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本日13時のFacebookへの投稿を転載する。

🔥この問題は極めて深刻である🔥

💥我が国は「奈落の底」目指して一直線に突き進んでいる💥

本日の毎日新聞1面トップは「国際学力テスト 日本の読解力急落15位」。この問題は極めて深刻である。

問題点は大きくは2点。ひとつは「読解力」の急落は「国力の衰退」を不可避的に結果すると言うこと。「読解力」は「思考力」の基礎。若い世代の"ものを理解し考える力"が衰えれば「国力」が衰えるのは必然である。

「読解力」「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」の3部門のトップ3は何れも「北京・上海・江蘇・浙江」「シンガポール」「マカオ」。1位は「中国」ということであるが、かの国は最先端技術部門でも世界のトップに躍り出ようという状況にある。「マカオ」は一人あたりGDPがルクセンブルク・スイスに次いで世界第3位。「シンガポール」は同8位。ちなみに「アメリカ」は9位で日本は26位である。このデータを見ただけでも、「国際学力テスト」の結果と「国力」に強い相関関係があると解釈できる。

記事の中では「国語で言えば、課題文の中にない『行間を読む』ことが出来なければ国際化社会でのコミュニケーションがうまくいかない」という指摘がなされている。「読解力」の低下は「国語力」の低下であり、それは「英語力」のさらなる低下を招く。その結果いまでも低い"国際コミュニケーション能力"がさらに衰える。これは「国力の低下」を結果する。

国民の「読解力」の減衰は「国力」の衰退を招くのである。

問題点の2つ目は、「他者を思いやる心」の衰えである。

記事の中で「文章を書く能力や能動性は人と話す中でつくられていくが、そうした時間がスマホに取られている。他者の考えや物事の本質を読み解く力の低下はその蓄積の結果だと思う」との指摘が成されている。

「読解力」の低下は「他者の気持ち」に対する理解力の低下を結果する。昨今の日本人は他者を慮る気持ちが大幅に低下しているが、その大きな原因の一つは「読解力」の低下にある。

記事中でお茶の水大学の浜野隆教授は「読解力」を「批判的思考力」と言い換え次のように語っているーー「入ってくる情報を評価し、自らの知識を生産して表現していく力、つまり創造的な思考力を指す。人工知能(AI)には代替できない分野であり、今後あらゆる職場で求められる技能だろう」。

いまの日本人は「批判的思考力」をほぼ枯渇させていると言っても良い情況である。その象徴が国民の65%が安倍政権を評価しているという世論調査の数字に表れている。かつての自民党の大御所たちから強く批判され、「憲政史上最悪」の政権とも評されている安倍政権を国民の約2/3が評価しているのである。「批判的思考力」がまったくないが故の結果である。

【まとめ】

✳️「読解力」が低下すると「国力」が低下する。経済的に没落する。

✳️「読解力」が低下すると「他者を慮る」気持が低下する。「思いやり」が欠落した社会が更に悪化していく。

✳️「読解力」がないと「小学生レベル」の総理大臣を評価することになる。政治(家)の低レベル化は止まること無く進行する。

【結論】

20年以内に我が国はかつて「先進国」であったことが信じられないレベルにまで没落するだろう。現時点で、国際的競争力を持つ企業は日本にはない。現時点で「トヨタ自動車」が「世界時価総額ランキング」の我が国トップであるが、世界ランクは40位である。さらなる没落は不可避であろう。いま、どういう国が伸びているのかは以下のURLを開いて確認してほしい(アメリカと中国だけと言って良い情況である)。


日本は本当に奈落の底に向かって突き進んでいるのである。「安倍政権」はその象徴であるが、安倍政権が憲政史上最長期政権となったのは「日本国民」の多数が「支持」しているからである。

残念ながらもう遅いだろう。子供を持つ40代のいい大人が「ぱない」とか言う言葉を平気で口にするようでは「読解力」「思考力」「理解力」が大幅に低下することは避けられようがない。

Facebookへの投稿から(93) 我が国は\"奈落の底”へ向かって突き進んでいる_e0367501_13083687.jpg

by dialogue2017 | 2019-12-04 13:10 | Facebook | Comments(1)

久しぶりに「Facebookへの投稿から」。最近、毎日大量にFacebookに投稿している。夏から秋にかけては「太平洋戦争」や「読書ネタ」の投稿が多かったが、最近は極プライベートな話題ばかり。多い日には20投稿ぐらいしている。転載するのは今夕の投稿。写真はFacebookへの投稿の際とは別カット。最近は、ほとんど全ての写真をiPhoneで撮影している。1本映画を見てみたが75インチは小さい!

