夕暮れ待ち

ちょうど日没1時間前。太陽が低くなり光が赤くなってきた。ちょっと浜風が強くなってきたが、まだ陽射しは暖かい。横になって波の音を聞いていると、このまま天国に行けるような気がしてくる。ここ由比ヶ浜のはずれは、山に陽が沈むため七里ガ浜のような美しい日没の光景とはならない。しかし、そんなことはどうでも良い。今日は写真を撮るつもりもないし。

写真を撮るために通っているわけではないことを実感する。浜辺で風に吹かれるのが心地良くてここにきているのである。

ああ、山に半分陽が沈んだ。一気に寂しい雰囲気に変わる。陽の光って、それくらい人の心に響くものなんだよね。


e0367501_15412631.jpeg


[PR]
# by dialogue2017 | 2018-11-17 15:34 | Comments(0)

なんということか!

14時に更新されるはずの予約投稿記事を誤って削除してしまったら。江ノ電の車内で、誤字脱字の訂正をするため「編集」を押そうとしたら電車が揺れて「削除」を押してしまった。オマケに、「この記事を削除しますか?」の確認に「キャンセル」を押したのに、また電車が揺れて「はい」にタッチしてしまった。

作例写真を2枚使った内容のあるエントリーであった。「問題2」もあって楽しいエントリーであった。勿論そこそこの長文であった。

まあいいや。同じ話をもう一度書く気になれそうもないけれど、綺麗なモノクロ写真の撮り方についての話だったので、関心のある人には役に立つエントリーであった。

まあいいや。ランチにイタリアのコース料理を食べて、ワインを2杯も飲めば忘れてしまえることだ(笑)。

消えて無くなってしまったこと自体は構わないのだけれど、熱心に読んでくれている人にはかなり有意義な内容だっだので伝えられなかったことがとても残念であると。気が向いたら明日にでも書き直します。

と言うわけで、14時の更新は無くなりましたので悪しからず。

[PR]
# by dialogue2017 | 2018-11-17 13:00 | Comments(0)

狂おしいまでの熱情

ひとつ前のエントリーに重要な追記を行った。エントリーの内容に大きく関わる重要な補追であるので、お知らせしておく。写真下の”赤字”の部分である。

なお、本日はこのあと14時にも新しいエントリーが更新されるが、ひとつ前のエントリーもそのエントリーも、私にしては珍しくストレートに「写真の撮り方を」を論じている。モノクロ写真に真面目に取り組む人間には示唆の深い文章である。※14時更新予定のエントリーは誤って削除してしまいました。

念のため、ここでも釘を刺しておこう。「理論」や「知識」や「技術」は、良い写真を撮るために不可欠なものである。しかし、その3つが揃っていても、良い写真が撮れるわけではない。この三要素は、あくまで「前提要件」でしかない。

端的に言おう。いくら高い「技術」があっても、豊かな「感性」が無ければ「瑞々しい」写真を撮ることは出来ないということだ。日々の生活を「惰性」で生きている人間には「上っ面」だけの写真しか撮れないだろう。

およそ「表現行為」において、もっとも重要な要素は「ビビットな感性」なのである。偉大な芸術家というのは、「狂気」と呼べるほどの熱情を持って対象に立ち向かうものである。

良い写真が撮れるようになるために一番肝心なことは、「感性」を磨くことである。それは、写真以外の領域で磨かれるのである。言い換えるなら、日々の生活のクォリティがそれを決するということである。

また、該博な知識を持つことも感性を磨くことに通じる。「知的欲求」が強い人間の感性は瑞々しい。テレビやネットばかり見ているような人間に豊かな感性は生まれない。たまには、ゲーテでも読んでみたまえ。

瑞々しい感性で居られる特効薬を教えよう。それは、若くてスリムでとびっきりチャーミングな女性に恋をすることである(爆)。冗談では無い。男の感性が最も豊かになるのは、そういう時なのだ。

多分、「本物の写真」は、被写体に対する”狂おしい”までの熱情を抱いてはじめてものするのことが可能になるものなのだろうと思う。

なにもそこまで行けと言いたいわけでは無い。そのレベルの写真を撮ることができる写真家など10年に1人しか現れないだろうから。いや、今の時代にはそのような偉大な写真家など生まれようが無いだろう。人間も、作品も、時代の制約から逃れることは出来ないから。

私自身、「高み」を目指そうなどという気持ちはカケラも無い。そんなものは「俗人」の抱く目標でしかない。「天上天下唯我独尊」である私は、この世に生まれ落ちたその時からそこにいたのだ(笑)。

しかし、狂おしいまでに「撮りたい」と思って撮ってみたいと思う。私なら出来るかもしれない。私の中には「狂気」がカケラ程度には存在しているから。

私は、写真なんて所詮「俗人」のテーマだと高を括っている。だから、ただの一度も真剣に撮ろうと思ったことがなかった。

今回も、私は「写真」に対して真剣になったわけではない。ただ、心から「撮りたい!」と思えるものに出会ったというだけの話である。それでも、私はそこに多くのエネルギーを注ぐだろう。私の心のうちには、情熱のマグマが煮え立っているから。

このマグマは、61年間煮えたぎり続けていた。たかが写真のために心底本気になどなれるはずがない。所詮「戯れ」でしかない。しかし、それは狂おしいまでの戯れとなるかもしれない。そうなったら、幸福である(笑)。


[PR]
# by dialogue2017 | 2018-11-17 10:51 | 写真とカメラの話し | Comments(1)

FUJIFILM X-T2 + FUJINON XF35mm F1.4 R ISO400 F2.0 -1.0EV JPEG ACROS + Y ハイライトトーン・シャドートーンともに-1設定

e0367501_00152731.jpg

※文中に「昨日」とあるのは15日のこと。このエントリーを書いたのは16日夜であるため。

※文中に「コントラストの浅い写真」と書いたが、いま電車の中でiPhoneで見たら結構しっかりとコントラストがあって安心した。実は撮影時のイメージでは過度にコントラストが浅くなるとは思っていなかったのだ。MacBook PROのディスプレイの状態がいかに酷い方言うことである。直しに出すことに決めた。それほどiPhoneとの差が大きかった。でも、一安心(笑)。

