「本気で撮ってみよう」と思うに至った理由などなど(1)

【お断り】以下の文章は、1時間半ほど掛けて一気に書き下した。その時点で6,498文字となりまだ終わっていなかった。で、取りあえず、そこまでの部分で一旦「執筆」を中断し、書いた文章をいくつかに分割してアップすることにした。文書を読んでいる人は指折り数えるくらいだろうけれど、熱心にすべてを読んでいる人もいるようだ。ありがたい話である。ただ、今回の話は「本気」で写真を撮ってみようと想っている人には読む意義のある話ではないかと思う。


まだ全然撮れていない。突っ込み処満載だ。この写真、カラーだと成り立っている。もの凄く綺麗な西日が彼女の顔を照らしていてその「色合い」が綺麗だから。モノクロにしてしまうとこの写真の一番美しい部分を「捨てる」ことになる。だから、私はこの写真をモノクロにしようとは絶対に思わない。そもそも、夕暮れの西日の暖かく柔らかい光で女性を撮るのにモノクロで撮るなどと言う「愚か」なことを私はしようと思わない。夕暮れに写真を撮る理由は、西日の「赤い色」が美しいからだ。「色彩美」を深く理解しないと良いモノクロは撮れないだろう。「カラー」と「モノクロ」はメダルの裏と表だから。両者が同じ「面」にあるモノじゃないことがわからないとモノクロは撮れない。

彼女をカラーネガで撮ってみたいと思う。やはり渡部さんからカラープリントプロセッサーを貰っておけば良かったかな。まあ、近いうちにPORTRAでちょこっと撮ってみて、ラボ出しして良い感じのプリントが上がってきたら、来年はカラーネガをやってみるかもしれない(そうなったらCP31を手に入れて暗室を作る)。モノクロプリントをやるつもりは全くない。いまからやっても渡部さとるを追い越せないから。カラーなら追い越せる(爆)。写真下に本文あり。


e0367501_11111447.jpg


日曜日に撮った写真を眺めている。良い写真は沢山ある。しかし、それはモデルさんが美しいから。撮る方はたいしたことがない(笑)。写真を見ると雑に撮っていることが一目瞭然。中にはかなり真剣に撮ったなと感じる写真も無いでは無いが、全体としてのレベルは低い。突っ込み処満載といった感じだ。でも仕方ない。まだ「本気で撮ってみよう」と思う前だったのだから。言い訳じゃない。本気になったもっと撮れる。

モノクロで女性ポートレートを撮るつもりは無い。モノクロが良くないと言うわけではない。いまの私にはまだモノクロで女性を撮れるだけの実力が無いから撮らないと言うことである。そもそも、モノクロで女性を撮った経験が無い。もちろん、私のことである。全く経験がなくても知識は十分ある。プロカメラマンから「そんなことよく知っているね」と言われることがちょくちょくあるくらいなのだから。なにせ、「能書き人間」だから(笑)。

しかし、「能書き」は役に立つ。少々乱暴なことを言うと、「写真」は80%までは「理詰め」で理解できる表現行為だ。残り20%が「感性」、つまり持って生まれた「才能」。たぶん、才能の部分は20%ぐらいしか反映しないと思う。ただし、その20%があるのとないのでは天と地。まるで違う写真になる。自分にその20%があるかどうかわからない。あまり自信が無い(笑)。ただ、少なくても平均以上の才能があることは間違い無いだろう。不安はない。私の場合、80%の領域を90%にまで押し広げるという手口があるから(笑)。およそたいがいのことは「理論」のレベルが高ければ高いほど「実践」のレベルも上がる。そこだけが私の強味だ。

たぶん、「感性」も悪くないだろう。ろくに仕事もしないでやりたいことだけをやって生きてきたんだから(笑)。私には「世俗の垢」があまり着いていない。本当に自由奔放に生きてきた。死んだ親父に「おまえはお釈迦さんのようなやつだ」と言われたことがある。「どういう意味?」と聞き返すと、「『天上天下唯我独尊』。この世で自分が一番尊いと思って生きている」と返ってきた。確かにそうかもしれないと思った。父は息子を知っている。人間はやりたくないことをやらないと生きていけない。しかし、私はやりたくないことをやったことがほとんど無い。いや、「ない」のではなく、私には「できない」のだ。私は、"やりたくないことをやる能力"を持って生まれてこなかったのだ。根っからの”ろくでなし”だということである。最近息子を見ていてその”ろくでなし”ぶりに溜息が出てくる毎日なのだが、ようするに私にそっくりなのだ(笑)。

(つづく)


[PR]
by dialogue2017 | 2018-10-31 14:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)