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💥なぜ「シアタールーム」を作ったのか? そして、なんのために「山小屋」を手に入れたのか?💥

⭐️ただ一つの有効性ある子供の教育(方法)について⭐️

Facebookの友人には「無関係」「無関心」な投稿ばかりしているが、私にとってFacebookは「雑記帳」であり「日記帳」であり「備忘録」なのである。そして何より書くことを通して「瓢箪から駒」を産み落とす「装置」である。

10月末に引っ越しした新しい「茅野の家」=自称「山小屋」のリビングを「シアタールーム」にした。「シアタールーム」などと表現すると大仰だが、ようするにリビングに大型テレビを置いて、5.1chシアタースピーカーを設置したと言うだけに過ぎない。ただ、それでかなり快適に「映画」を見ることが出来る。

そのようにした一番の目的は、妻と二人で夜映画を見たいと思ったからであるが、実は「深謀遠慮」がないでもない。科学系のドキュメント番組や、歴史関係のドキュメンタリー、あるいは「偉人伝」のようなテレビ番組を片っ端から予約録画して「収録」することを考えている。

おそらく、数年内のどこかで息子や娘がそういう領域に興味をいだくだろう。「平成」という「無教養」時代に生まれ育った彼らは「文字情報」より「ビジュアル情報」への親和性が高い。だから、「映像」を「教養」の育成のために積極的に活用しようという魂胆である。それが契機となって更に詳しく知りたいという気持ちが芽生えれば自ずと「専門書」を手に取るだろう。

子どもたちがある程度「専門的」な領域に興味を抱いたときに、すぐに手に取れるように様々なジャンルの「入門書」や「専門書」が彼らの目につく書棚に少なからずある。

「勉強しろ!」なんて言っても無意味なことは人類史が証明している(笑)。冗談はともかく、親が言うことはほとんど子供の教育に影響を与えていないという事実についての実証的な研究報告がある。自らの経験を顧みれば疑問の余地はない(爆)。

子供を「口」で教育することはほぼ不可能。では、どうすれば良いのか? 子供の「知的好奇心」を刺激する「装置」や「アイテム」を用意し、彼らの好奇心を刺激することと、その「刺激」が次につながる「ステップ」を「設置」しておくこと。親が子供にできる「教育」なんてそのような「間接的」な方法しか無い。

私が「多量」に書籍を購入している理由は、私自身が読むためであるが、半ばは子どもたちに「家庭内図書館」を用意しておくという目的もある。

新しい「茅野の家」は「妻のため」に手に入れた(そもそも彼女がお金を出して購入した。彼女は出来るだけ早い時期に移住したいという)。そして、5年後10年後に子どもたちが「大学生」になったときに利用できるスペースとして手に入れた。そこは70%はレジャーを楽しむ場所であって良いが、30%は子どもたちが「貴重な経験」を積む場所として作用するだろう。今後、そういうスペースとして充実させていこうと思っている。

ただし、「書籍」は最低限しか持ち込まない。新しい「茅野の家」の「テーマ」は「映像」と「音響」である。「娯楽」を「入り口」として利用し、「教養」へと結びつけたい。


by dialogue2017 | 2019-11-27 21:00 | Facebook | Comments(0)

🔥「このままでは日本は滅びる」というのは本当か?🔥

※この投稿はすべての「友人」諸氏に是非読んでもらいたい。

様々な面で、我が国が"没落”の過程にあることは否定しようが無い。その最大の"象徴”が経済力の衰退である。

国連の統計を初めとする様々なデータから、我が国がすでに「先進国」の地位から脱落しつつあることは否定し得ない事実である。

『日経ビジネス』の今週のランキングで一番読まれた記事はファーストリテイリングの柳井正氏の「このままでは日本は滅びる」という記事であるが、その冒頭で柳井氏は次のように語っている。

