MacBook Proのデスククトップにいくつかのフォルダが並んでいる。その中の一つに「保管庫」というフォルダがある。用途を厳密に決めているわけではないが取りあえず棄てずに残しておこうと思ったファイルなどが入っている。「取りあえず」という感じでぶち込んでいるので中に何が入っているかほとんど覚えていない。フォルダ容量を確認すると16.31GBもあった。Rawファイルを纏めてぶち込んでいることがあるからである。中に「100MSDCF」という名前のフォルダがあった。これはSONY α7Ⅲで撮影した画像をSDカードに記録する際にそれが収録されるフォルダの名前である。つまり、私はSDカードからフォルダごと「保管庫」にコピーしていたと言うことである。たぶん、一度デスククトップにコピーして、何枚かのRawファイルを現像したあとにフォルダごと「保管庫」に放り込んでおいたのだろう。

私は「Raw」ファイルと「JPEG」ファイルを別々のSD(CF)カードに記録している(5D3、α7Ⅲ、645Dなどはみなダブルスロットである。X-T20などシングルスロットのカメラの場合は「JPEG+RAW同時記録」)。写真を撮ってきたらJPEGの方だけを「写真」(旧iPhoto)に撮り込む。Rawファイルの処理は毎回異なる。要らないと思えば直ぐに棄ててしまうし、取りあえず残しておこうと思った場合はSDカード内のデータをフォルダごとデスクトップにコピーした後「190217新潟Raw」などと中身が分かる名前を付けておく。1週間10日放置していてもう使うことも無いだろうと思った場合は棄ててしまうことが多い。私の場合、極論すればプライベートフォトはJPEGだけでも十分である。

そもそも私はほとんどRaw現像をしない。2年程前まではプライベートで撮った写真はほぼ100%近くJPEGだけしか扱わなかった。それでなんの問題もないからである。プライベートフォトをちょくちょくRaw現像をするようになったのは2017年3月からである。FUJIFILM X-T2・X-T20を使い始めたことがRaw現像を行うようになった理由である。つまり、撮影後に「フィルムシミュレーション」を適用したいというのがRaw現像をやるようになった理由である。「フィルムシミュレーション」は非常に面白い。EOSの「ピクチャースタイル」とは似て非なるものである。まさに、「フィルムを選ぶ」という感覚で使えるのである。

私はフィルムで写真を撮っていた時期は短いし、それほど沢山は撮っていないがそれでもいろいろなフィルムで写真を撮った。一番よく使っていたのは「PROVIA」である。風景写真愛好家に絶大な人気を博していた「Velvia」は苦手だった。あまりにもマッタリしすぎているから。あまり本数撮ったことが無いが「ASTIA」は好きだった。Konica Chrom「SHINBI」なども使ったことがある。渋い発色のフィルムだった。今は伝説のフィルムとなってしまった「Kodachrome」も使ったことがある。もちろん、「PORTRA」や「PRO160」などのネガカラーフィルムも使った。そのような経験があるのでXシリーズカメラの「フィルムシミュレーション」はとても楽しいと思った。

初め「Velvia」はほとんど使うことは無いだろうと思ったのだが、「桜」や「紅葉」の写真は圧倒的に「Velvia」が美しいと思った。で、予想外に沢山「Velvia」を使うことになった。「PROVIA」と「ASTIA」は僅かの差。絵柄によってはほとんど差が出ない。しかし、はっきりと差が出るケースもあってそのあたりがとても面白い。そもそも私がFUIFILM Xシリーズのカメラを使いたいと思った動機は「PRO Neg.Std」という「プロ用ネガカラーフィルム」をシュミレートしたフィルムシミュレーションが好きだったからである。友人から借りたX100Tを7ヶ月ほど使い「PRO Neg.Std」にすっかり魅了されたのである。しかし、X-T2・X-T20ではX100Tの時のような絵にならなかった。その理由を書くと長くなるし、過去に詳しく書いたことがあるのでここではくり返さない。

結局、「PROVIA」を使うことが一番多い。極論すれば「PROVIA」一つしか無くてもそれほど困らない。「PROVIA」が合わない絵柄というのはないと言っても言い過ぎでは無いだろう。しかし、花の写真などは「Velvia」でこそ出せる美しさがあるし、「ASTIA」の色味もぴったりと合った被写体に使うととても美しい(最近はASTIAを使うことが多くなった)。「PRO Neg.Std」はスタジオライティングを前提としたフィルムシミュレーションなので、街中で奇麗に撮れる光に出逢うことが少ないのだが、そういう光で撮った時の「PRO Neg.Std」は最高である。もちろん、この場合被写体は女性に限る(笑)。例えば"この写真""この写真”

「フィルムシミュレーション」にはもう一つ大きな利点がある。「モノクロ」のバージョンが豊富なのである。X-Pro2から「ACROS」が搭載された。そして、「Ye」「R」「G」のフィルターを適用したシミュレーションが用意されている「ACROS + Ye」「ACROS + R」「ACROS + G」そして素の「ACROS」の4種類の中から選ぶことができる(他に4種類のモノクロフィルムシミュレーションがある)。私はかなりの頻度で「ACROS + Ye」を使っている。だから、α7Ⅲの「クリエイティブスタイル」に「モノクロ」が一つしか用意されていないことがかなり「不満」である。もしかしたら専用ソフトを使えばRaw現像時にフィルターを適用することができるのかもしれないが、「クリエイティブスタイル」に用意されていたら嬉しい。私はあまりモノクロを撮らないのでなくても不便ではないがあったら嬉しい。