馬鹿馬鹿しい写真である。この写真に限らず私が撮っている写真の多くはさしたる写真では無い。しかし、それで全く構わないのである。この写真は10月5日以来およそ40日ぶりに撮ったモノクロ写真である。しかも、前回モノクロで撮ったときは”雨天”であった。前回晴天の日にモノクロ写真を撮ったのがいつなのかいくら思い出しても思い出せない。たぶん、かなり前のことになると思う。モノクロを撮ること自体久しぶりのことであったが、昨日は「くっきりと影」の出る昼過ぎに撮った。そういうシチュエーションで撮るのは半年以上ぶりでは無いかと思う。

だいたい、私は朝夕に撮るのが好きなのである。しかし、実際には朝は撮らない。起きるのが9時頃だからである(笑)。と言うわけで、私が写真を撮っているのはほとんど夕刻ばかりである。だから、「くっきりと影が出る」陽射しで写真を撮ることが少ない。そういう光が嫌いなわけでは無い。晴天の日中の光にも素晴らしさはあると思っている。いや、モノクロを撮るのであれば晴天の日中が一番だとさえ思う。日中の「強い光」で「美しい写真」を撮ることは簡単では無いが、撮れたときにはインパクトのある写真を撮ることが出来る。だから、決して日中の強い陽射しが嫌いだというわけでは無い。ただ、夕暮れ時の「淡い光」の方が好きだと言うだけのことである。昼から夕刻まで半日写真を撮っているのは疲れるので、昼はブラブラして、夕刻から撮り出すのである。通っている鎌倉では、昼過ぎから夕刻までは海を眺めながらワインを飲んで過ごす(笑)。

この写真は昨日撮った1枚目の写真である。月に一度インプラントのメンテナンスを受けに三ノ輪まで行く。その帰り、年に3〜4回、浅草方面までブラブラと歩く。「年に3〜4回」と書いたが、前回それをやったのは1年ぐらい前のことかもしれない(追記。一月ほど前一度やっていた。余り撮らなかったので失念していた)。昨日も、三ノ輪から裏路地を歩いて浅草に向かった。これはその途中で撮ったファースカットである。この時、なぜこの光景を撮ったのかというと、自分の頭の中に描いたトーンと、実際に写ったトーンがどれだけ近いか離れているかを確認するためである。しかし、撮影後に背面モニタで確認することはしていない。結局「くっきりと影が出ない」柔らかい光が好きだから撮ったと言うことである(笑)。

昨日は145枚の写真を撮ったのだが、途中で気がついたら私はただの一度も撮影後に背面モニタで画像を確認していなかったなぜなら、写真に撮ったその光景を「見つけた」その時に、頭の中に撮影結果のイメージがすでに出来ているからである。ましてミラーレスカメラの場合、ファインダーの中か背面モニタのどちらかで「撮影結果画像」を確認してからシャッターボタンを押すことになる。だから、撮影後に撮った写真を確認する理由が無いのである。

撮影結果をあまりみないもう一つの理由は、私はあまり「撮り直し」をしないからである。1枚撮ったらそれで終わり。すぐに歩き出す。綺麗に写っていなければ困るような写真を撮っているわけじゃ無いから。それに、その場で撮り直しをして上手に撮れることより、家に帰ってパソコンのモニタで「失敗」をした写真を見て「反省」する方が価値があるからだ。

大方の写真はイメージ通りの撮影結果である。しかし、中には少しイメージとは違う写真になるものもある。「ここまでコントラストが強く出るか」と思うような場合もあるし、「あれっ? こんなにアンダーになっちゃったの」ということもある。フレアーが自分が思っていたより強く出ているというようなこともある。無理の無い光景を撮っている時にはそういうカットは1/10以下に収まるが、わざとフレアーを出してみようとか、輝度差の大きいところを撮るとかを沢山した場合、10枚に2〜3枚想定と少し異なる画像になるカットが出る。

「想定と少し異なる写真」が出来るのは楽しい。想定外になったことで面白い写真になったり、良い雰囲気の写真になるという場合があるからである。そして、そういうことをするのにはもう一つ理由がある。自分がイメージしたトーンと、実際に写真に写ったトーンがどれだけ違うかを見ることが出来るからだ。これは「光を読む力」の訓練とも言えるし、その確認でもある。

このカットは、-1.0EVの補正を掛けて撮った。絞りはF2.0にした。この光で後のボケ具合がどの程度に感じられるか見たかったからである。普通に撮ればF5.6で撮るカットである。F8でも良いがAPS-CセンサーならF5.6で十分である。いずれにしろF2.0で撮る写真では無い。しかし、私はF2.0でどんな絵になるかを見て見たくて撮った。実は、一番好きなレンズであるにもかかわらずXF35mm F1.4 Rではあまり写真を撮ったことが無いのである。だから、確認したかったのである。レンズの「個性」を把握しなければ「作品」を撮ることは出来ないから。

以前好きだったブログに『光と遊ぶ』というブログがあった(どういう事情か昨年3月から突然更新がされなくなった)。写真が上手な人のブログであった。かなり高級なカメラやレンズを使って撮っていることもあり、たんなるアマチュア写真愛好家では無い方なのではないかと思う。「光と遊ぶ」というブログタイトルは悪くないと思ったが、自分ではとてもじゃないけれど恥ずかしくて使えないとも思った(笑)。しかし、最近私は間違い無く「光で遊んでいる」。この写真も光と遊んだ結果だ。

モノクロ写真は「光と影」で表されるものである。よくモノクロ写真の"肝”はシャドーにあると言われるが、先般一度書いたが私は「ハイライト」にこそモノクロ写真の美しさがあると信じて疑わない。シャドーが肝である理由は、美しいシャドーの写真を撮ることによってハイライトの美しさが引き立つからである。モノクロ写真は「シャドーの美しさ」だけでは成り立たない。私はそう思っている。って語るほど私はモノクロ写真を撮っていないし、執着さえも抱いていないが、それでも、「ハイライトの美しさ」がモノクロを撮る際の鍵だと思っている。

