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カテゴリ:2015年のブログから( 2 )

2015年のブログから(2)

昨日書いた「たとえこの国が変わらないとしても」の中に「読む気力があるときには月間12,000〜15,000ページほど読む」と書いたが、2015年1月〜5月の5ヶ月間は毎月それだけ読んでいた。オマケに、その5ヶ月間に72万字の文章をブログに書いた。その時読んだ本の「解説」を中心にした文章だった。平均すると5ヶ月間毎月50冊ほどの本を読み、毎月15万字の文章を書いていたと言うことである。しかも、一応「家庭生活」をしながらである。考えてみると丸4年前のこと。60歳を過ぎたいま、あの時と同じことをやる気力が無い。

いや、環境さえ整えば、あの時以上に読んで書くことができるだろう。ただ、いまは「家庭生活」を送りながらアレに近い水準の読書と執筆を行うことはとてもできそうにない。しみじみと「森の生活」をしたいと思う一方、今更根を詰めて勉強をしたところでなんの役にも立たずに終わるだろうと思うと、そんなことをしても無意味だとも思う。それでも読まないわけには行かないという思いを拭い去れない。取りあえず、しばらくは「助走的読書」を続けることにしようと思っている。

古いブログを眺めるのは楽しいものだ。文章を全部読む気にはならないが、写真を眺め、文章を斜め読みすると新鮮な気持ちになることがある。いまよりは頑張って何かに取り組んでいた時期の「日記」はいまの自分に鞭打ってくれる。

4年前の4月は月間60冊の本を読んでいた。1日2冊平均であるが、全く読まない日というのもあるので実際には1日に3〜4冊読んでいる日もある。月間14,000ページ、1冊平均225ページだったが、225ページというのはちょうど新書の平均ページ数に相当する。だから、60冊行っているのであって、単行本ばかりならせいぜい45冊だろう。それでもそれなりの量だ。いまは1日1冊ペースより上がらない。1日に2冊読むと次の日は全く読まない。ポテンシャルがかなり落ちてしまっている。このままだと戻らなくなるかもしれない。近いうち一度2015年レベルに引き上げないと。

以下は2015年5月9日のエントリー 「4月に読んだ本」

4月に読んだ本60冊。これにkindle2冊を加えて合計62冊。

ある程度数が多い理由は新書が多いことと、難しい本を読んでいないため。
kindleを除く60冊で約14,000ページ。1冊平均225ページ。薄い本が多かった。

4月12日〜22日の11日間に36冊と多少集中して読んだ。
最後の一週間も20冊ほど読む予定であったが、例のナポリタンショックでぱったり。
あれは本当に応えた。まだ完全に立ち直っていない。
月間70冊を楽に超えると思っていたが、ノックダウンされ62冊で終わった。
まあ、軽い本ばかり読んでいるので60冊だろうが100冊だろうが同じようなものだが。

砂場で高い山を作ろう思ったら、裾野を大きくしなければならない。
いまは、ただ裾野を広げるというだけの目的で軽い本を中心に乱読している。
そうやって300冊ほど読むと、読む前には見えなかったものが見えてくる。
それが見えてきた後に本格的な読書に移行するつもりである。9月頃からかな。

9月からは、少し難し本をじっくり読むつもりだ。
月20冊ぐらいにペースダウンさせて、腰を据えてじっくりと読み込む予定。
だいたいそういう読書を半年ぐらい続け、来春からは本格的な勉強に切り替える積もりだ。


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by dialogue2017 | 2019-02-04 13:30 | 2015年のブログから | Comments(0)

2015年のブログから(1)

我が家の書棚の写真を探すために2015年にやっていたブログを開けてみた。写真を探そうと思って検索したら「息子の読書」について書かれたエントリーがあったのでそれをここに掲載する。

2015年2月1日のエントリー。このとき息子は小学3年生であった。


あるとき息子がこう言った。
お父さん、本を読むって疲れることだって知ってる? 一生懸命集中して読むともの凄く疲れるんだよ。
息子は、何か新しい発見でもしたかのように少し興奮して語った。
彼が5歳の終わりか6歳の初めぐらいのことであったと思う。
それはそうだ。5歳児が休むこと無く5時間本を読み続ければ疲れるだろう。