また長話を書いてしまったが、何気なしに「保管庫」というフォルダを開けたら「100MSDCF」と言うフォルダが目に入り、中身が何か気になったので開いて見た。昨年12月15日に初めてα7Ⅲのテスト撮影を行ったときのRawファイルが入っていた。「代官山」や「渋谷」で撮った写真はこのブログにそこそこの枚数アップした。フォルダの中には285枚のRawファイルがあった。昨日も書いたように、私は300枚ぐらいは直ぐに撮ってしまうのである(いい加減に撮っているから)。多分、この時は2時間ぐらいで撮ったのでは無かったかと思う。

「サムネイル」を小さなサイズで表示するように設定しているのでその小さなサムネイルを見たのでは何を撮った写真なのか思い出せない場合がある。で、「これなんだ?」と思ったファイルを開いたのが下に掲載した写真である。別に「どうといったことのない」写真である。それもそのはず。この日は代官山から撮り初め、まずはPlanar T* 50mm F1.4 ZAでのテスト撮影を行った。渋谷についてレンズをFE85mm F1.4 GMに変えて少し撮影した(ここまではそこそこ真面目に撮っていた)。そして最後に、韓国料理を食べに行くため妻と待ち合わせした新大久保で、食事前に入るはずであった銭湯がお休みだったので「時間潰し」をする必要に迫られ、レンズをDistagon 35mm F1.4 ZAに換えてまた3〜40分写真を撮り歩いた。

私はテスト撮影「のようなこと」は良くするが、きっちり「テスト撮影」という目的で写真を撮ると言うことはあまりやらない。しかし、この時は事実上初めてα7Ⅲを使う機会であったのでカメラとレンズを「テストする」ということを明確な目的として写真を撮って歩いた。そして、下に掲載した写真を撮っていた時にはDistagon 35mm F1.4 ZAの「絞り開放」がどんな感じに写るかを確認する為に歩きながら片っ端から写真を撮っていた。下の写真はその中の一枚である。屋台の韓国料理屋さんで食事をしている若い女性の後ろ姿を、ビニールシート越に撮影した写真である。

ピントは真ん中に写っているグレーのセーターを着た女性の背中に合わせた。私は90%「中央一点AF」を使っているので、この女性の左肩の少し下あたりでピントを合焦させて撮っている。客が座っているカウンターに対して正対せずに斜めに撮っている理由は3つある。歩きながら撮っていて、1秒2秒だけ立ち止まってシャッターボタンを押して直ぐに歩くという撮り方をしているので「正対」なんてしてられないというのが一番大きな理由。2番目は「正対」しない方が絵的に良いと言うこと。そして3番目は、被写界深度を知る為に撮っているので「正対」してしまうより「斜め」に撮った方が良いということ。昨日撮ったこの"フェンスの写真”と撮影の動機は同じだと言うことである。

私はほとんどの場合ラフに撮っている。滅多に丁寧に撮ることは無い。物事に対して「慎重」に取り組むことが苦手なのである。苦手であるという以上に「嫌い」なのである。写真に限らず多くの物事に対して「いい加減」に取り組む。それは単にそういう性分だと言うことが一番大きな理由であるが、意図的にやっているという要素も強い。物事に「慎重」になることが凄く嫌いなのである。実に困った性格だと思うがそういう性格に生まれついたのだからどうにもならない。もちろんある程度「慎重」に撮ることもある。しかし、ほとんどの場合、そう少なく見積もっても70%の写真はいい加減に撮っている。だって、どのみち「つまらない写真」なんだから丁寧に撮るほどの価値なんてないんだよ(笑)。

まあ、そんなわけで、この写真を誰かに見せようと思って選んだわけではない。たまたま目についたサムネイルに何が写っているのかぱっと見でよく分からなかったので開いて見と言うだけの話。そうしたら、いつも使うCamera Rawではなくα7Ⅲにバンドルされてきた「Edit」という専用Raw現像ソフトが開いた。で、「クリエイティブスタイル」の「クリア」を当ててみた。予想通り「まったり」した絵になった。「この絵柄だとスタンダードだよな」と思って「スタンダード」を当ててみた。思った通りしっくりくる。「ポートレートを使うとどうなるのかな?」と思って「ポートレート」を当ててみた。スタンダードよりウオームになった。「ニュートラルでもそこそこ行けるんじゃないかな?」と思って「ニュートラル」を当ててみた。「風景を使ったらマッタリしすぎて酷いだろうな」と思って「風景」を当ててみた。「ディープは地味だろうけれどレタッチの元にするにはいいんじゃないかな」と思って「ディープ」を当ててみた。そんな風にして一通りのクリエイティブスタイルを当ててしまった(笑)。