この写真は、ほんの僅かだけコントラストの調整をしている。ぱっと見では元ファイルの違いがわからない程度であるが、ハイライトを持ちあげシャドーを落としている。これだけコントラストの浅い写真であるが元ファイルより若干詰めている。

下の写真が「撮りっぱなしの元ファイル」(リサイズはしている)である。ヒストグラムを見るとハイライトは247までしか無い。シャドーも潰れずギリギリ全部残っている。コントラストの浅い緩い写真である。しかし、今の私のひとつの「研究テーマ」はそういう写真を撮って仕上げることである。白飛びも黒潰れもしていない写真なので、トーンカーブだけで雰囲気をがらっと変えることが可能である。どんな感じに作ってもアラが出ない元ファイルだと言うことである。そういう写真を撮ってみようと思っている理由はいくつかあるのだが、大きな動機のひとつは「レタッチの素材」になるからである。先日書いたが、本気で撮ることにした以上はレタッチも勉強しようと思っているのである。

私は「経験」という点においてはモノクロ写真初心者である。自分の手でゼラチンシルバープリントを焼いたことは一度も無い。そういう意味では、私は「Mon's Cafe」さんや「SunseLine」さんよりもモノクロ初心者である。私は平素カラーでしか撮ることが無い。本気でモノクロを撮ったことなど一度も無い。しかし、私は彼らより遙かによく「モノクロ写真」を理解している。その理由のひとつは「理論」と「知識」を豊富に持っているからである。

そして、もう一つのより大きな理由は、私には「物事をとらえる」大きな力があるからである。いつからか記憶に無いが、私は「光が読める」ようになった。多分、スタジオライティングを経験したことが大きな契機となったのだと思う。自分で「光を作る」ことを知って以後、光が見えるようになった。だから、撮影結果はシャッターボタンを押すときにすでに頭の中に出来上がっている。少々外れることはあるが、概ねイメージ通りの画像ができる。

シャッターボタンを押す前に「プリント」のイメージが頭の中に出来上がっていること。そして、実際そのイメージ通りの写真を撮れるようになること。これが最初の「目標地点」だ。本気でやれば、3ヶ月あればここにたどり着けるはずである。

足りないのは「経験」である。プロカメラマンがある程度自分の思うように写真を撮れる最大の根拠は、"豊富な経験"があるからである。つまり、彼らは膨大な撮影経験の「記憶庫」の中の写真と照らし合わせた上で写真を撮っているのである。彼らは、「参照」するサンプルを頭の中に大量に持っているのである。つまり「場数」が彼らを支えていると言うことである。

「理論」と「技術」だけでは「打率」が稼げない。「打率」を上げるためには、膨大に撮ったと言う「経験」が不可欠なのである(プロ野球選手だって"膨大”な量バットを振っているのだ。それによって蓄積された"イメージ”があるから打率を稼ぐことが出来るのである)。今の私には全くそれがない。しかし、本気でもモノクロ写真を3ヶ月も撮り続ければ、打率は大幅に上がるだろう。いや、今すぐに挑戦してもそれなりの打率は出るだろう。なぜなら、いままで「遊び」で撮ってきた「駄写真」も「経験」の内だからである。今まではたいしたことの無い写真しか撮ってこなかった。遊びだから。しかし、膨大に撮っているのでその経験は生きる。私には物事を"対象化"する高い力があるから。その力は、写真とは全く関係の無い「場所」で養われた。「読書」からである。

※生まれてくるときに「高い能力」を与えられていたことが一番の源泉である。偉いのは私では無く、両親と先祖である(笑)。

今日は出かける。昨晩、妻が一人で鎌倉に泊まった。この間余りに仕事が立て込んでいて心身共に疲れ果て気晴らしに出かけたのである。てっきり今日は一人で過ごすつもりだろうと思っていたら、昨晩遅く「明日合流する?」とメールが届いた。と言うわけで、今日は鎌倉まで行って妻と合流するつもりである。たまにはカメラを持たずに行ってみようかと思っている。今日は、写真を撮るのを辞めて、贅沢なランチでも食べてこようと思う。もちろん妻の奢りで(笑)。いまは彼女の方が断然稼ぎが良いのだ(笑)。

でも、こっそりとXF35mm F1.4 Rを付けたX-T20を鞄に忍ばせていくだろう。モノクロは撮らないけれど(爆)。

e0367501_00493714.jpg

上に掲載した「元ファイル」のヒストグラム。ハイライトは247。シャドーはギリギリ残っている。

e0367501_01120734.png


[PR]
# by dialogue2017 | 2018-11-17 10:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

(5)は私が高校に入学した1973年に岩波新書が1冊180円で買えたという話で終わった。ちなみに、1973年は私の妻の生年である。

ここでまた話が飛ぶが、私は4日前「頂いたコメントへの返事について(1)」の中で、戦後日本の最初の大きな転換点は1973年である言う説を披瀝したが、私が高校に入学したこの年には、まだ高校生の間にさえ「教養志向」が残っていた。もちろん、それは「残滓」と呼ぶ程度にかすかなモノではあったが、私の同級生には何人もの「文学青年」がいた。私は学校帰りの「茶店(サテン)」で彼らと文学談義をしたものである。もっとも、私自身は「アンチ文学」派であり、社会科学書ばかりを読んでいたのであるが。それゆえ、文学書はあまり読んでいない。そのため、上に上げた東大出身著名作家48人のうちの15人ほどの著作は一度も読んでいない。それでも20代には文学書を読んでいたし、30代もある程度は読んだ。

40を過ぎて文学書はほとんど読まなくなった。「文学」なんていうものは「尻の青い」時代に読めば十分だからである(笑)。文学というのは「如何に生きるべきか?」を知る為に読むものであるから、10代20代に読むモノであって、40を過ぎたらもう必要が無い。「吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩」(われ十五[歳]にして学問を志し、三十にして立つ、四十にして迷わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従う、七十にして心の欲するところに従って矩を超えず)と言うではないか。「学問」というものは15歳〜30歳の間に徹底してやるものなのである。ちなみに、私は今月3日に61歳になったが、その際余生を「心の欲するところに従って矩を超えず」生きようと決めた。もしかしたら「矩」は踏み外す恐れがあるけれど(笑)。それにしても僅か漢字38文字でこれだけのことを表現できるのだから、中国語というのは凄い。流石に「中華」を名乗る民族の文字である(「中華」というのは「世界の中心」という意味)。

