あなたたちを見ているとレベルが違うと思う。普通じゃ無い」。「あなたたち」というのは息子と娘と私のことである。息子も娘も集中力が異常なほど高いのである。妻は自分の生んだ二人の子供を見ていて「信じられない。とても叶わない」と異星人を見るかのように言った。なんのことはない。二人とも私に似たのである。

話しが脱線した。娘は本を読まない子だった。絵を描いたり工作をすることが好きだった。小学生になって以後は「体を動かす」ことが好きになった。いまはボルダリングに熱中しているが、「諦めない」という点では恐れ入るほどである。ようするに、自分が取り組むことに対する「執念」がもの凄く強烈なのである。その点では息子も負けていない。息子は小学生時代サッカーをやっていてチームのエースストライカーであった。2〜4年生の3年間はチームの全得点の70%を一人でたたき出していた。しかし、息子は脚の早さも運動神経もチームでは下から二番目だった(ビリの子は肥満児だった)。運動神経が悪いのに沢山ゴールを上げたのはひとえに「執念」のたまものであった。ボールに対する集中力と、ゴールに対する執念が同じ年齢の子供とは格段に違ったのである。だから、ゴール前で相手のディフェンダーに競り勝つことが出来たのである。

さて本題である。娘が突然本を借りに行った理由は宿題とは無関係であった。直接的な契機は、この8日間の「避暑旅行」中に車の中で『コード・ブルー』のDVDを繰り返し見ていたことにある。その影響で「医療」に強い関心を持ったのである。ちょっと前には『ラジエーションハウス』という医療モノのテレビドラマを見ていたのでその影響もあるだろう。それで、「医療」に関する本を借りてきたのである。『裁判のしくみ絵事典』を借りたのは、やはり裁判モノの漫画を見ていた影響だろう(そして、母親の仕事に対する関心もあるだろう)。

借りてきた本は小学4年生には少し難しいかもしれないし、ページ数もそれなりにある。娘がどの程度読めるか分からないが、これを機に、少し本を読むようになってくれたらよいと思う。ただ、今の時代は「テレビ」「ゲーム」「スマホ」など「読書」を遠ざける安易なメディアが氾濫しているので読書の習慣を身につけるのは難しいだろうと思う。あれほど「読書家」であった息子が、小学5年生以後あまり本を読まなくなった。原因は「テレビ」と「スマホ」。それでも息子は知識量は多い。情報源は「テレビ」「新聞」「ネットニュース」。クイズ番組に出てくる女子アナより正解率はかなり高い。彼が本を読まなくなってしまったことを返す返すも残念に思う。

さて、私は予想通り「避暑旅行」中の8日間には2冊半しか読むことが出来なかった。7月末には「1日1冊」に「+10冊」だったのが、昨日現在「−3冊」になってしまった。とは言え、昨日までに読了した227冊を「平均的なページ数の新書」に換算すると256冊相当になるので、昨年末に立てた「来年は1日1冊新書を読む」という目標はなんとか維持している(+26冊)。しかし、今年は新書に換算して500冊読んでおくという新しい目標を達成するのは厳しくなった。年内残り135日で新書を244冊読まなくては成らない。1日1.8冊ずつ読む必要がある。新書であれば1日2冊というのはそれほどハードでは無い。しかし、それを135日間1日も休まずに続けるというのはかなりハードである。それでもやる気にさえなればそれほど困難な目標では無いが、ヘタをするとこの秋は「入院・手術」ということに成りそうな雲行きなのでそうなったら無理だろう。

まあ、いまさら本を読んでどうなるわけでもないからそんな「目標」はどうでも良いことである。寧ろ、この7ヶ月半に衰えた体力を回復することの方が遙かに重要な課題だと思う。元旦から7ヶ月は家に籠もって読書を中心とした生活を送り、スナップをしなくなったので歩くこともせずに過ごしてしまい、すっかい体力が低下した。もう若いときと違って、動かない生活など続けていたら急坂を転げ落ちるように体力が落ちていくのだと言うことを知った。秋の課題は読書では無く、体力回復である。その「一助」とすべくスナップでも再開するか(笑)。


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by dialogue2017 | 2019-08-19 15:00 | 読書についての話 | Comments(0)