「この30年間、世界は急速に成長しています。日本は世界の最先端の国から、もう中位の国になっています。ひょっとしたら、発展途上国になるんじゃないかと僕は思うんですよ」

今後の世界経済の「牽引車」となるのは「AI技術」である。この分野において我が国は圧倒的に立ち後れている。中国に大きく水をあけられている。柳井氏は次のように指摘している。

「国民の所得は伸びず、企業もまだ製造業が優先でしょう。IoTとかAI(人工知能)、ロボティクスが重要だと言っていても、本格的に取り組む企業はほとんどありません」

先週は孫正義氏が『日経ビジネス』のインタビューを受け「『忘れられた島国』になるな」と語っている。その冒頭で孫正義氏は日本の現状を「非常にまずい」と語っている。氏は次のように指摘している。

「日本経済はこの30年間、ほぼ成長ゼロです。小さな村の小さな平和でもいいのかもしれませんが、世界から忘れられた島国になってしまいます」

そうなった理由として日本人が「草食系になってしまった」ことを上げ、その原因として「教育や思想的な問題がある」と指摘している。

孫氏は、我が国の現状は「非常にまずい」と指摘し、柳井氏は「このままでは日本は滅びる」と叫んでいる。柳井正氏と孫正義氏は日本を代表する経営者である。その二人がここまであからさまに「危機」を語っている。なぜなら、二人は我が国の"現実”を目を背けることなく直視しているからである。

我が国は柳井氏が指摘しているとおりすでに「先進国」からは脱落し「中位の国」となっている。10年後20年後には大きく没落している可能性は小さくない。これは"当然の帰結”と言うしか無い。我が国は「将来への投資」を行ってこなかったのである。

2018年にOECDが発表した「Education at a Glance 2018」によれば、我が国は「教育への公的支出」の割合(対GDP比)が、比較可能な34ヶ国中で最下位であった。その結果として「IoTやAI、ロボティクス」などのジャンルにおける圧倒的立ち後れを生み出した。

なぜ我が国がここまでダメになったのかという「原因」はいくつもある。それについて語れば少なくとも1,000字2,000字は書かねばならないのでやめておくが、根っこにあるのは「太平洋戦争」の「戦争責任」を「国家」としてきちんと明らかにしなかった点にあると思う(昭和天皇がそれをやろうとしたのを吉田茂首相が阻止した)。その裏返しが「対米従属」であった。その結果、我が国は政治も経済も「責任」ということをまったく不問とする国家になってしまった。

昨今噴出している様々な政治経済の問題は、政治家や経営者が「無責任」であることに起因している。日本人総体が「責任」ということを完全に「放棄」してしまっている。それは「道徳的頽廃」を生み、日本人は政治や経済が腐敗していることに対して「怒り」を持たない国民となった。「安倍政治」がそれを大きく推し進めたことも動かしがたい事実である。

我が国が大きく「没落」し始めていることを少なくない国民は理屈からではなく、なんとなく「感覚的」に理解している。端的に言って、生活が「苦しい」国民が増えているのである。当然ながらそのような層は「不満」を感じ暮らしている。

人間は「不満」を抱えているとそれをどうにかして「解消」したいと欲求する。どこにも解消手段がないと場合に採られる「解消戦略」の代表的なものは、他民族他国民に対して「敵意」を抱くことである。この10年程の間(そのうちの7年間は「安倍政治」が行われていた)に「中国」や「韓国」に対するヘイト的発言が増大した。

書店に行くと「嫌韓本」や「嫌中本」が山積みとなっている。「韓国」や「中国」にたいしてむき出しの「嫌悪」が語られ、彼らに比べ「日本は素晴らしい」という内容の書物が溢れている。

「他者」を「見下す」ことによって自らの「優越」を感じるのである。そのような形で「劣等補償」が行われているのである。柳井氏は次のように語っている。

「民度がすごく劣化した。それにもかかわらず、本屋では「日本が最高だ」という本ばかりで、僕はいつも気分が悪くなる。「日本は最高だった」なら分かるけど、どこが今、最高なのでしょうか」

「民度がすごく劣化した」というのは無根拠なヘイト発言に象徴的に現れている。「日本は最高だ」という論調に「気分が悪くなる」感性こそが「まっとうな民度」だと言って良い。

