咳喘息になりかけている。いや、既になっているかもしれない。過去の経験から、ここで踏みとどまれる可能性は30%。このまま悪化すると、過去の例に倣うと3ヶ月続く。早めに治る場合でも2ヶ月は続く。咳というのはかなり辛い。朝から晩まで、いや寝ているときにさえ咳が出る。一日中咳をしていると心身ともに疲労する。身体的な疲労が酷いのだが、人間、身体がやられると必ず心もやられる。30%を「引く」ことを期待している。

昨日は、最近の平均の倍に近いアクセスがあった。いや、アクセス数の多い少ないなどどうでも良いことである。このブログは初めから「一人の読者」を対象にしているのだから。「一人の読者」というのは一人でなければならない訳では無い。「一人の読者」というのは「熱心に読んでくれる読者」と言うことであって、3人いても5人いても良い。私の方でも「一人の読者」は同じ一人の人間である訳では無い。「今日はshi-photo君向けに書こうとか」「今日は0123okkunさん向けに書こうとか」いう感じで書いている。いや、「このエントリーはshi-photo君宛」とか「これはflom_vixen君向け」とか、一つ一つのエントリーを「一人の読者」のために書いていることが多い。何故そういう書き方をするのか?

だって、その方が嬉しいでしょう? 「ああ、わざわざ僕のために書いてくれたんだ」って思ったときは嬉しいよね。いちいち「宛先」を書かないけれど、そんな風に誰か特定の「一人の読者」に向かって書いていることが多い。「五人組」全員に向けて書いていることも多い(私は未だに「退学者」を念頭に置いて書いている)。「宛先」を書かなくても、「あっ、これはオレのために書いてくれたんだ」と相手は分かる。時々勘違いしていることはあるけれど(笑)。A君向けに辛辣な話を書いたのに、B君が自分のことだと思ってコメントを入れてくることがある(笑)。

昔、私は70人ほどの「受講者」を相手にある「セミナー」をやっていた。このブログの調子そのままに、いやこのブログより更に辛辣な話をしていたのだが、そうすると「ひ弱」な男たちは必ず「僕のことだ」と受け取る。そして、「今日の話は骨身に染みました。自分のダメさ加減を痛感しました。このままじゃいけないと思っていますが、なかなか変わることができない自分が情けないです。でも、これからも先生について行きたいと思います」という反省文が何人もから届く(笑)。

「人間の弱さ」を批判する話をすると、聞いた人間の多くが「俺の話だ」と思って聴く。当然である。ほとんどの人間は「弱い」からである。いや、この地球上に弱さを持たない人間など一人もいない。そんなわけで、A君に対して書いた「メッセージ」にshi-photo君から反省の弁が届くというようなことがちょくちょくある。しかし、shi-photo君が勘違いをしていると言うことではない。A君の問題の多くは必ずshi-photo君の問題であるのだから。A君宛の話を自分宛の話だと解釈したshi-photo君は正しいのである。

1970年代以降に生まれた世代にはほぼ「全員」に共通する「大きな欠陥」がある。人間はいついかなる時でも「時代的制約」を受ける。人間はそれ(時代)から自由であることはできない。1970年代以後、我が国では「人間にとって根本的に大切なこと」の多くがスポイルされたのだ。そういう時代に生まれ育てば「スポイルされた」人間にならざるを得ない。もちろん、それ以前の世代が真っ当だというわけでない。しかし、1970年代以後に生まれ育った人間には致命的なまでに「欠落」しているものがある。「時代」が「それ」を棄ててしまったのだからそうなるしかなかった。君たち自身の責任ではない。責任が問われるべきは、君たちより上の世代である。

文章を書き始めたら咳が止まった。出かかっているのを無意識で押さえている。ああ、私は文章を書いているときにはこんなに集中しているのだなと思った。私にとって文章を書くというのは息を吸うようなものだ。珈琲を啜ることとほとんど変わらない。本当にそういう感覚で文章を書いているのだが、実際には脳がフル回転し、アドレナリンがバンバン放出されて集中力が高まっているのだろうと思う。もちろん、この程度の文章を書いているときはまだ「ローギア」であるが。

とこれぐらいの分量(1,000字程度?)を一気に書くと「なんの話を書こうとしていたんだっけ?」と我に返る。そうなのである。書いているときにはなんの話を書こうとしているのかに対する自覚が曖昧になるのである。だって、私の「悩」が何かを考えて書いているのでは無くて、私の指が勝手に文章を書いているのだから。この文章を「タイプ」している私の左右の指を動画に撮って見せて上げたいと思う。「ああ、このスピードで書いているんじゃ確かに考えている暇なんて無いな」と理解してくれるだろう。その通りなのだ。私は「考えて」書いているわけでは無いのだ。私とは別の「私第二号」のような「別人」が勝手に書いているようなものなのである。だから、「あれっ? なんの話を書こうとしていたんだっけ?」ということになってしまうのである。

