色が持つ情報量の多さと情報量を減らすことによって生じる効果について

カラー写真だと「皿の上の料理」にも「窓の外の光景」にも「服の色」にも目が行くが、モノクロだと娘の顔の表情だけがストレートに目に入ってくる。情報量が少ないことによって、テーマをはっきりと伝えられることがあると言うことだ。この写真はそういう目的の写真では無いが…

e0367501_16280906.jpg

仲良く交流していただいている『SunsetLine』さんは二人の娘さんの写真をフィルムで沢山撮っている。ネガカラープリントにはデジタルカラープリントが及ばない美しさがあると思う(特にPORTRAで撮った写真)。二人の娘さんが大きくなったら、カラーネガフィルムで撮って貰った写真を見て嬉しいと思うだろう。きっと、同級生にはネガカラーフィルムで撮って貰った写真を持っている友だちなんてほとんどいないだろうから、娘さんたちはなんとなく誇らしい気持ちになるのでは無いかと思う。手間暇の掛かるものには価値があるのだ。

『Mon's cafe』さんも『SunsetLine』さんもモノクロフィルムでもお子さんの写真をよく撮っている。ネガカラーで子どもの写真を撮り残す価値は小さくないと思うが、モノクロフィルムで子どもの写真を撮る「価値」がどれほどあるのか私には分からない。きっと、撮っているお父さん自身にとって「価値」があるのであって、撮って貰った子どもたちにはそれほど大きな価値は無いのでは無いかと思う(爆)。しかし、『Mon's cafe』さんの最新エントリーに掲載された息子さんの写真は、フィルムらしい柔らかいトーンでとても綺麗だと思う。惜しむらくはモデルが男の子であることだ(笑)。でも、女の子のいないお父さんにとっては「angel」なんだよな〜(笑)。それもせいぜいあと3年(笑)。

写真なんて撮っている本人が楽しければそれで良いと思うので、『Mon's cafe』さんや『SunsetLine』さんにはこれからも頑張ってモノクロフィルムで撮って欲しいと思うが、私はモノクロフィルムで娘を撮ろうとは思わない。

女の子をモノクロで撮ることが意味の無いことだとは思わない。モノクロにはカラー写真とは違った良さがあるから。色を捨ててしまったが故に出てくる雰囲気というものは間違い無くある。色が無いからこそ「色あせない」という事もある。しかし、私は子どもたちの写真はほぼ100%カラーで撮っている。私にとって「写真」は何よりもまず「記録」だからである。現実世界には色があるのだから、「記録」として残すに当たっては色がある方が自然だ。「色」があるというのは単純に色があると言うことでは無く、そこには沢山の情報があるのである。

ただし、同じ「記録」としての写真であっても、例えば「古い町並み」を写真として記録して残そうとした場合、カラーであるよりモノクロである方が合っているのでは無いかと思う場合もある。そう思う理由は、色を捨ててしまった方が被写体の持つ"エッセンス"が浮き出るからでは無いかと思う(ケースバイケースだ)。

なんであれ、モノクロで写真を撮っている人々には、カラーばかりで写真を撮っている人が「ああ、モノクロ写真って素敵だな〜」と思うような写真を撮って欲しいと思う。せっかく現実にある色を捨てた写真を撮っているのだから、カラー写真以上の写真を撮らなければモノクロで撮る意味が無いと私は思う。

私が娘を撮った写真の中にモノクロで撮った写真は0.5%もないだろう。いや、0.1%くらいかもしれない。しかし、時々カラーで撮った写真をモノクロにしてみることはある。そういうことをしてみるときの多くは、単純にモノクロにしてみたいと思ったという以外の理由であることが多い。例えばこのブログの「ネタ」にするようなケースである(笑)。

上の写真は昨日テニスを終えた後、運動公園からほど近い『ガスト』で遅めのランチを食べた際に向かいの席で食事をしている娘を撮ったものである。私にとっては「記録写真」である。言うまでも無くカラーで撮っている。今日は、「モノクロ用フィルター」の件で3つもエントリーを書いた。その際カラーで撮った写真を何枚もモノクロに変換した。さらにその後、『Mon's cafe』さんと『SunsetLine』さんが撮ったお子さんたちのモノクロ写真を拝見した("これ""これ")。で、なんとなく1枚娘の写真をモノクロにしてみたくなった。

