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最初に始めたブログは、毎日その日にあったことや思ったことなどについて書いた。必ずしも全ての記事が日々の出来事に関するモノであったわけではないし、3年間続けたのでその時期時期によって内容に偏りも生じた。2010年1月1日から始めたブログであるが、2011年4月11日から翌年の2月初旬までは「被災地からの情報」が記事の大半を占めた。2011年4月11日、3月11日の震災から一月に当たるこの日に私は会社のハイエースに満載した支援物資を持って福島県の南相馬市の「災害ボランティア」を訪ねた。以後、この年の年末までの38週間の間に私は32回被災地を訪ねた。ほぼ毎週と言って良いペースで通った。初めのうちは3泊4日のスケジュールで出掛け、福島県・宮城県・岩手県沿岸の津波被害が甚大であった地域に支援物資を届けた。通い始めて程なくして段階で、それぞれの地域の被災者の方々との薄からぬ交流が始まった。

「被災地からの情報」を書いていた頃には1日の訪問者数が1,000人以上であった。2日で5,000人というようなこともあった。当時6万件ほど登録されていたエキサイトブログの全体でアクセススが25位になるというようなことさえあった。訪問者数が多かった理由は、私が被災地の「現状」「実情」を伝えるために、毎回現地からたくさんの写真をアップしたためである。私はもともと「ドキュメントにこそ写真の真価が現れる」と思っていたが、この時には"写真の力"を痛感した。私は「写真の力」というものを最大限活かし被災地支援の拡大に努めた。そして、それはすぐに若い世代の「大きなうねり」を生み出す原動力となった。私が撮った写真は、日本最大のボランティア活動に携わる何人もの青年を生み出す大きな一助となったのである(この件については書籍になっているがあえてここでは紹介しない)。

被災地支援の話しはこれ以上書かない。書こうと思ったことは、最初のブログには様々なことを書いたと言うことだ。3年間に8,000件を越えるエントリーを書いたが、内容としては「日々の生活」に関する話しと、家の周辺で撮った写真がもっとも多かった。もしあのブログを始めていなかったとしたら、私は毎日のように写真を撮る生活をしていなかっただろうと思う。

新しいブログを始めることが少し楽しみになってきた。FaceBookをやっていて一番「価値」があると思うことは、「過去の思い出」で前年以前の”同月同日”の投稿がまいにち「配信」されることである。やはり写真のいちばん大きな価値は「記録」という点にあると思う。「スナップ写真」だって「記録としての写真」の範疇に含まれるものもある。今はもう決して見ることが出来なくなった「昔の光景」などを撮った写真には間違いなく「記録」的価値がある。しかし、大半のスナップ写真は「記録としての写真」とは異なる。過去に撮った写真でしみじみ「良いな〜」と思えるのは「家族の写真」であり「旅」の写真である。スナップ写真とは比ぶべくもない価値があると思う。

「茅野の家」は月に2回ほどのペースで通っている。冬場には行くことが少なくなるが、春から秋にかけては数週間続けて行くこともある。「茅野の家」と呼んでいるほどで、そこは「別荘」と呼ぶよりは「セカンドハウス」と呼んだ方がしっくりくる位置づけである。しかし、そこで過ごす時間は東京で過ごす時間とは明らかに質が違っていて、それは明確に「非日常」の時間である。であるから、茅野の家に行くと言うことは「旅行」と言っても良いのである。そして、写真を撮るのは「非日常」の方が断然楽しい。写真をやっていない人々も旅先では写真を撮るではないか。

茅野の家そのものは「寝泊まり」の場所であり、日中に滞在していることはあまりない。朝早くに家を出ることも少なくないし、朝は少しノンビリして10時頃から出かけることもあるが、いずれにしてもどこかに出掛ける。諏訪ICから高速に乗って「安曇野」あたりまで出向くことは頻繁にある。早朝に出発して「白馬」に日帰りで出かけることも珍しくない。白馬方面に行ったときには、「八方尾根山荘」や「栂池ヒュッテ」に泊まることもあるし、ペンションに宿泊することもある。春や秋の初めには「霧ヶ峰」や「車山高原」に出掛ける。茅野の家から車で1時間の範囲には、他にも何ヶ所も美しい場所があり、行き先に困ることは無い。

しかし、最近は「原村」や「小淵沢」あたりでウロウロすることが多くなった。お洒落で料理の美味しい店や、素敵な雑貨を置いている店などに行くことが楽しいのである。娘は"スイーツ”の美味しい店に行きたがる。私は基本的には妻と娘が行きたいところに行くことにしている。私も美味しい料理やスイーツは大好きだし、可愛らしい雑貨も好きである。そして、原村や小淵沢の「評判の店」では写真を撮る楽しみもある。「室内」が一番綺麗な写真を撮りやすいからだ。理由については語るまでもないが、念のために書いておくと、一つには「天井」があって真上からの直射光がカットされていると言うことである。美しい写真を撮る上で「真上からの光」というのは邪魔になるのである。

美しい写真を撮る基本パターンは「サイド光」で撮ることである。なぜなら、横からの光は明るさのグラデーションを生み出すからである。しかし、真上から強い光が入ってしまうとグラデーションが無くなる。だから、「室内」という条件がもっとも美しい写真を撮りやすいシチュエーションなのである。窓際の席に座ればもうそれだけで綺麗な写真を撮ることが可能だと言っても良いだろう。

