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「失われた20年」という言葉がある。バブル経済が崩壊した1991年から20年間の低迷期を差す言葉である。その内実についてここで触れるつもりはないが、我が国はこの「失われた20年」とそれに続く時期に実際に多くのものを失った。今日は「日本がワースト1位の世界に誇れない事10選!」という記事を紹介しよう。200ヶ国近くある世界の国々の中で「ワースト1位」になるというのはそれほど簡単な事ではない。まして、いくつもの項目で1位を取ることが出来るとしたら、「構造的原因」がなくては無理だ。つまり、偶然こうなったのではないと言うことである。大変残念なことであるが、我が国は人間を幸せにする社会とは反対側に向かってせっせと歩んできてしまったのである。

この記事は、我が国が「世界第1位」となっている事柄を事実に基づいて紹介しているだけである。この現実をどう評価するかは各人の自由である。私はこの先の「令和ジャパン」はかなりお先真っ暗だと思う。一つの国が「舵を切って」変わっていくためには少なくとも10年20年という年月を必要とする。めまぐるしく変化していく現代社会であっても一つの国が大きく変わるためには最低20年やそこらの年月が必要である。この「ワースト1位10選」を見ただけでも、我が国が「生きやすい国」に変わっていくためには相当な歳月が必要だと感じる。これだけたくさんの「病気」を抱えていたのでは簡単には「健康」には戻れない。しかも、若い世代が「こんな国じゃどうしようもない。変えていこう」と立ち上がらない限り全く変わらないのである。そう考えると絶望的な気持にならざるを得ない。だって、若い世代は政治的無関心で「主張」することを完全に捨て去った世代なのだから。このままでは我が国は間違い無く没落するだろう。

【追記】バブル経済が崩壊した1991年という年は、1971年生まれが成人となった年である。つまり、1970年代生まれの青年たちは「失われた時代」に自らの人格形成を行った世代だと言うことである。どういう時代にどういう社会で生まれ育ったかと言うことは、一人の人間の人格形成に小さくない影響を与える。この世代が世の中に対して根本的に「ネガティブ」な見方を持ったとしても「そりゃ当然だ」と言うしか無いだろう。彼ら自身が悪いわけではない。

悪いのは彼らに先行する世代である。中でも、政財官の然るべきポジションにいた人間の「罪」は重い。自分たちは散々「美味しい」思いをした挙げ句若い世代に多大なツケを押しつけ、自らは退職金で「NIKON D850」とか「SONY α7RⅢ」とかを買って風景写真などを撮り歩いている世代が「主犯」である。その世代の「アマチュア写真家」はとにかくマナーが悪い(連中が多い)。山登りをしていても、この世代のマナーの悪さにはあきれかえる。「団塊世代」がそういう「自分勝手」な「人格」となった根本は、戦前の我が国のほとんどを否定するところから始まった時代に生まれたからである。戦後民主主義は、「軍国主義」「家父長主義」という「悪弊」を捨てるのと一緒に「倫理」や「道徳」という人間にとってたいせつなものも「旧弊」として捨て去ったのである。その挙げ句、ひたすら「経済成長」だけを追い求め、人間にとってもっと根源的で大切なものをないがしろにした。この「ワースト10」はそういう歩みの当然の帰結である。

私は団塊世代よりワンゼネレーション下の世代であるが、若い世代に対する責任を感じ忸怩なる思いを抱いて生きている。しかし、1970年代以前に生まれた世代はまったく責任を取ろうとはしていない。それどころか、責任を自覚さえしていない。「勝ち組世代」である彼らは「良かった時代」の「遺産(年金や預貯金)」で面白おかしく生きて死んで行くだろう。団塊世代あたりまではある程度資産があって悠々自適な連中が少なからずいる。そういう世代は世の中を変えようなどとは思わない(若い頃に世の中を変えようとして全く変えることができなかったというネガティブな経験をしている世代だ)。彼らは「余生」を楽しむことに夢中だ。だから、1970年代以後に生まれた世代がこの国を立て直そうと思って行動しない限りこの国は悪くなる一方なのである。ツケを押しつけられ、生きるのに苦労するのは君たちの世代と、君たちの子どもたちなのである。私は、君たち世代に向かって、せめて警鐘を乱打したい。

