あえて「色」を捨ててモノクロで表現する大きな理由

この写真には、「陰中の陽」、「陰中の陰」、「陽中の陰」、「陽中の陽」がある。美しい色彩を捨ててまでモノクロで表現する大きな理由の一つは、光の作り出す美しいトーンを表現することにあるのだと思う。

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『Mon's cafe』さんから「GW2日目(3)」にコメントを頂いた。「2枚目の写真、あーdialogueさんの撮る光だなーと思いました。もう一つのブログの方のlandscape001もそのように思いました。見た瞬間にそうかな?と思う、コントラストとグラデーションが、まーその人のトーンということなのでしょうか」と言うコメントであった。

あの2枚目の写真(というか「GW2日目」の写真全部)は、ただたんに「ハナミズキ」を植えたということをブログ読者に伝えるために撮った写真なので、光の当たり方などに注目して撮った写真では無い。しかし、『Mon's cafe』さんが指摘されたように、私はああいう「光」が好きで、見かけるとよく撮る。その「ああいう光」というのはたった一言で説明できる。「木漏れ日」である。つまり、生い茂った木の葉の間から漏れ落ちてきている光である。そういう「光」が好きな理由は、「光」の方も好きであることは確かであるが、むしろ「陰」の方が好きで撮っているのである。

「光」が美しく見えるのは「陰」があるからである。「陰」は「影」の方を使っても良いが、私のイメージとしては「陰」である。私はどちらかと言えば「西洋哲学」の考え方の影響を受けていて、「東洋思想」への関心は薄い。だから、「陰陽思想」に強い興味を抱いたことは無いのだが、陰陽思想の物事の理解の仕方には「なるほどそうだ」と思されるものがある。ちょっと長くなるが、面白そうなので紹介しよう。wikipediaをそのままコピ−ペーストする。面倒なのでフォントサイズの訂正もしない(笑)。

陰陽互根
陰があれば陽があり、陽があれば陰があるように、互いが存在することで己が成り立つ考え方。
陰陽制約
提携律とも言い、陰陽が互いにバランスをとるよう作用する。陰虚すれば陽虚し、陽虚すれば陰虚する。陰実すれば陽実し、陽実すれば陰実する。
陰陽消長
拮抗律とも言い、リズム変化である。陰陽の量的な変化である。陰虚すれば陽実し、陽虚すれば陰実する。陰実すれば陽虚し、陽実すれば陰虚する。
陰陽転化
循環律とも言い、陰陽の質的な変化である。陰極まれば、無極を経て陽に転化し、陽極まれば、無極を経て陰に転化する。
陰陽可分
交錯律とも言い、陰陽それぞれの中に様々な段階の陰陽がある陰中の陽、陰中の陰、陽中の陰、陽中の陽。

皆さん、これを読んでどう思いましたか? 私は、「これは丸っきりモノクロ写真についての話じゃ無いか」と思いました。上記したように、私は東洋思想にあまり興味を抱いていないため、中華思想について勉強したことが無い。陰陽思想についてもしかりである。だから、こんな話はすっかり忘れていた。僅かながら陰陽思想に触れたのは20代のころのことで遠い昔のことである。その後の人生で陰陽思想について考えたことなど無かった。しかし、これはヘーゲル哲学における弁証法と極めて類似する「認識論」である

私はヘーゲリアンと言うほどでは無いが、ヘーゲルからの影響はかなり強く受けている(ヘーゲルそのものより廣松渉からの影響が強い)。「量の質への転化」というのはヘーゲル弁証法の一つの中心概念であるが、やや難しい話をすると弁証法概念には「対立物の統一」という考え方がある。いや、そもそも弁証法というものは「認識における対立物の統一」と言っても良いだろう。

弁証法の話しに脱線すると、長くなるのはともかく、難しい話しになるでやめておくが、モノクロ写真の肝というのは、「陰中の陽」「陰中の陰」「陽中の陽」「陽中の陰」を如何に美しく表現するかと言う点に尽きるのでは無いかと思う。モノクロ写真において「白飛び」と「黒潰れ」が禁忌とされる理由は、「白飛び」や「黒潰れ」がある写真では「陰中の陽」「陰中の陰」「陽中の陽」「陽中の陰」が美しく表現されないからであると言っても良いだろう(「黒潰れ」に関しては100%否定し得ないと思う)。

さて、このエントリーの冒頭に掲載した写真は、『Mon's cafe』さんが「もう一つのブログの方のlandscape001もそのように思いました」とご指摘下さった写真である。カラー(PROVIA)で撮影したものをあとからモノクロに変換したものである。元の写真は下のような写真である。グラデーションを持った青色で写った川の水は美しいと思う。しかし、カラー写真だと「色の美しさ」に目が行ってしまい、この場所の光が作り出している"豊かなトーン"がよく見えない。モノクロ写真にすれば光の美しさがよく見えてくる。これがすべてだと言うつもりは無いが、あえてモノクロという表現手法を選択する大きな理由はここにあると思う。


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by dialogue2017 | 2018-05-02 12:00 | 写真論 | Comments(0)