先週末は9日月曜日の早朝に東京に帰ってくる予定であったが、ちょうど台風の暴風雨にぶつかる可能性が高かったので、予定を前倒しにして8日の日中に帰ってくることにした。中央道小仏トンネルの渋滞は14時過ぎから始まるのでその前に通過してしまうため、昼前に茅野の家を出て東京に向かうことにした。で、この日の「イベント」として、妻が『八ヶ岳デイズ』で見つけた小淵沢の『ハーベストテラス八ヶ岳』というレストランに立ち寄ってランチを食べることにした。

とても素敵なレストランだった。ロケーションがいい。店の造りがいい。料理が美味しい。スタッフの教育が行き届いていてとても感じが良い。そして、大きな窓から入ってくる光が奇麗だ。開店1周年の記念ということで「トマトジュース」と「焼きとうもろこし」をサービスで頂いた。次回はティータイムに行って美味しいケーキを頂こうと思う。

料理の写真などかなり雑に撮っていて見苦しいが、誰かに見せるために撮った写真では無いので構わない。こういう写真は「我が家の記録」として価値を持つ。撮り残しておくのはそのためである。


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# by dialogue2017 | 2019-09-11 18:00 | ブログ | Comments(1)

今年はまったくスナップをしていない。春先にα7Ⅲとレンズのテストのために少し撮ったのを別にすると、たった2回しかスナップをしていない。この8ヶ月間、ほぼ「旅行写真」以外の写真はまったく撮っていない。ときどき写真を撮ってみたいという気持にはなるのだが、どこでなにを撮ったところで「陳腐」な写真になることは分かっているので実際に撮りに行くことをしなくなった。散々偉そうな能書きを書いていながらどこにでもころがっているような"ありふれた写真”を撮ることに気恥ずかしさを感じると言うこともある。

そんなわけで旅行先でしか写真を撮らなくなった。しかし、「茅野の家」に行くことも「旅行」に含めると、平均して月に2回は旅行に行っていることになるし、夏休みには9日間も長野県に滞在し上高地や白馬にも行った。だから、写真自体はそこそこの数撮っている。おまけに前々回から「トムソーヤの森プロジェクト」の「記録写真」を担当することになったため、撮影枚数はそこそこの数になっている。しかし、一人でカメラを持ってどこかに出掛け、「自分の写真」を撮ると言うことをまったくしなくなった。

以前は家族旅行の最中、車を走らせている途中で美しい景色に出逢うと車を停めて写真を撮った。「茅野の家」に行っているときには八ヶ岳周辺(原村や小淵沢界隈)をウロウロしていることが多いのだが、あのあたりではあちらこちらで素敵な光景と出逢う。今の時期だとコスモスの花が美しい。今回もコスモスの花や、逆光に輝くひまわりの花をあちらこちらで見かけた。午後の暖かい色合いの斜光に照らされたコスモスやひまわりは素敵だ。車を停めて写真を撮りたいと思うことが何度もあった。しかし、私は車を停めずに通り過ぎた。「なにもいまさら」と思うのだ。

この写真は9月7日の夕刻に、娘の希望でワッフルの美味しいカフェに立ち寄った際、車を止めた駐車場から撮った写真である。私は絞ってもF11まででそれ以上絞ることは無い(回折ボケを避けるため)。この写真は珍しくもF13で撮っている。それでも奥に写っている八ヶ岳までピントが届いていない。それどころかその右横に写っている「草」にさえピントが合っていない。そこまで10mと離れていないのだが、手前にピントを合わせているので奥がボケている。開けて撮ったら奥はボケボケだ。

長野県にはもう秋が来ている。コスモスの花は「秋桜」と書くぐらいで秋の象徴の一つだと思う。あちらこちらで逆光に輝く美しいコスモスの花を見かけた。しかし、よりによって撮ったのは日陰に咲くコスモスの花だった。しかもこんな色合いだ(笑)。

秋になったら写真を撮ってみようと思う。と書いて思い出した。昨年の今頃、「秋になったら写真を撮ってみようと思う」というタイトルでいくつもの文章を書いた。と言うことは、昨年も夏場にはあまり写真を撮っていなかったと言うことだろう。私は一定のサイクルで写真を撮ることに小さくない「わだかまり」を持つのである。まあ"持病”と言って良い。「写真」というものがとても馬鹿馬鹿しいものに思えるのである。しかし、どんなに長くてもこの病は1年は続かない。春か秋を迎えたとき「写真を撮ってみようかな」と思うようになっているのである。

秋になったら写真を撮ってみようと思う。もちろんレンズはDistagon T* FE35mm F1.4 ZAだ(笑)。

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# by dialogue2017 | 2019-09-11 12:30 | 風景 | Comments(0)

2010年1月1日からブログを始め、この8年半ほぼ途切れることなくブログを続けて来た。一時期は5つのブログを同時にやっていたこともあった。自分のブログ、息子のブログ、娘のブログ、写真館のブログ、会社のブログ。ブログごとにそれぞれ個性があったが、基本は「日記」としてのブログであった。息子のブログのタイトルは『悠太の日記』で、娘のブログのタイトルは『ゆいのにっき』だった。子どもたちのブログはボリュームがあった。特に息子のブログはサッカーの練習や試合についてほとんど欠かさずに書いていたのでもの凄いボリュームとなった。私は試合観戦は欠かさなかったし、そればかりか平日の練習もほとんど見に行った。その際写真を撮ってブログに掲載し、あわせてその日の練習内容について記した。