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by dialogue2017 | 2019-04-08 09:00 | 憂国 | Comments(1)

今日は、半月ほど前に写真家の水谷充さんが「note」に書いた記事を紹介する。彼の書いた話は、昨日紹介した小田嶋隆さんが書いた話に通じる部分がある。二人が語っていることは「他人の顔色を見て、周りに合わせて生きるような生き方は辞めようよ」ということである。水谷さんは1959年生まれ。私より2歳年下である。小田嶋さんも水谷さんも私と同世代である。私と同世代がみな同じように考えているというわけではないが、私たちの世代にはこういう感覚の人間は決して少なくないだろう。小田嶋さんが書いたように「平成に先立つ長い昭和の時代、当時若者だった現在の中高年層であるわれわれは、何かにつけて不平を鳴らし、異議を唱え、反駁し、罵倒を投げつけ、論争を繰り広げている人々だった」のだから。

いや、我々の世代でもそういう人間は決して多数派ではなかった。日本人は2000年前から「忖度テレパシージャパン」だったという認識の方が正しいだろうと思う。しかし、「何かにつけて不平を鳴らし、異議を唱え、反駁し、罵倒を投げつけ、論争を繰り広げている」ような人間が多数派ではなかったにしろ、いまの若者のように「毒にも薬にもならない」「誰も傷つけない微温的な言葉」のやりとりしかしないという風習はなかった。

ノンポリであっても、穏和な性格であっても、それなりに自分の本心というものを語り合える人間の方が多かったと思う。時には、穏和な性格のノンポリが、私のように激しい性格の政治的人間に対して口からつばを飛ばし鬼のような形相で反論をしてくると言うことがよくあった。そういう「穏和な青年」は珍しくなかった。平素は穏和で人との軋轢を起こさないのだが、論議をしかけられれば「オレは違うと思う。お前の言っていいることはおかしい!」と堂々と反論するのである。私の世代はすでに「ひ弱な世代」であると思うが、その「ひ弱な世代」のなかで「穏和な人間」に分類されるような青年でも「言うときは言う」だった。1960年代生まれまでの青年にとってはそれがスタンダードだったと言って大きく間違っていないだろう。1970〜1972年生まれあたりが「端境期」で1973年以後生まれは完全に「へたれ」になったと思う。

(注1)もちろんどこかにキッチリ線を引くことなどできないが、上に記した「線引き」は概ね外れていないだろう。少なくとも私の人生経験からはかなり妥当性があると思うし、同意してくれる人間は少なくない。卑近な例を挙げれば、私は1971年生まれのsunnyday君と1973年生まれの0123okkun君の間に明らかな「世代差」を感じているのである。もちろん「個人差」の方が大きいだろうが、「世代差」が反映していると思う。1973年生まれ以後の青年は「しっぽを振るな」なんて言い方はしないものだ(笑)。

(注2)いずれにしろ1970〜1974年生まれあたりがそれに先立つ世代と著しく代わり始めた世代だったと思う。この4年間に生まれた世代は「第二次ベビーブーム」世代である。つまり「団塊世代」の親に育てられた世代である。日本を「へたれ」社会にしてしまった「主犯」は団塊世代である。だから、こうなったのは当然の帰結なのである。ちなみに、1973年は「第二次ベビーブーム」のピークの年であった。そこが「転換点」となったのも「必然」だと思う。

以下に、水谷さんが書いた「自覚すること」の全文を掲載する。こちらが「原本」である。水谷さんは、私や小田嶋さんに比べるとかなり「優しい」物言いをしている。若い世代にそうとう「配慮」した書き方をしていると思う。それは彼の人柄に依る部分が大きいとは思うが、彼が「写真」と言うことを通じて少なからぬ数の「主張しない」若い世代の青年たちと交流しているという事情があるからだと思う。そういう事情を取っ払って書き直して貰ったとしたら、小田嶋さんや私ほどではないにしてももっと辛辣な文章になっただろうともう。しかし、主張せず周りに合わせ流されるような生き方を肯定するような文章を頭に置いておいて「と、こんな世の中になったら嫌だな」とうっちゃる書き方は、ある意味我々以上に辛辣だ(笑)。我々の世代は、「腑抜け」な現代青年たちに対して生理的な違和感を感じているのである。