写真下の本文の中で書いたが、書斎で文章を書くときにはMacBook PROにBluetoothキーボードを接続してタイピングしている。パソコン机の正面の窓は南向きで日中は極めて強い陽射しが入る。そのため、カーテン代わりに「暗幕」を使っている。日中に"仕事で"写真のレタッチをしなければならない時には暗幕を引いて作業する。明るさやコントラストを正確に把握するためである。日中文章を書くときはモニタの正面の半分だけ暗幕を引いて書く。MacのキーボードはWindows PCによく使われているキーボードのようにストロークが深くない。私はストロークの深いキーボードは嫌いである。デスクトップ用のキーボードも浅めのストロークではあるが、MacBook PROのそれよりも幾分「重く」感じられる。この3年間はMacBook PROのキーボードしか利用していなかったので、久しぶりに他のキーボードを使いタイピングの感触が今ひとつ合わない。


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今朝は7:45に起床した。平素は9時に起床している。8時前後に息子と娘が登校し、9時に妻が出勤する。妻が玄関を出たのと入れ違いでリビングに上がる。朝の「家庭の喧噪」から逃げていると言うことである。しかし、子どもたちの夏休みが始まると妻は朝7時に出勤する。朝子供の面倒を見なくて良いからである。子どもたちは8時前後に起床する。その時妻はすでに出勤して家にいないので「朝の喧噪」は生じない。書かなくても分かるであろうが「朝の喧噪」とは母親と子供の言い争いである。

夏休み期間中の朝食は子どもたちが自分で作って食べるので用意をする必要がない。娘から「フレンチトーストが食べたい」とかのリクエストがあれば作ってあげるが、自分たちで作って食べることが多い。そういうわけで、私も子どもたちが夏休み期間中は9時前に起床する日が多い。

今朝は7:45に起床した。睡眠時間は6時間半と平素より若干長かった。平素は6時間睡眠。日によっては5時間と言うこともあるし、まれに4時間半という日もある。だから6時間半というのは多いのだが、朝9時前に起床することに体が慣れていないため起床してしばらくは「体」が目覚めない。「頭」は目覚めているのだが体が重くてだるい。もっとも、これは9時起床の時も似たようなものであるが9時前に起床するとその症状がより顕著となる。で、起床後顔を洗って冷たい麦茶を飲んだ後、寝室に戻り15〜20分ぐらいボーッとしている。「ボーッとしている」というのは文字通りそうしているときもあるが、多くの場合はiPhone片手にFacebookの投稿をチェックしたり、読みかけの本をペラペラと捲っている。

軽い朝食を食べたあと、8:15ぐらいから本を読み始めた。昨晩は僅かしか本を読まずに眠ってしまったので今日は「昨日分」として午前中に1冊読み終えておこうと思ったのである。ところが9:30には読了してしまった。「認知心理学」についての新書を読んだのだが、どうして235ページの新書を1時間15分で読み終えてしまったのかというと、まずは、昨晩70ページほど読んでいたため今朝読んだのは165ページほどだったこと。そして、既知の内容が多かったので一文字一文字読まず、パラグラフ毎に数秒間眺め、黙読する必要のある場所だけ読んだからである。

ある程度の蓄積があるジャンルの書籍の場合、パラグラフ(5〜10行ぐらい)を眺めればそこになにが書かれているかを掴める。日本語文は「漢字」「ひらがな」「カタカナ」が混在して記されているので書かれている内容を判別するのが容易い。"地の文章"の中で「漢字」と「カタカナ」が浮いて見えるので、そこを拾って行けばそのパラグラフに書かれている内容がだいたい掴める。前のパラグラフからの展開として「読める」ケースも少なくないので、ある程度の蓄積のあるジャンルの本の場合かなり速いペースで読むことができる。今朝読んだ本はそういう本だったのである。

もうひとつ。心理学の本の場合「実験」の話しが沢山出てくる。その実験がどういう目的で行われ、どういう結果が出たのかを理解すればその実験を通じて「論証」されたことを理解することができる。その場合、必ずしも「実験の内容」自体を詳細に知る必要は無い。そう判断出来た場合には「読み飛ばす」。こういう読み方が出来る新書の場合、2時間あれば十分に1冊を読み切ることが出来る。内容が「スカスカ」の場合、40分ほどで読み切ってしまうケースもある。午前中読んだレベルの本であれば1日5冊読むこともそれほど大変では無い。ちなみに私の過去最高は1日7冊である。