本が好きな人間は誰でも、面白くて止められなくなることが良くあるだろう。
私も妻も、以前はついつい夜遅くまで読んでしまって寝不足になることが良くあった。
息子は5歳の頃から、もう眠くて閉じかかっている瞼をこすってでも本を読み続ける子どもだった。
今でも、本を読んでいるときには声を掛けても直ぐには気がつかない。
私も集中力があることではたいがい負けないが、息子には叶わないかもしれない。

昨日本屋に行った話は(3)の中で書いた。
私は、1階の食品売り場で夕食の為の食材を購入していた。
その間に、息子(9歳)と娘(5歳)は2階の本屋でそれぞれ自分の買う本を自分で選ぶ。
息子が選んだ本は完全に大人向けに書かれた本であった。
漢字が読めるかどうかはさておき、内容そのものが小学生には難しい本だ。
私は同じテーマを扱ったもう少し易しい本を薦めた。
しかし、息子は「大丈夫、分かるから」と言い張る。

今の自分の能力では少し難し本を読むと言うことは極めて重要だ。
この話についても、立花隆と石田英敬東大付属図書館副館長の対談を引こう。
なお、対談相手の石田英敬氏の前職は東京大学大学院情報学環の学環長である。
石田:私が大学一、二年生の学生たちによくいうのは、「一〇〇%理解できるような本は読んでもしょうがない」ということです。なぜかというと、完璧に理解できる本をわざわざ読む必要が無いからです。そうかといって半分以上わからないとちんぷんかんぷんになる。だから六割とかそれくらいわかるような本を読むのがいいでしょうね。「君たちは若いので記憶力がある」と彼らにいっています。「私も昔はよくわからないまま、とにかく読んでいたものがいっぱいある。ただそれは後から理解できるようになる。いまは理解できなくても、君たちはそれをそのまま記憶できる。そしていずれあそこに書いてあったことはこういうことだったんだなとわかる。理解力はあとからついてくるそういう読み方が若いときにはできる。記憶力がサポートしてくれるんだ」って。僕自身、高校生の時にヘーゲルの『精神現象学』を読みましたが、もちろんちんぷんかんぷんでした。それでも我慢して読んだ。
立花:たしかに人間、わからないものに挑戦しないと、知性が鍛えられませんね。若いときほど知的な背伸びが必要だと思います。
息子は母親に似たのだ。彼の母親(私の妻)は、本当にそんな本を小学生の時に読んでいたのかと驚くような本を小学生時代に大量に読んでいる。小学生がドストエフスキーを理解できるはずが無い。しかし、そんなことはお構いなしに、彼女は両親の書棚にある書物を片っ端から読破して大きくなったのだ。(3)で引用した立花の話の中に、家にトルストイの全集があったという話があるが、そういう環境で育った子どもと、家に本が無い環境で育った子どもでは、将来の読解力(思考力)に大きな差ができる。無教養な父母を持った子どもは人生において大きなハンデを背負っている。

子どもが大人の本を読んでもどこかしら分かる部分がある。
たとえその量が全体の10%であってもそれを読み理解することの意義は大きい
立花が言うように、「わからないものに挑戦しないと、知性がきたえられ」ないのであるから。

そして、「若いとき」「六割」しか理解できなかった本を、例えば30過ぎに再読した際、石田が指摘するように「あそこに書いてあったことはこういうことだったんだなとわかる」ということは頻繁に起こってくることだ。石田が語るように、理解力はあとからついてくるのである。

しかし、そいうい読み方ができるのは「若いとき」の「記憶力がサポートしてくれる」からである。50歳を過ぎると、めっきり記憶力が衰えるので、3割ぐらいしか分からない本であれば、一旦放り投げておいた方が良いだろう。そういうケースでは、そのジャンルについて書かれた6〜7割ぐらい分かる本をまず先に読むのが賢明だ。


by dialogue2017 | 2019-02-03 23:40 | 2015年のブログから | Comments(0)