追記。私は水谷さんが書いた「凄すぎるものを前にすると、自分のダメさばかりが際立って辛くなる。だからけっして本物なんかを求めないのだ。無難に、それらしく人生が進み、無事に終わればそれでいい」という部分を読んで、「エキサイトブログ」の「モノクロ写真ジャンル」の「写真」を思い浮かべた。「けっして本物なんかを求めない」「それらしく」「無難」な写真である。それで思い出した。私は昨年の6〜9月の丸3ヶ月間このブログを辞めていた。辞める直前に書いたエントリーが「なんでもう少し本気でやらないの?」だった。水谷さんの撮るポートレートはとても素晴らしい。彼は、トコトン「本気になる」男なんだよね。人生、そういう男と付き合うのが一番楽しい。


自覚すること ー 写真家・水谷充さんの提言 (しっぽを振るなと言う話?)_e0367501_21372193.jpg

大人の社会は、本当のことを明らかにしてはいけない。周囲の空気を読んで、適当なところで合わせておくのがいいね。たとえば自分の人生観と照らし合わせて、どうしても相容れない価値観に遭遇したりする。もし相手が多数派なら、自分の考えを明らかにすることなくその場をそっと離れればいい。他人を説得するのは疲れるだけだ。ゆるやかに、なんとなく。無難に付き合う対人関係の作法。そんなものを身につけておいたら、それはそれは生きやすくなるだろう。ほとんどの人は、本当のことなんか求めていない。嘘でもいいから、適度に心地いい、ぬるま湯に浸かっている様な状態が望みだ。本当のことに対峙するほどの勇気も気概も持ち合わせていない。決断もしない。結論も求めない。本物を追求したところで、得られるものは些細なものだ。それらしいことが出来ていれば、十分幸せなのだ。

だから覚えておいて欲しい。暴いてはいけない。批判してはいけない。人々を覚醒させようなんて、考えてはいけない。そんなことをすれば、ただただ苦しいだけの茨道が待っている。多くの人は命を懸けてまっとうしようなどとは考えていない。本物を作り上げようなんて考えていない。それらしく体裁が整っていれば、もうそれで完成なのだ。
凄すぎるものを前にすると、自分のダメさばかりが際立って辛くなる。だからけっして本物なんかを求めないのだ。無難に、それらしく人生が進み、無事に終わればそれでいい。

と、こんな世の中になったら嫌だな。
完全に終わってるよね。

ん?
じゃ、もしかしたら終わってるのか?

電話一本。2万も出せば、偽りの愛をレンタルすることもできる。それで満足なら人生は楽なもんだ。

さて君は、どうする?歩き方は自分自身で見極めて欲しい。世の中は、君が出したどんな結論も受け入れてくれる。というか、君がどの様な人生観で生きているのかなんて、親以外、誰も興味はない。だから歩き方は、君自身の満足感のために決めればいい。人が一人、生きていようが死んでしまおうが、世の中的には何の影響もない。だから、なおさら自分自身が納得していない生き方に意味はない。そこだけは忘れずにいてほしい。

もっとも、そう簡単に生き方なんて決まらないだろう。やってみたり、やめたり。フラフラと定まらない時期を過ごすこともあるだろう。それもいい。人からの苦言など聞いたフリでもしておけばいい。気にすることはない。そして時々チャンスがやってくる。悶々と手探りで流されているときに、なにかピンと来る出会いがあったりするものだ。それを逃さずグッと引き寄せるのだ。当たりかどうかはわからない。自分の勘を信じるしかない。勘の精度を上げるには、知識と経験。本を読み、他人の経験をまるで自分事のように取り込んでみるのもいいだろう。ピンと来たときのピンが、どの程度の信憑性かは、それなりの準備をしておかなければ見抜けない。したたかに生きよ。情報化社会は、主体性を意図しなければ簡単に流されてしまう。流されるだけの人生は退屈だ。流れを生み出すとまでいかないまでも、少なくとも自分の意志で流れに乗ってみるというのがいい。なぜ自分は、その道を歩いているのかを常に自らに問い続ける。それだけで、かなり人生は面白くなる。そう、自覚するのだ。理由もわからず、周りがみんなやっているからやっておこう。これが、一番面白くない。自分が生きているということをしっかり見届けること。それこそが生きているということだと思う。


by dialogue2017 | 2019-04-07 10:00 | 憂国 | Comments(1)