同じ1冊の本でも、読むスピードにはかなり幅がある。まず、初めて読むようなジャンルの本の場合、基礎知識がないから全文「黙読」しなければ成らない場合がある。こういう本を読み切るには時間が掛かる。また、読み込んでいるジャンルの本でも、話しが深く専門的であったり、類書にはないまったくの独創的な見解が記されている場合には、”他説”との違いをきちんと理解するためにじっくり読み込むことになる。

私は基本的には「熟読派」である。速読するのは好きじゃ無い。面白い本であれば味わうようにして読みたいと思う。時間は沢山あるのだ。なにも慌てて読む必要は無い。そう思っているので80%の本は熟読している。もし、速読可能な内容の本を速読していけば、1年に読了できる冊数は軽く1.5倍に達するだろう。例えて言うならば、平素15分かけて食べている食事を急いで10分で食べてしまうと言うことと同じである。理解度にそれほど大きな差は生じない。だから、じっくり読まざるを得ない本と、じっくり味わって読みたいと思う本以外の本を「やや速読」に切り替えるだけで年間読了数は大幅に増えると思う。そういう読み方をしていけば今の目のコンディションでも1日新書2冊ぐらいは苦も無く読めるだろう。しかし、私は基本的には熟読したいのである。それでも目のコンディションが悪くなる前には1日2〜3冊読むことは珍しくなかった。しかし、いまは1日1冊を何回にも「分割」して1日掛けて読んでいるという情けない情況である。

余談となるが、”書斎で”文章を書いているときには老眼鏡を掛けない。リビングで文章を書くときにはMacBook PROのキーボードでタイピングするため、目とモニタの距離は20cm程であるから老眼鏡を掛けないとディスプレイに表示される文字が読めない。しかし、書斎で文章を書く際には、デスクトップ用のBluetoothキーボードをMacBookに接続して書くため目とモニタの距離が50〜60cmほどに開く。この距離だとぼやけてはいるがなんとか文字を判読することが出来る。椅子の背もたれにもたれかかりながら書くことが出来るのとても楽である。

さて今日はどうしよう? たまには「やや速読」で1日5冊も読んでみようか? いや、そこまで気張らなくても、夕刻までに1冊読んでおけば夜にまた1冊読むだろうから3冊となって昨日の「読了無し」に"熨斗”を付けて返すことが出来る(笑)。でも、55日間連続記録が途切れて行こうすっかり気が抜けてしまった。書きかけて結論まで書いていない写真についての話しが二つほどあるので、その続きを書くことにしようか? 文章を書くのは楽しいが、今日は「写真」の話を書く気にはなれない。さてどうしよう?


by dialogue2017 | 2019-08-02 11:15 | 読書についての話 | Comments(0)

7月は40冊は読む予定でいたのだが、後半すっかり気が抜けてしまい35冊に終わった。これで元旦から昨日7月31日までの211日間に読んだ本の数は221冊。+10冊である。ただし、昨年末に立てた目標は「来年は1日1冊新書を読む」であった。この221冊を平均的なページ数の新書に換算すると245冊となる。実読数より24冊しか増えないのは今年は"分厚い”本をあまり読まなかったからである。7月末までに新書で245冊というペースだが、同じペースで年末まで読んだ場合新書換算で420冊となる。毎月35冊ということなので「1日1冊」はクリアすることになる。しかし、今年は新書換算で年間500冊の大台に乗せたいと思っている。

ただし、大きな「難関」が待ち構えている。夏の家族旅行である。つい今し方妻から夏期休暇の予定について「告知」があった。8月9日〜8月18日の10日間、「茅野の家」をベースにして時々白馬方面のペンションかプチホテルに泊まりに行くと言うことである。息子は同行しないが、娘のボルダリング友だちが同行する予定である。「茅野の家」に行くと朝からあちらこちらと出掛け、夕刻温泉に入り、そのあと「居酒屋」などで夕食を食べ、夜8時9時の帰宅となる。車の運転は私しか出来ないので私一人単独行動をする訳にはいかない。そういう事情のため、家族旅行先では日中にはほとんど本を読むことが出来ない。東京にいるときと違って朝が早いので夜中遅くまで読書をすることはできない。なにしろ、翌朝ドライバーを勤めなくては成らないのである。だから、「茅野の家」では遅くとも午前1時には就寝することにしている。夜だって、娘はすぐに寝るわけでは無い。10時頃までは起きている。私が本を読めるのはせいぜい3時間である。

