人気ブログランキング |

ちょうど1年前の今頃、「本気で撮ってみたい」と思っていた。スナップを本気で撮る気はさらさらない。だいたいが、スナップなんて"息抜きの時間”を持つためのものだと思っている。なにも考えずに"適当に”撮るから楽しいのであって、真剣に撮ったのでは目的に逆行してしまう。もちろん真剣にスナップすることを否定するつもりは無い(初心者の内は真剣に撮るべきだと思う)。ただ、私の場合はあり得ない。私にとって「スナップ」は、撮っている"こと”それ自体を楽しむ為のものである。それは、ファインダーを覗いている時だけではなく、カメラを持って撮りたいと思うものを探しながら"歩いている時間”全体を楽しむ行いである。途中で美味しいランチを食べたり、食後に雰囲気の良いカフェで珈琲を飲んだり、そういうことを全部ひっくるめて「スナップ」することの楽しさが成立している。だから、私の場合「真剣にスナップする」ということはない。

「風景写真」であればそれなりに真剣に撮ろうと思える。15年程前、風景写真を撮ってみたいと思っていたことがあったがいまはもうそういう気持はない。長野県に「家」を持っているので風景写真を撮るのに適した場所へのアクセスは非常に良い。車で1時間以内の場所にも美しい風景の場所は何ヶ所もある。しかし、わざわざそういう場所に通って写真を撮りたいという気持ちはいまはない(たまたま通り掛かったときに車を停めてちょこっと撮るぐらいで十分だ)。美しい風景を撮ってみたいという気持が全く無くなったわけでは無いが、「美しい風景写真」というものは現実の風景が美しいから撮れるのであって、それを撮ることに「執着」する気にはなれない。まあ、そんなことを言ってしまったら、どんな写真だって撮ると言うことにそれほど大きな「価値」などないと言う話しなってしまうが…(実はそう思っている)。

結局、撮影することを心底楽しめるのは"ポートレートフォト”である。

”スナップ写真”で「作品」を発表しているプロの写真家に撮影していて一番楽しいジャンルを聞くと「それはやっぱりポートレートだよね」と答える人が多い。それはそうだ。ポートレートフォトは自分が持っている”撮影技量”を惜しみなく注ぎ込んで撮影することができるからである。スナップ写真の場合、自分が意図する写真が撮れる場所を"探して撮る"ことになる。シチュエーションそのものを自ら「作って」撮影することは出来ない。風景写真の場合も同じである。それにくらべ、ポートレートフォトの場合、"シチュエーション”も"ライティング”も自ら「セッティング」して撮影することができる。スナップであれ風景写真であれ、写真の善し悪しを決めるもっとも大きな要因は「光」である。スナップや風景写真では自分で「光」を操作することは出来ないが、ポートレートフォトの場合はそれを行うことが出来る。この違いは"決定的”である。

早い話、自らの意図に合わせて「ライティング」して撮影することができるから人物写真の撮影は面白いのである。渡部さとるさんや森谷修さんは仕事での撮影ではポートレートが一番楽しかったと言っている。二人ともモノクロプリントの"名人"として名高いが「作品」はスナップである。しかし、撮影が面白いのはポートレートフォトだと言う。「それはそうだ」の一言だと思う。

1年前に「本気で撮りたい」と思ったのはポートレートフォトである。自分の意図した「ライティング」で撮れると言うことも大きな魅力ではあるが、私にはそれ以上の大きな魅力があった。「絵柄」そのものを自分の意図で「作る」ことが出来るという点に最大の魅力があった。言葉を換えて表現すると「どういう雰囲気」の写真を撮るかと言うことを自分で決めて撮影できると言うことが魅力なのである。「どういう雰囲気」の写真にするかという点で最も大きなポイントとなるのが"モデルの表情”であることは言うまでも無いことである。しかし、その「表情」というものをどのように引き出していくかという「鍵」は純粋な意味での「撮影技量」ではない「別の能力」に依っている。もっとも大きなポイントになる部分を、(カメラやレンズを操作するという)「撮影技量」ではないそれとは"別の能力”によって作り上げていくところがポートレートフォトの最大の魅力だと思う。つまり、撮影者とモデルの"関係性”が写真の出来映えを深いところで左右すると言うことである。この事実を、一目瞭然のものとして表しているのが上田義彦さんの『at Home』である。私はこの写真集は、写真というものの素晴らしさをもっとも明瞭に示してくれている最高の「事例」であると思う。

"ポートレートフォト’には「撮影技量」だけでは到達し得ない地平がある。

「撮影技量」とは"別の能力”が写真を決するのだという話を書いたが、現実に鑑みれば、プロフォトグラファーが撮影しているポートレートフォトの90%は「撮影技量」で撮っている写真だと思う(”技術”で写真を撮ることがプロフォトグラファーの仕事である)。プロフォトグラファーであれば大半の人は人物を奇麗に撮る「撮影技量」を持っている。それ自体は特殊な技術だというわけではない。誰もが習得可能なものだと言って間違いない。しかし、ごく少数ではあるが、プロフォトグラファーから見ても「どうやったらこういう写真が撮れるのだろう?」と不思議に思うようなレベルの写真を撮る大物フォトグラファーがいる。上田義彦さんはそういう「天才写真家」の一人である。

上田義彦さんは渡部さとるさんや加納満さんや安達ロベルトさんなどが憧れ真似をしてみたという天才写真家である。三人ともすぐには同じような写真を撮ることが出来なかったと語っている。「加納満さんとの写真の話し」の中で、加納満さんは8×10を使って上田さんの真似をしてみたが「ああならないのよ」と語っている。渡部さんはその言葉に被せるように「同じことやったんだ」と口を挟み二人で意気投合していた。渡部さんは、上田さんが使っているものと同じカメラ、同じレンズを買いそろえて同じフィルムで撮ってみたが同じような写真にならなかったと語っている。

これは上田義彦さんの「撮影技量」が傑出していたが故のことであって「撮影技量」以外の「別の能力」の問題ではない。その「違い」自体は純然たる「撮影手法」によって生み出されている。上田さんのような抜きん出た撮影技量を持った写真家は他にもいるが、そういう人は「例外」的な能力の持ち主であり、大半のプロフォトグラファーがポートレートフォトの撮影で駆使している「撮影技量」はそんなに特別・特殊なものではない。いまの時代、そのような「技術」のほとんどはアマチュア写真愛好家の間にさえ知られている。

(つづく)


by dialogue2017 | 2019-12-12 11:00 | 写真とカメラの話し | Comments(1)