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とにかく撮って、載せてみる(5)

新青梅街道を歩いているときにトイレに行きたくなり駆け込んだビルの入り口で撮った(笑)。shi-photo君の写真には空が映っていない。

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何の意味も無い写真である。「とにかく撮って、載せてみる」ために撮ったのだから(笑)。しかし、こいういモノトーンに近いカラー写真が好きだ。しかも、「ブルー」のモノトーンが好きだ。7〜8年前はこういう写真をよく撮ったが最近そういうことをしなくなった。年々、ただレンズを向けてシャッターボタンを押しただけという写真の撮り方になっている。だから、なんの変哲も無い「平凡」な写真ばかりになっている。

それは、渡部さとるさんが語った「何かが撮りたくて撮るんじゃなくて」「何かを伝えるためじゃなくて」「何かを写したものじゃなくて、何かが写っているもの」「役割を持たされて写真じゃなくて、写真が写真である写真」と同じである。私の方が彼より大分早くそういう「志向」で写真を撮るようになっていたと思う(というか、私の場合初めからそういう傾向が強かった)。ただし、そういう写真はあまりブログには掲載していない。ブログにはそういう写真とはどちらかと言えば「対極的」なタイプの写真を載せるている。

『LUUZ e SOMBRA』はまさにそういう写真を中心にしたブログであった。と言って、『LUZ e SOMBRA』に掲載している写真が「作品」かというとそういうわけではない。「何かが写っている」写真と「作品としての写真」の中間ぐらいの写真が多いと思う。あのブログには文章を書いていない。9月以後のエントリーには写真の上に1行だけ文章を書くようにしたが、1〜8月の8ヶ月間は一切文章を書かずに写真だけを掲載し続けた。私は今まで10個ぐらいのブログをやってきたが、一つの例外もなく「文章を書く」ことが目的であった。多分、この8年間にブログに書いた文字数は数百万文字になっているだろう。1,000万文字には行っていないような気がするが、500万文字を大きく超えていることは間違いない(新書50冊分!)。

『LUZ e SOMBRA』は単なる私自身の「アルバム帳」であったわけであるが、ひとつの「実験」として始めたというのも事実である。その「実験」は比較的早い内に終わってしまい、その後はたんなるスナップの「スクラップブック」になってしまったが、ああいう形で「スクラップブック」を続けてみたことから「学んだ」ことは色々とあった。12月に京都旅行に行く直前に数日分予約投稿したのを最後に、京都から帰ってきて以後更新するのを辞めてしまった。もう、自分には「不要」になったからであるが、その後も「あそこ」にしか掲載できないタイプの写真をいくらかは撮っている。ようするに「小綺麗」な写真である。そういう写真はそういう写真で好きだからである。そして、そういう写真の方が一般受けする。多分、辞めてしまった一番の理由は「一般受け」することから逃げ出したかったからだろう。

私は、いろいろなタイプの写真を撮る。まるで「多重人格者」であるかのようにタイプの異なる写真を撮る。実は、数人の友人しかみることができないブログがあるのだが、それを見た友人から「Hさんが撮った写真だとはとても思えない」と言われた。それはそうだ。いくつもの「人格」を使いわけて撮っているのだから。私には、誰が見ても絶対に女性の写真ブログだとしか思えないようなブログを続けることだって簡単だ。そういう写真の撮り方を知っているから。森山大道的写真の撮り方だって、アラーキー的写真の撮り方だって知っている。人間はゼロから100%オリジナルを生み出すことはできない。多かれ少なかれ先達を「模倣」することの上にしかオリジナリティーを形作ることはできない。だから、偉大な先達についてはある程度知っていなければお話にならない。一人か二人の作家でも構わない。強い影響を受ける「作品」をみる必要がある。

shi-photo君の場合、初めから「狭い好み」の範囲に没入していった方が上達が早いと思う。なにか一つのことを徹底して煮詰めた方が「深い」ところに早く到達するものだから。しかし、私としては、あえて遠回りをしてでもいろいろなタイプの写真を撮ってみて欲しいと思う。なにもそんなに急いで「名人」にならなくてもいいと思う(笑)。僕が君の撮った写真1枚1枚について徹底的に論評し、モノクロ写真のレタッチの仕方を直接教えてしまえば、君は3ヶ月後にはかなりハイレベルなモノクロ写真が撮れるようになっているだろう。でも、そんなことをしてもひとつも面白くないと思う。自分自身で試行錯誤を積み重ねた末に「そこ」に辿り着く方が数倍楽しいだろう。

