人気ブログランキング |

カテゴリ:未分類( 130 )

最後の対話(5)

あと10分。もう語るようなことはない。

shi-photo君へのメッセージを書かなかったけれど、君に関しては君のブログの写真へのコメントで何度も伝えてきたからね。短い文章だけれど、的確で深いアドバイスを率直な言葉で伝えたつもりだ。それに、君はこのブログの「ファン限定」投稿に切り替わっているエントリーを読めるから、僕が君に何かを語らなくても、君は僕の言葉を100万字分以上読むことが出来るのでそれで良いだろう。それに、君とはまた会う機会がありそうだしね。

そうだな。残念だったことは、反応して欲しいエントリーに反応がないことが多かったこと。「宇多田ヒカル」のプロモーションビデオについて書いた話しなんか反応して欲しかった。昨日、娘が観ていた『スカーレット』の総集編のワンシーンをチラッと一瞬観たんだけれど、NHKの朝ドラってライティングがもの凄く良いのよ。立っている戸田恵梨香の左の頬に磨りガラス越しの奇麗なハイライトが当たっていたんだけれど、観た瞬間「変だ」と感じた。すぐに理由はわかった。たぶんガラスの向こうからスポットでライトを打って撮影したシーンだったんだと思う。だからもの凄く奇麗なハイライトなんだけれど、普通に自然光ならあり得ない光。で、違和感を覚えたというわけ。僕はプロ経験はないけれど、テレビ観ていてそういうことが感じられるレベルにはなっている。

あと2分。

残念だったことは、from_vixen君とpoppn1971君に会わずに終わったこと。昨年12月の時点では4人全員集めて「撮影実習」やるつもりだったのでね。

あと1分。良いお年を(爆)。

※。結局(1)〜(5)で8,503文字書いた。


by dialogue2017 | 2019-12-31 23:59 | Comments(4)

最後の対話(4)

あと20分で今年が終わる。もう少し書きたいことがあるけれど時間が無い。

僕は来年はプロの写真家としか付き合わない。もともとそうだったしね。正月に渡部さとるさんと水谷充さんと3人で飲むことになっている(『2B Channel』で二人が対談していたね)。写真作家の千葉桜洋さんとも松が取れたら会おうと思っている(彼から何度も誘っていただいている)。

来年は新しいスタイルの写真事業を始めるかも知れない。写真家の塙真一さんに僕が温めている「写真事業」について話したら「素晴らしいですね。一緒にやりましょう」と言ってくれた。で、昨晩、彼から「1月3〜4日に茅野で会えませんか?」とメッセージを貰ったばかり。生憎僕は明日から8日間一人旅に行こうかと思っているのでそれが終わってからにして欲しいと返事した。どうなるかわからないけれど来年は彼となにかやることになるかも知れない。彼はモノクロプリント用の暗室を作りたいと言っているのでもしかしたら僕もちょこっとモノクロプリントをやるかも知れない。「付き合い」程度にだけれどね(笑)。

いずれにしろ、来年は少しフィルムで撮ってみようと思っている。長年、もし「作品」を撮ることになったら絶対にデジタルカメラで撮ると決めていたんだけれど、デジタルじゃ「作品」を撮る気にならないと感じるようになった。まだ「作品」を撮りたいとは思っていないけれど、フィルムで少し撮ってみようと思っている。できれば4×5で撮りたい。

僕は来年は「写真」以外のコトを沢山やりたいと思っている。まずは執筆。そして読書。読書は冊数を大幅に減らし、その代わり「難解」な学術書を読み込みたい。それから一番楽しみにしていることは「映画」を沢山観ること。この一月の間に、茅野の山小屋で韓国映画を9本観た。「映画」の「絵」って「写真」より凄いと思った。一例を上げておく。韓国映画の『イルマーレ』の映像はもの凄く美しい。それを実現するために、監督は新しいフィルムの現像方法をみつけるところから始めたんだって。本気になる人って違うよね。

とにかく、来年は「写真」以外のコトを沢山やりたい。自分が使う時間の90%は写真以外のことに使いたい。しかし、10%で取り組む「写真」に関しては、いままでより「深く」関わることになると思う。そうならざるを得ない。なぜなら、「写真事業」を始めるかも知れないし、プロの写真家と一緒になんらかの「企画」に取り組むことになるかも知れないから。まだ未定。いろいろ声を掛けて貰っているのだけれど、僕が本気になれないでいる(笑)。