もちろんほとんどの場合、直ぐに気がつく。「そうだ、『一人の読者』についての話しだ」と。時々、アマチュア写真愛好家全般に向けて書くことがある。しかし、そういうときは「一人の読者」を無制限に拡大して書いているのであって、やはり私は「一人の読者」に向けて書いている。そういう文章を書くときというのは「五人組」以外の方でこのブログを毎日のように訪問してくれている具体的な誰かを念頭に書いている。例えば、「○▽さん」とか「□☆さん」とかを(笑)。←ここに具体名を入れたら楽しい(笑)。

私は「宛先」のない文章は書かない。

なぜなら、「一般論」は伝わらないからだ。ラブレターを書く際には「受取人」一人に向かって情熱を込めて書く。そうしないと伝わらない。文章を書くと言うことはいつでもそれと同じである。「宛先人」に向かって、可能な限り心を込めて書く。

18歳以後の私の人生にはいつでも「信者」がいた。一時、もの凄く沢山「信者」がいた時代がある。それはまさに「信者」であった。私が一度も要求しないのに「お布施」が届くようになったのだ(笑)。ある日突然、一人の「信者」が「先生、これ何かに使って下さい」と言って封筒を差し出した(笑)。封筒の中には「72万円」入っていた。「要らない」と断ったが、「私のためと思って受け取って下さい」と言われたので「分かった。預かる」と言って受け取った。そうしたら、その後何人もの「信者」が「お布施」を持ってきた。そのたび、「要らない」と断ったが前例と同じ展開となった。私の元にはそういう形で千万円単位のお金が短期間に集まったと言うことがこれまでに何度かある。私は今までの人生で何度か「グル」になったことがあるのである(爆)。

私に「お布施」をすることによって彼らは何一つ「利益」を得ない。社会的な地位を得られるとか、「学位」を授けて貰うとか、女性を紹介して貰うとか(笑)、なにひとつ現実的な「利益」を得ることがない。私は彼らに「魂の救済」を約束したわけでもない(爆)。

なんでそんなことが起こったのかというと、私が彼らが「求めている」話をしたからである。誰もが何かを求めている。誰もが「欠落」を感じて生きている。そしてその「欠落」を少しでも埋めたいと願望している。しかし、その「欠落」が何であるのかさえよく分からない。それが知りたい。できることならいまより人間として成長したい。多くの青年はそういう希望を抱いている。私は彼らが「求め」「探していた」「言葉」を口にする。しかも、それは「一般論」ではなく、「私」の胸に届く言葉として語られる。だから、彼らは現実的な「利益」が何一つ無くても私に「帰依」する。そこに、今の自分を超えていく可能性を見つけたからだ。「変わることができる」ーーこれほど魅力的なことはない。彼らは私に「賭けた」のではないのだ。彼らは自分自身が「変わろうとする」ことに「賭け金」を張ったのである。

なぜ、私の言葉は彼らに届くのか? 私がいつでも「宛先」のある発信をするからだ。「受信者」が待ち望んでいる「中身」の話を、"恋い焦がれた女性"に向けて書くときと同じように心を込めて書いた「言葉」は伝わる。もの凄く伝わる。心の奥底まで届く。どうしてそんなことが起こるかというと、「受信者」たちが私に対して「全面的」に心を開いているからである。彼らはなぜ心を開くのか? 「よくわらかないけれどこの人には自分が求めているものがある」と思っているからである。「この人には、他の人からは聞けない言葉が聞ける。これは逃してはならない」ということを理解しているからである。心が真っ直ぐな人間は自分自身の「可能性」が開かれるかもしれない情況を前にしたとき「賭け金」を張るのである。「真っ直ぐな心」というものは自分にとって「本当に必要なモノ」を直観する。だから、私の言葉は「直観力」を持たない人には届かない。

私の言葉は"それ"を求めている人には必ず届く。そして「誠実な言葉」であれば、それを受け取る人々は必ずいる。だから、大事なことは訪問者数でもないし、「イイネ!」の数でもない。そんなものにはなんの価値もない。1円の価値にさえ劣る。私にとって意味があるのはいつでも「一人の読者」なのである。だから、私はいつも「一人の読者」に向かって書いている。この文章も「君のため」に書いたんだよ(笑)。

文章を読むって面白いことだろう? (笑)。

(3,438文字) 約40分で書いた。


by dialogue2017 | 2019-02-12 12:00 | 本音の話し | Comments(3)

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by dialogue2017 | 2018-12-31 14:30 | 本音の話し

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by dialogue2017 | 2018-05-31 12:00 | 本音の話し

持つべきモノは本当の友

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by dialogue2017 | 2018-04-13 14:30 | 本音の話し

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by dialogue2017 | 2017-12-01 18:00 | 本音の話し

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by dialogue2017 | 2017-12-01 15:00 | 本音の話し

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by dialogue2017 | 2017-12-01 12:00 | 本音の話し

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by dialogue2017 | 2017-12-01 07:00 | 本音の話し