実は、こういうことをやるための「素材」として写真を撮っていることが良くある。X-T2・X-T20を使い始めた直後には、「フィルムシミュレーション」の特徴を理解するために、レタッチの「素材」としての写真を沢山撮ってきた(私は何か新しいコトを始めた最初の段階では熱心に研究する)。この話は前にも書いたと思うが、いまの私は「撮影時」よりも「事後処理」からの方が「学ぶ」ことが多いのである。確か、昨年秋以後のどこかで書いたと思うが、「レタッチは第二の撮影」なのである。各「クリエイティブスタイル」は色味も変わるしコントラストも変わる。トーンの繋がり方も変わる。いろいろなクリエイティブスタイルを写真に適用してそれぞれの違いを見てみると言うことは「写真をどう表現するか?」と言うことに対する「造詣」を深めていくことに繋がる。

撮影時にやれることなんて限られている。ロケーションを選ぶこと。光を選ぶこと。露出を決めること。まあ他にもいくつかあるがそれほど複雑なことをやるわけじゃ無い。一定の経験(その中身が問われることは言うまでも無いが)を積んだフォトグラファーであれば「撮る」ということはそれほど難しいことではない。「スキル」というのは経験を積むことによって必ず「プロフェッショナル」なレベルにまで到達するものである。もちろん、一言で「プロ」と言ってもピンからキリまである。しかし、基礎から勉強し、ライティングを覚え、一定の撮影経験を積めばだれでも「プロ」のレベルに達することができる。まあ、全ての人がとは言わないが、特段の才能が無くてもプロカメラマンにはなれる。フィルムの時代であればまた話は変わるが、これだけ高性能なデジタルカメラのある今の時代ではプロカメラマンになることはさほど難しいことではない。

もう一度書いておくが「スキル」を習得することは誰にでもできる。能力があれば「独学」で十分である。今の時代、「教科書」は山のように出ているし、ネット上にも情報は沢山ある。昔と一番違うのは、ネット上で「作例」をいくらでも見ることができることである。「写真」には撮影時の「情況」が必ず写り込んでいる。物事をきちんと「対象化」する能力を持っている人間であれば、ほとんどの写真はどんな風にして撮影したのかを理解することができる。今の時代、写真を理解する材料には事欠かないのである。NHKの「朝ドラ」だとかテレビCMをじっくり見ていると「光の使い方」を沢山覚えることができる。

プロカメラマンと同じようにカメラを扱うことができるようになるということはそんなには難しいことでは無いのである。しかし、先にも書いたように「プロ」と言ってもピンからキリまである。1本の撮影に数百万円というギャラを貰っているような大物の写真家もいるし、1ページ1万円と言う仕事を大量にこなして何とか食べているという「プロ」もいる。プロと言ってもピンキリなのである。では、ピンとキリはどこがどう違うのかというと、もちろん撮影技量にも差があるだろうけれど、「表現力」の違いというものが決定的なのである。今のデジカメはもの凄く高性能なのでプロカメラマンであればだれでも美しい写真を撮ることが出来る。アマチュアにだって美しい写真を撮ってる人は掃いて捨てるほどいる。一部のトッププロがそれ「以下」のプロと違うところは「表現力」なのである。

「表現力」ってなに? いろいろな要素がある。それについて書くとこの後また3,000字ぐらいは書かなければならないのでここでは書くことをやめておくが、それは「技術」ではないと言うことだけを言っておこう。例えば、同じ1枚の「写真」であっても「クリア」で現像してプリントするか「ディープ」で現像してプリントするかではまったく雰囲気の「写真」になる。まあ、取りあえずその程度の範囲で何かを考えてみて欲しい。

私はたまたま「これなんの写真だ?」と思って開いたRawファイルに遊びでいろいろなクリエイティブスタイルを当ててみた。特に真剣に見比べてみたわけではない。たんなる興味でやったことで「研究」というよりは「遊び」と言った方がいい。しかし、さほど真剣にやっていなくてもこういう「遊び」をちょこちょことくり返していると「写真」についていろいろなコトが分かってくる。それは「撮影しているとき」には気がつかないことである。そこに「写真」という結果があって、それをいろいろな形で「再表現」することを通じて、「光の捉え方」であるとか「被写界深度」の使い方であるとか「背景の整理の仕方」についてであるとか「色合い」の使い方であるとかいくつものコトを「学ぶ」ことが出来る。

「スキル」は経験を積めば誰でも習得できる(まあできな人もいるけれど)。しかし、「表現力」というものはそれほど簡単には身につけることができない。そう、銀座の寿司屋が言っていた(笑)。彼は「技術」なんてくり返せば身につくと言い捨てた。そして、「技術では寿司は握れない」と語った。「寿司って"その人”が握るものだから」と核心を突く言葉を吐いた。私は彼の話を紹介し(このエントリー)、そのあと「『写真は"その人”が撮る』とはどういうことか?」という話を(6)まで書いた。

