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Facebookへの投稿から(1)

【7月1日の投稿(1)】

今月に入ってから、毎日Facebookにいくつもの投稿をしている。それを転載する。これは本日15時前の投稿。

ー中健児之塔であった慰霊祭に参列し、戦死した仲間らの冥福を祈った与座章健さん  =沖縄市首里金城町で23日午後0字49分

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⭐️せめて、この1本の記事だけでも読んで欲しい!

💥沖縄戦では10代の少年少女が動員され殺されていった。

💥大切な人を失った悲しみ、悔しさ。

💥「考えることが戦争を起こさない唯一の道だと信じている」

(以下は2019年6月24日毎日新聞朝刊25面に掲載された記事。改行は引用者が適宜入れた。氏名や地名などへのふりがなは省略した)

自責74年、痛みと歩み 沖縄慰霊の日

「後輩死なせた」今も  

戦場に10代の少年少女が駆り出され、家族が逃げ惑う凄惨な地上戦が展開された沖縄戦から74年。沖縄は23日、犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた。大切な人を失った悲しみ、悔しさ。雨降る中、沖縄は鎮魂と平和の祈りに包まれ、非戦の思いが広がった。

学徒動員の90歳

74年前の沖縄戦で「鉄血勤皇隊」として学徒動員された与座章健さん(90)=沖縄県南風原町=は、弟のような存在だった後輩を自ら戦場に送った悔恨を胸に「慰霊の日」を迎えた。

23日、沖縄戦で命を落とした県立第一中学校(現首里高校)の生徒や教師を悼む那覇市の「一中健児之塔」前で慰霊祭が営まれた。塔にはなくなった307人の名前が刻まれ、与座さんは通信兵として戦場で倒れた金城俊一さんの名を指した。「忍耐力があり、意志の強い男だった」

米軍が沖縄本島に上陸する3日前の1945年3月29日、県立一中4年生だった与座さんは新しい軍服とぶかぶかの軍靴で入隊式に臨んだ。「神国日本が勝つと思っていた」。軍の命令で与座さんが「志願書」を届けた同郷で2年後輩の金城さんも入隊した。金城さんの兄と与座さんは小学校の同級生で、金城さんが一中入学後は一緒に通学していた。(※引用者注、当時与座さんは16歳で、金城さんは14歳)

完成していなかった首里城下の司令部壕を交代で堀った。不条理な命令で上官からことあるごとに殴られたが、死ぬ覚悟はできていた。両親宛の遺書には「短い一生でしたけれど、お世話になりました。元気でやって下さい」と記した。

だが、4月半ばに米軍の猛攻を受けると、食料がなくなったことを理由に28日に中隊長から18人の仲間とともに除隊を命じられた。「身長が1メートル52しかなかった。中隊長の親心だったのだろう」

地元に戻り、豪に避難していた父親と再会。激戦地となった本島南部をさまよったが、6月14日に投降し捕虜になった。戦後、自分が「志願書」を届けた金城さんが戦場で命を落としたことを知った。金城さんの家族は父も兄も亡くなり、残されたのは母と妹だけ。

「同じように志願書を下級生に渡すことを命じられた同級生の中には、上官に『自宅には誰もいなかった』と言って破って捨てた人間もいた。なぜ自分に同じことができなかったのか」

自責の念を胸に戦後を生きたが、20年程前、東京である赤穂浪士の墓に出逢った。その浪士は吉良邸へ討ち入り後ただ一人切腹を許されず、「真実を伝えよ」と命じられたともいわれていた。

「自分が除隊を命じられたのは沖縄戦の実相を後世に伝える役目だったのではないか」。以後、積極的に体験を語るようになった。

21日、首里高での講演で後輩たちに戦争の愚かさや平和の尊さを語った。「当時は何がどうなっているのか、どうすればいいのか、全く分からなかった。子どもたちには何が真実なのかを自分で考えて行動してほしい」。

多くの命が失われた地上戦から74年。考えることが戦争を起こさない唯一の道だと信じている。

【佐野格、写真も】


Commented by shi-photo at 2019-06-25 23:09
記事の紹介、ありがとうございます。
歴史については不勉強な事が多いですが、思考停止は避けなければいけない事と思います。
Commented by 0123okkun at 2019-06-26 03:26
戦時中の日本がそこに自分がいたと仮定した場合、世の中の時代がそうであった。と言って自分もそうなれたかは検討もつかない。恐らく右や左に流される自分は、物事の核心を持てずに戦争という名のものに誰かを殺していただろうと思う。それが母国を守ることであると。日本人は流されやすいと言われていて、ドイツと日本だけは徹底的に潰さないと危険な国であると言われていた。ドイツと日本が一緒だとは思わないが共通している部分はあるとは思う。
この時代に生きて自分を含め、物事の核心に探求できない人が多い国は非常に危険であると思う。
勝手ながらこのブログの、お先真っ暗令和ジャパンの記事を読んで失礼ながらそれを職場の学習会に用いさせて頂きました。皆からは偏った意見すぎるとの発言を受けて平和ボケの意見しか職場からはいただけなかった。僕はあの記事にとても感銘を受けました。それを皆がどう捉えるかこの先の日本について討議したかったので介護職でありながらこの先の日本について皆がどういうふうに思うか聞いてみたかったのです。
話は少しそれますが、在日米軍は日本に必要かどうかと先日、親友と激論したのですが自分の勉強のなさに論破されました。悔しかったですいろんな意味で。それこそ今の自民党政権の危険性も含めて。

あの戦時中、うちの祖父は南方から帰還しました。当時南方から戻ってこれる人は奇跡と言われました。多くを語らない祖父でした。しかし、仕事柄戦時中の話が知りたくて、よく質問して話をします。皆基本的には多くを語りませんが、言葉にはいいあわらせない悲惨さを聞くことが多々あります。
Commented by bronz_photo at 2019-06-28 21:42
今晩わ。
初めてコメント差し上げます。
いつも楽しみにブログ拝見しております。

昭和の歴史については、年代によって大きく意見が別れるところと思います。

自分は3人の子供がおり、最後の子は11歳男子です。
彼が日本を誇りに思える、言葉を変えれば日本を大好きになれるよう教えて行きたいと思います。
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by dialogue2017 | 2019-06-24 15:00 | Facebook | Comments(3)