と上の行までを午前中から昼過ぎに掛けて書いた。だいたい1万字前後だろうと思ってチェックしてみたら10,505文字であった。400字詰め原稿用紙で26枚ちょっとである。一気に1万字の文章を書いたというのは久しぶりのことである。その後、娘をボルダリング教室に送っていかなければならず文筆を中断したが、あのまま自宅で書き続けていたら2万字を超えていただろう。そして、あのまま続けて書いていた場合に書いた文章と、いまから書く続きの文章の内容はまったくちがうものになっていただろう。筆を置くと思考が止まる。一旦思考が止まった後に時間をおいて再開した場合、初めの執筆時と同じ「思考の流れ」には戻れない。もちろん、論理的なことについて書いている場合、整合性のある話を書き続けることは可能だ。しかし、私の書いている「雑文」はほとんど何も考えず「指に任せて」書いているので中断すると気持ちは元に戻らない。

ようするに、もう続きを書く気になれないと言うことである(爆)。

取りあえず、今日はこれをアップして終わりにする。続きは書くかもしれないし、書かないかもしれない。「頂いたコメントへの返事について」も途中で投げ出したままだ。まあ、どのみち読んでいる人間なんて何人もいないだろうし、そういう人は私の「ファン」みたいなものだから構わないだろう(笑)。とにかく、まずは夕食だ。

(つづく)



[PR]
# by dialogue2017 | 2018-11-16 20:30 | 写真とカメラの話し | Comments(2)

ところで、京都大学には教養学部が無い。京都大学は東京大学とは「対極的」な大学として創立された大学であると言って良い。つまり、東大とは異なる人材を育成するために創立された大学であると言うことである。「建学の精神」は「自由な校風」であり、「自由な研究」を重んじる大学である。端的に言って、東大が「官僚」を育成する大学であるのに対して、京大は「研究者」(専門家)を育てる大学だと言っても良いだろう。自然科学・人文科学の諸ジャンルにおいて、京都大学の学者の業績が東大の学者の業績に勝るとも劣らぬわけはここにある。しかし、「著名作家」の出身大学ランキングを見ると、「京大」は東大の1/3以下である。ここに「京大」の特色が現れていると言って良い。

京大は「専門家」を育成する大学で、リベラルアーツ志向が薄い。そのためゼネラリストが育たず、スペシャリストを生む(だから優秀な学者が多い)(注1)。しかし、「文学」には「総合的なものの見方・考え方・柔軟な理解力・思考力」が不可欠だから、京大出身の「作家」が少ないという結果を生んでいるとみて間違い無い。ちなみに、一番多くの著名作家を生み出しているのは「早稲田大学」である。東大と「分母」が違うからである(東大の一学年の学生数は約3,000人。早稲田大学の一学年の学生数は約10,000人)。順位は「早稲田大学(178人)、「東京大学(151人)」、「慶應義塾大学(65人)」、「明治大学(46人)」、「京都大学(40人)」の順であり、京大は明大にまで後塵を拝している(注2)。


(注1)総じて、東大出身有名人に比べ京大出身有名人は「キャラが立っている」(笑)。東大出身有名人というと「舛添要一」のような頭が堅く糞面白くない人間が思い浮かぶが、京大出身有名人というと「大島渚」「森毅」「竹村健一」などかなり個性的な人間が沢山出てくる。極めつけは「小室直樹」か(爆)。もっとも、「前原誠司」や「細野豪志」のように糞面白くない「東大型」の人間もいるが(ちなみに二人とも京大法学部出身である)。「福岡伸一」なんかも東大からは出てこないタイプの学者だと思う。「鳥越俊太郎」なんかも非東大タイプ。最近一番有名な京大出身有名人はロザンの「宇治原文規」か? 彼はなかなか「リベラル」だ(笑)。

(注2)明治大学は、封建時代から近代社会への過渡期である明治14年に「フランス法学」を教える「明治法律学校」として創立された大学である。その「建学の精神」は「権利自由」と「独立自治」である。世界最初の「自由の国」であるフランスの法学を教えることからスタートした大学であるから、当初からグローバル志向が強かった。そのため、大学教育の「範」を欧米の大学に倣った側面が色濃い(典型的には東大がそうである)。その結果、同大学には「リベラルアーツ」を重んじる校風があった。現在の明治大学も「リベラルアーツ」を非常に重視している。明治大学が京都大学より優秀な文学者を数多く生んだ背景であろうと思う。

 ついでながら、慶應義塾大学には「教養学部」は無いが、「文学部」は創設以来「リベラルアーツ」を重視してきた。福沢諭吉が建学した大学であるので当然のことと言って良い。「著名作家出身大学ランキング」1位の早稲田大学には現在「国際教養学部」があり、学部の大きな目的は「少人数指導の下で基礎的な教養を磨くとともに、多元的な視点論理的思考を養うことに重点をおいたリベラルアーツ教育をおこなう」ことであると謳われている。

東大出身作家は、"誰もが知っているような"名前だけを挙げてもキリが無いほどである。「堺屋太一」「大江健三郎」「久世光彦」「半藤一利」「渋澤龍彦」「北杜夫」「堤清二」「中野武彦」「星新一」「三浦朱門」「辻邦生」「丸谷才一」「田中小実昌」「三島由紀夫」「中野孝次」「吉行淳之介」「安部公房」「邱永漢」「谷川健一」「阿川弘之」「福永武彦」「中村真一郎」「小島信夫」「武田泰淳」「檀一雄」「森敦」「太宰治」「高見順」「堀辰雄」「舟橋聖一」「林房雄」「深田久弥」「中野重治」「梶井基次郎」「川端康成」「大佛次郎」「芹沢光治良」「芥川龍之介」「久米正雄」「内田百閒」「菊池寛」「里見とん」「山本有三」「中勘助」「武者小路実篤」「志賀直哉」「寺田寅彦」「山田美沙」「尾崎紅葉」「夏目漱石」「森鴎外」「坪内逍遥」「谷崎潤一郎」。※緑字の作家は同作家の名前を冠した文学賞がある作家。すでに廃止された賞を含む。※「菊池寛」は京都大学を卒業しているが、その前に「旧制第一高校」に在学していたため「東大出身作家」にもリストアップされている。