8月の月ハナに妻と娘が妻の実家に帰省する。10年程前から私は同行していない。義父と大げんかをして「二度とこの家の敷居は跨がない。貴方の葬儀にも来ない」と啖呵を切って以来行っていない。息子は昨年までの盆暮れには祖父母孝行に出向いていたのだが今年は行かないという。そんなわけで妻と娘二人だけで行くことになった。例年3泊4日か4泊5日なのだが、今年は2泊3日にしたという。その3日間、私はミニ一人旅をしようと目論んでいる。車で出掛ける積もりなのでこの3日間もほとんど本を読むことが出来ない。旅先の夜は地元の居酒屋などで飲むことが多い。飲んでホテルに帰ってきたら流石に本を読まずに眠ってしまう。

そういう事情のため、8月はほとんど本を読めないような日が10日以上ありそうである。うーん、大誤算である。書棚を設置して本を整理した理由は、今月から読書のペースをあげようと思っていたからである。とりあえず段ボールから出した本を片っ端からスライド書棚に収納したが、このあと、年内に読もうと思っている本だけを今日設置した書斎の書棚に収納しようと思っている。書斎は4年前から「倉庫」と化していた。最初はライティングデスクの上やピアノの上に本を積み重ね、その後は床一面に本を積み上げていた。それが倒れそうになってきたので11箱の段ボール箱に詰め込んで書斎の床に積み上げていた。もう完全に「倉庫」となっていたため、いろいろなものを「収納」していてとても書斎で過ごそうという気持になれなかった。実際、私は引っ越ししてきた当初の半年ぐらいしか書斎を利用しなかった。この4年半は書斎で机に向かうことは全く無かった。

会社に「書斎」にすることが可能な部屋が二部屋ある。一部屋は自宅の書斎より広い。もう一部屋は同じくらいのサイズである。すでにそのどちらかを書斎にすることについては専務の了解を得ている(うちの会社は専務が「全権」を握っている。なにしろ私は月に一度お金を貰うときにしか顔を出さないのだから)。そこに、前の家までの書斎で使っていた大型のスライド書棚を3本並べて、倉庫に積み上げている段ボール詰めの本を開梱して収納しようかと考えている。そこにもそこそこの数の未読書があるし、再読したい本が沢山あるのである。ただ、車で5分で行けるとはいえ、それらの本を自宅に置いておければその方が便利だ。

で、夕食の時書斎に置いてあるピアノを処分したい旨相談したところ、今回は娘も息子も同意してくれた。ピアノを処分するとその壁面に今日設置したものと同じスライド書棚が4本並べられる。その4本で1,700冊ほど収納出来る。会社の大型のスライド書棚3本の収納能力は3,000冊程度。箱詰めして保管してある本の数は正確には分からないのだが、5,000冊ぐらいある可能性が高い。となると、会社に書斎を作っても2,000冊ほど収納出来ない本が出てくる。ピアノを処分して、今日設置したものと同じスライド書棚をあと3本設置すれば、その分の3/4程度が収納可能となり、ほぼ蔵書の全てを書棚に収納出来そうである。仮にこのプランを実行しても書棚は満杯状態になるだろう(多分全部は収納出来ないだろう)。近年は毎年3〜400冊ペースで購入しているのでそれを収納するスペースが無いが、それはあとから考えれば良いだろう。

書斎からピアノが無くなって書棚が並ぶと書斎らしくなって落ち着くだろう。この先2年ぐらいは書斎に籠もった生活をするつもりでいるので快適な環境を創ることは魅力的である。しかし、ひとつ難がある。1本組み立てるのに3時間20分かかる書棚をあと3本組むことを考えると辞めたくなる。まあ、1度にやろうと思わず、週に1本ぐらいのペースでやれば良いと言うことか。でも、その前に会社に「書斎」を創らないと向こうに保管してある本の整理をすることができない。ああ、暑くなる前にやっておくべきだった。もっとも、重いものは社員に運んで貰うので私はそれほど汗を長さずに済むとは思うが。