君はすでに僕の提案に従い「とにかく撮って」みるという段階の一つ上へのチャレンジを始めた。しかし、そこで何をどう撮って良いのか全く分からなく成った。当然である。いままでは「とにかく撮ってみる」だけだったのだから。いままでは「とにかく撮れば」それで良かった。しかし、いまは「とにかく撮った」のではダメだと言うことになった。君にはなんの「基礎」もないし、「蓄積」もない。だから、何をどう撮ったら良いのか全く分からなく成った。「作品」としての写真を取って見ろと言われても「作品としての写真」というものがどういうものかさえ判らない。当たり前だ。君は「作品としての写真」をほとんどみた経験が無いのだから。「ゼロ」からは出発できても進み続けることは出来ないのである。君には「行動力」はあるが、「深く考える」姿勢が浅い。いや、考えようと思っているのだけれどそのために必要な力がないと言うことだ。

文章を全く書けない人間には物事を深く考える力は無い。良い写真が撮れるようになるために必ずしも「物事を深く考える力」が必要だというわけではない。しかし、良い写真を撮っている写真家というのは少なくとも写真に関しては「深く考える」力を持っている場合がほとんどである。写真は80%までは「理論」で理解することができる。であれば、「考える力」がある方が俄然有利である。しかし、「考える力」を身につけることは、写真が上手に撮れるようになるより遙かに難しいことだ。ここに小さなアポリアがある。昨晩も友人の口からちょっとそういう話が出た。「上手い写真を撮っている人ってほとんどが賢い」と彼は言った。そして、かなりのレベルにまで到達している人というのは写真を語る「深い言葉」を持っている。昨晩友人のフォトグラファーも言っていたが、そういう意味においては渡部さとるさんは我が国の最高峰の写真家の一人だと言って間違いない。それは、彼の門下生からたくさんの写真作家が生まれていることに端的に表れている。

私はまだ1枚も「作品」として写真を撮ったことが無い。私は一貫して「反作品」という立場で写真と向き合ってきたのだから当然である。だから、私はただの一度も「写真作家」になりたいと思ったことが無かった。しかし、つい最近気がついたのだが、私はすでに「写真家」になっていた。自分自身がそれを望んでいなくても私は「写真家」になっていた。直ぐにでも一流作家に拮抗する写真が撮れる自信があると公言してはばからない根拠は、知らないうちに自分がいっぱしの「写真家」になっていたからだと言うことについ最近気がついた。どうしてそんなことになったかは語るまでもない。渡部さとるが私の中に「乗り移った」のである。そしてもう一つ、私はこの10年ちょっとの間、他の誰よりも熱心に彼の写真を見続けてきた。今回の展示もすでに3回行っている。もう、28枚の作品が頭に染みついている。明後日で閉会となるが、私はもう一度見に行くつもりである。彼の「平凡」で「普通」の写真を見に。

(2,839文字)


Commented by from_vixen at 2019-01-24 16:15
『LUZ e SOMBRA』少しですが拝見しました。仰るように"一般"である私には魅力的に思える写真が多くありました。しかしそれよりも私が感じたのはそれを意識的に行っている、いや行えている客観性の高さに感心しました。そこまで俯瞰的に写真を撮ってこの臨場感を出すというのはどういった芸当なのか。皆目見当も付きません。

このトーン。私もとても好みです。
blueは色の中で唯一心情を表せる色だと聞きました。やはり人間にとって特別なカラーなのでしょうね。
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by dialogue2017 | 2019-01-24 15:00 | モノクロ | Comments(1)