試合の時は、初めから終わりまで「動画」を撮影し、それとは別に写真を沢山撮った。そして、写真ばかりか動画も掲載して試合内容について詳細な説明を書き、監督の采配に対する「批評」まで書いた。挙げ句には「小学生のサッカーの理想のフォーメイションについて」などという「論文」調の文章まで書いた(笑)。息子は小学校の入学式の翌日にサッカーチームに入り、6年生の春までサッカーに没頭した(監督が元スペインリーグでプレーしていたプロだったのでかなりハードな指導だった)。そのほぼ「全記録」が『悠太の日記』に記された。1試合について1万字以上書くことも珍しくなかった。私がデータをきちんと保管しておけば息子の小学生時代は10年後20年後にもほとんど再現できる。

娘のブログには写真を沢山掲載した。途中から『唯的世界』という別ブログを始め、そちらには家族の山登りの記録を娘のことを中心にして書き残した。1回の山行に10エントリー写真100枚が基本で、それを見るとその山行の内容がほとんど分かる。流石にこのブログは途中で挫折した。前の山行記録を整理し終わる前に次の山行と言うことが重なって追いつけなくなった。だって、他に3つのブログを同時にやっていたから。

私が「写真ブログ」的なブログを始めたのはこのブログの前にやっていた『午後の陽射し』というブログが最初であった。このブログは2013年4月に始め、最初はちょこちょこと写真だけを載せていた。2013年10月から2014年9月まで約1年間休止していた。そして、2014年9月に再開した後は完全に「写真ブログ」になった。どうしてそうなってしまったのかについては、当時のエントリーを読み直さないと思い出せないが、2014年6月に「病気」が見つかり、同じ時期に会社が倒産の危機を迎え、その後なにかと「不本意」なことが多く、希望を失ったことが根底にあった。なにもやる気になれない時期、唯一やる気になれたのが「写真の話し」を"書く”ことだったと言うことだ。

『午後の陽射し』は2016年の年末で終わりにし、しばらくブログは辞めるつもりであったのだが、2017年1月14日に、長い間友人に貸していたEPSON R-D1sが戻ってきたらその話を書きたくなってまた新しいブログを始めてしまった。それがこのブログ。このブログも「辞めよう」「辞めよう」と思い続けていながら、1年程前に0123okkun君や、shi-photo君、from_vixen君(私はpoppn1971君のことを結構好きだったでここに彼の「名前」も並べておきたい)などとの出会いがあり、彼らがかなりこのブログを「愛好」してくれているのでズルズルと今日まで続けて来たけれどソロソロ終わりにしようと思っている。

この5年間は「失意の日々」であった。しかし、「失意」ということであれば私はもう20年前ほどから深い「失意」を抱いていた。「人間の解放」という輝かしい理想がたんなるユートピアでしかないことを最後的に理解して以後、私は「希望」を失った。もちろん、その後二人の子供に恵まれ私がずっと「失意の日々」を送ってきたわけでは無いことは改めて書き加える必要も無いことだ。確かに子どもたちは私の「希望」である。しかし、「家族」というだれにとっても「希望」であるのが当たり前の「対象」を別として、一人の人間として抱く「希望」はなくなった。 

私にとって「写真」が「希望」であったことは一度も無い。一瞬でさえそういう思いを抱いたことは無い。

いまでも写真はとても好きだ。これからも写真を撮り続けるだろう。しかし、「作品」としての写真を撮りたいという気持ちはないし、誰かに認めて貰いたいという気持もあまりない。私は、写真に限らずなにをやるにしても、自分自身が納得できればそれで十分なのである。他者からの「承認」はほとんど必要としていない。

「写真について語る」ことは、ある意味で写真を撮ること以上に好きだ。しかし、もうこのブログを最後に写真について語ることは辞めようと思っている。「語り合える」「読者」が1人も現れないからだ。写真の話がしたくなったら、渡部さとるさんや水谷充さんなどと話しをすれば良い。

でも、私が「写真に付いての話」を書き続けてきた大きな動機の一つは、他ならぬ「渡部さとる」さんの存在にある。私は彼と差し向かいで5時間も6時間も、時には10時間近くずっと写真の話しをしてきた。そこにはとても「豊か」な内容が沢山孕まれている。多分、そのような話しの大半は「2B Cannel」では語られないだろう。プライベートな場所でしか出来ない話、出てこない話というモノがあるからだ。私は彼から聞いた写真についての豊かな話しを、形を変えてアマチュア写真愛好家に伝えて上げたいと思いこのブログを続けて来た。この動機は大きかった。

写真についての「深い」話しを聞くことが出来るというのはとても楽しいことだ。私は渡部さとるさんとの交流で大きな「楽しさ」を沢山得ることが出来た。そのいく分でも写真を愛好する人々に伝えたいと思ったのだ。私は「辛辣」な話しを沢山書いているが、それは写真に対して「誠実」な気持があるが故である。ほとんど全てのプロ写真家がそうであるように、私も不出来な写真に対して「いいですね〜」とお世辞は言えない。それは写真に対する「冒涜」であるから。「辛辣」な話を書いた真意は、写真に対して「真摯」であって欲しいと願ったからだ。