僕は「準備」だけはしてきた。そのつもりはそれほど大きくはないんだけれど、写真は好きなので、いつか「本気」で取り組むことになったときに、すぐにプロフェッショナルなレベルで取り組めるように準備だけはしていたんだ。って、ただ遊びで沢山写真を撮ってきただけなんだけれど、ほら、僕の場合ものごとを「対象化」する能力が高いから(笑)。遊んでいる内に理解出来るんだよ。「習うより慣れろ」と言うよね。写真に慣れすぎるほど沢山撮ってきた。

by dialogue2017 | 2019-12-31 23:50 | Comments(1)

モノクロの方が…

shi-photo君がブログに掲載したカラー写真を見た瞬間、「ああ、これはモノクロにした方が良いだろうな〜」と思った。彼はいろいろと考えながらカラー写真を撮っているようだが、その「考える」ということが脚を引っ張っているように思える。写真の「仕組み(理論)」について良く考えると言うことは大切なのだけれど、「頭で撮る」というのは駄目なのだ。考えて撮ると「余計なもの」が混じり込むだけだ。まあ、そういう段階というのは誰にでもあるし、そいういところを通り抜けた方が上手くなる。そういう意味では悪くない。

それにしても彼はモノクロ向きである。モノクロから撮り始めたと言うこともあるだろうが、彼の感性がカラー写真よりもモノクロ写真に合っているのだと思う。いっそ、当分モノクロばかり撮った方がいいような気もする。いずれにしても、XF23mm F1.4 Rで撮ることに専念していることは良いことだと思う。彼には135判換算の35mmが合っていると思う。3ヶ月ぐらい、XF23mmで徹底的にモノクロばかり撮ったらワンステップ登るような気がする。ただし、「極めてやる」ぐらいの目標を持って撮らないと駄目だ。器用じゃない人間は、トコトンやらないと身にならない。「月間5,000枚」とか目標を決めてまずは数撮ることが重要だと思う。

彼のブログに「この写真を見た瞬間、モノクロにした方が良いと思った」とコメントを入れて終わりにしようと思ったけれど、百聞一見にしかずなので彼の写真をモノクロにしたものをここに載せておく。カラーをモノクロにするのに掛かった時間は10秒ほど。「水色」と「赤」をどの程度の「黒」にするかだけを考えた。このレンズ、本当に良いレンズだな〜。

追記。わかりやすく言っておこう。この写真、色が邪魔な写真なんだよ。カラーだと「光」に暖かさが感じられないんだ。モノクロにすると「光」が暖かいし生きている。「光と影」を撮りましたというありがちな嫌味さがない奇麗な光を撮った写真だと思う。「グレー」が奇麗だ!

モノクロの方が…_e0367501_02253645.jpg

by dialogue2017 | 2019-12-27 02:30 | Comments(0)

以下の文章は、この3倍以上の長文の中の一部だけを「剥いできた」ものである。書いている文章が全部書き終わりそうも無いので、話しの"本旨”から外れた"枝葉”の部分だけ「剥ぎ取った」のであるが、せっかく書いたのでこの部分だけを先にアップすることにする。

渡部さんの「2B Channel」さえ見ることが出来ないでいるというのに、数日前に塙真一さんもYoutubeを始めた。実は、一月半ほど前に茅野の「山小屋」に遊びに来た塙さんに、私は渡部さんの「2B Channel」を見せたのである。「いまはこういう時代ですよ」と言って紹介したのだが、塙さんは「なるほどね〜」と呟くように応答しただけであった。私は「写真家も人気商売だし、これからはこういうことも必要になるかもしれないよ」と意見を伝えると「たしかにそうかもしれませんね」と頷いてくれたが、まさか、彼がこんなに早くにYoutuberになるとは思いもしなかった。渡部さんの「放映」さえ目を通せずにいるというのに塙さんまで「放映」を始めたので参った(笑)。