「表現力」って「その人」のことなんだよ。「その人」まるまるのこと。

おぎゃーと生まれた日からいまこの瞬間まで生きてきたことによって形成された「自分」まるまるが自分の「表現力」だということ。

物事を煎じ詰めたところで問われるのは「自分」そのものなのである。

何をやって、トコトンやるところまでやったら「結果」を左右するのは「自分力」。まあ、そういうコトなんだけれど、それで話を終わりにしてしまったらshi-photo君には身も蓋もない(笑)。と言うことで、「卑近」なところに話を収めよう。「表現力」は「スキル」じゃない。「スキル」は「マニュアル」にして教えることが可能であるが、「表現力」というのは「マニュアル」で教えることはできない。「写真」の「表現力」を豊にするために最も重要なことは良い写真を沢山見ること。これはまず絶対条件。音楽家は先達の作った音楽を沢山聴いただろうし、画家は先達の描いた絵を沢山見ただろうし、小説家は先達が書いた小説を沢山読んだだろうし、料理人は様々な料理人が作った料理を飽きるほど沢山食べたであろう。プロになるというのはそういうこと。いや、プロにならなくても「表現力」を身につけるというのはそういうこと。

もう一つは沢山撮ること。撮らないことには話にならない。しかし、「撮った」だけでは駄目なんだよ。撮った写真を「レタッチ」(フィルム時代ならプリントを焼く)コトを通じて初めて自分が撮った写真を深く「対象化」することが出来るのである。だから、レタッチをまったくやらない人ってほとんど写真が下手だ(別に写真なんて下手でも良いと思うけれど)。「レタッチとか苦手なんです」という人がいるけれどお話にならない。「別に綺麗な写真じゃなくても良い」と思っている人はそれで良いと思う。私はそういう人をまったく否定しない。写真なんてその人が楽しければそれでいいと本当に思っているから。しかし、「綺麗な写真が撮りたい」とか「もっと上手くなりたい」と思っていて「レタッチは苦手だ」と言うのでは話にならない。

実は私はレタッチなんてほとんどできない。ほぼ「レベル補正」しかやっていない(だからJPEGで十分なのである)。「ハイライト」をちょっと押さえて、「シャドー」をちょっと持ちあげて、「コントラスト」をちょっと落として、私がやっている「レタッチ」なんてこの程度のことである。80%の写真はその程度のレタッチしかしていないし半分ほどの写真は「10秒レタッチ」で済ませている。しかし、その僅かな「レタッチ」をするかしないかの差は大きい。「写真」って本当に「僅かの差」で大きく見え方が変わるものだから。いや、写真に限らずどんなジャンルでも「一流」と「それ以下」の差って「僅か」しかないものである。マラソンなんて、42kmも走って、最後20mの差で優勝を争い合うと言うことが珍しくないよね。42km走って最後20mの差だよ。100m走なんて0.01秒を争い合っている。料理だって塩の一振りで味が変わるからね。

きちんと撮れるようになることが基礎。でもそれは「基礎」でしかない。カメラの性能がこれほど高くなっても、現時点では「撮りっぱなし」で全部完璧というコトはあり得ない。むしろ、100枚撮って撮りっぱなしでまったく手を入れたいと思わない写真なんて1枚もないという方が正確だろう(ほとんどのプロは同意するだろう)。「シャドーを僅かに締めた」「ハイライトをちょっとだけ押さえた」「コントラストを若干落とした」、それで写真は変わる。時に大きく変わる。ついでに言っておくが、「正解」はない。最終的な「落としどころ」は「好き好き」でしかないからだ。

と言うわけで、良い写真を沢山見て(図書館で写真集を見たりお休みの日に個展を見に行ったり)、自分で沢山写真を撮って、撮った写真をあれこれとレタッチして見る、この3つをくり返すことによってしか上達しない。プロに弟子入りして教えて貰うというのが手っ取り早いけれど、自分一人で悪戦苦闘する方が楽しいと思う(笑)。僕は人に習うのは嫌い。なんでも自分で考えてやってみる方が楽しいと思う。僕は「恋と革命」以外には真剣になれないから遊びに真面目に取り組むなんって絶対にあり得ない。だから、「写真」については「遊び」ながらしか「学ぶ」ことをしない。

いまの僕には「撮る」ことより「レタッチ」することの方が大切だし面白い。2年くらい仕事で写真を撮っていたので「撮る」と言うことについては色々と経験した。スタジオライティングでも撮ったし、ロケでは様々なシチュエーションでの撮影を経験した。「料理写真」「建築写真」「ブライダルフォト」なんかも撮ったことがある。一流のプロカメラマンのアシスタントを経験した3人のプロフォトグラファーと一緒に仕事をしていたので、彼らを見ていていろいろ学んだ。まあ、所詮カメラや機材の「扱い方」というコトでしかないから、2年も仕事で写真を撮っていれば写真の撮り方というのは一通り覚える。もっとも、80%ぐらいはその前と変わっていないけれど(笑)。

僕はいま真面目に写真を撮るつもりが全くないんだ。いまは撮るより、ちょこまかと「弄る」方が楽しいし、僕にはそちらの方が「身になる」。僕は、結局「写真は記録」という考え方で、写真を通じて「自己表現」したいという欲求はあまりない。仮に何かの形を通じて「自己表現」するとしたら僕の場合「文章」だと思う。写真に「本気」になるくらいなら「執筆」に本気になった方が自分の能力を生かせることは間違いないから。僕にとっては「写真を本気で撮る」ということも「遊び」。僕にとって「写真」は始めから終わりまで「遊び」。楽しければそれでいい。