このブログを終わりにするまえにもう少し何かを書いてみようと思う。

# by dialogue2017 | 2019-09-11 09:00 | ブログ | Comments(0)

私より下の世代の人々にはマルクスの著作を読んだことのある人は極めて少ないと思う。読んだことがあると言う人も、大学の授業の関係でい読んだとかいう動機であって、個人的にマルクスの思想に関心があって読んだという人は少ないだろうと思う。しかし、マルクスに関してはあらゆるところで「悪口」が語られているので、マルクスと聞いてイメージが全く無いと言う人も少ないかもしれない。マルクスと言えば「共産主義革命」の提唱者で、ソビエトや中国や北朝鮮のような独裁国家を生み出した「元凶」だというイメージである。

確かに、「共産主義」思想の元祖がマルクスであることは間違い無いし、マルクスは「プロレタリアディクタトゥーラ(プロレタリア独裁)」という言葉を使ったが、それは共和制ローマの「ディクタトル(独裁官)」を揶揄するような文脈においてのことであって、マルクスが目指したのは「労働者階級による権力の掌握」であり「プロレタリアートによる政治支配」であって「独裁」ということが「目的」として強く語られたわけでは無かった。そんなことはどうでもいい。マルクスの「弟子」であるレーニンがロシア革命を行って「プロレタリア独裁政権」を打ち立て、それがレーニンの「後継者」であるスターリンによる暗黒の独裁政治になったことは歴史的事実である。中国では毛沢東の独裁政権が続いたし、いまは習近平の独裁政権である。個人による独裁の度合いがどの程度であれ「共産党独裁」は揺るぎないものである。それらの「共産党独裁」政権はみな「マルクス主義」を標榜してるのであるから、マルクスが「独裁」の元凶だと認識されることはやむを得ないと言っても良いだろう。

しかし、"このエントリー”で紹介した池田信夫が語るように、真実のマルクスは世間で認識されている作り上げられた「虚像」とは大きく異なる思想を持っていた。マルクスは否定的意味合い以外では「社会主義」を語ったことは無いし、ソビエトや中国などの社会主義国がその前提とした「生産手段の国有化」を語ったことも無い。マルクスは『資本論』の著者として有名であるが「資本主義」という言葉も使っていない。思想が熟成した晩年には「共産主義」という言葉もほとんど使わなくなり、「自由人のアソシエーション」という言葉を使った。

私はあまりにも「誤解」されているマルクスを弁護しようというのでは無い。別に、多くの人々にマルクスが「悪の元祖」であると思われていても構わない。だいたい、私がこんなところで弁護したところで読んだ人間の認識が変わるわけでも無い。そもそも、マルクスになんてまったく関心が無いだろう。ほとんどのことはそうなのだが、私は他人がどうであろうとまったく構わない。

私にとって重要なことは私自身がどう考えるかであり、どう生きるかである。

私は、息子や娘に自分と同じような思想を持って欲しいとさえ思っていない。況んや、赤の他人がなにをどう考え、どう生きようと私には関係の無いことである。私には何人もの深く共感し合い信じ合える友人がいる。希有なまで深い紐帯で結ばれた「同志」がいる。社会の多数派である「大衆」がなにを考え、どう感じているかということは差し当たっては私の関心の外側のことである。

若い頃、私は「マルクス主義者」であった。しかし、マルクス主義と決別してもう長い年月が過ぎている。いまではマルクスの構想した「自由人のアソシエーション」というもの、つまり初期の頃にマルクスが「共産主義」と呼んだ人間が完全に平等となり搾取も抑圧も差別も戦争もない理想社会が「幻想」に過ぎないと考えている。そう考えるようになってすでに久しい。だから、今更マルクスの思想に執着する気持は全く無いし、ましてや、「マルクスを読んだ方がいい」と他人に勧める気持は寸毫も無い。だいたい、読んでも理解出来ないだろう。

他人に勧める積もりが無いどころか、私自身今更マルクスを再読しようなどとは思っていなかった。しかし、数日前に、1階と2階の階段の踊り場に設置してある書棚に目をやったとき、なんとなく池田信夫の『資本主義の正体』に手が伸びた。2015年に読んだ本だが4年ぶりに再読したら面白かった。で、「初期マルクス」を少し再読してみたい気になった。私は10代の終わりに読んだ『経済学・哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』から多大な影響を受けた。この2冊のマルクスの著書を読んで世界観が変わった。人間と社会が違う色に見えた。私はこの2書から巨大な影響を受けた。

この2冊の本は私という人間の「世界観」の骨格を作り上げた。人間が一切の非人間的なくびきから解き放され、真の「自由人」として自己実現を勝ち取る世界。それがマルクスが展望した世界であった。私はそのような世界に強い共感を覚え、その実現のために人生を賭けようと思った。私が10代の終わり頃にはすでに学生運動は衰退し、「共産主義」思想も地に落ち始めてはいたが、まだマルクスは輝きを失っていなかったのである。極少人数ではあるが、私の同世代には私と同じような人生を歩んだ人間がいる。