ところが3日ほど前、水谷充さんまで「放映」を始めた。動画を見る習慣が無い私には困った展開である。で、Facebookに名前を出さずイニシャルで次のように投稿したーー「友人が次々Youtuberになってしまい困っている。元々動画を見る習慣がないのに、3人が次々アップし始めたら追いきれない(涙)。すでにWさんのだけでも溜まっているのに、この上HさんとMさんまで次々アップしたてきたらお手上げだ」。すると、即座に塙さんから「すんません。せめてチャンネル登録だけでもw」とコメントを頂いた。その後、水谷さんからも「僕のは、時間が余った時にでも、仕方ねーなって感じで観てもらえれば、、です」とコメントを頂いた。

しかし、見ないわけには行かない。そんな風に言って貰ったらなおさら見ないわけには行かない。私は義理堅いのだ(笑)。で、即座に塙さんのものを3回分と、水谷さんの分を2回分、つまり二人がアップしたものを全部見た。くり返すが、私は義理堅いのである(笑)。そしてその次に55本ほど溜まってしまっている「2B Channel」の中から「田中長徳さんに聞いてみた」(1〜3)を見た。これはとても面白かった。観て貰えればわかることであるが、田中長徳さんは日本写真史の"メインストリーム”に身を置いてきた方である。海外の著名な写真家などとの交流も豊富であり、1960年代後半以後の世界の写真史については「知識」としてではなく「実体験」を沢山持っている人である。一見「へんなおじさん」であるが(実際へんなおじさんではある)、写真家としての才能は非常に高いし、頭もたいへん良い方である。その田中長徳さんの話しを渡部さんが引っ張り出しているのであるから面白くないはずがない。とても面白かった。加納満さん曰く「普通はあんなに話してくれない。渡部さんだから話してくれたんだよ」。田中長徳さんは「シャトル師匠(さとる師匠をこう呼ぶ)」をリスペクトして下さっているのである。

塙真一さんと水谷充さんのYotubeを紹介する。私は義理堅いのである(爆)。

塙真一さんのYoutube 2回目 FUJIFILM X-Pro3 Part2」

水谷さんさんのYoutube 1回目 「なぜ僕がYoutbeを始めるのか」
水谷さんさんのYoutube 2回目 「【好きなことを人生に組み込む】」
水谷さんさんのYoutube 3回目 「【自分のことは周りが教えてくれる】」


by dialogue2017 | 2019-12-11 22:20 | Comments(1)

8月25日に行われた「トムソーヤの森プロジェクト」の写真をプリントした。1.000枚ちょっと撮影した中から400枚ほどレタッチした。それは全て「共有アルバム」にアップし、子供の親御さんにダウンロードしてもらえるようにする。昨日、400枚の中から82枚プリントした。私はプライベートではまったくプリントしないのでこんなに沢山プリントしたのは生まれて初めてのこと。2Lって結構大きいと感じた。今回は「アップ」の写真を中心にプリントしたが、広く撮っている写真の方が多い。

明後日企画があるので、三六の板を2枚並べて展示しようかと思う。写真を「展示」したいと思ったことは一度もないが、写っている子供の親御さん以外の方々にも写真を見せて上げたいので展示しようと思う。人生初の展示だ(笑)。それにしても壮観だな〜。これで今回レタッチした写真の1/5にしか成らない。年間5,000枚を越えそうだ。1年後に5,000枚の写真の展示しようかな〜(笑)。

写っている人やその家族に喜んでもらえる写真こそ最高の写真だ。

人生で一番素晴らしいことは「自己満足」ではなく他の誰かを「満足」させること。

※上の方に写っている写真が"白っぽい”のは窓から入って来ている光が当たっているためで現物は奇麗に発色している。

最高の写真 写っている人たちに喜んでもらうための写真_e0367501_13474057.jpg

by dialogue2017 | 2019-09-20 14:00 | Comments(3)

使い始めてから丸3年を迎えようとしているMacBook PRO(13インチ)。この3年間にこのキーボードで500万字ぐらいの文章を書いたのでは無いかと思う。その内の1/3くらいはこのブログに書いた「下らない」文章である。来年はきちんとしたテーマを立てて年間200〜300万字ほどの文章を書いてみようと思う。もう、低水準な話しは書かない。さしあたって、「資本主義のメカニズムの解明に当たってマルクスを超えた経済学者はいない」というエッセイを書いてみようと思う。ついでに『資本論』の再々読もしようかな。

本格的に文筆を始めようと思う_e0367501_11370059.jpg

by dialogue2017 | 2019-09-06 12:00 | Comments(1)