これ以上続けるとキリが無い。ここまでに書いたことを「論証」するための「事実」や「データ」は山のようにある。

しかし、「論証」などしても無意味である。なぜならば、人間は「見たくないモノは見ない」からである。

現在、比較的経済的に安定している層は、現状がいつまでも続くと無根拠に思い込んでいる。それが精神的に一番楽だからだ。将来没落するかもしれないと思って生活したら不安になる。解決策の思いつかない「大きな問題」については「無視」するか「軽視」するのが一番楽なのである。だから、大半の人々はそうする。「そんなことないよ。大丈夫だろう」と。

現在経済的に苦しい立場の人々は、これ以上悪くなるという話しには耳を傾けたがらない。反対にそういう「言論」にたいして「敵意」を持つことが多い。「これからは良くなる」と思いたいからだ。「良くなる」までの間は「日本は最高なんだ」と信じ我慢する。不満は他国民・他民族に対する「敵意」で解消する。Facebookで一言中国や韓国の悪口を言えば気分が良くなると言う人が沢山いるのである。

「論証」などしてみても意味がないのである。分かっている人間は既に分かっている。物事を冷静に客観的に見ることが出来る人であれば「柳井正さんや孫正義さんがここまで言うのだから今後の我が国は相当厳しいのだろうな」と真っ当な理解をすることができる。私が詳細な事実やデータを上げて論証するほどの問題ではないのである。

日本は間違い無く「没落」し始めている。今後、この流れは加速するばかりで止まることは無いだろう。人類史上例のない「少子高齢化」が「没落」を大きく後押しするからだ。いまの我が国にはもはや「回復」へと反転する「バネ」が失われている。なぜなら、これからの我が国の「担い手」である世代に「バネ」がないのだから。総「カウチポテト」化している若い世代に社会を変える力などあるわけがない。

我が国の若い人々は「政治」が大嫌いだ。「政治」について語り合えない人々が「世の中」を変えることなど不可能である。「世の中」を変える最大の原動力は「政治」なのだから。

「政治」については口を閉ざして語らない。日本の若者がこここから脱却しない限り、我が国は「没落」から「反転」することは絶対にあり得ない。

追記。私自身は「経済発展至上主義」こそが人類を「滅ぼす」原因だと思っている。故に、このお二人はまったく尊敬していない。しかし、ここで彼らが語っていることは「現実」を穿っている。

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by dialogue2017 | 2019-10-12 10:30 | Facebook | Comments(2)

9月11日以降ブログの更新をしたのは1度だけ。「対話」ができる相手が一人もいないので更新する張り合いがない。で、更新を辞めた。そのせいもありFacebookには毎日「大量」投稿している。フルリフォームする予定であった「茅野の家」を手放すことにした。「欲しい」と言ってくれる友人が数人いたので(みなプロ写真家)、「茅野の家」に関する情報を大量に投稿した。写真も沢山投稿している。Facebookに写真を投稿する際は「自動コントラスト補正」を掛けるぐらいなので手間無しで楽。

Facebookでは、2013〜2104年頃に私が執拗なまでに「『いいね!』を付けないでくれ」と言い続けたため「いいね!」をくれる人は少ない。言葉のやりとりをせずにボタン一つで交流を終わらせるような関係は嫌いなのだ。しかし、散々言い続けたにもかかわらず、いまでもちょくちょく「いいね!」をくれる人が少なからずいる。ただし、彼らはのべつ幕無しに「いいね!」を付けては来ない。本当に「いいね!」と思ったときだけに付けてくれるので気持が伝わってくる。

このブログの場合と決定的に異なることは、文章だけの「長文」の投稿にも「いいね!」が届くことである中には、文章だけの投稿にばかり「いいね!」を付けてくれる人もいる。頻繁にコメントをくれる友人が数人いるし、「大事なとき」に必ずコメントを入れてくれる友人もいる。プロフォトグラファーの友人はめったに「いいね!」を付けてこない。しかし、彼らが時々「いいね!」を付けてくれたときは、その時に掲載した写真への評価なので時々であることがかえって嬉しい。