忖度テレパシージャパン

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日経ビジネスのオンラインゼミナール「小田嶋隆の『アイ・ピース・オブ・警句』〜世間に転がる意味不明」の昨日配信の記事「忖度テレパシージャパンが実現する前に」を紹介する。私に言わせれば、「忖度テレパシージャパン」はすでにかなりの程度まで実現してしまっていると思う。この記事に対する感想をひとことで述べれば「我が意を得たり!」である。

私はこの記事に書かれている全てのことに同意する。5ページ目の「結論を述べる」以下はまったその通りであると思う。100%同じ意見である。小田嶋氏は「そもそも『忖度』は、交渉相手の意向や本心をいちはやく察して、言葉のやりとり抜きで、相手がメッセージを発信する前にそれを受信する、洗練された組織人のマナーとして、この国で生きる下っ端に長らく推奨されてきたコミュニケーション作法だった」と記している。奇しくも、私は3日前、我が国の古代・中世史を読んでいた。「ヤマト朝廷」成立以後の日本社会がどうい社会であったのかについて書かれた本を読んだ。その本を読んで痛感したことがあった。戦後日本は国際社会から「プリンシプル無き国家」と見下されてきたが、それが我が国の「建国」原初からの一貫した「本質」だったということを「思い知らされた」のである。我々は2000年前から「忖度テレパシージャパン」だったのだ。

むろん、その事実についてまったく知らなかったわけではないが、古代史・中世史に暗い私は改めてその事実を目の当たりにして驚いたのである。私は我が国の近現代史はそこそこ読んでいるが(この3年に限っても300冊前後読んでいる)、古代史・中世史については20代の初めから半ば頃に掛けて読んで以来この35年間はほぼ全く読んでいなかった。若い頃に通り一遍は読んだが20代前半の理解力など深かろうはずがない。だから、今回我が国の古代史・中世史を読んで「驚いた」のである。「ヤマト朝廷」以後の我が国には社会を動かしていく「プリンシプル」が無かったと言うことが驚きであったのである。では、我が国をドライブしていた「原理」はなんだったのかというと「忖度」なのである。もちろん、他にも様々な要因があったことは言うまでも無いが、落としどころで大きく働いた「原理」が「忖度」であったと言ってしまって過言では無いだろう。私は、我が国、我が民族の「本性」を思い知らされたような思いであった。そういう気持になった3日後に「忖度テレパシージャパン」という小田嶋氏のネーミングに触れ、なにもかもがスッキリしたという思いであった。

小田嶋氏は記事の末尾で「私個人は、『忖度』は、最終的には、『論理や意味を超えた』『無言の』交信マナーとして、次世代の日本をドライブすることになるだろうと思っている」と書いているが、それは既にかなりの程度まで現実になっていると思う。もちろん、小田嶋氏とてそんなことは先刻承知のことであろう。氏がこのように書いたわけは、今などとは比べものに成らないほど露骨にそういう社会になるだろうということである。私も、間違い無くそうなると思う。小田嶋氏は「どうやら、多数派の人々は、毒にも薬にもならない、何を断言しているわけでもない、誰も傷つけない微温的な言葉に安心感を得ているようなのだ」と指摘しているが、ネット上での若い世代の発言を見ていると青年層の90%はそういう感覚で生きているのだろうと感じる。※多くの社会学者、心理学者、精神科医などがそういう分析をした本を出している。