以上は、誰もが知っているような作家に限ってリストアップしたものである。東大出身の著名作家はまだまだ沢山いる。日本文壇の重鎮のほとんどは東大出身者であると言っても過言では無い。これに対して、京都大学出身の「大物作家」を上げれば、「高橋和巳」「小松左京」「和久俊三」「野間宏」「大岡昇平」「井上靖」「梶井基次郎」「菊池寛」といった程度である(その「下」のランクを追加しても10人は増えない)。こうなった背景には、「明治」「大正」「昭和(戦前期)」においては、優秀な人材の多くが東京大学に入学していると言う事情が一番大きいが、東京大学が「リベラルアーツ」を重んじていたという事情も大きく影響ををあたえていると考えて間違いない。ゆえに、「政」「財」「官」とは対極にあると言っても良い「文学」の世界においても、東大出身者が抜きん出て多いのである。「専門教育」は「専門家」しか育てないが、「リベラルアーツ」は広く「人材」を育てると言うことである。

私の人脈の2/3は「東大」「京大」出身者である。ある程度の交流をしてきた50人ほどを見渡しても、一定以上のインテリジェンスを持つ人間は東大出身者の方が圧倒的に多い。両大学は明らかに「校風」が違うのである。「東C(教養学部)時代」の東大生には間違い無く「教養志向」があるのである。それは創立以来の「伝統」に根ざしている(「東京大学」の設立は明治10年)。私が聞き知る範囲では、「東大駒場寮」には最後までその伝統が残っていた。駒場寮が無くなった後、東大からもその伝統は消え始めているだろう。

「教養」は「学問」ではなく「作風」にちかいものであり「伝統」に根ざしているのだ。すなわち、先輩から後輩へと「伝播」していくものなのである。そして、家庭においては親から子へと受け継がれていくものである。故に、「教養」というものは「付け焼き刃」が効かない。それは世代を通して受け継がれていくものであるから。「親の因果が子に報う」という。親の無教養は子どもの可能性を狭める。

誰の話であったか失念したが、著名哲学者の本で読んだ話である。旧制中学から旧制第一高校を受験する際、先輩から「中学生のうちに岩波文庫を全部読破しておかないと高校に入って相手にされないぞ」と言われ、必死になって読んだという話がある。かつて「教養の岩波」と言う言葉があった。日本の教養は「岩波」によって生み出されたとも言われる。私事であるが、私は読書を始めたのが遅く、高校に入ってからであった。高校に入学してすぐに「社会科学研究会」に入った。いきなりマルクスの『賃労働と資本』の勉強をやらされた。それ以後、先輩の影響で「岩波文庫」の「青」と「岩波新書」を読み漁るようになった。ちなみに私が高校に入学した年(1973年)に岩波新書は一律180円であった。喫茶店で珈琲一杯が200円という時代である。珈琲一杯の値段で「教養」が買えたのである。

(つづく)


[PR]
# by dialogue2017 | 2018-11-16 18:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

突然話が飛ぶ(笑)。写真は"その人”が撮るものである。そして、写真はその人の「全人格」で撮るものである。「人格」というのは平易に言えば「そのひとの人柄」の事である。「人柄」を辞書で引くと「人の品格」「人の性質」とある。「品格」を辞書で引くと、「人の品の善し悪し」とある。「品」を辞書で引くと「ものの等級」とある。ついでに「品位」を辞書で引くと「人に自然と備わっている、心の高さ」とある。いまの若い人々は使わないだろうが、昔は「あの人は人品骨柄(じんぴんこつがら)が立派だ」などという人物評をよく耳にしたものである。日本人の価値観として「人品」はもっとも重んじられていたのである。

「人の品の善し悪し」と言った場合、その「品」とは何を差すのだろう? そこにはいろいろな要素が含まれているだろうが、あえて一言で評すれば「心の高さ」であろう。辞書の教えるとおりである。では、「心の高さ」とはなんだろう? ここにもまた様々な要素が孕まれているだろう。私の考えでは「礼節」はもっとも重要な「品」だと思う。「信義」も重要である。「義侠心」も不可欠だろう。それらはみな「心の高さ」の要素として不可欠と言って間違いない。言葉を借りてくるならば、「義に死すとも不義に生きず」だろうか。

「心の高さ」は様々な要素から成り立つものだろうが、それを担保する大きな要素のひとつは「教養」である

ここでまた話が広がるが、昨今の日本人には教養のある人間がもの凄く少ない。それゆえに「人品」豊かな人間が少ないという情けない次第となっている。「経済至上主義」の帰結である。なにしろ日本人は「エコノミックアニマル」だったのだから。

典型的な逸話を紹介しよう。世界中のエリートが集まる世界のトップクラスの大学、たとえば「MIT」「スタンフォード」「ハーバード」「ケンブリッジ」「カリフォルニア工科」「オックスフォード」などの大学には、世界各国からの留学生が集まる。当然学生同士で交流が行われるわけであるが、日本人は日本人同士で固まりあまり他国の大学生の輪に入らないそうである。理由は、日本人学生には「話題」がないからだと言われている。日本人の留学生は(これらの大学には外務省からの派遣留学生なども多い)他国の学生より勉強が出来、英語力も高いそうだが、「会話」能力がもっとも低いそうだ。英語でのconversationが苦手だという話では無い。「会話」の「中身」を身につけていないということだそうだ。各国の学生が自国の「固有文化」について論じ合うようなことがあると、それぞれの国の留学生は「お国自慢」を始めるそうだが、日本人留学生には「日本文化」を語れる学生がいないそうだ。「受験エリート」たちには「教養」が全く欠けているのである。実話であるが、「武士道について教えてくれ」とか「茶道ってなんだ?」と聞かれて答えられる学生はまったくいないそうだ。それはそうだ。戦後の日本では、「武士道精神」とか「茶道の心得(和敬清寂)」などというものは根絶やしになっているのだから。