「新しいブログ」は11月1日から始める予定である。11月1日に「新しい茅野の家」に引っ越しする予定なので、それを契機に始めるつもりである。そのブログには主に「茅野の家」に滞在中のことを書くつもりである。それは我が家の「週末家族日記」でもあるし、コメントのやりとりが出来る、つまり「対話が成り立つ」友人との交流の場にするつもりである。

来年にはもう一つ別のブログを立ち上げようと考えている。実は、私は「出さない」で「隠し持っている(笑)」写真が沢山ある。もし、なにかの気まぐれで「個展」をやる気になった場合や、「写真集」のようなモノを出す場合に備えて上手に撮れている写真をブログに出さずに「ストック」しているのである。「展示」や「写真集」には一度も人目に晒していない写真を出したいと思っているので、自分なりに気に入っている写真はブログには出さずにストックしているのである。もしかしたら、その中の一部を新しいブログに掲載しようと考えている。と言うのも、この年末から来年初めに掛けて、プロの写真家や写真作家との交流をある程度復活させることになりそうだからである。そうなった場合、一応私もある程度きちんと撮った写真を「公開」しておくべきだと考えているのである。

そんなわけでようやくこのブログも終わりにすることができそうである。まだ、年内はちょくちょく投稿するかもしれないし、最後に「閉じる」際には少しまとめて「写真とカメラについての話し」を書くだろうと思う。対話の出来ない諸君への「決別の辞」ぐらいはするつもりである(笑)。

10月20日に写真の展示を行うことになった。「トムソーヤの森プロジェクト」で撮影した子どもたちの写真を300〜500枚展示する予定である。この「写真展」は撮影者である私の「満足」のために行うモノでは無い。写真に写っている子どもたちやその親御さんに楽しんで貰うための展示であり、また、「トムソーヤの森プロジェクト」の主催者や開催を支えてくれているボランティアスタッフの方々にたいする「リスペクト」としての展示である。間違い無く、子どもたちも親御さんも大喜びして楽しんで鑑賞してくれるだろうし、主催者やスタッフは自分たちの「努力」が「形」になって表現されることに小さくない「感慨」を抱くだろう。

"ドキュメントフォト"には「自己満足」のための写真を越えた力強さがあるのである。

話しが写真展のことに逸れてしまったが、毎日10本ぐらい投稿しているFacebookへの投稿の中から、1時間ほど前に投稿したモノをこちらに転載する。「情報提供」が目的の投稿である。ブログ転載にあたって、今回は各写真の"上に"コメントを入れておく(Facebookに書いたモノと同じ)。

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【茅野の家周辺情報】

9月15日に久しぶりに「ころぼっくるヒュッテ」に行った。以前は時々行っていたが今回は1年ぶりぐらいだと思う。

「ころぼっくるヒュッテ」は標高1,820mの丘「車山肩」にある。日本百名山「霧ヶ峰(車山)」の山頂まで歩いて30分ほど。宿泊も出来るが、カフェ・ランチに立ち寄る客が多い。我が家もまだ宿泊したことはない(一度泊まってみたい)。

この日は妻と二人でランチを食べようと思って行ったのだが、着いた時に「ボルシチ終わりました」というアナウンスがあり、またデッキ席が混んでいたので、改めて後日来ることにした。そのあと、白樺湖のローソンでおにぎりとカップ味噌汁を買って、八子が峰に登って昼食にした(その写真は当日八子が峰からアップした)。

そんなわけで、ちょこっと立ち寄っただけだったのだが7〜8枚写真を撮ったので紹介する。

「茅野の家」から「ころぼっくるヒュッテ」までは車で40分程度。白樺湖からは「空」を走っているような楽しいドライブである(動画を見せたい)。

1枚1枚の写真にコメントを入れておきます。

https://koro-kirigamine.hardrain.rocks/index.html


「ころぼっくるヒュッテ」入り口。

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カフェのデッキ席。この女性、美人だった。若くて、スリムで、色白で、美人。理想的な女性(笑)。

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こちらが宿泊棟。季節にかかわらず、朝目が覚めたときに窓から見る光景は素晴らしいと思う。

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この日のデッキ席は混雑していた。

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店内の席もある(この写真の左側の方にある)。この写真の手前側はお土産ショップになっている。

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デッキ席の向かい。蝶蝶深山。


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「ころぼっくるヒュッテ」のすぐ脇から撮った写真(だと思う)。

