「本気で撮ってみよう」と思うに至った理由などなど(2)

とても素敵な写真だと思う。まるで映画のワンシーンのようだ。この"色の美しさ"が好きだから西日で撮る。ひとつひとつに理由がある。


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(1)のつづき。

表現行為を行うに当たって「ろくでなし」であるということは好材料だ。およそ偉大な芸術家の大半は「ろくでなし」だ。真っ当な人を探すのが大変なほどだ。当然のことだ。「ろくでなし」じゃないと偉大な芸術家になどなれないのだ。何か大きな才能を持っている人間というのは、能力がその部分に「偏って」いる人間であって、他の部分が「空っぽ」に近い人間が多い。自分がやりたいことだけに熱中する偏った人間なのである。歴史上の偉大な芸術家や偉人たちの多くが、いまで言えば「発達障害」の傾向を強く持っていたというのもそういうことなのだ。最近の「偉人」で言えば、スティーブ・ジョブスもビル・ゲイツも"アスペルガー症候群”である。織田信長とか坂本龍馬も間違い無くその傾向の持ち主だっただろう。信長なんか「真っ当さ」がほとんど無い。古今東西、歴史上の偉人、偉大な芸術家の大半はそういう人々だったのだ。

私はまちがいなく「ろくでなし」だ。しかし、極めてノーマルである。だから、私には芸術の才能はあまりないだろうと思う。いや、すっかり失念していたが「文芸」も芸術のうちであった。「文筆の才」だけはある。若い頃に、ある著名な作家から「君は作家になったら間違い無く大成するよ」と言われたことがある。言葉に達者なのだ。もし、私が「表現行為」に取り組むとしたら、その対象は間違い無く「文学」であろう。私には、「言語」を扱う能力に大きな「偏り」がある。自分で言うのもなんだが、この点ではかなり図抜けている。小学5年生の時「この子と論争して勝てる先生は学校には一人もいない」と担任を嘆かせたぐらいなのだ。今ではしがない老人であるが、子どもの頃は「神童」だったのだよ(笑)。「あなたは聖徳太子みたいだ」って担任から言われた。一遍に七人と話しているって(笑)。

まあ、「残り20%」はあってもなくても良い。多分、最悪でも10%はあるだろう。足りない10%は盗めば良いだけの話し。もっとも、盗んでみたいと思う写真家などいないけれど(笑)。しかし、なにも写真家から盗まなくたって良いわけである。「絵画」から盗んでも良いし、「映画」から盗んでも良いし、「文学」から盗んでも良いのである。例えば、村上春樹の『ノルウェイの森』という小説をモチーフにして「作品」を撮るという撮り方もある訳だから。あるいは、自分が好きなある「楽曲」のイメージをモチーフにして撮るというやり方もある。口八丁手八丁と言われる私の強味は「手口」が多いことだ。「手」と「口」が八つずつあるんだから(爆)。

あれこれ書いたが、「残りの20%」のことなんて全く気にしていない。今必要なのは「撮る力」を養うこと。いままでは遊びで「漫然」と撮っていただけなので「撮る力」がまだ足りない。しかし、2ヶ月真剣に撮れば基礎が固まるだろう。半年撮ったら自分の写真が撮れるようになっているだろう。1年後には、著名写真家と「二人展」「三人展」をやって一番好評を博すことが出来るだろう(爆)。「本気」になって負けたことがないんだ。いやなやつだよね。でも、もの凄く優しくて、エスコートがスマートで、話題に豊富な「自信家」だから女性にはもてるよ(爆)。多くのモノを”獲得”する人間というのは「自信家」と相場が決まっている(笑)写真ぐらい簡単に撮れるよ(爆)。

(つづく)


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by dialogue2017 | 2018-10-31 15:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)