『経済学・哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』の2冊を再読してみようと思った。60代となった今読んだらどういう風に読み取るかに興味を持ったからである。しかし、Facebookにあれこれ投稿している内に、いま『マルクス・エンゲルス全集』はいくらぐらいで手に入るのか興味を抱き、ヤフオクで調べてみたら驚くほど安くなっていた。いくつかの出品の中に事実上ほとんどページが開かれたことの無いような「美本」のものがあった。とても安かったので入札したところ落札した。

いままで、『マルクス・エンゲルス全集』を全巻読んでみようなどという「馬鹿げた」ことを考えたことは一度も無い。そういうのはつまらない「憧れ」に過ぎないと思っていた。そんなものはLEICAのデジカメに憧れるようなレベルの話しだと思っていた。全集なんて読んだって分かりっこないのだ。しかし、理解しようと思って読んでも理解し得ないが、ひとつの「読み物」としてなら読み通せると思う。と言うわけで、来年1月から2週に1冊のペースで丸2年掛けて『マルクス・エンゲルス全集』全54巻を通読してみることにした。極めて「酔狂」なことだと思う。しかし、冥土の土産として読んでみようと思ったのである。

この先どれくらい生きていられるか分からない。何冊本を読めるか分からない。読みたい本は山のようにある。もし、そういうことが可能なら毎日10冊だって本を読みたいと思う。しかし、現実には残りの人生で読める本の数などたかがしれている。もしかしたら、あと2年3年の内に死んで行くかもしれない。だとしたら、もう本を読むことに対して強いこだわりを持っても仕方ないような気がする。だから『マルクス・エンゲルス全集』なのだ。本を読むと言うことへのこだわりを捨てても良いと思ったから読んでみようと思ったのである。全54巻を読破するつもりである。

今日の午後、「ゆうパック」で届いた『マルクス・エンゲルス全集』全54巻。3つの段ボールで届いた。届いたのは良いが、収納する書棚が無い。まあ、ついこの間まで書斎にはこのサイズの段ボール箱が20箱以上積み重なっていたのだから、3箱なんてあってないようなモノだ(笑)。とは言え、段ボール箱の中から1冊ずつ取りだして読んでいくというのもなんなので、年内の内に収納場所を作って上げようと思う。

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本の外ケースは多少色汚れがあったりするが、中の本は一度も開かれてことが無いかのように奇麗である。

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21巻を抜き出して奥付を確認したら「1991年5月31日第25刷発行」とあった。29年前に発行された本がほとんどまったく劣化していないのにも驚いたが、「25刷」まで発行されていたことにも驚いた。「憧れ」で買って書棚に「飾って」いた人が沢山いたんだろう。25刷までの間に全巻読破した人なんて指折り数えるほどしかいないだろう。

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1冊700ページほどで二段組み。文字は小さめでどのページを開いても文字がびっしり詰まっている。2週に1冊のペースというと簡単そうだが、外国語を読んでいるほど難解な内容である(それでもヘーゲルよりマシ)。14日間のうち本を読めない日もあるから、実質10日で1冊のペースになるだろう。1日70ページ。丸2年間、来る日も来る日も毎日マルクスを70ページ読み続けるというのは間違い無く「苦行」であると思う。初期マルクスならいざ知らず、「資本論」であるとか「剰余価値学説史」とかは面白いとは思えない。しかし、「苦行」であるからこそ読んでみようと思うのである。ようするに、私はすこし「変人」なのである(笑)。努力家では無いが、なにか「耐える」ようなことが無いと人生が面白くないのである。

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# by dialogue2017 | 2019-09-10 22:00 | 読書についての話 | Comments(1)

私が最初のブログを始めたのは2010年1月1日からであった。そのブログは「写真」とはまったく関係ないことについて書くつもりで始めたブログであったが、日常生活の写真は大量に掲載した。現在そのブログは閉鎖しているが『魂との対話』と言うタイトルのブログで、サブタイトルとして「全人格ブログ」と銘打った。つまり、私という人間の「全人格」が審らかになるまでなにもかもについて明け透けに書くつもりで始めたブログであった。実際その通りのブログとなった。1日も休まずに毎日3〜5回更新した。日に10回更新するというようなこともあった。そのブログは丸3年間続けたが、確か8,000を越えるエントリーを書いた。掲載した写真は1万枚を超えていたのでは無いかと思う。

そのブログは「日記」のようなブログであった。誰かに何かを伝えるとことが目的だったわけではなく、ただ、毎日思ったことや考えたことについて率直に書いた。ブログを始めたとき、娘はまだ0歳児であった。息子も4歳で保育園の年少組であった。子どもたちが保育園に登園する時には毎日のように写真を撮った。お迎えに行って家に帰ってくる道中でも写真を撮った。そういう写真を沢山掲載した。夕食になにを食べたか、どういう風に作ったかその"レシピ”を記したりもした。ネットを通じて出逢った人から、初対面の際に「初めて会ったような気がしません。Hさんのことはなんでも知っているのですから。昨晩の夕食になにを食べたかまで知っているんですから(笑)」と言われた。このネットの読者にさえ、私と会ったら「初めて会ったような気がしない」と感じる人がいることだろう。『魂との対話』にはこのブログとは違ってもっといろいろなコトを沢山書いた。だから、私という人間の「人間性」が読者にストレートに伝わった。