「なぜDistagon T* FE35mm F1.4 ZAなのか?」(3)〜(9)は8月4日に休まず一気に書いた。書いているときには翌日付で全部アップするつもりで書いていた。しかし、いざ「予約投稿」しようと思ったときに先日shi-photo君から貰ったコメントが頭をよぎったーー「やっと最新の投稿に追いついてきたと思ったら、また引き離されてしまいました」。

1分間に500字ぐらいというのが日本人の平均的な読字速度だと言うことである。であれば5,000字の文章を読むのに掛かる時間は約10分間。10,000字の文章であっても約20分ほどで読むことが出来る。10分とか20分とかいう時間は「つかの間」である。ちょこっと何かをしているとそれくらいの時間はあっと言う間に過ぎてしまう。私は毎日1冊以上のペースで「新書」を読んでいるが、平均的なページ数の新書1冊の文字数は10〜12万文字である。1万字というのは新書20ページ程度の分量でしか無い。私は、平均すれば1日10,000字も書いていない。と言うことは私の書いた文章を読むのに必要な時間は、平均すれば1日10〜15分程度に過ぎない。

世の中にはテレビ好きな人が沢山いる。そういう人にとって1時間のテレビ番組を見るなんてあっという間のことだろう。なんであれ、自分が好きなことをしているときの1時間なんてあっという間にしか感じられないものである。NHKの「朝ドラ」は1話15分の放映である。毎朝それを見るのを楽しみにしている日本人が数千万にいる。私がこのブログに書いている文章だって、平均すればせいぜい1日7〜8,000字だろう。平均すれば15分で読み切れると言うことである。しかし、これまでの人生で毎日文書を読むという生活を送ってこなかった人間にとっては、毎日8,000字の文書を読むというのは結構大変なことなのだろう。

別に、私が書いた文章を楽しみにしている人が「一人」もいなかったとしても私は残念には思わない。まず、私自身は文章を書くことによって「暇つぶし」ができただけで十分意味がある。それに、文章を書くという作業は私にとって「脳のストレッチ」みたいなもので言わば「日課」である。残念だと思わない二つ目の理由は、仮に私の書いた文章を読むことを楽しみにしてくれている人がいるとしたとしても、「ささやかな対話」さえなり立たないのであれば、私にとって「読者」は「不在」であるに等しいのだ。

私は、このブログが「ゼロ人の読者との対話」であることを承知している。

だから、shi-photo君が追いつくのに必死であることを責めるつもりもないし、それを残念に思う気持ちも無い。ただ、彼が私の書いた文章を読むことを本当に楽しみにしているのであれば、1日30分ぐらいの時間を作ることは可能なはずだ。どんなに忙しい生活をしている人であっても、ほとんどの人は自分の「楽しみ」に費やす時間を30分ほどは持っているだろう。

まあ、誰がどういうペースで読もうと構わない。読む人が一人もいなくても構わない。なぜなら、上に書いたように「細やかな対話」ができる読者がいない以上、私にとっては読者は「不在」であるのと同じことなのだ。もちろん、読んでいる人がそこそこいることは承知している。一番熱心に読んでいるのは0123okkun君だろう。彼が極めて熱心にこのブログを読んでいることは知っている。たぶん、「別格」的に熱心に読んでいるだろう。しかし、彼と私の間にも「対話」と言えるほどのものは成立していない。彼は時々コメントをくれるが、基本的には「受動的な読者」の域を一歩も出ていない。一番熱心に読んでくれている読者との間にさえ「対話」は成り立たない。私は、それを承知で書いているのだから、読者諸君が「期待外れ」であることにさしてガッカリはしていない。

そもそも、私はいまの日本の青年そのものに期待していない。いや、私はもう「人間」そのものにほとんど期待していないのである。

(つづく)


by dialogue2017 | 2019-08-07 14:30 | Comments(2)

お詫びと訂正

今し方「いいね!」を頂いて「なぜDistagon T* 35mm F1.4 ZAなのか?」が投稿されていることを知った。実は、今日本文を書いてから投稿する予定であったのだが別のエントリーを沢山書いていたためこのエントリーのアップは明日に回すことにしていた。しかし、「予約投稿」していた積もりが「公開」で投稿してしまっていた。そのままにして置いても良いのだが、「長い」本文が書かれる予定のエントリーだったので一端引っ込めて明日アップします。ごめんなさい。