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これもヒュッテのすぐ脇。

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googlemapで46分なので、運転がテキパキしている人であれば40分掛からない(笑)。
地図で「職場」となっている場所が「茅野の家」のある場所である。

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白樺湖から登りのワインディングロードとなる。空に向かって走っているようでとても爽快である。
私は近いうちここを真っ赤なツーシータのスポーツカーで走ろうと思っている。
もちろん、オープンにして隣には20代のスリムで色白でとびっきりチャーミングな女の子を乗せる(爆)。

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地図の左上の「八島ヶ原湿原」もとても素敵なところである。「ころぼっくるヒュッテ」から湿原の中を歩いて行くことが出来る。途中「ヒュッテ御射山」でランチやカフェが利用できる。

ただし、もう一度戻ってこないと自分の車に乗ることが出来ない。一応バスはあるが本数が少ない。「八島ヶ原湿原」にも駐車場がある。春に歩くととても素敵だ。


ちなみに、私のFacebookの丸い「ロゴ写真」は「八島ヶ原湿原」で撮った写真である。


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by dialogue2017 | 2019-09-27 15:00 | Facebook | Comments(2)

【本日の投稿】

実は今日、私のところにも「マルクス解説書」が届いた。はっきりした記憶は無いが、長谷川宏さんの著書はヘーゲル関係しか読んだことが無いと思う。長谷川さんがマルクスをどのように語っているかとても楽しみだ。私は本格的に「資本主義」の研究を始める前の「初期マルクス」の方が好きなのでなお楽しみである。今晩はこの本を読もうと思う。絶対に楽しいはずだ。


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by dialogue2017 | 2019-09-09 19:00 | Facebook | Comments(0)

ブログと違ってFacebookへの投稿に対しては様々なリアクションがある。私は、2013〜2014年ごろに私の投稿に「いいね!」を付けないでくれと言い続けた。言葉を使わず「ボタン」を押すことで終わりにする薄っぺらな交流を拒否したのである。その効果があって、いまでは私の投稿に「いいね!」を付ける人は数人になったが、そういう人はその人が本当に「いいね!」と思ったときだけに「いいね!」を付けてくれるので安易な「いいね!」とは違って気持が通じる。また、「いいね!」で済まさずにコメントをくれる何人もいる。リアクションが早いのもブログとはまったく違う。一番違うのは、本を薦めたりしたような場合にその本を買って読んでくれる人がいることである。


友人の本日の投稿】

私がリスペクトしている友人の影響で、マルクスを読むことにした。
若いときに資本論に手をだして、難解で投げ出したのに、今回は入門書や解説書から読もうと思っている。
彼が勧めた訳でも無いのに、今学ばないと次は無いと思うから、だから、「今でしょ」
まだ買ったきり1ページも読んでない本が10冊以上も有るのにね~。

私は次のようにコメントを差し上げたーー「本はまず買うことが重要だと思います。買わない限り読めませんから。『積読』が増えていけば『読まなければ』という気持も生まれてきます」。ちなみにこの方は70歳を目前にされているのにあらゆることにチャレンジしている。「トムソーヤの森プロジェクト」の主催者である。

※写真も投稿された方のもの。

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by dialogue2017 | 2019-09-09 17:00 | Facebook | Comments(1)

【9月6日の投稿より②】

⭐️なぜいまマルクスなのか? (2)

昨晩再読した池田信夫の『資本主義の正体』の中から引用紹介する。

以下の引用は同書24ページ「誤解された教祖」より。なお、1行空けている分は読みやすくするため引用者が行ったものである。

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 多くの人がマルクスの著作と言えば『共産党宣言』ぐらいしか読まないで、階級闘争をあおった社会主義の諸悪の根源だと思っている。たとえばメアリー・ガブリエルの書いたマルクスの伝記は彼の政治的活動にほとんどを費やし、「弁証法的唯物論」にもとづいて「社会主義」の大義に人生を捧げた思想家として彼を描いている。しかし、彼は社会主義という言葉を(否定的な意味以外では)使ったことがなく、生産手段の国有化も主張したことがない。