信じられない話しだが、2014年の春に私の会社が倒産の危機に見舞われた際、私のブログを通じて出逢い、1〜2回しか会ったことのない3人の友人が「運転資金」を出してくれた。一人は200万円、一人は700万円、そしてもう一人は1,000万円。合わせて1,900万円という大金を、私は自分のブログの「読者」からお借りした。信じない人もいると思うが、1.000万貸してくれた方とはお金をお借りする前には一度も会ったことがなかったそんな「浅い」交流の方々が私に大金を貸してくれたわけは、彼らと私との間で「魂との対話」が積み重ねらていたからである。彼ら3人のおかげで私の会社は危機を切り抜け、今も何とか経営を続けている。

ブログの読者とそこまで強い信頼関係を結ぶことが出来たのはそのブログが「全人格的ブログ」であり、私が私という人間の「丸々全部」を語ったからである。そのことを通じて私は何人かの読者と「魂との対話」を行うことが出来たのである。私自身、まさかそんなことが起こるとは夢にも考えていなかった。しかし、人間というのは僅かな時間で「魂」を通わせ合うことが可能なのである。そういう「魂」を持った者同士が出逢えばそれが実現する。もちろんそれは「希有」なことであるが、希有なことと言うのはどこかで本当に起きているのである。

近いうちにこのブログを閉鎖して、新しいブログを始めようと思っている。そのブログは昨日書いたように、「日記のようなブログ」にするつもりである。今のところ、そのブログでは読者と交流することは考えていない。このブログのような「写真ブログ」にはしない。「写真の撮り方」のような話しはもう二度と書くつもりは無い(リアクションがなさ過ぎて張り合いが無い)。と言って、『魂との対話』のようなブログにしようとも考えていない。今の私は、他者と繋がることより「独り」でありたいのである。

「茅野の家」をフルリフォームするつもりである。外壁と柱を残して内装は丸々全部リフォームするつもりである。床も壁も天井もすべて「木」にする。「リビング」と「和室」を一つにして、いま「風呂場」である部分も潰してリビングと出入りできる様にして、小さな「寝室」を作る。現在の「キッチン」の部分を増築して拡げ、増築した部分に採光の良い「風呂場」を作るつもりである。実は、この間の週末に図面が上がってきた。しかし、昨晩妻が思いも掛けない素晴らしいプランを思いつき、この計画は白紙に戻し、もっと「大きなプラン」に変更することになりそうである。

いずれにしろ、いまより広く美しい「セカンドハウス」を持とうという計画である。そして、いまよりもっと沢山そこに通うようにしようと思っている。今までは子どもたちを連れて一緒に通っていた。昨春に息子が中学生になったあとは息子は同行しなくなり、この1年ちょっとは妻と娘と3人で通っていた。しかし、リフォームが終わった後は、娘も東京において妻と二人で通うことを増やそうと考えている。少なくとも月に一度は娘を東京において妻と二人で金曜日の朝から3泊の予定で「茅野の家」に行こうと思っている。現在、知人が主宰している「トムソーヤの森プロジェクト」に毎月一回娘の友だちを同伴して参加している。つまり、月に1度娘の友だちを「茅野の家」に連れて行っていると言うことである。その子の親御さんが、月に一度うちの娘を預かって下さるというのである。「等価交換システム」である(笑)。

妻は山登りが好きで、2017年には妻と娘は年間18回も山に登った。私はその内の16回に同行し、息子は15回参加した。しかし、「茅野の家」を手に入れて以後、子どもたちは「スキー」や「テニス」や「ボルダリング」を覚え山登りはしなくなった。今後妻と二人で「茅野の家」に行けば、夫婦二人で山登りを再開することが出来る。幸いなことに「八ヶ岳」は言うに及ばず「南アルプス」も「北アルプス」も近い。

私は本ばかりを読んでいて「テレビ」をほとんど観ない(長男が生まれる前の30年間はまったく見ていなかった)。最近は子供と一緒に時々テレビを見ることがあるがDVDを借りて映画を見るというようなことはまったくしない。映画館に行くのは3年に1度ぐらいだ。しかし、「茅野の家」をリフォームしたら65インチのテレビを買って、夜はDVDで映画を見ようと思っている。

ようするに、いまの生活を大幅に変えようと思っていると言うことである。

この5年間は私にとって「失意の日々」であった。62年間の人生の中でもっとも「希望」を失っていた時期である。失意に陥った理由には個人的な事情も多少はあるが(病気)、主原因はこの国と人間に絶望したことである。しかし、いつまでも失意のままで生きていくというのも間違ったことだと思うに至った。で、生活を一変することを決意した。明後日「前立腺癌」の検査を行う。十中八九癌だろう。最悪、転移しているという可能性だってない訳では無い。流石に転移していたら今後のことについては再検討を余儀なくされるが、転移癌で無ければあと10年は生きられる可能性が高いだろう。手術をするといろいろと「後遺症」が出てそれはそれで「不愉快」なことがあるようであるが、生きながらえることが出来るのであれば御の字である。娘が成人するまであと10年は生きていたいから。

と言うわけで、取りあえず残りの人生は10年ということで今後のことを考えてみた。その10年間にやっておきたいことは色々ある。本も読みたいけれど、一番やっておきたいことは「文筆」である。「遺書」としてきちんとした文章を書き残しておきたい(とりあえず200〜300万字程度)。プライベートな内容とは別にいくつか「学術論文」のようなものも書いておきたい。