挨拶文だけじゃ殺風景なのでなにか1枚写真を載せておこう。これはDistagon T* 35mm F1.4 ZAで撮った写真である。絞りはF4で撮影した。絞り開放だと"こんな感じ"にボケるレンズだが、F4まで絞るとここまで精密な画質に変わる。初めて「本気で写真を撮って見たい」と思わせるレンズに出逢ったかもしれない。とにかく素晴らしいレンズである。

お詫びと訂正_e0367501_22370780.jpg

by dialogue2017 | 2019-08-02 22:40 | Comments(0)

一昨日、ほんとうに久しぶりに写真を撮った。いや、正確に言うと6月16日に少し撮っている。その時は、shi-photo君がカラー写真に手こずっていてどうにも"糸口”を見つけられずにもがいていたので、ちょっとヒントを与えて上げようと思い彼一人のためにちょこっとだけ撮った。現在彼は私が勧めたFUJIFILM X-T2 + FUJINON XF35mm F1.4 Rで写真を撮っているので、私も彼に合わせて同じカメラとレンズで撮った。その時撮った写真のうちの10枚を「一月ぶりに写真を撮った」というタイトルで10枚ここに掲載した。ただし、「ファン限定公開」でアップしたのでshi-photo君一人しか閲覧できない。なんとも贅沢な話であるが、今年の2月以後、このブログは事実上shi-photo君専用「レッスンブログ」なのである(笑)。

6月16日に写真を撮っているのだから「ほんとうに久しぶりに写真を撮った」というのは正確な話ではないのだけれど、6月16日の時は自分自身が「写真が撮りたい」と思って撮ったわけでは無かったので「写真を撮った」という実感として残っていないのである。そういう意味から言うと「今年はまったく写真を撮っていない」と言うのが私の実感である。事実、今年は指折り数えるほどしかスナップをしていないし、撮っている枚数も少ない。そのスナップのほとんどは買い物や食事に出掛けた行き帰りにチョコチョコと撮ったと言うような撮り方だった。春先に3度ほど井の頭公園で撮った写真はレンズのテストのための撮影だった。唯一度スナップする目的で出掛けて行った由比ヶ浜でもさっぱり気持が乗らなかった。

ようするに、今年になってから7ヶ月間、私はあまり写真を撮りたいと思っていなかったのである。とりわけ、4月末にこのブログの更新を停止した後は写真を撮りたいという気持ちが全く無かった(5月以後は読書に集中していたから)。私はいつだって「写真なんて」ぐらいにしか思っていないのだけれど、時々その思いが"嵩じる”ことがある。言うまでも無く「写真なんて」のうしろには「馬鹿馬鹿しい」がつく。そういう思いは常にある。熱中して撮っている時でさえ「写真なんて馬鹿馬鹿しい」と思う気持ちを抱きながら撮っている。そう思う理由は、私には写真が「創作」と言えるほどのものだと思えないからだ。だから、どうしても真剣になることが出来ない。

昨年末、写真家の五味彬さんと5時間ほど話したときの話については"ここ"に書いたけれど(初出時は公開設定であったが現在はファン限定公開)、その際に五味さんが語った言葉が私自身の"思い"なのである。「俺は写真なんてたいしたものだと思っていない。自分の手で筆を持って絵を描くことに比べたらあまりに容易いことだ。写真なんて誰にだって簡単に撮れるものなんだからたいしたものであるはずがない。単なるコピーじゃないか。しかも自分で撮っているんじゃなくてカメラが撮っているんだよ」と五味さんは語られた。私は自分と全く同じ考えの写真家と初めて出会い感動した。でも、著名な写真家にこの五味さんの言葉を聞かせたらほとんどの写真家は「そうだよ」「その通り」「同意する」と言うだろう。みな、五味さんと同じ認識の上に「それでもオレは芸術と言える写真を撮ってみせる」という覚悟で作品を撮り続けているのだと思う。もしかしたら、「たいしたものであるはずがない」からこそ挑戦意欲が高くなるのかもしれない。「写真なんて単なるコピーだけれどおれはそれをを越えた作品を撮ってみせる」と燃えるのかもしれない。五味さんはものの見事にそれを体現して見せた。そして、彼は「天才」と賞賛されながら数年で現役から退いた。たしか、「撮ることがあまり面白いと思えなくなったから」とのことだった。私は彼に「天才の孤独」を見た。

