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「可能性としての伝統というのは、それの上に乗っかるほど安定したものではなくて、再解釈して活かしていく努力の中にしか成り立たないものですね」

「文化の同一性を保存する場というものを考えたときには、国家よりむしろ家族ではないかと思います。家族という場でわれわれは、伝統への自覚的信念によってかやむを得ずか知らないけれども、次の世代にあるモラリティを押しつけるよりしかたありません。そして押しつけるモラリティをせめてよくしておくということが、未来に対する歴史哲学では無いかと思います」(加藤尚武)

by dialogue2017 | 2019-12-02 23:30 | 備忘録 | Comments(0)

ハイライトの美しさ

私は、写真というのは撮影者「固有のもの」だと思っている。写真をどういう"明るさ”にするかと言うことについて客観的な「正解」などというものはない。例えばこの写真の明るさをどうするかは撮影者本人の「好み」で決めれば良いことである。撮影者と鑑賞者である私との決定的な違いは実際にこの光景を見たかどうかにある。もし、撮影者が見た時の印象を大事にしたくて少しアンダー目の明るさを選んだというのであれば、他者がそれに異を唱える必要はないと思う。写真は「撮影者のもの」なのだから。

しかし、例えばカメラ雑誌の誌上コンテストのようなものに応募したとしたら、下の写真(撮影者がブログに掲載したもの)については「抜けが悪い」という評価をされるのでは無いかと思う。写真を、撮影者が「自分のもの」としてではなく多くの人々に観て貰うための「鑑賞物」として制作するとしたら、撮影者の元ファイルは些か明るさが不足しているだろうと思う。それがいけないと言うことでは無い。ただ、実際の見た目の如何に関わらず、「一枚の写真」として鑑賞して貰う場合に好感を得るためにはもう少し明るくした方が良いと思う。

"自転車に乗った人物"が写っている点がこの写真を大きく引き立てていると思うが、撮影者がブログに掲載した下の明るさだとそこが目に飛び込んでこない。話しが繰り返しになるが、撮影者が実際に見たこの光景は下の写真の様に薄暗かったのかも知れない。しかし、第三者に「鑑賞」して貰うと言うことであれば、現実を忠実に再現するより「見た目の良さ」を優先して良いと思う。ハイライトが明るいからシャドー(自伝車に乗った人物)が浮き立つのである。もちろん「好き好き」である。私がレタッチした上の写真は少し派手すぎて好きではないという人もいるだろう。写真なんて結局は好き好きである。

カテゴリを「誌上レッスン」としたが、レッスンしたいという思いで取り上げたわけではない。とても美しい光景だと思ったので一人でも多くの人に見せたいと思ったのである。その上で、私ならこうするということを撮影者であるpoppn1971君に伝えたかったのである。せっかくの美しい写真である。抜けの良い感じにした方が更に素敵になると思う。

全ての写真がそうだという訳では無いし、考え方は人それぞれであるが、私は写真の美しさは「ハイライト」にあると思っている。

※こういう話しの難しいところは、各自が使っているパソコンのモニタの"輝度”が同じではないこと。もしpoppn1971君が使っているモニタの輝度がもの凄く明るかったとしたら私がレタッチした上の写真は明るすぎるように見えるだろうから。こういう話しは厳密には同じモニタを同じ輝度に設定していないと正しく伝わらない。

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by dialogue2017 | 2019-12-02 22:00 | 誌上レッスン | Comments(0)

2018年4月に友人から"SIGMA dp0 Quattro"と"SIGMA dp1 Quattro"の2台を借りた。借りてすぐに使って驚いたのはちょっとでも逆光気味で撮影すると画像が破綻してしまうこと。貸してくれた友人(某有名プロカメラマン)に「ちょっとでも画角に太陽が入ったらどうしようもないね」と伝えると、彼は立ち上がり両手を水平に拡げ、「ここから後に太陽がないと使えない」と説明してくれた。まったくその通りである。しかし、その範囲で撮影した際には素晴らしい描写性能を見せてくれる。フォビオンセンサーの解像感の高さには驚かされた。特筆すべきは"モノクロ”が素晴らしいこと。私はこの2台のカメラを借りた後しばらくモノクロばかりを撮ったほどである。

近日中に"SIGMA dp2 Quattro"と"SIGMA dp3 Quattro"を別の友人から貸して貰うことになっている(彼も著名プロフォトグラファー)。0と1を貸してくれた友人も2も3も所有しているのだが、2は友人に貸していて、3は娘さんが愛用しているとのことで彼の手元になかった。大きな欠点があるカメラではあるが、非常に素晴らしいカメラだと思う。にもかかわらず、今年2月に使ったのを最後に丸9ヶ月以上使わなかった理由は「普段使い」にはまったく向かないカメラだからである。このカメラは「作品」を撮るためのカメラだと思う。しかも、"じっくり”撮るべきカメラだと思う。だから、二重の意味で私には「向かない」カメラである。私には「作品」としての写真を撮るつもりが無いし、撮影は乱雑で"じっくり”写真を撮ると言うことが苦手である。

しかし、近いうちに2と3が手元に来て4台揃うことになる。2と3もとても素晴らしい絵を出してくれること間違い無いと思う。センサーと映像エンジンが同じであるし、SIGMAのレンズには大きな信頼を抱いている。2と3を使うのが楽しみである。ではあるが、茅野の「山小屋」周辺はいよいよ完全な枯れ山になる。東京にいるときには写真を撮る気にならない。このカメラ、案外「都会スナップ」に向いていると思うのだが、都心に出て行く気にさえならない。すっかり「山小屋」の住人になってしまった。