 マルクスは「資本主義」という言葉も使ったことがない。資本主義(Kapitalismus)は、二十世紀初めにゾンバルトが初めて使った言葉である。マルクスは(初期を除いて)弁証法という言葉は「ヘーゲルの弁証法は頭で立っている」といった皮肉でしか使わなかった。「弁証法的唯物論」はヨシフ・スターリンの造語であり、「史的唯物論」はその派生語だ。マルクスの唯物論を「意識は存在の反映である」という素朴実在論に還元して、意識を経験の集積と考える「マッハ主義者」を批判したのはウラジーミル・レーニンだが、マルクスの思想はそのマッハ主義に近い。

 マルクスが分配の平等を求めたことはなく、それどころかドイツ社会民主党の「公正な分配」というスローガンを「時代遅れの屑のような決まり文句」と決めつけた。資本主義のもとでは、今の資本家と労働者の分配が正しい。その生産関係を変えないで分配に政府が介在して「結果の平等」を実現する温情主義は、労働者の生活を永続的に改善することはできない、と彼は批判した。

 彼が未来社会として構想したのは「平等主義」ではなく「自由の国」だった。晩年の彼は共産主義という言葉も避け、「個人的所有の再建」とか「自由人のアソシエーション」といった表現を好んだ。これはマルクスの思想を全体主義と考えて「自由主義」や「個人主義」を対置する陣営からは奇異に見えるかもしれないが、彼にとって資本主義は人々が物質的な必然に支配される「前史」であり、それを終わらせて自由な個人が自分の歴史を作ることが彼の理想であった。

 彼は一八六四年に設立した労働者の同盟「インターナショナル」の創立宣言を起草し、その運動を最初からグローバルな闘争として組織した。それは当時としては自明の方針ではなく、左翼の多くは(今と同じように)自由貿易に反対していたが、マルクスは保護主義を断固として斥けた。

労働者にとって非常に都合のいい状況とは、資本の拡大のときであることを認める必要がある。[中略]一般的にいって、今日の保護主義的なシステムは保守的である。一方で、自由交換は破壊的である。自由交換は古い国民を壊し、プロレタリアートとブルジョアジーの対立を極端にまで進める。ひとことでいえば、自由交換は革命を促進するのだ。

 社会主義の元祖としてのマルクスは忘れられたが、いま注目されているのは彼がグローバル資本主義を発見したことだ。しかしそれを克服するシステムとして彼が構想した共産主義は、無残な逆ユートピアに終わった。生産を計画的に組織することの困難に、彼はあまりにも楽観的だった。

 しかし資本主義が、その圧倒的な冨の力によって既存のあらゆる社会を破壊し、世界を統合するという彼の予言は、二十一世紀の世界経済の「鉄の必然性」となったようにみえる。日本型資本主義が挫折し、中国の「社会主義市場経済」にも限界が見えてきた今、われわれはマルクスの予言に引き戻されるのである。

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「どうであろう? マルクスに対するイメージがかなり変わったのでは無かろうか?」と問いかけたいところであるが、私より年下の世代は、そもそも"マルクスのイメージ"を持っていないだろう。

マルクスは「資本主義」という言葉も「社会主義」という言葉も使わなかったし、自らの歴史観を「弁証法的唯物論」などとは称さなかった。そして「生産手段の国有化」という主張もまったくしていなかったのである。

池田信夫は晩年のマルクスが「共産主義」ということばを使わず「自由人のアソシエーション」という表現を用いるようになったことについて触れているが、マルクスがその晩年においては若かりし頃に自らが構想した「共産主義」と言うものの「非現実性」についてかなり洞察を深めていたであろうと指摘する研究もある。その内容には触れないが、私もそうであっただろうと思う。

私は、マルクスの思想は基本的には"ユートピア主義”であると理解しているが、それをもって軽んじるという結論には至らない。それはおよそ「歴史の必然」などではないが、マルクスが構想した「自由の王国」が「空想的理想」であるとしても、その「理想」を「現実」の中に持ち込んで最大限可能なかたちで「実現」していくという構想の「出発点」として不可欠に参照すべき構想だと思う。

人類史の現状が肯定的に評価しえないものである以上、人間を「奴隷」とする資本制生産システムに対する批判的考察を行うに当たって、マルクスの思想はひとつの巨大な「展望台」になり得ると思う。

だから、いま少なくない学者がマルクスを語り始めたのである。



by dialogue2017 | 2019-09-06 19:00 | Facebook | Comments(0)

【9月6日の投稿より①】

⭐️なぜいまマルクスなのか? 