「写真ブログ」のコメントなどを見ても、良い意味での相互批評さえ欠片も無い。「もう少しこうしたら良いのではないか?」とうレベルでの意見にさえ出会うことがない。ほぼ100%「いいっすね!」レベルの中身ゼロエールの交換しかされていない。互いに褒め合うことで良い気持ちになっているのである。彼らは「毒にも薬にもならない」「誰も傷つけない微温的な言葉」のやりとりしかしないのである。そこには「切磋琢磨」がない。下手くそな写真にたくさんの「いいね!」が届くから自分の写真がどれほど下手くそなのかと言うことを自覚することさえできない。そもそも人間は「傷つく」ということなくして大きく成長することはできない。厳しい批評に晒され「傷つく」と言うことを体験し、それを乗り越えていく過程で人間は成長するのである。「昭和」の時代まではそれが当たり前の事であった。しかし、「平成ジャパン」になって以後の我が国では、「かわいい子には旅をさせよ」というような良き風習は失われた。

小田嶋氏はこのコラムを「忖度テレパシージャパンが実現する前に天寿をまっとうできたらありがたいことだと思っている」という文章で結んでいる。「そんな時代には生きていたくない」というのは比喩ではなく本心だと思う。氏は1956年生まれである。小田嶋氏より一つ年下の私も最近は「ああ、もうこんな世の中に生きていたくない」と言う言葉が口を突いて出ることが増えてきている。もう、本当にウンザリなのだよ。こんな"へたれ"人間だらけの世の中で生きていくことはしんどいのである。どんなに長生きをしてもあと10年で「天寿を全うしたい」と私も思う。

念のためもう一度記事のURLへのリンクを貼っておく。是非読んでいただきたい。 → 「忖度テレパシージャパンが実現する前に」

※コラム冒頭に掲載されているイラストは筆者である小田嶋隆氏が描いたもの。「恋人が忖度ボース」は「ボスを忖度」という意味であり、ユーミンの「恋人がサンタクロース」のもじりである。念のため。

【追記】どうでも良い話であるが、紹介した小田嶋氏の記事は5,833文字である。私のこのブログのエントリーも5,000文字台であることが少なくない。なにかひとつのテーマについて、最低限の範囲できちんと語ろうと思うと5〜6,000字ぐらいはどうしても必要になると思う。小田嶋氏の語り口には「軽妙」さがあるが、言っていることの辛辣さという点では私以上だと思う。当代一のコラムニストだと思う。


by dialogue2017 | 2019-04-06 15:30 | 憂国 | Comments(0)

「1月に読んだ本。単行本18冊。新書8冊。文庫6冊。合計32冊。読んだページ数は7,995ページ。今月は本を読む気力が無かった」ーーこれは"ふたつ前のエントリー"の冒頭に記した一文である。月間32冊の書籍を読んでいて「今月は読む気力が無かった」と書いたのでは「嫌味」に思われるかもしれない。しかし、「本を読む気力が無かった」というのは私の偽らざる実感である。だからついこのように記してしまった。

読む気力があるときには月間12,000〜15,000ページほど読む。私が読む本は300〜400ページほどの本が多いので冊数にすると月間40冊程度になる。2015年には月間75冊、20,000ページ以上読んだ月もあった。まあ、これは割とマックスに近い数字である。今年は「1日1冊新書を読む」という目標を立てた。これは消極的な目標である。新書は1冊10万〜15万字程度。200〜250ページ程度のものが多い。平均して1冊225ページと考えて月間30冊として6,750ページ。私としてはかなり「楽」な量である。

「茅野の家」は標高1,100m程の山の上にある。隣近所の別荘に所有者が訪れることはほとんど無い。両隣とはす向かいの別荘にはこの2年間一度も所有者は来ていない。外観から判断してもう10年ほどは放置されているだろう。200〜300m程の範囲には居住している家が4〜5軒あるが、私の「家」の隣近所には人が来ないので家の中に籠もってしまえば俗世間とは完全に無縁の日々を送ることができる。ここで丸1年間一人暮らしをしたら、年間7〜800冊は読むだろう。仮に新書だけを読んだとしたら1,000冊以上読めるだろう。そういう「森の生活」をしてみたいと思う。「読書」と「散歩」と「音楽」以外には何もない生活をしてみたい。