ただし、100%「遊び」でしかないとしても、続けている以上少しずつでもなにか新しいことを覚えたいと思う。「進歩」することがそれほど素晴らしいことだとは思っていないんだけれど、やはり「変わらない」ということは嫌だ。うん、結局「進歩がない」と言うことに対してはトコトン否定的なのである。特に「進歩しよう」とがんばるつもりは毛頭無い。しかし、遊んでいるだけでも結果として進歩していないというのは耐えられない。というか、そういうことって僕には考えられない。好きなことをやっていたら進歩するのが普通だと思う。僕の場合、それを「表出」することに対する欲求はあまりない。自分の中に「貯め込んで」おくだけで構わない。いつでも「自分自身」だけが唯一の基準だから。しかし、「貯め込んで」さえおけば、必要になったらいつでもそれを「表現」することができる。

僕は、「表出」することに対してよりも自分の中にどれだけたくさん「蓄積」していけるかと言うことの方に興味がある。あるジャンルに対する深い造詣というものは必ず他のジャンルに応用可能だから。「一事が万事」とか「一芸に秀でるものは多芸に秀でる」というのはそういうことである。「写真」なんてどうでもいい。楽しければそれで十分だ。問題なのは、好きでやっていることからどれだけいろいろなコトを吸収できるかだ。それができる人間は何をやっても水準以上のレベルに達することができる。

結局、僕にとって「写真」って、それそのものではなく「生き方」の問題なんだと思う。



【撮影データ】2018年12月15日撮影。新大久保。SONY α7Ⅲ + Distagon 35mm F1.4 ZA ISO250 F1.4 1/40 AWB

真面目に撮るなら真ん中のポニーテールの女性の顔にピントを合わせるべきである。しかし、私はただ単にこのレンズの「絞り開放」の写り具合を知りたくて歩きながら片っ端から写真を撮っているのでピントは何処に合っていても構わない。寧ろ、この絵柄ならセーターにピントが合っている方が私の知りたいことを見やすい。

【クリア】まずは一番最初に当ててみた「クリア」。合わないことはやる前から分かっている。悪くはない。好きな人もいるだろう。いや、私自身かなり好きだ。でも、やはりマッタリしすぎている。※追記。全部のクリエイティブスタイルに関する感想を書き終えた後、最終的に「クリア」が一番良いという結論に達した。いま嵌まっているだけかも知れないけれど(笑)。

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【スタンダード】この「明かり」だとスタンダードでも十分なコントラストが出る。「クリア」の方が「夜の屋台」という雰囲気が良く出ていて、上のクリアを見た後だとちょっとさっぱりしすぎるように見えるかもしれないが単独で見たらOKだ。私の場合「スタンダード」を使う場合レタッチする際にコントラストを少し持ちあげることが多い。

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【ポートレート】クリエイティブスタイルは「絵柄」による合う合わないは凄く出てくる。「ポートレート」だから当然コントラストが低め。そもそもこういう写真のために作られたクリエイティブスタイルではない。しかし、ちょっとコントラストを持ちあげてあげればそれで問題はない。まあ、こういう絵柄でわざわざ使うことは無いだろうけれど。

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【ニュートラル】まあ、ニュートラルは手を入れることが前提だと思う。「素」で使うと言うことはまず無いと思う。しかし、素直で奇麗な画質だと思う。まあ当たり前だ。これが一切の「ベース」であるのだから。「癖の無い写真」と言うことを目指すなら、ここから自分ですこしだけ「個性」を加えて行くというやり方もあるだろう。私はそんな面倒なことは絶対にできないけれど。うん、奇麗だ。余計な手が入っていないからかもしれないがレンズの良さが一番よく分かる。ずっと見ていると一番素晴らしく見えてくる(笑)。

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【ビビッド】こういう光景には使う人が多いのでは無いかという気がする。ウォームな感じが強調されるから。でも、これを使うのだったら私は断然「クリア」の方がいい。何処がどう違うのかというと、「クリア」は真ん中奥の「店の中」の部分が「クリア」な発色になっていること。そのため「主題」である「前景」が引き立って見える。「クリア」の最大の良さはそこだと思う。色も、マッタリ見えるけれど「クリア」は締まった感じの色の出方だよね。こちらはただ「こってり」という印象。もちろん、絵柄によっては「クリア」より「ビビッド」の方が美しくなるケースもある。

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【ライト】「ライト」って単純に言ってしまうとシャドーを起こすためにフィルインライト入れた感じの写り。いちいち自分でシャドーを起こさなくても奇麗に出してくれる。しかし、この絵柄について評価すればシャドーが起きているので「夜の雰囲気」がスポイルされていると思う。ストロボ使ったみたいでちょっと味気ない。こういう写真はシャドーが落ちている方が雰囲気がある。この絵柄には合っていないが「クリア」が一番使えるケースは少なからずある(私はほとんど使ったことが無いけれど)。

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【ディープ】えっ? これ本当に「ディープ」? 間違って他のクリエイティブスタイルで現像していない? 「ディープ」は私には一番使い方が難しい。この写真を見るとそう見えないのだけれど「明度」が低くコントラストも浅めでどちらかというと「のっぺり」した絵になりやすい。でもこの写真の場合全然そう見えない。そうなっている理由は明るさとコントラストが出るライティングだから。本当に「ディープ」かな?