本に囲まれた空間にいると「もっと読まなければ」という気持になる。自分を刺激する環境を創ることは大事である。私は「勤勉」ではないので環境が整備されないと読む数が減る。箱詰めの本がなくなってちょっとは読む気が増えてきた。

これが会社に保管してある大型のスライド書棚。この写真では全集ものを入れているので収納されている本が少なめであるが、通常サイズの単行本であれば今日組み立てたスライド書棚の2倍は収納出来る。古いブログから持ってきたファイルなのでぼやけて見えるがあしからず。

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これは5年前に引っ越ししてきて割とすぐに設置した階段の1階と2階の踊り場の書棚。2本で800冊強ある。

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これは先週階段の2階と3階の踊り場に設置した書棚。「最下段」の雑誌を別にして文庫と新書でジャスト800冊ある。

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ああ、上の写真は「最下段」を雑誌に入れ替える前に撮ったものだった。いまはこうなっている。カメラ雑誌は処分した。

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そしてこれが今日設置したスライド書棚。単行本約430冊を収納した。ピアノを処分すればその壁面にこのスライド書棚を4本並べることが出来る。現在は3箇所の書棚で約2,000冊ちょっと収納しているが、この書棚を3本増加すれば自宅にあと1,200冊は収納可能となる。向こう3〜4年間に購入する本が全て収納出来る。うーん、そうしようかな〜。

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by dialogue2017 | 2019-08-01 21:46 | 読書についての話 | Comments(0)

※以下はFacebookへ投稿した記事の転載。

先日、新しく設置した書棚に収納出来なかった単行本457冊を収納するためにスライド書棚を買った。組み立てには2時間半〜3時間掛かると予想したが順調に進んだにも関わらず3時間20分掛かった。しかし、今回はトラブルも無くスムーズに創ることが出来た。

370冊ぐらいしか入らないと予想したのだが、一部の厚い本を1階と2階の階段の踊り場の書棚と入れ替えたのが功を奏し、なんと430冊も収納することが出来た。入らなかったのは手前に積んである27冊のみ。嬉しい誤算である。

こうなったら、段ボール詰めして会社の倉庫に積み上げている5,000冊前後の本の整理もしようかと。会社に使っていない部屋があり、1000冊の収納力のある大型スライド書棚が3本あるので、「書庫」を創ってそこに収納しようかと。あまるだろう2,000冊ぐらいは処分してしまおうと思う。もう再読や参照する可能性の無い本が沢山あるはずだから。

それにしても幅70cm×高さ180cmの小さな書棚なのに、スライドの分があるから思いの外収納出来た。これで5年ぶりに書斎がスッキリした。


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by dialogue2017 | 2019-08-01 18:30 | 読書についての話 | Comments(0)

「読書についての話し(4)」の冒頭に「世の中には『本好き』の人がいる」と書いた。実は、私は自分のことを「本好き」だとは思っていない。いや、本が好きなことは間違いないし、そこそこ沢山読んでいる方だと思う。確かに本を読むことは好きであるが、世の中に数多いる「本好き」に比べたら私など「本好き」の内に入らないと思うのである。そんなことを言うと、「あなたが『本好き』でなければ誰が本好きなの?」と突っ込まれそうな気もするが、私はそんなに「本好き」ではないと思う。

「本好き」という言葉にはなんとはなしに「文学好き」というイメージが孕まれているように思うが、そういう意味においてなら私は「本好き」ではない。文学が好きではないと言うわけではない。ただ、あまり読まない。20代30代の頃はある程度は読んでいたが、40以後はあまり読まなくなった。理由は明確で、文学を読んでしまうとその分だけその他の本を読む量が減ってしまうからである。文学書を1冊読むのであれば社会科学書であるとかサイエンスを1冊読みたいと言うことである。つまり、私にとって本を読むと言うことは「娯楽」なのではなく「知識を得る」ためだと言うことである。文学は嫌いではない。世界の名作などあまり読んでいないので、大文豪の書いたおもだった作品ぐらいは一通り読んでおきたいという思いはある。しかし、時間が惜しい。文学書を読むのであれば別ジャンルの本を読みたい。