近年、一部の学者がマルクスに深く関連するの著書を出している。彼らはマルクス主義者ではない。政治的立場としては「保守」の学者さえもがマルクスを語り出した。

なぜいまマルクスなのか?

結局、資本主義のメカニズムの解明ということにおいて、マルクスを超え出た経済学者が一人もいないからである。

資本主義が世界的に大きな危機に直面している今日、この危機への「処方箋」を考察するに当たってはマルクスを参照する以外に無いと言うことなのである。

「共産主義革命」の思想としての「マルクス主義」は「夢物語」でしか無いが、マルクスが行った「資本制生産システム」の解明と、人類社会への洞察はいまなお輝きを失っていない。

マルクスの思想は100年やそこらで陳腐化するような薄っぺらい思想では無いと言うことである。20世紀が生んだ「三大天才」の一人として名前が挙がるほどの巨大な思想家なのである。

私の世代でさえマルクスの著作を読んでいる人間は100人に2〜3人ぐらいじゃないかと思う。その2〜3人も、『共産党宣言』ぐらいしか読んでいないというケースが多いだろう。

しかし、語弊を恐れずに言えば『共産党宣言』は彼の著作としてはもっともつまらモノだと思う。あれは「政治的パンフレット」でしかないのである。

私は、高校生1年生の時に『賃労働と資本』を読んだのが最初だった。そのあと『共産党宣言』を読んだが、高校生の時にはほとんど理解出来なかった。で、高校時代はレーニンばかり読んだ。

高校時代の終わり頃に団塊世代の勉強会に参加して『経済学哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』を読んだ。研究蓄積のあるチューターが内容を解きほぐして説明してくれたのでかなり意味を理解することが出来た。

私は、『経済学哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』を読んで世界観が変わった。人間と世界がまったく違って見えるようになった。マルクスの思想は、世界観=人生観が変わらざるを得ないほど巨大な思想であった。

マルクスが「私はマルクス主義者では無い」と語ったのは有名な話しであるが、のちに「マルクス主義」と呼ばれるようになった思想は、レーニンやスターリンの思想であると言って良く、マルクスの思想は世に言われている「マルクス主義」とはかなり違う。

この点については午後に改めて書こうと思う。


by dialogue2017 | 2019-09-06 17:00 | Facebook | Comments(0)

【9月5日の投稿より②】

池田信夫『資本主義の正体』の「はじめに」よりもう二箇所紹介する。

市場メカニズムが完全に働く状態を前提とする新古典派経済学は、制度としての資本主義を語ることができない。新興国で多様な資本主義が生まれ、先進国でもピケティのように資本主義の制度的な欠陥についての指摘が出ているが、新古典派は何も言うことができない。資本主義のゆくえを考える上でも、マルクスの歴史的手法の方が有効だ、二十一世紀の今も、マルクスは未来的である。

PHP研究所の横田紀彦さんに「次はマルクス論を書く」と約束したのは六年前だったが、思ったより時間がかかってしまった。ハイエクは一年で書けたが、

マルクスはそれよりもはるかに大きく重いテーマ

であることに、今更ながらに気づいた。二十一世紀にマルクスを論じる意味があるかどうか自問しながら書いていたが、幸か不幸か、

時代はまた彼を求めているのかもしれない。


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by dialogue2017 | 2019-09-06 15:00 | Facebook | Comments(0)

【9月5日夜の投稿より②】

4年ぶりの再読。読み始めたばかりであるが面白い。マルクスの偉大さをハッキリと認めていることが偉い(笑)。

と書いても、池田信人と言う人物についてよく知らない人には意味が伝わらないだろうけれど。

「はじめに」の一部を紹介しよう。

彼の予言したとおりグローバル資本主義は拡大を続け、その恐るべき破壊力で非ヨーロッパ世界を呑み込んでいる。それがなぜこれほど大きなエネルギーをもつのかを、資本による支配構造から解明した点で、彼は現代の経済学よりはるかに進んでいた。


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by dialogue2017 | 2019-09-06 13:30 | Facebook | Comments(0)