この写真を眺めていて「モノクロはいいな〜」とは思わなかった。初めからモノクロとして撮るべく撮った写真では無いので、モノクロとしての美しさが大きな写真では無いからだろう。ただ、カラー写真よりモノクロにしたものの方が"娘の表情”がストレートに目に入ってくるような気がした。それは「色」がなくなったことの「効果」だと思う。情報量が少なくなると言うことは必ずしも悪いことでは無いのである。上に記した「色を捨ててしまった方が被写体の持つ"エッセンス”が浮き出る」というのも、必要以上の情報を捨てた効果なのだ。

私が娘をモノクロで撮らない大きな理由の一つは、モノクロは綺麗な光で撮らなければ美しくないと思うからだ。スナップや純然たる記録写真であればまた話は別だが、人物のモノクロ写真は綺麗な光で撮らなければカラーの方がいいと思う。しかし、絶えず動き回っている娘に偶然綺麗な光が当たっていることは多くない。だから私は娘をモノクロで撮らないのである。

モノクロにした写真だけを載せるつもりであったが、それほど立派な写真でも無いので上に書いた文章の意味がイメージとして浮かびやすいようにカラーの方も掲載しておく。「色」がいかに多くの「情報」を伝えているかが分かる(服の色や食べ物の色など)。

最近お気に入りのASTIAで撮ったJPEGファイル。窓の外のハイライトを落とした以外はノーレタッチ。多分+0.67EV。

e0367501_16284036.jpg


[PR]
Commented by azukiyarou at 2018-05-08 17:04
こんにちは。
dialogue2017さんの文章を読んで自分でもなるほど、と合点しています。
嫁も娘もモノクロプリントを見るよりはカラーのアルバムを見る方が好きな様子で、モノクロアルバムはまさに「撮っているお父さん自身にとって「価値」があるのであって、撮って貰った子どもたちにはそれほど大きな価値は無いのでは」…といった所です(^^ゞ。
何故モノクロフィルムで娘を撮るのかを考えていくと、色々と思いつく事もあるのですが、結局は自分が現像して暗室でプリントしたいからなんです。
自分が最も撮りたい被写体を自分の手で写真にしたいから、モノクロフィルムで撮る。もう完全に自分の楽しみのためです(^^ゞ。

「絶えず動き回っている娘に偶然綺麗な光が当たっていることは多くない。だから私は娘をモノクロで撮らないのである。」
本当にそのとうりで、自分がプリントしていて「これはお気に入り」という写真は、モノクロスナップにちょうどいい光の中に娘がいたのをたまたま撮ったか、いい光が当たっている室内で椅子に座った時などの娘が動かない状況で撮ったものか、なんだと思います。
娘とのモノクロお散歩写真はカラーでは成立する光景をふいにしてまでモノクロで撮っているともいえるので、そのぶん少しでもモノクロで撮る価値のある写真を撮れたら…と思います。
もちろん、カラーでも同じくらいかそれ以上に娘たちを撮って残しておきたいです(^^)。
Commented by dialogue2017 at 2018-05-10 02:26
> azukiyarouさん

返信が遅くなって恐縮です。
貴方の率直な人柄が好きです。
写真には人柄が表れると言いますが、貴方の写真には貴方の人柄がよく出ていると思います。
僕は、上手いとか下手というのは二番目の問題だと思っています。
一番の問題は、好きか嫌いかです。僕は貴方の写真が好きです。
もの凄くストレートに撮っているところが貴方の写真の素晴らしさです。

散々お待たせしてしまった「論評」、今週中に書くつもりです。
引き延ばしをして良かったと思います。
一番最初に書こうと思ったこととはかなり違うことを書くことになりそうです。
それは、貴方の今後の「写真生活」に小さくない影響を与えるだろうと思っています。
それだけの中身が無いのであれば、論評などを行う意味が無いと思います。

もしかしたら、貴方が思いも掛けない内容であるかもしれません。
楽しみに待っていて下さい(笑)。

by dialogue2017 | 2018-05-07 19:00 | 写真論 | Comments(2)