5月27日から7月21日までの55日間、毎日必ず1冊の本を読了するという私らしくない勤勉な読み方を続けた。7月22日にそれが途切れ、気持が切れて翌23日も読まなかった。その分を取り戻しておこうと24日は3冊読んだ。しかし、3冊読んだ反動で25日はまた読了無しだった。昨26日は1冊読んだ。今日は極めて珍しいことに午前中に1冊読み終えた。22〜26日までの5日で4冊読了した。今日午後に1冊読めば6日間で6冊読了となり「1日1冊ペース」に戻る。しかし、久しぶりに午前中に本を読んで疲れた。なにもそんなにせっせと読まなくてもいいじゃないかと思った。

昨年までであれば、こういうときにはカメラを持って散歩に出掛けた。しかし、いまは自宅周辺で写真を撮って歩く気になどとてもなれない。江の島・鎌倉界隈界隈にさえ出掛ける気にならないのである。もっとも、元々夏場には江の島・鎌倉界隈界隈に足を運ぶことはなかった。一昨年、夏場に江ノ島に行ってみた。その時「海の家」を見て、十数年間夏場には江の島・鎌倉界隈界隈に足を運んでいなかったと言うことに気がついた。目の前にある「海の家」はどれもみな「お洒落」な雰囲気で、私の頭の中にある「海の家」のイメージとは大きく異なった。「海の家」がいつごろから「ハイカラ」になったのか知らないが、私は長い間「海の家」見たことが無かったと言うことである。

それくらい徹底して夏場には江の島・鎌倉界隈界隈には足を運ばなかったのである。人が大勢いるところが嫌いだと言うこともあるが、それだけではなくあの若者の「ノー天気」な雰囲気が嫌いなのである。自分自身が「若者」であった頃から私は「若者の無邪気さ」が嫌いだった。だから私は夏場に海で追いよいだことが無い。子供時代に海で海水浴をした経験は少なからずあるが、10代の終わり頃以降は浜辺で遊んだことは一度もない。と書いて思い出した。沖縄と海外の水の奇麗なビーチでは泳いだことがある。沖縄は久米島(はての浜)や石垣島(の離島)などで泳いだのでほとんど人がいない海で泳いだ。ようするに海が嫌いなわけではなく、人が大勢るのが嫌いなのである。

「読書についての話し」ではなくなってしまったが、暇つぶしに書いているのでなんでもいい(失礼)。鎌倉界隈には20代の初めの頃から通っている。あまり脚を運ばなかった時期もあったがかなりの回数脚を運んでいると思う。なにせ40年間も通っているのだ。東京近郊では「唯一」好きな場所なのである。このことについては昨年だったかにも書いたが、以前はあまり海辺に行かなかった。むしろ、鎌倉の「寺社」などを巡って歩くことが多かった。そして、その合間に2回ぐらい喫茶店などに入って本を読んで過ごした。雰囲気の良いカフェであるとか、ケーキや和菓子の美味しい店などを探してあるいた。「浜辺」によく脚を運ぶようになったのは一昨年の夏以来である。もちろんそれ以前もちょくちょく脚を運んではいたが、一昨年の夏以来は完全に浜辺中心になった。おもだった神社や仏閣には足を運んでしまい飽きてしまったのである。

読書の話しに戻る。22日23日と本を読むのをサボった後、24〜31日の8日間に14冊読んで今月の読了数を40冊の「大台」に載せておこうと思った。24日に3冊読んだのはそういう意気込みだったのだ。でも一度切れた気持が元に戻らない。で、今日は午前中の内に1冊読んでしまい、夕刻までに2冊目を読み、夕食後家族が就寝した後に3冊めを読むつもりだった。しかし、午前中に1冊読み終えたら完全気が抜けてしまった。21日に撮った子供の写真を競りしなければならないのだがそれもする気になれない。

1年前の今頃はなにをしていたのかな? そういうときにブログは便利で1年前の今日もブログを見てみれば分かると思ったのだが、昨年は6〜8月の3ヶ月間はブログを更新していなかった。で、仕方ないのでFacebookをチェックしてみたら、なんとこちらは7〜10月の4ヶ月間投稿していなかった。最後の手段として「写真(旧iPhoto)」を調べてみたら分かった。昨年の7月8月は旅行先にいることが多かった。そのあと海の家が解体されたあとの9月17日から江の島・鎌倉界隈界隈通いを始めていた。

ああ、すっかり本を読む気がなくなってしまった。このあとなにをしよう…



by dialogue2017 | 2019-07-27 17:40 | 読書についての話 | Comments(0)