話がすっかり脱線してしまった(まあいつものことだけれど)。この際だから「打ち明け話」をしておく。実は、3月末に「彼女」が転勤してしまい、彼女のポートレートを撮ることが出来なくなってしまったのである。海外に行ったわけでは無いので、年に何度かの撮影なら出来ないわけではないが、私は少なくとも毎月1〜2回の撮影を丸1年間続けるプランであった。それが出来なくなったので「彼女」を撮ることを断念した。その後、彼女より美人のモデルさんを見つけた(もちろんプロのモデルではない)。単なる美人ではなく、ど真ん中のストライクと言っても良いもの凄く好きな顔立ちの女性だった。数枚テスト撮影をさせて貰ったらアッサリと撮れてしまった。写真としては非の打ち所がない素晴らしい写真だった。奇麗なモデルさんを奇麗な光で撮ったのだから奇麗な写真になるに決まっている。しかし、それだけだった。プロフォトグラファーが撮るポートレートフォトとほとんど変わらない写真だった。それは私が撮りたかった写真では無かった。

(つづく)


by dialogue2017 | 2019-07-23 12:00 | Comments(0)

【7月19日午後14時頃の投稿】

珍しくこんな時間(13:30)に一冊読了。時々、外国人の学者やジャーナリストの書いた本を読む読むようにしている。日本人が無自覚な部分を指摘していて、その視点が役にたつからである。

著者の考え方に関わらず、外国人の著書を読むと、イスラム圏を別にした国際社会の中で、日本だけが完全にグローバルスタンダードから外れていることがよくわかる。

私はグローバリズムに対しては否定的な考えであるが、グローバルスタンダードから外れていることが差し当たって経済的没落を結果する以外にないことは明確だと考えている。まあ、あまりにも当たり前のことであるが。

著者の一人であるメアリー・C・ブリントンはハーバード大学の社会学部長。彼女は、韓国も中国もインドもグローバルスタンダードに即したビジネス展開をしているが、日本だけがそれが出来ていないと指摘している。そして、このままでは日本経済は衰退していく以外にないと心配している。※ブリントンは日本に「恋をして」留学した経験もあり、日本語の著書もある大の親日派である。

安倍政治云々とか、改憲云々という問題より遥かに"根深い問題"を我が国は抱えているのである。

しかし、ある程度「真っ当な」人々でさえ、もっとも重要な問題点にはまったく関心を向けない。なぜなら、そのような根本的な問題についてはメディアが論じないからである。

メディアが垂れ流しているレベルで「政治」を論じても、我が国の危機については何一つ考えていないのと同じである。

参院選の投票日を目前に、水を差すようなことを言って恐縮であるが、「どの政党が政権を担当しても変わらない」という多数の国民の判断自体はただしいと言って間違いない。なぜなら、日本人が抱え続けている根本的な「宿痾」からの脱却を志向している政党がないからである。

私は、山本太郎氏が好きではないが、今の我が国の政治には「異端分子」が必要だと思う。

立憲民主党は本質的に自民党とほとんど同じである。そもそも母体である「民主党」は鳩山由紀夫と小沢一郎が作った政党だと言って良いが、彼らは自民党出身である。現代表の枝野幸男氏は本人が言っているように保守主義者である。であれば、根本的な価値観のレベルでは自民党とあまり変わらない。

我が国の現状を作り上げたのは自民党である。そして、我が国はいま大きな危機を眼前にしている。危機を乗り越えていくためには大きな転換が不可欠である。

大きな転換を実現していくためには、一時的な混乱を恐れてはならない。既成の価値観、つまり「日本病」に侵され切っていない人材を国政の場に送り出し、抜本的な議論を始める必要がある。

そういう意味において、我が国が大きく転換していくために、山本太郎のような「異端児」を国政に送るというのは極めてリーズナブルな選択であると思う。

私は山本太郎氏を支持してしないが、抜本的な議論の活性化のための起爆剤として彼のような政治家は有効であると思う。


Facebookへの投稿から(80)_e0367501_16424931.jpg

by dialogue2017 | 2019-07-19 17:00 | Comments(0)