【追記】私なら、「武士道精神とはなにか?」と聞かれたら、先に借りた「義に死すとも不義に生きず」と答えるだろう。「義のためには命を捨てることを当然と心得、たとえ命を奪われようとも不義には与しない」と言うことである。若い頃の私は「マルクス主義」を信奉した「革命家」であったが、同時に「武士道精神」の持ち主でもあった(笑)。

どうしてこういうコトになったかというと、日本の大学教育においては「リベラルアーツ」が軽視されているからである(注1)。そもそも「教養学部」を設置している大学が少ない。「リベラルアーツ」とは「総合的なものの見方・考え方・柔軟な理解力・思考力などの実践力を身に付けたジェネラリストを養成する」ことを目的としている。我が国で最初に「教養学部」を設置したのは東京大学で、終戦直後の1947年に開設している。東京大学というのは、「日本を動かす」人間を育成する目的の大学であるから「総合的なものの見方・考え方・柔軟な理解力・思考力などの実践力を身に付けた」人間を育成することが東大の一番重要な目的である(注3)。だから、東京大学には「教養学部」があるのである。

(注1)日本の大学教育において「リベラルアーツ」が軽視されるようになったのは戦後に顕著な傾向である。高度経済成長時代に求められた人材は「経済至上主義」の担い手であったためである。江戸時代にはそれを重んじる風潮があった。福沢諭吉がその象徴だろう。ちなみに、「リベラルアーツ」の原義は「人を自由にする学問」ということである。江戸時代にはそれを目指して学問をした学者が沢山いた。その伝統は明治初期まで残ったが、「日清・日露」戦争に勝ったあたりから「この国の形」(注2 )が変わっていった。

一言で言えば、「日露戦争」勝利以後、この国の指導者層は「夜郎自大」となっていったのである。無謀きわまる「太平洋戦争」に向かって突き進んだ軍人にもっとも悪しき影響力を発揮したのは、「東洋のネルソン」こと「アドミラル・TOGO」であった。日露戦争の英雄東郷平八郎である。せめて司馬遼太郎の『坂の上の雲』ぐらいは読んでおきたい。「明治日本」を知らない限り、日本という国と日本人を理解することは出来ないから。ちなみに、『坂の上の雲』における東郷平八郎は英雄である(笑)。

(注2)ついでながら書いておく。「この国の形」とは国民的作家司馬遼太郎が記した6巻の著書のタイトルである。「この国の形」という言葉を目にして、「ああ、司馬遼太郎さんの本だな」と思い至らないのはお話にならないレベルの教養である。教養人たらんとするならば、国民的作家の本ぐらい読んでいて然るべきである。私の妻は小学生時代にほぼ読破していると言うから恐れ入る(笑)。たぶん、良く理解出来なかっただろうが、読んだ意味は大きい。

(注3)実際に政財官を動かしている人間の多くが東大出身者である。「第四の権力」とも言われるジャーナリズムの世界でも東大出身者が力を持っている。「ナベツネ」も東大出身である。更に言えば反体制左翼の幹部は軒並み東大出身者である。共産党の幹部(宮本顕治・不破哲三・志位和夫)も過激派の幹部(たとえば清水丈夫)もそうである。「安保ブント」最大の理論家であった「姫岡礼治」などは後に東大経済学部教授となった(青木昌彦)。この国のあらゆるセクションを「東大出身者」が牛耳り動かしていると言っても過言では無い。「在野勢力」として一番力がある(?)「日弁連」の幹部の多くも東大出身者である。


[PR]
# by dialogue2017 | 2018-11-16 17:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

脱線話の脱線話となるが、9月に友人夫婦と一緒にキャンプをした。妻の司法修習生時代の同期生である弁護士と彼女の夫とそれぞれの末っ子の計6人でキャンプをした。この妻の友人である弁護士(女性)とは、実は私の方が先に親しくなっていて彼女は私の友人でもある。彼女が我が家に泊まりに来ると、妻が就寝したあと私と彼女で延々差し向かいで話をする仲である。その友人夫婦は京大法学部の同級生同士で結婚している。夫の方は大学卒業後外資系の銀行に務めたが、「宮仕え」が性に合わず離職し、司法試験を受けて弁護士となった。現在は、隣同士の町に別々の事務所を出して仕事をしている。一緒の事務所で仕事をしたら毎日喧嘩になるからそれを避けたそうだ。経費が勿体ないな〜。

実は、妻と同期の女性弁護士でもうひとり親しい友人がいる。その夫婦も、京大法学部の同級生同士で結婚している。この二組の夫婦と私たち夫婦は、子どもたちが小さい頃ときどき三家族で一緒に遊びに出かけた。ある日、品川水族館のエレベーターに乗っているときに突然気がついたのだが、私以外の5人は全員京大法学部の出身である。で、私は宣うた(笑)。「君たちみんな京大出だったんだね〜。失礼な話だけれどさ、君たちと一緒にいると近頃の東大京大出身者のインテリジェンスがどれほど低いかよくわかる」と。一番仲の良いKさんから「Hさんに比べられたら叶わないよ」と一言言われた。確かにその通りだ。ちなみに、私は高校中退である。事実上は、中学2年中退だが(笑)。