箱詰め単行本開梱

昨日設置した階段の2階と3階の踊り場の書棚には「文庫」313冊と「新書」487冊を収納した。一番下の段には今朝雑誌を収納した。その後カメラ雑誌を少し処分し、空いたスペースに他の雑誌を収納した。それでほぼ満杯となった。

階段の1階と2階の踊り場に設置してある書棚には「単行本」が割と多く入っている。先日既読書を抜き出して最近購入した本と入れ替えたのだが、まだかなり既読書が残っているのでそれを抜き出し、今後読む予定の本と入れ替えることにした。しかし、梱包する際に整理せずに放り込んでいるので全部開梱してみないと読みたい本を探すことが出来ない。開梱しても書棚に入れられるのはほんの僅か。結局もう一度箱詰めしなくてはならない。結構時間が掛かるし疲れるので止めようか迷ったけれど、近日中に読みたい本を出しておきたいので全部開梱してみた。

おおよその見当で400〜500冊ほどだと思ったが、箱から出す際に数えてみたら457冊あった。昨日設置した書棚に収納するとしたら1本半のスペースでは収まらない。厚い本がかなりあるので多分2本丸々埋めてしまうと思う。もし、現在の自宅ですべての本を書棚に収納しようと思ったら、書斎のピアノを処分して壁面を開けるしかないが、娘が「まだピアノは残しておいて」というのでそれはやるつもりが無い。

会社の倉庫に保管してある本の中からも読みたい本を引っ張り出したいので、やはり会社に「書庫」を作ろうかと思う。会社にはいったいどれくらい本があるのか分からない。少なくても4,000冊以上はあるはずである。それだけの本を開梱して書棚に収納することを考えると気が重くなる。この際、2,000冊ほど処分しようかと思う。

さてと、この457冊の山の中から、とりあえず100冊ほど読みたい本を選ぼう。

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by dialogue2017 | 2019-07-26 15:00 | 読書についての話 | Comments(0)

雑誌を収納した

新しく設置した書棚の最下段に雑誌を収納した。カメラ・写真関連の雑誌が多い。ここ5〜6年はほとんどカメラ関連の雑誌を買わなくなったが、それ以前は良く買って読んでいた。会社の倉庫には『カメラマガジン』や『F5.6』などがどっさりある。雑誌は収納スペースがなかったので娘の部屋の片隅を借りて積み上げていた。取りあえずそれを全部収納した。カメラ・写真関係の雑誌は一部を除いて全部処分してしまおうと思う。悩ましいのは『サッカー批評』や『フットボール批評』。息子がサッカーをやっていた頃は何種類ものサッカー雑誌を読んでいた。息子が残して欲しいと言ったら残すことにしよう。

『an・an』があるのは女優さんなどの写真を見るためamazonで中古品を買った。私はカメラ雑誌などに掲載されている女性ポートレートより、「女性誌」に掲載されている写真の方が好きなのである。ライティングの参考のために買った。その右隣にある『島の時間』(山下恒夫)『Wien.New York.Niigata』(田中長徳)『PORTRAIT』(上田義彦)などの写真集は写真家の渡部さとるさんから借りてきてそのままになっている。『Light Room』の解説書があるが開いたことがない(笑)。この手の解説書は時々買うのだがきちんと目を通したことは一度も無い(涙)。

取りあえずぶち込んだだけ。後日半分は処分してしまうつもりである。写真集や雑誌は書斎のライティングデスクにもそこそこあるし『八ヶ岳デイズ』や登山関係の雑誌などは「茅野の家」に保管してある。それで思い出した。会社の倉庫には『山と渓谷』が10年分ほどある。古い雑誌はすべて処分しようと思っているのだが、会社の倉庫は我が家の家財道具全てを持ち込んでもその5倍以上収納出来るほど広く放置していても問題ないので捨て置いている。そうそう、娘の部屋には雑誌だけ置かせて貰っていると思っていたのだが、なんと段ボール2箱分の単行本が置かれてあった。これで単行本の段ボール詰めは11箱になった。その他、まだ裸で書斎に積み上げてあるものもあるので、全部で500冊ほどはあるだろう。

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by dialogue2017 | 2019-07-26 11:30 | 読書についての話 | Comments(0)