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【風景】この写真の場合それほど悪くはないけれど、かなり個性が強いクリエイティブスタイルである。「風景」はどこのメーカーのカメラでも「ハイコントラスト」「ハイシャープネス」「高彩度」である。しかし、街中を「風景」で撮ると違和感がある。「青」と「赤」が強く出すぎるのである。あくまで「澄んだ青空」とか「蒼い海」とか「大草原」とかそういう場所で使うクリエイティブスタイルだと思っておいた方がいいだろう。「北海道」とか「沖縄」なんかで活躍するクリエイティブスタイルである(笑)。

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【夜景】これもあくまで「夜景」を前提に作られたクリエイティブスタイルなのでこの絵柄は対象外だろう。「夜景」を奇麗な画像にするためには「彩度」を落とす必要がある。夜景って元が「キラキラ」「ぎらぎら」と輝いているから。今回初めて使った。「夜景」に使ってみないと特徴が分からない。ただ、この写真について言えば控えめの彩度は悪くないと思う。私は控えめの写真が好きだからそう感じるのだろうけれど。

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【夕景】これはもう単純に「色温度」を下げて「赤味」の強い絵にしている。ここから「色温度」と「彩度」を調整したらこれはこれで暖かい雰囲気でこの絵柄にあった写真になると思う。私は「現実感」を大事にする方なのでこういう色の写真はまず作らないけれど。写真家の塙真一さんが「パリの夜景」シリーズにこういう色を使っているよね。彼はプリセットで8000KBぐらいのセッティングで撮ってるけれど。

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【白黒】悪くない。スタンダードなモノクロだ。それはそうだ。多分「スタンダード」ベースだろうから。でも、やはり「フィルター」が欲しい。こういうライトの場合フィルター入れるとトーンがまったく変わるからね。こういう写真を本気で奇麗なモノクロにしようと思ったら私はカラーから色を弄るやり方でトーンの調整をするのでフィルターなんて無くても良いんだけれど、そこまでやるなんてまずない。面倒なことは嫌いなので「ACROS + Ye」とかみたいなのがあると楽で良いと思う。

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【セピア】一度も使ったことが無いし、今後も一度も使わないだろうと思う。ここまで赤味があるセピアは生理的に駄目。モノクロにほんの僅かにオレンジを入れて「温黒調」にするのは嫌いじゃないけれどこういうのは駄目。

【総評】モニタ上で見比べてしまうとどうしても「あっさり系」が物足りなく見え、コントラストのある写真の方が見栄えが良い。だからちょっと間をおいて見て見たら判断が変わるかもしれないが、やはり「クリア」が一番魅力的だ。パッと見た瞬間、ポニーテールの女性がもの凄く印象的に目に入ってくる。その理由は上に書いたように「奥の店の中」の「色」が「白っぽく」出ていて「クリア」であり、シャドーが落ちているため明るい部分がくっきり出ているから。まさに「クリア」なんだよね。しかし、シャドーをかなり潰しているので「こってり感」が強い。「スタンダード」を基にしてコントラストを少し持ちあげ、色温度を僅かに上げて、少しシャドーを潰したら「クリア」よりになって収まりの良い写真になるだろうと思う。それでも「クリア」の方が魅力的かな。

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# by dialogue2017 | 2019-02-22 16:00 | カメラ | Comments(0)

ディーラーから自宅まで2.5kmを歩いて帰ってきた。34分掛かった。その間に31枚写真を撮った。望み通り「どうでもいいような写真」ばかりを撮った。面白いものではっきり「どうでもいい」と思って撮ると平素以上に粗雑に撮ると知った(笑)。今更ながら、「気の持ちよう」が行動に及ぼす影響がどれほど大きいかを学んだ。「どうでもいいような写真」を撮りたいというのは本心であるが、今日やったことを振り返って、写真を撮ると言うこと自体が「どうでもいいような」ことになっていることに気がついた。

年が明けてからほとんど写真を撮っていない。1月の6〜8日の3日間、自宅の周辺で少し撮った。3日とも初代のα7に古いツアイスのマニュアルフォーカスレンズを付けて撮影した。初代のα7がどれくらい写るものか知りたかったのである。1年ほど使っていなかったのでイメージが薄くなっていたのである。結果は、予想通りα7Ⅲとさほど変わらぬ写りだった。まあ、当然のことである。今どきどんなカメラでも良く写る。