元旦には本を読む気力満々であった。だから5冊も読んだ。2日に『西郷どん』の総集編を見てしまいちょっと気が抜けたが、それでもすぐに気力が失われたわけではなかった。気力は徐々に、しかし、日一日と確実に衰えていった。そしてサッカーの「アジアカップ」が始まったのを契機に1週間全く本を読まなかった。その一週間に何をしていたかというと、サッカー中継を見て、音楽を聴いた。そして、このブログにたいして意味の無い文章を書いた。ブログにたくさん文章を書いている時というのはほぼ例外なく「読書」から「逃避」している時である。私は「読むこと」に飽くと「書く」のである。

好循環しているときには本を読んだことから受けた刺激をもとに文章を書いている。そういう情況で書いているときというのは中身のある文章を書いている。2015年の上半期に70万字の文章をブログに書いたときがそうであった。しかし、それが実現した理由は、その時書いていたことが「我が国の今後について考える」というテーマであったからである。2015年の上半期はそのことだけに没頭していた。たぶん、私は物事に「没頭」することが好きなのだと思う。そういう状態の時が一番コンディションが良い。何かに没頭していない時というのはポテンシャルが落ちている。この2年半のうち「没頭」していた時期というのは、2016年8月8日からその年の年末までのおよそ5ヶ月間だけだ。今上天皇の「お言葉」に触れた翌日からその年の年末まで、私は来る日も来る日も「天皇」「明治維新」「太平洋戦争」関連の書物を読み続けた。

5ヶ月間ものあいだ毎日本を読んで過ごすと流石に飽きる。いや、飽きるのではない。「ウンザリ」するのである。もし、読んで楽しいジャンルの本をノンビリ読んでいたら飽きると言うことは無いだろう。2016年8月からその年の年末までは「天皇」関連の本を読んでいたわけであるが、11月12月は「太平洋戦争史」ばかりを読んだ。そしてウンザリした。太平洋戦争を始め、その指揮をしていた軍人や政治家があきれ果てる程までに「馬鹿」であったというこを毎日毎日読み続けていたらいい加減ウンザリしてくる。

戦争が正しいとか間違っているとかそういう価値判断の問題ではない。戦争指導者たちのやっていることがあまりにもデタラメなのである。なんの見通しもなく戦争を始め、彼我の軍事力の差に絶対的な開きがあり戦争を継続すれば被害が広がるばかりだと分かった後も延々と戦争を続けたのである。太平洋戦争の戦没者のおよそ6割(140万人強)は戦闘において戦死したのではなく、飢えと病気によって死んだのである。「弾薬」と「糧秣」が無くなった後、戦地のジャングルの中などで餓死したり、マラリアなどに罹患して命を落としたのである。大日本帝国陸軍には「兵站」について明確な理解さえなかったのである。その事実の詳細をくり返し読み続けていたらウンザリするなと言う方が無理である。

2016年12月31日をもって『午後の陽射し』を辞めたのにも関わらず、半月後の2017年1月14日に『一人の読者との対話』を始めてしまった動機の根っこにあったのは「読書からの逃避」である。以後この2年間、私は「読書」という「課題」に真っ直ぐに向き合うことから逃げていた。全く読まなかったわけではない。少ない時でも年間200〜250冊程度は読んでいる。娯楽書の類いは元々読まないし、文学書を読まなくなって10年近くになる。だから読むのは学術系書籍だけである。この2年間も、結局一番多く読んだのは「太平洋戦争」関連の本であった。

しかし、「太平洋戦争史」はまだ我慢ができる。「昔」のことだからである(とは言え、今の日本の「指導者」の体質は当時の「指導者」の体質と全く同じではあるが)。先月「本を読む気力」を失った理由は、読んでいた本が「戦後日本社会論」関連であったからである。こちらは昔のことではなく「現在」のことである。つまり、私は目の前にある「現実」の「空しさ」と毎日向き合い続けていたと言うことである。

