2019年 12月 02日
ハイライトの美しさ


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by dialogue2017
| 2019-12-02 22:00
| 誌上レッスン
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2019年 09月 04日
たとえばこんな感じ(shi-photo君へ)
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by dialogue2017
| 2019-09-04 10:30
| 誌上レッスン
2019年 07月 10日
誌上レッスン(21)




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by dialogue2017
| 2019-07-10 16:00
| 誌上レッスン
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2019年 04月 09日
誌上レッスン(20)
よい写真が撮れた理由は「思い」が込められているからだ。「シャッターを切らずにいられない」という経験を経ないと一皮剥けることはできない。実は、先ほど風呂に浸かっているときに一両日中にその話を書こうと思っていたところだ(笑)。一昨日、ある方のブログを読んだら「たくさんの人の写真を見て試行錯誤」することの大切さについて語っていた。その通りだ。全くその通りだ(私自身は沢山の人の写真を見たことなんて無いし、外国人写真家の写真なんて全く見たことが無いけれど)。高く評価されている写真家の写真展を見に行ったり質の良い写真集を見ることが写真が上達するための"基礎作り”としてとても大切だと言うことについては私も再三書いてきた。シャッターを切らずにはいられない。何らかの衝動が私を突き動かしている。誰かの写真に形容し難い気持ちを抱く。そういったことを突き詰める必要があるのだろう。あるのか。あるでしょう。自分のことなんだから。
しかしである。一番肝心なコトは「思い」の籠もった写真を撮ることだ。それがなければ、どれほど沢山良い写真を見て学ぼうと、どれだけ技術的に高度になろうと「仏造って魂入れず」で終わる。この話については、きちんと書こうと思うが、人々の心を魅了する写真を撮るというのは簡単なことではない。ある程度以上の撮影スキルが必要なことは言うまでも無いが、それがあれば人を魅了する写真が撮れると言うわけでは無い。見た目が「奇麗」であるということと、心に「伝わる」というのは全く別なことだからだ。
全く別なんだよ。
どんなに美しいトーンの写真であっても「ふーん、奇麗だね」で終わってしまう写真がある。アマチュア同士の間では評価が高い写真がプロの作家の眼識に掛かると一顧だにされないということは珍しくない。ただ美しいと言うだけではプロからは評価されない。美しいだけの写真なら技術があれば誰にでも撮ることが出来るからだ。「上手い」=「伝わる」ではないのだ。「奇麗」=「心を揺さぶる」ではないのだ。だから、いくらたくさんの写真を見て試行錯誤を重ねたとしても、「技術」で撮っている写真は伝わらない。自分より下手な人間から感心されることはあっても、自分より遙かに上手い人から褒められることは無い。なぜなら、技術的な高さを見せようとした写真はそこばかりが目に付くからだ。肝心の「写真」がもの凄く陳腐なものであったり、あまりに個人的な写真であればなかなか観る者の心を打たない。
写真について最も「核心的」な部分の話なので、この話をきちんと理解して貰えるレベルで書こうと思ったら少なくとも7〜8千字は書かなくてはならない。しかし、今回は「誌上レッスン」をやりたいのでその話は後日に回す。
ここからの話はこの写真を撮った本人(from_vixen君)に向けて書く。このブログは「一人の読者との対話」であるから。綺麗な写真だと思う。見ていて気持が良い。これって凄く大事なこと。コントラストだとかトーンだとか明るさだとかが不十分であっても、見て「気持の良い」写真であることがまず重要だ。とても美しいトーンに仕上がっていても、つまらない写真じゃ駄目だと言うことだ。そういう写真が沢山ある。トーンが美しいということしか見えてこないんだ。その写真を見て、その光景の美しさが感じられることがまず重要なのに「トーンの美しさ」ばかりが眼について、肝心の写真から「美しいな〜」という「感じ」が伝わってこない。モノクロをやっている人にはそういう「独りよがり」の写真を撮っている人が多い。同じことをやっている者同士でしか感じるモノがない。プロのモノクロ作家に見せたら「ふ〜ん」の一言で終わっちゃう。
この写真からは「素敵な光景だな〜」という事が伝わってくる。どこだろう? 何時頃だろう? そんなことを考えてしまう。どうしてかというと、写っている光景そのものが美しいからだ。それでいいんだよ。我々は美しい光景に出逢うと感激するし、写真に撮りたくなる。そうやって撮った写真は見る人にも同じ思いを起こさせる。「ああ、奇麗な光景だな〜」と。まずはそこが出発点。でも、この写真は「もう一歩」だ。これだけ美しい光景を撮っていながら桜に艶やかさを感じないからだ。写っている光景が奇麗なだけで、「写真」はそれほど奇麗じゃない。肝心なモノが足りないのだ。人類史上最大の天才とも言われるかの文豪に教えて貰おう。
もっと光を!
これはこれで悪くはないと思う。コントラストが控えめで品があるしアンダー故に桜の発色は奇麗だ。悪くない。でも、やはり地味すぎる。実際に見た目がこういう雰囲気に近かったのだとしても、ハイライトがこれだけ弱いと写真としての美しさに欠ける。僅かに持ちあげるだけでも良いと思う。かなりいい感じではあるんだよな〜。でも、やはりちょっと寝ぼけている感じの写真だと思う。分かりやすい言い方をしよう。この光景はネガフィルムで撮りたい光景ではなく、リバーサルフィルムで撮りたい光景なのだ。メリハリがあって鮮やかな描写の方が合う光景だと言うことだ。ネガで撮って落ち着いた写真にすることを否定する積もりはない。それはそれでありだと思う。ただ、やはりポジで撮りたい光景だ。
午前4時追記。MacBook Proで見てすぐにこのエントリーを書いてアップした。いまiPadmini 4で見て見たらギリギリこれでも良いかな〜、と言う気はする。僕はローコントラストで地味な写真が好きだから。でも、やはり遠景がドンヨリした感じで写真に爽やかさが無い。ハイライトはもう少し持ちあげた方が良い。2枚下の写真かな〜。僕は遠景をもっとスッキリさせちゃいたいけど(だから2枚目の写真の明るさにした)。