そのあと、家族旅行で出掛けた長野で写真を撮った。1月17日に妻と子どもがスキーをしている間ひとりで「遠見尾根」に上がって写真を撮った。最初、小遠見山まで登るつもりであったがラッセル跡がなく諦めた。で、下の方を歩きながら写真を撮った。98枚撮ったのだけれど、途中からはホワイトアウトしてしまい真っ白な写真が量産された(笑)。しかし、9ヶ月ぶりの雪山は楽しかった。再チャレンジしたい。

1月23日に、新大久保から中野まで歩いた。1時間ちょっと歩いたにも関わらず18枚しか撮らなかった。その次に写真を撮ったのは28日。庭に咲いている薔薇の花と枯れている薔薇の花を切ってきて花瓶に挿してリビングで撮った。楽しかった。で、29日30日も同じ薔薇の花をリビングで少し撮った。2月5日にまた枯れた薔薇の花を8枚撮った。そして、そのあと写真を撮ったのは2月17日の新潟であった。あいだの約半月まったく撮らなかった。だからその期間、このブログには古いエントリーの写真の再掲載などをしていた。

1月6〜8日の3日間はスナップを楽しんだという感じでは無かった。α7と古いツアイスのレンズでどれくらい写真が撮れるかを「テスト」したようなものだった(まあ、それなりに楽しかったけれど)。この「テスト撮影」と家族旅行の写真、そして家の中で薔薇の花を撮った写真を別にすると、1月17日に遠見尾根で撮った98枚と、23日に新大久保から中野まで歩いた時の18枚と、2月17日に新潟で撮った112枚、そして今日撮った31枚が「楽しみとして撮った」写真となる。回数で言うと4回、撮影枚数の合計は259枚である。私は江の島・鎌倉界隈界隈に行くと一日で300枚ぐらい撮ることも珍しくない。2泊3日の家族旅行で1,000枚以上撮ることもある。それから考えたら、年明け53日間で259枚というのは異様なほど少ない。

要するに、あまり写真を撮りたいと思っていないのである。いや、撮りたいと思っていない訳ではない。意図して撮るのを辞めているのである。春が来て「本気」でポートレート撮影を始めるまで写真を撮ることから離れていようと思っているのである。だから、今年はまだ一度も江の島・鎌倉界隈界隈に行っていない。スナップ系の写真の半分ぐらいは江の島・鎌倉界隈界隈に出向いたときに撮っているので一度も行っていなければ撮影枚数が上がらない訳である。

撮るのを辞めている理由は、「つまらない写真」を撮ることに飽きてしまったからである。撮るのであれば「本気」で撮ってみたいのだ。しかし、いろいろ事情があって春になるまで撮影に入れない。で、つまらない写真を撮るくらいなら春まで撮らずに過ごそうかと考えたのである。

「本気で撮る」と決めてしまったので予定通り撮ろうと思ってはいるが、煎じ詰めて考えれば、「本気で撮る」必要なんて全くない。まあ、自分なりにどこまで撮れるかチャレンジしてみたいという思いはあるが、どうしてもやってみたいと言うほどのことでは無い。その理由はただ一言、「たかが写真じゃないか」ということである。

「男が」なんていう言葉は好きでは無いのだが、敢えて使えば、男が自分を掛けるにふさわしいものってもっと大きなものであるべきだと思う。この間また明治維新史や太平洋戦争史をちょこちょこと読んでいるのだが、良いとか悪いとか言うことを取りあえず棚上げして論じれば、「維新の志士」であるとか「明治昭和の軍人」には沢山「人物」がいたし、敬服に値する「生き様」を見せてくれた男たちが沢山いる。それは「天下国家」のために命を賭けた生き様であった。結局、私が「本気」になれることは「天下国家」のことだけなのである。煎じ詰めれば文字通りの意味で「命を賭して」取り組める課題だけが「魅力的」なのである。だから、写真なんて「たかが」の内にさえ入らないのである。

でもまあ、「本気で撮る」と公言してしまったので春に成ったら撮ってみようとは思っている。ただ、私自身にはほとんど意味の無いことなのだろうと思う。一度本気で撮ったらすぱっと趣味としての写真は棄ててしまおうかなどとも思っている。もう老い先長くはない。命を掛けることができないまでも、もう少し「重たい」課題に取り組みたい。

自分自身の楽しみのために本気になることなんてそれほど素敵なことじゃない。


# by dialogue2017 | 2019-02-21 23:00 | 考えていること | Comments(2)

流石に馬鹿馬鹿しくなった。4〜5枚載せるつもりだったのに撮ってきた写真を次々載せている。馬鹿だな〜(笑)。自宅近所の民家の北側の壁とフェンスの間に咲いていた花。完全に日陰で直射光はまったく当たっていない。私は日陰に咲いている花を撮るのが好きである。柔らかいトーンが出るからである。ちょっとピントを置く位置がずれてしまったけれど、この写真は私としては「収穫」である。花屋さんに行って黄色い薔薇を買ってきて、きちんとセッティングしてこのレンズで撮影してみようかという気になった。このレンズ、やはり凄いや。

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# by dialogue2017 | 2019-02-21 22:00 | スナップ | Comments(0)

F2.2で撮影。絞り開放から1/3段絞ると「玉ボケ」が円形ではなくなる。こういう光で撮るとかなり柔らかいトーンが出る。

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# by dialogue2017 | 2019-02-21 21:30 | スナップ | Comments(0)