昨日書いた「思いもよらず低調なスタートとなった2019年」に対して寄せられたコメントの中に「世界を日本を変えていくなどということはできるわけがないと感じた」と記されていた。私だってそう「感じて」いる。しかし、「変わりっこないんだから何もしないし考えても仕方ない」という態度を取ることはできない。私は、変わるか変わらないかということを問う前に、一人の大人としてのこの現実に痛苦なる責任を感じる。なぜなら、この現状は更に急速に悪化していき、10年後20年後に我が国が大きな危機に逢着する可能性は限りなく100%近いからである。その時、巨大な困難を背負わされるのは私たちの子どもの世代である。であれば、「世界を日本を変えていくなどということはできるわけがない」で済まされる話ではない。「済まされない」ことであるならば、それを課題として背負う以外にない。

自分の子どもたちのことを心配しているわけではない。どんな時代であっても負けることなく生きていけるだけの「自立心」と「精神力」を持った人間として成人できるように育ててきたし、10年後20後にも「能力社会」は続いている。いや、いまよりもっと格差の大きな能力社会となっているだろう。はっきり言って、それは我が子たちには「アドバンテージ」だ。間違いなくとは言えないが、「一握り」の「エリート」の「席」を確保するだけの「学力」は間違いなく持っている。娘は名実ともに「学年一」である。息子は全く勉強しないので成績は学年一ではないが、過去のどの担任からも「頭の良さは学年一。抜きん出ている」と評価されている。高校2年の夏休みが終わった後ぐらいから勉強始めれば十分に間に合うだろう。

人生には何が起こるか分からない。だから、我が家がずっと「安泰」であると言う保証は無い。そんな「楽観」はしていない。しかし、確率を考えたら「安泰」が続く可能性はかなり高いし、今後も「万が一」に備えた措置を積み重ねていくので大きな「危機」に見舞われる可能性は小さいだろう。日本がどこかの国と全面戦争をするとか、3.11規模の災害が東京を襲うというようなことがあれば避けようがないが、経済的に没落する程度のことであれば「我が家」はなんとか「安泰」を保つことができるであろう。

しかし、私は10年後20年後に「巨大な危機」を背負わざるを得ない世代の「困難」を「他人事」と考えることはできない。そのように思う理由はとても簡単だ。大人は子どもに対して責任を負っている。ただそれだけのことである。だから、たとえ「世界を日本を変えていくなどということはできるわけがない」としても、この「課題」と向き合って生きていく以外の生き方はない。

私が「太平洋戦争史」を読み続けているのも、「戦後日本社会論」を学び続けているのも、「日本を変えていく」ために必要不可欠だからである。私は多くの人々から30年に一人というレベルの「政治的アジテーター」だと評価されてきた。30年に一人かどうかはさておき、政治的アジテーターとして傑出していることは確かである。私に、私の能力を発揮する機会が訪れるかどうか分からない。私自身は必ずしもそういう時が来ることを待ち望んではいない。このまま平穏のうちに人生を終える方がありがたい。しかし、この国が大きく変わる「節目」が到来し、もっと真っ当な社会の実現へとおおきく舵を切ることができる可能性が生じたとき、私は自らに与えられた「天賦の才」を歴史の要請に捧げる積もりではいる。私は言葉だけが巧みな「空疎なアジテーター」として仕事をしたいとは思わない。だから、コツコツと勉強を続けているのである。

今日は『明治六年政変』(毛利敏彦・中公新書)を読んでいる。明治維新史はかなり読んでいるが「明治史」はそれほど多く読んでいない。今年の課題として「明治史」を少し読もうと思っている。先月、西郷隆盛に関する本を2冊読んだ。1冊は通説とはかなり異なる斬新な視点で西郷を解剖していて非常に面白かった。西郷隆盛に関してはこれまでに何冊もの本を読んでいるが、彼が本当に「征韓論」の立場であったのか、そして何故「西南戦争」という結末に突き進まざるを得なかったのかと言うことがどうしても理解出来なかった。それは「大久保利通は何を考えていたのか?」という問いでもある。

『明治論年政変』は冒頭から「新説」を開陳していて引き込まれた。長年の疑問にたいする答えに近づく道が見えたような気がする。まだ半分ほどしか読んでいないが、残り半分が楽しみである。こんな馬鹿馬鹿しいブログを辞めて読書に専念しなければな〜、と思う(笑)。

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by dialogue2017 | 2019-02-03 18:20 | 憂国 | Comments(3)