とにかく、人はみな勉強しない。勉強が好きな人間なんて言うのはほんの一握りしかいない。世の中全体ではそれなりに沢山いるが、割合としたら多分100人に1人いないだろう。実は、諸事情のため、私の人脈の80%前後は「東大」「京大」出身者ばかりなのだが、インテリジェンスのあるやつはひとりもいない。50人以上いてひとりもいない。まあ、世間一般の人々に比べたら知識の量はかなり多いとは言えるが、インテリジェンスがあると言えるレベルの人間はいない。それはそうだ。たとえば、弁護士だとか医者になると専門知識についての勉強と、日常業務に追われてその余の勉強をする時間など無いのだ(オマケに家事と育児がある)。もうすでに、学生時代から「司法試験」や「医師国家試験」の勉強しかしていないから、西田幾多郎など読む暇が無い。妻は大学4年間は司法試験のための勉強は全くしていなかったがそれでも「難しい」本は読まない大学生だった。小学生の頃から『坂の上の雲』などの歴史小説を読む早熟な文学少女であったが永遠にそのレベルである。まあ、女性だから仕方ない(笑)。

私は高校中退。いや、事実上中学2年生中退と言って良い。中2のときに「以後"公教育"を受けない」と決意し、それ以後「世の中に背を向けて」生きてきた(で17歳で「革命家」になった・笑)。一度も就職したことが無い。20代30代の20年間は、週に2日ぐらいしか仕事をしないで生きてきた。40歳以後この20年間は、事実上全く仕事をせずに「遊んで」暮らしてきた。本当に遊んでいた(3年程ちょこっと仕事をしていた時期はあるがその時もフルタイムでは働いていない)。仕事をしないのだから暇はいっぱいあった。なにせ毎年365連休の生活だ(爆)。だから本は沢山読んだ。沢山読んでいる年と余り読んでいない年(その年は女性と遊んでいたと言うことだ・笑)があるが、この20年間、平均すると年間250冊ペースで読んでいるだろう。いや、もう少し多いかもしれない。年250冊として20年で5,000冊。しかも、その内の2/3程度は分厚い学術系書籍である。そりゃ「Hさんと比べられても…」と言われるわけである。

ちなみに、私もあまり勉強好きでは無い。ただ、本を読むことは好きだし、最低限の知識くらいは持っておきたいと思ってあれこれ読んでいると言うだけのことである。子どもたちからなにか聴かれたとき、きちんとわかりやすく説明してあげるためにはそれなりの知識を持っている必要がある。「父親の権威」は子どもを育てる。「子どもは親の背中を見て」育つからである。子どもたちは、毎日毎日日がな一日本を読み続けている私を見て育ってきた。息子は、小学5年生の終わり頃から、私の書棚から本を抜き出して読むようになった。息子がジョセフ・スティグリッツの本を読んでいるの知ったときには流石に驚いた(笑)。

(つづく)

[PR]
# by dialogue2017 | 2018-11-16 16:30 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

取りあえず、「『写真は"その人”が撮るものである』とはどういうことか?」という仮題を付けて書き始めた文章であるが、例によって脱線に次ぐ脱線、そのまた脱線と話が進んでいき、いまのところ「写真をどう撮るか?」という話は出てこない。しかし、実際は全部写真の話を書いている。

前のエントリーの末尾にプロ野球の投手が投げる「カーブ」の話を書いた。こんなことは解説するまでも無いことであるが、それは「写真の撮り方」についての話である。その文末は「いくつもの要素の「加減の仕方」が打者が打ちにくい見事なカーブを生み出すのである」となっているが、それは「いくつもの要素の『加減の仕方』が凡庸な写真家の写真を超える見事な写真を生み出すのである」と書いているのである。写真が上手くなりたいと思っている人が読めば、本来そういう風に解釈して読むはずである。もし、そのように読まなかったとしたら、それは貴方の「教養」があまりにも少ないためである。いや、冒頭に「あらゆることの『成否』『善し悪し』はこの『加減』で決まる」とハッキリ書いてある。

私が過去に書いた「脱線話」はすべてこのようにして読み直すことが出来るはずだ(純然たる脱線話もあるが)。「ものごと」を深く理解させるためには、「直截的」な話をするよりも「比喩的」な話をした方が伝えやすいのだ。「写真の撮り方」よりも「カーブの投げ方」の方が話としてわかりやすいでしょ? 

さて、前のエントリーの続きの文章を掲載しよう。以下の一見「写真とは無関係」な話しもすべて写真の話と心得よ。


以前、「ショパンコンクール」の話を書いたことがある。2回のエントリーに分けて書いた。「閑話(49)」「閑話(50)」である。手前味噌であるが非常に面白い話である。この話はとても”含蓄”に飛んだ話なのでまだ読んでいない人は是非読んで欲しい。物事を、こういう風に「類推的」にとらえる能力があるかないかが、「表現行為」の「良否」を決するのである。ある物事について、アナロジカル(比喩的)に語るためには、物事を「多面的」「重層的」にとらえる能力を必要とする。時には、「二律背反的」にとらえる必要さえある。極論すれば、文学の「肝」はアナロジーにあると言っても良い。アナロジーない文章というものは「浅薄」である。

ちょっと余興をやろう(笑)。

過去は現在において過ぎ去ったものでありながら未(いま)だ過ぎ去らないものであり、未来は未だ来らざるものであるが現在において既に現れているものであり、現在の矛盾的自己同一として過去と未来とが対立し、時というものが成立するのである。而(しか)してそれが矛盾的自己同一なるが故に、時は過去から未来へ、作られたものから作るものへと、無限に動いて行くのである。

これは哲学者・西田幾多郎の『絶対矛盾的自己同一』の中の一文である。まあ、読んで直ぐにわからなくても構わない。普通は、よくわからなくて当たり前であるから。「哲学」というのは、普通の人がわからないような「論理の遊び」だから(爆)。この一文だって、私がちょっと手直しして書き直せばもっと意味がわかりやすい文章になる。しかし、それでは「価値」が下がる。哲学は小難しく書いてなんぼだから(笑)。わかりやすく書いてしまったら「哲学」じゃなくなる(爆)。この文章にはいくつものコトが語られているので一言で説明することは出来ないが、あえて読者にわかりやすく一つの点を指摘すると、物事というのは「点」では存在していないと言うことである。「いま」というこの瞬間は「いま」と書いたときにはもう「過去」になっている。「いま」と"書き終わったとき"は、それを書き出した時の「未来」であるが、それは「いま」とほとんど同時にやってくる。「いま」の中には「過去」が孕まれているとともにすでに「未来」が立ち現れている。だから、およそすべての事象は「点」でとらえたのではその本質に迫ることが出来ない。「物事」というのは、「他面的」であり「重層的」であり「経時的」であり「二律背反的」であるから。ソシュールに倣うなら、「物事」は「共時的」に語ることも出来るし、「通時的」に語ることも出来る。