望遠レンズの大きな魅力の一つは大きなボケ。しかし、前にある主要な被写体と背景が同系色の場合背景をぼかしてもただ五月蠅いだけという結果になることが多い。この写真はネットに対して「正対」せずに撮っている。F2.5で撮っているのだけれど、金網がどんな感じでボケていくかを試して見ているわけ。APS-Cセンサーだという先入観があるせいか想像していたよりボケていた。85(56)mmと135(90)mmの違いを体感した。

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# by dialogue2017 | 2019-02-21 21:00 | スナップ | Comments(0)

「絵柄」のことは棚上げして写真を見て欲しい。私自身、背景の「ボケ」の出方が知りたくて撮っているのだから。私は中望遠レンズを使うときには背景をこういう感じでぼかして使うことが多い(って、中望遠レンズなんてあまり使っていないけれど)。私は、「緑色」か「青色」の柔らかくぼけた背景でポートレートを撮るのが好きである(って、大人の女性のポートレートなんてほとんど撮ったことが無いけれど)。要するに、こういう「どうでもいいような写真」を撮る理由の一つは、このレンズでポートレートを撮る時のための「参照データ」を頭の中に蓄積させていると言うこと。何か一つか二つのこと(例えばピントの深さとか背景のボケ方とか)が知れれば良いので写真自体はどうでもいいのである。真面目に撮るよりも、ちゃんちゃかちゃんちゃかいい加減に撮った写真の方が「なるほどね〜」と気がつくものがあったりするものである。これは経験則。

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# by dialogue2017 | 2019-02-21 20:30 | スナップ | Comments(0)

この写真は真面目に撮った。「真面目に撮った」と言っても「いい加減に撮った」写真と同じように撮っているんだけれど、じゃあ何が違うのかというと「気持ち」。「気持ち」が違うだけで結果は変わる。多分、構えてからシャッターを切るまでの間が0.1秒とか0.2秒とか長いんじゃ無いかと思う。いや、時には1秒とか時間を掛けて撮っているときもある。そういう時というのはカメラをきちんと構えている。

「真面目に撮ろう」と思った理由は3つあって、一つはこの花が好きだから。2つめは右下と左上に奇麗なボケが出るだろうと思ったから。3つ目はF2.8でど真ん中の葉っぱにピントをおいたときに上の花までピントが行くかどうかを試して見たかったこと。F4まで絞らないと僅かにアウトフォーカスになると予想したのだが概ね当たった。「どうでもいいような写真」を撮っている時にはそういう「クイズ」みたいなことをしている事がある。F2.8とF4.0の両方で撮っておいて確認すると言うことはしない。私の興味はF2.8でピントが来るか来ないかだから。

もし今後このレンズをちょくちょく使う様になった場合、F2.8という絞りは頻繁に使うことになると思う。F2.0がどう写るかはだいたい知っているのでF2.8の確認をしておきたいということ。「テスト撮影」というほど真面目な作業ではないのだけれど、「どうでもいいような写真」を撮っている時だからこそそういうコトを考えるのである。「真面目に」撮っている時ってそういうことをあまり考えない。あれっ? この写真は真面目に撮ったんだったね(笑)。

真ん中のピントをおいた葉っぱのシャープな写り。そして、右下と左上の柔らかく上品なボケ。これがこのレンズの魅力。

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# by dialogue2017 | 2019-02-21 20:00 | スナップ | Comments(0)

これは「枝」を除外するためかなりトリミングしている。最短撮影距離が0.6mのレンズなのでここまで寄ることはできない。ちなみにXF80mmF2.8 R LM OIS WR MACROの最短撮影距離は0.25m。マクロレンズって凄いよね。花を撮るならマクロレンズだと思う。XF90mmF2 R LM WRなんてポートレートを撮らない人にはあまり使い道がない様な気がする。と書いて思いだした。前回このレンズを使ったのは昨年の10月28日のことだった。"この写真”を撮ったのが前回使ったとき。やはり人を撮るレンズだよな〜。

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# by dialogue2017 | 2019-02-21 19:30 | スナップ | Comments(0)

これは「地面」を撮っている。「地面」だから「平坦」なのだけれど、「地面」に「正対」せずに撮影しているのでセンサーからの距離が均一ではない。でF5まで絞っているのだけれど(自分ではf5.6にしたつもりだった)、かなりボケている部分がある。撮った写真自体は「どうでもいいような写真」であっても写真を撮ればなにか気がつくことがある。そういうことの積み重ねが「写真の撮り方」を構築して行くわけで、「どうでもいいような写真」でも沢山撮ればそれはそれなりに意味がある。もちろん、私が「どうでもいいような写真」を撮りたいというのはそういう意味からではないのだけれど。それがどいういう理由なのかと言うことはまたあとで。

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# by dialogue2017 | 2019-02-21 19:00 | スナップ | Comments(0)

まあ、どうでもいいような写真だよね。撮影意図を実現しているということ(笑)。

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# by dialogue2017 | 2019-02-21 18:30 | スナップ | Comments(0)