あと3年すれば娘が中学生になる。その時には息子はもう高校2年生になっている。「思春期」も通り抜けていることだろう。そうなれば、よそのご家庭に与って貰わなくても娘を東京において妻と二人で「茅野の家」に通うことが出来るようになる。それまでの間に体力を養っておけば、妻と二人で北アルプスの山を縦走することだってできるかもしれない。長野県で過ごす時間が増えれば、ノンビリと写真を撮る機会も生まれるだろう。いまさら「作品」としての写真を撮りたいとは思わないが、写真作家の友人たちから「素晴らしいね!」と絶賛されるようなレベルの写真ぐらいは撮ってみようと思う。渡部さとるさんに「負けた」と言わせてみたい(爆)。

長々と書いてしまったが、もっと充実した人生を生きようと思う。そういう意味ではもう「写真」なんかどうでも良いとも思っている。しかし、そういう気持になった後の方が良い写真が簡単に撮れるだろうと思う。写真なんて、まずは「被写体」だ。ポートレートならモデルの善し悪しで写真の80%が決まる。美しい景色のところに脚を運ぶ機会が多ければ奇麗な「風景写真」なんて「簡単に」撮ることができる。だって、α7Ⅲに高級レンズが有るのだから(笑)。じっくり撮る気になればPENTAX 645Dだってあるのだ。良い写真を撮るための知識は十分ある。「プロのテクニック」の類いはほとんど知っている。プロたちの「その上」を行く「秘技」だってすでに考え終わっている(笑)。

環境が変われば人間は変わる。人間にとって「環境」の影響力は思っている以上に大きい。素晴らしい環境に身を置けば、生活の中に「素敵」なことが増えるだろう。いずれにしろ残りの人生はもう長くは無い。いつまで生きられるかは神のみぞ知ることなので、あと20年生きる可能性もない訳では無いが、「あと5年しか生きられない」という前提で生きてみようと思う。実際は2年か3年しか生きられないと言うことだってあるのだ。

だから、ほとんどコメントもなく「対話」が成り立たないブログなどやっている場合じゃ無い。ボランティアは終わりだ(爆)。


# by dialogue2017 | 2019-09-10 15:00 | ブログ | Comments(1)

江戸時代の宿場町であった「台ヶ原宿」(山梨県北杜市白州町)にある「龍福寺」の門前に設置されている「開運 干支守護八体尊」。すぐ向かいに山梨県の銘酒『七賢』の店舗があるので「七賢人」だと思い込んでいたが、いまブログにアップする際に「干支守護八体尊」であると気がついた。思い込みというのは恐ろしい。良く考えれば「七賢人」って「ギリシャ七賢人」とか「竹林の七賢人」とかで我が国のことでは無かった。いや、我が国にも「佐賀七賢人」というのがあった。江藤新平と大隈重信と大木喬任と副島種臣と鍋島直正と、あと二人は誰だっけ?

この時、この「お寺」に行こうと思って行った訳では無い。「信玄餅」を販売している「金精軒」の「臨時駐車場」の案内表示に従って進んでいったらこのお寺の駐車場が臨時駐車場になっていたのである。お寺は好きなのでちょこっと境内を拝見させてもらった。裏の畑の奥の方に、どういう理由からか「太極旗」(大韓民国の国旗)が何本も立っていた。「日章旗」も並んで立っていた。

ここ最近、家族旅行の際に撮る写真の枚数が激減している。以前の1/3ほどしか撮らなくなった。子どもたちが大きくなったのでもう「家族写真」もそれほど撮らなくても良いかなと言う気持になったのである。以前は、車を走らせていて美しい光景に出逢うと車を停めて写真を撮ったが、最近はそういうことをすることも珍しくなった。なにも家族と一緒の時に車を停めてまで写真を撮ることもないと思うようになってきた。

そんなわけで、写真を撮るのは何かを食べに行った先や買い物に行った先で車を降りた後ばかりと成ってきた。娘の「ポートレート」風の写真を撮ることもめっきり少なくなった。ここ最近α7ⅢにはDistagon T* FE 35mm F1.4 ZAが付けっぱなしになっていてDistagonばかり使っているのだが、この時にはこの「八体尊」のすぐ前に車を駐車したのでラゲッジに積んであるカメラバッグからFE 24-105mm F4 G OSSを撮りだしてDistagon T* FE35mm F1.4 ZAと付け替えた。というのも、3枚目の写真を見ると分かるように「八体尊」の中央すぐ前に「燭台」があって、正面から撮ったのでは写真としてパッとしない。で、「燭台」を外して24mm域を使って斜めから撮った。

FE 24-105mm F4 G OSSはDistagon T* FE 35mm F1.4 ZAやPlanar T* FE50mm F1.4 ZAやFE85mm F1.4 GMのように"スペシャル”な写りのレンズではないが描写性能は高いと思う。立体感があって繊細な線の絵が出てくることは意外であった。旅行写真はこれ1本だけで撮るくらいに割り切りたいと思っているのだが、いまはDistagonが使いたいためこのレンズは「死蔵」に近い情況である。


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家族の写真は相変わらず「後ろ姿」が多い(笑)。

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# by dialogue2017 | 2019-09-09 21:00 | 旅行写真 | Comments(0)