書棚が届いた

昨日、書棚が届いた。"7月3日の投稿"に記したが、階段の2階と3階の踊り場に書棚を設置することにした。設置可能なサイズは、幅163cm、高さ193cmまでである。ネットで探し、良いと思った製品の幅は82cmであった。2本並べると164cmとなり1cmオーバー。しかし、他に適当な製品が見つからなかったので、この商品を購入して「巾木」に当たる部分を左右5mmずつ削り落として使おうと考えた。しかし、そこまでしなくてもと思いとりあえずペンディングした。

数日後に再度ネットで検索すると、なんと幅81cmという製品が見つかった。前回検索したときには見当たらなかった商品である。それもそのはず、7月24日新発売という製品であった。で、予約を入れようと思ったのだけれど慌てることも無いと思い捨て置いていたら、発売1週間ほど前に成って商品が割引価格となった。14,900円であったものが13,900円になった。2本購入しても月初めに購入しようと思った82cm幅の製品の半額弱。あの時に買ってしまっていたら2本で6万オーバーだったのが27,800円で済んだ。

2本を組み立てるのに2時間とみた。1本目は時間が掛かるが2本目はスイスイ行くと考えた。しかし甘かった。高さが180cmあるのだが、これだけの高さになると上下二分割の「パーツ」をジョイントすることになる。上下を「カムロック」でジョイントするのだがそれが上手くいかなかった。1mか2mずれるとかみ合わないのだ。しかも、一度「ナット」をはめ込むと外せない。そうなるとカムロックネジの頭を視認することができなくなるのでなんどやってもロックできない。なにしろ、上下のネジの頭の位置を1〜2mの誤差で合わせなければならないのだ。結局1本目をくみ上げるのに2時間以上掛かってしまった。

オマケに、2本目はかなり注意して視認できる段階で失敗しないように作業をしたのだが、ナットを回したときにネジの頭の位置が動いてしまいロック出来ないという状況に陥った。そうなるともうナットを外すことが出来ないので1本目と同じ状況になった。何度も何度もギリギリのところで「仮止め」して挑戦するのだが、ナットを回したときにネジの頭が動いてしまいナットとネジの頭が噛まない。結局、2本目も1時間以上掛かってしまった。この手の書棚は「巾木よけカット加工」がされているのだが僅かに当たった。で、1cmほど当たる部分を切り落として何とか完成。

さて、1階の書斎に積み上げていた18箱の段ボールをまず2階のリビングに運び込み(重いので息子に運んで貰った)、開梱して書棚に収納した。全部は収納仕切れいないだろうとは思っていたがなんと半分の9箱分しか入らなかった。で、「文庫」と「新書」だけを収納することにした。結果、単行本9箱分がそのまま残った。その単行本を収納するとしたらこの書棚1本では入りきらない。ということは、この書棚をあと2本購入しないと段ボール詰めした本を書棚に収納することが出来ないと言うことだ。それをするためには、書斎に置いてあるピアノを処分して壁面を開けなければならないが、いまはそこまでやろうと思わない。やはり、近いうちに会社に「書庫」を作るしかないだろう(会社にも4,000〜5,000冊保管してある)。

それでも段ボール箱の山が半分なくなった。1階と2階の階段の踊り場に設置してある2本の書棚にはかなり単行本が入っている。その内の「既読」のものを抜き出し、未読のものと入れ替えようと思う。

最後に嘘のような本当の話。息子が、「何冊あるか数えてみる」というので「最下段の単行本を別にして、文庫と新書でだいたい800冊程度だと思う」と予想を告げた。このサイズの書棚の場合文庫本で400〜500冊収納出来ることはよく承知しているのである。息子が数えた結果、文庫が313冊、新書が487冊であった。なんと、合計は800冊ジャストであった。驚いたよ(笑)。とりあえず最下段には単行本を入れておいたが、この段は高さがあるのでここには雑誌を入れようかと思う。


階段の2階と3階の踊り場に設置した新しい書棚。デッドスペースの有効活用。夜撮った写真なので汚いな〜。

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こちらは上から写した写真。

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こちらは1階と2階の踊り場に設置してある書棚。高さが上の書棚より2段分高く2m以上ある。ここにも800冊ほどある。

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by dialogue2017 | 2019-07-26 09:30 | 読書についての話 | Comments(0)