とは言え、2と3が来たら何かを撮りたい。差し当たっては「枯れ山」を撮ることになると思うが、年が明けたら「あるもの」を撮ろうと考えている。あらかじめ撮影対象を決めて撮影に臨むというのは私には極めて珍しことである。1月にそういう環境に恵まれるかどうか微妙であるが、2月には確実にチャンスがあるだろう。それまでに2と3の「テスト撮影」を行っておき、「本番」に持って行くカメラを決めようと思う。理想は1台だけれど2台持って行くつもりである。21mmは外せないと思うので、残り一台はどれになるか。使ってみないことには確かなことは言えないが、3(75mm)になるような気がしている。

SIGMA dp Quattroは「作品」を撮るためのカメラだと思う_e0367501_19101837.jpg


by dialogue2017 | 2019-12-02 20:00 | 散歩写真 | Comments(1)

このカメラはちょっとでも画角に太陽が入ってしまうとものの見事に破綻してしまう。いまどきこれほどまでに逆光に弱いカメラは他にはないだろう。逆光の弱さでは断トツの第一位を獲得するだろう。大変失礼だがSIGMAという会社は「カメラ」を作るために必要な技術力の一部しか持っていないと言っても過言では無いと思う。ただし、そういう「弱小」メーカーであるからこそのチャレンジをしているため、トータルなカメラの性能では劣る部分があっても「力点」をおいた特徴点ではCanonやNIKONなどのカメラでは及ばないような魅力を持っていると思う。

追記。私は「レンズメーカー」としてのSIGMAは非常に高く評価している。Canonなどのレンズを凌ぐ性能のレンズを出していると思う。このSIGMA dp0 Quattroの21mm(135判換算)レンズもよくディストーションが補正されていて素晴らしいレンズだと思う(だからあのサイズ)。

このカメラは背中に太陽を背負って撮影するカメラ。画角内に太陽を入れて撮影するとこうなる。これはこれで面白いと思う人もいるとは思うが…

SIGMA dp Quattoroは太陽を背負って撮るカメラ_e0367501_14401474.jpg

画角の違いがあるが、SONY α7Ⅲで同じ位置から同じアングルで撮影した写真。こちらは"破綻”していない。

SIGMA dp Quattoroは太陽を背負って撮るカメラ_e0367501_14540532.jpg


by dialogue2017 | 2019-12-02 17:00 | 散歩写真 | Comments(1)

191130散歩(7)

リアリティーはない。しかし、このカメラにリアリティーを求める必要はないと思う。リアリティーある写真を撮りたいのであれば、別のカメラを使う方が賢明である。このカメラは「絵画的」な写真を撮るためのカメラだと思う。

191130散歩(7)_e0367501_14480427.jpg

by dialogue2017 | 2019-12-02 16:00 | 散歩写真 | Comments(0)

191130散歩(6)

「山小屋」から歩き始めて100mほどのところに上に登っていく道がある。ちょっと急な坂("ここ")であるがちょっと登ると上の道にである。そこから写真を撮るとまた雰囲気が違った写真になる。わざと手前のゴチャゴチャした部分を入れて撮った。

191130散歩(6)_e0367501_13320824.jpg

by dialogue2017 | 2019-12-02 15:00 | 散歩写真 | Comments(0)

191130散歩(5)

"191022朝の散歩(1)”以来ずっと同じ場所で撮った写真を掲載し続けている。「トムソーヤの森プロジェクト」で撮影している子どもたちの写真を除くとこの「散歩写真」以外の写真をほとんど撮っていない。1周500mあるかないかの小さな湖である。その周回路も一週1kmに欠ける短い散歩道である。その短い散歩道の中でも主に写真を撮るのは最初の1/3ぐらいの間であるから、この一月半に撮った写真のほとんどは"同じ場所”で撮影した写真である。同じ場所で撮影した似たような写真を短い期間の間にくり返し掲載するというのは馬鹿げたことだと思う。撮って掲載している本人にしてみれば、少しずつ違う写真の積もりでいても、見ている方には「また同じ写真か」と思われているだろうから。

それでも撮って掲載しているのはこのブログは私自身の為にやっているブログだからである。訪問者を無視しているわけではない。いや、数人の「読者」を前提に記事を掲載してはいる。しかし、更新の最大の動機は「自分自身のため」である。繰り返し書いているようにこのブログは私にとっての「日記帳」であり「アルバム帳」であり「備忘録」であり「雑記帳」なのである。だから、「同じような写真」を掲載することになんの問題もない。それに、都心で都心で撮った写真と違って自然の中で撮影した写真は同じ場所で撮っても1週間毎に「別の写真」になっている。写真の「色合い」が毎週変わっていく。だから、同じ場所で撮影しても同じ写真にはならない。これが、都心部でモノクロで撮影した場合季節が変わってもほとんど「同じ写真」にしか見えないが、自然の中で撮影した写真であればそうはならない。

それでも訪問者には「似たような写真」に見えることだろうが、私としてはそんなことはどうでも良い。同じ場所で撮っているが、カメラを換えて撮っているので私自身が見えればそれらはまったく「別の写真」なのである。この一月半の間に、X-T2、α7Ⅲ、645D、dp Quattoroで撮影した。それぞれのカメラでは異なるレンズでも撮影しているので一見似たような写真に見えても「細部」に目をやるとまったく別の写真なのである。敢えて言うと、私は各カメラ、各レンズの特徴の「アーカイブ」としてこのブログに写真を掲載しているのである。写真は乱雑に撮っている。しかし、「データ」を得るにはそれで十分である。何かの気まぐれで少し真面目に写真を撮る気になったとき、各カメラ、各レンズの長所と短所をよく知っていれば思ったような写真を撮ることが簡単にできる。私は写真を真剣に撮ることはほとんどないが、カメラやレンズについての「知識」のストックはしている。

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by dialogue2017 | 2019-12-02 13:00 | 散歩写真 | Comments(0)