【本日の投稿】

実は今日、私のところにも「マルクス解説書」が届いた。はっきりした記憶は無いが、長谷川宏さんの著書はヘーゲル関係しか読んだことが無いと思う。長谷川さんがマルクスをどのように語っているかとても楽しみだ。私は本格的に「資本主義」の研究を始める前の「初期マルクス」の方が好きなのでなお楽しみである。今晩はこの本を読もうと思う。絶対に楽しいはずだ。


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# by dialogue2017 | 2019-09-09 19:00 | Facebook | Comments(0)

ブログと違ってFacebookへの投稿に対しては様々なリアクションがある。私は、2013〜2014年ごろに私の投稿に「いいね!」を付けないでくれと言い続けた。言葉を使わず「ボタン」を押すことで終わりにする薄っぺらな交流を拒否したのである。その効果があって、いまでは私の投稿に「いいね!」を付ける人は数人になったが、そういう人はその人が本当に「いいね!」と思ったときだけに「いいね!」を付けてくれるので安易な「いいね!」とは違って気持が通じる。また、「いいね!」で済まさずにコメントをくれる何人もいる。リアクションが早いのもブログとはまったく違う。一番違うのは、本を薦めたりしたような場合にその本を買って読んでくれる人がいることである。


友人の本日の投稿】

私がリスペクトしている友人の影響で、マルクスを読むことにした。
若いときに資本論に手をだして、難解で投げ出したのに、今回は入門書や解説書から読もうと思っている。
彼が勧めた訳でも無いのに、今学ばないと次は無いと思うから、だから、「今でしょ」
まだ買ったきり1ページも読んでない本が10冊以上も有るのにね~。

私は次のようにコメントを差し上げたーー「本はまず買うことが重要だと思います。買わない限り読めませんから。『積読』が増えていけば『読まなければ』という気持も生まれてきます」。ちなみにこの方は70歳を目前にされているのにあらゆることにチャレンジしている。「トムソーヤの森プロジェクト」の主催者である。

※写真も投稿された方のもの。

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# by dialogue2017 | 2019-09-09 17:00 | Facebook | Comments(1)

新しいブログを始めようと思う。すぐに始めるか、10月1日からのスタートにするか、切りよく来年の元旦から始めるか、まだあまり良く考えていないが新しいブログを始めようと思っている。「写真ブログ」のようなブログにはしない。毎日の「生活」の一コマを「日記」のように書き綴るブログにしようと思う。誰かに何かを語りかける積もりは無い。基本的には自分自身のための記録としてのブログにしようと思っている。既存のブログサービスを利用せず、自前で作ろうかと思っている。「コメント欄」も「いいね!」も設置しないつもり。友人にも教えず、とりあえず私と妻だけが知っているブログとして始めようと考えている。


一昨日、「手作り流し台」を見せていただくため、長野県富士見町にある建築家の”山下達郎さん"のお宅にお邪魔した。「手作り流し台」は想像していた以上に素敵だった。「茅野の家」のリフォームを考えていて、山下さんにご相談している。「茅野の家」にも山下さんのお宅にあるものと同じような「流し台」を作って貰おうと思っている。我が家への提案ではステンレス製だったのだが、我が家も山下家のものと同じように「木製」で作って貰うことにした。床も壁も天井も全て「木」にする積もりだ。

「流し台」を見せていただいた後、山下さんの「アトリエ」を拝見させて貰った。こちらも「手作り」である。斜めに建てた「柱」は裏山から切り出した大木の表皮を剥いて使用したとのこと。このアトリエと山下邸は『八ヶ岳デイズ Vol.15』(2018年9月号)で詳しく紹介された。さっそくバックナンバーを買おうと思ったが、茅野の家に帰ったらあった。

この「アトリエ」には「照明設備」が設置されていない(パソコン用に電気は来ている)。理由は、日が暮れて暗くなったら仕事を終わりにするためだそうだ。自然のリズムに合わせて生活しているとのことである。なんとも素敵な考え方だと思う。アトリエでは娘が建築模型を興味深そうに眺めていた。娘は絵を描くことや工作することが好きなのである。その晩、娘は茅野の家で「竹串」をボンドでつなぎ合わせて「板」を作り、「割り箸」を斜めに「たすき」に建てて、竹串で作った「壁」をそれに貼り付けて山下さんの「アトリエ」のような建物を作った。

どうでも良い話しであるが、山下さんが仕事に使っているパソコンはメインが27インチのiMacで、サブが13インチのMacBook PRO。それとは別に現行機種からはなくなった17インチのMacBookがあった。これはイーサーネットポートがあるのでネット閲覧用に使っているとのこと。昔はイーサーネット使ったよな〜。Wi-Fiなんて無かったからね。昔からクリエイティブな仕事をしている人はMacユーザーが多かったが、このアトリエにWindows PCは似合わないよな〜(笑)。ちなみに3台のMacは4枚目の写真に写っている。17インチのMacBookは目だたないが「イーサーネットケーブル」を知っている人ならすぐに見つかる。

"モノ”を作る仕事というのは素敵だと思った。

バーチャル(デジタル)な空間を離れ、もっと沢山リアル(アナログ)な空間・時間を楽しみたいと思った。

生活を大きく変えようと思う。


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# by dialogue2017 | 2019-09-09 15:00 | ブログ | Comments(4)

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# by dialogue2017 | 2019-09-09 12:00 | レタッチ