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by dialogue2017
| 2019-04-09 01:11
| 誌上レッスン
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2019年 03月 20日
誌上レッスン(19)



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by dialogue2017
| 2019-03-20 12:00
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2019年 03月 18日
誌上レッスン(18)
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by dialogue2017
| 2019-03-18 23:25
| 誌上レッスン
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2019年 02月 28日
誌上レッスン(17)
問題はモノクロ写真として見た場合、この写真のどこが一番「奇麗」なのかということなのでその点を見て欲しい。
from_vixen君の写真(ブログから拝借してそのまま掲載)。この写真は悪くない。構図として自然であるし安定している。ハイコントラストモノクロームなので「ノイズ」を載せたらもっと良いと思う。
いまさらこんなことをやるとは思ってもみなかった(笑)。前回は昨年12月だよ。ここのところ一番ちょくちょくコメントをくれるfrom_vixen君が(さんはやめて全員君づけにする)が昨日アップしていた写真にコメントを入れた。それだけでは私が伝えたかったことが十分伝わらないかもしれないと思うのでこういう形で伝えることにした。本人からの承諾を得ず勝手にやらせて貰う(笑)。なお、元の写真のファイルサイズが792×526と小さいため、私がトリミングした写真は423×282とかなり小さなサイズになった。このブログに横位置の写真を掲載し、Retina Displayでぼやけて見えないようにするためには、長辺1600pixのファイルをアップしなければならない。と言うわけで、ぼやけた写真となるが、追記。iPhineで見るとなかなか素敵な写真だ。小さいディスプレイだと解像度不足がわからないから。もう一つ理由があった。iPhoneのディスプレイ輝度を少し落としてあった。そのため真ん中奥のハイライトが弱く見えたのである。あそこが明るいと写真が落ち着かないのである。ハイライトが抑えられているとこの絵柄でも手前のシャドーに目が行く。写真って、ほんの僅かな差で違って見えるのである。
コメントをするときやコメントに返信する際には「脊髄反射」的にサッと書いて送信してしまうので文章的に荒く意図が十分伝わらないような文章になってしまうことが多い。まあ、言いたいことは伝わっていると思うが、本人がトリミングをしてみなかった場合、具体的なイメージとして理解出来ないと思うので、トリミングしたモノを下に掲載する。私が実際に撮るとしたらこのアングルでは撮らないが、元ファイルからトリミングする以外に方法がないのでやむを得ない。だから「構図」ということは棚上げにして、「どういう風に光を捉えるか」という点でのみ見て欲しい。かなり輝度差の大きいところを撮っているためシャドーが潰れているので、少しだけ起こした。モノクロらしい写真だと思います。 僕も、駅のホームとかを撮るのは好きです。 悪くない写真ですが、まんなか奥のハイライトが目立ちすぎますね。 ホームの端のハイライトは影もあって奇麗ですが、 一番綺麗なのは手前のシャドーのグラデーションです。 この場合はちょっと難しいかと思いますが、 奥のハイライトを外して撮ったらもっと素敵な写真になると思います。 例えば、後ろ姿の女性をクローズアップして撮るとか。
誤解を避けるため書いておくが、元の写真はあれで構わない。下の写真のような構図には無理がある。駅のホームの写真を撮ったのだから、上の写真のような撮り方が「まとも」である。だから、この話は「構図」ということについては完全に棚上げして考えて欲しい。つまり「光の捉え方」についての話だと理解して欲しい。こんな風に人物をを上の端に入れて撮るというのは写真のバランスを悪くするし、右側の売店と人物を入れると写真が五月蠅くなるので外して撮った方が良い。売店まで入れてトリミングした理由は、そこまで入れないと手前のシャドーのグラデーションの幅が狭くなるからである。この後ろ姿の女性を中心に撮るとした場合、五月蠅いモノを外してシンプルに撮った方が良い。
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by dialogue2017
| 2019-02-28 14:00
| 誌上レッスン
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2018年 12月 09日
誌上レッスン(15)
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by dialogue2017
| 2018-12-09 19:00
| 誌上レッスン