私は西田はあまり読んでいない。どうも好きじゃ無い。だいたいが「屁理屈」は好きじゃない(爆)。西田が思索に耽った「哲学の道」は大好きだが彼の著作はあまり読んでいない(笑)。また話が脱線するが、妻は西田の著作など触ったことも無いだろう。西田ほどの学者が教壇に立った大学に通い、西田の著作を1冊も読んでいないという京大生は不逞の輩だ(笑)。西田の1冊も紐解いたことが無いほどであるから、彼女(妻)のインテリジェンスは低い。

ちょうど丸1年前、「哲学の道」で撮った写真をこのブログに掲載した"ここ”から"ここ”まで65枚ある。それらの写真は、初めて16:9のアスペクト比を使って撮影した写真である。写真そのものはたいしたものでは無いが、16:9で撮ったという試みは私自身にとって意味がある。なぜなら、それは私の「引き出し」を増やすための試行であり、物事の「捉え方」にバリエーションを生むためのチャレンジだからである。そういう「遊び」の積み重ねを通じて、ものごとの「加減の仕方」を高めていくわけである。「遊び心」というのは非常に大事だ。

(つづく)


[PR]
# by dialogue2017 | 2018-11-16 16:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)

※午前中に「長文」のエントリーを書いた。例によって分割掲載する。

昨日書いた「自分が撮ること、自分の知識と技術を伸ばすことに専念しようかと」に対して、59Kisaragiさんから心のこもったコメントを頂いた。しかも、692文字という「長文」のコメントである。誰かに対して、自分の思いをきちんと伝えようと思ったとき、原稿用紙1枚に収めるというのは苦労する場合の方が多い。ちょっとした感想ならいざ知らず、自分が感じたこと、考えたことを"ひとまとまり"として伝えようと思った時には400字では足りないと感じることの方が多い。もし「短文のコラム」の連載を請け負うとしたら、私の場合、600文字は欲しい。「原稿用紙1枚半」が私の最低単位である。

【追記】無意識にではあるが、私はおおよそ600〜1000文字を「ひとつのブロック」として文章を書いていることが多い。そして、「ひとつのブロック」ごとに話が脱線していくことが多い(爆)。速いテンポで書ける理由は、一気に書き下ろせる「ブロック」を積み重ねていくからである。そしてまた、次々と「脱線」することが話のペースを引き上げる(笑)。

明日からプロカメラマンとして仕事をしろと言われてもちょっと苦しいが(やれないこともないが)、文筆業をやれと言われたら初日から一流の文筆家として仕事が出来るだろう。よほど専門的なジャンルで無い限り、与えられたどんなテーマについても書くことが出来るし、執筆速度は速い。「エッセイ」レベルのものであれば、毎日2万字の原稿を入れろと言われても、滞りなく書けるだろう。この「2万字」という数字であるが、「作家を目指すならとりあえず毎日2万字書いてみろ」と言われる数字である。チャレンジすると、最初は10時間ぐらい掛かる人が多いらしい。私の場合、下調べをしないと書くことのできないテーマは別として(あるいは下調べの時間を除外したら)、2万字を書くのに必要な時間はせいぜい5〜6時間である。自分が「乗れる」テーマなら4時間前後で書き切るだろう。私の「指」からは「瀧のように」言葉が流れ出るのである。

たぶん、上の行までの文章で「原稿用紙1枚半」程度だろう(あとから書き入れた【追記】を除くと587文字だった)。どうしてそれがわかるかというと、「ひとまとまりの話し」を書いたという"実感"があるからである。私は数字に対する「読み」がかなり正確である。実は、一月前だったか半月前だったか、私が数字に対する読みが正確である根拠についていくつかの実例を挙げて説明する文章を書いたことがある(アップしていない)。私は、料理が得意で、妻の友人(女性たち)から絶賛されている。つまらない料理屋で食べるより遙かに美味しいと高い評価を貰っているのだが、私は、レシピを見て料理を作ることはほとんど無いし、計量スプーンを使うことも無い。味は、すべて自分の頭の中で考えて調味料を決める。調味料の量をどう配分するかについては考えない。私の手が「適当」に調味料を注ぐから。

「匙加減」という言葉がある。「手加減」という言葉もある。それである。調味料をどれだけ入れるかは「匙を持つ手」が覚えている。私はそれを頭で考えない。いや、実際は「これくらいでいいかな」とか頭が判断しているわけであるが、私はそのことをほとんど意識していない。手に任せているのである。料理人は誰でもそうだ。その"手"が"匙加減”を覚えている。計量スプーンを使うのは素人なのである。

人間は何かに習熟すると「加減」というものを身につける。あらゆることの「成否」「善し悪し」はこの「加減」で決まる。プロ野球の投手が「カーブ」を投げる。カーブの投げ方なんてだれでも概ね同じなのだが、一人一人の投手の投げるカーブの「質」はみなそれぞれである。数いる投手の中に、打者がもの凄く打ちにくいカーブを投げる投手がいる。彼のカーブが他の投手のカーブに比べて各段に素晴らしいわけは、彼の投げ方が他の投手とはどこか違っているからである。ボールを握る「力加減」であるとか、ボールに指を掛ける「掛け加減」であるとか、手首をひねる「捻り加減」とか、肘を曲げる「曲げ加減」とか、リリースする瞬間のボールの「離し加減」とかそういうものが他の投手と異なるわけである。実際のスピードで見たのではそれらの違いは判別できない。しかし、現実的には、カーブを投げるのに投手が「加減」している要素はもっといくつもあるだろう。そのいくつもの要素の「加減の仕方」が打者が打ちにくい見事なカーブを生み出すのである。

(つづく)


[PR]
# by dialogue2017 | 2018-11-16 15:00 | 写真とカメラの話し | Comments(0)