「本気で撮ってみよう」と思うに至った理由などなど(8)

彼女を撮ったファーストカット。とても緊張した表情だ。当たり前だ見知らぬ「老人」に撮られているのだから(笑)。

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(7)のつづき。

まだなにも決めていない。しかし、「撮るモノ」が決まればもう80%は終わったも同然である。あとは、「それ」を出来るだけ美しく撮るために必要な技量を磨けば良いだけだ。「技量」などと言ったところで、せいぜい「機材」を上手に使えるようになれば良いだけの話だ。自分の手で「筆」を持って真っ白なキャンバスに絵を描くことに比べたら楽な話だ。「技量」に関しては、今の時代は山のように情報がある。それに、私の中には「技量」の土台となる「理念」が蓄積されている。渡部さとるさんとの談笑から吸収している「知」は相当高い価値のモノだ。


彼は、いまの我が国で写真についてもっとも深く理解している10人の一人に入るだろう。彼は、突き詰めてしまった感がある。私は彼から「写真の撮り方」を教わったことはないが(スタジオライティングは教えて貰ったけれど)、それ以上に深い「知」を受け継いだ。まさに「受け継いだ」と言って良いほど、私は彼から多くの話を聞いている。それが、このあと私が撮る写真にどれだけ反映されるのかはわからない。ただ、それが直接的にはほとんど影響しないとしても、私の「心の奥」に「写真知」があると言うこと自体に大きな意味がある。多分それは、私自身が気づかないところで染みいるようにして私の撮る写真に影響を与えるだろう。言っておきたいことは、それはテクニカルなレベルのものではないということだ。


いまはカメラの性能が高いし(今回X-T2の瞳認識AF性能の「低さ」に泣いたが)、照明機材なども小型で優れたモノが沢山出ている。LEDライトを上手に使えば大型ストロボを持ち運ばなくてもかなり本格的なロケ撮りが出来るだろう。昔なら、3人4人のアシスタントがいなければセッティング出来なかったようなロケ撮りを、一人アシスタントを連れて行けばやれる時代になっている。だから、「テクニカル」なレベルのことはそれほど難しいことじゃない。覚えれば良いだけのことだ。


結局問われているのは「形而上」のことである。「なにをどう撮るか」という話である。私が一度として「作品」を撮ろうと思わなかった最大の理由は、何をどう撮ったところで、すでに撮り尽くされているからである。すでに誰かが同じようなモノを同じようなやり方で撮ってしまっている。人類はすでに写真を撮り尽くしてしまっていると思う。だから、そのうえ自分が「作品」を撮ることになんの価値も感じなかったのである。


この事情になんの変化もない。もう撮り尽くされている。もちろん、写真には必ず「撮り手」の個性が反映するから、この世に二つとして「同じ」写真は無い。しかし、ほとんどの写真は「同じような」写真でしか無い。誰の撮った写真も似たり寄ったりだ。どこかの誰かがすでに「同じような」写真を撮っている。見たことがあるような写真ばかりだ。


私は、誰かが撮った写真と「同じような」写真であることがいけないと言いたいわけでは無い私自身もそういう写真を撮っている。ただ、誰かと「同じような」写真を「作品」として出すことに意味を感じないと言うことである。ついでながら言っておくが、最悪なのは「猿真似」写真。あこがれの写真家の作風を模倣するところから始めることは良い。およそあらゆる芸術は、先達の模倣から始まっていると言って過言では無いのだから。しかし、いつまでも「物真似」を続けている写真愛好家が多すぎる。仮に、あなたの写真があこがれの写真家の作品と同レベルの素晴らしい写真であったとしても、それはあなたの写真では無いのだ。それはたんなる「猿真似」に過ぎない。


私がこれから撮ろうと思っている写真はすでに撮り尽くされた写真と「同じような」写真である。前例のないような写真を撮ろうと思ったら「奇抜」な写真を撮るしか無い。「赤ワイン」を撮ったただ全面が赤いだけの写真を撮るとか(大和田良)、恋人同士を「真空パック」して撮るとか(フォトグラファーHAL)。私はそういうやり方を否定しない。芸術というのはそういうモノだと思う。他の人が考えないことをやって注目を集めれば芸術家としては成功だ。しかし、私は「芸術」がやりたいわけではない。私は「撮りたいモノ」が見つかったから「真面目に」撮ってみることにしたと言うだけの話だ。実は、面白くもなんともない平凡な話なんだよ(爆)。


(つづく)



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Commented by mon21mon at 2018-10-31 21:53
こんにちは。
返信を求めてないコメントではありますが
Hクラスで他の方の写真を見て、二人程とても感銘を受けました
一人は、車内で向かい側の人の足を撮っております。ひたすら、偏執狂的に撮っております。何故?本人にも理由がわからない突き動かされる衝動からだそうです。カメラは携帯
もう人方は、生きることと写真を撮ることが一緒というようなライブな印象の写真。友人や日常をコンパクトフィルムカメラでフラッシュを焚いてバンバン。カメラはオートボーイみたいな奴だと思います。テクニック的には稚拙な部分が多いのだろうけれど、写真は若くて、素敵でした
どうしても撮りたいものがある。突き動かされて撮る写真は、他には無い力があるのだと感じました。dialogueさんに撮りたいものができたとのことで、おめでとうございます。
自分も撮り続けた先に撮る理由なんて考えてむ必要がなく撮りたいという衝動が湧いてくる対象が見つけられるように撮り続けていこうと思います
Commented by dialogue2017 at 2018-10-31 21:56
> mon21monさん
コメントありがとう!
いま、バタバタしているので返信は後ほど。
まあ、こんな場所で対話しなくても、遠からず阿佐ヶ谷ででも会えるでしょうが(笑)。
by dialogue2017 | 2018-10-31 21:00 | 写真とカメラの話し | Comments(2)